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2022/03/03

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  • 花嫁の秘密 329

    いま僕はどんな顔をしているのだろう。 顔から血の気が失せているのを感じていたが、下手な動きを見せればエリックに追及されてしまう。もちろん黙っているのは無理だと最初から分かっていた。けど、もう少し待てなかったのか?僕が喋りたくなるタイミングまで。 エリックはなぜ何でも知りたがるのだろうか。どうせもう知っているくせに、なぜ僕にわざわざ尋ねる? サミーはゆっくりと息を吐き出した。弱さは見せたくない。 「ここへ来た理由はわからない。会っていないからな」それ以上言うべき言葉はない。 「対応したのはプラットか?」エリックは何も聞き逃すものかといった鋭い目つきで睨んでくる。かろうじて、なぜ会わなかったと訊かないだけの良識はあったか。 「プラット以外に対応できる者はいないよ」主人が不在のこの屋敷には、最低限の使用人しか置いていない。僕もエリックも従者を必要としないので余..

  • 花嫁の秘密 328

    エリックはいつも通り上品な仕草でティーカップに口をつけるサミーを正面に見据え、ベーコンのキッシュにかぶりついた。 腹が減っている上、腹も立っている。サミーのように上品ぶってられるか。 プラットはものの一〇分ほどで、居間のティーテーブルに望みのものを用意してくれた。サミーは昼食を取っていない。おそらくいつ声を掛けられてもいいように準備していたのだろう。 サミーは窓の外を見るばかりで、紅茶は飲んでも食事には手をつけようとはしない。雨粒を見ながら何を思っているのか。 サミーはマーカス・ウェストのことを言わないつもりだろうか? デレクとの確執よりも言いたくない過去があるのは知っている。もちろんすべてではないが、ウェストがどういう人間かはわかっている。父親に虐待されていたサミーにとって、ウェストは唯一の救いだったに違いない。 ウェストはなぜサミーに会いに?まったく..

  • 花嫁の秘密 327

    サミーは途方に暮れていた。 朝起きて、エリックと朝食を食べたところまでは平穏そのものだった。けれどもいま同じ場所に座って見えるのは、数時間前にプラットが用意した手つかずのままのティーセット。干からびて反り返ったサンドイッチ、熱々だった紅茶はすっかり冷めて飲めたものではないだろう。 マーカスはいったい何しにここへ?金の無心?それともあの時突然姿を消した理由をいまさら話してくれるとか?父に追い出されたからだとずっと思っていたけど、そうではなかった可能性もあることに最近気づいた。なぜならマーカスはエリックとまったく違うからだ。 せめていまどんな姿をしているのか見ておくべきだった。そうすれば彼の魂胆も容易に想像できただろう。それなのに、たかが名刺に書かれた名前を見ただけで、無力な子供のように怯えて馬鹿みたいだ。 けど彼はなぜ肩書も書かれていない名刺を?いまは何をしているのだろう..

  • 花嫁の秘密 326

    用を済ませたエリックは通りに出て曇り空を見上げ、このまままっすぐに帰宅するか、少し寄り道をするか束の間考えを巡らせた。もうたいしてすることもないが、少し先回りして手を打っておくのも悪くない。けど、空を見るにひと雨来そうだ。となると、ここは予定通り何もせずにおくのがいいだろう。 エリックはコートの襟を立てた。手に持ったチョコレートを大事に抱え、家路を急ぐ。タナーはいい仕事をしてくれた。タナーの指示でチョコレートを買いに行った下僕も。 メリッサの所にも届けるように言っておいたから、少しは機嫌を直してくれるだろう。サミーの手前ノーとは言わなかったが、本当は人前に出るのは嫌だったはずだ。けどこの仕事を引き受けてよかったと必ず思う時が来る。あのまま田舎にいたらきっとボロボロになって、学校を開くどころじゃなくなっていただろう。 だがあいつが素直に感謝するかどうか。オークロイドの方も何..

  • 花嫁の秘密 325

    “公爵のチョコ”ってなんだろう。きっと<デュ・メテル>のチョコレートのことだろうけど、人気なのは御用達だからなのか。 ゆっくり過ごそうと言っていたエリックは出掛けてしまった。彼はじっとしておけない性分なんだろうけど、本当によく動く。家には着替えでも取りに行ったのだろうか。いや、それなら持って来させれば済むことだし、別の用で出掛けたのだろう。それに家に戻るとも限らない。 慎重にドアをノックする音が聞こえ、プラットが静かに部屋に入ってきた。顔には出ていないが、きっとエリックとの関係を訝しんでいるに違いない。 「プラット、熱い紅茶も頼んでいいかな」プラットが余計なことを口にしないのはわかっているけど、何か言われる前に口を開かずにはいられなかった。 「はい。只今ご用意しております」 プラットは出来る男だが、あまりに気が利き過ぎている。「エリックが用意しろって?」 ..

  • 花嫁の秘密 324

    「満足したか?」 ん?と、何のことだと、ソファでまどろむサミーは無防備な顔をエリックに向ける。 腹がいっぱいになった途端こうだ。俺の事を給仕係か何かだとしか思っていないらしい。 「君の言うように、自分の家を持つのもいいかもしれない」サミーがぽつりと言う。数日前突如エリックによって投げかけられた課題は、サミーの新しい悩みとなっていた。 もちろんエリックもサミーの心の動きには気づいている。そうなるようにエリック自身が仕向けたからだ。けれども、サミーにのめり込むうちに、この思いつきはあまりいい考えではないような気がしてきていた。 「お前がそうしたいならいくらでも手伝ってやる」ゆったりと椅子の背に身体を預け、サミーの乱れたままの髪を見て頬を緩ませる。人に髪を切れと言うわりに、サミーの髪もなかなかの無法地帯だ。 「もう適当な住まいを見つけたんじゃないのか?」 ..

  • 花嫁の秘密 323

    カーテンの隙間から日が漏れている。 サミーは重たい瞼を何とか持ち上げた。どうやら眠っていたようだが、いまは朝なのか昼なのか、部屋は暗いままでよくわからない。 身体を起こす気にもなれず、手を伸ばしてベッドを探るが、そこにエリックはいなかった。もうどこかへ出掛けたのだろうか。 のんびり過ごすとはなんだったのか。昨日あれだけしておいて、よく朝から動けるものだ。僕は何もする気が起きないっていうのに。 喉の渇きと空腹を覚え、サミーは諦めて上掛けから這い出た。 「起きたのか?」 足元の方へ顔を向けると、ソファの向こうでエリックが腰をかがめて何かしていた。 「そこで何してる?」 「火を大きくしている」エリックは火かき棒を手に振り向いた。「朝食は部屋に持ってくるように言っておいたから、もう少し待ってろ」 ということは、まだかろうじて朝ってことか。「まるで既..

  • 花嫁の秘密 322

    サミーの背中の傷を愛おしく思っているのは自分だけだと、エリックは自負している。『醜いだろう?』と傷ついた表情でそう言ったサミーに、そんなことはないと慰めの言葉を掛けなかったのは、そうされるのをサミーが嫌うと知っていたから。 けれどもその代わりに、サミーを抱くときには必ずこの場所に触れ、キスをした。痛むはずはないとわかっていても、優しく触れずにはいられなかった。 サミーは敏感に反応し、普段は出さない声を聞かせてくれる。とても魅力的な声だ。きっと俺しか聞いたことがないだろう。サミーの感じる場所を探り当て、普段は抑えている欲望をありとあらゆる方法で引き出す。これが出来るのもきっと俺だけだ。 「サミー、こっちを向け」エリックはサミーの背を抱き、耳元で告げた。今夜ほどおとなしくベッドへ招き入れてくれた日があっただろうか。 サミーはゆっくりと振り向き、濡れた瞳で見上げた。抱かれ..

  • 花嫁の秘密 321

    クッションのよく効いた三人掛けのソファは長身の男二人が寝そべるにはやや手狭だ。まあ、密着していれば別だけど。 押し潰さないように気遣うエリックの優しさは、母親譲りだろうかそれとも父親譲りだろうか。コートニーの人間は皆優しい。うちとは大違いだ。 「クィンにクラブを売れと、もう言ったのか?キスをする前に答えてくれたらありがたい」エリックの形のいい唇が目の前でぴたりと止まった。最近はキスする権利が当然あるかのように振る舞っているが、僕は一度だって勝手にしていいと言ったことはない。 「いや、内情を聞き出そうとしただけだ」 「何か教えてくれたのか」唇が重なってきたが、かまわず訊き返した。 「いきなり教えると思うか?あの男が」ひと通り味わって、エリックは返事をした。続きをしたければ答えるしかないからだ。 「どうだろう?彼はそう堅苦しい男でもないよ。少し世間話でもすれ..

  • 花嫁の秘密 320

    暖かな部屋でお腹が満たされると、細かいことはどうでもよくなった。 サミーがいつもより素直なのは、隠し事をしているからだとわかっている。それを追求するつもりはいまのところはない。せっかく機嫌良くワインを飲んでいるのに、雰囲気をぶち壊すような真似をするのはあまりにも愚かだからだ。 「それで?君は今夜どこへ行っていたんだ」 エリックが追求しないからといって、サミーもしないとは言っていない。 「帽子屋へ行くと言っただろう」ひとまず月並みな返しをしたが、サミーが納得するはずもなく、じろりとひと睨みしてワインをちびりと飲んだ。 「それから?」サミーはテーブルにグラスを戻し、ソファの上に足を乗せてウールケットにくるまった。本格的に話を聞く体勢なのか、ソファの肘かけと背中の間にクッションを挟みもぞもぞといい位置を探っている。 「聞いてどうする?」それこそ聞いても無駄だろ..

  • 花嫁の秘密 319

    エリックが暖炉の前に座り込んで髪を乾かす姿を窓辺の椅子に座って眺めながら、サミーは明日から何をしようかと考えを巡らせていた。 ブラックにはふたつ頼み事をした。ひとつはフェルリッジに行って、父の葬儀に出席した者の名簿をダグラスから受け取って、ここへ持ち帰ってくること。 ブライアークリフ卿のパーティーで見かけたあの男が誰なのかようやく思い出せたものの、四年前ちらりと見ただけだし、念のため確認は必要だ。決定づけられれば、彼らについて調べを進めることが出来る。 それともうひとつ、例の事件現場となった屋敷を手に入れた持ち主に、屋敷を手に入れるに至った経緯を確かめてくること。どちらが先でもいいけど、名簿が先の方がありがたい。ダグラスはすでに用意して待っているだろうし……。そういえばダグラスはクリスについてラムズデンに行くのだろうか。 当然ついて行くだろう。そうしないといけない。..

  • 花嫁の秘密 318

    エリックが身支度を整え部屋から出ると、廊下でブラックが壁に寄りかかって待っていた。 「何か用か?」まだ湿ったままの長い髪にタオルを当てながら尋ねた。これで少しはマシな匂いになっただろうか。 「ええ、一応報告を」ブラックが含むように言う。 「サミーに何か?」エリックは短く訊いた。 「あなたに金で雇われているのかと訊かれたので、そうだと答えたら、仕事をひとつ頼まれました」ブラックは壁から離れ一歩近づくと囁くように言った。どうせ人はいないから声を潜める必要はない。 エリックは思わず額に手を当てた。前髪をぐしゃっと握り、深い溜息を吐く。わざわざ金で動くのか確認して何を依頼したのやら。「引き受けたのか?」 「ええ」ブラックの口の端が心持ち持ち上がる。 面白がっている場合か。ったく、頼む方も頼む方だが、引き受ける方も引き受ける方だ。 「お前がそう判断した..

  • 花嫁の秘密 317

    いったい僕は何をしているんだか。 サミーは頭の部分に貴婦人をあしらった真鍮製の火かき棒で、赤くくすぶる石炭をざくざくと突き暖炉の火を大きくしていた。 エリックはまだ戻ってこないが、食事は済ませてくるのだろうか。てっきり晩餐までには戻ってくると思っていつも通りの時間に食事を用意させたが、一向にその気配がない。今夜は一段と冷えるし、さっさと部屋へ引き上げたいのに。 「何してる?」 前かがみになっていたサミーは顔をあげて声の主を仰ぎ見た。「火を大きくしている」 「見ればわかる。食事は済ませたのか?」 「いつもの時間にね」サミーは火かき棒を台に立てかけ、エリックに向き直った。ひんやりとした空気がエリックから流れてくる。 「少しくらい待てなかったのか?」エリックはそう言いながら、炉棚の上に脱いだ手袋を置いた。 「少しは待ったさ。五分くらいね」その五分で..

