テッポウユリとキキョウわが家の玄関正面に3本のテッポウユリが咲いた、まるで三つ子の姉妹であるかのように背丈も咲き具合も等間隔に並んでいた、私にはそれぞれが庭にただ咲いているよりもっと人の目に触れるように❝私を花瓶に生けてほしい❞と訴えかけているように感じられた、そこで真ん中に立つ1本を切ってプランターに咲いたキキョウと合わせて活けてみた、花器も初めてのお披露目である、友人のセミ陶芸家Kさんが譲ってくれたもの、合わせて鑑賞してほしい。テッポウユリの思い
よくユーチューブを見る、格闘技のチャンネルに夢中になったり、旅の番組で時間のたつのを忘れて思いを馳せたり、カラオケチャンネルで人の歌を聴いたり歌ったり、昨日ひょんなことから人が歌う歌に感動した、それは韓国の歌番組で日本人が歌う曲であった、歌に感動
たとえそれがカラオケで歌う曲であろうと覚えるまでのワクワク感がたまらない、早く皆の前で歌いたい、81歳にしてこの気持ち、なんであろうか?思うに芸能は新鮮であることにも重要な意味がある、人の感性をくすぐる優れた作品であればこその話であるが、聞きなれたり見慣れたりするほど色あせてくる、その意味において仲間の中で一番先に披露したいという気持ちになるのである、そして皆を驚かせたい、だから練習に熱が入る、今練習してる曲は先ごろ亡くなった門倉有希が歌った歌J(ジェイ)Jどこへゆくの?Jこの哀しみはnightまた眠れず朝むかえるJ笑ったあとJ淋しい顔したwhy?あなたの目は何を見てたの?J夜が流れ季節は過ぎてもJあなただけに時は止まったJまぼろしでもJ姿見せてJ叱りたいのJあなたのことJひとり先にどこへ行ったの?J急ぎ...目標のある楽しみ、J(ジェイ)という歌
埼玉県加須市に“むさしの村”と言うレジャー施設がある、JAの経営だそうだ、キャッチフレーズは緑の中のファミリーランド、子供から大人まで自然の中で農業体験や牧場体験、あるいは遊園地で遊ぶこともできる、昨日11月26日ここの演芸ホールのステージでカラオケを歌った、この地のカラオケ仲間に誘われて参加、一昨日わが町のステージで歌って今日だ、“あんたも好きね”と言われそう、歌った歌は一昨日歌った歌と同じ“母ちゃんの浜唄”発表会と言う催しだったので審査も順位もない、ただステージで歌っただけの話、この点は一昨日と同じ、人前で歌って自己満足するだけだ、いゃ~楽しかった!なにが?充実感を味わうことが出来た、出場80数名中5番目に歌った、程よい緊張感が満足感を醸し出す、5分間にも満たない僅かなひと時のために2時間かけて駆け付...むさしの村
わが町の文化協会主催芸能発表会に出場した、芸能の何たるかは知らない、カラオケを歌っただけの話だけど芸能だなんて言うとなんとなくこそばゆい、言葉を換えれば爺さん婆さんのサークル活動の発表会と言う方がぴたりとくる気がする、カラオケを主体に太鼓やフラダンス、レクダンス、ハーモニカなどのサイクルが1年の練習の成果をお披露目するのがこの会の趣旨だ、これに加えて特別協賛として町内の企業に所属する若者グループの太鼓と南米の民族衣装に身を包んで民族楽器を演奏するフォルクローレ、これには引き込まれた、これこそ芸能と言うものであろう、私はカラオケの部で福田こうへいの持ち歌「母ちゃんの浜唄」を歌った、館内100人ほどの聴衆ではあったがこれまでにさんざん歌っているので不安はなく気分ノリノリで歌えた、歌った後の反応はお世辞もあろう...芸能発表会
月一このコースでゴルフをしてる、昨日がその日だった、ここはゴルフ場の名前にもなっている東軽井沢、とは言え軽井沢ではない、軽井沢は言わずと知れた長野県、ここは群馬県、軽井沢の東に位置することから東軽井沢を名乗っても間違いではない、だが軽井沢の雰囲気は全くない、軽井沢は標高1,000メートルの高原地帯、ゴルフ場のある一帯は標高200メートル程であろうか?言うなれば軽井沢の麓の山の中に作られたコース、軽井沢のネームバリューに肖(あやか)って着けられたネームであろう、コースは悪くない、辺鄙な地(?)にありながらもお客さんは結構入っている、高速道路の松井田妙義インターからは20分ほどの距離にある、わが家からは一般道を走ってもおよそ1時間、私にはこの行き返りの道中さえ楽しい、途中に中山道の宿場町安中宿がある、行きは国...熱海俱楽部・東軽井沢ゴルフコース
9月中ごろ高校時代の同級生から一通のはがきが届いた、“妻が本を出版したから是非とも読んでほしい”という内容であった、早速発売日三日後の10月末近くの本屋に行った、取り寄せになるということで注文した、一週間ほどして手元に届いた、題名「天国とよばれた療養所」作者:ゆきや星(株)郁有社時代は大正期末期に始まる、偏見の最たるものがこの病気であった、この患者が親類縁者から出ようものなら秘密裏に療養所に送り込まれ縁さえ切られる者が多かったと聞く、当時癩(らい)病と言われて全国的に国家政策で隔離された患者の苦悩を描いた内容だった、内容からして明るく成りようのないのは仕方がない、それにしても読み進むのに苦労した、時代は大きく変わって昭和30年代最終章で主人公の男性患者が病を克服して結婚し子供も出来る、あるきっかけで金魚を...「天国とよばれた療養所」
