5月16日(金)。曇り。東急「新丸子」駅で下車し、「東海道新幹線」「湘南新宿ライン」の下をくぐり、「多摩川」に復帰。対岸は、東京都大田区。下流方向。「河口まで12K」。河川敷には、「多摩川ゴルフ倶楽部」ゴルフ場が広がる。武蔵小杉駅付近の高層マンション群。対岸は、「キヤノン本社」付近。「ガス橋」。「多摩川大橋」。川崎リバーサイドパーク(ゴルフ場)。。x
西武線「秋津駅」~「西武園」。その5。都立八国山緑地。あおぞら広場・ほっこり広場。西の広場。西武園。
所沢市側は都県境直下まで家並みがあります。広場に出てきました。眼下に東村山市の家並み。「あおぞら広場」。犬を連れ、散歩する女性。東南に市街地が広がります。ベンチで小休止し、西のゴール目指して、眼下に、ほっこり広場。右は、所沢市側。尾根伝いにのんびりと。振り返る。ということで、今年のブログも、終わり。皆さん、良いお年を。ソウタ。アンズ。仲良く新年を。西武線「秋津駅」~「西武園」。その5。都立八国山緑地。あおぞら広場・ほっこり広場。西の広場。西武園。
西武線「秋津駅」~「西武園」。その4。都立八国山緑地。将軍塚。
「都立八国山緑地」案内図。八国山は標高89.4メートルの狭山丘陵の東端にある山です。その頂きから上野(かみつけ)・下野(しもつけ)・常陸(ひたち)・安房(あわ)・相模(さがみ)・駿河(するが)・信濃(しなの)・甲斐(かい)の八国が見渡せることから、その名が付いたとされています。新田義貞(にったよしさだ)鎌倉討伐や武蔵野合戦などが行なわれた場所で、山のふもとには久米川古戦場碑があり、山頂には将軍塚が残されています。(「」HPより)たどる道が、都県境(緑地の北限)になっています。「八国山緑地」東側。「同」西側。明治以来、都県境に変化はありません。振り返る。所沢市内。右手が所沢市。緩やか坂道を上がっていきます。埼玉県側の案内板。この案内板には、「埼玉県狭山丘陵」とあります。右が埼玉県、左が東京都。「元弘青石塔婆...西武線「秋津駅」~「西武園」。その4。都立八国山緑地。将軍塚。
西武線「秋津駅」~「西武園」。その3。柳瀬橋・二柳橋・二瀬橋・勝陣場橋。八国山緑地へ。
都県境は、まだまだ旧所沢街道を越えて南西に進みますが、道が不明なところもあり、柳瀬川の右岸(東村山市)を歩くことに。「柳瀬橋」。柳瀬川(上流)。「二柳橋」から。対岸は、埼玉県所沢市。現所沢街道。この付近で都県境は、柳瀬川に。ポリオ研究所(株式会社BIKEN)東京事業所―ポリオワクチンの研究及び製造拠点―。(東村山市久米川)西武線新宿線をくぐります。二瀬橋交差点。対岸は、所沢市久米。「二瀬橋」が架かる柳瀬川が都県境。東村山市マンホール。市章と市の木ツツジのデザイン。「勝陣場橋」からの柳瀬川。下流方向。ここから、都県境は北西に進みます。左折した道の右手の緑地が都県境。いよいよ都県境になる「八国山緑地」の道をたどることに。西武線「秋津駅」~「西武園」。その3。柳瀬橋・二柳橋・二瀬橋・勝陣場橋。八国山緑地へ。
西武線「秋津駅」~「西武園」。その2。秋水園・とんぼ工房。「光あまねし」碑。秋津橋。
秋水園。ごみ焼却施設、リサイクルセンター、し尿希釈投入施設、とんぼ工房、グランド。さらに、ふれあいセンターが併設されています。※「秋水園ふれあいセンター」秋水園周辺住民の交流を促進し、地域社会の発展と文化の向上、及び地域住民の福祉の増進を図ると共に、資源が循環して利用されるまちづくりを目的とします。(「」HPより)とんぼ工房。秋水園には、皆さんの家から出された家具などの粗大ごみが日々運び込まれていますが、その中には修理をすればまだ使えるものや、少しの工夫で活用できるものがたくさんあります。とんぼ工房は、それらのそのまま「ごみ」として処分してしまっては「もったいない」ものに手を加え、再生できる家具等の修理・廃材の再利用を行なう施設です。運営団体である「とんぼサポーター2」が、廃材を使った木工品の製作を行って...西武線「秋津駅」~「西武園」。その2。秋水園・とんぼ工房。「光あまねし」碑。秋津橋。
西武線「秋津駅」~「西武園」。その1。松戸橋。淵の森緑地・トトロの森。(「都県境を探ってみる。第9回目)
12月25日(日)快晴。風もあまりなく、穏やかなお天気。日本海側、北日本の人たちには申し訳ないほど。秋津駅に10時頃到着。最近は、最寄りの交通機関の関係(特に鉄道)で距離を伸ばせません。ますます軟弱に。所沢の観光案内板。歩く道は、図の下の方、所沢市と東京都東村山市と境。都内は、真っ白になっています。左は東村山市、右が所沢市。東村山市のマンホール。図柄は村山貯水池の取水塔。村山貯水池(多摩湖)の所在地は東大和市。それが、東村山市のマンホール蓋に描かれているのか?ここで取水した水が東村山市にある「村山浄水場」に送水されるということから。中央下に「ヒ」と「ム」をハトの形に図案化した市章がある。所沢市のマンホール。中央に、ヤマノイモ科の多年生つる草の「野老(ところ)」の葉を図案化し、周りをカタカナの「ワ」3つで囲...西武線「秋津駅」~「西武園」。その1。松戸橋。淵の森緑地・トトロの森。(「都県境を探ってみる。第9回目)
武蔵野線「新座駅」~西武線「秋津駅」。その5。柳瀬川・空堀川。カワセミ。秋津駅。(「都県境を探ってみる。第8回目)
カワセミ(○)。<imgsrc="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0e/3c/ef40c8c020d15e88b25dfa6922f12ffc.jpg">武蔵野線「新座駅」~西武線「秋津駅」。その5。柳瀬川・空堀川。カワセミ。秋津駅。(「都県境を探ってみる。第8回目)
武蔵野線「新座駅」~西武線「秋津駅」。その4。柳瀬川を遡る。その2。(「都県境を探ってみる。第8回目)
松柳橋。ここで、再び清瀬市に。境橋。空堀川。武蔵野線「新座駅」~西武線「秋津駅」。その4。柳瀬川を遡る。その2。(「都県境を探ってみる。第8回目)
獲物を見せに。さっさと放り出して、今度は、なんだこれは?階段に上がって。放り投げて、気がついたら、水飲みの皿の中に落としていました。ふやけてしまったパン(のおもちゃ)。年賀状の印刷を始めると、プリンタに興味津々。くわえようとのぞき込む。以前に比べて格段に少なくなった年賀状。今回もあっという間に印刷終わり!相変わらず好奇心旺盛で、獲物狩りの好きなソウタです。
武蔵野線「新座駅」~西武線「秋津駅」。その3。柳瀬川を遡る。(「都県境を探ってみる。第8回目)
柳瀬川は、護岸工事、河川改修が進み、流れもきれい。川沿いに遊歩道も整備されています。振り返る。対岸の向こうには、武蔵野線が。釣り人の姿も。ところどころに人工的に段差などが設置され、流れに変化が生まれる。洪水防止でしょうが、工夫があります。桜並木の下を進む。花見の時期には、さぞかし賑わうことでしょう。この先、対岸の向こう、「清瀬金山調節池」から金山橋をはさんで、「清瀬金山緑地公園」まで、大きく回り込むように清瀬市エリアが広がります。※柳瀬川右岸を歩いたため、この二つは、訪問していません。「清瀬金山調節池バードウォッチング」。「清瀬金山緑地公園」。(いずれも「Wikipedia」より拝借)対岸は、「清瀬金山調節池」付近。前方に「金山橋」が見えてきます。金山橋下から「清瀬金山緑地公園」を望む。振り返る。対岸右奥...武蔵野線「新座駅」~西武線「秋津駅」。その3。柳瀬川を遡る。(「都県境を探ってみる。第8回目)