  • 花嫁の秘密 316

    「いや、俺の依頼だ」しかもほとんど個人的な。とにかくフェルリッジは最寄りの駅から遠すぎる。専用駅ならもしもの時――サミーやアンジェラに何かあった時――内密な移動が可能になる。 ステフにこんな頼みごとをするのも、父親から譲り受けた鉄道会社を当てにしてのものだ。父親のアストンは以前問題を起こしこの国を追われているが、先見の明はあった。持っていた鉄道会社は順調に成長し、莫大な利益を生んでいる。ステフは経営に口出しをしてはいないが、決定権は持っている。 「ハニーさんのためですか?」ジョンが訊いた。途端に興味を引かれたのか、ステフが前のめりになる。 この二人、ハニーの事はクリスを通じてよく知っているらしい。 クリスがここの顧客なのも不思議な話だが、先日ハニーの誘拐事件の再調査を依頼してきて、対応に困ったステフが連絡してきた。もちろん引き受けるわけにはいかないと断らせたが、クリスが..

  • 花嫁の秘密 315

    午後七時 <S&J探偵事務所>にて 「今日も暇そうだな」エリックは事務所に入るなり言った。どうせ誰もいないし遠慮することもない。 数日前に来た時も客が来た気配は微塵もなく、S&J探偵事務所の所員ステファン・アストンとジョン・スチュワートはひとつに椅子に二人で座って何かしていた。今日は珍しく離れた場所にいる。本当に珍しい。 「もう店仕舞いです。ミスター・コートニー」机に向かって頬杖をついていたステフが、不機嫌そうに返す。二つ年下のこいつは、ほとんどの場合相手が年上でも生意気な態度だし、ジョンに触れていないと不機嫌だ。 「どうせ開けてもいないんだろう?」エリックは来客用のソファに身を投げ出すようにして座った。あちこち歩いたせいか、足が重い。 「年の瀬ですからね。ここのところ新規の依頼はないんですよ」ジョンがやんわりと口を挟む。愛嬌のある黒っぽい瞳はいつもきらきらと..

  • 花嫁の秘密 314

    大まかな計画を話し合った後、メリッサはラッセルホテルへ向かうため、一旦自分の屋敷へと戻って行った。エリックも帽子屋に用があると言って出かけ、一人残されたサミーは書斎で仕事に取り掛かることにした。 エリックがウィンター卿の空き家を買い取ったように、サミーもアンジェラ誘拐の現場となった廃墟同然の屋敷を手に入れようとしていた。無事手に入れたら、直ちに屋敷は取り壊す。跡形もなく。万が一クリスがそこに辿り着いても、誰が犯人だったのかわからなくするためだ。 持ち主がいまもジュリエットなら少し面倒だと思ったが、詳しく調べてみれば、まったくあの土地に縁のない人物の手に渡っていたことが判明した。そういえば、あの男の死体はどこへ埋めたのだろう。どこか別の場所ならいいが、あそこに埋まっているなら、やはりすぐにでも手に入れる必要がある。 代理人は誰を立てようか。リード家の弁護士を使うわけにもいか..

  • 花嫁の秘密 313

    「ビー、余計なことをしゃべるな」用を済ませて居間に戻ったエリックは、開口一番唸るように言った。 少し目を離したらこうだ。ビーがおしゃべりなのは、いまに始まったことではない。だが、サミーはどうだ?いつになくご機嫌でビーの相手をしているじゃないか。 「あら、必要な情報を聞いていただけよ。誰かさんが話してくれないから」メリッサは嫌味っぽい口調で反論し、意味ありげな薄い緑色の瞳でサミーに目配せをした。 「お前の学校の話が必要な情報だとは思わないが」エリックはサミーの隣に不機嫌さもあらわに座り、目の前のティーカップを手に取って口を付けた「アチッ!」 「冷めていたから新しいものを持ってきてもらったんだ。焼き菓子もどうぞ」サミーはすまし顔で焼き菓子の乗った皿をエリックの方に押した。「セシルがいるつもりで作りすぎたみたいだ」 「どうせ二週間くらいで戻ってくる。缶にでも詰めて置..

  • 花嫁の秘密 312

    いままで彼女と二人きりになったことがあっただろうかと、サミーは束の間記憶を巡らせた。 確か、アンジェラ救出の時にエリックの屋敷で。会話はほとんどしなかったはずだ。僕は怪我をしていて、熱もあったせいかぼんやりとしていたから、記憶があいまいなだけかもしれない。 エリックが例の調査員――クレインと言ったか――に呼ばれ、席を外してもう一〇分は過ぎた。もちろん見たこともない男がずかずかと居間に入ってきたわけではなく、エリックが勝手にクレインの気配を察知して出て行ったわけだけど、きっとあの男は何度かここに忍び込んだことがあるのだろう。 エリックがここを拠点として仕事をするのを、黙って見ているべきかどうか悩ましいところだ。 「今回のこと、エリックから説明は?」メリッサがひと通り皿の上のものを胃に納めるのを待って、サミーはようやく口を開いた。いつまでも黙っているわけにもいかないので仕方..

  • 花嫁の秘密 311

    翌日の午後、ロンドンへ到着したばかりのメリッサがリード邸を訪れた。 着いたら、ここへ顔を出すようにエリックに言われていたからだ。 なぜという疑問を抱いても仕方がない。エリックがリード邸に来いと言うなら、そうする他ない。これがアンジェラの為でなかったなら従ってはいなかったと思うけど。 執事に案内され家族用の居間へ通されたメリッサは、その温かさと居心地の良さに思わずほっと息を吐いた。山積みの問題からしばらく離れてみるのも、そう悪くはないのかもしれない。 「やあ、ビー。元気にしてたか?そのコートすごく似合ってる」エリックはメリッサに歓迎の抱擁をして、頬――極めて唇に近い場所――にキスをした。 濃いグリーンのコートは、自分を高貴に見せようと新調したものだ。エリックが褒めたということは、合格点はもらえたのだろう。 メリッサはチクチクするような視線を感じつつ、エリッ..

  • 花嫁の秘密 310

    ふと目を覚ますと、暖炉の小さな炎が目に入った。顔に当たるふわふわとした毛布はいつもと違う匂いがした。狭い場所は嫌いじゃない。広い場所だと身を守れないからだ。 そろりと起き上がると、肩がみしりと音を立てた。下になっていた腕が血流を取り戻し、みるみる生き返ってくのがわかった。こういう感覚も嫌いじゃない。 目の前の椅子でエリックが目を閉じて座っている。眠っているのだろうか?なぜベッドへ行かない? 傍のテーブルにはブランデーで満たされたままのグラスがひっそりと置かれていた。結局口を付けなかったのか、飲んでいる途中で眠ってしまったのか、どちらだろう。 炉棚の上の時計を見ようとしたが、暗くて時間が読み取れなかった。脚をソファから降ろし、毛布を抱いて再びソファに深く沈んだ。 エリックの話を聞きそびれてしまった。まあ聞いたところで僕にできることはなさそうだけど。クィンと何を話..

  • 花嫁の秘密 309

    クィンの話を聞きたがっていたサミーは、自分の話が終わると眠ってしまった。さすがに抱えて階段をのぼるわけにもいかず、プラットに言って毛布を持ってこさせた。 「目を覚ましたら部屋へ連れて行くから、気にせずもう休め」エリックはプラットを気遣い慇懃に言った。 「何かございましたらすぐにお呼びください」プラットは気づかわしげにサミーを一瞥したが、特に意見することはなかった。 「ああ、そうだ。プラットは先代の時はここにいたんだっけ?」下がろうとするプラットに、エリックは思い出したように尋ねた。 「いいえ。いまの旦那様になってからでございます。今年に入ってから父が引退しましたので、この屋敷全般を任された次第です」 任されたと言っても、クリスがこっちに出てくるときはダグラスも連れてくるから、胸中は複雑だろう。 「お父上は元気にしているのか?」そう歳にも見えなかったが、息..

  • 花嫁の秘密 308

    身体が温まると途端に眠気が襲ってくる。 サミーは目を閉じ、ソファのひじ掛けにもたれた。エリックはデレクとの事を話すまで、絶対に引き下がらないだろう。別に秘密というほどではない。ただ、思い出したくない出来事で、今夜デレクがあんなこと言いださなければ、ずっと封印していただろう。 「十四歳の時、僕は寄宿学校に入れられたんだ」サミーは静かに切り出した。「でも、僕の場合クリスとは違って、ただ父の目の届かない場所ならどこでもよかったんだ」 エリックからの返事はなかった。グラスを片手にじっと僕の言葉に耳を傾けている。 「初めて外にやられて、戸惑いもあったけど、僕はちょっと浮かれていたのかもしれない。家族と見慣れた使用人だけの世界とは違って、外の世界はとても新鮮だったからね。先生たちも優しかったし、もちろん僕が誰の息子かわかっているからだと思うけど、当時はそんなこと思いもしなかった..

  • 花嫁の秘密 307

    個室を出ると、壁際に置かれた半円形の小さなテーブルにココアが置いてあった。ピカピカに磨かれた銀製のポットにアンティークの高価なカップ。いつ置かれたのか気になったが、知らない方がいいような気がしてポットに触れるのはやめておいた。 エリックは先を行くサミーの背を見ながら、まだ熱の残る唇に触れた。 今夜はどうかしている。もちろんこれは自分の事ではなく、サミーの事だ。いや、俺が酒を飲ませたからこうなったのか? サミーが過去の話をしようとしないのも、酔ってもいないのにキスを拒まなかったのも、すべてがどうでもよくなるほど頭に血が上ったのも、一切合切俺のせいだ。そうしておいた方が、あれこれ頭を悩ませるよりもずっと楽だ。 大抵において怒りの感情は、熱く燃えるようなものだと思っていた。確かにこれまではそうだった。それなのに、なぜか今夜は違った。呼吸も血流も止まり、身体の熱さえ奪った。..

  • 花嫁の秘密 306

    エリックがあれほど怒っている姿を見たのは初めてだった。 ドアの向こうで盗み聞きする余裕があったのは、デレクがアンジェラのことを口にするまで。 暗にジュリエットをけしかけるぞと脅していたけど、すでに行動を起こしたのでは?あのクリスマスの贈り物がデレクの仕業だったとしたら、このあとどう行動すべきだろう。 「だいたいなんだってデレクを部屋に入れたんだ?」 「そっちがドアを閉めて行かなかったからだろう」サミーはエリックに詰め寄った。あんな無防備な姿をデレクに見られて、僕がどれほど屈辱的だったか。 「ドアは閉めた……」エリックは曖昧に返事をし、腕を伸ばしてサミーを抱きすくめた。 「誤魔化そうたって――」言い掛けた言葉はエリックの口で封じられた。黙らせるには一番効果的な方法だ。けど、いったいどうしてこんな場所で。「エ……リッ――」 エリックはアルコールの味がした。..

  • 花嫁の秘密 305

    サミーとデレクの確執は想像していたものと違っていた。 過去に接点などないと思っていたが――調べても出てこなかったので――デレクがサミーの背中の傷の存在を知るほど近くにいたと知って混乱した。と同時に、デレクがそれを武器にサミーに攻撃を仕掛けたことへの怒りで、エリックのすべては支配された。 気付けばデレクに飛びかかり押し倒していた。ここが大理石の床ではなく毛足の長い絨毯だったことを、デレクは感謝すべきだ。 「エリック!やめろっ!」 固く握った拳がデレクの鼻先で止まる。いま叫んだのはサミーか?それとも目の前の屑か? 止まっていた呼吸が再開し、大きく息を吐き出す。デレクの肩を押さえつける左手を喉に滑らせ、親指をぐっと押し込んだ。 呻き声が聞こえたが、こいつからはもう何も聞きたくない。二度とサミーを脅せないように喉を潰してやる。 「エリック、デレクから離れるんだ..