2月に兄が亡くなったので喪中はがきを出さなければならない、これには多くのハードルがあった、手書きなどとても出来ない、パソコンでやらざる負えない、ところがパソコンが9月に故障したので修理に出してついでにOSをウィンドウズ10から11にアップロードしてもらった、そしたらこれまでに使っていた「筆ぐるめ」ソフトが使えなくなってしまった、止む無く最新版の「筆ぐるめ」を購入してインストールした、すべてがおっかなびっくりである、勿論今まで使っていた住所録は消え失せて新たに作らねばならない、幸い裏面は作られたフォームがあって亡くなった故人名と日にちを入れればいいようになっている、印刷の段になって失敗した、印刷ボタンを押すとなんと同じ人物宛のはがきが次から次へと出てくるではないか!枚数を指定する欄で“右の内容で1枚”とすべ...喪中はがき
11時ころスマホの着信音、“私このまま入院することになった”とカカ様の声、先日来咳が止まらないからと言って病院に出かけてから3時間ほどもたっていたであろう?取る物も取り合えず入院先のF市の総合病院に駆け付けた、幸か不幸かわが家では総合病院になど縁遠くて必需品を届けようにも手続きが複雑で四苦八苦、コロナ騒動以来特に厳しくなったんだとか、先ず受付で面会のための書類を書いて提出、病棟までの道筋もあちこちに扉があって一筋縄には進めない、病室に行くまでに2回も3回も立ち往生、エレベータに乗って到着した階でドアーが開かないと呆然としていたら反対側が開いてます、と教えられた、病棟前の自動ドアーの前では自動で開くものと待っていても一向に開く気配がない、たまたま来合わせた見舞客がインターホンで連絡しないと開かないと教えてく...突然のひとり暮らし
後期高齢者の領域に入って数年がたつ、毎日が日曜日の身の上だ、そんな日常で頭に浮かぶことの多くは過ぎ去りし日々の後悔や反省ばかり、悲しいかな未来を夢見ることなど少ない、今回も前回に引き続いて若かりし頃上った山の写真、北信に位置する妙高山、当時100名山の登頂を目指していた、妙高は100名山に含まれている、写真は妙高山山頂からはるか彼方に浮かぶ富士山の影を写したもの。妙高から美ヶ原方面(?)妙高山山頂にて
白菊とサルビア・ガラニチカ暇に任せてこんな遊びを思いついた、どちらも自宅の庭に咲いていた花、全くの自己流で“池の坊”ならぬ“でくの坊”を名乗っています、花器は友人の手製を頂いたもの。花遊び(2)
妙高高原惣滝ブログの更新が空いてしまった、少々焦りを感じて友人がLineグループに投稿した写真と記事に刺激され自分の写真を探した、14年前に妙高山に登った時に撮った写真である、登山の途中だったので時間の関係であまり近くまで行けなかったが見事な滝であった。惣滝
日本エッセイスト・クラブがベストエッセイ集と名付けられた本を世に出したのは1984年、出版元は文藝春秋社、前年に新聞や雑誌をはじめとする様々な出版物に掲載されたエッセイを厳選して年間ベストエッセイ集として本に纏めたもので20数年間続いた、将に珠玉の数々、様々な業界の人々がその名を連ねる、私は毎年暮れ頃に出版されるのを心待ちして買い求めた、先のパソコン不調でこの本を再読する機会を得た、追々紹介していきたいと思う、期待に副うものと思っている、2年目の本の中にこんな記事を見つけた、作者は黒柳徹子、タイトルは「テネシー・ウイリアムズに逢って」今でこそその名を耳にすることなどないが20世紀アメリカを代表する作家のひとりにその名を挙げてもいい劇作家であり詩人?黒柳はこの彼に逢った時のことを印象深く書いている、出会いは...テネシー・ウイリアムズの死
この美しい三重塔との出会いは偶然のような必然のような、、、、、と言うのは存在は知っていた、しかし現代建築と書いてあった、やはり三重塔となれば歴史を感じる建造物、それを必須条件のように感じていたのでここの三重塔への興味は一歩外でしかなかった、そんな感じで前回書いた高勝寺三重塔の写真撮影を終えての帰途国道50号線を走っていた、信号が赤に変わって停車した、広沢町の交差点だった、あれ?桐生市の三重塔はこの交差点から入って行くんじゃなかったかな、と急に思い出して曲がった、10分ほど走ったところにそのお寺さんはあった、曹洞宗廣澤山大雄院里山の麓に広い駐車場があり車を止めた、山門を潜って石段30段ほど登っていく、堂々とした立派な本堂だ、傾斜地に広がる寺内全域樹木に至るまで綺麗に整備されて心が洗われるようなお寺さんだ、先...曹洞宗廣澤山、大雄院
それはパソコンが壊れてブログが書けなかった10月初旬のこと、私は暇を持て余して写真撮影に出かけることに決めた、行く先をスマホの検索で“栃木県の三重塔”と音声検索した、すると栃木市にある岩船山高勝寺をはじめ他に2っほどの名前が出た、この寺に行くことに決めて9時ころ家を出た、ナビを使って高速道を走り途中の休憩も入れて2時間ほどでナビに案内する目的地付近にたどり着いた、そこは里山の淋しい町はずれって感じの曲がりくねった山道、舗装は剥がれてがたがた、道の両側から大きく成長した雑草が行く手を塞ぐ、どう考えてもこの先に寺などあるはずがないと判断して引き返すことにした、やや下って住民を見かけたので聞いてみた、なんとこの道を行けば寺はあるというのだ、私の経験から言えばこんな参道見たことない、これほど荒れ果てた山道は地元民...岩船山・高勝寺三重塔
