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日本史のおだまき https://jhisodamaki.net/

古事記・日本書記の神代から始まる天皇の家系図を背骨にして、古代豪族、平安貴族、藤原氏、平家、源氏、北条氏、足利氏、徳川家などとの姻戚関係を中心とした歴史の中で特に古代、飛鳥時代から中世の話題を紐解いていきたいと思います

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2023/01/11

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  • 日本書紀の謎(3)継体新王朝

    王統は絶えてはいなかった!先のブログ「継体即位前夜」では「河内王朝」十一代目の第25代武烈天皇で、ついに仁徳系の後嗣は一人もいなくなってしまいました。記紀は両書とも「元より男女なくして継嗣絶ゆべし(継体即位前紀)」と皇統断絶の危機を訴えます。ところがそのすぐあとに、大連大伴金村が「足仲彦天皇(仲哀)の五世の孫倭彦王が丹波国におられるので、試しに兵を遣わし御輿を守らせてお迎えしよう」と提案し、迎えを差し向けます。ところが当の倭彦王はその兵を見て恐怖におののき山の中に遁

  • 日本書紀の謎(3)継体新王朝

    王統は絶えてはいなかった!先のブログ「継体即位前夜」では「河内王朝」十一代目の第25代武烈天皇で、ついに仁徳系の後嗣は一人もいなくなってしまいました。記紀は両書とも「元より男女なくして継嗣絶ゆべし(継体即位前紀)」と皇統断絶の危機を訴えます。ところがそのすぐあとに、大連大伴金村が「足仲彦天皇(仲哀)の五世の孫倭彦王が丹波国におられるので、試しに兵を遣わし御輿を守らせてお迎えしよう」と提案し、迎えを差し向けます。ところが当の倭彦王はその兵を見て恐怖におののき山の中に遁

  • 日本書紀の謎(2)継体即位前夜

    応神天皇五世の孫「日本書紀」は継体天皇について、”男大迹王は応神天皇五世の孫で、彦主人王の子。母を垂仁天皇七世の孫、振媛という”、と簡単な記述しかありません。「古事記」にも”応神天皇五世の孫”とあるのみで、日本書紀も古事記も継体天皇の出自についてその多くを語りません。それ以前の25代にわたる天皇はすべて親子あるいは兄弟相伝で、そのうちヤマトタケルの子である仲哀天皇と、磐坂市辺押羽皇子の子供である仁賢・顕宗の3天皇のみは二世王、先代の兄弟の子で、つまり甥にあたりますが

  • 日本書紀の謎(2)継体即位前夜

    応神天皇五世の孫「日本書紀」は継体天皇について、”男大迹王は応神天皇五世の孫で、彦主人王の子。母を垂仁天皇七世の孫、振媛という”、と簡単な記述しかありません。「古事記」にも”応神天皇五世の孫”とあるのみで、日本書紀も古事記も継体天皇の出自についてその多くを語りません。それ以前の25代にわたる天皇はすべて親子あるいは兄弟相伝で、そのうちヤマトタケルの子である仲哀天皇と、磐坂市辺押羽皇子の子供である仁賢・顕宗の3天皇のみは二世王、先代の兄弟の子で、つまり甥にあたりますが

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