金生遺跡は縄文時代の天文台 縄紋土器の突起は太陽暦と太陰暦の完成を示す 金生遺跡では朔旦立春を観測して二十四節気の暦を作成していた 金生遺跡を世界標準時天文台にしよう
数概念、数認識の始まりは縄文時代にある 数学の始まりは縄文時代から 天文学の始まりは縄文時代 太陽暦も月齢の暦も、太陽暦と月齢の同期するカレンダーも縄文時代である
金生遺跡にある冬至と夏至の観測施設 1.冬至は日の出ラインが配石デザインの基準線となっている 図 冬至の日の出に祈る この基準線の南側に配石は列べられている。東を先端として西に広がる形に作られている。 2.冬至の日の入りは 図 甲斐駒のピークと石棒 3.夏至の日の出は 図 4.夏至の日の入りは冬至の日の入り標石 石棒と標的の立石で示されている 図 日の入り線 日の入りを背にして立石の左側に夏至の期間、日の入り線が止まる夏至に近付くと立石に日の入り線が左から当たるようになり、夏至を過ぎると、立石から左側に外れて行く。このように夏至期間を見えるようにする配置になっている。 5.冬至と夏至はこのよう…
金生遺跡 石組みの思想を想定しようと思ったのは、夏至の観測点が想定できてからである。夏至と冬至の祭祀が想定できると感じたからである。 図 日の出の山 図 配石 図 配石と日の出日の入り 冬至については、早くからその祭祀が想定できていた。 図 冬至の日の出祭祀 冬至の日の出は配石の北限界を形成していて、配石デザインの基準となっている。冬至に向かって日の出線は、配石内から配石限界まで到達して、そこで20日間止まることになる。その後配石内に少しずつ戻る動きを始めて、遂に立春の石棒に達する。という動きが見えてくる。この20日間縄文人達は配石内の右手に座り、零下の寒さの中でじっとして、太陽が戻ってきてく…
古代文明の東にある光 日本列島からの始まり 図1 世界古代文明の歴史 図2 日本列島の古代 日本列島の4万年前からの歴史 縄文土器時代以前の記載は、既存文献の記述から纏めています。1.4万年前には西からの石器を持つ人々が列島に来ていた始まりは「ナイフ形石器」と呼ばれる特徴的な背付き石器を保有しない「先ナイフ形石器文化」と位置づける。「竹佐中原段階」 はナイフ形石器、斧形石器はみられない。 石器素材 「竹佐中原段階」には皆無もしくはほとんどみられないのが黒耀石である。「竹佐中原段階」;このような性格をもつ石器文化が、日本列島最古級の石器文化と位置づけられる可能性あり遺跡の規模が小さく、石器の道具…
夏至の時期は梅雨時で曇り空が続き、日の出と日の入りを観測することが困難であったが、今回何とかそれを観測できました。 夏至の日の入りは、冬至の日の入り観測の石棒が影を落とすことから、そのターゲットは、大きな立石であることが分った。この立石の左側面が観測位置で、夏至から太陽が移動すれば、この側面から外れて、影を落とすことが無くなることになりそれが観測できる。 右端にある立石がターゲットで、この石は一際大きくかつ高い石である。 夏至を背にすれば、このようになっている。 冬至の日の出と、冬至の日の入りそして夏至の日の入りはこのように、冬至石棒により観測していることが分る。 夏至の日の出は、ターゲットの…
暦法の基本に関して次のように云われていた ここで書かれている基本事項に関して人工的な週とされているこれは誤りでは無いか30日が月の周期30/2 15日15/2 15= 7+7+1 これは特に人工的というわけでは無い自然の原理をそのまま用いているだけでは無いだろうか西アジアより西でこれを 何を根拠にして 7日と決めたのか知らないが7日と決めたことが問題である。 太陽暦と同期させる月の暦--月齢の暦としては7+7+1 としなくては同期させることが出来無いものである縄文時代に貝塚を作ることが出来るほどの貝採取を集団で行うには太陽暦と月齢を同期させる暦が数学知識も少なく、計算能力も少ない時期においての…
冬至期間の太陽の止まる期間について考えて見ます。 図 遺跡東の日の出位置 図 立春までの日の出位置 遺跡東の茅が岳での立春までの日の出位置を見ると、冬至から小寒までは日の出位置の変化は極小さく、小寒付近にならないと太陽が動き出したことは確認しがたい。 図 冬至の日の出太陽から見て、冬至の日の出ラインは配石の右端にあり、配石デザインの基準となっているようだ。 図 冬至と配石日の出ラインに対して配石の配置は、左に偏って並んでいるので、日の出ラインには空地が出来ている。冬至に入り太陽が南に遠離ると、その位置に日の出位置は止まってしまう。 こうして寒くなり冬至で止まってしまった太陽が、戻ってきてくれる…