こたつから、頭だけ出して。ジジを見つけ、ジジにじゃれつくも、そのうち、カーペットの暖かさに、<imgsrc="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/29/ab/bce3284a780eaab72f0d01dd4085ba97.jpg">寒さの冬も自由自在。冬至。我が家の猫たちは、・・・。
武蔵野線「新座駅」~西武線「秋津駅」。その2。円通寺長屋門。城前橋。滝の城跡。再び柳瀬川。(「都県境を探ってみる。第8回目)
都県境でもある「柳瀬川」沿いに進もうとしましたが、土手上は通行禁止。来た道から武蔵野線をくぐり、西に向かいましたが、なかなか柳瀬川に近づけません。清瀬市内を歩くことに。畑が広がる。円通寺長屋門。もとはかやぶきでしたが戦後瓦葺になおしました。武蔵野平野部の長屋門は比較的小さいのですが、この長屋門は規模も大きく、柳瀬川・滝の城を背に、清瀬古道に沿って建っている白壁・板腰は目の姿はあくまで端正です。大扉の閂やくぐり戸のおさえ等に昔の工夫がしのばれ、基本的な使用目的が守られています。円通寺の記録に「長屋門天保十五甲辰年十一月二十五日上棟再建」(一八四四年拾食宥傳の代)とあり、手直しはされていますが、この時建てられたものが今に伝えられているものと考えられます。(清瀬市教育委員会掲示より)円通寺に通じる坂道。のどかな...武蔵野線「新座駅」~西武線「秋津駅」。その2。円通寺長屋門。城前橋。滝の城跡。再び柳瀬川。(「都県境を探ってみる。第8回目)
武蔵野線「新座駅」~西武線「秋津駅」。その1。柳瀬川。(「都県境を探ってみる。第8回目)
今回は、JR武蔵野線「新座駅」から西武線「秋津駅」まで。「川越街道」から左折します。前回、「新座貨物ターミナル」で途切れた「都県境」。この先から続きます。「清戸番所跡」付近。清瀬市旭が丘6丁目。歩く道が都県境で、背中側が新座市内。都県境に当たる「柳瀬川」へ。「東京都下水道局清瀬水再生センター」。この向こう側が「柳瀬川」。右手、柳瀬川沿いの、何面もグランドがある、大きな「清瀬内山運動公園」を回り込む。真っ白な富士山(↓)が遠くに。前回歩いた方向を望む。さらに「関越道」脇を進み、やっと柳瀬川にたどり着くも、新しい橋を建設中で立入禁止。やれやれ・・・。「清瀬下宿ビオトープ公園」に寄り道。「柳瀬川回廊」案内板。柳瀬川沿いに歩く予定ですが、ここから柳瀬川に架かる「清柳橋」に出ます。下流方向。上流方向。右から合流する...武蔵野線「新座駅」~西武線「秋津駅」。その1。柳瀬川。(「都県境を探ってみる。第8回目)
向島百花園。冬枯れの。それでも草花は元気に。江戸菊もまだ咲いて。
今朝、東京も初氷。そんな悠長な状態ではない。新潟県。ものすごい大荒れ、大雪で大変な状況が続いているようです。向島百花園は、薄曇り。冬支度の松とスカイツリー。12月17日(土)の午後。<imgsrc="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4e/8e/2e06e8282205491097167412a3d8e31a.jpg">左から、「春日」「宿一本」「星月夜」「雲雀の夜」。「雲雀の床」。「遠見の桜」。「嵯峨の光」(嵯峨)。「肥後菊」。かんつばき。向島百花園。冬枯れの。それでも草花は元気に。江戸菊もまだ咲いて。
本格的な冬の到来を告げるかのようなユリカモメが、隅田公園にやってきました。赤いくちばしと脚が目立つ白色が鮮やかなカモメ全長40cm。冬鳥として、全国の河、河口、湖沼、海岸に至る水辺に来ます。赤いくちばしと足がきれいな小型のカモメの仲間で、水上に群がる姿は白い花が一面に咲いたようです。在原業平や和泉式部の古歌に登場する都鳥(みやこどり)はこの鳥で、東京都の鳥に指定されています。江戸時代には考えられなかったウォーターフロントは、ユリカモメの目にどう映っているのでしょう。何でも食べるたくましさを持っていて、そういえば東京都のゴミ捨て場の新・夢の島にも、廃棄物をつつく姿が見られます。日本を去る4月中旬頃には、頭が黒い頭巾をかぶったようになります。カモメ類ではいちばん内陸にまで飛来する鳥で、海岸から数10キロも入っ...隅田公園。冬の風物詩。ユリカモメ。芭蕉・伊勢物語。・・・
ある日の猫たち。おとなしいアンズ、活発なソウタ。いろんなことに興味津々。
そのうち、ソウタが本棚の上に、床からトントン上がって。それを見上げる、アンズ。アンズの食べ残しをせっせと。和箪笥の上のアンズ。下から一気に上まで上がります。上がれないソウタは見上げるのみ。プリンタを使い始めると、プリンターに興味あり。ソウタ。プリントされた紙が出てくるのをじっと。ガチャガチャという音に興味があるのか、用紙が出てくるのに興味があるのか。今度は、カーペットに潜り込む。蛇口から水を飲むソウタ。満足顔?得意じゃないアンズ。北日本や日本海側と比べ、穏やかな天気が続いた東京地方も寒くなってきました。いよいよ冬本番。ある日の猫たち。おとなしいアンズ、活発なソウタ。いろんなことに興味津々。
西武線「ひばりヶ丘駅」~武蔵野線「新座駅」。その8。JR武蔵野線。貨物ターミナル。「金太郎」。野火止。(都県境を探ってみる」第7回目。)
「関越道」の上を越えます。「UR清瀬旭が丘団地」が続く。住宅地を抜けると、農地が広がります。遠くにJR武蔵野線。この道が都県境に。右が新座、左が清瀬。清瀬市のマンホール。市の木ケヤキがデザインしてある。農家らしいおうち。「十文字学園サッカーグラウンド」。新座市側には「十文字学園女子大学」キャンパスが広がります。振り返る。右が清瀬市、左が新座市。「武蔵野線」に突き当たります。貨物ターミナルになっています。都県境は、ここを横断し、線路の向こうにつながっていきますが、今回は、ここで終了。右に曲がり、JR新座駅に向かいます。大型トラックも行き交い、砂埃が舞う道路。新座市菅沢2丁目になります。新座市のマンホール。土にまみれながら。市の花こぶしで市章を囲み、周りに市の木モミジの葉を配している。機関車が貨車を牽引して。...西武線「ひばりヶ丘駅」~武蔵野線「新座駅」。その8。JR武蔵野線。貨物ターミナル。「金太郎」。野火止。(都県境を探ってみる」第7回目。)
西武線「ひばりヶ丘駅」~武蔵野線「新座駅」。その7。志木街道。清戸道。UR清瀬旭が丘団地・花夢音!せいぶ。(都県境を探ってみる」第7回目。)
この道が「海軍用地」標石に通ずる道でした。「志木街道」。下清戸地区。「清戸」というと、「清戸道」として東の江戸川橋から練馬区を横断し、保谷、東久留米を経て、西の清瀬市の清戸まで通じる道がありました。清戸道(きよとみち)は、主に江戸時代に、江戸と武蔵国多摩郡清戸(現在の東京都清瀬市)との間を結んでいた古道である。神田川に架かる江戸川橋(現・東京都文京区関口付近)を江戸側の起点とし、そこから北西へ約5〜6里(約20〜24km)の武蔵国多摩郡清戸(上清戸村、中清戸村、下清戸村、清戸下宿。現・東京都清瀬市上清戸、中清戸、下清戸、下宿付近)との間を結んでいたとされる。成立の経緯は明らかではない。江戸時代に尾張藩の鷹場が清戸にあり、そこへ鷹狩に向かう尾張藩主が通ったといわれているが、それよりも、農村であった清戸から、...西武線「ひばりヶ丘駅」~武蔵野線「新座駅」。その7。志木街道。清戸道。UR清瀬旭が丘団地・花夢音!せいぶ。(都県境を探ってみる」第7回目。)
