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2022/02/27

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  • 現実は計画を裏切る

    何事も、人の想いどおりに事は運ばない。人生では、予想は現実に裏切られ続けられるものかも知れない。トルストイの「戦争と平和」は、現実がいかに作戦計画を裏切るものであるか、また、勝敗を決するものは、少数の優れた将軍たちの力量に依るものでなく、名もない兵士たちの奮闘であることを、繰り返し説いている。つまりナポレオンや参謀たちの頭脳(想像力)から生まれた作戦計画というものは、一旦作戦が始まると、予想外の現実によって様々な齟齬を来たし、それは時間の経過と共に当初の計画との乖離を拡げ、計画はどんどん役に立たないものになる。どんな緻密な作戦計画も、現実の前にはひとたまりもない。流石のナポレオンも「ワーテルローの戦い」では、前日の雨の影響で野砲の配置計画に狂いが生じ、それが後々まで影響して戦況を立て直すことが出来なかった...現実は計画を裏切る

  • 漱石と鴎外

    明治の文豪というと、漱石と鴎外が双璧として並び称される。しかし、人となりには相当違いがあると思量されるので、不遜ながら老生の独断・偏見を披露させていただく。漱石と鴎外は、文芸家としてはともかく、人となりは双璧たり得ない。鴎外ファンには悪いが、人としての鴎外は漱石と同格とは思えない。漱石は英国留学の挫折を経て、やむにやまれぬ思いから、小説を書き始めた。鴎外は漱石の文業の成功に触発され、この程度のものなら自分にも書けると思い小説を書いてみたに過ぎない。既に軍の医官として最高位に就いていて、功成り名を遂げていた人である。文芸に生きる動機や気概が根本的に違うように感ずる。実際、当時の文芸に対するエスタブリッシュメントの評価は低かった。漱石も鴎外も、国家から能力を認められ、分野を異にするが国命で留学している。漱石は...漱石と鴎外

  • マタンゴ

    日中戦争と太平洋戦争、戦争に明け暮れた挙句の敗戦とその後のアメリカナイズ社会は、旧い日本社会が連綿と守ってきた日本人の誇りを完膚なきまでに粉砕した。ちょうどその頃に登場したテレビは、娯楽の上では軽佻浮薄な芸能文化を国中に広めたが、人々の日常生活の慰安という点では、空前絶後の効果をもたらした。同時にそれは、大宅壮一氏が「1億総白痴化」危惧したとおり、日本人の豊かな情操を損なわせるものがあった。アメリカの占領政策の要項に、テレビの普及があったかどうかは知る由もないが、私の少年時代のテレビは、アメリカ製の西部劇やホームドラマがほとんどだった。大人気のプロレス中継も、見ようによっては、白人プロレスラーをを叩きのめす力道山の勇姿があってこそのもの、占領政策(被占領国民の慰撫)に基づく番組であったのかも知れない。テレ...マタンゴ

  • イチョウの純林

    次男の運転で、掛川と菊川の両市を通過した。まず掛川市の国道150号に沿う店で買い物を済ませた。続いて国道から北に向かう。掛川から菊川にかけて、国道150号とJR東海道線に挟まれた広大な地域には、低い丘陵が起伏し、網の目の様に道路が丘の間を縫っている。ナビなしで初めて入ったら、道迷いは必至だろう。次男のお勧めスポットがあるということで立ち寄る。道路の左手にイチョウの純林が現れた。整然と碁盤の目のようにイチョウが植えられている。縦横100mぐらい、1ヘクタールの広さがあるだろうか?元はギンナンを採る圃場であったらしい。根本から何本かの幹が立ち上がり、さらに枝分かれしている。幹の直径は30cm前後、樹齢は60年を超しているだろう。縦方向にも横方向にもイチョウのトンネルが続く。イチョウは自然状態では純林を形成しな...イチョウの純林

