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キッチン夫婦 https://kitchenfufu.blog.jp/

夫婦でやっているブログです。料理や食べ物好きで始めたブログですが、昨年からはコロナ禍から二人で始めた新しい仕事の事やちょっぴり家族のことも書いています。

べにゆう
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2021/10/20

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  • これは私の作ったおかずじゃない~夫のお弁当102

    お弁当写真を見なおしてこういうの作ったっけ...?”あっあ~そうだったわ”父の関係のことで配られた美味しいお弁当その残ったおかずのお弁当だ私「お弁当の翌日のお弁当入れるのは、ちょっと厳しいでしょう。こんな時にお腹壊しちゃったら」夫「入れても大丈夫だよちゃんと

  • 12年の時を超えたメッセージキャンドル取り出し~びっくりもあり

    私達の結婚記念日は10月上旬12年目を過ぎ13年目の歩みが始まりました毎年1泊~2泊で近場にちょっとの旅をしていたけど今年は父が5月からずっと入院中だったから計画段階で「お祝いはなしだね」「お祝い」はなしにしても予定だと父が退院して施設に入居してから1か月

  • 葬儀会場で感じた~あふれでた思いの空間

    父の葬儀会場はたくさんの方々のあふれる思いに包まれた空間になっていた気がする悲しいけど寂しいけど悔やまれる部分もあるけどたくさんの花に囲まれてたくさんの方々の湧き出るような心からの思いが会場に充満しているようにも感じたそれは深い感謝の思いかたぐり寄せる懐

  • 口ひげの父いつまでだったかな~怖い人じゃない

    父のことで思い出したのでまた書いている葬儀会場に入り父の遺影を見上げて「あぁいい写真だなあ」って言ってくれた方がけっこういらっしゃった12年前の私達の結婚式の時に撮られていた1枚だこの写真遺影にする写真を探し私がこれにしようと決めたものだけど弟に見せたと

  • 痛恨の極みと感じたこと

    父はアルコール性非代償性肝硬変で3か月半の入院退院予定日の前日に容体が悪化その4日後の9月6日に他界したいろんなことを考えるけど繰り返し考える痛恨の極みと感じていることがあるそれは父の相棒愛犬のクリちゃんにもう1度会わせるということが叶わなかったことだそれ

  • 一瞬の奇跡と最期の日~忘れられない

    退院予定の前日病院からの電話それ以前病院からの電話には少しビクッとしていたがこの日は退院日に会計する支払金額の連絡が来ると知らされていたのでその電話だと思って普通の感じでいくらぐらいかな?と思いながら電話に出たら会計課からではなく病棟からだった「今朝痙攣

  • 「ギリギリ生きている」状態と言われて~退院から転院したけど

    父の場合アルコール性非代償性肝硬変で入院した時はすでに治りはしない状態けれど最初に入院した急性期病院には余命2週間と言われたのをを乗り越え約1か月入院回復をみせ奇跡ですねと言われて転院した入院して初めて介護申請をした初めての介護申請で要介護5の状態お薬手

  • 入院中も外ではいい人な父そして愛おしい時間

    今日は父の四十九日法要日ここ1か月供養と気持ちの整理に父のことを書いていますアルコール性非代償性肝硬変入院してすぐに余命は2週間と告げれた父だったが奇跡的に命をとりとめた(結果的には一時だったが)回復し始めて父がしゃべれるようになってからびっくりしたこと

  • 余命2週間と言われてから

    父が入院アルコール性非代償性肝硬変その晩は病院から特に連絡はなく朝を迎えることができたけど翌お昼過ぎ電話があり「腹水を抜いた後に痙攣をおこしたすぐ来て下さい」治らない余命2週間この2週間私がどうできるわけでもないけど祈るだけ目につく物全てに祈っていたように

  • 父が初めに入院した日の緊張感

    父が入院した日具合は悪そうだけどこんなに急に命に関わることだったとは正直思っていなかった「痛いところはない」「苦しくもない」と言っていたお薬手帳も使ったことがない介護申請もしていない自分で起き上がって台所にジュースを取りに行ったりしていたしお風呂にも入っ

