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  • 2月(2)の花

    2月17日に届いた花ラナンキュラスは咲いているのが5輪、蕾が6。コデマリが4枝。スターチスが2本。菜の花が1本。4日後、ラナンキュラスは6輪となった。黄色とピンクが2本づつ、白とオレンジが1本づつ。蕾が4本。黄色いスターチスが2本。「スターチス(ハナハマサジ)」は、ピンク、白、青などカラフルな萼(がく)が美しく、日もちもよいため切り花やドライフラワーとして人気がある。ドライフラワーに適した花で、試したことがある。菜の花とコデマリ。コデマリは「茎を十字に切るか、ハンマーなどで叩くかする」という指示通りにしていないので、花がうなだれている。花瓶の高さ20㎝の壁で及ばず、捨てられるところだったコデマリとラナンキュラス。捨てるの嫌いな救世主による救済策。5日後、菜の花が徒長したので、短く切ったが、その後、また伸び...2月(2)の花

  • 荻堂顕『飽くなき地景』を読む

    荻堂顕『飽くなき地景』(2024年10月2日KADOKAWA発行)を読んだ。KADOKAWAによる内容紹介第172回直木賞候補作!一振りの刀が巻き起こす美と血のノワール土地開発と不動産事業で成り上がった昭和の旧華族、烏丸家。その嫡男として生まれた治道は、多数のビルを建て、東京の景観を変えていく家業に興味が持てず、祖父の誠一郎が所有する宝刀、一族の守り神でもある粟田口久国の「無銘」の美しさに幼いころから魅せられていた。家に伝わる宝を守り、文化に関わる仕事をしたいと志す治道だったが、祖父の死後、事業を推し進める父・道隆により、「無銘」が渋谷を根城にする愚連隊の手に渡ってしまう。治道は刀を取り戻すため、ある無謀な計画を実行に移すのだが……。やがて、オリンピック、高度経済成長と時代が進み、東京の景色が変貌するなか...荻堂顕『飽くなき地景』を読む

  • 2月(3)の散歩

    吉祥寺丸井の前、首を垂れた北京ダックの像が不気味。桜はまだ遠く、今は梅の季節白梅紅梅紅梅がずらり。さすが「松庵梅林公園」サザンカもまだまだ。丹念に枝を柵に縛り付けての成果です。「西荻北中央公園」の古桜。「平成3年開園記念寄贈一番街」の札がぶら下がっていた。開園前にどなたかの歴史ある邸宅だったのだろうか。園内には、西荻窪駅中心に南北6カ所に設置された彫刻(花の童子、上向き童子、大朝露童子など)のひとつ、彫刻家の籔内佐斗司さんの作品「龍神童子」が設置されている。(「坂の上のけやき公園へ」の中の写真より)公園内には10名ほどの画伯がスケッチ中。皆さんの視線の先をたどると、1975年創業の老舗のカフェ・物豆奇「MONOZUKI(ものずき)」。ちょっとシャレた外観、重厚な扉と文字も読みずらい看板。入ったことはないの...2月(3)の散歩

  • 土曜日の井の頭公園と米八

    南から三角広場へ入るには、神田川にかかる「ゆうやけ橋」を渡る。この橋の10mほど南にしだれ桜がある。三角広場の脇を流れる神田川に沿う井の頭公園への通路、ピンク色のツバキ。木の根元には花がまるごと落ちて、サザンカでなくツバキだろう。ようやくツバキの季節になったのか?こちらもピンク色のツバキ「ヒラギナンテン」子供の頃、庭にヒラギナンテンの木があり、先頭に花らしきものが咲いていたが、こんなに大きなだった覚えがない。いつもは混みあう土日は避けているのだが、今日は土曜日の朝10時半。人はまだパラパラだが、どんどん増えてきている。スイセンがかなり咲きだした。まだボートはほとんで出て来ていないバンがそろってご出勤丸井脇から公園へ入るには、「七井橋通り」がメインだが、一本南にある「パープル通り」から公園に入る入口には、バ...土曜日の井の頭公園と米八