図 カレンダー開発の歴史 1.貝塚を早期から作っていたことから、月齢のカレンダーがあった。半年 6回の朔望周期を知っていた。つまり 6突起土器から半年 180日が分っていた。メソポタミアの 6の起源はこれによる。 2.一年が 12月と知っていた。月のカレンダーは 30/2 15日として、15/2からは 7+7+1としてカレンダーを作っていたのものと考える。これがメソポタミアに渡り、7日を 1週間とするカレンダーの誕生となり、月齢を無視したカレンダーの成立に繋がったのでは無いか。それは現代のカレンダーにも引き継がれてきたものでは無いか。 3.365日を 180,90,45日まで区分することを知り…
#縄文時代 #古代文明 #メソポタミア南部 2025-05-13 15:54:30 2025-05-13 古代都市文明は、どのようにして発展したのか 古代都市文明は、どのようにして発展したのでしょうか、その歴史を概観してみます。 古代文明の対比年表 1.図 世界各地の古代史の年代対比縄文時代とは世界古代史の上でどのような時代だったのでしょうか 2.図 食料は季節に応じて採取していた縄文人このように自然の中から多様な食料を獲得していたとされていますこれを1万年以上に亘り、カレンダーも無しに行っていたのでしょうか、これまでの仮説です。 3.神子柴遺跡を知っていますか 両面調整尖頭器 石材産地で生産…
#縄文時代 #日の出 #笠無山 2025-05-03 06:17:24 5月7日 金生遺跡で笠無し山からの日の出 ダイヤモンド笠無山 を見る会です 山梨県北杜市大泉町時刻 時間: 4時45分から 1時間程度笠無山からの日の出を見るのと 縄文時代遺跡案内です ランキングに参加中。クリックして応援お願いします!
南メソポタミアでの沖積地灌漑農耕の発展はどう考えたら良いのか
#メソポタミア #ウバイド 2025-04-28 06:03:47 これ以後ブロクサービス停止に対応する、引っ越しのため 現在、古い記事から引っ越ししています。 2025.04.22 ------------------------------------------------- 西アジアで衰退していた新石器時代後期の農耕が、メソポタミア南部での沖積地灌漑農耕の発展となったことはどう考えたら良いのか。 図 灌漑農耕の開始 従来、農耕は大河のほとりで始まったとされてきました。最近のメソポタミアの研究では、まず北イラクの山麓地帯(ザクロス山脈やレバノン山脈の西側)で雨水 天水を利用してはじまり、…
2025-04-16 14:13:10 天水農耕から灌漑農耕へはどのように展開されたのか、これまでの仮説は余りにも簡単である。 それまでは野生ムギ類の野生に準じた農耕 PPNBまでここまではほぼ栽培種は成立せず灌漑農耕を始めるために、初めて栽培種の成立への栽培が始まったものではないかそれは栽培暦の成立でもある 図 豊潤な三角地帯 とにかくここは恵まれすぎていたようだ コムギは現在世界中で最も多くの人々が利用している栽培植物である。コムギの歴史は古く、地中海東岸からイランのザグロス山脈に至るいわゆる肥沃な三日月地帯に点在する8000年以上前の遺跡から炭化種子が発見されており、この時期には既に利用…
#メソポタミア #ウバイド #土器 #太陽暦 #縄文人 #シュメール文明 2025-04-14 06:08:13 天水農耕から灌漑農耕への展開ウェブ情報からのまとめとして、現段階での結論 ・7800~7100年前頃のサマッラ期では、天水農耕が行われ、村落共同体が広く分布していたようである。 図 サマッラからウバイドの土器分布 サマッラ期とハラフ期という 2つの文化の位置と メソポタミアの風土の地図を重ねると、ハラフ文化が上ジャジーラにあたり、サマッラ文化は中部メソポタミアの沖積平野にあたる。 ウバイド0土器とサマッラ土器の年代にはさほど差がないうえ、両者の器形や装飾などの諸属性はいずれも酷似し…
#メソポタミア #ウバイド期 2025-04-13 17:22:29 ウバイド期の土器と石鏃に関して 縄文時代と対比 図 縄文時代 東日本の土器 図 九州の土器 早期 図 ウバイド期の土器 このような土器が、存在していたので、作られていたのかメソポタミアからバハレーン島に持ち込まれたもののようだ 図 西アジアのヘルワン尖頭器 剥片尖頭器 内陸では石鏃が存在しているという石鏃 両面加工とも押圧剥離ともいわれているこの地域のものとしては剥片石器と細石器が存在している石鏃は縄文人の持ち込んだものと考える 図 縄文時代の土器 このような壺形の土器は縄文時代も末期にならないと作られなかったしかし 図 九…