  • 花嫁の秘密 304

    デレクの人生の中で、サミーの存在はそれほど大きなものではない。ほとんど交流のないただの同級生で、お互い好感を抱いているとは言い難い。 いや、はっきり言って、サミーは俺を嫌っている。理由は明確。もうずっと昔の、まだお互い子供だった頃、俺がサミーを傷つけたから。 もちろん当時はそんなつもりはまったくなかった。寄宿学校ではあれは通過儀礼のようなものだし、気に入らないからしたわけではない。あの後、サミーはまるで元からそこにいなかったかのように姿を消し、残った者は記憶からサミーを消した。 でもいまは違う。何から何まで気に入らない。味方を得て気が大きくなっているようだが、エリック・コートニーなど潰すのは簡単だ。先にあの目障りな男から始末したっていい。あいつは害でしかない。 「エリックの事を言っているのなら、まああながち間違いではないかもね。彼は兄弟の面倒を見るのが好きだし、この..

  • 花嫁の秘密 303

    ソファにもたれかかりいったん目を閉じてしまうと、エリックの後を追うなど不可能だった。三階の個室に置き去りにされても、そのうち戻ってくるのだからと、結局面倒でそのまま横になった。 クィンと何を話すのだろう。簡単に話を出来る相手ではないことはエリックもわかっているだろうけど、果たしてそんなことエリックが気にするだろうか。もしもここを買収する話だとしたら、もっと適切な時期を選ぶべきだ。 さすがにそれはないかと、サミーは小さく頭を振った。ここを買い取ったらどうだと言い出したのは僕だけど、あれはほんの冗談だし、エリックもそれをわかっていて話を合わせただけだ。スパイを送り込む手間が省けるが、持ち主があのエリック・コートニーだとわかれば会員の中には脱会する者もいるかもしれない。 いや、オーナーがエリックだったとしたら、逆に会員の情報は常に保護され、むやみに新聞に書きたてられる心配も減る..

  • 花嫁の秘密 302

    「おい、サミー。その辺にしとけ」 サミーに酒を飲ませるんじゃなかった。いや、軽く食事をして程よく酔った状態まではよかった。特に顔色が変わるわけでも暴れるわけでもなく、ただ少しいつもより感傷的になるだけだし、普段喋らないことも喋ってくれる。飲みすぎればもっと違った姿が見られるのだろうが、そんな姿は他の誰にも見せるつもりはない。 カードルームへ行ったのが間違いだ。てっきり酔ったら弱くなるものだと思っていた。デレクが姿を現すまでの時間潰しでと始めたが、このままではテーブルに着く三人を丸裸にしてしまう。 エリックは青ざめる三人に愛想笑いを向け、サミーの腕をがっちり掴み引き上げると、そのまま引きずるようにしてカードルームを出た。 「まったくお前はどうしようもないな」サミーを壁に押し付けシルバーの瞳を覗き込む。多少ぼんやりとしているが、一見酔っているようには見えない。 「..

  • 花嫁の秘密 301

    「今夜は人が少ないようだね」 ポーターにコートと帽子、ステッキを預け、サミーはラウンジを見回した。この時間にしては――と言うほどプルートスに通い詰めているわけではないが――人はまばらで、会員より従業員の方が多いほどだ。 「オルセンのところで大きなパーティーがあるからだろう」エリックはポーターに何か耳打ちすると、そばに来て言った。 「オルセン?大富豪のあの?」 「娘の婿探しさ。適当なやつらを手当たり次第に招待している」エリックは難を逃れてホッとしているようだ。 「もしかして君も招待されていたのか?」訊くまでもない。オルセンがエリックを招待するのは当然だ。家柄もよく見た目も申し分ない、職業柄オルセンの助けにもなるとなれば婿候補として名前が上がってもおかしくはない。 「しばらく予定はないと言っただろう」エリックはさらりと言って、サミーにどこでも好きな場所へ座れ..

  • 花嫁の秘密 300

    サミーは何も言わないが、ジュリエットの誘いを断ったのだろうか? ティールームでお茶を飲むだけ?ホテルまで出向いて行ってそれだけで済むと思っているとしたら、あまりに世間知らずだ。以前同じホテルに滞在して、部屋で何時間も語り合ったと言っていたが、実際どうだったのか知る由もないし、いまさら聞いたところでどうしようもない。 「今夜はどうする?」エリックは尋ねた。特にすることがないなら、プルートスへ行って少し遊ぶのもいい。気分転換になるし、ついでにデレクたちを探ることもできる。あいつらの誰かは絶対に来ているだろうし。 「どうしようか。どこかのパーティーに参加してもいいし、面倒だからこのまま出掛けずに過ごしてもいい。どうせ君に何か考えがあるんだろう?」 いちいち言い方に棘があるのが気になるが、まあこっちの言うことに従うというならここは聞き流そう。 「プルートスへ行こう。お..

  • 花嫁の秘密 299

    「クリスは何だって?」 エリックの問いかけに、サミーは顔をあげた。外出から戻ったようだ。 「クリスはクリスで調べているようだよ。君のスパイを借りるってさ」サミーは紙切れをエリックに差し出した。ついさっきクリスから届いた電報にはセシルが無事到着したことと、エリックが送り込んだ調査員を引き留めることが書かれていた。 エリックは特に確認するでもなく、肘掛椅子に座って暖炉に向かって足を伸ばした。「まあ、向こうで調べることもあるだろうな。これでしばらく動きもないだろうし、好きにさせておけばいい」 「どうして動きがないとわかる?」数ヶ月経ってまた動き始めたというのに、これだけで終わりとは思えない。 「動く必要がないからだ。俺たちもカウントダウンまではゆっくりしよう」エリックは意味ありげに微笑んだ。 「ゆっくり?本気で言っているのか?アンジェラは住み慣れた場所から離れ..

  • 花嫁の秘密 298

    「ねえ、メグ。計画を立て直さないといけないわ」 セシルのお腹が満たされ、話もひと段落したところで、アンジェラは自分の部屋へ戻った。昨日までに立てていた計画は変更を余儀なくされ、ロイに出すはずだった手紙はしばらく引き出しに仕舞うことになった。 メグはアンジェラを鏡の前に座らせると、ヘアブラシを手にして言った。「しばらくはロイ・マシューズに会いに行くのは無理だと思います」 「わかっているわ」アンジェラは深い溜息を吐き、鏡の中の自分を見つめた。せっかく変装するための衣装を揃えたのに、ロイに会いに行けなくなってしまった。これからどうしたらいいのか、相談できるのはメグだけ。「わたしはクリスについて行くべきよね」 「そうしないと旦那様はどこにも行けないと思います」メグはキビキビと言い、アンジェラの髪を丁寧に梳かしていく。 「少し短くしておいた方がいいかしら?」波打つ髪は腰..

  • 花嫁の秘密 297

    どうせすぐに伝わると思っていたが、まさかセシルもエリックもうちの屋敷にいたとはね。 クリスはアンジェラが注いでくれた紅茶をひと飲みし、居住まいを正した。 「サミーは具体的にどんな感じで怒っていた?」サミーが怒りを他人にわかるように示すことはほとんどない。セシルが怒っていたと言うからには、相当怒っていたに違いない。俺はかなりまずいことをしたようだ。 「いや、なんて言ったらいいか……プラットが震え上がるくらいには怒っていたよ。どうしてサミーに電報を打たなかったの?」セシルは同じ質問を繰り返した。何が何でも答えて欲しいようだ。 「どうして?」アンジェラも一緒になって訊く。 この場合、何と答えるのが正解なのだろう。正直なところ、サミーにはアンジェラのために無茶をして欲しくない。前回、もしかすると命を落としていたかもしれないことを思うとなおさら。それにアンジェラを守るの..

  • 花嫁の秘密 296

    予定時間を三〇分ほど過ぎて、フェルリッジの最寄り駅にセシルの乗った列車が到着した。 三等車にはエリックに例の箱を回収するように言われた男が乗っていて、侯爵邸まで一緒に行くことになったが、うまく連絡が行っていなかったみたいで、クリスが寄越した迎えの従僕とひと悶着あった 警戒するのも仕方がない。僕の連れだということで何とか説得したけど、向こうでクリスにきちんと説明しないと、この従僕の首が飛んでしまうだろう。きっとクリスはかなり神経質になっているだろうから。 一時間かけて侯爵邸に到着した時には、セシルのお腹は悲鳴を上げていた。 とにかく何か食べなきゃ。ちょっと早いけど、お茶の時間にしてもらおう。僕にとってはお昼だけど。 「やあ、ハニー久しぶり。と言うほどでもないけど」セシルはアンジェラを抱擁し、その後ろに立つクリスに小さく頷いてみせた。話は中でということだ。「いきなりだけど..

  • 花嫁の秘密 295

    いったいこいつをどうしようか。 エリックは自分の感情をうまくコントロールできずに苛立っていた。 ひとまずすべきことはした。ハニーの安全を確保したいまは、とにかく目の前の男の事だけに集中しよう。 「ウッドワース・ガーデンズのカウントダウンイベントに行くんだろう?それで十分だ」図々しいジュリエットの言うことをいちいち聞いていたらきりがない。ひとつ何か許せば、いくらでも要求してくるタイプの女だ。 「そうは言っても、一度くらいは会っておいた方がいいと思うのは、僕だけかな」サミーはまるで近所の子犬にでも会いに行くような気軽さで言う。それがまたエリックを苛立たせた。 「俺は思わないね。簡単に手に入る獲物だと思われてもいいのか?」エリックはサミーを見つめた。サミーは視線を逸らしはしなかったが、感情を読み取られないように目の動きを抑えている。 「ただお茶を飲むだけだ。とにか..

  • 花嫁の秘密 294

    セシルが行ってしまうと、やけに屋敷の中が静かで広く感じられた。図書室を覗いても、ただ整然と並ぶ本棚と空っぽのソファがあるだけだ。 エリックはセシルを送ったらすぐに戻ってくるのだろうか?それともまた彼の言う仕事とやらを口実に僕を避けるだろうか。 サミーはクッションを抱えてソファに横になった。エリックが部屋に来なかった昨夜は、ゆっくりと眠れたはずなのになぜか瞼が重い。目を閉じてこれからの事を思う。 当初の計画は単純なものだった。ジュリエットの自尊心を擽り牙を剥かせる、ただそれだけ。 僕を殺したいならそうすればいい。失敗しても成功しても、あとはエリックが何とかする。だから僕は先の事なんか考えず、思いついたまま行動すればよかった。 でもいまは事情が変わった。 「サミュエル様、手紙が届いております」 目を開けると、プラットが心配そうな顔でそばに立っていた。クッシ..

  • 花嫁の秘密 293

    翌日、朝食を済ませるとエリックはセシルを連れて、リード家の馬車で駅へ向かった。 これから大役を果たさなければならないセシルは、食事が詰め込まれたバスケットを手に陰鬱な溜息を吐き、用が済んだらすぐに戻るからねと言ってサミーとの別れを惜しんだ。 「クリスにはちゃんと知らせてあるんだよね?」セシルは心配そうに尋ねた。 「ああ、駅に到着する時間も告げてあるが、時間通りにとはいかないだろうな。まあ、昼までには向こうに戻れるから心配するな。戻ったらすぐに支度をしてロジャーの所へ行け」 クリスにもロジャーにも連絡済みだが、こっちの考えに賛成してくれているかは不明だ。クリスがハニーを危険から遠ざけることに反対するとは思えないが、なんにしてもセシルがハニーをうまく動かす必要はある。 「結局、みんなで年越しだね。母様はショックから立ち直ったかな?いつも通りおしゃべりなら安心だね。..

  • 花嫁の秘密 292

    「リックは降りてこないのかな?」大満足で帰宅したセシルは、胃を休めるための紅茶を喉の奥へと流し込んだ。お腹はいっぱいで、珍しくお菓子はナッツクッキーのみだ。 「きっと次の計画でも立てているんじゃないかな」サミーは素知らぬふりで答えた。昼食にはクラムチャウダーと薄いパンを二切ほど食べた。身体が温まりお腹が満たされると、思考が明瞭になりジュリエットに対してどう振る舞うべきかよく考えることができた。 エリックは気に入らないかもしれないけど、ジュリエットに僕を差し出した時点で、異を唱えられる立場にない。 新しい年をジュリエットと迎える。おそらくキスのひとつもするだろう。正式に交際をするべきか、のらりくらりとかわすべきかはまだ考えている最中だ。付き合っても別にいいが、彼女とベッドを共に出来るか自信がない。ついでに言えば、経験不足だ。 過去クリスと付き合っていたことが、二人の関係を..

