仙台市太白区西部。秋保温泉として知られる地域を収めた国人領主がいた。秋保氏のルーツは、平清盛の子・重盛(小松内府)を祖とする平長基だという。平安末期の壇ノ浦の戦い(1185年4月)に敗れた平家一族の残党で、秋保郷に落ち延びて祖となったと伝わる。
粟野氏~名取郡北方三十三郷之旗頭~ 伊達氏が進出する以前、仙台地域には留守氏(後の水沢伊達家)、国分氏などの国人領主たちがいた。粟野氏は南北朝・室町時代より名取郡北方を拠点にした国人領主の一人ということになる。 ブログで紹介したように史料は少なく謎が多い一族だが、仙台の中世史には...
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■伊達家中に取り込まれた粟野氏 天文の乱の時代、名取郡北方の粟野氏は依然として独立性を保っていた。伊達氏の完全な家臣とはなっておらず、独自の家臣団を持っていたようだ(家臣団については後述)。 こうした状況で、当主は粟野遠江守長国から粟野大膳亮宗国に引き継がれた。 粟野大膳亮宗国(...
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■仙台地域における粟野氏の足跡(南北朝・室町時代) 「藤原姓粟野家譜」によると、粟野氏は康永2年(1343年)に名取郡茂ヶ崎城に移住したとされている。北朝方・足利尊氏に与し、その戦功で名取郡に2000貫を得たことによる。それから5代にわたり茂ヶ崎城は粟野氏の居城となった。 粟野大...
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■宮城・仙台で栄えた謎の戦国武将たち ※本稿は、2010年8月に自身が投稿したブログ記事を一部修正・加筆したものです。 仙台といえば、伊達政宗ーー。そう答える人はとても多い。仙台の歴史を語る上で伊達政宗の存在は欠かすことはできない。 伊達政宗肖像画(画像= / 東福寺塔中霊源院 ...
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