西武線「ひばりヶ丘駅」~武蔵野線「新座駅」。その6。西堀三丁目憩いの森。米空軍大和田通信所。(都県境を探ってみる」第7回目。)
住宅地を過ぎると、畑や森が一面に広がる。「ひまわり通り」からフェンス沿いの細道に入る。真後ろは、「西堀三丁目憩いの森」(新座市)。都県境は、その北側の縁沿いに進む。※西堀三丁目地区にある緑地で、隣接する西堀二丁目憩いの森と合わせると、市内で最も大きな憩いの森。写真を撮り忘れたので。(「Googleマップ」より)フェンス内は、林が広がる。右手奥には、「米空軍大和田通信所」があります。※都県境は、この敷地内を北に向かう。米空軍大和田通信所埼玉県新座市西堀、東京都清瀬市にまたがる在日アメリカ空軍基地施設の名称。施設番号はFAC3056。大日本帝国海軍大和田通信隊所属「大和田無線通信所」が、無線通信の受信・傍受施設として使用。戦後、気象通信所を経て米軍基地として接収。当時の中央施設は2007年(平成19年)現在、...西武線「ひばりヶ丘駅」~武蔵野線「新座駅」。その6。西堀三丁目憩いの森。米空軍大和田通信所。(都県境を探ってみる」第7回目。)
西武線「ひばりヶ丘駅」~武蔵野線「新座駅」。その5。ひまわり通り。ころぼっくる。気象衛星ひまわり。(都県境を探ってみる」第7回目。)
西武線をアンダーパスで越え、この信号を右折します。都県境(清瀬市と新座市)は、この手前で右手に新座市が広がります。歩いている道の周囲は、清瀬市。農地が多い。この先で、新座市との境界があります。右が新座市新堀。「(新座市立)新堀小学校西」交差点。都県境は、交差点を少し西に入りこみ、すぐ鋭角で折れて東に向かう。振り返る。右手は「清瀬市障害者福祉センター」(上清戸)。この先は、新座市に属する「ひまわり通り」を歩きます。なぜ「ひまわり通り」と名付けられているか?沿道にひまわりが植えてある様子もないし、・・・。左手奥は、「清瀬市立清瀬第十小学校」。都県境は、右に見える新座市立新堀小学校の校庭を横切って進みます。体育館は清瀬市?農産物販売所が左に。左手の公園入口にパラボラアンテナのモニュメント。公園の奥には、「児童セ...西武線「ひばりヶ丘駅」~武蔵野線「新座駅」。その5。ひまわり通り。ころぼっくる。気象衛星ひまわり。(都県境を探ってみる」第7回目。)
西武線「ひばりヶ丘駅」~武蔵野線「新座駅」。その4。野火止用水。(都県境を探ってみる」第7回目。)
解説板。野火止用水川越城主松平伊豆守信綱は、新田開発に入植した人々の生活水を確保するため、玉川上水から分水することを許され、現在の東京都小平市から野火止台地を経て新河岸川(志木市)にいたる全長約24キロメートルに及ぶ用水路を開削しました。この付近の新田開発に入植した人々は、屋敷の近くに用水を引水しました。8軒の家が点在していたことから、この用水を八軒回し堀と呼んでいました。また、新堀とは、本流に対して、「新たに掘られた堀」の意味があり、「新堀八軒回し堀」とも呼ばれていました。現在、回し堀の大部分が遊歩道として整備されています。平成22年3月新座市新座市教育委員会※承応4年(1654)に完成しました。大きな鯉の姿も。新座市に属している。暗渠になっているところも。交差点名に「新堀」。ここからは流れが見える遊歩...西武線「ひばりヶ丘駅」~武蔵野線「新座駅」。その4。野火止用水。(都県境を探ってみる」第7回目。)
大雪。12月7日。いよいよ本格的な冬の訪れ。自転車に乗るのも、猫たちも・・・。
大雪(たいせつ)とは本格的に冬が到来するころ。山々は雪に覆われ、平野にも雪が降り積もります。新しい年の準備をはじめる「正月事始め」もこの時期から行われます。七十二侯でいうと・初侯 12月7日〜12月10日頃閉塞成冬そらさむくふゆとなる天地の気が塞がれ、冬がおとずれる頃。空は重い雲に覆われ、生き物はじっと気をひそめています。塞ぐという言葉は、寒さから人々を守るという意味でとることもできます。・次侯 12月11日〜12月15日頃熊蟄穴くまあなにこもる熊が冬ごもりの時期に入り、穴にこもる頃。春になるまで、穴の中で過ごします。熊だけではなく、しまりすや蛙、こうもりも冬ごもりを始めます。・末侯 12月16日〜12月20日頃鱖魚群さけのうおむらがる鮭が川を遡上する頃。海で育った鮭は、産卵のために自分の生まれた川へと里...大雪。12月7日。いよいよ本格的な冬の訪れ。自転車に乗るのも、猫たちも・・・。
西武線「ひばりヶ丘駅」~武蔵野線「新座駅」。その3。グリーンヒルズ東久留米。野火止用水・水道道路。(都県境を探ってみる」第7回目。)
東久留米市上の原地区の住宅。「御成橋通り」(↓)。「御成橋」は、すぐ北にある「野火止用水」に架かる橋の名?左手には再開発された「グリーンヒルズ東久留米」の高層住宅が並ぶ。「西堀銀座商店街」。寂れているわけではと思いますが。武蔵野の森が広がる。2010年代のようす。右手の団地は解体中。1880年代のようす。大規模な団地等があった。上は、野火止用水・水道道路。都県境は団地の北側(現在も)。しばらく新座市内を歩き、「野火止用水・水道道路」に出ます。水道道路。新座市南西部から北東部までを貫く市道。朝霞市にある朝霞浄水場と東京都東村山市にある東村山浄水場間を結ぶ水道管が同道路下に埋設されていることから、「水道道路」と呼ばれるようになった。同市新堀・西堀地区で野火止用水と併走。(「Wikipedia」より)「野火止用...西武線「ひばりヶ丘駅」~武蔵野線「新座駅」。その3。グリーンヒルズ東久留米。野火止用水・水道道路。(都県境を探ってみる」第7回目。)
西武線「ひばりヶ丘駅」~武蔵野線「新座駅」。その2。生産緑地。神宝。東久留米市立東中学校。上の原地区再開発。(都県境を探ってみる」第7回目。)
緩やかな上り坂を進みます。右は新座市、左は東久留米市。都市計画生産緑地地区(東久留米市決定)。生産緑地が所々に。神宝2丁目交差点。一本東の上り坂が都県境。けっこう急な坂。坂上から来た道を振り返る。上りきった左に「東久留米市立東中学校」(東久留米市上の原2丁目)。天文台が屋上に。通りを跨いで一部が東久留米市に。大きな団地を解体中。東久留米市では「上の原地区」における大規模団地(東久留米団地、現:UR都市機構)の建替えなどにより、生じる広大な余剰地を活用するために、“自然つながり活力あるまち”に相応しい土地利用を誘導していくという方向性が示されました。この地域一帯が再開発事業の対象になっているようです。(「今昔マップ」より)左上が現在。かつては団地の他に航空(交通)管制本部がありました。※航空管制本部は所沢市...西武線「ひばりヶ丘駅」~武蔵野線「新座駅」。その2。生産緑地。神宝。東久留米市立東中学校。上の原地区再開発。(都県境を探ってみる」第7回目。)
西武線「ひばりヶ丘駅」~武蔵野線「新座駅」。その1。東久留米市へ。黒目川。(都県境を探ってみる」第7回目。)
