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2022/11/07

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  • ローカル私鉄の旅。31。「上信電鉄」・富岡製糸場。その2。

    駅名一覧。「上州富岡」、「下仁田」が中心。フリー乗車券。割引率は低い。いろんな形式の電車。「南高崎」。ホームの先端から出入り。田園が広がります。高架は、「上越新幹線」。「佐野のわたし」。駅名の由来は当駅にほど近い場所を流れる烏川にかつて渡し船があったことによる。渡し船はなくなったが、現在でも佐野橋が架けられ「渡し」の役割を担っている。しかし、佐野橋は洪水時に橋げたが流される流れ橋であるため、2019年10月の台風19号の影響で流され、復旧工事中。この地区に関わる謡曲「鉢の木」。(栃木県佐野市という説もある)。※謡曲「鉢の木」鎌倉時代中期。大雪が降る中、鎌倉を目指す一人の旅僧が、上野国(こうずけのくに)佐野を訪れます。旅僧は雪のため先に進むことができず、道中にあった家を尋ね、主人の妻に宿泊を請います。やがて...ローカル私鉄の旅。31。「上信電鉄」・富岡製糸場。その2。

  • ローカル私鉄の旅。30。「上信電鉄」・富岡製糸場。その1。

    今回から「上信電鉄上信線」編。高崎駅~下仁田駅。8月25日(金)。快晴。JR「上野」から「高崎」まで。在来線で約2時間。ここから乗り換えます。帰路の途中、世界遺産に登録された「富岡製糸場」の最寄り駅「上州富岡駅」で下車する予定。「鉄道むすめ富岡しるく」さんがお出迎えです。起点である高崎駅は上越・北陸新幹線をはじめ、高崎線・上越線・信越本線・両毛線・八高線といったJR各路線の列車が発着する交通の要衝であり、本路線においても起点であると同時に車両基地や本社の所在する重要な駅となっている。列車は構内で最も西側にある0番線ホームから発車すると、少しの間高崎線と並走した後、高崎アリーナを境に右手にわかれ家々の軒先をかすめるようにしてしばらく走り、県道13号との踏切を越えると南高崎駅に到着する。同駅は、現在は1面1線...ローカル私鉄の旅。30。「上信電鉄」・富岡製糸場。その1。

  • 虫ききの会。向島百花園。8月26日(土)。

    「向島百花園」で恒例の「虫ききの会」(8月25日~27日)が催されました。そこで、土曜日の夕方、出かけました。上弦の月が南天に。31日が満月・スーパームーン。風鈴が鳴って涼しげ。萩のトンネル。次第に夕闇が深く、火入れ式が始まります。わだかまり消えて今宵はちちろ鳴く若いカップルが興味深く、離れ座敷。「スカイツリー」も七色に。水面に浮かぶ雪洞。水や空あかり持ちあう夜の秋北元居士着物姿がぼんやり浮かぶ。虫ききの会。向島百花園。8月26日(土)。

  • ローカル私鉄の旅。その29。上毛電鉄。その6。

    「富士山下」。駅名の由来となった富士山(ふじやま)は、いわゆる富士信仰による各地の「富士山」のひとつで山頂には浅間神社もあるが、標高は160メートル、駅からの高さは約40メートルの小さな山であり、静岡・山梨県境の富士山(ふじさん)からは直線距離でも約130キロメートル離れている。しかし、その字面から外国人観光客が「ふじさん」の最寄駅と勘違いする事もあり、2013年(平成25年)に「ふじさん」が世界遺産に登録されると当駅の存在も合わせて注目されるようになった[。上毛電気鉄道では誤乗車を防ぐPRを行うとともにこの紛らわしい駅名を逆手に取った事業を展開し、2013年(平成25年)8月28日、「ふじやま」に登頂しかつ山頂の浅間神社内の祠にて記念撮影した写真を、先着50名限定で同9月1日-同10月31日の期間同社ホ...ローカル私鉄の旅。その29。上毛電鉄。その6。