3日前にインフルエンザの予防接種を受けた、途端に体調不良、体がだるい、頭も正常に機能しているのか心配、そんな中で翌日は運転免許の認知症機能検査を受けた、記憶を試す色々な絵を見せられてやや時間をおいてから先ほど見せた絵を覚えているだけ書きなさい、という問題、なんと16問中答えられたのは6問だけ、問題はほかにもあったので何とかなると思うが内心36点の及第点に及ばないのではないかと心配している、予防接種を受けて3日目の今日(11月1日)も咳は止まらない、頭はふらふらしてやる気が起きない、もう一つ厄介なことがある、排尿障害だ、もともと前立腺肥大で排尿に苦しみ薬を飲んでいるが益々ひどくなった、トイレに行っても出ないのだ、排尿の際の痛みに耐えながら長時間かけて用をたしている、こんな状態が何時まで続くことやら、情けない...インフルエンザの予防接種
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テッポウユリとキキョウわが家の玄関正面に3本のテッポウユリが咲いた、まるで三つ子の姉妹であるかのように背丈も咲き具合も等間隔に並んでいた、私にはそれぞれが庭にただ咲いているよりもっと人の目に触れるように❝私を花瓶に生けてほしい❞と訴えかけているように感じられた、そこで真ん中に立つ1本を切ってプランターに咲いたキキョウと合わせて活けてみた、花器も初めてのお披露目である、友人のセミ陶芸家Kさんが譲ってくれたもの、合わせて鑑賞してほしい。テッポウユリの思い
6月22日遂に始まったトランプの戦争、始まるべくして始まった戦争である、何故ならトランプには世界の混迷を鎮める気などさらさらない、プーチンがクリミヤの併合で味をしめ二匹目のどじょうを狙って始めたウクライナ侵略を見てもわかる様にトランプが大統領に就任当時❝私ならこの紛争を1週間で終わらせることが出来る❞と世界に向けて豪語してみせた、終わらせるどころか今では煽ってさえいるように見える、トランプには人々の苦しみも悲しみも全く見えてはいない、トランプにあるのは世界最強の権力を握っているのはプーチンでも習近平でもない自分であることを世界にアピールしたい自己顕示欲だけなのである、一方で中国はと言えば南シナ海一帯の領有権の拡大や台湾の併合などを匂わせて緊張を高めている、このような目に余る大国の横暴が世界の混迷を深めてい...世界三大空け者(トランプ、プーチン、習近平)
昨日ステージで歌った、埼玉県加須市にある総合レジャーランドむさしの村のステージである、今回で3回目オンステージ、ここで不思議な(?)出会いをした、列記としたキングレコード所属の歌手である、彼女の名は中田久美高崎市在住で高崎駅東口近くでカラオケスナックをやっているという、私が高崎から来てるということを知って私のテーブルに来て名刺を渡された、名刺には大きくキングレコードの名前が書かれてその下にアーティスト中田久美の名前とカラオケスナック「キング」の名前、電話番号が書かれてあった、馴染みのスナックが閉店して行き場をなくしていただけに❝渡りに船❞となりうるか?難点は駐車場が狭いということだ、彼女は同じ舞台で終わり際に自作の曲を熱唱した、男の声と聴き間違えるほどの低音だった。不思議な出会い
北本市のスナック「クイーン」店内風景ここ数日幾つかの出来事があった、8日(日曜日)AFC会のゴルフコンペに参加、11日(水曜日)2回目の俳句教室に参加、12日(木曜日)月一参加の北本市のカラオケ会14日(土曜日)新装開店のスナックに招待される、16日(月曜日)町内のシルバーゴルフ会のコンペに参加、17日(火曜日)スマホの機種変更、俳句教室に参加した件は前回書いたので今回は新装開店のスナックに招待された件について、馴染みのスナック❝はなぶさ❞が閉店したことは前に書いた、ここに集った十数名とは顔なじみとなり気の置けない会話や歌に日々の憂さを晴らしていただけにそんな場をなくして俺の心は路頭に彷徨っていた(?)北本市のカラオケ会は遠くてそうしばしばは行くことが出来ない、それを救ってくれたのは❝はなぶさ❞の手伝いを...数日の出来事
出かけることが少なくなってブログネタがない、行きつけのスナックが閉店になったのが大きくきいている、写真取りにも出かける気力がなくなった、では何をしてるかと言うと自宅で❝花遊び❞の時間が多い、今回は庭の片隅に置いて人目につきにくい発泡スチロールの中で咲いたカラーを活けてみた、純白で一茎一花のこの花は私の好きなタイプ、活けるには単純すぎるきらいはあるが合わせる花がなく仕方がない、そんな中で先日2回目の俳句教室に参加した、自作5句と前回提出した作品をみんなの分と纏めて一覧にしたプリントも一緒に持参した、授業はこのプリントされた62作の中から各自いいと思った5作を発表することから始まる、私の作は意外と評価が低い、選ばれることが少ないのだ、自信があっただけにいささかガッカリ、俳句感の違いであろう、これからこの違いを...俳句教室(2)
