軍事において、動きの悪い、太ったものは絶好の標的になるらしい。平和惚けといわれようとも、鉄砲の安全装置など知らない一生で良かったかもしれない。教練よりも勉強をしている振りをしているほうが、楽。 情けないけれど、努力することもなく、行き当たりバッタリの人生でも、毎夜酒を飲みそ...
安藤広重、東海道53次浮世絵で画伯が見て描いたとかとういう、なかば激しい論争がある。私にとって微妙なことではあるが、写真の無い時代様々な風俗をよくぞ残してくれたと感謝。京都、三条大橋を大阪側より眺望したもので中央あたりが清水寺だという。問題は橋脚だが豊臣秀吉の頃、既に石で作...
息子の住居計画、仮見積までたどり着きました。と言っても容積の概要を示した程度です。・・・2LDKとか駐車スペースをどうするか・・・ 半年後秋頃でないと・・ まっゆっくりやって欲しいものです。 「900万、2階屋。」そんなチラシが入って来ました。裏側をよく見ると、表の姿絵は2...
何気なくテレビを見ていたら、ある弱者の首長が世界に協力参加するよう訴えていた。今から約100年前の核兵器などなく、やっと飛行機ができた頃の話。 ウクライナのことではない。中国蒋介石、侵攻するのはこれが日本。アメリカは今も昔も何処かよそよそしく対処、厳密に言えば、いきなり中国...
伊豆地方では滝を ”だる”と呼ぶそうだ。滝のことなのか滝壺を言うのか定かではないが面白いことだ。 九州・宮崎県では地名・バス停名に 〝トロントロン”というのがある、大滝ならば豪々というのだろうが、落差の少ない長閑な小さな畑の間を流れる小川が近くにあったのだろう。 一般に滝が...
比較的小規模作品なら、月4本程送り出していればそれでよいかもしれないが、何年に1度?は社運を賭けた作品を世界に送り出した。 映画20世紀フォツクス社は「クレオパトラ」では大赤字。「史上最大の作戦」では大ヒット大黒字、イギリス側、ドイツ側、アメリカ側から3人の監督をたてそれぞ...
男女の比率が極端に異なる高校もあったようだ。私の印象では高校卒業後2年~4年で挙式していたように思う。内心羨ましくて仕方なかった。 必ずしも美男でなく、スポーツマンでもなく、極めて普通の同級生だった。聞くところによると女子学生の競争も凄かったらしい。プリンセスと呼ばれる一番...
井伊藩は現在の尾崎記念館辺り、桜田門までは100m位しか無いように見えるが、鼻先の大惨事に井伊藩の人、どうも門外に出た様子はないらしい。 行列の藩士達は軽くて遠島、 どうも生命に関わる重罪だったらしい。そのうち半分は逃げ散ったアルバイトだったが追わなかったようだ。 徳川御三...
「桜田門外の変」というが、大きな門の内側に桜田門がある、だから本当は「外桜田門外の変」と言うのが正しいと思うのだが? 1860年3月3日は桃の節句、大名達の登城日。(現在ならば3月24日、3週間ずれるだけで桃は温室栽培という) 皇居一周マラソンというが、桜田門の脇に茶店、半...
学年で1、2番の男一人は国営放送局の研究所、もう一人が地元の大型電気店に就職。 卒業後2人の音信は全くないが、研究所に行った男は夜学に行ったかもしれないが、余程のことがあってもそこで定年を迎えたであろう。 地元に職を得た男が心配になった、定年の頃電気店舗の看板はなく、器具の...
道明寺、藤井寺市にある。 意外にも菅原道真、真田幸村、桜餅と私にとって記憶的関連が深い。 菅原道真の姉さん(おばさん?)が庵主で尼寺でこさつ。昔から餅米を蒸して天日干して糒を作っていた。(今で言う湯を掛けて食べるアルファ米というインスタント食品。) 大坂夏の陣。このあたりの...
津田梅子、どうも日本語が話せなかったようだ。10年も留学していたが、当時の日本では公私共に居場所がなかったようだ。(今だって、帰国子女の使い途が少ない とか) この人、2度目の留学のさい、昆虫学に熱中、でも一緒に研究していた教授は後にノーベル賞を受賞している。ひょっとして...
ブーブーじゃがじゃが→刑務所内の渾名。 肉じゃがは東郷平八郎がカレーライスを作り間違えたと言う説がある。確かに似てなくもない。いまでもカレーは海上自衛隊の土曜日の夕食として生き残っている。(一週間の区切りだそうだ) 肉じゃがも重要なメニューらしい。 意外な事だが、刑務所にお...
李承晩、吉田茂、ウイストン・チャーチル。何か葉巻を燻らす貴族好みだった人達です。 なかでもチャーチルは石油、原子爆弾に着目し先見性のある人だったようで、たびたび日本へ非開戦を促しています。( エリザベス女王の戴冠式において、昭和天皇の名代として渡英したおり、席次がないに等...