  • ローカル私鉄の旅。その28。上毛電鉄。その5。

    「赤城」。開業時は新大間々駅で、昭和25年4月30日先代、昭和駅舎が完成。昭和33年11月1日に現在の赤城駅に駅名変更。平成14年7月24日、昭和駅舎営業終了。平成15年1月16日、現駅舎営業開始。群馬県知事、大間々町長他多数出席のもと開所式を開催。「大間々」(両毛線の「大間々」と混同)が「赤城」に変更されたと思っていましたが、頭に「新」が付いていたのですね。また、「桐生市」と思っていましたが、「みどり市」に属しているのですね。昔、親戚の葬儀の時、母親に連れられて東武浅草駅から乗って、この駅で降りた記憶があります。特急電車「りょうもう」だったか、どうか。向こうのホームに特急「りょうもう」が停車中。「りょうもう」は、東京と栃木・群馬方面をつなぐ東武鉄道の特急列車の愛称。200型・250型車両が使用され、主に...ローカル私鉄の旅。その28。上毛電鉄。その5。

  • ローカル私鉄の旅。その27。上毛電鉄。その4。

    電車です。ワンマンカー。一面、太陽光パネル。「SUNAGA」。改修中の壁沿いに。かつての電車のミニチュア?「大胡(おおご)」。開業時からの駅舎、構内には変電所、車両検修所などが併設されている。平成23年7月1日パーク&ライド駐車場および駅前ロータリートイレ一部リニューアル。国の登録有形文化財に登録。車内風景。左手に赤城山。残念ながら雲の奥。道路はどこも舗装整備されています。どこの地域も、「自動車社会」になっているのですね。「樋越(ひごし)」。「北原(きたはら)」。しばらく無人駅が続きます。稲。トウモロコシ畑。「新屋(あらや)」。粕川(かすかわ)」。平成16年11月30日現駅舎新築。粕川村村長他、多数出席のもと開所式を開催。「膳(ぜん)」。この駅までは前橋市でしたが、この先の駅は、桐生市、みどり市になります...ローカル私鉄の旅。その27。上毛電鉄。その4。

  • ローカル私鉄の旅。その26。上毛電鉄。その3。

    雲に覆われて、残念ながら赤城山の裾野のみしか見えません。「上泉駅」を過ぎると、「桃ノ木川」を渡ります。※「桃ノ木川」群馬県前橋市、その中央部に桃ノ木川が流れている。一見、赤城山を源流とする自然河川と錯覚するが、実は利根川を分流する農業用水路である。その水源は昭和村の綾戸ダムであり、渋川市の佐久発電所に導水して電気を起し、その放流水を桃ノ木川と広瀬川に取り入れている。したがって広瀬川も桃ノ木川と同じ兄弟川である。この二つの川は、前橋市の北部で「広桃用水制水門」のゲートで分流されて、それぞれの役目を果たす旅に出る。それぞれの特徴を考えてみよう。まず桃ノ木川は最初から農業用水として前橋市東部の広大な田園を潤し、両毛線の駒形駅近くで広瀬川に合流する。川の長さはたったの15kmにもかかわらず、その間、幾筋もの分水・...ローカル私鉄の旅。その26。上毛電鉄。その3。

  • ローカル私鉄の旅。その25。上毛電鉄。その2。

    ホームのようす。夏休み・平日のせいか、乗客は少ない。車内には魚がいっぱい描かれています。「走る水族館」。海なし県なりの工夫。子供たちが描いた絵が一面に。暑い夏にはふさわしい企画。しばらく市街地を走る。「城東(じょうとう)」。開業時は「一毛町」駅で、平成6年4月10日に駅名変更。車内のようす。経営的に厳しい印象。「三俣(みつまた)」。開業時は停留所で昭和31年8月25日、自動信号化に伴い、300m西桐生方面に移設し、停車場に改良。※「停留所」と「停車場」の違い「停留所」とは、乗客の乗降りの為に路面電車が停車する、鉄道で言う「駅」に相当する場所、またはバスが同様にその為に停車する場所を指して使う言葉。「停車場」とは、鉄道が停車することができる場所の総称。旅客鉄道において、乗客が乗降りできる各駅や、単線の路線で...ローカル私鉄の旅。その25。上毛電鉄。その2。