#メソポタミア #ウバイド #縄文時代 2025-04-11 18:10:23 メソポタミアでの土器と太陽暦展開のブリコラージュウバイド期を幻視してみる 図 文化史 現時点までの調査では、遺跡遺物からの追跡では、西アジア文明の流れを明確に出来てはいないものの、幻視すれば筋道がぼんやり見えると思えてきた。 図 PPNと土器新石器時代の進展 アムーク、サマッラ期に土器製作が始まる。それはここに縄文人が到来していたことで土器制作が始まっていたのではないかその後南北に土器文化が派生した。豊潤な三日月地帯の在来の野生種が良く生える土地では、在来農法で十分良く、太陽暦により作られた栽培暦の効力は発揮できな…
#メソポタミア #ウバイド期 #灌漑農耕 2025-04-10 16:10:13 ウバイド期の灌漑農業 灌漑農耕はそれほど簡単なのかウエブ情報に基づいてまとめています 灌漑農業とは、農耕に必要な水を人工的に供給する農業である。前5000年ころからユーラシア・アフリカの各地に波及し、それぞれの地域の風土にあった作物栽培や牧畜へと発展していった。自然に依存する乾地農法にくらべ、収穫量が増えると同時に共同作業が必要となり、共同体が発達して都市が成立する。特にナイル川、ティグリス・ユーフラテス両河、インダス川、黄河といった乾燥地帯の大河流域では、灌漑農耕の必要から大集落が形成されるようになり、大規模な…
#メソポタミア #縄文時代 #新石器時代 2025-04-08 06:30:01 西アジアの新石器時代は、発掘が進み研究すればするほど、チャイルドなどによりこれまで云われてきたことから、 再考すべき時期に来ているようだ。文献記載内容からまとめています これまで西アジアの新石器時代は、農耕牧畜が開始された時代とされてきたが、データの蓄積が進むにつれ、実際には先土器新石器時代の前半には、まだその証拠がみられないことが明らかになってきたという。 図 年代と文化の年表 栽培型のムギ類が出現するのはPPNB中期頃、家畜の飼育が本格化するのはPPNB後期頃というのが、大方の見方であるという。 大枠での時代…
リジェネラティブ・リーダーシップ の指南書はどうなのだろうか
#シュメール文明 #縄文時代 #カレンダー 2025-04-07 03:43:21 リジェネラティブ・リーダーシップ という本が出ています。リジェネラティブの指南書としてはどうなのか 図 図 図 これには現在のカレンダーが、地球と太陽と月の自然の関係を無視している事を知らないのではないか。文明の基礎にあるこのカレンダーを用いている現代文明が、それでもこのような思考が出来るものなのだろうか。 引用します----ーーーーーーー リジェネラティブ・リーダーシップ の指南書 「機械」から「生命システム」へ――エコシステム全体の繁栄を目指す新パラダイムのリーダーが世界中で出現している。幅広い事例と学術的…
#メソポタミア #シュメール文明 #縄文時代 #カレンダー 2025-04-06 05:19:23 古代人のカレンダーは何処で作られていたのか 古代人は太陽の365日と月の30日を知れば、カレンダーを作る工夫をしたものと思うではそのためにどうしただろうか 現代のようなカレンダーは古代人には難しくてとても作れないと思う古代人でも作れるカレンダーはどんなものだろうか文字も数字も計算も・・・知らなくても簡単に作れて、運用できるカレンダーとはどんなものなのだろうか 図 縄文のカレンダー 一番簡単なのは365日と30日を同期させるカレンダーであるそれなら何の知識も無くても作れるものであるその方法とは最大…
#メソポタミア #シュメール文明 #縄文時代 #カレンダー 2025-04-06 03:30:33 灌漑農耕の発展、都市文明の発展、ウバイド期、ウルク期、シュメール文明とは何だったのか 図ウバイド期には竪穴住居、貝塚、土器、石鏃、太陽暦が伝播していたと考える証拠がある紀元前5330年に鬼海カルデラ噴火による避難拡散が起こり、九州地域に居た海人族が丸木舟で逃げ出し彼らはメソポタミアにまで到達していた可能性があるのでは無いか。 図 この時期の適当な年表が見当たりませんので PPNB期にはメソポタミアの南地域にはまだ進出できていなかったが、既に灌漑農耕を手にしており、農地を拡大して、太陽暦に基づく播…
