金生遺跡は縄文時代の天文台 縄紋土器の突起は太陽暦と太陰暦の完成を示す 金生遺跡では朔旦立春を観測して二十四節気の暦を作成していた 金生遺跡を世界標準時天文台にしよう
数概念、数認識の始まりは縄文時代にある 数学の始まりは縄文時代から 天文学の始まりは縄文時代 太陽暦も月齢の暦も、太陽暦と月齢の同期するカレンダーも縄文時代である
2025年7月
金生遺跡にある冬至と夏至の観測施設 1.冬至は日の出ラインが配石デザインの基準線となっている 図 冬至の日の出に祈る この基準線の南側に配石は列べられている。東を先端として西に広がる形に作られている。 2.冬至の日の入りは 図 甲斐駒のピークと石棒 3.夏至の日の出は 図 4.夏至の日の入りは冬至の日の入り標石 石棒と標的の立石で示されている 図 日の入り線 日の入りを背にして立石の左側に夏至の期間、日の入り線が止まる夏至に近付くと立石に日の入り線が左から当たるようになり、夏至を過ぎると、立石から左側に外れて行く。このように夏至期間を見えるようにする配置になっている。 5.冬至と夏至はこのよう…
金生遺跡 石組みの思想を想定しようと思ったのは、夏至の観測点が想定できてからである。夏至と冬至の祭祀が想定できると感じたからである。 図 日の出の山 図 配石 図 配石と日の出日の入り 冬至については、早くからその祭祀が想定できていた。 図 冬至の日の出祭祀 冬至の日の出は配石の北限界を形成していて、配石デザインの基準となっている。冬至に向かって日の出線は、配石内から配石限界まで到達して、そこで20日間止まることになる。その後配石内に少しずつ戻る動きを始めて、遂に立春の石棒に達する。という動きが見えてくる。この20日間縄文人達は配石内の右手に座り、零下の寒さの中でじっとして、太陽が戻ってきてく…
古代文明の東にある光 日本列島からの始まり 図1 世界古代文明の歴史 図2 日本列島の古代 日本列島の4万年前からの歴史 縄文土器時代以前の記載は、既存文献の記述から纏めています。1.4万年前には西からの石器を持つ人々が列島に来ていた始まりは「ナイフ形石器」と呼ばれる特徴的な背付き石器を保有しない「先ナイフ形石器文化」と位置づける。「竹佐中原段階」 はナイフ形石器、斧形石器はみられない。 石器素材 「竹佐中原段階」には皆無もしくはほとんどみられないのが黒耀石である。「竹佐中原段階」;このような性格をもつ石器文化が、日本列島最古級の石器文化と位置づけられる可能性あり遺跡の規模が小さく、石器の道具…
夏至の時期は梅雨時で曇り空が続き、日の出と日の入りを観測することが困難であったが、今回何とかそれを観測できました。 夏至の日の入りは、冬至の日の入り観測の石棒が影を落とすことから、そのターゲットは、大きな立石であることが分った。この立石の左側面が観測位置で、夏至から太陽が移動すれば、この側面から外れて、影を落とすことが無くなることになりそれが観測できる。 右端にある立石がターゲットで、この石は一際大きくかつ高い石である。 夏至を背にすれば、このようになっている。 冬至の日の出と、冬至の日の入りそして夏至の日の入りはこのように、冬至石棒により観測していることが分る。 夏至の日の出は、ターゲットの…
2025年7月
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