FH000025 posted by (C)ピーミィ ワットマハタート(アユタヤ)の境内に放置された、仏像の頭部。 今日は、昨日まで記事にしてきたネガフィルムからFilm Scanで起こした1990年からの駐在、出張時に撮影した写真の記事に使用したsフォト蔵にアップしてある写真アルバムの
谷中七福神御朱印巡り(北区、荒川区)その1 Jul’2021
<06Jul'2021> 以下同左 東覚寺(北区)。 今日は、谷中七福神御朱印巡りです。 およそ250年前に始まったと言われる江戸最古の七福神。 一昨日、昨日の日本橋の七福神とは異なり、谷中七福神は寺院だけで成り立っています。 今回は、次の七寺の順で巡りました
<29Jan’2020、中央区> 以下同左 5.末廣神社。 今日は、昨日の続き「日本橋七福神御朱印巡り」の5~7番目の神社です。 5.末廣神社からです。5. 末廣神社 / Suehiro Shrine:Bishamonten(毘沙門天)。 6.笠間稲荷神社。6. 笠間稲荷神社 / Kasam
<29Jan’2020、中央区> 以下同左 七福神「揃の色紙」です。七福神めぐりの授与品。 今日は、日本橋七福神御朱印巡りです。 国内でも数少ない、「神社だけ」で七福神をめぐることができるコースです。 今回は、次の七社の順で巡りました。 1.小網神社‐福禄
<23Sep’2019> 以下同左 花咲岬の車石(根室市)。 今日は、納沙布岬を後にし、根室市内で昼食をとって太平洋岸を花咲、落石、浜中、厚岸を通って釧路にもどる途中の写真です。 この日の夜半、台風が直撃するのは分かっていましたが、無謀にも強行軍をしてしまい
<23Sep’2019、納沙布岬> 以下同左 納沙布岬の先端と「納沙布岬灯台」。 今日は日本の実効支配地域の最東端、根室半島の先端、納沙布岬です。 歯舞諸島の中で北海道に最も近い(3.7Km)『貝殻島』の『貝殻島灯台』。 地盤の沈下で、満潮時は灯台の基礎は海面
<23Sep’2019、根室市> 以下同左 明治公園。 今日は根室市の私の生誕地周辺です。 まずは明治公園です。 戦後国後島から漁船の船底に隠れて根室市に逃げ帰って今に至る、今年90歳になる母に聞くと、右奥のサイロの近くにあった家で私は生まれたようです。牧
<23Sep’2019、別海町> 以下同左 ロールベールラップサイロ、俗称「牧草ロール」。 今日は、その他の別海町の景色です。 黒だけかと思ったら、ポリエチレンラップにはいくつか模様があるようです。 野付半島から尾岱沼を通って国道244号線を根室に向かいま
根室海峡、野付半島とトドワラ 標津町、別海町 Sep’2019
<23Sep'2019> 以下同左 トドワラ(別海町野付半島)。 立ち枯れたトドマツの残骸が湿原上に立ち残り、荒涼とした風景を作っています。 今日は、道東の標津(しべつ)町、別海町の風景です。 国後島。 中央の山が羅臼山(メンデレーエフ火山、知床峠の『羅
釧路名物『岸壁炉ばた』と幣舞(ぬさまい)橋 Sep’2019
<22Sep’2019、釧路川岸壁> 以下同左 『岸壁炉ばた』の店舗。奥の茶色のビルが釧路フィッシャーマンズワーフ。 今日は、釧路港の幣舞橋近くにある「釧路フィッシャーマンズワーフMoo」の『岸壁炉ばた』と、幣舞橋です。 まずはもちろん「ホッケ」。 そし
<24Sep’2019> 以下同左 阿寒湖と雄阿寒岳。 今日は、阿寒摩周国立公園阿寒地域です。 釧路市東北部(旧阿寒町)のペンケ・パンケの双湖、阿寒湖、雄阿寒岳と足寄町のオンネトー、雌阿寒岳、阿寒富士です。 夜半過ぎに釧路、根室を通過した2019年台風17号は過ぎ
<24Sep'2019, 釧路市丹頂鶴自然公園 > 以下同左 タンチョウです。 今日は、釧路市丹頂鶴自然公園で撮影した、・タンチョウ(Grus japonensis, CN:Japanese crane)です。 1970年に世界で初めてタンチョウの人工ふ化に成功した、希少な丹頂鶴の自然公園です。