  • 荻堂顕『飽くなき地景』を読む

    荻堂顕『飽くなき地景』(2024年10月2日KADOKAWA発行)を読んだ。KADOKAWAによる内容紹介第172回直木賞候補作!一振りの刀が巻き起こす美と血のノワール土地開発と不動産事業で成り上がった昭和の旧華族、烏丸家。その嫡男として生まれた治道は、多数のビルを建て、東京の景観を変えていく家業に興味が持てず、祖父の誠一郎が所有する宝刀、一族の守り神でもある粟田口久国の「無銘」の美しさに幼いころから魅せられていた。家に伝わる宝を守り、文化に関わる仕事をしたいと志す治道だったが、祖父の死後、事業を推し進める父・道隆により、「無銘」が渋谷を根城にする愚連隊の手に渡ってしまう。治道は刀を取り戻すため、ある無謀な計画を実行に移すのだが……。やがて、オリンピック、高度経済成長と時代が進み、東京の景色が変貌するなか...荻堂顕『飽くなき地景』を読む

  • 昔話シリーズ(幼かった頃) 母と裁縫箱

    昔々、我家に裁縫箱があった。和裁用で、上蓋を開けると、針山とはさみなどが入っており、その下には三段くらいの引き出しがついていた。横には穴があり、ものさしが斜めに刺さっている。もちろん鯨尺だ。全体は幅40㎝、高さ30㎝ほどの木の箱で、表面に模様のある木の皮が貼り付けてあった。母は良くこの裁縫箱の蓋をあけ、四角い棒“くけ”を起こして立てて、先端から延びたひもの先の物干しバサミのような“かけはり”に布地の一方を挟んで、針仕事をしていた。小学校に上がる前だろうに私の記憶にこびりついているということは、しょっちゅう内職でもしていたのだろう。私はこの裁縫箱、というより母のまわりでよく遊んでいた。おもちゃらしいおもちゃがない時代だ。裁縫箱をおもちゃにして、引き出しを開け閉めし、針山の針を刺し直し、使われていないときには...昔話シリーズ(幼かった頃)母と裁縫箱

  • 2月(2)の散歩―再び大宮前公園へ

    10月1日、15日と行った「大宮前公園」へ、2月5日(水)にまた足を延ばした。散歩先は、どうせならまだ行っていない所と思うのだが、最近は歩ける距離に新規訪問先がなくなってきて、「またなの?」の感が強い。途中見かけた見事なサザンカ(山茶花)「大宮前公園」に着いた。水曜日の14時前なのに小学生たちが一杯だ。小学生は動きが早い、早すぎる!保育園児の方がいいんだけど。あちらでも、こちらでも走り回る小学生だ。小学校って、水曜日は早く終わるの?ここにもサザンカ公園のはずれに黄色い花ロウバイ(蝋梅)だ!老害じゃありません。2月(2)の散歩―再び大宮前公園へ

  • 昔話シリーズ(幼かった頃) 母とはぐれる

    それにしても、あれだけ後ろを見ることが嫌いで割り切っていたつもりの私が、今は何かにつけて昔のことを思い出す。「若者は夢に、年寄りは思い出に生きる」と言うが、これから先のことなど考えたくもない年寄りになってしまったのだからしかたない。何歳の頃か、母親の手をしっかり握っていたはずなのに、母だけ電車に乗ったところでドアが閉まってしまい、私はホームに残されたことがあった。小田急線の下北沢駅でのことだ。電車の閉まったドアのガラスの向こうで母が必死に何か言っている。私はただ呆然として突っ立っている。電車はそのまま動き出し、私はホームに残された。下北沢駅には映画好きの母に連れられて何回か行ったと聞いたことがある。私は映画が始まるとぐずることもなく、すぐ寝てしまうので助かったと言っていた。自宅の最寄り駅・代々木上原駅は、...昔話シリーズ(幼かった頃)母とはぐれる

  • ベランダからの富士山

    2月20日11時、我がマンションのベランダから、近くのマンションの屋上越しの富士山17時22分、夕焼け夕焼け富士ベランダからの富士山

  • 昔話シリーズ(幼かった頃) からかわれて、憤然として反撃した話

    幼いころ母に手を引かれて買い物に行った。パン屋さんに入ると、奥から小母さんが真ん中に大きな染みがある前掛けで手を拭きながら出てきた。少しこごんで僕の顔をのぞき込みながらニコニコして言った。「僕!まだおっぱい飲んでいるんでしょう」憤然として僕は言った。「ちがうわい!触るだけだわい」この話、よくは覚えていないのに、母から何回も聞かされているうちに、なんだか情景まで目に浮かぶようになってしまった。昔話シリーズ(幼かった頃)からかわれて、憤然として反撃した話