  • 次郎柿

    柿が美味しくなってきた。当地は次郎柿発祥の地、遠州森町に近い。遠州人は次郎柿好きが多い。石田三成は関ヶ原の合戦に敗れて処刑される前、水の代わりに柿を勧められたが、胆の毒と云って断ったらしい。三成だけでなく、柿は身体を冷やすと信じて食べない人がいる。老生は柿でお腹を壊したことなど一度もないから、取るに足らない風説だろう。次郎柿は摘果後も熟成が進み、完熟するとスプーンを使わなければ食べられない。この完熟したものが老生には極上品だが世は様々、固くカリンコリンとしたものを好む人が多い。また、完熟を腐敗の始まりと誤認する人たちもいる。腐敗は腐敗菌が増殖することだが、柿は高い糖分と抗菌作用のある渋(タンニン)の相乗効果で、熟成から腐敗へ移行することはまず無い。安心して食べていただきたい。柿はバラ科のリンゴやナシとは、...次郎柿

  • 次郎柿・イチョウの純林

    大好物の柿の季節になった。石田三成は、柿は胆の毒という風説を信じ、処刑前に水代わりに供された柿を食べなかったそうだ。三成に限らず、今も柿がお腹を冷やすと云って食べない人はいる。私は根拠の無い風説にはお構いなくよく食べる。食べ過ぎてお腹を壊したこともない。昨年は鉢屋柿の干し柿に挑戦したが、慣れぬことで何かと大変だった。風雨や鳥獣害を避けるには、毎晩屋内に取り込まなくてはならない。昼間も目が離せない。努力の甲斐あって、正月に大きな干し柿を満喫したが・・・今年は柿が不作と聞いていたし、雨が多く気温も不安定だったので、端から干し柿をつくる気はなかった。当地は甘柿の次郎柿発祥の地、周知郡森町に近く、地域の柿の栽培は次郎柿が主流だ。消費者も次郎柿を最上のものとしている。この柿は摘果後も熟成が一定の速度で進行し、完熟す...次郎柿・イチョウの純林

  • 酪酸菌

    私たち日本人の腸内には、善玉菌と日和見菌そして悪玉菌と云われる細菌群が、2:7:1の割合で生息しているらしい。これら細菌を始めとする無数の細菌群は、腸壁に腸内フローラと呼ばれる腸内細菌叢をつくり、さながら花畑の様相を呈しているらしい。腸内細菌叢では、細菌が拮抗を保って生活しているそうだ。善玉菌には3種類の有用菌があって、生育に好適な腸内の場所に別れて棲み、私たちの健康維持に寄与しているらしい。小腸上部には酸素が無いと繁殖できない糖化菌(納豆菌や枯草菌など)、小腸下部に酸素の有無を問わず繁殖できる乳酸菌、そして大腸の結腸部に酸素が有ると繁殖しない酪酸菌が棲みついているという。酪酸菌という細菌は、糠漬けの手入れを怠ったときに、不快臭を発生させることでよく知られている。俗に「糠味噌臭い」といわれる臭いである。こ...酪酸菌

  • 鈍の二乗

    若い頃から見ると、身のこなしが相当ぎこちなくなって来た。身体のあちこちが固いからそうなる。老化とは、感覚が鈍麻し、身体の活動が鈍重になることである。つまり鈍×鈍、鈍の二乗である。しかしそれは自然の摂理に由るものであるから避けられない。天理に抗うことはできない。抗おうとするから、サプリメント業界の好いカモになるのである。「鈍の二乗」世代は、サプリメント業界から見れば絶好の見込み客である。老いを遅らすとか、目がハッキリ見えるとか、髪が増えるとか、精力が漲るとか、肌が若返るとか、若く見えるとか・・・餌(擬似餌)をバラ撒けば、いとも簡単にお客は飛びついてくる。老化を遅らす効能を謳うサプリメントの氾濫にはただただ愕く外はない。テレビCM数も、最近はこれらサプリメントの通販広告の数が増していると感じる。消費者の藁をも...鈍の二乗