東久留米市街区案内板。今回前半は街中を散策。後半からは、緑多きところを歩きます。前回後半から都県境。埼玉県側は新座市が続きますが、東京都はすぐ、西東京市から東久留米市に移ります。道路向こうの建物は、新座市。右は新座市栗原、左は東久留米市浅間となります。畑などが目につきます。道の途中から新座市に。中央にカタカナの「二」と「ザ」を図案化した市章。周囲にあるのは市の木「モミジ」。振り返る。広い通りに出ます。「ヤオコー新座栗原店」は、新座市栗原1丁目。しばらくは、新座市内を歩くことに。中央に市章。その周りにある花は市の花「コブシ」。周囲にあるのは市の木「モミジ」。坂道を下って行くと、「黒目川」に。この付近から都県境になります。黒目川・神宝大橋。上流方向。左手から合流する流れは、「落合川」。下流方向。黒目川東京都東...西武線「ひばりヶ丘駅」~武蔵野線「新座駅」。その1。東久留米市へ。黒目川。(都県境を探ってみる」第7回目。)
向島百花園。初冬の。その2。カリン。サザンカ。マンリョウ。マユミ。コブクロザクラ。・・・
カリンの実がたわわに。国から日本へ渡来した薬用にもされる果樹で、果実は硬く生食はできないが、カリン酒や砂糖漬け、のど飴などの原料になる。サザンカ(山茶花)。芭蕉の句碑の脇。「春もやゝけしきとゝのふ月と梅はせを」サザンカの名は山茶花の本来の読みである「サンサカ」が訛ったものといわれる。もとは「さんざか」と言ったが、音位転換してた現在の読みが定着した。「あらたし」が「あたらし」となったようなもの。「秋葉原」も、現在は当然のように「あきはばら」と読まれていますが、元は漢字を見たまま「あきばはら」でした。白い花の山茶花。マンリョウ。センリョウとともに、正月の縁起物。10月頃に赤く熟し、翌年2月頃まで枝に見られる。※「センリョウ」=葉の上に乗るような形で晩秋に赤い実を付けます。(「Wikipedia」より)これも赤...向島百花園。初冬の。その2。カリン。サザンカ。マンリョウ。マユミ。コブクロザクラ。・・・
「春日江戸」。菊がお出迎え。向島百花園では「江戸菊」が展示されています。丹誠込めた小菊の古木。伝統の江戸の菊作り。一つ一つに趣があります。江戸菊。右の二つが「花散里」、左の二つが「黄八丈」。艶やか、華やかな花。しっとり、落ち着いた菊花。「遠見の桜」「茅染川」。伊勢の菊。「初日出」、「養老の滝」、「友白髪」、「嵯峨の光」・・・「御園の秋」。向島百花園。初冬の。その1。江戸菊の競演。伊勢の菊。
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5月16日(金)。曇り。東急「新丸子」駅で下車し、「東海道新幹線」「湘南新宿ライン」の下をくぐり、「多摩川」に復帰。対岸は、東京都大田区。下流方向。「河口まで12K」。河川敷には、「多摩川ゴルフ倶楽部」ゴルフ場が広がる。武蔵小杉駅付近の高層マンション群。対岸は、「キヤノン本社」付近。「ガス橋」。「多摩川大橋」。川崎リバーサイドパーク(ゴルフ場)。。x
神保町に出かけたついでに酒屋さんへ。この酒屋さんは全国の地酒を置いてあります。<imgsrc="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/ea/48d17bea432009ba28d8ae497f58e483.jpg">「呼友(こゆう)」。x
今度は、左の方の源流をたどっていきます。・・・生息地へ流れ込む生活排水は約千五百世帯分で、日量約千立方メートルだ。その生活排水を県と民間養鱒場から放流する日量約二万立方メートルのきれいな水で希釈しているのが現状なのだ。水質測定結果から、生活排水による汚濁の進行が明らかとなり、稚魚や餌となる甲殻類への影響が懸念されている。このままでは近い将来、絶滅のおそれもある。絶滅させないためには、この区域に最低三kmは生活排水を流入させない対策が急務である。京都府と兵庫県の一部に生息し絶滅したミナミトミヨの二の舞になることは、是が非でも防がなくてはならない。世界で唯一熊谷市にしか生息していない希少種ムサシトミヨを守れるとすれば、それは、流域住民の意志と行政の決断にかかっている。(この項、「埼玉新聞」より)この記事のうち...c
<imgsrc="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/16/d1/46ecbb9c96ed82474989a87876322445.jpg">z
すぐ下は、吾妻川の渓谷。右には断崖絶壁が連なる。ここに鉄道と旧国道が通っています。狭間によく鉄道を敷いたものです。<imgsrc="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/28/8819281773775eef0c1760fb7dfab12a.jpg">z
10月1日。晴れ。八ッ場ダム建設で廃線となった「吾妻線」沿線(「川原湯温泉駅」~「岩島駅」)を歩きました。一時の暑さもおさまった感のする一日。家を出たときは雨がポツポツ、しかし、高崎付近あたりでは、すっかり晴れ渡ってきます。沿線の田んぼも稲刈りが進み、秋の田園風景。約ひと月ぶりの「吾妻線」です。今回、「八ッ場ダム」から「岩島駅」(「川原湯温泉駅」の一つ渋川駅寄り)まで歩く予定です。「川原湯温泉駅」に12時ころ到着。前回同様、今回も小生一人、下車。八ッ場ダムまで歩きます。思ったよりも汗をかきました。※「八ッ場ぐるりんバス」12:06発のバスを利用すれば、わずか8分ほどで八ッ場ダムに着きます。無理して歩く必要はありません。旧線路が眼下に見えます。エレベータで下まで降り、通路を歩くと、一気にダム下に。この橋から...a
高麗川駅に近づきます。住宅と田畑と。緩やかな丘陵地帯。豊かな緑の中に住宅が。畑が広がっています。「高麗川駅」に到着。隣のホームから「八王子行き」。スムーズに乗り換え。当駅の所属線である八高線と、当駅を終点とする川越線の分岐駅となっている。八高線は当駅を境に八王子方面が電化、高崎方面が非電化となっており、運転系統が分断されている。また、川越線も電化されており、川越線の川越方面と八高線の八王子方面で当駅を経由して直通運転が行われている。また八高線には、かつて当駅から青梅線を経由して中央線直通で東京駅との間を結ぶ電車も設定されていた。八高線は八王子駅から当駅までが八王子支社、当駅から北の区間が高崎支社、川越線は大宮支社の管轄となっており、当駅は八王子支社の管轄となる。※川越線埼玉県の県庁所在地であるさいたま市か...z
しだいに雨も上がり、青空が広がってきます。住宅が増えてきます。「明覚(みょうかく)駅」。埼玉県比企郡ときがわ町大字番匠(ばんしょう)にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)八高線の駅である。ときがわ(都幾川)町にある唯一の鉄道駅で関東の駅百選にも認定されている。※当時の村名が「明覚村」であったことにちなむとする説と、当時「妙覚寺」というお寺があり、それが「明覚」に転訛したという説がある。1988年(昭和63年)11月9日:午前3時頃出火し、駅舎が全焼。1989年(平成元年)9月18日:現駅舎完成。駅舎は旧・都幾川村の木を使用して建築された。1995年に駅舎がグッドデザイン賞受賞。1997年(平成9年):「関東の駅百選」第1回選定駅になる。選定理由は「地元産の丸太で造り、周辺の山とマッチしたカナダ風ログハウスの...x
