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日本史のおだまき https://jhisodamaki.net/

古事記・日本書記の神代から始まる天皇の家系図を背骨にして、古代豪族、平安貴族、藤原氏、平家、源氏、北条氏、足利氏、徳川家などとの姻戚関係を中心とした歴史の中で特に古代、飛鳥時代から中世の話題を紐解いていきたいと思います

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2023/01/11

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  • 日本書紀の謎(1)神武天皇は神様だった?

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  • 日本書紀の謎(1) 神武天皇はいなかった?

    長寿の天皇神武天皇127才、開化115才、崇神120才、垂仁140才、景行106才、成務107才、応神110才。「先是一品舎人親王奉勅修日本紀 至是功成奏上 紀卅卷系圖一卷」一品舎人親王が、紀三十巻と系図一巻を奏上した、と『続日本紀』養老四年(720年)5月21日の記事にあるように、『日本紀』が元正天皇に奏上されます。この『日本紀』は、国家としての体裁を整えるうえで、条坊制による「本格的な都城」の建設や、「律令」の制定と並んで重要な施策とされた、歴史書としての「正史

  • 飛鳥(3) 奥飛鳥 芋峠から吉野へ

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  • 飛鳥(3) 奥飛鳥 芋峠から吉野へ

    皇極天皇元年(642年)、その年は大干ばつに見舞われ、あらゆる祈雨は効なく、困り果てた中で、皇極女帝が「南淵の河上に幸して,跪きて四方を拝む、天を仰ぎて祈ひたまふ、即ち雷なりて大雨ふる、遂に雨降ること五日、あまねく天下を潤す」とあります。その祈祷の霊地が飛鳥川をさかのぼった奥飛鳥だといわれ、飛鳥の神奈備ともされています。また、壬申の乱(672年)勃発まで、夫の大海人皇子とともに隠棲した吉野をしのび、大海人亡きあと自らが天皇として何回となくその吉野に行幸したと伝わる持統女帝が

  • 飛鳥(2) 万葉集に詠まれた飛鳥

    飛ぶ鳥の明日香 都をたたえる歌 巻第一 78和銅三年庚戌春二月 藤原宮より寧樂宮に遷る時 御輿を長屋の原に停め 飛ぶ鳥の明日香 都をたたえる歌 巻第一 78和銅三年庚戌春二月 藤原宮より寧樂宮に遷る時 御輿を長屋の原に停め 飛ぶ鳥の明日香 都をたたえる歌 巻第一 78和銅三年庚戌春二月 藤原宮より寧樂宮に遷る時 御輿を長屋の原に停め

  • 飛鳥(2) 万葉集に詠まれた飛鳥

    飛ぶ鳥の明日香 都をたたえる歌巻第一 78和銅三年庚戌春二月 藤原宮より寧樂宮に遷る時 御輿を長屋の原に停めて 古郷を廻望みて作らす歌 一書に云く 太上天皇の御製飛ぶ鳥の 明日香の里を 置きて去なば 君があたりは 見えずかもあらむ和銅三年とは西暦710年、都が飛鳥から藤原京を経て奈良の都、平城京へ移った年です。明日香の都を去るに際して、その旧都を懐かしむ歌として有名です。この歌の詞書の一書に曰くとしての”太上天皇”については、41持統天皇(鸕野讚良皇女)あるいは43

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