釧路湿原西部(釧路市湿原展望台と湿原遊歩道)Sep’2019
釧路市湿原展望台。 今日は、湿原西部の釧路市側からの眺めと湿原遊歩道の写真です。 釧路市湿原展望台。 北斗展望台園地サテライト展望台。 北斗展望台園地サテライト展望台。
<24Sep’2019、釧路湿原東部> 以下同左 釧路郡釧路町の細岡展望台から湿原北部を望む。中央奥の山が雌阿寒岳、やや右の雲に山頂が隠れているのが雄阿寒岳、中央横に走るのは蛇行する釧路川。 今日は、釧路湿原の東部です。 釧路湿原は道東の隣合う釧路市と釧路
アトサヌプリ(硫黄山)とエゾイソツツジ 弟子屈町 Jun’2019
<05Jun’2019、アトサヌプリ> 以下同左 アトサヌプリ(硫黄山)。 今日は、弟子屈町の旧硫黄鉱山のあったアトサヌプリ(俗名硫黄山)とその山麓に咲くエゾイソツツジです。 まずはアトサヌプリ。アイヌ語で「裸の山」を意味する山名です。 北海道から南千島諸
<2Jun’2019、小清水町> 以下同左 小清水原生花園。 今日は、斜里郡小清水町にある原生花園です。 オホーツク海と濤沸湖の間にできた細長い砂丘上の草原地帯に広がる原生花園。 原生花園の向こうはオホーツク海。 奥には知床半島付け根の斜里岳、海別岳
<2Jun’2019、網走市> 以下同左 博物館網走監獄。 今日は、明治から網走と深い関わりを持っている旧網走刑務所の建造物を移築公開(1983年)している「博物館網走監獄」です。 有名な「五翼放射状平屋舎房(移築復原)」。 五翼放射状平屋舎房の内部。
<2Jun’2019、大空町女満別> メルヘンの丘。 今日は2019年6月の道東旅行の初日、女満別空港からウトロまでの間に撮影した写真です。 別に撮影した博物館網走監獄、浜小清水原生花園は明日、明後日に記事にします。 まずは女満別の「メルヘンの丘」です。 19
<03Jun’2019、斜里町> 以下同左 海岸にそそり立た断崖の向こうにそびえる知床連山。 右から羅臼岳、続いて三ッ峰、サシルイ岳、オッカバケ岳、知円別岳、硫黄山今日は昨日の続き。オホーツク海の船上から撮影した知床半島西海岸の景色です。 クンネポール
<03Jun’2019、斜里町> 以下同左 カムイワッカの滝。 海岸線とも火山山麓が海食を受けて断崖が海に迫り、いくつもの川が滝となって海や海岸に落ちています。 今日は、オホーツク海の船上から撮影した西海岸(オホーツク海側海岸)の滝です。 ウトロ漁港から出
<03Jun’2019、知床半島西海岸> 以下同左 ヒグマです。 知床半島遊覧の船上から計2頭のヒグマを見ることが出来ました。 どちらも船が近寄れないところだったので。小っちゃい写真しか撮れませんでした。
<03Jun’2019、斜里町> 以下同左 フレペの滝(乙女の涙)と宇登呂灯台 オホーツク海の船上からの景観。 細々とした流れの滝が見えます。 宇登呂灯台。 フレペの滝とエゾシカ。 滝の上に見える知床連山。
<03Jun’2019、ウトロ> ウトロ漁港のゴジラ岩です。 ゴジラ岩を名乗る景色は沢山ありますが、ここのゴジラ岩はなかなかなモノでした。<02Jun’2019、ウトロ> ウトロ漁港の日没<02Jun’2019、ウトロ> 以下は斜里の街からウトロへ入る手前にあるオシ
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FH000025 posted by (C)ピーミィ ワットマハタート(アユタヤ)の境内に放置された、仏像の頭部。 今日は、昨日まで記事にしてきたネガフィルムからFilm Scanで起こした1990年からの駐在、出張時に撮影した写真の記事に使用したsフォト蔵にアップしてある写真アルバムの
