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気楽に語らう⭐︎創価学会非活のブログ⭐︎ https://watabeshinjun.hatenablog.com/

元創価学会活動家から非活になり、現在は退会した信徒が、創価学会や日蓮正宗、また顕正会等の大石寺系教団の問題点を語ります。

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2022/08/06

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  • 『三大秘法抄』は日蓮の著作ではない。

    いつもみなさん、ありがとうございます。 さて今回は『三大秘法禀承事』(『三大秘法抄』)が偽書である点についてです。 同抄『三大秘法抄』は顕正会が依拠とする日蓮遺文として有名です。 内容として三大秘法のうち、本門の戒壇建立の条件が具体的に説かれ、また日蓮が釈迦からの「口決相承」を強調するという、日蓮真蹟にほとんど見られない珍しい内容となっています。 『三大秘法抄』に真蹟は現存せず、中山の久遠成院日親の嘉吉2年8月の写本が京都本法寺に存在します。また身延山久遠寺の日進の写本も存在するようです。しかしながらこの御書は日蓮門流中、真偽論争が散々に行われてきた御書の一つです。 個人的にこの『三大秘法抄』…

  • 日興は五老僧の本尊書写に異論を唱えてはいない。

    いつもみなさん、ありがとうございます。 さて日蓮正宗、大石寺系教団の教えでは本尊書写について「唯授一人」「付弟一人」「金口相承」等と称して、一人から一人に受け継がれるものと考えられているようです。 しかしこれは後世に作られた化儀に過ぎません。 京都要法寺の開基、日尊の発言を記録した『尊師実録』(正本は京都要法寺蔵)によれば、次のように書かれています。 「一本尊書写ノ事 尊仰云、大聖人御遷化之刻、六人老僧面面ニ書写之給ヘリ、然無異議」 (日大『尊師実録』、『日蓮宗宗学全書』2-418ページ) ここでは「日尊の仰せによれば、大聖人が入滅された後、六老僧たちがそれぞれ曼荼羅本尊の書写をしたが、誰から…

  • 桂冠詩人のこと。

    いつもみなさん、ありがとうございます。 さて今回は「桂冠詩人」についてです。 池田大作氏は生前、詩を書いては聖教新聞紙上で紹介し、会員信徒の激励を行っていました。その際、文末には大抵「桂冠詩人」「世界桂冠詩人」「世界民衆詩人」という称号を付けていました。 ところで「桂冠詩人」とは本来中世ヨーロッパで始まったもので、有名なのはイギリス王室から贈られる「桂冠詩人」です。有名な桂冠詩人を挙げるならウィリアム・ワーズワース、ジョン・ドライデン、ベン・ジョンソン、ジョン・メイスフィールドなどがいます。 ところが、池田大作氏が贈られた「桂冠詩人」等の称号はイギリス王室から贈られたものではありません。私的な…

  • 意味を失くした人生。

    いつもみなさん、ありがとうございます。 私は広宣部出身ですが、非活から退会を選んだ後も私は学ぶことをやめませんでした。ただ才能がないので、文献を集めながら亀の歩みのように少しずつ文献を読んでは確認するだけでした。 「継続は力」 https://watabeshinjun.hatenablog.com/entry/2023/05/04/091245 「大石寺系・宗教間の苦悩」 https://watabeshinjun.hatenablog.com/entry/2021/12/20/000000 私はただ本当のことを知りたかったのです。 私の母は大石寺・創価系の宗教間対立から家族と断絶になり、祖…

  • 『本尊得意抄副書』と『常修院本尊聖教事』との間の矛盾。

    いつもみなさん、ありがとうございます。 さて昨日、『二箇相承』の矛盾について書いてみました。 「『二箇相承』の矛盾」 https://watabeshinjun.hatenablog.com/entry/2023/12/10/100511 ところで、日蓮正宗の信徒は頭から『二箇相承』の実在を信じ込み、こちらの批判を受け入れられない方が一定数存在します。 そんな方の中には日蓮正宗側の説明を検証もなく受け入れ、頑なに批判を否定することしかできない人たちが少なからずいます。 そんな人の批判に以下のようなものがあります。 「徳治三年九月二十八日、日頂の『本尊抄得意抄添書』に『興上人一期弘法の付嘱をうけ…

  • 『二箇相承』の矛盾。

    いつもみなさん、ありがとうございます。 さて今回は『二箇相承』の相承の日付、その記録についてです。 大石寺が日蓮から日興のみに唯一の血脈相伝がなされたとされる証拠として確かなものは全く残されていません。日蓮真蹟が一つもないのです。それ故に大石寺の主張する血脈相伝は史実としての信用性が低いのです。 『二箇相承』は『一期弘法抄』『身延山付属書』の二つから成りますが、それぞれの写本における日付は弘安5年(1282年)の「9月 日」と「10月13日」です。『一期弘法抄』の写本には「9月」のみで日付は記されていません。 ところが、これらの日付に日蓮から日興への付属があったとされる記録は大石寺には全く存在…

  • 萬福寺の伝承。

    いつもみなさん、ありがとうございます。 さて東京都大田区の馬込に、曹洞宗の寺院で萬福寺という寺があることをみなさんはご存知でしょうか。 この萬福寺の伝承を少し書いてみたいと思います。 弘安5年(1282年)9月18日の夜のことです。病のため身延を出て常陸国に湯治に向かう日蓮は、大田区の池上宗仲邸(現在の池上本門寺)に行くことになるのですが、馬込のあたりで日蓮は病身と疲れのため、動けなくなってしまいます。 馬込にはこの時、阿弥陀堂が存在していました。日蓮の一行は阿弥陀堂に一夜の宿を求め、寺の住持もこれを受け入れたのだそうです。 池上邸は馬込の阿弥陀堂からは近い距離にありましたが、病身の日蓮には夜…

  • 池田大作とノリエガ氏との会見。

    いつもみなさん、ありがとうございます。 さて池田大作氏は数々の世界的な政治家と会っていますが、その中に「パナマの麻薬王」と言われたマヌエル・ノリエガ氏がいます。 「池田氏とノリエガ氏との交友」 https://watabeshinjun.hatenablog.com/entry/2018/05/28/000000 「創価学会年表に記録されたノリエガ氏との会見」 https://watabeshinjun.hatenablog.com/entry/2021/12/05/000000 池田大作氏がノリエガ氏と会見したことは事実なのに、彼が麻薬王として有罪になると途端にノリエガ氏との会見はタブーにな…

  • 白馬に乗って閲兵を行った戸田城聖。

    いつもみなさん、ありがとうございます。 戸田城聖氏は創価学会の第2代目の会長に就任するのですが、彼が戦後再構築した創価学会組織は、先代の牧口常三郎が作ったものとはかなり変わりました。 戸田城聖が構築したのは軍隊風の組織名です。青年部の各部は部隊名で呼ばれ、「第1部隊長」「第2部隊長」等と呼ばれていました。ちなみに私の父はかつて青年部時代、石田幸四郎(元公明党委員長)氏が部隊長を務める「第47部隊」に所属していました。 また青年部には軍隊風の名前の組織がたくさん作られました。参謀室、主任参謀、輸送班、等々です。そもそも軍楽隊が作られ、初代の音楽隊長は有島重武氏です。有島重武氏と私の父は面識があり…

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