「児玉駅」。埼玉県本庄市児玉町児玉にある。1931年(昭和6年)7月1日:鉄道省八高北線(現・八高線)児玉駅-倉賀野駅間開通時に終着駅として開設。盲目の国学者塙保己一塙保己一は、江戸時代の中頃の延享3年(1746年)に武蔵国児玉郡保木野村(現在の本庄市児玉町保木野)に生まれました。7歳の時に病気のために失明し、15歳になって江戸に出て当道座(盲人の組織)に入り、検校雨富須賀一に弟子入りしました。保己一は当道座での修業を積み苦労を重ねて立身し、晩年には当道座の最高位である総検校に昇進しました。保己一は国学者としても著名であり、「群書類従」や「続群書類従」の編さん、さらには和学講談所の設立及び運営、当道座の改革など多大な功績を残しています。中でも群書類従の編さんは41年を費やした大事業であり、正編666冊、続...z
倉賀野駅を過ぎると、踏切が二う。一つは「日光例幣使街道」、その次に「旧中山道」を過ぎていきます。二つとも歩いて通過しましたが、どのあたりだったか、確認できず。「ザ・ガーデンゴルフクラブ」。烏川河川敷。「烏(からす)川」。烏川は、その源を群馬、長野の県境にそびえる鼻曲山(1654m)に発し、榛名山の西と碓氷丘陵の東の斜面境を東南方向に流れ、平野部に入ってから碓氷川、鏑川、神流川の西毛の三大河川を合わせて利根川に合流しています。流域面積は470km2、流路延長は61.8kmです。(「国土交通省」HPより)※烏川の名の由来水源の地形が唐臼(中国の臼)に似ており「カラウス川」と呼ばれたとの説、また傷ついた日本武尊を烏が現在の烏川水源に導いて救ったから・・・など、烏川の名の由来には諸説がある。「北藤岡駅」先で、高崎...z
8月22日から8月25日まで、「向島百花園」で「虫ききの会」が行われています。江戸時代から続く伝統行事「虫ききの会」。この期間は、夜の9時まで開園。相変わらず蒸し暑い一日。そんな中、昨日(23日)、夕涼みがてら、行ってきました。荒川・四ツ木橋より。遠くにスカイツリー。向島百花園。園内から放された「スズムシ」の涼しげな音が聞こえてきます。ひとときの安らぎ。風鈴の音が響く。カルガモの姿はありませんが、虫たちの展示。遠くにスカイツリー。しだいに暮れなずむ空の下、さまざまな色彩に変化する「スカイツリー」を紹介。別の場所から。<imgsrc="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/00/2e/52cfa81eec5e648ba585da51406b35ad.png">園内からのス...「虫ききの会」。8月23日・向島百花園。夕涼みがてら。
「「訳者あとがき」より抜粋そもそもナチスは、ヒトラーに取材するフランス人を厳選していた。自国の世論において、かなりの発言力と影響力をもっていた退役軍人たちを利用したのだ。フランスの場合、第二次世界大戦での死者(約二一万人、市民約四〇万人、計約六〇万人)よりも第一次世界大戦の死者(一三六万人)のほうがはるかに多い。悲惨な戦いを経験したフランス人にとって、戦争を二度と繰り返したくないと願うのは自然だろう。それゆえに、ヴェルサイユ条約でドイツを追い詰めることを危惧する向きすらあった。こうした切なる平和への願いをもとに、フランス人退役軍人とナチスのフランス通が友好関係を築き上げた結果誕生した仏独委員会が、フランス人に対するナチスドイツの窓口になる。ヒトラーにお目通りがかなうのは、ナチス側のもはやいいなりだった仏独...「ヒトラーへのメディア取材記録」
q。「物語は、「今日、また食べ物を吐いた。でもこれが最後だ。」という主人公エマの言葉に始まり、同じ言葉で終わる。主人公であるエマ・ラシュナルは、17歳。祖母マムーシュカのことが大好きで、心から尊敬していたが、祖母の死後、祖母の部屋で古い日記を見つけたことで、祖父母にまつわる恐ろしい事実を知り、摂食障害が日ごとに悪化していくことに・・・。その古い日記は、ポーランドのゾビブルという収容所でユダヤ人の「処理」にかかわっていた青年ジャック・デロシュの日記。読む権利などないと思いつつ、どうしようもなく惹きつけられて開いてしまった日記には、ナチの武装SS、ヒトラー、ユダヤ人の隔離、排除、強制退去、絶滅収容所、鉄条網、監視塔、ガス室、エヴァ・ヒルシュバウムとその息子シモン・・・。嘔吐と過食を繰り返し、身も心もぼろぼろに...「ジャック・デロシュの日記」。「ショアーの歴史」。
何を見つけたのか?それも飽きて、今度はジジをくわえ(お気に入りの獲物?)、うなり声を上げて歩き回る。※ジジ魔女の宅急便の主人公キキの相棒の黒猫。よくキキの話し相手をしている(これは、キキの数少ない能力の1つ)。どこか人間臭いネコで、ある届け物の受取人の少女の不機嫌そうな「あたしこのパイ嫌いなのよね」発言に「感じ悪い」と非難し、あかんべーをしていたりする。キキの相棒だが、その信頼ゆえか、ぬいぐるみの身代わりにされたり、ピンチになる場面もあった。この時ばかりはキキに愚痴を漏らしている。しかしある日、白猫のリリーに一目惚れした結果、キキのもとにあまり居付かなくなる(尚、リリーはおソノさん夫婦が経営するパン屋の常連の女性の飼い猫で、当初はすました態度を見て「いけ好かない」と発言していた)。エンディングでは、その白...記事がない時のソウタ頼み。その2。
ということで、ソウタ君。「ソウタ」と「あんず」。あんずはパッといなくなるので、写真がなかなか撮れない。暑さでぐったり。そこへ大きな箱の届け物が。さっそく、ところが、意外に最初に入ったのは、あんず。においをかぐソウタ。ソウタに譲って、あんずは、遠目で。飽きたと見えて、ゴロンと。今度は窓から暑い日差しの外を眺め、それも飽きて、テーブルの下でゴロン。そのまま静かにしているかと思ったら、記事がない時のソウタ頼み。
白岡市のマンホール。抽象的な「家族」を中央に配置。その周りを市の花「梨の花」と市の木「松」のつぼみで飾り、「創造と希望」がコンセプト。「篠津一号橋」。「星川」。星川の上流(右手)に「星川と隼人堀川の立体交差」があります。橋を渡って星川沿いに進もうとしましたが、その土手は草が生い茂っていてちょっと歩きにくい。そのため、工場の脇を迂回せざるをえません。けっこうな回り道。「蓮田白岡環境センター」。右手に流れる「隼人堀川」の脇を進んで、やっと元荒川に戻ります。蓮田白岡環境センターの煙突。産廃工場などがあり、狭い道路を大型車などが行き交う。星川までの桜並木もなくなり、蒸し暑い中、汗をかきはじめます。上流に橋が見えてきます。橋の手前で右に折れ、隼人堀川沿いに。「根金小橋」。※隼人堀川は白岡市柴山を管理起点とし、宮代町...宇都宮線「白岡駅」~「蓮田駅」。その2。(「元荒川」をゆく。第4日目。挫折編。)