  • 浜松フラワーパーク12

    今秋は未だホトトギスを観ていないので、浜松フラワーパークに行った。この公園に山野草園はないが、植栽域でない山蔭を縫う園路の小径には、野草が多く自生している。フラワーパークに来て野草を観察するのも、手近な自然が残っていればこそ、決して酔狂を衒っているわけではない。三連休の翌日の園内は人も疎らだった。当てずっぽうにスロープカーと呼ばれる斜面モノレールに乗り、谷地の底に降り立った。園路を歩き、ホトトギスが自生していそうな斜面を探し、樹林の中のジグザグの小径を登る。例によって探索は家内の役割り、老生は端から探すのを諦めて後についてゆく。この齢になると、2歳の差は大きい?斜面を登り切った途端「有った!」と家内の声。ホトトギス数株を見つけていた。大した勘である。目的を果たしたので、バラやシュウメイギクを観ながら散策し...浜松フラワーパーク12

  • ノコンギク

    ノコンギクが盛期を迎えている。ヨメナに近い野菊の仲間だが、花色の濃淡と花弁の粗密で適当に見分けている。数年前に急逝した無二の山友は、この花とホタルカズラの花が好きだった。山歩きでは、人が見落とすような小さな野花を見つけ、丹念にマクロレンズで撮っていた。どういうものか、母親との縁に恵まれなかった人は、淡い紫色の花を好むようだ。紫は哀惜の色なのだろうか?紫といっても、青と紅の配合の割合と濃淡で、哀しみの度合いは違ってくる。リンドウになると、色濃く形も特徴ある花が群がって咲くので、山で出会っても嬉しさが勝り、哀しみを感じないで済む。ノコンギク

  • 体験

    私たちの理解や判断は、学習と体験で得られた知識を頻繁に参照することによって成り立っている。一般に人はある段階で学習を修了せざるを得ないが、寝ている時以外は活動をしているので、体験は生涯を通じて已むことがない。体験は人の理解力や判断力を琢磨し続けているものである。大工さんが毎日ノミやカンナを研ぐように、私たちは日々自分自身を体験という砥石に当てて暮らしている。好い体験であれ悪い体験であれ、体験からは必ず何らかの影響を受ける。その影響を爾後に活かすかどうかで、人の生き方は変わってくる。「人生に於いて無駄なことはひとつもない」と謂う言葉は、体験を活かす人にこそ相応しい。この世に生を受けた以上、どのような体験でも、好むと好まざるとに拘らず前向きに受け止め、自家薬籠中のものとして活かすしかないのである。幸福な体験ば...体験

  • 万葉の森公園8ヨメナ

    万葉の森公園の草花に、目を惹くものはめっきり少なくなった。ヨメナが咲いていた。最近は野山を歩かないので、目にすることが減っている。何年ぶりだろう。人も花も、心ときめいた対象に邂逅するのは、幾つになっても嬉しい。ノギクの仲間では、昔からヨメナに最も惹かれていた。花弁が離れていることと、花色の淡い色が好ましかった。五葉アケビの実が成っていた。美味しいものでもないのだが、この実を見ると、なぜか嬉しくなる。形に野趣があるからだろうか?ススキの株の中に生えたツリガネニンジンが、まだ咲いていた。万葉の森公園8ヨメナ

  • 世相を掴む

    世の中がどう動いているのか?世相を知りたい時には、人は出来るだけ徒歩で街中を歩かのが好いだろう。三木清という哲学者は「幸福は外に現れる」と云った。街行く人々の顔つきが、世相のインジケーターである。クルマ(乗用車)に乗っていては、何一つ世の中の手がかりを得られない。洵にクルマというものは、人々を隔て引き離す機械である。渋滞で何10kmも車が連なろうと、大駐車場が何千台もの車で埋まろうと、クルマの中の人たちは互いに他の車や外界から遮断され、人間の集団では無くなる。それを観察しても、人からの情報は何ひとつ得られない。クルマというカプセルの中に入ると、人は集団性を失う。一体感も連帯感も共感もない世界に入る。それは社会的集団ではない。クルマは機械文明の産んだ利器だが、単なる移動手段では無く、生身の人間感覚を喪失させ...世相を掴む

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