  • 家族になったほかのワンにゃん達

    父は動物が好きだったおかげでうちにはずっとワンコとにゃんこがいて幸せをもらっているクリの前に買っていたひゅうがだけは私が飼ったワンコだったけどひゅうが以外のワンコ達今飼っているクリは父についてきた保護犬で他の子は友達や親せきが飼えなくなったワンコを引き取

  • 父と相棒クリちゃんの出会い~私つかまえた

    我が家の愛犬のクリちゃんは77歳でこの世を去った父の気の知れた相棒 腹心の友であり孫のようなかわいい存在でもあるおそらく16歳くらいおばあちゃん犬になったみんなにかわいがってもらっている外を歩いていると「クリちゃん!」って声をかけられるこの間は「クリちゃ

  • ありがたいこと~父と母と夫と息子と私の飲み会

    息子が14歳の時に結婚した私達夫と息子、私の3人家族で暮らしうちの実家へ3人揃って来るのは年に2~3回といったところだった父も母も心広く受け入れてくれていたし息子も14歳という年頃でよくうちにも遊びに来てくれてうちの両親とも笑顔で話しして一緒に食事してくれ

  • 息子に飲め飲め飲めの父

    お盆やお正月うちに来ると父はいつもに増して楽しそうにおしゃべりになって美味しそうにお酒を飲むいるとにぎやかいつも通りその訛り具合で話の中身が行方不明になることもありながらもなんとなく楽しく終わる夫も息子も「楽しかった」と言ってくれる母は父が失礼でなかった

  • K君今日の予定は?同じが平和

    4年ほど前からうちの実家で両親と私達夫婦は同居を始めた両親は2人だとなんとなしに寂しい気もしていたようで私達が一緒に暮らすと言うことにはウェルカムだった私の兄弟が心配したような父の態度が悪すぎて夫が嫌気をさして最悪はそのことが発端となり離婚にいたりました

  • 階段に手すりをつけてくれた父

    父は多くの人にとっては人情味があるいい人ととらえられているようだが特に兄は「父は家族には迷惑かけてきたし家では偉そうにしている」と言う兄が間違っているとは思わない兄は若い頃から一緒の業界で仕事をしてきてその後会社を継いだから私とはまた別な時間を共有したり

  • 父暴れませんでした

    私たち夫婦は4年ほど前から私の実家で両親との同居を始めたそれを決めた時誰にも反対されることはなかったけど私の兄弟が心配はしていた「父ちゃん、暴れるかもよ」暴れるってどういうこと?とは思うけど文字通りの暴れるとは違って”うるさく関わってくる”っていうような

  • 母あってこその父でした

    父はハチャメチャなところはあるけど魅力的な人柄ではあったんだと思う容姿は石原裕次郎(を目指していた)父と母が出会ったのは五所川原そこからどうやって付き合い始めたかは私はまだ知りませんが父が青森での仕事を終えて遠距離恋愛を続けたようですそしてどのくらい付き

  • 父と母の出会い

    母は青森県出身学校を卒業後の20代の頃五所川原市中心部のカバン屋さんで働いていた母より5歳年下の父は農業高校卒業後家の農業は二の次にし日本食堂の特急の食堂で働いたりした後何かの工事の作業員をしていたそして20歳くらいの時に五所川原市内のあるアパートに仕事

  • 昔の給料日 うちでは

    父は会社を経営していた母と一緒にだ今は現金があってもなくても置かないし持ち歩きもしないしかし今と照らし合わせるとなんだか信じられないけど昔は給料日当日事務所で現金を数え封筒に入れ職人さん1人1人に手渡しでお金を支払っていた給料日はうちにとっては支払日だっ

