5月16日(金)。曇り。東急「新丸子」駅で下車し、「東海道新幹線」「湘南新宿ライン」の下をくぐり、「多摩川」に復帰。対岸は、東京都大田区。下流方向。「河口まで12K」。河川敷には、「多摩川ゴルフ倶楽部」ゴルフ場が広がる。武蔵小杉駅付近の高層マンション群。対岸は、「キヤノン本社」付近。「ガス橋」。「多摩川大橋」。川崎リバーサイドパーク(ゴルフ場)。。x
西武バス「北大泉」~西武線「ひばりヶ丘駅」。その6。(都県境を探ってみる」第6回目。)
この道路付近の今昔。今でこそ住宅が建ち並んでいますが、明治中期には畑と雑木林が目立ちます。2010年代のようす。1880年代のようす。雑木林付近が都県境。ここから先は西東京市へ。西東京市北町2丁目。振り返る。都県境は道路を越えて西に進む。旧保谷市のマンホール。幾何学模様のマンホール。中央に旧保谷市の市章が入る。旧保谷市の市章は、漢字の「保」の文字。左手奥に「西東京市立青嵐中学校」。広い農地は「西東京都市計画生産農地」。保谷市の住所のまま。西東京市のマンホール。西東京市の市の木「ケヤキ」と「ハナミズキ」、市の花「ツツジ(春)・ヒマワリ(夏)・コスモス秋)・スイセン(冬)」をキャラクターとして使っている。旧家の趣。遠回りして都県境へ。「すし銚子丸ひばりヶ丘店」の脇の道が都県境。隣の「ライフ」など、新座市栗原4...西武バス「北大泉」~西武線「ひばりヶ丘駅」。その6。(都県境を探ってみる」第6回目。)
アンズとソウタ。青リボンに絡みつくソウタ。カーペットに潜り込むアンズ。ソウタは、・・・(DAYS with CATS。その3。)
リボンに夢中のソウタ。階下に下りてきたソウタ。今度は、パソコンのイヤホーンに。アンズも一緒に。椅子の下で。夢中になっているソウタを横目にアンズ。アンズは蒲団やカーペットに潜る込むのが大好き。ソウタはどうした、どうした・・・。どこに隠れた、どこに?カーペットの下を動き回るアンズに翻弄されるソウタ。5キロのソウタに乗っかられて悲鳴をあげるアンズ。さっと逃げ出すアンズにソウタは、もういいや、と。アンズとソウタ。青リボンに絡みつくソウタ。カーペットに潜り込むアンズ。ソウタは、・・・(DAYSwithCATS。その3。)
西武バス「北大泉」~西武線「ひばりヶ丘駅」。その5。練馬区から西東京市へ・多摩ナンバー。野寺小。石田ぶどう園。(都県境を探ってみる」第6回目。)
「西大泉町」から、広い道へ戻ります(新座市から練馬区へ)。向かいは、練馬区西大泉6丁目。都県境は、ジグザグコース。小道を右に左に曲がっていると、西東京市と練馬区の境界線に出ます。西東京市北町4丁目。この付近は、元の保谷市と思われます。※西東京市:2001年(平成13年)1月21日、田無市と保谷市が合併して発足した。反対側は、練馬区西大泉6丁目。振り返ると、右が練馬区、左が西東京市。多摩ナンバーの車。こちらは、練馬ナンバー。結局、都県境は分からず、広い通りへ。そこに大きな案内図。右から都県境が迫っていた。前方に「埼玉県新座市野寺」。この道が都県境?しばらく道に沿って都県境が続きます。右が新座市、左が西東京市。都県境。東京都は、練馬区から西東京市へ。南、東伏見まで延びる都道234号「伏見通り」。北はここまで。...西武バス「北大泉」~西武線「ひばりヶ丘駅」。その5。練馬区から西東京市へ・多摩ナンバー。野寺小。石田ぶどう園。(都県境を探ってみる」第6回目。)
アンズとソウタ。仲がいいのか、悪いのか。小柄で敏捷なアンズ。大きいソウタは・・・(DAYS with CATS。その2。)
カーペットと同化しているアンズ。お互い、見つめ合って、そのうち、アンズが挑発(ソウタの時もあるが)、あっという間にいなくなる。「遊ぼうよ」と言わんばかりの1歳の男の子・ソウタに、3歳の姉さん・アンズはつれない!体重3キロと5キロの差は大きい。逃げるが勝ちの戦法。ついて行ず、呆然とするソウタ。そんな関係ですが。本棚の上で食事するアンズ。床で食事するソウタ。食欲旺盛なソウタはアンズを押しのけ、アンズの分まで食べてしまうので、こうして棲み分け。あっという間に食べ終え、見上げるソウタ。食べ終えたアンズは、爪磨き。そして、小柄で敏捷なアンズ。ソウタにはこういう芸当は出来ません。ピョンピョン跳び移る。ソウタはドタドタ、ドスン。時々失敗し、後足がついて行けず。青いヒモに興味ありそう。ところがソウタが横取りし、アンズは。...アンズとソウタ。仲がいいのか、悪いのか。小柄で敏捷なアンズ。大きいソウタは・・・(DAYSwithCATS。その2。)
西武バス「北大泉」~西武線「ひばりヶ丘駅」。その4。ジグザクコース。飛び出し坊や。飛び地・西大泉町。マンホールあれこれ。(都県境を探ってみる」第6回目。)
「境橋」を渡りますが、都県境は少しずれています。この農地を横切っている?この先の道路が都県境に。練馬区立大泉西小学校の敷地に食い込むように墓所が。道路の反対側は、新座市片山3丁目。新座市のマンホール。中央にカタカナの「二」と「ザ」を図案化した市章。周囲にあるのは市の木「モミジ」。産業道路に合流、「バーミヤン新座片山店」の先で都県境は右折します。すぐ隣の住宅開発地は新座市片山。都県境は、この先も西に向かってジグザクコースをたどります。公道(もしかしたら私道?)を歩くしかないので、練馬区内の住宅地を歩くことに。コンビニの脇から右折し、広い道路へ。さらに右折。懐かしい「飛び出し坊や」。久々に見ました。旧東海道歩きのときには、三重、滋賀、京都とずいぶん見かけました。行き先々で励まされ、歩きました。京都・山科にて。...西武バス「北大泉」~西武線「ひばりヶ丘駅」。その4。ジグザクコース。飛び出し坊や。飛び地・西大泉町。マンホールあれこれ。(都県境を探ってみる」第6回目。)
西武バス「北大泉」~西武線「ひばりヶ丘駅」。その3。新座市栄・池田、練馬区大泉学園。関越道「境橋」。(都県境を探ってみる」第6回目。)
右は新座市栄、左は練馬区大泉学園町。路上のマンホールは、東京都のものです。この先も都県境は地図上でははっきり線が引かれていますが、歩くと、ジグザグで分かりにくくなっています。識別に役立つのは、車のナンバープレート。「所沢」。じろじろ表札を見て回るのも、不審者扱いされかねないので。西側の一画は、新座市に属し、「栄一条通り」から「栄八条通り」と名付けられ、整然とした街並みに。現在の大泉学園町として碁盤の目のように道路をつくり、区画整理して、宅地化しました。(「今昔マップ」より)都県境は当時と変わりません。練馬区立大泉公園。栄八条通りをはさんで、「いなげや」の南からジグザクに進んできた都県境。この先も住宅地の中を進みます。大泉公園の南の道路。この先で、都県境に。この一画も新座市?「栄5丁目町会」掲示板。「避難場...西武バス「北大泉」~西武線「ひばりヶ丘駅」。その3。新座市栄・池田、練馬区大泉学園。関越道「境橋」。(都県境を探ってみる」第6回目。)
アンズとソウタ。11月23日。雨の日の。(DAYS with CATS。その1。)
昨晩、激しい雨が降ってきて、雨戸をたたく音が。わがやの猫たちは、気になっているのかどうか、足もとにまとわりついてきます。雌、3年目のアンズは我が道を行く感じ。一方のソウタは、1年過ぎたばかりの雄。生まれて間もなく、船橋に住む息子の知人の家の庭先で啼いていた、とか。それを保護して我が家に連れてきた、というわけ。(アンズも行きつけの動物病院に預けられた保護猫)。全身、毛がふさふさし、しっぽもえらく長く太い。今まで飼っていた猫とは趣がずいぶん異なる。食欲旺盛で、みるみるうちに大きくなり、今は5キロ超え。勢いよくどさっと乗ってくると、重くずっしりとした体形に悲鳴を上げそうになるほど。すこぶる人間大好き。昨晩。夕飯後は、カーペットに横になって、キョロキョロ・・・。動画でないのが、残念。これ以上太ったらと、ダイエット...アンズとソウタ。11月23日。雨の日の。(DAYSwithCATS。その1。)