  • 花嫁の秘密 291

    アフタヌーンティーの時間に間に合うように帰宅したエリックは、ブラックからの報告を受けて溜息をもらした。 確かに、サミーにはジュリエットを引きつけておけと言った。こういう場合のサミーの行動の素早さも知っていた。だからこれは自分の失態だとしか言いようがない。 「それで、ジュリエットは返事を?」サミーのおかげで昼に食べたローストビーフを戻しそうだ。 「いいえ。あの方を焦らすつもりのようです。ですが、もう間もなく返事は来るでしょう」ブラックはにやりとした。この状況を面白がっているらしい。 エリックは苦い顔をした。サミーもこいつも、この状況をゲームか何かだとしか思っていない。まったく腹の立つ。「長くは我慢できないだろう。それで、中は見たんだろうな」 「もちろん、仕事ですから。あの方もそれをわかっていて封はしていませんでしたしね」 いかにもサミーらしい。「それで、内..

  • 花嫁の秘密 290

    エリックの手際がいいのはいつものこと。出会った頃はあまりに胡散臭く信用できない男だとしか思っていなかったが――いまももちろんそう思っている――、噂以上に仕事のできる男なのは認めざるを得ないだろう。 昼過ぎにセシルと二人でプルートスへ出掛けたが、ただローストビーフを食べに、というわけではないのだろう。何を探りに行ったかは知らないが、これでようやく一人で考える時間が出来た。 サミーは引き出しに仕舞った書類を再び机の上に出した。昨日のうちにバートランドに頼んでおいた個人資産に関するものの一部だ。ほとんどは自分で増やしたものだが、父が僕に残してくれたものもある。ずっと憎まれていると思っていたのに、なぜ母との思い出のあの場所を僕にくれたのだろう。 このこともエリックは当然知っているのだろう。だからこそ、僕に高額の買い物をさせようとしている。自分の住まいは別に欲しくないが、あのクラブ..

  • 花嫁の秘密 289

    サミーを目の届かない場所へやるなど冗談じゃない。たとえこいつの考えが正解だったとしても、それだけはさせられない。腹を立てようがなんだろうが、俺が許可すると思うな。 エリックはあからさまに不貞腐れるサミーの横顔を見ながら、自分が作ったシナリオを脳内で整理した。 まずセシルにはクリスとハニーと共にロジャーの所へ行ってもらう。そこからラムズデンに極秘で向かわせる。クリスは護衛を引き連れて行きたいだろうが、それでは標的はここだと告げているようなものだ。 サミーにはもうしばらく、のらりくらりとジュリエットの相手をしてもらうしかない。いまはそれが一番の安全策だ。結局ジュリエットとの関係が進まない限り、デレクたちもこれ以上は動きようがないからだ。 さて、どうするか。ハニーの問題はどうにかできるが、サミーとジュリエットがこれ以上近づくのは、自分の忍耐力を試すようなもので、うまく対処..

  • 花嫁の秘密 288

    ブラックが戻ってもう一〇分が過ぎた。エリックは寄り道をしているようだが、急いで戻れという僕の言葉は無視したというわけか。 この三〇分の間にセシルと話せることは話した。クリスにはアンジェラを守ってもらい、僕たちは犯人を捜す。見つけた後どうするかはまだ決めていないが、僕は引き金を引くことに躊躇いはない。 「ねえ、ブラックはすぐに戻ってきたけど、リックは案外近くにいたのかな?」セシルは薄くスライスされたシュトーレンを紅茶に浸してから口に入れた。残り物でもなんでも美味しそうに食べるセシルは、この屋敷でもすでに人気者だ。 「ほんと、彼はいったい何者なんだろうね」サミーは腹立たしげに吐き出した。やってることは単純明快で、彼は自分の仕事のために調査員を何人も雇い情報を手に入れている。それを新聞や雑誌に売る、もしくは自分で記事にする、それとおそらく特別な機関への情報提供なんかも行っている..

  • 花嫁の秘密 287

    美術品の収集家であるチェスター卿の屋敷を訪問していたエリックは、突如現れたブラックに驚きを隠せなかった。静かに人の輪を抜け、ギャラリーから廊下へと出る。 「サミーになにかあったのか?」ブラックを玄関広間のすぐ隣の部屋に引き込みながら、性急に尋ねた。こいつの役目はサミーのそばを離れず守ること。離れてここへ来ているということは、つまり―― 「疲れているようですが、なにも――」ブラックが淡々と言う。 「だったらなんだ?まとまりかけた商談を潰すためにここへ来たわけじゃないだろう?」勿体つけるブラックに、エリックは苛々と訊き返した。なにもなくて持ち場を離れるはずがない。 「メイフィールド侯爵から電報が届いたようです、あなた宛てに」 「俺に?クリスは何だって?」 「俺は中を見ていませんので、ただ、あの方よりいますぐに戻ってきて欲しいと伝言を受けました」 サミー..

  • 花嫁の秘密 286

    「プラット!」サミーは呼び鈴を引く手間さえ惜しみ、執事の名を叫んだ。 クリスからコートニー邸に届いた電報は、サミーの疲れも眠気も吹き飛ばすには十分すぎるほどだった。いまあるのは怒りのみ。誰に対してか――もちろんアンジェラを脅した男、もしくは女、それとクリスに。 プラットはなめらかとは言い難い仕草で書斎に現れ、普段ほとんど見せないサミーの激怒した表情に怖気を震った。 「クリスからの電報は?」執事が口を開く前に尋ねた。もしも届いていてプラットが渡し忘れているのだとしたら、今すぐクビにしてやる。僕にその権利がないと思ったら大間違いだ。 「こっちには来ていないみたい」セシルがプラットの代わりに答えた。 「セシル様のおっしゃるとおりです」プラットもしどろもどろで答える。 「ブラックを呼んで、いますぐ」サミーは怒りで震える息を吐き、いますべきことだけを考えた。とにか..

  • 花嫁の秘密 285

    「セシル様、コートニー邸から使いの者が来ております」 セシルは本棚の端で見つけた護身術の本を手に、図書室のいつもの場所でアイシングたっぷりのケーキを口に運んでいた。思いがけず執事に声を掛けられ、戸惑いながらもごもごと返事をする。 「僕に?」 「セシル様と、エリック様、お二人に」プラットは言葉をつけ足した。 「ここへ通しても差し支えないかな?」セシルはプラットに尋ねた。ここは自分の屋敷ではないし、今この場にサミーはいない。となれば、執事に確認を取るのが妥当だろう。 「もちろんでございます。すぐにお通しできますが――」 プラットが言い終わるが早いか、セシルのくつろぎの場所にせかせかとコートニー邸の従僕が入って来た。見覚えのない従僕だったが、慌てた様子なのは一目瞭然。いったい何事かとセシルは思わず立ち上がった。 「メイフィールド侯爵より、電報です」 ..

  • 花嫁の秘密 284

    「メグを呼んでくれるか?私は書斎にいる。それと、アンジェラに気づかれないように頼む」 クリスは箱を手に書斎へ向かった。ダグラスが着替えはというような視線を送った気がしたが、今はそれどころではない。だいたい自分の屋敷でどんな格好をしていようが、文句を言われる筋合いはない。 そもそもダグラスが最初にアンジェラに話をしたのが間違いだ。主人が寝ていようがかまわず寝室へ押し入る権利はあるだろうに、なぜそうしなかった。憤っても仕方ないが、箱を開ける前と後ではいくらいつも冷静沈着なダグラスといえども動揺して当然だ。おそらく箱の中身をメグも見てしまったことも要因だろう。 ここまであからさまな脅しをしてきたのは何者だろうか。おそらく以前アンジェラを殺そうとした人物に間違いはないのだが、誰であれ、敷地内に入り込めたとは思えない。屋敷内に犯人がいるのだとしたら、ここを一刻も早く離れる必要がある..

  • 花嫁の秘密 283

    「クリス!起きてっ」 「んん……もしかして今朝も雪が積もっているのかい」 クリスマスの朝も変わらずハニーは刺激的な起こし方をしてくれる。だが、正直まだ眠っていたい。 「違うわ、プレゼントが――」 クリスは腕を伸ばし、アンジェラを上掛けの中に引き入れた。昨夜脱がせた寝間着を着ている。 「もうっ、クリス。聞いて」アンジェラはくすくす笑いながら、クリスの逞しい胸に頬をすり寄せた。 「ハニー、この寝間着は素敵だけど、上に何か羽織らないと風邪をひいてしまうよ」 昨夜贈ったばかりのミセス・ローリングの薄紅色の寝間着は、着たと同時に脱がされ、アンジェラは一晩裸で過ごしたも同然なのだが、贈り主は都合よくそこは忘れたようだ。 「部屋が暖かいから平気よ。それにクリスもとても暖かいわ」アンジェラは大胆にもクリスの身体に脚を巻きつけぎゅっとする。クリスは思考が停止す..

  • 花嫁の秘密 282

    サミーは怒って当然だ。だが、もう少し突っかかってくると思った。 やけにおとなしいのは、予想以上に怒っているからか、それとも呆れかえっているからか。 気付けば自然とサミーの肩に手を回していた。時折、頭を撫で、まだ湿ったままの毛先を弄ぶ。きちんと乾かせとあれほど言ったのに、こんなことだから、こいつは風邪をひくんだ。 「話は終わり?」サミーが顔をあげてこちらを見た。いつもより瞳が青みがかっている。今どんな心境なのだろう。 「セシルにした話を、俺にする気はあるのか?」全部聞いていたが、サミーの口からもう一度聞きたかった。父親の話をするのはまれで、その時少なくとも好感を持った男についても、もう少し知る必要がある。 「どうせ聞いていたんだろう?昔会ったことのある男を見かけた、それだけだよ」サミーはエリックの胸に寄り掛かって目を閉じた。同じ話を繰り返す気はないようだ。 「..

  • 花嫁の秘密 281

    もうあと三〇分でイヴが終わる。結局ジュリエットに伝言は頼まず、そのまま帰宅したが、何かあれば彼女は手紙を寄越すだろう。 今夜は何をしたわけでもないが、ひどく疲れていた。怒りや恨みなどないかのようにジュリエットと時間を共有するのは拷問に近い。自分の計画のために結婚という手もあるかと考えたりもしたが、おそらく一秒だってもたないだろう。人殺しでもかまわないけど――僕だってあのごろつきを殺した――アンジェラに危害を加えたことだけは許せない。 身体の汚れを洗い流し自室へ戻ったが、疲れた身体とは裏腹に頭も目もまだ冴えたままだ。暖炉の前の寝椅子にしばらく横になってこの二、三日の事を整理してみたものの、情報量が多すぎて頭が追いつかなかった。 ほとんど考えるのをやめてぼんやりとしていたら、予想通りエリックがやってきた。 エリックは僕を自分の物だと勘違いしているようで、弟の前でもそれを..

  • 花嫁の秘密 280

    サミーの言葉を疑う余地はない。こいつはハニーを犯そうとした男同様、自分の手でジュリエットを始末したいに違いない。だがそれをさせるわけにはいかない。もしも、その時がきたら、先に俺がやる。 「ところで、君の方は収穫はあったのかな」サミーが揶揄するように言う。わざわざ連れ出しておいて収穫なし、なんてないよねといった挑発的な目つきに、エリックは予期せず身体の芯を疼かせた。 この数日、なぜかサミーに欲情しっぱなしだ。二人きりで過ごす時間が増えたからか、欲情しているから二人の時間を増やしたのか、もうどっちがどっちだかわからない。「まあ、そこそこな。馬車を回すように言っておいた。詳しくは帰ってから話そう」 「あれ?もう帰るの?」セシルが甲高い声をあげた。 「もうじゅうぶん食べただろう」エリックは目をすがめた。今夜は役目をきちんとこなしているようだからいいが、こいつはとにかく食べ過..