  • ローカル私鉄の旅。その24。上毛電鉄。その1。

    今回は、上毛電鉄に。JR前橋駅で下車、上毛電鉄の始発駅「中央前橋駅」まで徒歩で約15分。終点の「西桐生駅」までの旅。8月18日(金)。晴れ。前橋駅から中央前橋駅まで「けやき通り」を歩く人もほとんどいない炎天下。前橋駅。ところで、前橋駅の発車ベルが「咲いた咲いたチューリップの花が」のメロディー。作曲した方が前橋の出身のようです。駅前のモニュメント。サイタサイタチューリップノハナガ、ナランダナランダアカシロキイロ、ドノハナミテモキレイダナ。「井上武士」。井上武士は、日本の作曲家。東京音楽大学教授。群馬県勢多郡芳賀村(現在の前橋市)出身。代表作は「チューリップ」「海」。作曲数は約500曲とも200曲以上ともされ、日本音楽史上に残る数々の唱歌・童謡の作品を遺した。上記2曲は日本の歌百選に選ばれている。※「海」海は...ローカル私鉄の旅。その24。上毛電鉄。その1。

  • ローカル私鉄の旅。その23。関東鉄道+真岡鉄道。その8。

    転車台。それにしても、右手の山中、地下に軍需工場があったとは。発車直前に、部活帰りの高校生がたくさん乗ってきます。炎天下、お疲れさま。それにしても皆、元気です。茂木駅から北の方向。田園風景を見ながら帰途へ。途中駅で下車する高校生たち。SLキューロク館開館2周年。現在は、開館して10年が経ちました。「折本」。次第に市街地に近づきます。下館駅へ。正面に「筑波山」。関東鉄道乗り場。こうして取手~下館~茂木、と二つの私鉄に乗りました。帰りは、JR下館駅から小山駅に出て、戻ってきました。動画からいくつか紹介。関東鉄道。真岡鐵道。どちらの路線も沿線には田園風景が多いですが、関東鉄道は通勤・生活路線という要素が強く、真岡鐵道は通勤・生活よりも観光や通学に多く利用されている、という印象でした。ローカル私鉄の旅。その23。関東鉄道+真岡鉄道。その8。

  • ローカル私鉄の旅。その22。関東鉄道+真岡鉄道。その7。

    「市塙(いちはな)」。武者絵。市貝町の代表駅であり、町営バスの始発駅となっています。駅舎に描かれているのは、田野辺集落に伝わる県の無形民俗文化財である「武者絵」。※当初は「市場縄」と呼ばれ、承平7年(937年)に益子氏一族の市花十郎直政がこの地に館を築いた際に「市花」と改め、その後「市塙」に変化したという。この館は「市花輪館」または「市花館」と呼ばれていた。(「Wikipedia」より)天矢場。茂木から市貝町にかけてそびえる峠の頂上付近にあり、茂木駅から天矢場駅ににかけては真岡線最大の勾配がある区間です。次が終点「茂木(もてぎ)」※「もぎ」ではありません。道の駅もてぎ。左手に「旧東京芝浦電機(現:「東芝」)茂木工場(軍需工場)」跡・「特殊地下壕」跡・「高射砲地下工場」跡があります。空襲が激しくなり、川崎に...ローカル私鉄の旅。その22。関東鉄道+真岡鉄道。その7。