「徹子の部屋」 大女優との出演を見ていた。京マチ子、月丘夢路、山田五十鈴、入江たか子。銀幕を飾り、観る人の心ときめかした人達。 意外にも京マチ子など妖艶さも印象付けたが、身長159cmだった。 黒澤監督、小津監督に出演、でも生涯独身だった。山田五十鈴は何回かの離婚歴があり、...
4人いて2人の犠牲者が出るとなると穏やかではいられなくなってしまう。でも、1億人の3%なら涼しい顔してられるリーダー達もいるかもしれない。(ちなみに3%は300万人、先の大戦の犠牲者数。) 日露戦争での犠牲者は8万人だそうだ。当時の軍艦1隻で500人、太平洋戦争の戦艦1隻で...
もう、領土の拡張や自らの考えを押し通す御時世ではない。少しずつでも改良して生きる世になっている。同じ宗教でも様々な派閥が存在しているのが理解に苦しむ。 地平線、水平線の向こうに明るく輝くものがあれば国境を越えて亡命したり、そこで働き金銭を儲ける人々が増加するのもわからんでも...
島原の乱。1638年。の話だが、大坂両陣から22年、関ヶ原合戦から38年経っている。つまり、経験者がいなくなっている。剣道と合戦とは大きく異なる。 島原というと天草四郎が余りに有名だが、幕府側の総大将・板倉重信が戦死している。そこで福山藩主・水野勝成を派遣した、時に74歳。...
ベートーベンの第九交響曲、暮れになると何かと報道されているようですが、ちょっとした教養番組風の出演者でさえ知っていても聞いたことが無い人が多くがっかり。 日露戦争後の松山の捕虜収容所で第九が演奏されるという映画がありました。(主役は松平健 1900年ちょっと後のドラマ) こ...
私が生まれてから国内では戦争と言うものがない。朝鮮戦争、金門島、ベトナム戦争、正直数限りない。逆から見ると戦争商売というものがあってほくそ笑んでいる人もいる。そして、しこたま溜め込んでいる人はそこにはいない。 隣国も一杯疑問があるが、燻ると必ずこの国の武器弾薬が使われている...
息子はヨーロッパというのはサッカーチームで理解。私はというとクラシック音楽で理解、少し知的ではないかと信じている。 息子はワーキングホリデー制度、でもヨーロッパ以外に興味を示さない。米、オーストラリア、南洋の島々に目もくれない。 それに、ヨーロッパは温度が低い、スタジアム売...
エスパー伊東が逝去した。70歳にはなっていなかった。そして得体の知れない芸人になり、結婚披露宴の出張芸人となり、それも引退直後に脳溢血?発病。漫才師の孫弟子が介護にあたっていたらしい。宵越しの金銭は持たない、しかも独身。 前職は百科辞典の画家だったという。訳のわからない芸人...
水戸黄門、話が一人歩きして諸国漫遊している。 徳川家康の孫、水戸二代目藩主光圀。私にはラーメン創始者として印象が強い。 印籠を見せびらかして「これが目に入らぬか」 浅見光彦の兄が刑事局長とか、遠山金四郎等々 庶民の生活を知るエリートに強い憧れを持つドラマは多い。 水戸28万...
光圀1700年に逝去している、僅なところで忠臣蔵は知らなかったろう。 全国漫遊の話だが「大日本史」の編纂資料収集の為にスケサンが全国を歩き回り、カクサンが200余冊を編集。 安房から船で鎌倉に行き、鎌倉の寺院を行脚したらしいが実にエネルギッシュで精力的だったらしい、領地巡回...
マリーアントワネット、フランス革命処刑時の評判は芳しくない。1つはチョコレート発言だが、後年 “ワインには酒肴“、別人の発言がいつの間にか女王になってしまった。 2つは、浪費癖だがこれは気の毒な話。貴族を含めても宮廷費5%程、軍事費25%、しかし戦争借金50%( 歴代皇帝の...
ベートーベンやゴッホが殺戮に関係するようなことはなかったろう。 歴史に名を留める偉人の多くは殺戮に関している。頼朝、信長、家康、勝てば何とか? 暗い人に言えない部分もある。 歴史というのは悲しい一面がある。 戦後、国会で決まった法令で殺戮はない。しかし、外国では革命と言う...
後白河法王といえば、平清盛・源頼朝の間に入り日本一の天狗と呼ばれ後世の評判は芳しくはない。 座談を聞くと、法王なければ今日の天皇家の継承は無かったろうという声もあった。 四角四面にものを考える人では皇族等ありえなかったかもしれない。 どっち付かずで、それでいて自分の考えはし...
人間の歴史なんてたかが知れている。世界四大文明と言ったところで4000年。ローマ文明は紀元前後 BC.700年~AD.500年として弥生時代~古墳時代。それから日本史が始まる。 アメリカはせいぜい300年。 何が言いたいか? 栄枯盛衰は世の常、水の有無で国家が衰退している。...