  • 「おはぎびより」で

    井の頭通りの宮前5丁目の交差点にある創作おはぎの店「おはぎびより」に寄った。持ち帰りの他、テーブルが3つほどあって店内でも食べられる。しゃれたおはぎで、甘さはごく控えめだ。土日と水曜日の午後しか開いていない。インスタグラムで確認した方が良い。初回、二回目の報告は2023年9月29日。今回は、3回目の訪問、今回も2つだけ購入。ぶら下げるのは、これ。「いちご(ココアあん)」と、「青大豆きなこ」種類は以下の7種の他に、臨時の種類がある。いちご(ココアあん)を二つに割ると、中にも大きなイチゴ。ココアあんは微かな甘さ。青大豆きなこを二つに割ると、こちらも甘さ控えめ。二つで700円を切る値段で、安いとは言えないが、創作費、手作り費なのだ。「おはぎびより」で

  • 白洲信哉『白洲スタイル』を読む

    白洲信哉著『白洲スタイル白洲次郎、白洲正子、そして小林秀雄の“あるべきようわ”』(2009年8月14日飛鳥新社発行)を読んだ。題名の副題は不適切で、白洲次郎、白洲正子、小林秀雄に関する記述は極めて少ない。本書のテーマは、彼らに影響をうけた白洲信哉氏自身がこだわりを持つ生活スタイルなのだ。冒頭の写真は24ページは、信哉氏の身の回りの骨董品、茂木健一郎氏との自宅での会食写真、カッコ良い信哉氏のたたずまいなどだ。第1章白洲信哉の時間これまでの信哉氏第2章茂木健一郎と白洲信哉の対談第3章モノと向かい合う時間信哉氏と骨董との出会い、その後第4章心地よい時間信哉氏の食、生活私の評価としては、★★☆☆☆(二つ星:読むの?最大は五つ星)多くの読者が知りたいと思うことは、白洲次郎・正子と小林秀雄の素顔など、信哉氏が公設秘書...白洲信哉『白洲スタイル』を読む

  • 井の頭公園の緑の小路から水生物園へ

    井の頭通りから弁天通りを南に進み、井の頭公園へ入る。真っすぐ行けば、井の頭池だが、手前を右手に曲がると、「緑の小路」で、左下に池沿いの道を見下ろす、林の中の道になる。緑の小路から降りると、野外ステージの手前になる。金曜日の朝10時、ボートはまで出ていない。カルガモも安心してお休み水草もトチノ木も葉を落とした冬景色。カモたち鑑札をかざして井の頭自然文化園・水生物園の七井門を通る。アオサギ新参者で緊張しているのか相変わらず目つきの悪いコウノトリゴイサギ(五位鷺)。頭髪が後ろに跳ねてます。オシドリ(鴛鴦)オカヨシガモ(丘葦鴨)とコハクチョウ日向ぼっこのトモエガモ?小松菜?に夢中の鳥たち。今や高級品のキャベツが奥にあるよ!一年中みられる留鳥:オシドリ、カルガモ、カイツブリ、カワウ、ゴイサギ、バン、カワセミ、淡水カ...井の頭公園の緑の小路から水生物園へ

  • 2月(1)の散歩

    まだまだサザンカ(山茶花)の季節だ。寒椿というのはサザンカとツバキの交雑種との説もあるらしい。こんもりと刈り込まれたサザンカ。「カワイイ!」「ピンクだって、いいじゃない」「何と言っても、質より量さ!」「カメリア・エリナ・カスケード」別名、ヒメサザンカ(姫山茶花)(byGoogleLens)近づいてパチリバラ(スープニールドゥ・アンネフランク)。チェリーセージなの??まだまだ蕾のジンチョウゲ(沈丁花)。ここ、覚えていて、またやってきます(1/22)。オタフクナンテン(お多福南天)。日が当たらない葉は黒みがかっているが、ここは真っ赤っか。鉄線の檻の中に石を詰め込んだ塀。角が鋭くて、オシャレ。善福寺川にも「コサギ」とくに何でもない夕焼け空だが、思わずパチリ。「空に吸われし十五の心」。67オーバー。2月(1)の散歩