  • ローカル私鉄の旅。その21。関東鉄道+真岡鉄道。その6。

    イチゴ栽培のハウス?「西田井」。「益子(ましこ)」。○益子の歴史益子には、室町、鎌倉まで遡るような貴重な文化財が町の中心を取り巻くように点在しています。関東甲信越四大古塔のひとつとして知られるのが、西明寺の三重の塔。1537年西明寺城主益子家宗の建立で、和洋唐様の様式をもっています。本堂は1394年益子勝直によって開扇供養が行われ、1701年の大改修で現在のかたちになりました。中備のかえる股には十二支が刻まれています。純唐様式の楼門も威風堂々たるもの。このほか、山の玄関口に位置する大倉神社(807年)と綱神社(1194年)、側柱が角柱内部が円柱で阿弥陀堂式の平面を構成する地蔵院本堂(1504-1520)、大沢文庫を設けて名僧を輩出した円通寺(1402年)、日本で唯一、笑い閻魔大王を安置している閻魔堂(17...ローカル私鉄の旅。その21。関東鉄道+真岡鉄道。その6。

  • 盛夏。台風7号。「終戦」記念日。向島百花園。江戸風鈴。カルガモ・オナガ。秋の七草。・・・

    台風7号が紀伊半島に上陸。近畿地方を縦断。中国や東海でも大きな被害が出そう。東京地方、雨が降ったものの、晴れてきました。そして、今日は「終戦記念日」、本当は敗戦の日。「敗戦」を「記念日」というのは、というわけかどうか。「終戦」記念日。「敗戦」を認めないという気持ちが国民(指導者)にあったのか、戦争責任はうやむやのまま。「戦後」は、勝者・アメリカにお追従、今日に至る日本「国家」。・・・と言い出せば、言いたいことはたくさん。「2023年は?」と問われて、「戦争前夜」と答えたタレントもいるようだが。岸田の言動を見ると、国民の憂い、不満をそっちのけで、むやみにはしゃぎすぎている。そのうち、きな臭い世の中になりつつあるような、・・・。天気も政治も荒れ模様寸前の盛夏の中、晴れ間を見計らって久々に「向島百花園」へ。8月...盛夏。台風7号。「終戦」記念日。向島百花園。江戸風鈴。カルガモ・オナガ。秋の七草。・・・

  • ローカル私鉄の旅。その20。関東鉄道+真岡鉄道。その5。

    出発です。沿線には、益子焼で有名な「益子」があります。「益子焼上り窯(益子町)」。「下館~茂木」。途中15駅、所要時間1時間13分。11:10発、12:23到着。下館二高前。向こうの校舎は下館中学校。田園風景が広がる。「折本」。上り列車と行き違う。「久下田(くげた)」。駅舎内には多目的施設「さくらホール」が併設されています。「久下田」の「くげ」とは白鳥(鵠)のことで、白鳥が付近の水田に住み着いたことを由来とする地名です。(「真岡鐵道」HPより)※「境川」歩きの時、「江の島」近くに「鵠沼(くげぬま)」という地名がありました。同じ謂われがあるようです。刈り入れを終えた田んぼ。この付近も、早場米の産地。トウモロコシ畑。田んぼとトウモロコシ畑と。親子連れが前方で行く手を見つめる。どこまで行くのでしょうか?この付近...ローカル私鉄の旅。その20。関東鉄道+真岡鉄道。その5。

  • ローカル私鉄の旅。その19。関東鉄道+真岡鉄道。その4。

    再び田園風景が広がります。振り返る。どこまでも直線の線路。車内風景。上り線との行き違い。住宅が増えてきます。t遠くに筑波山の山並みが。左手(西側)の風景。大谷川。終点下館駅に着きます。「キハ2400形(2402)」。1922年9月3日、現在の関東鉄道の前身の一つとなった鹿島参宮鉄道株式会社が開業しました。関東鉄道は、この日を開業日としてカウントしています。2022年9月3日に開業100周年を迎える、ということになります。その前年となる今年(2021年)、開業100周年を前にした企画として、常総線の「キハ2400形」の内2両が「レトロ塗色」(昭和40~60年代の、朱色とクリーム色のツートンカラー)に変更されています。(「下館レイル倶楽部」HPより)JR下館駅ホームから「真岡鐵道」に乗り換えます。乗り換え時間...ローカル私鉄の旅。その19。関東鉄道+真岡鉄道。その4。