西武バス「北大泉」~西武線「ひばりヶ丘駅」。その2。和光樹林公園。陸上自衛隊東部方面総監部。新座緑道。新座市栄小。(都県境を探ってみる」第6回目。)
練馬区、和光市の大きな公園を隔てる道路が都県境になっています。朝霞・和光自然とふれあい文化財をめぐるルート案内板。現在地はその南端。「大泉中央公園(練馬区)」を出て、「和光樹林公園(和光市)」の中を歩いて西に向かいます。樹木がありますが、倒木の危険があるため、立ち入り禁止になっています。「県営和光樹林公園」案内図。左に「朝霞駐屯地」。都県境。大きく広がる「陸上自衛隊朝霞駐屯地」のうち、「陸上自衛隊東部方面総監部」の一部が東京都に属しています。2010年代のようす。都県境はコの字型に。「陸上自衛隊東部方面総監部」正門。「埼玉県新座防災基地」。新座市となります。「新座緑道」。「新座市立栄小」。都県境は、ここを左に折れる。振り返ると、新座市の面目躍如たる大看板。左手には「東京都練馬区」。斜めに進むと、「いなげや...西武バス「北大泉」~西武線「ひばりヶ丘駅」。その2。和光樹林公園。陸上自衛隊東部方面総監部。新座緑道。新座市栄小。(都県境を探ってみる」第6回目。)
小雪(しょうせつ)。11月22日。小春日和。23日勤労感謝の日(新嘗祭・大嘗祭)。
11月22日は、24節気の20番目・「小雪」。冬は、19.立冬(りっとう)11月8日〜21日ごろ20.小雪(しょうせつ)11月22日〜12月6日ごろ21.大雪(たいせつ)12月7日〜21日ごろ22.冬至(とうじ)12月22日〜1月5日ごろ23.小寒(しょうかん)1月6日〜19日ごろ24.大寒(だいかん)1月20日〜2月3日ごろとなります。「小雪(しょうせつ)」とは、雪が降りはじめるころ。11月22日。および「大雪」までの期間。立冬から数えて15日目ごろ。北国から雪の便りが届く頃ですが、まだ本格的な冬の訪れではありません。雪といってもさほど多くないことから、小雪といわれたそうです。陽射しが弱くなり、紅葉が散り始めるころで、いちょうや柑橘類は黄色く色づいてきます。次第に冷え込みが厳しくなってきますので、冬の備...小雪(しょうせつ)。11月22日。小春日和。23日勤労感謝の日(新嘗祭・大嘗祭)。
西武バス「北大泉」~西武線「ひばりヶ丘駅」。その1。野菜の直売所。加藤牧場。大泉さくら運動公園。司法研修所。(「都県境を探ってみる」第6回目。)
都県境。和光市南1丁目。境界線は、道路を横切り、「五十嵐農園」を境に、「学園ゴルフセンター」のところからジグザクに北上します。五十嵐農園の直売所。外環道方向。ゴルフ場。この先、境界線の道路を歩き、らんとう坂からの道に合流し、右折します。この道路が境界線。左が練馬区大泉学園町8丁目、右が和光市南1丁目。奥に大きな牛舎(和光市)。「加藤牧場」。所沢ナンバー。災害時協力農地(JAあさか野和光市店・和光市)。練馬区側でもナツミカンの収穫。振り返る。右が練馬区、左が和光市。越後山通りを越えると、「練馬区立大泉さくら運動公園」。都県境は、「司法研修所」敷地内に。公園内を歩きます。「野外炊事広場」。家族連れで賑わっています。公園北側の道路が都県境になります。道路の向こうは、「和光樹林公園」。西武バス「北大泉」~西武線「ひばりヶ丘駅」。その1。野菜の直売所。加藤牧場。大泉さくら運動公園。司法研修所。(「都県境を探ってみる」第6回目。)
都営三田線「西高島平駅」~西武バス「北大泉」。その8。らんとう坂。もみじ山公園。外環道・関越道。(「都県境を探ってみる」第5回目。)
さて、外環道に向かって再開。信号機に「らんとう坂下」とあります。信号を右に曲がると「らんとう坂」。「乱闘」?まさか!「らんとう」を漢字で書くと「卵塔」。「蘭塔」とも書く。坂の途中、石の土台の上に卵型の墓石があったことから、この名前が付いたようです。しかし、そのような史跡は見当たりませんでした。右折して坂道を上ります。正面には「もみじやま公園」。昭和31年の写真を見ると、道の奥の平地には、白子川の湧き水を利用した田んぼが広がっているのが分かります。写真右の雑木林は『もみじ山憩いの森』となり、現在では『大泉町もみじやま公園』として整備されました。(この項、「」HPより。写真も。)昭和20年代後半までは、葛飾区もこのような田園風景が広がっていました。懐かしく思い出されます。いったん外環道近くまで行き、公園に向か...都営三田線「西高島平駅」~西武バス「北大泉」。その8。らんとう坂。もみじ山公園。外環道・関越道。(「都県境を探ってみる」第5回目。)
都営三田線「西高島平駅」~西武バス「北大泉」。その7。越後山橋。大泉町・橋戸村今昔。別荘橋。(「都県境を探ってみる」第5回目。)
さて、再開。目安としては、「東京外環自動車道」まで。右手に旧家。大きなお屋敷です。「笹目通り」土支田交差点。交差点の向こうは、和光市。この先、セブンイレブンのところを右折し、住宅地の下り坂を白子川方向へ。右が和光市白子、左が練馬区土支田。和光市立西むかいやま公園。芝屋橋を渡り、和光市側へ。白子川が都県境に。越後山橋。対岸は、練馬区立八坂中学校。この先、都県境を歩くには、「練馬区立越後山の森緑地」の手前を右に折れて進まなければならなかったのですが、そのまま白子川沿いを進み、練馬区大泉町内を歩いてしまいます。越後山の森緑地。この付近は、大泉町ですが、かつては橋戸村だったそうです。橋戸村は、明治24年まで、埼玉県新座郡に属していた。明治初年の『新座郡各村字届書』には広沢原(ひろさわはら)、越後山、中里、中ノ前、...都営三田線「西高島平駅」~西武バス「北大泉」。その7。越後山橋。大泉町・橋戸村今昔。別荘橋。(「都県境を探ってみる」第5回目。)
都営三田線「西高島平駅」~西武バス「北大泉」。その6。(株)たちばな。光が丘パークヴィラ。八丁堀公園。(「都県境を探ってみる」第5回目。)
和光市内の家々。緩やかな上り坂。右が和光市、左が練馬区。右手に、「(株)たちばな」。和光市白子1丁目。ケーキの上に飾ってある巻きチョコなどを作っている、とのこと。たちばなプレミアム工房についてたちばなプレミアム工房は、元パティシエがこだわって作ったチョコレートの専門店です。よくケーキの上にちょこんとのっている、可愛い巻チョコレートをご存知ですか?私たちはあの巻チョコレートをつくっている製造会社です。業界のシェアはNo.1!一般の方向けにもお菓子づくりのコーナーで少量パックで売られています。キュートな巻チョコの実力はその味!元パティシエの伝統の配合で、チョコレート通の方に大人気です。とってもつまみやすいんですよ。「ケーキの飾りも美味しい!」をテーマにして作り始め、現在では業界シェアNo.1!!味や食感が抜群...都営三田線「西高島平駅」~西武バス「北大泉」。その6。(株)たちばな。光が丘パークヴィラ。八丁堀公園。(「都県境を探ってみる」第5回目。)
都営三田線「西高島平駅」~西武バス「北大泉」。その5。こしのはけ公園。加登屋。光が丘公園牛房口。(「都県境を探ってみる」第5回目。)