ユウゲショウとニワセキショウ、既にどちらも紹介したと思うけどどちらも野に咲く花であるが好きで鉢植えにしてある、両方とも花の直径は1センチ程の小さな花だ、最盛期は4月から5月にかけてだから今期はこれがなごりの花と言っていいだろう、昨日一輪挿しに挿してあれこれ見栄えのする形を探った、やっと収まりがついて写真に撮った、今朝布団に身を横たえたまま幾つかのライングループに写真を投稿した、反応は殆ど絵文字で返ってくる、そんな反応が楽しくてやっている。独り善がりの花遊び(3)
馴染みのスナックが店を閉じた、ショック!大ショック!!終の安らぎの場所と思って通っていただけに残念至極、ママの体調不良が原因である、思えば3年ほど前にこの店を知り多くのカラオケ仲間を得た、微に入り細に亘るこの店のママの気遣いは多くのファンを呼び早めに行かなければ満員御礼で入りきれない日もあった、自分のことなど多くは語らないが品のあるママであった、神経の行き届いたママであった、我儘な振舞をする客には容赦のない忠告が飛んだ、地域相場に応じた安い入店料、客への振舞にも限度がある、限度を補うかのように毎日お客が食べ物を持ち込んで皆に振舞った、心から寛げる店がなくなってまたしばらく心は彷徨う。馴染みのスナック
今年春先から花遊びに目覚めた、自宅の庭に次々と咲く花を思いのままに花器に挿してみる、これが意外と面白い、花を選び花器を選び背景も選ぶ、それをLineのグループに発信する、中には私と花との組み合わせが意外だと反応する者もいる、そんな反応も楽しい、今のところ花にも花器にもお金は一切かけていないし今後も書けるつもりはない、なにしろうわが流派は木偶の坊(でくのぼう)なのである。カラーとアヤメカラーとシオンユウゲショウ(夕化粧)アヤメとシオンとニワセキショウ「独り善がりの花遊び」
木曜日は週の真ん中、退屈を極めている、極端にやる気が起きない、何にもしたくない、満たされぬ思いばかりが増幅する、挙句の果てが生きることが億劫に感じる、楽しいはずのカラオケさえも気分が乗らない、ラインの投稿からも遠ざかっている、花を花ビンに飾ることさえ飽きてきた、朝から見てるのは大谷翔平の活躍ぶり、今週は月曜日にゴルフコンペがあった、町内のシニアーグループの集まりだ、上武カントリークラブ、各3人×3組小さなコンペ、高齢化で人数が揃わない、アウトコーススタートで前半50打でブービー、後半40打でトータル3位に躍進、やっぱり気分がいい、俺をライバル視する同い年の同伴競技者、前半はトップに立って饒舌だったけど俺が調子を上げてくるにつれて無口になってくる、他人のスコアーなど関係ないと思うけどこの手の御仁には他人のス...狭い世界に生きている
野の花矢車草に取りつかれている、見れば見るほど美しい、生けた花が枯れたのでまた採ってきてオオキンケイギクを加えて再び生けた、レースのカーテンを引いた窓辺に置くと得も言われぬ美しさと言うか気品に満ちた美しさを感じる、余った分は大きな花器にもペットボトルにも水耕栽培用の花器にも生けてみた、写真に撮っても撮り飽きない、縦に撮ったり横に撮ったり、こんなに美しく見えるのは何故だろう?アルバムに❝独りよがりの花遊び❞と言うタイトルをつけてフォルダーに収めた。美しき矢車草
オオキンケイギクと2色のヤグルマソウ春は花の季節、庭も野原も花で満ち溢れている、ここのところ連日散歩に出てる、1時間ほど近くの土手を歩いたり住宅街を歩いたり、春先の散歩の楽しみの一つに初めて見る花に出会うことだ、スマホで写真を撮る、検索機能で花の名前を調べる、昨日は住宅街の空き地でこんな花を見かけた、カラクサシュンギク(唐草春菊)と言う花だそうだ、また一つ花の知識が広がった、一方で忘れていく花の名前も少なくないのであろう、今日はこんな花との出会いがあった、カンパニュラ・ポルテンシュラギアナ、ベルフラワー、オトメギキョウ、と三種類の呼び名があるそうだ、一番上の写真は昨日朝の散歩で土手で見つけた花たちを夕方採取して活けてみた、オオキンケイギクとヤグルマソウ、自分としては結構気に入っているけど生け花を習ったわけ...独りよがりの花遊び
ヒルザキツキミソウ2回目の俳句教室に参加した、わが町の公民館主催の教室である、講師の先生がいて生徒は10人ほど、例外もなく高齢者である、授業内容やメンバー確認のために聴講のつもりで参加した前回ではあったが生徒の名簿から村上鬼城顕彰の全国俳句大会の作品募集の要綱までも渡されて是非にと誘われるままに入会を決意した、次回までに自作5句を作って持ってくるようにと言われていたので同級生の間で交換してきた作品5句を選んで持参した、(1)一輪の花こそゆかしスミレグサ(2)柵越えて向こうは基地の桜かな(3)旅の宿酒のつまみの蕗の薹(4)花ダイコン諸葛菜とは酒落臭い(5)落ち椿緑に埋もれてかくれんぼを幹事役に提出した、幹事役❝一応先生に見てもらったら❞と言うので見てもらった、先生つぶやくように❝いいですね、花まるですよ❞と...俳句教室