FH000027 posted by (C)ピーミィ ローズガーデンのタイボクシングショー、サンプラン、ナコンパトム県 今日の写真は、1990年代のタイその8 タイのその他の県とタイ隣接国の写真です。1.Nakhon Phatom,ナコンパトム県FH040020 posted by (C)ピーミィ ナコンパトム
FH010010 posted by (C)ピーミィ ワット・プラケーオ(エメラルド寺院)、タイ王宮、ラッタナコーシン島、バンコク 今日の写真は、1990年代のタイその7 バンコク都内の名所旧跡です。1.Royal Palace,ラッタナコーシン島、バンコクFH010004 posted by (C)ピーミィ
FH020007 posted by (C)ピーミィ 戦場にかける橋、クワイ川、カンチャナブリ、タイ 今日の写真は、一昨日の続きで1990年代のタイその6ー2、アユタヤ以外のタイ中部と西部の写②です。8.Khao Kho National Park,ペチャブーン県FH000010 posted by (C)ピーミィ カ
FH010034 posted by (C)ピーミィ Wat Phra Putthabat(仏足石寺),サラブリ県 、タイ 今日の写真は、1990年代のタイその6ー1、アユタヤ以外のタイ中部と西部の写真①です。1.Sing Buri,シンブリ県FH030016 posted by (C)ピーミィ 黄金大仏、Wat Phikunthong, Tha
19910525-18 posted by (C)ピーミィ プラサート・ヒン・ピーマイ, Nakhon Ratchasima 今日の写真は、1990年代のタイその5、タイ東北地方のクメール遺蹟です。1.Prasat Hin Phimai, Nakhon Ratchasima19910525-42 posted by (C)ピーミィ アルバム「Prasat Hin Ph
FH020034 posted by (C)ピーミィ ワット・マハタート ナコンパノム、ナコンパノム 今日の写真は、1990年代のタイでクメール遺蹟以外の遺跡、名所などです。1.Ubon Ratchathani(khaong Chiam, Mae Nam Song Si, Chongmek)FH000014 posted by (C)ピーミィ アルバム
19920620-82 posted by (C)ピーミィ 1992年のゴールデントライアングル(タイ、ビルマ、ラオスの3国国境) 今日の写真は、1990年代のタイその3 Chiang Rai件です。1.Wat Phra Keo, Chiang RaiFH010010 posted by (C)ピーミィ 1434年、チエンライのとある寺の仏塔
FH000011 ワット プラタート ドイ ステープ、チェンマイ 今日の写真は、1990年代のタイのその2、「チェンマイ県とランパン県」です。 1991年にチェンマイ県から生の冷凍イチゴを300トン輸入した時のイチゴ畑と冷凍工場の写真も残っていました。 もう35年前で
FH020003 posted by (C)ピーミィ バーンパイン宮殿、アユタヤ県 今日から2週間ほどは、1990年にタイ王国バンコクに初めて海外駐在をした当時撮影していたフィルム写真のネガフィルムから起こしたデジタルスキャンデータです。 10年ほど前に放っておいたネガフィルムを
鐘楼門、金法山浄智寺(じょうちじ)、神奈川県鎌倉市山ノ内。 今日の写真は、鎌倉市山ノ内にある禅宗の寺院で、臨済宗円覚寺派に属する禅宗の「金法山浄智寺(じょうちじ)」と紫陽花の花です。 浄智寺は、鎌倉五山第四位に位置付けられています。 境内は「浄智
総門、巨福山建長興国禅寺(こふくさんけんちょうこうこくぜんじ)、神奈川県鎌倉市山ノ内。 今日の写真は、鎌倉市山ノ内にある禅宗の寺院で、臨済宗建長寺派の大本山、「巨福山建長興国禅寺」通称「建長寺」です。鎌倉五山の第一位で、境内は「建長寺境内」として国の