向島百花園のカルガモたち。いったいどうしているか?ところが、どこを見渡してもいません。親もヒナもいません。ヒナも大きく育ち、別のところに移動したのでしょうか?そのかわり、池の上をシオカラトンボがたくさん飛んでいます。帰り際に窓口の方に尋ねたら、4日前にはいた(7/23)、とのこと。こうしてカルガモの姿は、来年までおあずけ。園内には、風鈴が涼しそうな音色を響かせています。足下には木漏れ陽。炎天下で花を咲かせている「はす」一輪。そしてザクロの実が一つ。朝顔展の準備が始まっています。売店には「氷」の旗が。この前、TVで放送していましたが、「氷」の旗は全国ほぼ共通なようです。明治政府の販売許可証だった、とか。アゲハチョウの姿が(↓)。遠くにスカイツリー。今日は、「隅田の花火大会」。スカイツリー近辺は大賑わいになる...7月27日(土)。酷暑の向島百花園。カルガモたちの姿が見当たらない池。風鈴。朝顔。そして、隅田川花火大会(開催前の隅田堤)
7月19日(金)。曇りのち晴れ。朝はまだ日差しも強くなく、歩き始めました。「八幡橋」方向。かなり蒸し暑いですが、なんとか予定通り歩けそうかな?と「さくらロードガーデン」。川べりも歩けそうです。左手に解説板があります。「茅野(かやの)の渡し」。現在の元荒川は、河川改修や西地区の区画整理などにより、かつての自然や地形などの面影は少なくなりました。この元荒川の白岡・篠津には二カ所の渡し場がありました。この付近は「茅野の渡し」があり、下流の八幡橋付近には「八幡の渡し」がありました。茅野の渡しは、町内の篠津地区と蓮田市貝塚地区を結ぶものです。この渡し場の瀬は蓮田側がきゅうに深くなっていて篠津側は浅くなっていました。舟は対岸には直接着くことができましたが、篠津側は砂の上を少し歩いてから岸に上がりました渡しは対岸の二軒...宇都宮線「白岡駅」~「蓮田駅」。その1。(「元荒川」をゆく。第4日目。挫折編。)
「東北新幹線」。白岡町(白岡市)の表示が。※「白岡市」白岡市は、関東平野の中ほど、東京都心まで約40キロメートルであり、総面積は24.92平方キロメートルで、東西は9.8キロメートル、南北は6.0キロメートルと東西に長い市域です。昭和29年に日勝村、篠津村、大山村(上大崎を除く)の合併により町制を施行し、白岡駅を中心に発展を期するという計画のもと白岡町と改称しました。当時の世帯数は2,678世帯、人口15,679人でした。誕生から56年後の平成22年国勢調査では、世帯数が17,869世帯、人口が50,272人となるまでに成長しました。このため、市制施行に向けた準備を進め、埼玉県による白岡町を白岡市とする決定を受けて、平成24年10月1日の市政施行により、白岡市が誕生しました。交通面では、都心まで40分程度...東武アーバンパークライン「東岩槻駅」~JR宇都宮線「白岡駅」。その7。(「元荒川」をゆく。第3日目。)
日差しが強くなってきます。木々があるので、歩くのにはちょうどいい。ここでも炎天下でゴルフを楽しむ人たち。次の橋に近づきます。振り返る。この先には運動公園はなさそう。広い県道に出ます。元荒川へ流入する用水路。「新今宮橋」。下流方向。上流方向。大きくて見事なサボテン。水管橋。蓮田市のマンホール。市の木ハナミズキ。「今宮橋」・今宮けやき通り。下流方向。上流側から橋を望む。川沿いには桜などが植えられているが、車道を歩くしかない。これがけっこう長い。この付近から白岡市入り。対岸に東北新幹線。この付近の今昔。(1880年代)周囲は、田畑。上部に渡船場。(現在)川の西、南側は蓮田市。東北側に白岡市。東武アーバンパークライン「東岩槻駅」~JR宇都宮線「白岡駅」。その6。(「元荒川」をゆく。第3日目。)
草刈りを行った後なので、歩きやすい。次の橋まではけっこう歩きます。右手には一面、田んぼが広がります。川面。この付近の今昔。(現在)。自然堤防が舗装道路に。(1880年代)。幅広い流路。<imgsrc="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/c7/4c114c6731f6273b5cc2499ebfd1ef50.jpg">東武アーバンパークライン「東岩槻駅」~JR宇都宮線「白岡駅」。その3。(「元荒川」をゆく。第3日目。)
右手は工業団地。「元荒川水管橋」。※元荒川水管橋は城北大橋から500m上流に架けられている。元来は水管橋(元荒川の上を水道水を渡らせるためのもの)だったが、平成14年に改修され、歩行者も渡れるようになった。上流方向。下流方向。土手沿いの道を進みます。「伊豆島の大蛇全3ヶ所の東側」(蓮田市黒浜)。※この付近が、蓮田市とさいたま市岩槻区の境界線になります。民俗行事の一つで、春祈祷(はるきとう)に関連する厄除け行事です。由来は200有余年前に集落内に悪い病が入り「魔除け、災難除け、疫病除け」として『大蛇(だいじゃ)』を作り、集落境界の2ヶ所に立てたと言われています。集落内の1軒に1人が夕方(3時頃)集まり、御神酒で清め「家内安全・五穀豊穣」も祈りながら作られ、「上顎」・「下顎」・「胴体」を別々に作ります。胴体は...東武アーバンパークライン「東岩槻駅」~JR宇都宮線「白岡駅」。その2。(「元荒川」をゆく。第3日目。)
今回から元荒川の上・中流歩きになります。利用する路線も東武線からJR線になります。「東岩槻駅」。東武線鉄橋の上流へ出ます。「東宮(ひがしみや)歩道橋」から上流を望む。この付近の今昔。(現在)東武鉄橋上流に「東宮歩道橋」。「江川地区調整池」が設置されています。(1970年代)元荒川は大きく西にカーブしていました。その後、流路の変更が行われ、宅地化されました。土手沿いの道(左岸)を歩きます。右手は住宅地。上流に「慈恩寺橋」。河川敷に畑が広がっています。(1880年代)河川敷が広がっています。(現在)かつての河川敷が農地となっています。水道橋が左手奥に。畑の正面に「水道橋」。「城北大橋」。下流の水道橋を望む。この先に人も歩ける「元荒川水管橋」があります。東武アーバンパークライン「東岩槻駅」~JR宇都宮線「白岡駅」。その1。(「元荒川」をゆく。第3日目。)
国道16号線・「岩槻大橋」のたもとに。下流方向。上流に「新曲輪橋」。「国道16号線」は首都圏の幹線道路。都心から郊外へ向かうときには必ず遭遇します。(「」より)春日部方面。「新曲輪(くるわ)橋」。右岸奥周辺が「岩槻城址公園」。岩槻は「日光御成街道」歩きのときに通りました。※「本郷追分」で中山道と分かれ、「幸手」で日光街道と合流する。モニュメントの人形。旧岩槻市のマンホール。蓋を三等分し、上部には岩槻城黒門と桜の花、右には園内の池にかかる朱塗りの八つ橋、左には岩槻城鐘楼と市の花「ヤマブキ」がデザインされている。汚水蓋。「岩槻橋」。岩槻橋は、第二次緊急輸送道路である主要地方道さいたま春日部線(都市計画道路岩槻中央通り線)と一級河川元荒川の交差箇所に位置し、さいたま市の副都心である岩槻駅周辺地区を横断する路線の...東武伊勢崎線「北越谷駅」~東武アーバンパークライン「東岩槻駅」。その7。(「元荒川」をゆく。第2日目。)
公園内の釣り堀。賑わっています。森の中の下道。公園内に。森に囲まれ、体育館やグランド、大きな池などが広がっています。案内図。「グリーンアドベンチャー岩槻文化公園コース」。この木の名は?この地域はかつては元荒川沿いの微高地でした。(1880年代)(現在)駐車場の向こうに元荒川の流れ。川沿いの小道。足下の草むらをトンボが。全身真っ黒で蝶々のようにひらひら羽を動かし、ヒラヒラ飛んでいます。○のところにとまっている。中川歩きの時に見た「ハグロトンボ」。ハグロトンボ(羽黒蜻蛉カワトンボ科のトンボ。別名ホソホソトンボ。東アジア(日本、朝鮮半島、中国、ロシア)、北米に分布する。日本国内では東北・本州・四国・九州に分布する。成虫の体長は57-67mm、後翅長35-44mmほどで、トンボとしてはやや大型。雌の方が雄より若干...東武伊勢崎線「北越谷駅」~東武アーバンパークライン「東岩槻駅」。その6。(「元荒川」をゆく。第2日目。)