  • ローカル私鉄の旅。その18。関東鉄道+真岡鉄道。その3。

    圏央道常総JC。筑波山が見えます。鉄塔に重なるように。空が霞んでいるので、よく見えません。残念!右手。目をこらすと住宅の屋根の向こうにお城が見えてきます。かなり高層なお城ですが。「地域交流センター」。常総市は、茨城県南西部、都心から55キロメートル圏内に位置しており、東西に10キロメートル・南北に20キロメートルの長方形に近い地形で、東に小貝川、西に飯沼川があり、中央を北から南に流れる鬼怒川によって東西に分かれています。当市の石下地区は、はじめ「イシケ」と呼ばれ、「イシ」は砂河原、「ケ」は作物・食物の意味があり、農耕に適した土地であったことが考えられます。5世紀頃から「伊師毛」と記され、和銅6年(713)に「石毛」に変わり、江戸時代の寛永7年(1630)の検地により「石下」と改められました。この地域交流セ...ローカル私鉄の旅。その18。関東鉄道+真岡鉄道。その3。

  • ローカル私鉄の旅。その17。関東鉄道+真岡鉄道。その2。

    住宅や大きな集配センターがあったり、森が続くなど変化が富んだ地域。守屋駅からは、地元の人と会社員と。振り返る。左手には車両基地。「水海道(みつかいどう)」駅。茨城県南西部にあった旧市名(水海道市)。現在は常総市(じょうそうし)の南部を占める地域。・・・旧地名の由来は諸説あるが、16世紀ころの文書には「水かへと」とあり、水とのかかわりが深い。鬼怒(きぬ)川と小貝(こかい)川が近接する沖積低地とローム層の洪積台地よりなる。関東鉄道常総線と国道294号、354号が通じる。隣接するつくばみらい市にある常磐(じょうばん)自動車道谷和原インターチェンジが近い。古くから開かれ、古代には平将門(まさかど)の乱があり、中世には下妻城主多賀谷(たがや)氏の勢力が及び、近世は天領や古河(こが)藩領となり、また小貝川の淵頭河岸(...ローカル私鉄の旅。その17。関東鉄道+真岡鉄道。その2。

  • ローカル私鉄の旅。その16。関東鉄道+真岡鉄道。その1。

    今回は、関東鉄道。JR取手駅から乗り換え、関東鉄道で終点「下館駅」で乗り換え、「真岡鉄道」で終点の茂木駅まで。2路線に乗りました。取手駅。京成グループの企業であり、京成電鉄の連結子会社。車体のデザインなどが京成カラー。。常総線(じょうそうせん)は、茨城県取手市の取手駅から同県筑西市の下館駅までを結ぶ関東鉄道の鉄道路線である。路線名は、沿線が旧常陸国と旧下総国にまたがることに由来する。概要関東平野のほぼ中央、利根川水系の鬼怒川にほぼ並行して南北に走る、東京圏の通勤路線としては珍しい全線非電化の路線。水海道駅を境に複線化されている南側は他社線との乗り換えにより東京方面への通勤を担う路線としての性格を持ち、北側の単線区間は田園地帯を走って鬼怒川沿いの集落を結ぶローカル線の性格が強い。かつては各市街地を除いて沿線...ローカル私鉄の旅。その16。関東鉄道+真岡鉄道。その1。