正式な呼び名は会津西街道、だがその雰囲気は裏街道と呼ぶ方が相応しく感じる、会津若松市と日光市を結んでいるこの街道はほぼ山の中を走る、この道中にある人気の観光地大内宿だ、友人とその友人の所有するトヨタの7人乗りワゴン車で朝5時に出発した、わが町から足尾経由で行く日光市までも同じように山の中に延びた田舎道である、日光までが全行程の凡そ中間点100キロ、休憩を入れても約2時間、普段は外人観光客で賑わう市内の通りも朝の7時では閑散として走りやすい、会津街道に入れば道はほぼ一直線で迷うこともないが日光市内の道はわからないのでナビを入れた、日光を過ぎたころ同乗者の一人がトイレの騒ぎを始めた、ここまで2回のトイレ休憩を入れたがそれでも予測がつかなかったようだ、幸い運動公園が通りの端にあり助かった、日光市を過ぎるとやがて...会津裏街道
カラスビシャク(烏柄杓)初めて目にした花である、山で見かけるマムシグサに似ているけど大きさや葉っぱが全く違う、マムシグサは5,60センチほどの草丈になるがこちらは20センチほど、葉っぱの形も着き方も違うので検索するとカラスビシャクとあった、名前も初めて聞く、サトイモ科の多年草、草丈は10~20cm花期は4~5月とあった、ユウゲショウ(夕化粧)朝も咲いているのに夕化粧、下手なダジャレでお許しを(ペコリ)この花雑草扱いするには忍びないほど品がある、ピンクの花を茎の先端に一輪だけ付ける様といい草丈30~50センチほどの大きさで一株ごとに纏まっている様子と言い鉢植えにして充分鑑賞に値する花だと思う、私は数株鉢植えにした。コマツヨイグサ(小待宵草)通称月見草の呼び名で知られているマツヨイグサだが花が同形でこれのスモ...散歩で見つけた花々
5月5日(月曜日)巷は大型連休の最終日撮りたい写真があって横浜の三渓園に行った、ここにある三重塔の映像だ、名称を旧燈明寺三重塔と言う、国の重要文化財に指定されていて建立は室町時代、今は廃寺となって存在しない京都の燈明寺の三重塔を大正期に移築したものだ、この日4時起きをして出かけた、遠出は早起きして出かけるに限る、首都高速から湾岸線を走って横浜の大黒ふ頭パーキングに7時頃着いた、関連施設は開店前だがすでに人で賑わっていた、時間調整をして三渓園には8時頃着いた、開園は9時だが駐車場の一番客だった、園内に入って目に飛び込んできたのが上の写真、手漕ぎの船がいい味を出している、池の睡蓮も満開だ、白一色が味気ない、ここの見ものの一つは各地から移築された純和風の建物群、桂離宮を彷彿とさせる、池を配して山の斜面のあちこち...三渓園
朝6時散歩に出かけた、いつもなら土手を歩くのだがこの時期は道沿いの庭に咲く花をのぞき見するのが楽しくてコースを変えた、多く目につくのがアヤメの類、なかでも目立つジャーマンアイリス、白色と紫がかった茶色、黄色い花もある、畑の脇に植えられたダッチアイリスは薄い紫色、ジャーマンアイリスに比べて花がやや小振り、いずれの名前も検索の結果だ、町はずれの川沿いに芭蕉の句碑がたっている、句碑の文字は読めないが解説板には❝むすぶよりはや歯にひびく泉哉❞と書いてあるらしい、湧き出る清水がよほど冷たかったのであろう、更に町を分断するように東西に延びる旧中山道を東に歩く、わが町は中山道の江戸から数えて11番目の宿場町、新町宿である、東のはずれは神流川を境に武蔵国との国境がある、ここにも芭蕉の句碑が建っている、これも文字は読めない...芭蕉句碑
4月の朝夜来の雨もあがって日の出前の空気は宝石のように輝いて外に出るのを誘っている、着替えて外にでた、玄関脇には雨に落された落ち椿の花群れ、❝さぁ~拾え❞と私を挑発する、この時期朝の仕事は椿の花拾い、庭の一角に野生化したオキザリスが緑の絨毯をなしている、なかにはこの絨毯に埋もれてかくれんぼしているかのような花もあった、そこで出来た一句、❝落ち椿緑に埋もれてかくれんぼ❞落ち椿の花は厄介だ、ほっとけばすぐにバラバラになる、花びらばかりか額片までも簡単に分散する、一日片付けなければ花びらを踏まずに玄関に近づけない、朝の貴重な時間を落ち椿の花拾いに奪われてしまう、季節を感じながらの仕事とはいえ半月ほども続くと恨めしくなる。落ち椿
アネモネご祝儀をもらった、何のご祝儀?と聞いてくれるなら自慢話になるが答えよう、昨日(4月19日)行きつけのカラオケスナックHに行った、11時半の開店直後に行ったけど既に常連の先客が5人ほどいた、行くと飲み物のつまみ程度の軽食がでる、雑談しながら食べ終えたところでカラオケが始まる、客の大半は顔見知りのじいちゃんばあちゃん、なかには名字は違うけど同じペアー出来て夫婦であるかのように振舞う組もある、添えない悩みを晴らしているのかもしれない、老いたりと言えどそれぞれに悩みを抱えていることを知る、それぞれが独り身となって暮らしを楽しむペアーもあろう、ここでは深い詮索は禁物、そうこうする内に人数も増えて14,5人を数えるようになる、この日歌った歌、かあちゃんの浜唄(福田こうへい)酒と泪と男と女(河島英吾)大阪しぐれ...ご祝儀