  • 花嫁の秘密 279

    「父が亡くなった時だから、四年前かな」 サミーは葬り去った記憶を掘り起し、先代のメイフィールド侯爵が亡くなった時のことを思い出していた。忘れたと思っていたけど、案外当時の光景がすんなりと目の前に浮かんでくる。 「その時見たの?その人」セシルがおずおずと訊いた。 「うん……でもまだ子供だった」そう見えただけで、本当は成人していたのかもしれない。「笑っていたんだ。父の葬儀の時に――それでよく覚えている」天使が僕の代わりに笑ってくれたのかと思った。クリスは自分に圧し掛かってくる責任に顔をこわばらせていたけど、僕は解放されて安堵していた。さすがに笑わないだけの分別はあったけど。 「親戚、ではないんだよね?」 「たぶん父と懇意にしていた誰かの息子だと思う。その時、彼が連れていた従者に今日見かけた男は似ていた」その従者に目を留めたのも、彼が目立ち過ぎていたからだ。歳はおそ..

  • 花嫁の秘密 278

    エリックは広間である男を観察していた。 男に見覚えがあるような気がしたが、記憶を辿ってもどこで見かけたのかまったく思い出せない。仕立てのいい夜会服を見事に着こなしているだけでなく、なかなかの美形だ。髪を短く刈り込んでいるせいでやけに顔が小さく見えた。それとも輪の中心にいる白髭伯爵ことブライアークリフ卿の存在感がありすぎるからか。 人のよさそうな顔をしているが、どうにも胡散臭い。なにより、くだらない絵画と引き換えに相当な額を寄付するような人物が胡散臭くないはずない。同じ金額寄付したとしても、あの絵を自分の屋敷に飾るのだけは避けたいと思うのがまともな考えだ。 とはいえ、これといっておかしな動きをしているわけではない。今のところデレクともシリルとも接触していないところを見るに、四人目の男ではないようだ。こいつのことはクレインに探らせることにして、サミーのところへ戻るか。 ..

  • 花嫁の秘密 277

    締めのベリーのタルトを食べ終え、やっぱり最後にもうひとつ食べておこうかと腰をあげたところで、サミーに流れるような仕草で会場から連れ出されていた。 「彼女は一緒に来ないの?」セシルは背中越しにちらりとジュリエットの方に視線を向けた。彼女はもうすでに別の席へ移動している。 「ああ、ブライアークリフ卿には会いたくないみたいだ」サミーは袖の糸くずをさっと払う仕草をした。 「そうなの?どうしてだろう」ジュリエットが今夜サミーと一緒に過ごせる機会をあっさり諦めるなんて意外だ。 「もしかすると以前何かあったのかもね。エリックに聞いてみたらすぐ答えてくれるんじゃないかな」どこか棘のある口調だ。 もしかして、サミーはリックが黙っていたことに気づいていて、当てこすっているのだろうか。まあ、僕が気づいたくらいだから、サミーが気づかないはずないよね。 「広間に行くの?」この屋敷..

  • 花嫁の秘密 276

    エリックがセシルを残して席を立った。セシルは甘いものを探してか、料理のあるテーブルへふらふらと向かった。今日一日、ずっとセシルの食べている姿を見ている気がする。 ちょうどジュリエットにいつロンドンへと尋ねたところだったが、気が逸れて答えを聞き逃してしまった。だが、特に答えは必要なかった。きっとジュリエットは僕の動向を寸分の隙なく見張っていただろうし、そうしていなかったとしてもきっと田舎暮らしに耐えられず、放っておいてもそのうち戻ってきていただろう。 「それで、ナイト子爵とは仲違いしたままなのかい?」サミーは何気ない会話を装いつつ、次の質問をした。 「別に喧嘩をしているわけではないのよ」ジュリエットは控えめに言って、サミーが差し出したグラスを手に取り中身を少しだけ口に含んだ。「ただ少し……考え方が合わないだけ」 それはそうだろう。浪費癖のあるジュリエットに対して、現ナ..

  • 花嫁の秘密 275

    今夜ここに来た目的を忘れてはいない。けれど、この馬鹿を一人にさせておけば何をするかわかったもんじゃない。サミーが何か企んでいるのは目を見ればわかる。いや、見なくてもわかる。 ジュリエットとの関係は終わらせたと言っていたが――もともと何の関係もないのだが――不意を突かれて動揺するかと思いきや、また別の計画を思いついたに違いない。 二人は舞踏室を出て食事会場となっている応接室へと向かっていた。エリックは自分が邪魔者だとわかっていても、セシルと並んで後ろにぴたりと張り付いた。絶対に目を離すものか。 「ねえ、リック。サミーちょっと怒ってる?リックが隠してたの気づいてるんじゃない?」セシルが声を潜めて言った。 「あいつはいつもああだ」いつだって不機嫌で、俺に逆らってばかりだ。 「こうして見ると、案外お似合いだよね」 エリックは気でも触れたかとセシルを見た。「まった..

  • 花嫁の秘密 274

    「ダンスでも申し込んだらどうだ?」 サミーは目の前のいかれた男を睨むように見つめた。デレクは突如目の前にジュリエットを登場させただけでは飽き足らず、この僕に踊れと言う。 「踊るのは好きじゃない」きっぱりと言い切った。「誰とでも」ジュリエットの手前ひと言付け足すのも忘れなかった。相手が誰であろうとも、僕は踊ったりしない。 「サミュエルを困らせるのはやめてちょうだい」ジュリエットがデレクに向かって言った。くすくす笑い、まるで自分の飼い猫にちょっかいを出された時のような口調だ。 彼女との関わりを一切絶つと決めたのはほんのわずか前の事。新聞社にも僕たちのことを記事にするなと告げたばかりで、よりによってこんな場所で遭遇するとは思いもしなかった。いったいいつ彼女はこっちへ出てきたのだろう。この場で彼女に冷たくするのは得策ではないが、かといってこれまでのような振る舞いはできない。..

  • 花嫁の秘密 273

    ジュリエットの到着を確認したエリックは、中庭から邸内へ戻った。温室でちょっとしたゴシップも入手できたし、出だしは上々。 今夜の彼女はサミーを誘惑するためか、かなりめかしこんでいた。 と言っても露出は控えめ。サミーには大胆に持ち上げた胸を見せつけたところで、通用しないと理解しているからだ。腹立たしいのがドレスの色だ。まるでサミーに合わせたかのように、あのカフスボタンと同じ色をしている。 サファイアなんか選ぶんじゃなかった。 「リック!さっき、あの人を見かけた。サミーに知らせなきゃ」背後でセシルの慌ただしい声がした。すでにジュリエットに会ったようだ。 「わかってる、騒ぐな」エリックは声を低め、興奮する弟をたしなめた。役に立つとは思わないがせめて邪魔はするな。 「もしかして、もう中へ入っちゃった?」セシルは首を亀のように伸ばして舞踏室を覗き見る。 「デレクと..

  • 花嫁の秘密 272

    ジュリエット・オースティンは劇的な場面を演出するのを得意としている。 サミュエルがフェルリッジを発ったという知らせは、彼がロンドンへ到着する前にすでに耳に入っていた。なぜ急に家族の元を離れたのだろう。クリスと喧嘩でもしたのかしら。けどそれは到底ありえそうにもないことだった。二人の仲がうまくいっているとは思わないけど、サミュエルは穏やかで仮にクリスが喧嘩を吹っ掛けたとしても応じたりしない。 ジュリエットはすぐさまサミュエルを追い、翌早朝にはラッセルホテルのいつもの部屋に舞い戻っていた。ロンドンからそう遠くない田舎屋敷は現ナイト子爵から与えられたもので、完全にジュリエットのものだ。彼が結婚をしたことで、あらゆる場所の子爵邸を自由に使えなくなってしまい、さらには自由にできるお金も減った。 支援の申し出をしてくれた人は何人かいる。見返りを求める卑しい男の世話になるくらいなら、かつ..

  • 花嫁の秘密 271

    セシルは舞踏室を出て、食べ物にありつけそうな場所を目指して廊下を歩いていた。 ここに到着してまだ一〇分ほど。チャリティーの集まりだと言うからもっと、なんていうか、もっと静かな会を想像していた。けれども実際は通常の舞踏会と変わりなく、ダンスの申し込みを期待する未婚の令嬢の視線をかわさなきゃならないなんて思いもしなかった。 リックの言うことは話半分に聞いておくべきだった。しかもそのリックは到着するなり姿を消した。きっと何か企んでいるのだろうけど、案外サミーがこの場に馴染んでいたことに驚かされた。社交的な印象は全くないし、きっと人が多い場所は苦手だから静かな図書室辺りに引っ込むと予想していた。 結局逃げ出したのは僕の方が先だった。 狙い通り、応接室には美味しそうなものがたくさんあった。レディたちが夢中なデザートは後にして、まずはお肉。それともデザートを先に食べておかないと..

  • 花嫁の秘密 270

    「サミー、支度は出来たのか?そろそろ出ないと――」 なかなか姿を見せないサミーを呼びに部屋までやってきたのだが、相変わらずこいつの正装姿には見惚れずにはいられない。昨夜とはまた違った雰囲気だが、何が違うのだろうか。 「勝手に入ってこないでもらえるかな」鏡台の前に立っていたサミーは振り返りもせず言った。 「勝手も何も、お前が遅いからだろう?何をてこずってる?」エリックはサミーの言葉などまるで無視して部屋の中へずかずかと入った。いつまでも他人行儀な態度を取るなら、思い知らせてやる。 「別に。すぐに降りるから下で待っていてくれ」 使用人にクリスマス休暇をやったらしいが、せめて出かけてからにすれば支度も順調に整っただろうに。 「カフスボタンで悩んでいるのか?」エリックはサミーの背後に立ちぴったりと身を寄せた。手元には紫檀の小箱が置いてあり、カフスボタンがいくつか..

  • 花嫁の秘密 269

    セシルの言った通り、エリックはアフタヌーンティーの時間に戻ってきた。朝出掛けた時とは着ている物が変わっていたが、サミーは気にしないようにした。エリックがどこで何をしていようが、自分には一切関係ない。 「まさか一日中そこに座っていたわけじゃないだろうな」エリックは外した手袋をソファテーブルに投げ出し、サミーの隣に座った。 「当たらずとも遠からず、てとこかな。ほとんど動いていないからね」エリックからは埃っぽく湿った匂いがした。一日外にいたのだろうか? 「リック、チョコレートありがとう。すごく美味しい」一日のほとんどを図書室で過ごしたセシルは、チョコレートをそばに置いて、朝読み始めた本をすっかり読み終えていた。 「もう半分も食べたのか?ったく、もっと味わって食えよ」エリックは顔を顰めてみせたが、口元はほころんでいた。 「味わってるよ。サミーなんて感動しちゃってさ、ち..

  • 花嫁の秘密 268

    お昼少し前、ひと眠りしたサミーは空腹を覚えて階下へ降りた。 体力は少し回復したものの何か適当におなかに入れないと、今夜を乗り切れそうにない。昨日はどうかしていた。今後はエリックがベッドに入って来るのを阻止しなければ、身体がいくつあっても足りない。 パーティーに参加するのは久しぶりだ。ちょっとした集りは別としたら、クリスが開いた仮面舞踏会ぶりだろうか。アンジェラの仰々しい仮面姿を思い出して、サミーは微笑んだ。 主役だから当然目立って然るべきだが、目立たないために仮面舞踏会にしたらと提案したのに、まったく意味のないものになっていた。でも、あれで自信をつけたからこそ、来シーズン社交場へ出ることも躊躇いつつ決断していた。 僕は反対だけれど。 セシルはまだ図書室にいるだろうか?セシルがそこにいれば、きっと何か食べるものがあるに違いない。ああ、そうだ。使用人たちのクリスマスの..