溜井が大きく広がる。桜並木。右手は緑濃き、水田。「武蔵第六天神社」の境内地に入ります。川原に下りられる階段がありますが、今は水底に。「夏越の祓」茅の輪がある。先に進みます。まだ「岩槻市」のまま。※現在は、さいたま市に編入「さいたま市岩槻区」。田んぼが広がります。土手の道が途切れ、たんぼの中の道を進みます。上流に赤い橋。振り返る。久々な経験。農家の脇に、カボチャ。枝豆。県道に出ます。上流に見えていた赤い橋に向かいます。「大野島水管橋」。※大野島水管橋は、昭和52年(1977)竣工。三連アーチのランガー補剛形式で70m。口径600mmの管が2本設けられ、元荒川の上を水道水が横断している。大野島水管橋は歩行者も渡れる。下流方向。上流方向。橋を渡り、右岸に。振り返る。上水道管。「岩槻文化公園」の脇の道を進みます。東武伊勢崎線「北越谷駅」~東武アーバンパークライン「東岩槻駅」。その5。(「元荒川」をゆく。第2日目。)
「末田須賀堰(すえだすがせき)」が目の前に。さいたま市岩槻区の永代橋の脇には、「末田須賀堰」があります。堰とは水深や流量の調整のため、河川の途中などに設けられる構造物です。元荒川は古くから農業用水路として用いられており、全部で4カ所の堰が設けられていて、末田須賀堰はその一つです。4月から9月にかけて、農業用水の確保のため水門が閉まります。また、水門の脇には魚道が設けられていて、水門が閉じている時期でも魚が遡上できるようになっています。(この項、「」HPより)「永代橋」。モニュメント。この付近の今昔。(現在)中央に堰。川幅が大きく広がっている。(1880年代)現在の堰付近の流れが複雑になっている。上流方向。広がりを見せる。旧永代橋の架橋記念碑。周囲には古い親柱、中柱が残されている。1926(大正15)年の建...東武伊勢崎線「北越谷駅」~東武アーバンパークライン「東岩槻駅」。その4。(「元荒川」をゆく。第2日目。)
暑いせいか、涼しさを求め、家の中を転々とする猫たち。だから、二人が鉢合わせをすることも。6日には、窓際に。あんずが窓際に乗ると、ソウタは、あんずがいなくなると、その後を目で追うソウタ。という猫たちを横目で見ながら、「向島百花園」へ。7月6日。「小暑」の日の午後。いました!親が。親の後をくっついて泳いだり、歩いたりしていたヒナは?親から離れ、自由気ままに泳いでいます。親はそんなヒナたちを目で追い、守っているようす。そして親子一緒に。前来たときは7羽のヒナ。見ると5羽、残りのヒナは?気になります。もみじあおい。にっこうきすげ。やまゆり。寺島なす。<imgsrc="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/87/2ff6d8ff92a04e21bf1b674e796011d...あんずとソウタ。そして、向島百花園のカルガモたち。花も咲き、緑も濃く、夏らしい雰囲気。
「〆切橋」を渡り、右岸を歩きます。こちら側にも農地が。ここにもネムノキの大木。上流に「大砂橋」が見えてきます。「元荒川緑道(上流部)散策案内」。「大砂橋」を振り返る。けっこう緑が深い。路傍に何体かの古仏。元荒川の流れ。農地が続きます。菊の栽培。左手には畑作地が広がる。イチゴ。サツマイモ。咲き始めている菊。川沿いから離れて進みます。右手灌木の右に、元荒川。一面、青々とした田んぼ。「三野宮橋」。上流方向。橋を渡り、左岸へ。「元荒川」沿いの、車の行き来が激しい県道を進みます。「補修境界←さいたま市北部建設事務所→越谷県土整備事務所」。さいたま市に入ります。この辺りも「さいたま市」?さいたま市埼玉県の県央部に位置する市。埼玉県の県庁所在地で、人口は約135.0万人と県内最多。政令指定都市の一つ。また財政力指数は政...東武伊勢崎線「北越谷駅」~東武アーバンパークライン「東岩槻駅」。その3。(「元荒川」をゆく。第2日目。)
「国道4号線(現日光街道)バイパス」を渡ります。.元荒川橋から下流を望む。川沿いには歩道がないので、県道を進みます。この標識板には、「↑越谷国道4号線→春日部←上野」とあります。左手に「元荒川」。「〆切橋」(人道橋)。越谷市においては最も歴史の古い橋である。江戸時代(宝永年間)には橋が架けられ、明治時代には長さ約29メートル、幅員約3メートルの土橋が架かっていた。また、1924年(大正13年)には先代の橋が架けられていた。現在の橋は1937年(昭和12年)竣工のRC橋で、市内の元荒川に現存する橋の中でも古い部類。橋長54.6メートル、幅員4.15メートル。老朽化に伴い、大砂橋開通後の2005年(平成17年)度以降は橋の両詰めに車止めが設置され、人道橋として歩行者のみの通行が許されている。元荒川はかつて〆切...東武伊勢崎線「北越谷駅」~東武アーバンパークライン「東岩槻駅」。その2。(「元荒川」をゆく。第2日目。)
元荒川歩き、2日目。往復とも東武線内の乗り降りです。北越谷駅西口。「元荒川」土手。前回に続き、左岸を歩くことに。森の脇に進みます。(「歴史的農業環境閲覧システム」より)中央に「宮内庁埼玉鴨場」。現在、宮内庁が管理している鴨場は、埼玉県越谷市の「埼玉鴨場」と千葉県市川市の「新浜鴨場」の2か所があり、両鴨場のそれぞれ約12,000平方メートルの元溜(もとだまり)と呼ばれる池には、毎年2千羽を超える野鴨などの渡り鳥が越冬のため飛来しています。鴨場は、鴨の狩猟期間(11月中旬から翌年2月中旬)に、天皇陛下の思召しにより内外の賓客の接遇の場として使用されています。埼玉鴨場(埼玉県越谷市)及び新浜鴨場(千葉県市川市)では、野生の鴨を無傷のままで捕獲する独特の技法が維持保存されています。我が国では、古くから網や鷹を使っ...東武伊勢崎線「北越谷駅」~東武アーバンパークライン「東岩槻駅」。その1。(「元荒川」をゆく。第2日目。)
東武線のガードをくぐって先に進みます。越谷駅と北越谷駅は直線の線路で隣同士ですが、元荒川は半円状で迂回します。○。明治時代から現在までほとんど変わらない流路。(「今昔マップ」より)東武線鉄橋方向を振り返る。左岸のようす。桜堤通りになっていますが、右岸は炎天下の道。ところどころ、花壇があり、ベンチなどもあります。前方に「神明橋」。中央の車道部分は古そうなトラス橋振り返る。この橋を渡り、左岸に移ります。桜並木の下。河川敷には耕作地が広がっています。対岸に「文教大学」キャンパスが見えてきます。前方には「出津橋」(人道橋)。文教大学越谷キャンパス。出津橋。学生たちが通行中。今回は、ここまで。「北越谷駅」に向かいます。<imgsrc="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/37/...JR武蔵野線「吉川駅」~東武伊勢崎線「北越谷駅」。その7。(「元荒川」をゆく。第1日目。)