左岸に沿う「牛房(ごぼう)通り」を歩きます。南滝河原公園。右手に高台が迫ってきます。「こしのはけ公園」。※「はけ」とは、「まま」「はば」「のげ」等と共に、崖地形、丘陵、山地の片岸を指す。国分寺崖線や立川崖線など武蔵野台地の崖線を解説する際によく聞くことばです。和光市白子地区にも「白子川」に向かって崖状の土地が目立ちます。この公園は、建物と建物の間の階段を上ったところにあるようです。この先、右手の高台には、「白子の滝」や「百階段」があります。「大坂」など白子地区にはこうした丘陵地帯、森が残っています。川越街道歩きの時には、大坂を上って進みました。その時の記録。大坂。左手には「大坂ふれあいの森」が。湧き水の町「白子宿」お江戸日本橋から川越まで、川越街道の宿場として栄えた。江戸時代の紀行文に、「此のしらこ宿の町...都営三田線「西高島平駅」~西武バス「北大泉」。その5。こしのはけ公園。加登屋。光が丘公園牛房口。(「都県境を探ってみる」第5回目。)
都営三田線「西高島平駅」~西武バス「北大泉」。その4。白子宿と川越街道。白子橋。靴が鳴る。(「都県境を探ってみる」第5回目。)
城口橋。東武線・東京メトロ線の鉄橋。その手前に、「和光市立旧白子川児童遊園地」。その名の通り、旧白子川跡にある、細く曲がりくねった公園。「ウゴウゴ」とかいう遊具があるとか。(「」より)鉄道橋と併行する「寺前橋」。この先にあるお寺(地福寺等)が橋名の由来。右岸遊歩道脇に、「白子宿と川越街道」解説碑。白子宿のおこりは、古く天正15年(1587)後北条氏が新宿を立てた時に始まる。月のうち6回の市日には、どの商人も自由に商売が出来たため近郷近在の人気となった。江戸時代になって川越街道に上板橋・下練馬・白子・膝折・大和田・大井の6宿が置かれた。当時の白子宿は急坂な大坂と豊富な湧き水が印象づけられ、旅人には、休憩地として欠かせない宿場であった。文化文政年間には江戸の文化人がこの地を通り、「家居よく賑やかなる宿なり、食...都営三田線「西高島平駅」~西武バス「北大泉」。その4。白子宿と川越街道。白子橋。靴が鳴る。(「都県境を探ってみる」第5回目。)
都営三田線「西高島平駅」~西武バス「北大泉」。その3。「よしのや東京店」。都営成増5丁目アパート。旧白子川緑道・成増5丁目公園。湖池屋。(「都県境を探ってみる」第5回目。)
「水行場跡」からそのまま境界線は住宅地に入りますが、路地裏となるようで、公道を進みます。この辺は、板橋区成増5丁目。突き当たりを右に折れた先、右手のおうちは、和光市白子3丁目。都県境が入り組んでいます。しばらく「白子川」沿いを歩きます。この付近の両岸は、板橋区内。「よしのや東京店」。(「」HPより)・・・11月12日(土)久しぶりに暖かい土曜日。沢山のかき氷のお客様がご来店くださいました。嬉しいです!!ありがとうございます。甘酒のかき氷もございます。又、写真アップしますね。明日は今年最後のつくばマラソン大会!頑張ってきますね。皆様も楽しい週末をお過ごしくださいね。(ブログ「よしのや女将つれづれ日記」より)通りの向こうは、和光市。白子川下流を望む。上流を望む。左手は「都営成増5丁目アパート」。この先で和光市...都営三田線「西高島平駅」~西武バス「北大泉」。その3。「よしのや東京店」。都営成増5丁目アパート。旧白子川緑道・成増5丁目公園。湖池屋。(「都県境を探ってみる」第5回目。)
都営三田線「西高島平駅」~西武バス「北大泉」。その2。道路上の都県境の線。溝下橋。旧白子川遊歩道。(「都県境を探ってみる」第5回目。)
「三園橋」を渡ると、「埼玉県和光市」の標識。この付近の白子川左岸は、板橋区三園と和光市白子が入り組んでいます。この道路が境界線。右が板橋区、左が和光市。「和光市白子4丁目」。所沢ナンバーの車。こちらは板橋ナンバー。道路を渡っていくと、そこには!道路に黄色い線が引かれています。中央ラインではありません。これが板橋区と和光市との境界線。右が和光市、左が板橋区。この線は、道路上でしばらく続きます。和光市のマンホール。中央に和光市章と市の花「サツキ」と市の木「イチョウ」の葉のデザイン。板橋区三園1丁目。鋭角に折れて進む黄色い線。この先で、振り返ると、奥が和光市。「白子川」に架かる溝下橋付近まで続く。振り返る。奥のおうちは、板橋区。川沿いの遊歩道(和光市)。右手にかつての白子川流路跡の緑地帯。ここが現在も都県境にな...都営三田線「西高島平駅」~西武バス「北大泉」。その2。道路上の都県境の線。溝下橋。旧白子川遊歩道。(「都県境を探ってみる」第5回目。)
都営三田線「西高島平駅」~西武バス「北大泉」。その1。新河岸川・白子川。東京都水道局三園浄水場。(「都県境を探ってみる」第5回目。)
今回は、東京都板橋区、練馬区と埼玉県和光市との都県境を探索。この付近もけっこう入り組んでいます。何カ所か探索出来ませんでした。都営三田線「西高島平駅」。三田線の終点ですが、初めて降り立ちました。(「ジョルダン」より)まず「荒川」と併行する「新河岸川」まで歩きます。ところで「新河岸川(しんがしかわ・しんかしかわ)とは?埼玉県及び東京都を流れる一級河川。荒川水系隅田川の支流である。武蔵野台地北部に降った雨を集めた伏流水や入間川(笹井堰)からの水田用水を水源とする赤間川が、埼玉県川越市上野田町の八幡橋付近で新河岸川と名前を変え、起点となる。川越の市街地の北側を回り込むように流れた(ここは途中の田谷橋まではかつての赤間川である)後で、川越市大字砂付近で不老川、川越市大字南田島付近で九十川と、次々に流れ込む支流を合...都営三田線「西高島平駅」~西武バス「北大泉」。その1。新河岸川・白子川。東京都水道局三園浄水場。(「都県境を探ってみる」第5回目。)
舎人ライナー「見沼代親水公園駅」~JR「赤羽駅」。その5。都市農園公園・長屋門。荒川・隅田川。渡し船・スカイツリー。(「都県境を探ってみる」第4回目。)
都市農業公園は「自然と遊ぶ、自然に学ぶ、自然と共に生きる」をテーマにしている公園です。公園中央の芝生広場には様々な品種の桜の木が植えられており、春には色とりどりの桜の花が楽しめます。また、河川敷の大花壇では、春はチューリップ、秋にはコスモスなど四季折々の花が楽しめます。自然とふれあう機会として、水田や畑を利用した農業体験教室、人と自然の共生館では、ハーブ園を活用したハーブ教室や植物に関する講習会など、1年を通じ、身近な自然や生き物について楽しみながら学ぶことができる公園です。【見どころ】春の花まつり(4月中旬)・・・園内には約50種類250本余の桜が植えられ、中央芝生広場はワシントン市ポトマック川河畔から里帰りした約30種類90本の「五色桜」によって白や黄色、淡紅色や濃紅色に彩られます。また、菜の花や荒川...舎人ライナー「見沼代親水公園駅」~JR「赤羽駅」。その5。都市農園公園・長屋門。荒川・隅田川。渡し船・スカイツリー。(「都県境を探ってみる」第4回目。)
舎人ライナー「見沼代親水公園駅」~JR「赤羽駅」。その4。山王橋。川口市のマンホール。山王橋。芝川水門。領家水門。(「都県境を探ってみる」第4回目。)