  • 花嫁の秘密 267

    クラブの再開は年明けか。あと一週間ほどで退屈を極めている面々が集うわけだ。 「それで、なぜあの屋敷を手に入れようと?あなたはこの界隈にいくつか住まいをお持ちでしょう?」陰気な顔の男が出て行くなり、ジェームズが口火を切った。 すでにこちらの事は調査済みってことか。エリックは感心せずにはいられなかった。いくつかの住まいのうち公にしている――特に隠していないと言う意味だ――のは二つ、きっとこの男は残りの隠れ家も把握しているのだろう。いったいどんな調査員を雇っているのだろうか。 エリックはコーヒーカップに手を伸ばし、ゆったりとした仕草で口に運んだ。うむ、なかなかいける。 「売りに出ていたからとしか言いようがないな」いったいどんな説明を求めている?こちらの素性は把握しているのだろう? 「そうですか、うまく話がまとまればよいのですが」 敵意を見え隠れさせているジェー..

  • 花嫁の秘密 266

    ジェームズ・アッシャーはエリック・コートニーについて今朝までほとんど知らないも同然だった。 もちろん彼が普段何をしているのかは知っていた。いくつかスティーニ―クラブにまつわる醜聞を記事にされたことがある。どれも他愛もないもので、こちらの痛手とはならなかったが、あまり敵に回したくないタイプだと認識していた。 その彼がパーシヴァルの屋敷を手に入れたがっている。なぜという疑問しかない。最初はてっきりテラスハウスの方だと思っていたが――売りに出しているのもそっちだと思っていた――メイフェアのあの屋敷はお買い得でもないし、少々手狭だ。買い取って貸し出すという考えもあるが、家賃収入で購入金額を回収するのにいったい何年かかるやら。 このままエリックにはお帰りいただくのが正解だが、少し探っておくのも悪くないだろう。 「わたくしの執務室でよければお茶でもいかがですか?ご要望であればク..

  • 花嫁の秘密 265

    売る気はないのだろうと想像はしていた。それでもなんとか説得できればと考えていたが、そもそも話ができる相手ではなかった。ひとまず弁護士と話をした方がいいだろう。 エリックは腹立ちを隠そうともせず、応接室を出た。取り澄ました態度がどこかサミーと重なった。今朝のあいつの態度ときたら、可愛げもなにもあったもんじゃない。こういう自分の余裕のなさにもひどく腹が立った。 広間を通り玄関に向かいながら、ふと立ち止まる。中庭の向こうには悪名高い紳士クラブがある。会員になるにはどうすればいいか聞いておけばよかった。それも会話が成り立てばの話だが。 「話は済んだのですか、コートニー様」 ふいに背後から話しかけられ、エリックは振り返った。出迎えた執事より声が若かったためすぐに誰か察しがついた。まさに今、会員になりたいと思っていたクラブの新しいオーナーだ。別のクラブでバーンズと一緒のところを..

  • 花嫁の秘密 264

    パーシヴァル・クロフトは現在、友人である(本人はそう思っている)ジャスティン・バーンズの家に居候中だ。だからこうして誰かに訪問されるのはまれで、ましてや相手があのエリック・コートニーとあっては警戒せずにはいられない。 僕はなにかしただろうか?全く身に覚えがないと言いきれたら、どんなにいいか。もしかして明日には醜聞まみれの記事が紙面に載るから警告に来たとか?パーシヴァルは目の前の男をじろじろ観察せずにはいられなかった。 緑みの強いヘーゼルの瞳はなんと魅力的なことか。でもまあ、僕のジェームズの、身も凍るような冷ややかな青い瞳にはかなわないけれど。そういえば、ジェームズはどこへ行ったんだろう。今日はクリスマスイヴだっていうのに、恋人を放って何をしているのやら。ジャスティンとこそこそしていたのを僕が知らないとでも?あとでたっぷりお仕置きしてやらなきゃ。 「あの屋敷を売って欲しい」..

  • 花嫁の秘密 263

    「パーシーに会いに来たの?」 バーンズ邸には時間ぴったりに到着した。やたら背筋の伸びた執事がクロフト卿を呼びに行っている間、ここ応接室で待つように言われたが、五分ほど経った頃、ふらふらと子供がやってきた。 茶色の長い髪を馬のしっぽのように束ねている。青いリボンが形よく結ばれていて、革紐で適当に縛っただけの自分とは違ってちゃんとした従僕がそばについているのだろう。客が来ると知っていたからか、クラヴァットも完璧なまでに仰々しく結ばれている。 これが例の子供か。エリックは目の前の子供の情報を素早く引き出した。コヒナタカナデ、十五歳、三年前よりバーンズが面倒を見ているが、素性がいまいちはっきりしない。というのも、調べようとしてもどこかで必ず情報が遮断される。 「彼は忙しいのかな?」エリックは当たり障りなく尋ねた。 「暇だと思う。いつもぷらぷらしてるから。ねえ、それなあ..

  • 花嫁の秘密 262

    三〇分ほどして着替えを済ませたエリックは、クレインのリストを手にとりわけ高級な店の立ち並ぶ通りへ向かった。時期が時期だけに、予約をしておいたから心配ないとはいえ、早く行かなければ売り切れもあると言う。 クリスマスで世間が浮かれる中、なぜチョコレートショップへ行かなきゃならん。あの男がこんなもの欲しがっているとは思えない。 エリックは人混みをすり抜けるようにして通りを進み、目当ての店を見つけた時にはホッとせずにいられなかった。早く用を済ませて屋敷へ戻りたい。もちろんサミーのいる屋敷にだ。 ショーケースに宝石のようにずらりと並ぶチョコレートは美しく、あの男がこれを好む理由がわかった。とにかく洒落た男で美しいものが大好きなのは誰もが知るところ、けれども、男の趣味がいいとは言えない。なんだってあの男はあんなくだらないやつと付き合っていたんだろう。 「ひと粒味見をしていいか?」こ..

  • 花嫁の秘密 261

    リード邸を出たエリックはステッキを手にのんびりと通りを歩いていた。 今日予定していた用事をすべてキャンセルして――サミーと参加するブライアークリフ卿のパーティーは別として――ひとつ別の用をねじ込んだ。 さて、彼は俺に会ってくれるだろうか?実のところ、よく知らない人物だ。世間一般の評判は知っているが、それ以上の事となると、どうでもいい情報しか得られていない。 車道を横切り、表通りから近道の為裏通りへと入る。足元がぬかるんでいたが気にせず突っ切った。広い通りへ出ると歩を緩め、脇道から出てきた男と肩を並べた。 「どうだった?」エリックは前を向いたまま問い掛けた。 「それが、とても忙しそうでした」 とても忙しそうだと?それで俺にどうしろと? エリックは立ち止まり、先を行く男を睨みつけた。男は慌てた様子もなく立ち止まると、振り返って言った。 「ちゃんと..

  • 花嫁の秘密 260

    セシルは朝食を済ませた後、サミーを図書室へ誘った。食後のデザートと昨日のクラブでの話の続きを聞くためだ。 「それで、ローストビーフ以外に美味しかったもの――じゃなくて、面白かったこと何かあった?」 リックの登場でサミーはすっかり貝のように口を閉ざしてしまった。元からこうだけど、昨夜またなにかあったのかもしれない。とにかくリックは出掛けたことだし、きっと面白い話を聞かせてくれるはずだ。 「僕がカードゲームで大勝ちしたこと以外の面白いことなら、そうだね……何人かに結婚を勧められたことかな」サミーはそう言って、スプーン片手に薔薇の砂糖漬けを紅茶の入ったカップに沈めた。 「サミーが結婚する方に賭けている人たちだね。でも、どうしてサミーが彼女と結婚なんてすると思うんだろう。だって、クリスの元恋人でしょ?」言葉にしてゾッとした。もしかすると赤毛のあの人がクリスと結婚していた可能性も..

  • 花嫁の秘密 259

    翌朝、エリックはサミーのベッドで目覚めた。前日はサミーが目覚める前に部屋を出たが、今朝はそうしなかった。サミーを腕に抱いて目覚めるのも悪くない考えだと思ったが、残念ながらサミーはもうベッドにいなかった。 昨夜のサミーはやけにおしゃべりで、たまに気もそぞろになっていたが、それでもいつもよりかは素直に抱かれた。告白が効いたのだろうか。それなら何よりだが、そう簡単な男ではないことはエリックがよく知っている。 部屋を出ると、ブラックが外で待っていた。 「何かあったのか?」問いながら自分の部屋へ戻る。 「例の屋敷ですが、貸し出されるそうです」 例の屋敷――サミーの住まいにどうかと思っていた屋敷だ。売りに出されていたがなかなか買い手がつかずにいた。それもそのはず。馬鹿高くて誰が買えるっていうんだ。売る気がないのではと思うほどだ。 「ワンシーズンの賃貸契約ってとこか?..

  • 花嫁の秘密 258

    やっぱりおかしい。エリックが遠慮するなんてありえない。 いったい僕になんて言って欲しい?抱いてくれと懇願して欲しいのか?せめてもう少し飲んでおけばよかった。そうすれば、こんなに細かいこと気にならなくて済んだのに。 でも、今夜はエリックを押し退ける気にならない。 サミーは灯りの中にぼんやりと浮かび上がるエリックの口元に目をやった。いつも皮肉ばかりでイライラさせられる唇は、いまにも僕に襲い掛かろうと様子をうかがっている。エリックのキスは、まあ、悪くない。そもそもこんなにしつこくキスをしてくるのはエリックくらいなものだ。 そう思っていたら唇が重ねられた。しっとりとした唇は力強く、それでいて優しくて、他の誰のものとも違った。舌を絡められて背中がぞくりと震えた。意識しないようにしても、下腹部に熱が溜まっていくのがわかる。 サミーは考えるのをやめて、エリックの首に腕を回しじっ..

  • 花嫁の秘密 257

    話をするだけだった。もちろんサミーに触れるのは当然で、キスもするつもりだった。腕の中に手に入れたくてたまらない男がいるのに、何もせずにいられるはずがない。 サミーはなぜかほぼ無抵抗だ。いったい何を考えているのだろう。 俺がジュリエットのことを隠しているように――もちろん明日の夕方までの話だ――サミーも何か隠しているのだろうか?例えばデレクとの関係とか。 ふいに激しい嫉妬が湧きあがり、エリックはサミーの顔を両手で挟むと考えを読み取ろうと瞳を覗き込んだ。さすがに枕元の灯りだけではそこまではわからなかったが、少し驚いているようだ。 「急にどうしたんだ?」サミーが不思議そうに尋ねる。キスをやめて欲しくなかったのだろうか?それとももっと体に触れて欲しいのだろうか。そう勘違いしてもおかしくない声音だ。 「そっちこそ、今夜はどうした?」酔ってもいないのに、素直に抱かれようと..

  • 花嫁の秘密 256

    サミーはベッドの中でまどろんでいた。 エリックとの外出は予想外に楽しめた。もちろん目的があり、楽しむために出かけたわけではなかったが、それでも久しぶりにまともに食事もしたし、ゲームの腕も鈍っていなくてホッとした。 少し前にセシルが戻ってきていたのは、ドアの閉まる音で気付いた。彼も今夜は楽しめただろうか?僕と違って朗らかで友人も多いのだろう。こっちへ来てすぐに呼び出されるくらいだ。 といっても、別に羨ましくはないのだけど。 サミーは寝返りを打とうとして、物音に気付いた。部屋に誰か―― 「いったいどうして僕の部屋に?ちょっ!なに――」相手が誰だか確かめる間もなく――確かめる必要などないが――上掛けがめくられ、冷たい空気とともにエリックがベッドに入ってきた。 「気にするな」 「なんだって君は僕のベッドの潜り込んでくるんだ?」昨日は結局のそのまま眠ってしまったが、..

  • 花嫁の秘密 255

    エリックはいつになく機嫌のいいサミーを連れて早々と帰宅した。 セシルはまだ帰っていないようで、土産話をしたくてうずうずしているサミーは残念そうに自室へ戻って行った。 サミーがあそこまでカードゲームに強いとは思わなかった。いつだったか、前にハニーも含めて遊んだときは手加減をしていたに違いない。まったく。表情は顔に出さないし、おそらくあいつはカードを数えているか記憶している。本当にあそこで買収費用を調達しかねない。 プルートスの買収か。 悪くない、とエリックは思った。何も持たないサミーが、ようやく自分の物を手にする。 だが、プルートスは安くない。それがなんだ?サミーに居場所を与えられるなら、安いものだ。 とはいえ、それは今じゃない。目の前の問題が片付いたら、計画を進めることにしよう。もちろん褒美はたっぷりいただく。 エリックはひとり図書室へ向かった。そろそ..