元荒川歩きを再開します。カラフルな遊歩道になっています。右手が元荒川。葛西用水は、元荒川を「伏越」で越えて流れてきます。※伏越(ふせごし)用水施設や排水施設などの水路において、開渠となっている部分が、河川または他の水路と交差している場合、逆サイフォン構造によって河川・水路の河底を通過させる工法・技法、およびそれによる工作物で、施工方法が開削工法によるもの。用水路・排水路など開水路の場合、河川と交差する部分で、沿岸の双方の高さに高低差が大きい場合、高い側から逆サイフォンで河川を自然流下で通過させることが多い。歴史的に古い水路・用水にも見られる工法である。(「Wikipedia」より)振り返る。右が葛西用水。「新宮前橋」。「宮前橋」。「久伊豆(ひさいず)通り」となっています。東の方に「久伊豆神社」があります。...JR武蔵野線「吉川駅」~東武伊勢崎線「北越谷駅」。その6。(「元荒川」をゆく。第1日目。)
「溜井(逆川・葛西用水)」。花しょうぶが満開。「元荒川」。「越谷市役所」・「越谷市中央市民会館」が見えてきます。「平和橋」(葛西用水)「新平和橋」(元荒川)。越谷市中央市民会館。平和橋・新平和橋。いったん、東武伊勢崎線「越谷駅」に向かい、小休止。「越谷・松伏水道企業団」のマンホール。「越松水」「仕切弁」。※越谷市の花、松伏町の花が共に菊です。旧日光街道。日光街道歩きのときに通過しました。日本橋から3番目の宿場・越谷宿。越谷駅。JR武蔵野線「吉川駅」~東武伊勢崎線「北越谷駅」。その5。(「元荒川」をゆく。第1日目。)
右岸の河原。「瓦曽根堰(かわらぞねせき)スポット広場」。正面は、「しらこばと橋」。解説板。「葛西用水」の成立享保(1719年)すでに開削されていた幸手領用水(万治3年1660年)の利根川の川俣圦樋が増設され、琵琶溜井・松伏溜井・瓦曽根溜井・亀有溜井を連結させた十ヶ領、三百村、領石高13万3千石(年貢米)の大用水が成立し、葛西用水と呼ばれた。「葛西用水」流路図。「利根川」から取水された「葛西用水」は、「大落古利根川」、「逆川」を経て、ここまで流れ、この後は、「元荒川」から離れ、八潮市、足立区、葛飾区、墨田区まで続くことになります。※「溜井」は河川を堰き止めて洪水対策や農業用水とした施設。近世初頭に瓦曽根溜井が建設され、中期以降に石堰が設けられた。中土手(元荒川と溜井を分ける土手)には竹を植えたり畑があった。...JR武蔵野線「吉川駅」~東武伊勢崎線「北越谷駅」。その4。(「元荒川」をゆく。第1日目。)
右岸沿いに大きく広がる「遊水地」。南方に「越谷レイクタウン」があります。「越谷レイクタウン」の今昔。(現在)大規模な商業施設、住宅地となっている。(1970年代)ほとんど、田んぼや畑であった。※市街化調整区域左岸の大きな建物。「越谷東高校」。舗装された道なので、照り返しがけっこうキツイ。早く木陰の下に。ほっと一息。「大相模スポット広場」。所々にこうした小公園風な施設がある。「不動橋」が見えはじめる。「不動橋」のたもとに、「相模町スポット広場」。木陰が涼しい。水分補給などで小休止。「元荒川緑道(下流部)散策案内」。来た道を振り返る。「不動橋」。※「不動橋」の由来は沿岸にある「大聖寺(大相模不動尊)」から。「しらこばと橋まで1,050m」。「動端落し(どうばたおとし)スポット広場」。流入口。JR武蔵野線「吉川駅」~東武伊勢崎線「北越谷駅」。その3。(「元荒川」をゆく。第1日目。)
雨降りの午後。向島百花園。アジサイには、雨が似合う。降ったりやんだりのお天気。入園者も少なく、のんびりと散策。ヤマユリ。リンドウ。ハンゲショウ(半夏生)。ネムノキ。カザグルマ。カルガモたちはどうなったか?四阿で雨宿りをしていると、現れました。親鳥とヒナたちがスイスイと水面を。ヒナは、合計7羽。親鳥のあとをついていきます。正面の叢に。雨脚が強くなってきました。親子であちこちウロウロ。天敵の野良猫がうろつかないうちに。ヒナたちが叢の中に。そのうち姿が見えなくなりました。さて、帰ろうかとすると、「オナガ」が。<imgsrc="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/0f/35390b3509d0b0685431b98cec8dc837.jpg">※オナガ水色の美しい鳥実を...雨降りの午後・日曜。「向島百花園」。アジサイ。リンドウ。ハンゲショウ。カルガモ・ヒナ。オナガ。・・・
中川の一つ上流にある「吉川橋」。その先で、元荒川が中川に合流する。左手が「元荒川」、右手が「中川」。付近は、工事中。左手に「中島橋」。越谷市内のマンホール。「越松水消火栓消防士ガーヤちゃん」。越谷特別市民「ガ-ヤちゃん」が消防士にふんしたデザイン。元荒川の最下流に架かる「中島橋」。中川方向を望む。上流に向かって歩き始めます。右岸の「元荒川緑道」を歩きます。「飯島排水機場」からの流れ。その先に「大成スポット公園」。緑道には、休憩ベンチ・簡単な運動器具・トイレなどが整備されています。左手に土手状の盛り土が続いています。この付近の今昔。(1880年代)元荒川沿いの微高地で自然堤防が形成されている。(現在)住宅地や畑地などになっている。土手沿いに水路。対岸のようす。国道4号線・「大成橋」。「水道管橋」その先に、「...JR武蔵野線「吉川駅」~東武伊勢崎線「北越谷駅」。その2。(「元荒川」をゆく。第1日目。)
今回から「元荒川」を「中川」との合流地点から水源まで遡ることにします。ただ流域は暑さが並みではないところ。熱中症に気を付けながら、歩く距離も短めに。5日くらいかけて歩くつもり。また上流は最寄り駅が遠いので、バスを利用する予定。本数があまりなさそうですが。「元荒川」現在、埼玉県熊谷市久下にある熊谷市ムサシトミヨ保護センター内に源を発する。おおむね南東方向に流れ、行田市、鴻巣市、久喜市、桶川市、蓮田市、白岡市を経由する。途中、鴻巣市袋付近で武蔵水路と、白岡市柴山・蓮田市高虫付近で見沼代用水と立体交差する。白岡市西付近で星川が合流すると川幅を大きく広げ、さいたま市岩槻区を経由し、越谷市中島で中川に合流する。かつての元荒川は1955年(昭和30年)頃までは荒川扇状地の湧水を水源としていたが、高度経済成長期に水源が...JR武蔵野線「吉川駅」~東武伊勢崎線「北越谷駅」。その1。(「元荒川」をゆく。第1日目。)
6月16日(日)。13回忌法要を済ませて、帰宅。息子夫婦から父の日のプレゼント。やはり、ビール。サントリーのセット。箱から出した途端、ソウタがすぐ、底の浅い箱に入っています。よほど箱好きなようです。入りきれないしっぽ。そのうち箱もつぶれて、そして、昨日。この格好は?頭は?しっぽは?<imgsrc="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/45/37d01859d03c8e7e1fc05c60f5915302.jpg">ソウタ。家人が出かけると、ジジを咥え、雄たけびをあげながら、家の中を走り回るようです。帰ってくると、必ずジジがそばに。家に来たときはこんな小さかったソウタ。ふだんは、一方のあんずは3歳になっても大きくなく、「可愛いわね」と声を掛けられる存在。家人の姿が...ソウタとあんず。我が家の猫たち。