首都高川口線高架下。都県境は、足立区立江北公園の縁をかすめ、首都高を横切り、「新芝川」の対岸の一部を抜け、再び新河岸川になります。太い破線が都県境。旧芝川沿いに境界。1880年代のようす。荒川の自然堤防沿いに一部現在の境界。「山王橋」から上流を望む。橋のたもとにあった川口市のマンホール。中心に市の花「鉄砲ユリ」を、その周りに明治初期の特産品であった「竹ざる」の模様を施しています。表面にゆるやかな曲線を用い、高さに変化をもたせて立体感を表現した、高い技術を要する珍しいデザイン。荒川方向を望む。荒川の合流点に芝川水門(住所は川口市)、右手に領家水門(住所は足立区)荒川に向かいます。右手の施設内の一部が足立区。左の施設は川口市。江北公園を振り返る。新芝川。右はしに「領家水門」。右が「新芝川排水機場」。左手には、...舎人ライナー「見沼代親水公園駅」~JR「赤羽駅」。その4。山王橋。川口市のマンホール。山王橋。芝川水門。領家水門。(「都県境を探ってみる」第4回目。)
舎人ライナー「見沼代親水公園駅」~JR「赤羽駅」。その3。南平大橋。新芝川サイクリングロード。川口市東領家。江北公園。(「都県境を探ってみる」第4回目。)舎人ライナー「」~「」
「南平大橋」この付近は、東京都と埼玉県が複雑に交差しています。※橋の左岸も右岸も足立区内に属しているようです。対岸の右奥は川口市。左岸・足立区側にある「新芝川サイクリングロード」。下流方向を望む。凸版印刷川口工場。この先で、都県境は、左斜めに進む。土手から下りずにそのまま歩いてしまい、新芝川橋で左に折れます。正面の工場は川口市東領家4丁目。橋のたもとの両側は、川口市東領家4丁目。しかし、この先から東京都。道路の向かい・右斜めから足立区に。足立区加賀2丁目。首都高川口線高架下。都県境は、しばらく高速下を南下します。首都高の西側は川口市東領家。川口市側の道路沿いには鋳物関係の町工場が並んでいます。東側は足立区加賀。横断歩道を渡り、足立区側を歩きます。足立区側も町工場や事務所。(株)穂波建設(足立区)と感應寺(...舎人ライナー「見沼代親水公園駅」~JR「赤羽駅」。その3。南平大橋。新芝川サイクリングロード。川口市東領家。江北公園。(「都県境を探ってみる」第4回目。)舎人ライナー「」~「」
11月7日。立冬。東京は、紅葉が見頃。牡蠣アレルギー。七五三。そして明日は、皆既月食。
南天。11月7日。晴れ。今日は、二十四節気の19番目「立冬」。『暦便覧』では、「冬の気立ち始めて、いよいよ冷ゆれば也」と説明している。言い換えれば秋の極みといえ、実際多くの地域(北日本を除く)ではまだ秋らしい気配で紅葉の見時はまだ。秋分と冬至のの中間で、昼夜の長短を基準に季節を区分する場合、この日から立春の前日までが冬となる。(「Wikipedia」より)(「向島百花園」にて)立冬(りっとう)とは、冬がはじまる頃。木枯らしが吹き、木々の葉が落ち、はやいところでは初雪の知らせが聞こえてきます。真冬の寒さに備えて、冬の準備を始める「こたつ開き」の時期でもあります。※「木枯らし」=「凩」。晩秋から初冬にかけて吹く、冷たく強い風。暦の上では、「立春」、「立夏」、「立秋」と並んで季節の大きな変わり目とされています。...11月7日。立冬。東京は、紅葉が見頃。牡蠣アレルギー。七五三。そして明日は、皆既月食。
ハゼノキ。紅葉が見事。「おやじのつぶやき」(https://blog.goo.ne.jp/12240106)は、掲載画像がいっぱいになったので、今度、「おやじのつぶやき2」(https://blog.goo.ne.jp/12240106-2)になりました。今後ともよろしく!さて、久々の向島百花園。菊の展示で職人さんが準備で大忙し。地元の方の丹誠込めた菊が展示されています。多摩の景勝。紅蓮。中央は、「春」。いずれも見事。古木?カラスウリ。カリン。スカイツリー。ススキ。ナンテン。ツワブキ。向島百花園。晩秋の。そろそろ冬支度。菊祭り。
「ブログリーダー」を活用して、おやじのつぼさんをフォローしませんか?
5月16日(金)。曇り。東急「新丸子」駅で下車し、「東海道新幹線」「湘南新宿ライン」の下をくぐり、「多摩川」に復帰。対岸は、東京都大田区。下流方向。「河口まで12K」。河川敷には、「多摩川ゴルフ倶楽部」ゴルフ場が広がる。武蔵小杉駅付近の高層マンション群。対岸は、「キヤノン本社」付近。「ガス橋」。「多摩川大橋」。川崎リバーサイドパーク(ゴルフ場)。。x
神保町に出かけたついでに酒屋さんへ。この酒屋さんは全国の地酒を置いてあります。<imgsrc="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5c/ea/48d17bea432009ba28d8ae497f58e483.jpg">「呼友(こゆう)」。x
今度は、左の方の源流をたどっていきます。・・・生息地へ流れ込む生活排水は約千五百世帯分で、日量約千立方メートルだ。その生活排水を県と民間養鱒場から放流する日量約二万立方メートルのきれいな水で希釈しているのが現状なのだ。水質測定結果から、生活排水による汚濁の進行が明らかとなり、稚魚や餌となる甲殻類への影響が懸念されている。このままでは近い将来、絶滅のおそれもある。絶滅させないためには、この区域に最低三kmは生活排水を流入させない対策が急務である。京都府と兵庫県の一部に生息し絶滅したミナミトミヨの二の舞になることは、是が非でも防がなくてはならない。世界で唯一熊谷市にしか生息していない希少種ムサシトミヨを守れるとすれば、それは、流域住民の意志と行政の決断にかかっている。(この項、「埼玉新聞」より)この記事のうち...c
<imgsrc="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/16/d1/46ecbb9c96ed82474989a87876322445.jpg">z
すぐ下は、吾妻川の渓谷。右には断崖絶壁が連なる。ここに鉄道と旧国道が通っています。狭間によく鉄道を敷いたものです。<imgsrc="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1c/28/8819281773775eef0c1760fb7dfab12a.jpg">z
10月1日。晴れ。八ッ場ダム建設で廃線となった「吾妻線」沿線(「川原湯温泉駅」~「岩島駅」)を歩きました。一時の暑さもおさまった感のする一日。家を出たときは雨がポツポツ、しかし、高崎付近あたりでは、すっかり晴れ渡ってきます。沿線の田んぼも稲刈りが進み、秋の田園風景。約ひと月ぶりの「吾妻線」です。今回、「八ッ場ダム」から「岩島駅」(「川原湯温泉駅」の一つ渋川駅寄り)まで歩く予定です。「川原湯温泉駅」に12時ころ到着。前回同様、今回も小生一人、下車。八ッ場ダムまで歩きます。思ったよりも汗をかきました。※「八ッ場ぐるりんバス」12:06発のバスを利用すれば、わずか8分ほどで八ッ場ダムに着きます。無理して歩く必要はありません。旧線路が眼下に見えます。エレベータで下まで降り、通路を歩くと、一気にダム下に。この橋から...a
高麗川駅に近づきます。住宅と田畑と。緩やかな丘陵地帯。豊かな緑の中に住宅が。畑が広がっています。「高麗川駅」に到着。隣のホームから「八王子行き」。スムーズに乗り換え。当駅の所属線である八高線と、当駅を終点とする川越線の分岐駅となっている。八高線は当駅を境に八王子方面が電化、高崎方面が非電化となっており、運転系統が分断されている。また、川越線も電化されており、川越線の川越方面と八高線の八王子方面で当駅を経由して直通運転が行われている。また八高線には、かつて当駅から青梅線を経由して中央線直通で東京駅との間を結ぶ電車も設定されていた。八高線は八王子駅から当駅までが八王子支社、当駅から北の区間が高崎支社、川越線は大宮支社の管轄となっており、当駅は八王子支社の管轄となる。※川越線埼玉県の県庁所在地であるさいたま市か...z