階段参道、福源山明月院(ふくげんざめいげついん)、神奈川県鎌倉市山ノ内。 今日の写真は、昨日の続きで明月院の紫陽花の花です。 この寺で紫陽花を植えたのは、第二次世界大戦後に物資や人手が不足し、参道を整備する杭の代わりに「手入れが比較的楽だから」と
総門、福源山明月院(ふくげんざめいげついん)、神奈川県鎌倉市山ノ内。 今日の写真は、あじさい寺として知られる神奈川県鎌倉市山ノ内にある臨済宗建長寺派の寺院、福源山明月院の境内です。 有名な紫陽花の花は、明日紹介します。 平安時代後期、山内俊通の供
御霊神社(ごりょうじんじゃ)、神奈川県鎌倉市坂ノ下。 今日の写真は、まさしく長谷寺のある山から海側(南側)に下る坂の下にある「御霊神社」、通称「鎌倉権五郎神社」です。 と云っても巻頭の写真に見られるように、神域の境内での撮影が禁止でしたので、神社
山門、行時山光則寺、神奈川県鎌倉市長谷 今日は、鎌倉有数の花の寺として知られる、日蓮宗の行時山光則寺の紫陽花を中心とした写真です。 日蓮の佐渡配流に際して鎌倉幕府5代執権北条時頼は、日蓮の高弟日朗も捕らえ、寺社奉行の宿屋光則邸の土牢に監禁しました。
海光山慈照院長谷寺、鎌倉市長谷。 今日の写真は、紫陽花を中心とした長谷寺の花の写真です。 あじさい路、境内図、長谷寺。
山門。 和み地蔵。 放生池。 地蔵堂。 千体地蔵、地蔵堂の後背。 阿弥陀堂。 本堂(観音堂)。 観音ミュージアム。
鷲子山上神社のふくろう達、鷲子山上神社(とりのこさんしょうじんじゃ)、栃木県那須郡那珂川町と茨城県常陸大宮市の境界。 今日の写真は、昨日、一昨日の「鷲子山上神社 (とりのこさんしょうじんじゃ)」の続きで、境内に120体以上配置されていたふくろう像達の一
境内社の本宮神社の鳥居と大フクロウ、鷲子山上神社(とりのこさんしょうじんじゃ)、栃木県那須郡那珂川町と茨城県常陸大宮市の境界。 今日の写真は、昨日の「鷲子山上神社 (とりのこさんしょうじんじゃ)」の続きです。 本宮神社。 鷲子山上神社の本殿があっ
白河神社 文治5年(1189年)源頼朝の義経排除の陰謀に乗って源義経を討ってしまった藤原泰衡は、その直後に「源義経を長らく匿っていたこと」、そして「許可なく源義経を討伐したこと」を理由として逆に鎌倉幕府による征伐の対象とされてしまいます。 源頼朝自身が率
道の駅那須与一の里、大田原市南金丸。 今日の写真は、オマケで道の駅那須与一の里です。場所は那須神社の西隣です。 敷地内には、道の駅の他、那須与一伝承館、昨日の記事にあるように千年前からの竹細工、竹の産地だけあって竹ギャラリーなどもあります。 また現
直箆温泉神社、大田原市余瀬白旗山南端。 今日は、那須与一が源平合戦の後、矢竹を奉賽するために創建したと伝えられる直箆温泉神社です。 最初、鎮座の地は現大田原市北金丸地内の直箆でしたが、享保年間(江戸幕府8代将軍徳川吉宗の頃)に現在の余瀬白旗山南端に
駒込の池、黒羽(現大田原市大輪字長谷田) 今日の写真は、那須与一の愛馬「鵜黒の駒」の生まれ故郷の地、「駒込の池」です。 鵜黒の駒誕生の伝説は「歴史的風土のなかの黒羽の民話(黒羽町編1993/12)」の要約によると、『長谷田の溜池に、毛は鳥の羽根のようで
稲積稲荷神社(福原)、玄性寺 今日の写真は、玄性寺境内の那須与一の墓の南隣に鎮座する那須一族の守護神稲積稲荷です。 お寺の中にある神社です。那須与一が屋島合戦で扇に向かって矢を放つ際に稲荷明神が白狐と化して守護したという霊験ある稲荷です。主催神は倉
玄性寺、大田原市福原 今日の写真は、那須与一公の墓所がある福原玄性寺です。 那須氏の菩提寺で、伝承によれば、3代那須資之が、京都東山の即成院に埋葬された弟の那須与一(宗隆、のち資隆)の分骨を受けて福原(現大田原市福原)に建立した功照院が始まりといわれ
楼門(重文)、那須神社(大田原市南金丸)。 国指定名勝「おくのほそ道の風景地」 今日の写真は、金丸八幡宮として仁徳天皇の時代に建立されたと伝えられ、中世、近世を通じて那須氏、大関氏(江戸期黒羽城主)の氏神として信仰された「那須神社」です。 一
