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2021/08/11

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  • 頼勢 らいせい

    安芸国竹原庄西谷にあった萬福寺の住職。永禄三年(1560)、楽音寺に大般若波羅蜜多経が施入された際、折本作業の中心を担った。

  • 肥留 景忠 ひる かげただ

    陶氏家臣。陶興房、後に隆房に仕えた。官途名は惣右衛門尉。奉行人として陶氏所領および所領から収納される銭米を管理にあたった。陶興房の側近として興房への取次を担当することもあった。

  • 桟留縞 さんとめ じま

    江戸期、ポルトガルやオランダの商船によって日本に輸入された縞織物の一つ。紺地に茶または赤の経(たて)縞糸を入れた縞物。その名は、インド東岸のコロマンデル地方の港市サントメ(サントメ・デ・メリアポル)に由来するとみられる。江戸初期には絹織物を指したが、中期以降は主として桟留縞の一種の木綿織物を指すものとなった。

  • サントメ(マイラープール) Sao Tome(Mayilappur)

    インド東岸のコロマンデル海岸の港市。古くはローマや中国とも通交した南インドのパッラヴァ朝の海港として知られた。またヒンドゥー教やシリア派キリスト教の信仰の地として巡礼者も多かったという。16世紀にポルトガルが進出すると聖トマスの聖地とされ、「サントメ」と呼ばれるようになった。

  • マドラス Madras

    インド東岸のコロマンデル海岸中央部の港町。元は小さな漁村だったが、17世紀前半、イギリス東インド会社がセント・ジョージ要塞を建設し、コロマンデル海岸における中心拠点としたことを契機に都市として発展した。周辺地域が戦争の多発などで不安定な政治情勢にあったこともあり、要塞に守られ比較的安全だったマドラスは、職人や商人など多くの移住者を引き付けたといわれる。

  • モートゥパッリ Motupalli

    インド東岸のコロマンデル海岸北部の港町。13・14世紀、カーカティーヤ朝やレッディ朝の時代、周辺の港町との交易だけでなく、中国やペルシア方面を結ぶ東西貿易の拠点として栄えた。ヴェネツィア人のマルコ・ポーロの旅行記にも、13世紀末のモートゥパッリが記述されている。

  • プリカット Pulicat

    巨大なプリカット湖(潟)と海を隔てるシュリーハコータ島の南端部に形成された港町。14世紀頃から多くの商船が集まる商業都市として繁栄した。17世紀にはオランダ東インド会社の商館が置かれ、コロマンデル地方における同社の中心拠点となった。

  • サドラス Sadras

    インド東岸のコロマンデル海岸の港市の一つ。綿布などの輸出港として周辺の商品生産地と連携しながら栄えた。17世紀以降、オランダ人などヨーロッパ勢力が進出した。

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