#メソポタミア #縄文時代 2025-04-04 19:55:28 ウバイドからウルクまでの変化は太陽暦無しには考えられない ウルクが都市化して社会が拡大した時カレンダーがあったのではないのかそれ以前は何時からカレンダーがあったのかウバイドでは灌漑農耕の農地を大規模化するのに、労働者を集めて作業するにもカレンダーが必要となる南メソポタミアに灌漑農耕で進出するウバイド期以後には、カレンダーがあったのでは無いかそれ無しには、人を集めて農耕地拡大も、大規模な灌漑農耕も出来無いはずである 西アジアでの土器の発生、必要性 分らないと云っている 西アジアでの土器は、その必要性が分らないという容器は他にいく…
#メソポタミア 2025-04-03 02:47:31 シュメール文明までのメソポタミアの文明史は以下のような推移を示している。 図 西アジア 肥沃な三日月地帯 この地域はムギ類が野生で生えていたようだ。 図 最古の農耕遺跡 図 農耕牧畜 西アジアの肥沃な三日月地帯では、何処でも野生ムギなどが生えていた。その中から適当なものを選択すれば良いという、大変恵まれた地域だった。野生のものが生えるのに従って、播きさえすれば栽培として成り立ったのだろう。 図 各文化の位置 シュメール文明の成立した土地はそれまでとは違い、野生のムギ類が自然に生えている地域とは違い、灌漑農耕が必要とされた。さらに播種時期が…
#メソポタミア #縄文時代 #シュメール文明 #起源 2025-04-01 15:43:47 メソポタミアの文明史の起源はどこにあるのか メソポタミアでの各文化の年代はよく分らないところがある。ウバイド、ウルク、シュメール文明の人種はどのようだったのかシュメール人の起源が分らないとされてきた 図 メソポタミアでの各地文化の年表ウバイドウルクシュメール 各時期の人種がどのようだったのかよく分らないようだ記録が残るのは、ほぼシュメールからなので、それは解明できないようだそれにしても面白い記録がある様だそれは BC4000年ごろ、メソポタミアにおけるウバイド社会はシュメール人によるウルク文化が成立し…
メソポタミアのウバイド期以前の新石器文化の衰退からどのようにして再生したか
#メソポタミア #新石器文化 #衰退 2025-03-29 18:15:23 メソポタミアのウバイド期以前の新石器文化は衰退していたウバイド期でどのようにして再生したか 図 年表 基本ウェブデータの列記です、纏めていません西アジアでは、農業誕生から続いていた農業文化の発展は前7000年紀に下降して衰退するのだが、この原因は人口過剰と気候変動(乾燥化)と天水・焼畑農法の限界であったと思われる。(記事「先史:文化の衰退~PPNB後期と土器新石器時代 」) 西南アジアの環境は壊れやすいものであり、人間集団がひきおこす一つまたは複数の要因(たとえば人口増加、森林伐採、耕地開発、動物の放牧など)が、さま…
アズキについての重大情報 日本列島はマメ類の文明であった。土器の起源はアズキの種採集のための容器から始まっていたのでは無いか。それであれば土器の起源は必要性から見て日本列島の起源で良いのでは無いか。そして栽培種成立や栽培技術はメソポタミア南部の開発に先行するのでは無いか。 お借りします。引用します----ーーーーー “小豆”の起源は日本(縄文時代)だった──ゲノム解析で明らかに 農研機構と台湾大学が発表:Innovative Tech - ITmedia NEWS 農研機構と台湾大学に所属する研究チームが発表した論文「A single domestication origin of adzuk…
#メソポタミア #シュメール文明 #縄文時代 #カレンダー 2025-04-06 05:19:23 古代人のカレンダーは何処で作られていたのか 古代人は太陽の365日と月の30日を知れば、カレンダーを作る工夫をしたものと思うではそのためにどうしただろうか 現代のようなカレンダーは古代人には難しくてとても作れないと思う古代人でも作れるカレンダーはどんなものだろうか文字も数字も計算も・・・知らなくても簡単に作れて、運用できるカレンダーとはどんなものなのだろうか 図 縄文のカレンダー 一番簡単なのは365日と30日を同期させるカレンダーであるそれなら何の知識も無くても作れるものであるその方法とは最大…