九尾稲荷神社、那須温泉神社内 今日の写真は、昨日少し説明した本殿の東側に鎮座する「九尾稲荷神社」とその北東奥にある「殺生石」です。 「九尾の狐」(玉藻前)の平安時代の退治については近いうちに、源頼朝の那須の篠原での巻狩り(1193年)か松尾芭蕉の所縁の
那須温泉神社(なすゆぜんじんじゃ)、本殿、(那須町湯本) 今日の記事は、「平家物語」の中で那須与一が源平合戦屋島の戦い(1185年)で扇を射る際に「南無八幡大菩薩、別してはわが国の神明、日光権現宇都宮、那須の温泉大明神、願わくはあの扇の真中射させてたばえ
高館城址、大田原市大輪、川田 今日の記事は、那須与一の生い立ちと高館城址の写真です。 那須余一の出生から成人するまでに関しては、今なお不明な点が多く、むしろ謎に包まれてます。 私が源義経、那須与一、松尾芭蕉の下野での足跡を調べるのに最も信頼して利
大田原市余瀬の白旗山南東端にあたる、旧東山道沿いの「余瀬の道標」近くの「白旗城跡の説明看板」 今日の写真と記事は、東山道の関東最北の黒川駅家(うまや)の次の駅家である粟野駅家があった、現大田原市余瀬の白旗山です。 余瀬は元は旧東山道(関街道)粟野駅
弁慶下駄掛石、那須町睦家。 今日の写真は、那須町睦家にある「弁慶下駄掛石」です。 弁慶下駄掛石の伝説は、治承4年(1180年)、義経一行が旧東山道黒川駅家(現伊王野付近と推定される)から、かつて祖先源頼義が軍兵を募った粟野駅家(現大田原市余瀬)に向かう
伊王野城山公園。伊王野山城(霞ヶ城、伊王野城)跡。 今日の写真は、伊王野山城跡を公園にした「伊王野城山公園」です。 伊王野城は室町時代の長享元年(1487)に当時の領主である伊王野資清によって築かれた城郭で、これまで居城として利用した伊王野氏居館
伊王野氏居館跡(手間広場)と伊王野氏山城跡、那須町伊王野 今日の写真は、昨日の馬頭観音堂があった、伊王野氏の山城跡その1とそれ以前に約300年間平城として使われた伊王野氏の居館跡です。 1180年に義経一行が鎌倉へ向かう途中で、弁慶が昨日の馬頭観音堂で
馬頭観音堂、那須町伊王野伊王野氏山城址 今日の写真は、那須町伊王野の「馬頭観音堂」とその境内に湧き出る「判官清水」です。 馬頭観音堂は、那須町伊王野の伊王野山城跡に上る途中にありました。 那須町の義経伝説には、「東山道伊王野を義経一行が進んでいる
沓石。那須町大畑沓石地区 今日の写真は、「那須町の源義経伝説地」の続きで、大畑地区の「沓石」と「大畑」、伊王野地区の「御幣石(おんべし)」です。 まずは、「沓石」(那須町大畑沓石地区)です。 旧東山道(義経街道)をさらに伊王野方面に向かうと、街道
「月夜見山」伝説地(那須町簑沢) 今日の写真は、「那須町の源義経伝説地」の続きで、簑沢地区の 「月夜見山」、「具足岩・五両沢」、「矢の根石」です。 まずは「月夜見山」。 「陸奥と下野の国境の追分明神に着いたころは、もう夕もやが境内の杉木立に深くたち
追分の明神(住吉玉津島神社)、那須町簑沢追分地区。 今日の写真は、那須町の義経伝説No.1「追分明神」です。 治承4年(1180年)源頼朝が伊豆で平家追討の旗を挙げたことを源義経が奥州平泉で聞き、鎌倉へ駆けつける際に古代の街道である東山道を通ったといわれ、
キクザキイチゲ、白河神社(白河市旗宿)Apr’2017 今日の写真は、白河の関跡、白河神社の巨木と山草の花です。 今から50年以上前に初めて訪れた時、子供だったこともあり私の白河の関の思い出に残ったのは、大木に絡みついたり、絡みついた大木を枯らして地面から
白河神社拝殿、拝殿、白河市白河市旗宿関の森 今日の写真は、白河神社です。 昨日は、源義経に関わる事跡と白河の関跡の関の森砦跡などの写真を紹介しましたが、今日はそれらを除いた写真です。 白河神社は福島県白河市大字旗宿字関の森に鎮座している神社で、創