  • 2月4日(火)朝10時の井の頭公園

    旭小路から井の頭線のガードをくぐって井の頭公園へ入る林の中の通路。石畳の両脇に子砂利をひいて平らにして歩きやすくしてくれた。平日の朝10時と言えば、公園を通り抜ける通勤客もいないし、ときたま犬のお伴の老人が通るくらいで、閑散としている。桜の老木の足元には水仙が咲き始めた。こちらもボチボチやな。まだボートが出てないので、鳥ものんびり。この時期、留鳥も、冬鳥(通い鳥)もいて、にぎやか。池の西側に、相変わらず聳え立つマンション。あそこから公園を睥睨(へいげい)してみたい。駅から公園への出入り口の階段脇にはジンチョウゲ。まだ蕾だが、一斉に咲いた時のあの馨しい香りが思いだされる。2月4日(火)朝10時の井の頭公園

  • 2月(1)の花

    2月3日に届いた花まだ「チューリップ」も閉じていて、真ん中に固まっている。2日後、「チューリップ」4本、青紫の「リューココリーネ」4本、赤紫の「モカラ」1本と、「カラー」1本に「麦」2本。淡いピンクのグラデーションがさわやかな「チューリップ」。後ろから光が当るようにすると夢見ごこちになり、明るい窓際で写真をとった。結果が下の写真で、目が覚めてしまった。3種類のランの交配種「モカラ」。色々な色の「モカラ」があるらしい。花弁が薄くて繊細な「リューココリーネ」。細い茎の先に5~6輪の星形の花を付ける。日が当たると一層、透明感を増す花で、上品な甘い香りがする。すっきりとした白や紫、ブルーなどの花色がある。よく見る「カラー」だが、やわらかな白色が穏やかでいいね!一粒一粒が重なり合って上方へ髭を伸ばす「麦」は、あらた...2月(1)の花

  • 「Check Coffee」で一休み

    御殿山から吉祥寺通りに出て、歩道橋の手前に見事に切られた松を見つけた。それほど古い木でもないし、傷んでもいないようだ。何故、まるでテーブルのようにスパッと切り倒されてしまったのだろう。さらに少し井の頭通り方向へ歩いて行くと、「大正六年五月開園」の石碑を発見。井の頭恩賜公園は大正6年5月1日に開園し、2017年に開園100周年を迎えた。当時は、ここが公園の正面の入口だったのだろう。井の頭通りとの交差点近くになり、横断歩道の向こう側(西側)に、「CheckCoffee」発見。「checkcoffee」のここが入口。1階に受付、レジがあるのだが、入ってすぐに地下へ降りる階段がある。この階段を降りて、振り向いてパチリ。地下に木が生えている。地下は結構広く、数個のテーブルが並ぶ。突き当りの奥に個室コーナーがある。こ...「CheckCoffee」で一休み

  • 小川カフェでひと休み

    三鷹台駅から、踏切を渡りそのまま北へ行き、立教女学園東側の壁沿いの真ん中あたりにある「小川カフェ」でひと休み。(上の写真はホームページから借りました)2人のテーブル4つに3人のカウンターで、11名でいっぱいの小さなカフェ。私は、バナナケーキとブレンドコーヒー相方はカフェオレ偏った位置にカップを置くようになっているソーサーで、添えるものが置きやすそう。ドイツの磁器ブランド「KAHLA(カーラ)」。10日ほど後でまた入った。私は特別ブレンドコーヒー(東チモール産)で、相方は紅茶。コーヒーに上の電灯が写っているのを、無精してソフトで消さなかった。ちょっと狭いが、他の人が頼んだランチがおいしそうで、次回はランチにするぞ。小川カフェでひと休み

  • 伊岡瞬『翳りゆく午後』を読む

    伊岡瞬著『翳りゆく午後』(2024年12月20日集英社発行)を読んだ。集英社文芸ステーションでの内容紹介(伊岡さんへのインタビューあり)「人を轢いたかもしれない」厳格な父親からの一本の電話。それが悪夢の始まりだった――80歳目前の武は、教職退任後、市民講座で教える地元の名士。父の武と同じ教職に就く敏明は、妻の香苗と反抗期の息子・幹人との平凡な生活を送っていた。このところ父の愛車に傷が増え、危険運転が目に余るようになってきたため、敏明は免許返納を勧めるが武は固く拒絶する。さらに、市民講座の生徒である西尾千代子と武との親密な関係を怪しむ噂が広がり、敏明は悩みを深めていた。そんなある日、近隣で悪質な轢き逃げ事件が発生。「あれって――まさか」疑念に駆られ、事件の真相を探る敏明が辿り着いた“おぞましい真実”とは?『...伊岡瞬『翳りゆく午後』を読む