ご存じ今を盛りと咲き誇る花ダイコンである、ダイコン花とも言う、ところがこの花には更に別名がある、諸葛菜とも言うらしい、そこで1句思いついた、花ダイコン諸葛菜とは酒落臭い野菜の中でも最も平凡な部類と言ってもいいダイコンの名を持つ花に世界史にその名を記す諸葛孔明の名が付けられているとは!なんともこの落差は捨て置けない。諸葛菜(ショカッサイ)
いま写真にある本を読んでいる、「利休にたずねよ」著者:山本兼一出版:PHP研究所それも布団の上で目覚めた直後から目が疲れて読めなくなる頃までのわずか3~40分ほどの間、この本は4,5年前に買ってからその直後1度読んだ、だが当然ながら茶道で使われる言葉の意味など分からないものがあまりに多く内容など殆ど理解出来ていない、それをまた読みたくなって読み直している、もともと読書は根気がなくてあまり好きでない私ではあるが本のタイトル利休に惹かれて買い求めた、❝茶❞など全く無縁の世界ではあるが利休には大変興味がある、利休の❝美感❞と言うか❝わび、さび❞を具現した利休の世界を少しでも感じたくて興味が湧くのである、そこにこそ伝統的な日本の美の神髄が潜んでいるように感じている、本の内容はご存じ利休は秀吉によって死を命じられ果...わが読書
通販大手のジャパネット・タカタが販売しているMIRAIsupeakerと言う名のスピーカーを買った、正確にはカカ様が買ってくれた、テレビドラマの会話が聞き取れず私がやたら大音量にするのにたまりかねて彼女が彼女の小遣いで買ってくれた、私はテレビコマーシャルの段階であまり期待していなかった、ところが取り付けてみると具合がいい!聞き取りにくくなる前の状態で聞き取れる、テレビに関して耳の不自由になった同輩諸君これ意外といいよ。MIRAIspeaker
「母ちゃんの浜唄」今この歌に嵌っている、明けても暮れてもこの歌が唇を突く、❝夜がしらじら明けるころ姉さんかぶりで浜仕事投げ捨てられたイワシを拾い背中丸めて指で割く小イワシわ~いらんかね~七日経ったらタイになるよ~夢で~母ちゃんの声が~聞こえるよ~❞元歌は民謡歌手(?)の福田こうへいが歌っている、だが私には声が高すぎて歌えない、そこでインターネットのユーチューブで色々な歌い手がカバーしているのを聞く中で探していたら市川由紀乃がギター演奏をバックに歌う音程が一番合う、そういう訳でネットを介して市川由紀乃と毎日デュエットしている。「母ちゃんの浜唄」
カカ様が友人からカサブランカを一株貰ってきた、そしてそれを活けるのに四苦八苦していた、小さな花瓶だと安定性に欠ける、大きな花瓶だと真っすぐに立っていない、そこで私が小さな花瓶に入れて花瓶ごと大きな花瓶に入れたらと提案した、見てくれはイマイチだけれど花と花瓶のバランスも取れて何とか収まった、右側の花の中に見える茶色のヤクは取った方が汚れないし長持ちもすると言うので取った。カサブランカ
我らが写真グループ「風の会」の作品展が始まった、変遷を繰り返し「風の会」になってからは12回目の作品展、道の駅に併殺された「花の交流館」と言う名の会場で18日~24日まで1週間開催される、出足好調、開催2日目に群馬地方新聞社の記者が取材に来てくれた、翌日の新聞に写真付きで載ってたらしく客足急増、客足のカウントはしてないので正確な数は不明だが1日当たりの入場者数はほぼ100人を超えているように思う、私の知人が例年にも増して来てくれる、カラオケの仲間、歌声の仲間、カカ様の友人も連れ添って来てくれた、有難いことだ、写真遊びもそろそろ辞め時か等と思う事もあるがそれどころではなくなった、今回出展した私の作品4点一般に~城と言うと本丸を意味する天守閣を指すがそれは多くの写真に撮られているのでそこは避けて物資の貯蔵庫で...写真展始まる
高山社とは?10年ほど前に世界遺産に認定された富岡製紙群の一角をなす教育機関でその建物が群馬県藤岡市の高山にある、その跡地がライトアップされていると聞いて行ってみた、昨年から(?)藤岡市では新しい名所を作ろうと世界遺産の高山社のライトアップを始めたらしいがイマイチ盛り上がりに欠けている、試みとしては大いに歓迎だがなんと言っても投資が中途半端、印象に残る❝美❞を作り出せていない、敷地内の竹林をライトアップしたり、石垣をライトアップしたりしているがいずれも規模が小さくて何の印象も残らない、建物の主体となる母屋も今は解体されてブルーシートに覆われている、案内役の係員も3名しかいないし見物客もチラホラで寂しい限り、折角やるからには本気で資本を投資して客を呼べるポイントにしてほしい。高山社のライトアップ