しだいに雨も上がり、青空が広がってきます。住宅が増えてきます。「明覚(みょうかく)駅」。埼玉県比企郡ときがわ町大字番匠(ばんしょう)にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)八高線の駅である。ときがわ(都幾川)町にある唯一の鉄道駅で関東の駅百選にも認定されている。※当時の村名が「明覚村」であったことにちなむとする説と、当時「妙覚寺」というお寺があり、それが「明覚」に転訛したという説がある。1988年(昭和63年)11月9日:午前3時頃出火し、駅舎が全焼。1989年(平成元年)9月18日:現駅舎完成。駅舎は旧・都幾川村の木を使用して建築された。1995年に駅舎がグッドデザイン賞受賞。1997年(平成9年):「関東の駅百選」第1回選定駅になる。選定理由は「地元産の丸太で造り、周辺の山とマッチしたカナダ風ログハウスの...x
「児玉駅」。埼玉県本庄市児玉町児玉にある。1931年(昭和6年)7月1日:鉄道省八高北線(現・八高線)児玉駅-倉賀野駅間開通時に終着駅として開設。盲目の国学者塙保己一塙保己一は、江戸時代の中頃の延享3年(1746年)に武蔵国児玉郡保木野村(現在の本庄市児玉町保木野)に生まれました。7歳の時に病気のために失明し、15歳になって江戸に出て当道座(盲人の組織)に入り、検校雨富須賀一に弟子入りしました。保己一は当道座での修業を積み苦労を重ねて立身し、晩年には当道座の最高位である総検校に昇進しました。保己一は国学者としても著名であり、「群書類従」や「続群書類従」の編さん、さらには和学講談所の設立及び運営、当道座の改革など多大な功績を残しています。中でも群書類従の編さんは41年を費やした大事業であり、正編666冊、続...z
倉賀野駅を過ぎると、踏切が二う。一つは「日光例幣使街道」、その次に「旧中山道」を過ぎていきます。二つとも歩いて通過しましたが、どのあたりだったか、確認できず。「ザ・ガーデンゴルフクラブ」。烏川河川敷。「烏(からす)川」。烏川は、その源を群馬、長野の県境にそびえる鼻曲山(1654m)に発し、榛名山の西と碓氷丘陵の東の斜面境を東南方向に流れ、平野部に入ってから碓氷川、鏑川、神流川の西毛の三大河川を合わせて利根川に合流しています。流域面積は470km2、流路延長は61.8kmです。(「国土交通省」HPより)※烏川の名の由来水源の地形が唐臼(中国の臼)に似ており「カラウス川」と呼ばれたとの説、また傷ついた日本武尊を烏が現在の烏川水源に導いて救ったから・・・など、烏川の名の由来には諸説がある。「北藤岡駅」先で、高崎...z
8月22日から8月25日まで、「向島百花園」で「虫ききの会」が行われています。江戸時代から続く伝統行事「虫ききの会」。この期間は、夜の9時まで開園。相変わらず蒸し暑い一日。そんな中、昨日(23日)、夕涼みがてら、行ってきました。荒川・四ツ木橋より。遠くにスカイツリー。向島百花園。園内から放された「スズムシ」の涼しげな音が聞こえてきます。ひとときの安らぎ。風鈴の音が響く。カルガモの姿はありませんが、虫たちの展示。遠くにスカイツリー。しだいに暮れなずむ空の下、さまざまな色彩に変化する「スカイツリー」を紹介。別の場所から。<imgsrc="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/00/2e/52cfa81eec5e648ba585da51406b35ad.png">園内からのス...「虫ききの会」。8月23日・向島百花園。夕涼みがてら。
「「訳者あとがき」より抜粋そもそもナチスは、ヒトラーに取材するフランス人を厳選していた。自国の世論において、かなりの発言力と影響力をもっていた退役軍人たちを利用したのだ。フランスの場合、第二次世界大戦での死者(約二一万人、市民約四〇万人、計約六〇万人)よりも第一次世界大戦の死者(一三六万人)のほうがはるかに多い。悲惨な戦いを経験したフランス人にとって、戦争を二度と繰り返したくないと願うのは自然だろう。それゆえに、ヴェルサイユ条約でドイツを追い詰めることを危惧する向きすらあった。こうした切なる平和への願いをもとに、フランス人退役軍人とナチスのフランス通が友好関係を築き上げた結果誕生した仏独委員会が、フランス人に対するナチスドイツの窓口になる。ヒトラーにお目通りがかなうのは、ナチス側のもはやいいなりだった仏独...「ヒトラーへのメディア取材記録」
q。「物語は、「今日、また食べ物を吐いた。でもこれが最後だ。」という主人公エマの言葉に始まり、同じ言葉で終わる。主人公であるエマ・ラシュナルは、17歳。祖母マムーシュカのことが大好きで、心から尊敬していたが、祖母の死後、祖母の部屋で古い日記を見つけたことで、祖父母にまつわる恐ろしい事実を知り、摂食障害が日ごとに悪化していくことに・・・。その古い日記は、ポーランドのゾビブルという収容所でユダヤ人の「処理」にかかわっていた青年ジャック・デロシュの日記。読む権利などないと思いつつ、どうしようもなく惹きつけられて開いてしまった日記には、ナチの武装SS、ヒトラー、ユダヤ人の隔離、排除、強制退去、絶滅収容所、鉄条網、監視塔、ガス室、エヴァ・ヒルシュバウムとその息子シモン・・・。嘔吐と過食を繰り返し、身も心もぼろぼろに...「ジャック・デロシュの日記」。「ショアーの歴史」。
何を見つけたのか?それも飽きて、今度はジジをくわえ(お気に入りの獲物?)、うなり声を上げて歩き回る。※ジジ魔女の宅急便の主人公キキの相棒の黒猫。よくキキの話し相手をしている(これは、キキの数少ない能力の1つ)。どこか人間臭いネコで、ある届け物の受取人の少女の不機嫌そうな「あたしこのパイ嫌いなのよね」発言に「感じ悪い」と非難し、あかんべーをしていたりする。キキの相棒だが、その信頼ゆえか、ぬいぐるみの身代わりにされたり、ピンチになる場面もあった。この時ばかりはキキに愚痴を漏らしている。しかしある日、白猫のリリーに一目惚れした結果、キキのもとにあまり居付かなくなる(尚、リリーはおソノさん夫婦が経営するパン屋の常連の女性の飼い猫で、当初はすました態度を見て「いけ好かない」と発言していた)。エンディングでは、その白...記事がない時のソウタ頼み。その2。
ということで、ソウタ君。「ソウタ」と「あんず」。あんずはパッといなくなるので、写真がなかなか撮れない。暑さでぐったり。そこへ大きな箱の届け物が。さっそく、ところが、意外に最初に入ったのは、あんず。においをかぐソウタ。ソウタに譲って、あんずは、遠目で。飽きたと見えて、ゴロンと。今度は窓から暑い日差しの外を眺め、それも飽きて、テーブルの下でゴロン。そのまま静かにしているかと思ったら、記事がない時のソウタ頼み。
白岡市のマンホール。抽象的な「家族」を中央に配置。その周りを市の花「梨の花」と市の木「松」のつぼみで飾り、「創造と希望」がコンセプト。「篠津一号橋」。「星川」。星川の上流(右手)に「星川と隼人堀川の立体交差」があります。橋を渡って星川沿いに進もうとしましたが、その土手は草が生い茂っていてちょっと歩きにくい。そのため、工場の脇を迂回せざるをえません。けっこうな回り道。「蓮田白岡環境センター」。右手に流れる「隼人堀川」の脇を進んで、やっと元荒川に戻ります。蓮田白岡環境センターの煙突。産廃工場などがあり、狭い道路を大型車などが行き交う。星川までの桜並木もなくなり、蒸し暑い中、汗をかきはじめます。上流に橋が見えてきます。橋の手前で右に折れ、隼人堀川沿いに。「根金小橋」。※隼人堀川は白岡市柴山を管理起点とし、宮代町...宇都宮線「白岡駅」~「蓮田駅」。その2。(「元荒川」をゆく。第4日目。挫折編。)