  • ローカル私鉄の旅。その15。「ひたちなか海浜鉄道・湊線」。その4。

    再び気動車に乗って、「那珂湊」駅に向かいます。左手遠くに海が。那珂湊駅構内。かつては名物ネコがいました。駅前広場。歩いて10分ほど、漁港に向かいます。けっこう暑い!歩いている人は、ほとんどいません。ひたちなか市マンホール。「那珂川」に架かる「海門橋」と「朝日」、そして市の花「ハマギク」がデザインされている。下部に那珂湊市章と「おすい」の文字。ひたちなか市内の案内図。モニュメント。那珂湊漁港の沿革那珂湊漁港は、戦後、遠洋漁業の発展とともに大きく飛躍し、茨城県唯一の遠洋カツオ・マグロ漁業の基地として、県水産業の中心的役割を果たしてきましたが、地元大型船漁業の衰退により、現在では、カツオ一本釣り及びサンマ棒受網船といった他の漁港から入港する廻船と15トン以下の地元小型船による漁業が中心となっています。漁港整備に...ローカル私鉄の旅。その15。「ひたちなか海浜鉄道・湊線」。その4。

  • ローカル私鉄の旅。その14。「ひたちなか海浜鉄道・湊線」。その3。

    磯崎駅。磯崎駅近辺に広がるさつま芋畑のさつま芋と酒列磯崎神社に祀られている少彦名命(すくなひこなのみこと)が描かれています。茨城県は、干し芋の生産量が全国1位。中でもひたちなか市は、その中心的な生産地です。冬には近くの民家でたくさんの芋を干している風景が観られます。終着駅「阿字ヶ浦」に到着。世界初、車両そのものがご神体の神社。ひたちなか海浜鉄道「阿字ヶ浦駅」に祀られた「ひたちなか開運鉄道神社」。ご神体は「キハ222」という車両。1962年に製造、北海道の羽幌炭鉱鉄道で運用され、廃線となった1971年に湊線へやってきて、その後2015年まで現役で活躍しました。イベント等でご神体がご開帳(車内見学)される事もあるのだそう。53年間活躍した長寿、そして無事故を貫いた車両。列車には連結器が不可欠だから、ご縁・恋愛...ローカル私鉄の旅。その14。「ひたちなか海浜鉄道・湊線」。その3。

  • ローカル私鉄の旅。その13。「ひたちなか海浜鉄道・湊線」。その2。

    田園地帯を進む。※後方の席に座っているので、線路、駅などは遠ざかって行く写真となっています。前方は「北関東自動車道」。鉄橋を越えると、「高田の鉄橋」駅。「高田」と「鉄橋」をそれぞれ両側の岸に見立て、両岸間を鉄橋で渡る列車をイメージして描かれています。地域の要望によって平成26年10月1日に開業いたしました。駅のそばにある鉄橋の地元で親しまれた愛称がそのまま駅名になりました。駅のそばを流れている中丸川にかかる鉄橋は正式な名称を「中丸川橋梁」といいますが、古くから地元では「高田(たかだ)の鉄橋」と呼ばれ親しまれてきました。「高田」とは駅付近のかつての字名で、現在は地名として残ってはおりませんが、鉄橋の愛称のなかでそのまま高田の名前が残りました。新規開業にあたり、地元の方々に親しみやすい駅名として根付いていくこ...ローカル私鉄の旅。その13。「ひたちなか海浜鉄道・湊線」。その2。

  • ローカル私鉄の旅。その12。「ひたちなか海浜鉄道・湊線」。その1。

    JR常磐線「勝田駅」から乗り換えて、「ひたちなか海浜鉄道・湊線」へ。8月2日。快晴。ひたちなか海浜鉄道2008年3月31日までは茨城交通の路線であった。2005年12月に、茨城交通は地元ひたちなか市に対して、赤字で経営状況が厳しいため2008年3月で廃線にする意向を示し、ひたちなか市は、財政支援も視野に存続を目指すと、2006年9月に報道がなされた。茨城交通は支援を受ければ赤字の解消や老朽化した施設の改善が可能として、2007年3月31日に廃止届の提出を当面見合わせると発表した。設備更新には国の鉄道軌道近代化設備整備補助制度を利用し、その事業者負担分も市が負担する方針が示され、茨城交通の鉄道部門を別会社に分離することになった。当初市は茨城交通100%出資の子会社の設立を求めていたが、過半数の株式を保有する...ローカル私鉄の旅。その12。「ひたちなか海浜鉄道・湊線」。その1。