6月16日(日曜日)いつもの老々男女4人を乗せて新潟県魚沼地方のドライブに出かけた、車中の会話を楽しみながら取り敢えずの目的地に定めたのが①清津峡②美人林③星峠の棚田に決めた、7時高崎を出発、関越高速を新潟方面に向かって走る、運転するのは最高齢の私だ、何故ならここでは一番の運転好きと言う事になっているから、関越トンネルを抜けると間もなく塩沢石打インター、一般道路に下りて走ること40分ほどで清津峡に到着、入場料(?):1,000円を徴収されて遊歩道トンネルを1キロメートル程を歩く、最終地点は直角に曲がってそこには半円のトンネルを抜けた峡谷の景色と鏡面となった地面が広がっていた、効果抜群の演出だ、最近この景色はテレビでも良く取り上げられているので外国人客も少なくない、様々に写真を撮ってUターン、次の目的地魚沼...清津峡
歌に惚れこんでしまうことが有る、今まさにその状態、歌えるようになりたいと練習を繰り返すうち歌にのめり込む、詩の内容がズンズン心に沁みてくる、今練習している歌「津軽慕情」(1)北へ流れるあの雲は津軽のずらでゆきになる俺の分まで働き終えて親父今頃囲炉裏酒あああ~帰りたい帰れない酔えば恋しいいや~~~いふる里が最後の一節いや~~~いは高音で民謡調に伸ばすここがたまらなくいい、だが残念ながら俺には元歌ではキーが高すぎて歌えないのでー2で歌っている、元歌は民謡歌手だと言う山本謙司早く酔うほどに歌ってみたいものだ。歌に惚れる
日本の原風景よく聞く言葉ではあるが何を以って原風景などと表現するのか分からない、だが私にはこの水田の風景こそが原風景と呼ぶに相応しいと思える、原始弥生時代から日本人は農耕を生業に暮らしてきたと聞く、ならばこの稲作風景こそが原風景なのではなかろうか?私にとっても紛れもなく原風景である、九州の稲作農家の家庭に育った、早苗田の風景に出くわすと思わず見入ってしまう、上の写真は先日ゴルフに行く途中目にした、遅れるのも厭わず車をバックさせてスマホで撮影した、撮らなければ後悔する気がしたから。日本の原風景
日本の原風景よく聞く言葉ではあるが何を以って原風景などと表現するのか分からない、だが私にはこの水田の風景こそが原風景と呼ぶに相応しいと思える、原始弥生時代から日本人は農耕を生業に暮らしてきたと聞く、ならばこの稲作風景こそが原風景なのではなかろうか?私にとっても紛れもなく原風景である、九州の稲作農家の家庭に育った、早苗田の風景に出くわすと思わず見入ってしまう、上の写真は先日ゴルフに行く途中目にした、遅れるのも厭わず車をバックさせてスマホで撮影した、撮らなければ後悔する気がしたから。日本の原風景
山に登った、久しぶりの登山、当地で(高崎、前橋)で山と言えば赤城山を指すことが多い、それほど赤城山は親しみやすい、関東平野の北端に位置して東西に長く裾野を広げ一際(ひときわ)目立つことから親しまれるのであろう、連れはいつもの山仲間2人、7時半に出発、1時間ほど走れば赤城の最高峰黒檜山の登山口、標高1,400メートル程にある大沼のほとりに車を停めて歩き始めたのがちょうど9時頃、アクセスもいい人気の山だから登山者も多い、殆どの登山者が我々を追い抜いていく、ゴツゴツした花崗岩の登山道を一歩一歩足元を確かめながら登る、標高差400メートルほどの全行程が直登、(頂上に向かってまっすぎに登って行くと言う意味)なだらかな巻き道などない、案内標識では頂上まで80分のコースだが我々は2時間かけて登った、黒檜岳山頂は標高1,...誤算
数日前朝の散歩に中山道の旧道を歩いていた、わが町は川を隔てて隣は埼玉県、県境の神流川の橋を渡って500メートルほど歩いた所に新町八坂神社と言う小さな社(やしろ)がある、社殿は数回の移転を余儀なくされてかなり縮小されている、この境内の中山道沿いに芭蕉の句碑が建っている、句碑の文字は読み取ることは出来ないが脇に立てられた案内によると「傘(からかさ)におしわけ見たる柳かな」と刻まれているということだ、いつもはここで立ち止まることなど無く通り過ぎるのだがこの日は気になってまず神社の参拝した、それから句の説明や句碑が建てられて経緯などを書いた案内板を読んだ、読み進むうちに自分がなんとなく文化人になった気分になるのが不思議だ、わが町の往来で見かける数少ない文化財に触れた散歩であった。芭蕉句碑
高校の同級生Hさん、地元でケーキ屋のオーナーと聞いている、昔から頭の回転が良くて小奇麗である、数年前にHさんの提案でラインのグループを結成した、名付けて「やすらぎ」故郷とそれぞれの居住地との情報交換、後期高齢者となった今日病気の話題がよく出る、孫の話題、旅行の話題、食べる話題に続いて花の話題も登場する、いつも話題の中心にいるHさんが花の話題になるとなりを潜める、そこで私は聞いた、❝Hさん花の話題になると投稿がないね?❞Hさん曰く❝花はあまり好きではないのだから私は知らないの❞これは意外だった、見目麗しき彼女の口から花は好きではない、等という言葉を聞こうとは!男なら無関心であることに違和感はない、だから話題に上ることなどない、花の好きな私など例外中の例外、私は軽いショックを受けた、そして彼女が何故花を好きで...花の中の華
昨日(6月3日)用事が有って公民館に行った、仕事の始まる9時前の時間だった、カウンター脇で職員が花を活けていた、ユリとガーベラ、緑色の葉っぱの名前は知らない、奇麗なので眺めているとチドリソウを加えてみて顔馴染の職員が私に聞いた、❝これを加えた方がいいですかねえ❞❝あったほうがいいよ❞と答えた、だが彼女は加えない方を選択した、2つの画像を比べてみるとやはり彼女の選択通りチドリソウのない画像の方がスッキリしていい。ユリとガーベラとチドリソウ