  • 花嫁の秘密 254

    シリル・フロウは戦々恐々としていた。 正直なところ、エリック・コートニーは苦手だ。直接面識はないが、こちらと同じで狙った獲物は逃がさない男だ。以前彼の妹――ほんの小さな子供だが侯爵夫人だ――を公の場で侮辱したご婦人方は社交界からそっぽを向かれ、退場を余儀なくされた。 たかがゴシップ紙のくだらないコラムのせいでだ。筆者は匿名だったが、あれをコートニーが書いたのは間違いない。界隈の知人に聞いたのだから、疑いようのない事実だ。 しかし、怖がったところでどうしようもない。コートニーとリードが繋がっているのは一年前からわかっていたことなのに、今回の賭けを避けなかった。もう賭けは進行中で、今更デレクは引かないだろう。ホワイトもそうだ。 ちょっとしたことで人が落ちていく様を見るのは痛快だが、今回ばかりはそうも言っていられない。油断すると、自分が落ちてしまうかもしれないからだ。 ..

  • 花嫁の秘密 253

    サミーは客が行き来する様や、従業員が通用口を出入りする様子を通路に出て眺めていた。今夜は賭けもサイコロを振るゲームにも興味は引かれなかった。 「彼らは上へあがったようだね」デレクたちは中央の階段ではなく、入口にほど近い狭い階段を使って三階へ上がったようだ。ここは五階まであるが、最上階はオーナーの私室のあるフロアとなっている。 「お前を殺す作戦でも立てるんじゃないのか?」エリックには、こちらの心情に気を配るというものは存在しないようだ。けれど腹を立てても仕方がない。 「そんなのとっくに済んでいて、あとは実行するだけだろう」ふんと鼻を鳴らし、無遠慮な物言いをするエリックから離れ、ラウンジを見おろせる場所へ移動した。手すりに寄り掛かるようにして、下の様子をうかがう。 四人目の男はいったい誰なのだろう。そもそも今夜来ているとも限らないのに、ここにいる意味があるのだろうか。正..

  • 花嫁の秘密 252

    デレク・ストーンはちょうどラウンジに目を向けていた。 自分のステージか何かと勘違いするホワイトが、あちこち寄り道しながらこっちへやってくる。まあ、確かにホワイトの見た目は申し分ない。輝く金髪に宝石を思わせるような緑色の瞳。不健康そうな青白い顔は男らしさには欠けるが、怠惰な暮らしをしているわりには体は引き締まっている。屋敷に籠って鍛えているのだろうか? とはいえ、シリルに肩を小突かれただけでよろけているから、そんなことはないのだろう。 「デレク、リードが来ていた」 立ち止まって何を見ていたかと思えば、あの二人を見ていたのか。どうせサミーの――リードはこう呼ぶとひどく腹を立てる――あの髪に見惚れていたのだろう。どこがそんなにいいのやら。 デレクは自分の豊かな黒髪に触れずにはいられなかった。 「ああ、さっき挨拶をしたところだ」報告を聞くまでもないと、そっけなく..

  • 花嫁の秘密 251

    マキシミリアン・ホワイトことマックス・ホワイトは、階段の途中で話し込む二人に目をとめた。 あの素晴らしいプラチナブロンドは――見間違えようがない。まさか彼が今夜ここに来ているとは思わなかった。デレクたちはもう知っているのだろうか。隣にいるのは、コートニー家のあいつか。 ホワイトは思わず舌打ちをした。あそこが結婚によって繋がったことは、もちろん知っている。けど、まさか一緒にここへ来る仲とはね。予想外だ。 しかし、いつ見ても彼は美しい。ここ最近で出会ったなかでは一番ではないだろうか? ホワイトは他に誰かいただろうかと、何人か自分の記憶から引きずり出した。ああ、そういえば、あそこのクラブの彼も恐ろしく美しい。いつか会員になりたいものだが、少々の資金不足と紹介してくれる保証人がいないので、当分は無理だろう。残念だ。 考え事をしている間に、次のターゲットであるサミュエル..

  • 花嫁の秘密 250

    「それで?なんでそんなにデレクを嫌う」エリックはいたって穏やかに尋ねた。問いただせばサミーは頑なにしゃべるのを拒むだろう。 簡単に調べたが、サミーとデレクとの間に接点はなかった。もちろん知り合いなのは間違いない。ただ、好きだの嫌いだのという感情が沸き上がるほどの何かがあったことは、確認できなかったという意味だ。 「別に」とサミーは一言。素っ気ないものだ。 まあ、いい。いまのところこのことが問題になるとは思えない。だからそのうち聞き出すことにしよう。 「ところで、デレクはわざわざ挨拶に来たと思うか?それとも偶然目に留まったからか――」 「偶然目に留まったからといって、挨拶しに来るようなやつじゃない」 確かに、サミーの言うとおりだ。つまり、デレクはサミーがクラブに現れたのを知って、わざわざ席までやってきた。賭けの対象だからか、それともサミーと過去に何かあった..

  • 花嫁の秘密 249

    エリックの勧め通り、ローストビーフは絶品だった。 以前から看板メニューだっただろうかと、空の皿を押しやりながら思った。確かに何人か同じように注文しているところを見れば、きっとそうなのだろう。 エリックがどうだ良かっただろうと、得意げな顔を向けてきた。認めるのは癪だけど、否定することでもない。どうせ幼稚だと思われるだけだし、周りがスパイだらけとあっては反発する気も失せる。 「自分の屋敷を持とうとは思わないのか?」エリックが出し抜けに言った。 これまでそんな会話をしたことがあっただろうかと、サミーは顔をしかめた。「本当なら、クリスのものは全部僕のもので、当然屋敷も僕のものだった」 「知ってる」エリックは短く言って、何杯目かのシャンパンを飲み干した。 「僕にどうして欲しい?クリスとアンジェラの邪魔をしないように他所へ行けと?」実際そうすべきなのだろうか? ..

  • 花嫁の秘密 248

    もう気づいたか。さすがだ、と言いたいところだがサミーの知らないことはまだいくつもある。エリックは笑みをこぼしたい衝動を抑え、誤魔化すように満たされたグラスを手に取った。 「お前の食べられそうなものを注文しておいたから、今夜くらいはまともに食事をしろ」くいと半分ほど飲み、アイスペールに刺さったボトルを一瞥する。ふんだくる気でなかなか上等なものを寄越したようだ。 「おかげさまで、昼食はたっぷりいただいたよ」サミーは目をすがめ責めるような視線をエリックにぶつけた。おそらくブラック――新しい従僕――のことを当て擦っているのだろう。 「たっぷりね……」ブラックの報告ではたっぷりとは言い難いが、いつもよりは食が進んでいたようだ。きっとセシルの食べっぷりに影響されたのだろう。「お前がそう言うならそうなんだろう。とにかく、ここのローストビーフは絶品だから食べておいて損はない」 「セ..

  • 花嫁の秘密 247

    プルートスはにぎわっていた。ここで夜を過ごす者、このあと控えているパーティーまでの時間つぶしで来ている者、よく見るとカウンターの隅の席で深刻そうに話をしている者がいる。横顔に見覚えがあったが誰だか思い出せない。 エリックに訊いてみようか。サミーはすぐにその考えを振り払った。なんであれ、エリックを頼りすぎるのはよくないし、得意げにされるのもうんざりだ。 「シャンパンをグラスで二つ。席はあそこにするよ」エリックが給仕係に声をかけ、ラウンジの奥まった席を指さす。柱の陰に隠れて周りを観察するにはいい席だ。 「僕は飲まないよ」遊びではないとさっきも言ったのに、エリックは聞いていなかったのだろうか? 「飲んでいるふりくらいできるだろう?」エリックは軽く受け流し、目当ての席へ向かって奥へと進む。 本当にふりだけで済ませてくれるのだろうかと、疑り深い視線をエリックに向けた。今..

  • 花嫁の秘密 246

    エリックは夜会服姿のサミーを階段の上からしばらく眺めていた。 痩せすぎなのを除けば、何もかも完璧だ。髪は後ろに軽く撫でつけ、額をあらわにしている。思わず口づけたくなる。 「ふうん、意外だな」さも、いま降りてきたというように声をかけると、サミーがじろりと睨みつけてきた。綺麗な瞳だ。 「なに?」サミーは不機嫌この上ない返事を返し、外套を羽織った。 「いや、セシルがちゃんと伝言をしていたことに驚いただけだ」それからサミーがきちんと支度をして待っていたことにも。 エリックが屋敷に戻ったのは一時間ほど前。朝から詰め込みすぎた予定をすべてこなし、予定外だったS&J探偵事務所にも寄って、仕事の依頼を済ませてきた。その時セシルの姿はなく、話が伝わっているのかは未確認だった。 「君が僕の今夜の予定を勝手に決めてしまったことかな?」サミーはチクリと言い、プラットの差し出したステ..

  • 花嫁の秘密 245

    その頃フェルリッジのリード邸では―― 「アップル・ゲートへ行きたい?」クリスは動揺を隠しつつ、たったいまアンジェラが口にした言葉を繰り返した。妻に実家へ帰りたいと言われて動揺しないわけがない。驚いてソファから腰を浮かしたほどだ。 「クリスがラムズデンに行っている間だけよ。一人でここにいるのは寂しいし、お母様とゆっくり話もしたいし、いいでしょう?」隣に座るアンジェラはクリスの手を取った。小さな手に力を込めて説得しようとしているのだ。 クリスはその提案を真剣に考えてみた。 確かにここがいくら安全だと言っても、一人にさせるのは心配だ。アップル・ゲートならマーサもいるし、アンジェラが寂しがることもない上、ソフィアにこの結婚生活の意義を説くこともできる。 とはいえ滞在中は護衛が必要になるだろう。一番頼りになるエリックはサミーとセシルを連れて行ってしまった。連れ戻すか? 「..

  • 花嫁の秘密 244

    朝目覚めた時、そこにエリックはいなかった。 当たり前だ。ここは僕のベッドだし、エリックがいるはずがない。それでも昨夜眠りに落ちる前に言われた言葉が耳に残っている。それも鮮明に。 彼は僕を愛していると言った。いや、正確には愛してやれるといったか。どちらでも意味は同じように思うが、なんとなく違う気がした。 顔を洗い、着替えを済ませ、部屋を出ると廊下に見覚えのない従僕が立っていた。見栄えは悪くないが背が高すぎる。支度を手伝おうと待機していたのだろう。新入りだろうか? 「ひとりで平気だから下がっていいよ」そう言って、階下へ向かう。 お腹は、空いていない。この数日なぜか食欲がなく、その理由がわからずにいる。図書室へ入ると、セシルがいた。アンジェラによく似た彼はケーキの乗った皿を抱えて本を読んでいた。 「おはよう、セシル。朝食は済ませたのかい?」 「サミーおはよう..

  • 花嫁の秘密 243

    なぜこんなにもサミーに執着するのか、エリック自身理解できないでいた。 最初は好奇心、それとも同情したからか――今はもう別の感情に変化してしまい思い出すことができない。 「おい、いつまでそうしているつもりだ?」エリックはぼんやりと暖炉の炎を眺めるサミーに声をかけた。 「なにが?」サミーは思考を分断されたことに、目をぱちくりとさせてエリックを見る。 「髪をちりちりにする気か?」エリックは這うようにしてサミーのそばに寄ると、肩を掴んで後ろに引いた。 サミーの絹糸のように繊細なプラチナブロンドの髪がふわりと揺れる。少し伸びてきただろうか、柔らかい毛先があちこちに跳ねている。指の間に絡めた時の心地よさを思い出し、エリックは思わず呻き声をもらした。 「そっちこそ、もう乾いているじゃないか。そろそろ部屋へ戻ったらどうだ?」サミーが警戒心もあらわに言う。 警戒はしていても..