  • 暑い夏の過ごし方。我が家のネコ編。

    暑い夏。人間と同様、我が家の猫たちも、すずしいところを求めて。長く伸びて。小さくなって。暑いねえ!ソウタ。アンズ。アンズはさっさと涼しいところを見つけたらしく、雲隠れ。ソウタは、顔はどこ?どこも暑いなぁ。やっぱりここが一番!<imgsrc="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/71/71/e1f296be2514fba61c44a52b6e8ba156.jpg">暑い夏の過ごし方。我が家のネコ編。

  • ローカル私鉄の旅。その11。「鹿島臨海鉄道大洗鹿島線」+「JR鹿島線」

    「利根川」を渡ります。右手後方に利根川の堤。香取駅。佐原駅。佐原駅は、佐原(成田)街道歩き、利根川歩きで来たことがあります。以下、ビデオ撮影した映像を紹介。<imgsrc="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/45/6f/9b01f9d2db274401b2bf3eb2d5fbed07.png">成田線で成田、そこから京成線。成田駅を出たとたん、猛烈な暑さに見舞われました。ローカル私鉄の旅。その11。「鹿島臨海鉄道大洗鹿島線」+「JR鹿島線」

  • ローカル私鉄の旅。その10。「鹿島臨海鉄道大洗鹿島線」+「JR鹿島線」

    発車すると、まもなく長い橋を渡ります。北浦橋梁。この橋は全長1236mで、日本の鉄道橋としても有数の長さを誇ります。水上に橋脚が並び、単線の橋桁が真っすぐ伸びる光景は壮観ですが、さらにここを貨物列車も渡っていきます。目の前いっぱいに空と湖面が広がる中、水平線近くをすすむ貨物列車は、まるで大自然に溶け込んでしまったかのようです。日本有数の長大鉄道橋が生まれた背景鹿島線の歴史は比較的浅く、元々は香取と水戸を結ぶ計画で、1960年代半ばから工事が始まりました。1970(昭和45)年に香取~鹿島神宮間が先行開業しましたが、残りの区間は国鉄による運営を断念し、第三セクターの鹿島臨海鉄道の大洗鹿島線として開業しています。当時はすでに、新たな鉄道建設は国鉄から日本鉄道建設公団の手に渡っており、貨物輸送や高速運転を見据え...ローカル私鉄の旅。その10。「鹿島臨海鉄道大洗鹿島線」+「JR鹿島線」

  • ローカル私鉄の旅。その9。「鹿島臨海鉄道大洗鹿島線」+「JR鹿島線」

    どこまでもまっすぐな線路が続きます。森と畑の中。踏切がないので、けっこうスピードが出る。試合の開催日ではないので、鹿島サッカースタジアム駅は通過します。左手の森の向こうに。まもなく鹿島神宮駅に到着。左手の森一帯が鹿島神宮。折り返して水戸へ向かう気動車。駅付近のようす。左手の森が「鹿島神宮」。北方向。JR鹿島線に乗り換えて佐原・成田方面に向かうことに。その前にいったん下車して食事をする予定でした。が、臨海鉄道がかなり遅れたせいで、時間がない!反対ホームに「鹿島線」が停車中なので、そのまま乗車します。持ってきたパンで空腹をしのぐことに。車窓から。鹿島線。成田線の佐原駅から銚子側の1駅先にある香取駅から分岐し、水郷潮来あやめ園や十二橋めぐりなどの水郷の観光地を持つ潮来駅、鹿島神宮や鹿島臨海工業地帯のある鹿嶋市の...ローカル私鉄の旅。その9。「鹿島臨海鉄道大洗鹿島線」+「JR鹿島線」

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