庭の片隅の目立たないところでカラーの花が咲いたので切り取って花瓶に挿した、生け花の知識などない、折角咲いたのだからと目立つようにしただけで序でにヒエンソウ(飛燕草)を添えてみた、こんな作業が面白い、それなりに頭を使う、花と鉢とのバランス、色のバランス、形のバランス、バランスこそ美しさの決め手かもしれない。カラーの花
「婆ちゃん達のカラオケクラブ」これは私が勝手に付けた通称である、町の文化協会に登録されたクラブ名は「秋桜カラオケクラブ」(仮称)嘗ては30名以上の会員を擁していた、それが今や押し寄せる高齢化の波にもまれて13名、実質6,7名の❝よぼよぼ❞集団になってしまった、必然的に自由に動くことのできる私はさながら機械の操作を兼ねたヘルパーさん、男性は私の他にもう一人高齢のメンバーがいる、先日みんなでカラオケハウスに行った時のことあるお婆さんが歌と騒音渦巻くどさくさ紛れに私の耳元でこんなことを言った、❝私ね田舎育ちで親の言うまま何も知らないで生きてきたの、恋愛経験もないのが一番さびしい、今は一人暮らしで何の制約もないのでもっと大きく自由に生きたいの、あつい恋愛だってしてみたい❞だって、、、、、勿論彼女には独立した息子や...婆ちゃん達のカラオケクラブ
久しぶりに散歩に出かけた、早朝4時半、やっと明るくなり始めた時間帯だ、やたら早く目が覚める、数日前布団に身を横たえたままこの時間帯にラインの身内グループに浜名湖までドライブを兼ねてウナギを食べに行ったと言う内容で投稿したらすかさず息子から返信があった、❝それはケッコウだが着信音が眠りを妨げる、この時間帯の投稿はよしてくれ❞と言うものだった、なるほどねぇ、人によりけりだろうけど着信となると確かめたくなるのが人情と言うものかもしれない、と思って反省した。着信音
大井川に架かる蓬莱橋の写真を撮りに行った、それは静岡県島田市にある、浜名湖からの帰りに寄ることにした、前々から写真に撮りたいと思っていた、東名高速を掛川インターで下りて国道1号線を東京方面に向かって走ること1時間ほどの所にそれは有った、案内によると蓬莱橋は全長:897メートル、幅:2,4メートル木造の橋では世界最長でギネスブックに登録されている、作られたのは明治12年、対岸の牧之原台地を開拓するために架けられた。蓬莱橋(ほうらいばし)
前々から友人Kさんから浜名湖のウナギを食いに行きたいねえ、と言う提案を受けていた、彼は遊びで遠出したい時には私に言ってくる、職人気質で仕事一筋遊びを知らない、だから道路事情に疎い、奥方の存命の時代からそれは続いていた、その申し出が先日(5月17日)実現した、彼の所有するトヨタ車のノア7人乗りにわが家のカカ様とその友人を含めた計4人早朝6時に出かけた、運転は専ら私、近くの上里簡易インターから関越高速道に乗った、浜名湖までは凡そ320キロ程の距離、通常に走れば3時間から3時間半程だが全員若くない、充分な休憩を要する年代だ、圏央道に入ってから狭山パーキングで休憩、東名高速道に入ってから箱根で休憩、持参のおにぎりを全員で頬張る、箱根からは新東名高速道に進路を取った、都市部を通る東名高速に比べて交通量が少ない、天気...浜名湖のウナギ
ゴルフに行った、高崎太平洋クラブでの恒例のコンペ、参加者は少なくて13名、いつものメンバーでノブさんとハミちゃんの3人で1組目にスタートした、天気は曇りでちょうどいい、スタートのテイーショットを打ってグッドショットとなった時点で手ごたえを感じた、1番ホールはボギーとなったが2番ホールでパーが取れた、3番ホールはバンカーにつかまりダボ、4番ホールボギーの後5番ホールのパー5で久しぶりにバーデイーが取れた、テイーショットが殆どフェアーウエイをキープしているのが好調さを物語る、6番ホールのパー3でもニアピンの旗に名前を記入してあわや連続バーデイーかと思ったがパーに終わった、その後の3ホールはボギーに終わって前半は42打、上出来、満足、ところが好調は長くは続かなかった、後半の11番ホールでテイーショットをOB、ト...幸運は突然やってくる
友人のKさんがムギコスモス(麦秋桜)を持ってきてくれた、昨日Kさんを夕食に招待した、彼は自分で栽培している花を持ってきてわが家のカカ様を喜ばせてくれる、花瓶もKさんが作った作品、サイズを熟知しているので持ってくる花に余分も不足もない、言ってみれば活けた花は器から花までKさんの作品だ、彼はこのブログに何回も登場しているがひとり暮らし、不治の病を抱えていると言う事がなんとも切ない、おまけに娘は遠方で所帯を持っている、わが家とは古い付き合いだからあまり神経は使わない、❝夕食に招待❞と言っても特別なもので饗応する訳ではない、わが家で普段食べている食事の量を増やして一緒に食事するだけだ、彼は口八丁手八丁友人も少なくないしやることは色々あって退屈しているようには見えない、次回の招待ではどんな花を持ってきてくれるか今か...不治の病