  • 花嫁の秘密 242

    サミーが自分の部屋と呼べる場所へ戻ったのは、ずいぶんと遅くなってからだった。 話が進むにつれ居心地のいい図書室から動くのが面倒になり、食事もそのままそこで適当に済ませることになった。エリックは執事に言って、極上のボルドーワインを持ってこさせた。クリスのものはアンジェラのものも同然で、すなわちアンジェラの兄である自分にも飲む権利があるとかどうとかくだらないことを言っていた。 クリスのものだろうが何だろうが、ワインくらい好きに飲めばいい。ワインも地下で眠っているより飲まれた方がその価値があるというものだ。 「なあ、僕は本気で疲れているんだ」サミーはタオルで頭を拭きながら、背後に立つ男にうんざりと言った。 「気にするな」 気にするな?朝目覚めてから寝るまで一日中つきまとわれればうんざりもする。しかも長旅になったのはエリックが列車で行くのを拒んだからだ。ちょうどいい時..

  • 花嫁の秘密 241

    エリックにとってリード邸の図書室は、さほど心地のいい場所ではない。もちろん居心地が悪いわけではないが、ハニーのように長居したい場所かと言われればそうではないというだけ。ただここにはコートニー邸にはない上等な酒がキャビネットにずらりと並んでいる。好みの酒を手に取ればたちまち居心地が良くなるから不思議だ。 実のところ、このままクラブに行ってもよかった。けれども、さっき口にした通り今夜はもう誰にも会いたくなかったし、何よりサミーが心配だった。 道中何度か休憩を挟んだが、サミーは終始不機嫌で食欲もなく、数日前からの風邪がまだくすぶっているようだった。まあ、不機嫌なのは半ば強引に連れ出されたことに腹を立てているからだろうが、ちょっとでも目を離すとろくなことをしないのだから仕方がない。ジュリエットのことなど俺一人でもどうにかできる。そうしないのは、サミーにハニーを救わせたいからだ。 「そ..

  • 花嫁の秘密 第九部 追加登場人物

    追加登場人物 (ちょっと増えてきたので覚え書き) <ラムズデン> リード家の領地のひとつ クラーケン(65)前土地管理人 モリソン(32) 土地管理人 フォークナー 弁護士 ・リード家顧問弁護士 バートランド(35) ・ロンドンリード邸執事 プラット(40) <プルートス>(紳士クラブ)の会員 デレク・ストーン(29) ブライアークリフ卿の長男 シリル・フロウ(25) マックス・ホワイト(25) <ヘイウッド村> ウォルト夫妻 ラウンズベリー伯爵所有の屋敷の管理人 ロイ・マシューズ(14) キャム・マシューズ(8) ※登場人物名、地名は架空のものです。

  • 花嫁の秘密 240

    「それで、どうして君たちは自分の家に帰らないんだ?」サミーは背後の二人に向かって言った。玄関広間で出迎えた執事に脱いだ手袋を無言で差し出し、小さく溜息を吐く。 居心地のいい場所から無理やり連れ出され、一日かけてようやく自分の屋敷に――正確にはクリスのだが――たどり着いたというのに、僕はまだ解放されないというのか? 「だって、火の入っていない屋敷に戻れると思う?てっきりクリスが一緒に電報を送ってくれたものだと思っていたよ。もしくはハニーがね」セシルは気後れすることもなく、まるで我が家のように脱いだコートを従僕に手渡す。 確かにセシルの言うとおりだ。クリスはなぜ一緒に電報を打たなかったのだろうか。コートニー邸も開けておけと書き添えるだけでよかったのに、もしかしてわざとなのか? 「エリックは自分のアパートに戻ったらどうだ?」無駄だとわかっていても言わずにはいられなかった。..

  • 花嫁の秘密 239

    クリスマスを前に突然家族バラバラで過ごすことになってしまい、さすがのアンジェラも我慢しきれなかった自分に嫌気が差していた。いつかは秘密を明かさなければならない時が来るとしても、それはいまではなかったはず。どうしていつものように聞き流せなかったのだろう。 「ハニーが言ってしまわなければ私が言っていた」 クリスはそう慰めてくれたけど、領地の問題で大切な時期にサミーまでここを離れてしまい、本当はすごく困っているはず。 いまちょうど弁護士が来ていて、難しい話をしているところだ。クリスと同じ赤毛で歳は少し上だろうか、何も知らない人が見ると兄弟のように見えなくもない。もしかして親戚か何かなのだろうか? クリスは間もなくラムズデンへ行ってしまう。すぐに戻ってくると言っていたけど、サミーが言うにはそんなに簡単な話ではないらしい。 そうなると、一緒に行った方がいいのかしら? ..

  • 花嫁の秘密 238

    サミーとエリック、そしてセシルが慌ただしく屋敷を発って間もなくして、リード家の顧問弁護士バートランドが重そうなかばんを携えてやってきた。クリスと同じ赤毛でつい最近父親から役目を引き継いだところだ。まだ三十五歳と若いが、長年父親のそばで仕事をしてきて、経験もそこそこあるし細かいことに気がつく優秀な男だ。 「それで、どうだ?」クリスはいくつかの書類に目を通しながら尋ねた。思ったよりも収益が上がっていないのが気になる。 「幸いなことに、土地を担保に借り入れなどはしていなかったようです」バートランドは淡々と言い、クリスに見せるべき書類を次々と目の前に出していく。 「被害は年末の支払い用に調達していた金だけか……それだけ持っていったいどこへ?妻子はどうなった」モリソンの捜索は地元の人間に任せているが見つかるのも時間の問題だろう。 「それだけといっても、大金です。モリソンに目立..

  • 花嫁の秘密 237

    「それで、リックたちは何を企んでいるの?」セシルはポークソテーにたっぷりとマッシュポテトをナイフで塗りつけ、ニコニコ顔で口に運んだ。 途中立ち寄った街で休憩がてら昼食をとることになったが、ここ<フェアリー&ピッグス>は当たりだった。妖精と子ブタちゃんの看板の意味は豚肉料理が絶品なのと、この辺一帯は妖精の住処だから、らしい。川辺には近づいてはダメだと店主に言われた。 「僕は何も。巻き込まれただけだ」そう言ってエリックを見るサミーはアップルパイをちまちまつついている。つつくだけで食べている気配はない。 エリックはエールを飲み干し揚げたてのポテトをつまんで口に放ると、サミーの方に皿を押しやった。 「誤魔化そうたって無駄だよ。僕はクリスマスのごちそうを取り上げられたんだから、何をするつもりなのか知る権利はあるはずだよ」このミートソースのマカロニもなかなかだけど、やっぱりポー..

  • 花嫁の秘密 236

    朝食という名の別れの挨拶が済むと、サミーは愛用のステッキと銃を携え玄関前で待機する馬車に乗り込んだ。というより、エリックに急かされ無理やり乗せられたという方が正しい。 サミーは窓の外に目をやり、手を振るアンジェラに手を振り返した。今日二度目の見送りだからか、どことなく寂しげだ。クリスと二人で過ごすのも悪くはないだろうが、アンジェラのそばには家族か友人か、侍女以外の誰かがいたほうがいい。エリックの言うようにメグは頼りになるのだろう。けど彼女は所詮アンジェラの正体も知らないただの侍女でしかない。 馬車が動き出すとアンジェラの姿が視界から消えていき、仕方なく薄曇りの空に目を向ける。 きっと屋敷へ入るとき、玄関にぶら下がっているヤドリギの下でクリスとキスをするのだろう。そう思うと、みぞおちを殴られたかのように息苦しくなった。二人は結婚していてキス以上のこともしているというのに、い..

  • 花嫁の秘密 235

    サミーは迷った末、エリックの言葉を無視していつものように普段着で階下に降りた。一時間でここを出るというのがどこまで本気かわからなかったからだが、すでに玄関前に馬車が回されているのを見て、エリックはこうと決めたらそうする人間だということを思い知らされた。 朝食ルームへ入ると、アンジェラは物憂げにココアを飲んでいた。昨日の告白から間を空けずして母親がここを去ってしまったのだから、傷ついて当然だ。こんな時ほどそばにいてあげたいのにエリックがそれを許さない。サミーは苛立ちを抑えにこやかに声をかけた。 「アンジェラ、おはよう。ソフィアはもう出発したんだって?挨拶しておきたかったのに」 パッと顔をあげたアンジェラが、いつもと変わりない笑顔だったことにサミーは安堵した。 「サミー、おはよう。そうなの、お母様とマーサはアップル・ゲートに帰ってしまったの」 アンジェラの返事を聞..

  • 花嫁の秘密 234

    寝間着の上にガウンを羽織っただけのアンジェラは、母の言いつけ通り馬車の車輪が動き出すとすぐに邸内へと入った。外はまだ白み始めたばかりで雪もちらほら残るなか、ソフィアとマーサはフェルリッジを発った。アップル・ゲートへはまっすぐ戻らず寄り道をするのだとか。 「朝食くらい食べて行ったらいいのにね。もう三十分出発を遅らせるだけでいいのに」同じように寝間着にガウン姿のセシルが軽く伸びをしながら言った。もうひと眠りしたそうに、ふわぁとあくびをする。 「ほんと、こんなに急いで帰らなくたっていいのに。わたしもクリスも寝間着姿よ」 クリスがアンジェラの肩を抱く。「このまま着替えて朝食を食べに行くか、ベッドでもう少しだけまどろむか、どっちがいい?」見上げたアンジェラの額に口づけ、返事を待つ。 昨夜は眠りが浅かったし、もうひと眠りするのも悪くないのかもしれない。お母様と短いとはいえきちん..

  • 花嫁の秘密 233

    「支度は済んだのか?」 上掛けに潜り込んでいたサミーは、朝から聞きたくもない声を耳にして思わず眉間にしわを寄せた。ゆっくりと這い出るようにして顔を出すと、すぐそばにエリックの顔があった。ダークスーツに暗褐色のシルクのネクタイを締めベッドの端に腰かけている。 「君はここで何を?僕の眠りを妨げる権利はないはずだけど」 「俺はどんな権利も持ち合わせている。ぐだぐだ言ってないでさっさと起きろ。ハニーはもう起きて母様を見送ったところだ」 「まだ暗いのに、ソフィアはもう行ってしまったのか?アンジェラは少しは話をできたのかな」サミーは肘をついて少し上体を起こすと、カーテンがひかれたままの薄暗い部屋を見まわした。もしかしてカーテンを開ければ日はもう高く昇っているのだろうか? 「通常通り親子として別れを惜しんでいたから、大丈夫だろう」 「そう、よかった。それで?支度って?..

  • 花嫁の秘密 232

    その夜遅く、クリスは書斎で頭を抱えていた。 クリスマスの飾りつけは無事済んだし、アンジェラへのプレゼントも準備万端だ。何も困ることはないはずだったのだが、アンジェラのいささか刺激的過ぎたプレゼントを受け取ってしまったソフィアが、アップル・ゲートへ戻るという。 クリスはソフィアと話をする必要があった。この結婚は間違いなどではなく、今後も続いていくのだと。けれどもソフィアはクリスはおろか、アンジェラとも話すことを拒んだ。 アンジェラの突然の告白を受け入れるために時間が必要なのは理解できる。クリスもかつて同じような経験をしたのだから。だが、本当に同じと言えるだろうか?過ごした時も愛の種類も違う。ソフィアはいったいどうやって納得するのだろう。いや、クリスと違って受け入れるという選択しか、ソフィアにはない。 元はマーサがついた嘘からすべてが始まった。それは本当に仕方がなくつい..

  • 花嫁の秘密 231

    問題解決を先送りにしたまま、一同は一旦解散した。 そのタイミングで長い昼寝から目覚めたセシルがやって来たため、アンジェラとマーサは状況説明のために応接室に残った。 クリスは書斎へ行き、エリックは部屋に戻るサミーの後を追い、扉が閉じられる前に中へ滑り込んだ。 「お前、ハニーとクリスが別れればいいと思ったんじゃないのか?」サミーの背に向かって言う。 「は?冗談でもそういうことを言うのはやめて欲しいね。僕はアンジェラの幸せを誰よりも願っている」サミーはエリックを見もせず肩越しに言い返し、上着を脱いでベッドに放った。 まったく、忌々しい男だ。自分で聞いておいて馬鹿みたいだが、こいつがハニーのことを何より大切にしていることを忘れていた。 「まあ、いいさ。とにかく母様は真実を知ってしまった。もう、クリスマスパーティーどころじゃないな。さて、どうするか……」こうなった..

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