向島百花園のカルガモたち。いったいどうしているか?ところが、どこを見渡してもいません。親もヒナもいません。ヒナも大きく育ち、別のところに移動したのでしょうか?そのかわり、池の上をシオカラトンボがたくさん飛んでいます。帰り際に窓口の方に尋ねたら、4日前にはいた(7/23)、とのこと。こうしてカルガモの姿は、来年までおあずけ。園内には、風鈴が涼しそうな音色を響かせています。足下には木漏れ陽。炎天下で花を咲かせている「はす」一輪。そしてザクロの実が一つ。朝顔展の準備が始まっています。売店には「氷」の旗が。この前、TVで放送していましたが、「氷」の旗は全国ほぼ共通なようです。明治政府の販売許可証だった、とか。アゲハチョウの姿が(↓)。遠くにスカイツリー。今日は、「隅田の花火大会」。スカイツリー近辺は大賑わいになる...7月27日(土)。酷暑の向島百花園。カルガモたちの姿が見当たらない池。風鈴。朝顔。そして、隅田川花火大会(開催前の隅田堤)
7月19日(金)。曇りのち晴れ。朝はまだ日差しも強くなく、歩き始めました。「八幡橋」方向。かなり蒸し暑いですが、なんとか予定通り歩けそうかな?と「さくらロードガーデン」。川べりも歩けそうです。左手に解説板があります。「茅野(かやの)の渡し」。現在の元荒川は、河川改修や西地区の区画整理などにより、かつての自然や地形などの面影は少なくなりました。この元荒川の白岡・篠津には二カ所の渡し場がありました。この付近は「茅野の渡し」があり、下流の八幡橋付近には「八幡の渡し」がありました。茅野の渡しは、町内の篠津地区と蓮田市貝塚地区を結ぶものです。この渡し場の瀬は蓮田側がきゅうに深くなっていて篠津側は浅くなっていました。舟は対岸には直接着くことができましたが、篠津側は砂の上を少し歩いてから岸に上がりました渡しは対岸の二軒...宇都宮線「白岡駅」~「蓮田駅」。その1。(「元荒川」をゆく。第4日目。挫折編。)
「東北新幹線」。白岡町(白岡市)の表示が。※「白岡市」白岡市は、関東平野の中ほど、東京都心まで約40キロメートルであり、総面積は24.92平方キロメートルで、東西は9.8キロメートル、南北は6.0キロメートルと東西に長い市域です。昭和29年に日勝村、篠津村、大山村(上大崎を除く)の合併により町制を施行し、白岡駅を中心に発展を期するという計画のもと白岡町と改称しました。当時の世帯数は2,678世帯、人口15,679人でした。誕生から56年後の平成22年国勢調査では、世帯数が17,869世帯、人口が50,272人となるまでに成長しました。このため、市制施行に向けた準備を進め、埼玉県による白岡町を白岡市とする決定を受けて、平成24年10月1日の市政施行により、白岡市が誕生しました。交通面では、都心まで40分程度...東武アーバンパークライン「東岩槻駅」~JR宇都宮線「白岡駅」。その7。(「元荒川」をゆく。第3日目。)
日差しが強くなってきます。木々があるので、歩くのにはちょうどいい。ここでも炎天下でゴルフを楽しむ人たち。次の橋に近づきます。振り返る。この先には運動公園はなさそう。広い県道に出ます。元荒川へ流入する用水路。「新今宮橋」。下流方向。上流方向。大きくて見事なサボテン。水管橋。蓮田市のマンホール。市の木ハナミズキ。「今宮橋」・今宮けやき通り。下流方向。上流側から橋を望む。川沿いには桜などが植えられているが、車道を歩くしかない。これがけっこう長い。この付近から白岡市入り。対岸に東北新幹線。この付近の今昔。(1880年代)周囲は、田畑。上部に渡船場。(現在)川の西、南側は蓮田市。東北側に白岡市。東武アーバンパークライン「東岩槻駅」~JR宇都宮線「白岡駅」。その6。(「元荒川」をゆく。第3日目。)
草刈りを行った後なので、歩きやすい。次の橋まではけっこう歩きます。右手には一面、田んぼが広がります。川面。この付近の今昔。(現在)。自然堤防が舗装道路に。(1880年代)。幅広い流路。<imgsrc="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6b/c7/4c114c6731f6273b5cc2499ebfd1ef50.jpg">東武アーバンパークライン「東岩槻駅」~JR宇都宮線「白岡駅」。その3。(「元荒川」をゆく。第3日目。)
右手は工業団地。「元荒川水管橋」。※元荒川水管橋は城北大橋から500m上流に架けられている。元来は水管橋(元荒川の上を水道水を渡らせるためのもの)だったが、平成14年に改修され、歩行者も渡れるようになった。上流方向。下流方向。土手沿いの道を進みます。「伊豆島の大蛇全3ヶ所の東側」(蓮田市黒浜)。※この付近が、蓮田市とさいたま市岩槻区の境界線になります。民俗行事の一つで、春祈祷(はるきとう)に関連する厄除け行事です。由来は200有余年前に集落内に悪い病が入り「魔除け、災難除け、疫病除け」として『大蛇(だいじゃ)』を作り、集落境界の2ヶ所に立てたと言われています。集落内の1軒に1人が夕方(3時頃)集まり、御神酒で清め「家内安全・五穀豊穣」も祈りながら作られ、「上顎」・「下顎」・「胴体」を別々に作ります。胴体は...東武アーバンパークライン「東岩槻駅」~JR宇都宮線「白岡駅」。その2。(「元荒川」をゆく。第3日目。)
今回から元荒川の上・中流歩きになります。利用する路線も東武線からJR線になります。「東岩槻駅」。東武線鉄橋の上流へ出ます。「東宮(ひがしみや)歩道橋」から上流を望む。この付近の今昔。(現在)東武鉄橋上流に「東宮歩道橋」。「江川地区調整池」が設置されています。(1970年代)元荒川は大きく西にカーブしていました。その後、流路の変更が行われ、宅地化されました。土手沿いの道(左岸)を歩きます。右手は住宅地。上流に「慈恩寺橋」。河川敷に畑が広がっています。(1880年代)河川敷が広がっています。(現在)かつての河川敷が農地となっています。水道橋が左手奥に。畑の正面に「水道橋」。「城北大橋」。下流の水道橋を望む。この先に人も歩ける「元荒川水管橋」があります。東武アーバンパークライン「東岩槻駅」~JR宇都宮線「白岡駅」。その1。(「元荒川」をゆく。第3日目。)
国道16号線・「岩槻大橋」のたもとに。下流方向。上流に「新曲輪橋」。「国道16号線」は首都圏の幹線道路。都心から郊外へ向かうときには必ず遭遇します。(「」より)春日部方面。「新曲輪(くるわ)橋」。右岸奥周辺が「岩槻城址公園」。岩槻は「日光御成街道」歩きのときに通りました。※「本郷追分」で中山道と分かれ、「幸手」で日光街道と合流する。モニュメントの人形。旧岩槻市のマンホール。蓋を三等分し、上部には岩槻城黒門と桜の花、右には園内の池にかかる朱塗りの八つ橋、左には岩槻城鐘楼と市の花「ヤマブキ」がデザインされている。汚水蓋。「岩槻橋」。岩槻橋は、第二次緊急輸送道路である主要地方道さいたま春日部線(都市計画道路岩槻中央通り線)と一級河川元荒川の交差箇所に位置し、さいたま市の副都心である岩槻駅周辺地区を横断する路線の...東武伊勢崎線「北越谷駅」~東武アーバンパークライン「東岩槻駅」。その7。(「元荒川」をゆく。第2日目。)