#縄文時代 #メソポタミア #栽培 #農耕 2025-03-28 09:39:10 メソポタミアでの栽培種の成立、本格的農耕開始 灌漑農耕は何時からなのか栽培種はどのような操作で成立するのか。 太陽暦無しに栽培種の成立はあり得るのか野生種を育てても、カレンダー無しでは播種を何時すれば良いのか分らないはずである野生種が芽を出して育つのを見て、それを幾ら見詰めていても栽培種は成立しないはず栽培種を作るのは、野生種とは別に播種して生育させその中から適切な性質を持つ種を取り出してさらに暦に沿った播種と栽培を継続して初めて栽培種の成立となるはずで。 カレンダーの存在下で播種し生育して、採種するこれを繰り…
#縄文時代 2025-03-23 18:43:00 文様が付けられた縄文土器とは何だったのか 図 諸磯式土器 前期 前期までは特別仕様と日常使用の区別は無かったという話を聞いた そして中期になり粗製土器と精製土器の区別がされて、日用使用と特別な土器が分離したという。中期の火焔土器はその遺跡で出土する全土器の内の2%程度と少なく、大部分は日用の土器だった前期までの土器は量も少なく、ほとんどが特別仕様のものだったということではないか。 そうだとすれば、前期までの土器とは、情報伝達と供献が主な用途だったのでは無いかそれはドングリの渋抜きなどに使用されていたはずも無く、煮炊きの鍋としての使用も無かった…
#縄文時代 #カレンダー 2025-03-19 05:52:11 縄文時代前期になぜ大集落が形成できたのか、生業がどのように変わることで、大集落を形成することが可能となったのか、これまでその理由は説明されていないと考える。 阿久遺跡は、発掘によって遺跡のほぼ三分の一が調査されたが、全体像を伺い知るまでには至っていない。しかしそれでも、従来の知見を覆すほど前例の無い成果があった。 多数の竪穴住居跡の他に、配石を伴う大規模な祭祀場跡が発見されたのである。八ケ岳周辺では縄文時代中期の大規模な遺跡は、井戸尻遺跡や尖石遺跡など幾つかは知られていたが、やや遡って縄文時代前期となると実体はよく分かっていなか…
シュメール文明では何故太陽暦と月齢の同期するカレンダーを作らなかったのか
#シュメール文明 #縄文時代 #カレンダー 2025-03-18 18:25:27 シュメール文明では、何故簡単な同期するカレンダーを作らなかったのか シュメール文明は数学レベルも天文学も大変な高度知識を持っていたとされている。それなのにカレンダーを、何故簡単な365日と30日の最大公約数を用いた原理で月齢を知ることが出来るカレンダーを作らなかったのか。 図 同期するカレンダー 縄文時代にはこのカレンダーを用いて、太陽暦の下で月齢を知り、中里貝塚のような干し貝工場を難なく稼働していた。 シュメール文明では態々難しい太陰暦を主とした太陽太陰暦を毎年作ったのか月の月齢周期は分るものの、一太陽年が3…
#縄文時代 #シュメール文明 2025-03-16 15:35:56 曜日とはその起源は何なのかどのような原理をもとにして決められていたのか 西アジアから西では週は 7,8 とされていた様子が見えるがその起源は明確で無い何処からか伝え聞いて、それを使用しているというところなのかその原理は何なのか、原理は見えていない365と30の同期という思想は無いようだ貝塚が出来る貝採取という生業が無ければ、それは必要では無いから月齢と同期するカレンダーは必要では無い。人間の都合に合わせて作れば良いという思想である様だ。 ここには原理原則が何も無い、縄文時代のみがそれをクリアーできるそれは 金生遺跡の観測施設…
#縄文時代 2025-03-09 05:24:43 「137億年の物語 宇宙が始まってからの今日までの全歴史WHAT ON EARTH HAPPENED?」 クリストファー・ロイド著、この中には古代文明開始までの最も重要な歴史が書かれていません。古代文明開始に最も重要な事項、それは数認識の始まりはどのようだったのか、数学がどのようにして始まったのか、カレンダーはどのように太陽と月とを観測して原理が把握されたのか、137億年の物語にはこの肝腎な歴史がすっぽり欠けている。それで古代文明開始直前までの歴史を縄文土器の記録から補足します。 図 数概念、数学の始まりそれは 4万年前から6千年前までの歴史…
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