  • 何も持たないにもほどがある

    父は基本的に手ぶら家族旅行ならなお旅行のバッグも出来る限り人に持たせるというかお父さんなのに持とうとしていないだから私は力持ち父と母と私の3人で旅行へ行くと父だけ手ぶらある時途中の駅で新幹線の車両を乗り換えしなければいけない時があった私の伝え方が悪かった

  • きっと寛容な心をお持ちの父のお風呂友達に感謝

    父が9月6日77歳 肝硬変で亡くなりました気持ちを整理思い出を振り返り父を偲んでいます出来れば内緒にした方がいいかも知れないことだけど父はお風呂にあまり入らなかった家のお風呂に入るのはたまにでその他にここ6年くらいは週1で地元の日帰り温泉に通っていた青いお

  • 父を突然連れ出す個性的なお友達に感謝

    父のお友達にも敬意と感謝を込めて父は個性的な人だった思う名物男とかなんのかわからないけど突然変異だとか言われた私からすると父のお友達も個性的に感じていたえぇ!と思わされることが多かった父より年上のお友達の一人のBさんBさんは数年前にお亡くなりになった父は「

  • デパート、遊園地での父の居場所

    子供の頃父について行きトラックで出かけるのは木が売っているお店だったりしたけど時には両親に兄弟で動物園や遊園地、デパートに連れて行ってもらった遊園地の乗り物は母は苦手なので父が一緒に乗ってくれたこともあったけどある程度大きくなってからは見て待っている父た

  • 私が子供の頃 父と買い物に行く場所

    父はもう何十年も車を運転してなかったし免許を持っていた昔にはどんな車に乗っていたのか覚えていないただどれも借りていた車なのか所有していたのか全然わからないけど赤い角ばった大きな外車があったことあるジープみたいな車があったことがあるキャンピングカーがあった

  • 田んぼや畑をしなかったお義父さん

    妻のお父さんが9月6日他界人を惹きつける人柄人が集まる人柄わりと人が気にするようなことも言ってしまっているのになぜそんなに慕われていたんだろう5月に入院中する前にも考えていたけど入院してからなお考えていた家族親戚だけでなくいろんな人たちがお義父さんを心配

  • お義父さんの喜ぶ顔が見れるのは

    お義父さんはいい顔して笑う目じりを下げてくしゃっと笑うお義父さんが喜んでくれる話の1つそれは庭のことだお義父さんの幸せの1つはおそろく自分の家の庭を酒を飲みながら眺めてクリちゃんにおやつをやったり適当に散歩したりして過ごすことだったろうその庭だけど石材の

  • お義父さんの心配すべき偏食小食ぶり

    妻がよく「お父さんこれしか食べないんだよ」とジェスチャーをして見せていた「このぐらい」と言って手の指で丸を作っている大きさは小さい小さいおにぎりくらいなのか?「あのね、ご飯はね”ひとへら”分だけくれっていうの茶碗に普通に盛ると多いって怒られる他のおかずも

  • 釣りとゴルフとお酒とお義父さん

    お義父さんはほんとになまりそのまま話すこっちがわからなくても気にしていないそれもお義父さんの魅力の1つだがだんだんわかるようになる時もあればだいぶわからない時もあるたまに娘である妻でさえも「お父さん、それどういう意味?それはなんの言葉?」とか聞いているし

  • いや、家は...と.海釣り行きたかった

    娘とあまり会えなくなるのかと思っていただろうお義父さんだが私の人柄うんぬんよりも結婚後も娘が毎日のように通ってくるとわかってひと安心したようだ”ならまあいいさ”という感じが見えたそして私との話が済むまではお酒をセーブして飲むようにと念押しされて妻いわく”

  • 「おもしゃぐねぇ」ひぇー!!からの展開

    お義父さんとの初対面すでに少しお酒を飲んでいた様子緊張感あり妻のフォローが入りながら自己紹介までこぎつけたが「あんだはいいがも知れねぇけど俺はおもしゃぐねぇ」と 訳(あなたは良かったでしょうけど 俺は気分的に良くないよ)ひえー!!ほんとにおもしろくなさそ

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