公園内の釣り堀。賑わっています。森の中の下道。公園内に。森に囲まれ、体育館やグランド、大きな池などが広がっています。案内図。「グリーンアドベンチャー岩槻文化公園コース」。この木の名は?この地域はかつては元荒川沿いの微高地でした。(1880年代)(現在)駐車場の向こうに元荒川の流れ。川沿いの小道。足下の草むらをトンボが。全身真っ黒で蝶々のようにひらひら羽を動かし、ヒラヒラ飛んでいます。○のところにとまっている。中川歩きの時に見た「ハグロトンボ」。ハグロトンボ(羽黒蜻蛉カワトンボ科のトンボ。別名ホソホソトンボ。東アジア(日本、朝鮮半島、中国、ロシア)、北米に分布する。日本国内では東北・本州・四国・九州に分布する。成虫の体長は57-67mm、後翅長35-44mmほどで、トンボとしてはやや大型。雌の方が雄より若干...東武伊勢崎線「北越谷駅」~東武アーバンパークライン「東岩槻駅」。その6。(「元荒川」をゆく。第2日目。)
溜井が大きく広がる。桜並木。右手は緑濃き、水田。「武蔵第六天神社」の境内地に入ります。川原に下りられる階段がありますが、今は水底に。「夏越の祓」茅の輪がある。先に進みます。まだ「岩槻市」のまま。※現在は、さいたま市に編入「さいたま市岩槻区」。田んぼが広がります。土手の道が途切れ、たんぼの中の道を進みます。上流に赤い橋。振り返る。久々な経験。農家の脇に、カボチャ。枝豆。県道に出ます。上流に見えていた赤い橋に向かいます。「大野島水管橋」。※大野島水管橋は、昭和52年(1977)竣工。三連アーチのランガー補剛形式で70m。口径600mmの管が2本設けられ、元荒川の上を水道水が横断している。大野島水管橋は歩行者も渡れる。下流方向。上流方向。橋を渡り、右岸に。振り返る。上水道管。「岩槻文化公園」の脇の道を進みます。東武伊勢崎線「北越谷駅」~東武アーバンパークライン「東岩槻駅」。その5。(「元荒川」をゆく。第2日目。)
「末田須賀堰(すえだすがせき)」が目の前に。さいたま市岩槻区の永代橋の脇には、「末田須賀堰」があります。堰とは水深や流量の調整のため、河川の途中などに設けられる構造物です。元荒川は古くから農業用水路として用いられており、全部で4カ所の堰が設けられていて、末田須賀堰はその一つです。4月から9月にかけて、農業用水の確保のため水門が閉まります。また、水門の脇には魚道が設けられていて、水門が閉じている時期でも魚が遡上できるようになっています。(この項、「」HPより)「永代橋」。モニュメント。この付近の今昔。(現在)中央に堰。川幅が大きく広がっている。(1880年代)現在の堰付近の流れが複雑になっている。上流方向。広がりを見せる。旧永代橋の架橋記念碑。周囲には古い親柱、中柱が残されている。1926(大正15)年の建...東武伊勢崎線「北越谷駅」~東武アーバンパークライン「東岩槻駅」。その4。(「元荒川」をゆく。第2日目。)
暑いせいか、涼しさを求め、家の中を転々とする猫たち。だから、二人が鉢合わせをすることも。6日には、窓際に。あんずが窓際に乗ると、ソウタは、あんずがいなくなると、その後を目で追うソウタ。という猫たちを横目で見ながら、「向島百花園」へ。7月6日。「小暑」の日の午後。いました!親が。親の後をくっついて泳いだり、歩いたりしていたヒナは?親から離れ、自由気ままに泳いでいます。親はそんなヒナたちを目で追い、守っているようす。そして親子一緒に。前来たときは7羽のヒナ。見ると5羽、残りのヒナは?気になります。もみじあおい。にっこうきすげ。やまゆり。寺島なす。<imgsrc="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/87/2ff6d8ff92a04e21bf1b674e796011d...あんずとソウタ。そして、向島百花園のカルガモたち。花も咲き、緑も濃く、夏らしい雰囲気。
「〆切橋」を渡り、右岸を歩きます。こちら側にも農地が。ここにもネムノキの大木。上流に「大砂橋」が見えてきます。「元荒川緑道(上流部)散策案内」。「大砂橋」を振り返る。けっこう緑が深い。路傍に何体かの古仏。元荒川の流れ。農地が続きます。菊の栽培。左手には畑作地が広がる。イチゴ。サツマイモ。咲き始めている菊。川沿いから離れて進みます。右手灌木の右に、元荒川。一面、青々とした田んぼ。「三野宮橋」。上流方向。橋を渡り、左岸へ。「元荒川」沿いの、車の行き来が激しい県道を進みます。「補修境界←さいたま市北部建設事務所→越谷県土整備事務所」。さいたま市に入ります。この辺りも「さいたま市」?さいたま市埼玉県の県央部に位置する市。埼玉県の県庁所在地で、人口は約135.0万人と県内最多。政令指定都市の一つ。また財政力指数は政...東武伊勢崎線「北越谷駅」~東武アーバンパークライン「東岩槻駅」。その3。(「元荒川」をゆく。第2日目。)
「国道4号線(現日光街道)バイパス」を渡ります。.元荒川橋から下流を望む。川沿いには歩道がないので、県道を進みます。この標識板には、「↑越谷国道4号線→春日部←上野」とあります。左手に「元荒川」。「〆切橋」(人道橋)。越谷市においては最も歴史の古い橋である。江戸時代(宝永年間)には橋が架けられ、明治時代には長さ約29メートル、幅員約3メートルの土橋が架かっていた。また、1924年(大正13年)には先代の橋が架けられていた。現在の橋は1937年(昭和12年)竣工のRC橋で、市内の元荒川に現存する橋の中でも古い部類。橋長54.6メートル、幅員4.15メートル。老朽化に伴い、大砂橋開通後の2005年(平成17年)度以降は橋の両詰めに車止めが設置され、人道橋として歩行者のみの通行が許されている。元荒川はかつて〆切...東武伊勢崎線「北越谷駅」~東武アーバンパークライン「東岩槻駅」。その2。(「元荒川」をゆく。第2日目。)
元荒川歩き、2日目。往復とも東武線内の乗り降りです。北越谷駅西口。「元荒川」土手。前回に続き、左岸を歩くことに。森の脇に進みます。(「歴史的農業環境閲覧システム」より)中央に「宮内庁埼玉鴨場」。現在、宮内庁が管理している鴨場は、埼玉県越谷市の「埼玉鴨場」と千葉県市川市の「新浜鴨場」の2か所があり、両鴨場のそれぞれ約12,000平方メートルの元溜(もとだまり)と呼ばれる池には、毎年2千羽を超える野鴨などの渡り鳥が越冬のため飛来しています。鴨場は、鴨の狩猟期間(11月中旬から翌年2月中旬)に、天皇陛下の思召しにより内外の賓客の接遇の場として使用されています。埼玉鴨場(埼玉県越谷市)及び新浜鴨場(千葉県市川市)では、野生の鴨を無傷のままで捕獲する独特の技法が維持保存されています。我が国では、古くから網や鷹を使っ...東武伊勢崎線「北越谷駅」~東武アーバンパークライン「東岩槻駅」。その1。(「元荒川」をゆく。第2日目。)
東武線のガードをくぐって先に進みます。越谷駅と北越谷駅は直線の線路で隣同士ですが、元荒川は半円状で迂回します。○。明治時代から現在までほとんど変わらない流路。(「今昔マップ」より)東武線鉄橋方向を振り返る。左岸のようす。桜堤通りになっていますが、右岸は炎天下の道。ところどころ、花壇があり、ベンチなどもあります。前方に「神明橋」。中央の車道部分は古そうなトラス橋振り返る。この橋を渡り、左岸に移ります。桜並木の下。河川敷には耕作地が広がっています。対岸に「文教大学」キャンパスが見えてきます。前方には「出津橋」(人道橋)。文教大学越谷キャンパス。出津橋。学生たちが通行中。今回は、ここまで。「北越谷駅」に向かいます。<imgsrc="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/37/...JR武蔵野線「吉川駅」~東武伊勢崎線「北越谷駅」。その7。(「元荒川」をゆく。第1日目。)