  • 1月(1)の花

    1月20日に届いた花7本の「ガーベラ」、多数の「スプレイカーネーション」、1本の「ブルースター」、そして1本の大きな葉の「ハラン」。ガーベラは、黄色、ピンク、白が各々2本、オレンジ1本。2日後ガーベラは早や最盛期どれもこれも満開だピンクの縁取りのスプレーカーネーションピンクのスプレーカーネーションピンクで白い縁取りのスプレーカーネーションブルースターが満開。以後は爽やかな青色が白くなっていく。5日後、ガーベラ2本が消えた。10日後、さらに数本のスプレーカーネーションが整理され、ガーベラは全滅。まだ元気なのに短く切らざるを得なかった1本だけが一本挿しに。ブルースターは先端の花が、盛りを過ぎるとまず白くなり始め、やがて下の方の花も青から白へ、そして赤くなって終わる。青白い花の下に、赤矢印で示した、すでに淡い赤...1月(1)の花

  • 17年前の我がブログ

    「犬も食わない夫婦喧嘩というものを、してみんとてするなり」(2007年11月24日)何かのときに飛び出してきた昔むかしの我がブログ。「まあ、何て得意そうになって、恥ずかしいことを書いている事か!」今や、互いに枯れ切って、相方(当時は「奥様」と書いていました)とは喧嘩することもない毎日です。こんな時もあったのだと、以下、そのまま掲載します。11月22日はいい夫婦の日でした。しかし、大小は別にして喧嘩しない夫婦はいないと思います。「話を聞かない男、地図の読めない女」という本を読んだことがあります。口げんかでは一般的にやはり口が達者な女性が有利でしょう。それでもときには、男性が追い詰めそうになるときもあります。そんな、女性が詰まったときの切り札はこうです。「あなたはね、○○のとき、○○って言ったのよ!いい!そも...17年前の我がブログ

  • 新川帆立『ひまわり』を読む

    新川帆立著『ひまわり』(2024年11月15日幻冬舎発行)を読んだ。幻冬舎による特設サイトの内容紹介(このサイト、試し読みはもちろん、帆立さん直筆のあらすじ漫画が読め、著者インタビュー動画もある)おしゃべりと食べることが大好きな33歳のひまりはある夏の日、出張帰りに交通事故に遭い、頸髄を損傷してしまう。意識は明瞭。だけど、身体だけが動かない。過酷なリハビリを続けるも突きつけられたのは厳しい現実だった。「復職は約束できない。できればこのまま退職してほしい」。途方に暮れ役所で就労支援の相談をすると、すすめられたのは生活保護の申請。私は人の役に立てるのに、どうしてその力を発揮させてもらえないの──?ひまりは自立を目指し司法試験受験を決意する。思い通りにならない身体でロースクールに通い始めるが、次々と壁が立ちはだ...新川帆立『ひまわり』を読む

  • 大宮前春日神社へ

    井の頭線の富士見ヶ丘駅の北、約1㎞、五日市街道沿いに「大宮前春日神社」がある。井の頭通り沿いの「OKストアー杉並宮前店」の北、約50mでもある。「大宮前春日神社」は旧大宮前新田の鎮守で、創建は万治年間(1658〜60)の開村時と伝えられている。(*:開村の経緯)社殿前の「大宮前鎮守」の石碑は、地名が「宮前」へ変更にされるので「大宮前」の名を保存しようと建立。拝殿は明治10(1877)年の建築西に隣接する「慈宏寺(じこうじ)」寛文13(1673)年創建の日蓮宗の寺院。本尊の「木造日蓮上人立像」は日蓮の弟子・日朗上人によると伝わる。短冊状に、奥に延々と墓地がつながり、けっこう大きなお寺だ。杉並区による「大宮前新田」の経緯等の説明の簡略版もともと当地(大宮前新田)は幕府御用達の茅刈場だったが、明暦の大火で茅葺屋...大宮前春日神社へ

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