元荒川歩きを再開します。カラフルな遊歩道になっています。右手が元荒川。葛西用水は、元荒川を「伏越」で越えて流れてきます。※伏越(ふせごし)用水施設や排水施設などの水路において、開渠となっている部分が、河川または他の水路と交差している場合、逆サイフォン構造によって河川・水路の河底を通過させる工法・技法、およびそれによる工作物で、施工方法が開削工法によるもの。用水路・排水路など開水路の場合、河川と交差する部分で、沿岸の双方の高さに高低差が大きい場合、高い側から逆サイフォンで河川を自然流下で通過させることが多い。歴史的に古い水路・用水にも見られる工法である。(「Wikipedia」より)振り返る。右が葛西用水。「新宮前橋」。「宮前橋」。「久伊豆(ひさいず)通り」となっています。東の方に「久伊豆神社」があります。...JR武蔵野線「吉川駅」~東武伊勢崎線「北越谷駅」。その6。(「元荒川」をゆく。第1日目。)
「溜井(逆川・葛西用水)」。花しょうぶが満開。「元荒川」。「越谷市役所」・「越谷市中央市民会館」が見えてきます。「平和橋」(葛西用水)「新平和橋」(元荒川)。越谷市中央市民会館。平和橋・新平和橋。いったん、東武伊勢崎線「越谷駅」に向かい、小休止。「越谷・松伏水道企業団」のマンホール。「越松水」「仕切弁」。※越谷市の花、松伏町の花が共に菊です。旧日光街道。日光街道歩きのときに通過しました。日本橋から3番目の宿場・越谷宿。越谷駅。JR武蔵野線「吉川駅」~東武伊勢崎線「北越谷駅」。その5。(「元荒川」をゆく。第1日目。)
右岸の河原。「瓦曽根堰(かわらぞねせき)スポット広場」。正面は、「しらこばと橋」。解説板。「葛西用水」の成立享保(1719年)すでに開削されていた幸手領用水(万治3年1660年)の利根川の川俣圦樋が増設され、琵琶溜井・松伏溜井・瓦曽根溜井・亀有溜井を連結させた十ヶ領、三百村、領石高13万3千石(年貢米)の大用水が成立し、葛西用水と呼ばれた。「葛西用水」流路図。「利根川」から取水された「葛西用水」は、「大落古利根川」、「逆川」を経て、ここまで流れ、この後は、「元荒川」から離れ、八潮市、足立区、葛飾区、墨田区まで続くことになります。※「溜井」は河川を堰き止めて洪水対策や農業用水とした施設。近世初頭に瓦曽根溜井が建設され、中期以降に石堰が設けられた。中土手(元荒川と溜井を分ける土手)には竹を植えたり畑があった。...JR武蔵野線「吉川駅」~東武伊勢崎線「北越谷駅」。その4。(「元荒川」をゆく。第1日目。)
右岸沿いに大きく広がる「遊水地」。南方に「越谷レイクタウン」があります。「越谷レイクタウン」の今昔。(現在)大規模な商業施設、住宅地となっている。(1970年代)ほとんど、田んぼや畑であった。※市街化調整区域左岸の大きな建物。「越谷東高校」。舗装された道なので、照り返しがけっこうキツイ。早く木陰の下に。ほっと一息。「大相模スポット広場」。所々にこうした小公園風な施設がある。「不動橋」が見えはじめる。「不動橋」のたもとに、「相模町スポット広場」。木陰が涼しい。水分補給などで小休止。「元荒川緑道(下流部)散策案内」。来た道を振り返る。「不動橋」。※「不動橋」の由来は沿岸にある「大聖寺(大相模不動尊)」から。「しらこばと橋まで1,050m」。「動端落し(どうばたおとし)スポット広場」。流入口。JR武蔵野線「吉川駅」~東武伊勢崎線「北越谷駅」。その3。(「元荒川」をゆく。第1日目。)
雨降りの午後。向島百花園。アジサイには、雨が似合う。降ったりやんだりのお天気。入園者も少なく、のんびりと散策。ヤマユリ。リンドウ。ハンゲショウ(半夏生)。ネムノキ。カザグルマ。カルガモたちはどうなったか?四阿で雨宿りをしていると、現れました。親鳥とヒナたちがスイスイと水面を。ヒナは、合計7羽。親鳥のあとをついていきます。正面の叢に。雨脚が強くなってきました。親子であちこちウロウロ。天敵の野良猫がうろつかないうちに。ヒナたちが叢の中に。そのうち姿が見えなくなりました。さて、帰ろうかとすると、「オナガ」が。<imgsrc="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/0f/35390b3509d0b0685431b98cec8dc837.jpg">※オナガ水色の美しい鳥実を...雨降りの午後・日曜。「向島百花園」。アジサイ。リンドウ。ハンゲショウ。カルガモ・ヒナ。オナガ。・・・
中川の一つ上流にある「吉川橋」。その先で、元荒川が中川に合流する。左手が「元荒川」、右手が「中川」。付近は、工事中。左手に「中島橋」。越谷市内のマンホール。「越松水消火栓消防士ガーヤちゃん」。越谷特別市民「ガ-ヤちゃん」が消防士にふんしたデザイン。元荒川の最下流に架かる「中島橋」。中川方向を望む。上流に向かって歩き始めます。右岸の「元荒川緑道」を歩きます。「飯島排水機場」からの流れ。その先に「大成スポット公園」。緑道には、休憩ベンチ・簡単な運動器具・トイレなどが整備されています。左手に土手状の盛り土が続いています。この付近の今昔。(1880年代)元荒川沿いの微高地で自然堤防が形成されている。(現在)住宅地や畑地などになっている。土手沿いに水路。対岸のようす。国道4号線・「大成橋」。「水道管橋」その先に、「...JR武蔵野線「吉川駅」~東武伊勢崎線「北越谷駅」。その2。(「元荒川」をゆく。第1日目。)
今回から「元荒川」を「中川」との合流地点から水源まで遡ることにします。ただ流域は暑さが並みではないところ。熱中症に気を付けながら、歩く距離も短めに。5日くらいかけて歩くつもり。また上流は最寄り駅が遠いので、バスを利用する予定。本数があまりなさそうですが。「元荒川」現在、埼玉県熊谷市久下にある熊谷市ムサシトミヨ保護センター内に源を発する。おおむね南東方向に流れ、行田市、鴻巣市、久喜市、桶川市、蓮田市、白岡市を経由する。途中、鴻巣市袋付近で武蔵水路と、白岡市柴山・蓮田市高虫付近で見沼代用水と立体交差する。白岡市西付近で星川が合流すると川幅を大きく広げ、さいたま市岩槻区を経由し、越谷市中島で中川に合流する。かつての元荒川は1955年(昭和30年)頃までは荒川扇状地の湧水を水源としていたが、高度経済成長期に水源が...JR武蔵野線「吉川駅」~東武伊勢崎線「北越谷駅」。その1。(「元荒川」をゆく。第1日目。)
6月16日(日)。13回忌法要を済ませて、帰宅。息子夫婦から父の日のプレゼント。やはり、ビール。サントリーのセット。箱から出した途端、ソウタがすぐ、底の浅い箱に入っています。よほど箱好きなようです。入りきれないしっぽ。そのうち箱もつぶれて、そして、昨日。この格好は?頭は?しっぽは?<imgsrc="https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/45/37d01859d03c8e7e1fc05c60f5915302.jpg">ソウタ。家人が出かけると、ジジを咥え、雄たけびをあげながら、家の中を走り回るようです。帰ってくると、必ずジジがそばに。家に来たときはこんな小さかったソウタ。ふだんは、一方のあんずは3歳になっても大きくなく、「可愛いわね」と声を掛けられる存在。家人の姿が...ソウタとあんず。我が家の猫たち。