御土居。鴨川の氾濫を防ぎ賊から、京都を防御するために豊臣秀吉が作りました。 周囲22km、幅30m、高さ20m堀付きの堤で、思っていたよりかなり大きなものでした。 しかし、京都の街の発展に伴い徐々に破壊消滅し、今僅かに残っています。 御土居饅頭があると聞き欣喜雀躍、意外にも...
敗北を知った日本、ドイツ、イタリア、勝利したはずの英米仏中露の国々、国連内 の標準語になっているのみならず、よくわからぬ拒否権さえ持っている。 アメリカは兎も角、現在、日独は他を凌いでいる。食うに窮した国の方が必死で生きるかもしれない。勝ったという余裕がウサギになってしまう...
フランスのオルセイ美術館はパリ万国博の駅舎を再利用したもの。 (旧鉄道博物館も万世橋駅を利用したものだった) ヨーロッパの駅は本線から離れている場合が多いそうだ。 一時の桜木町駅のように東海道線から離れ往復していたそうだ。 推理小説の遠い記憶では大昔の韮崎駅が中央本線か...
双頭レール、明治初期の鉄道に使われていた。T字を2つ繋ぎ合わせたような上下対照のレール。 半世紀前、広島駅の構造物に使われていたそうだが、現在 “高輪ゲートウエイ駅“を作る際、周囲で発掘されている。(記念館でみることができるそうだ) 日清戦争で八幡製鉄所を作ったと学校で習っ...
叔父が桜木町駅を自慢気に昔の横浜駅と語っていた。確かに古臭かったが、何か好奇心を掻き立てた。 確かに新橋⇔桜木町の駅ではあり、古色蒼然とした不思議な駅ではあった。しかし、明治30年頃東海道線開通すると、横浜駅は相鉄線の平沼橋付近にあったようです。これも不便、東横線の高島町付...
旧新橋駅は現在の新橋駅駅ちかくにあった。(駅舎再建されている) 私の高校生の頃は貨物列車のターミナルで兎も角広大な敷地だった記憶がある。 10年位前の映画「柘榴坂の仇討ち」 に新橋駅で客待ちする人力車のシーンで駅舎が写る。更に昭和30年頃の駅舎とSLのシーンが珍しい。 〇...
「ブログリーダー」を活用して、ブーさんをフォローしませんか?
軍事において、動きの悪い、太ったものは絶好の標的になるらしい。平和惚けといわれようとも、鉄砲の安全装置など知らない一生で良かったかもしれない。教練よりも勉強をしている振りをしているほうが、楽。 情けないけれど、努力することもなく、行き当たりバッタリの人生でも、毎夜酒を飲みそ...
1964.10.10 東京オリンピック大会直前の場内アナウンスは穏やかな口調で国旗などのことが流れていた。 最後は音楽隊演奏による自らの退場行進曲・・・軍艦マーチが流れた。 この日まで国歌も行進曲も肩身が狭いかったに違いない。一般的には君が代はお相撲の音楽。軍艦に至ってはパ...
イジメというと、何となく明石家さんまをイメージする。 弱々しく、ユーモアがあって、反応があるから。 和田アキ子、南海キャンディーズのしずちゃん、2m近く大柄な出川哲朗だったらどうであろうか? まず手は出さないであろう。 最近では女性や教諭でさえ見て見ぬふりしているそうだ。 ...
地中海沿岸に柱が点在する。どうも神殿らしい、2500年前の遺跡という。パルテノンというのは建築名称と思い込んでいたが神様の名称で、なまったものらしい、ギリシャ・ローマに冠せられたものがある。 大体アールヌーボーまで欧州の建物は石壁が多く、窓が少なく室内が暗い。それだから壁だ...
親父様は明治46年生まれで口煩い人だった。丁稚奉公、内務班を知っている世代、わからんでもない。でも時代とは余り関係がないだろう。 兎も角、息子達には圧力を掛けるようなことはしなかった、つもりだが。少なくとも長男は文系、次男は理系的になった。 確かに親父様のやり方は微妙だが、...
ワッフルと言えば私はベルギーと思っていた。だいたいは丸に網を盛り上げたような形。でもテレビによると、近くのフランスの地方では豆腐のような4角形もある。また四角の部分が小さく、薄く作られたものもあり、パリパリ感が良いとか様々ある。 画家ブリュウゲルの絵画にパン作りのところが描...
6月は驚くほど、夜スカイツリーは見えない。月も見えない。そのくせ熱中症の警報が乱発。半世紀前残暑の頃、出てきた言葉だったと思う。 相当昔の9月23日?、駅近くで老人が倒れたとかで報道されていた。確かに異様に暑い日だったが、飴とか水とか今日まで残り、立派な病名までつき昇格した...
息子欧州旅行はサッカーチームを基準にしていた。私はというと、古典音楽だった。20歳の頃、冬のヨーロッパが30万円をきったとか新聞に掲載。10年後やっと世界中に旅行出来るようになったが、カナダはキャンピングカーによる都市のポイント巡りだった(観光の準備不充分?) 私の20代の...
もし大正時代が15年延びて30年になっていたら歴史が少し変わっていたかもしれない。 陸軍幹部は昭和天皇を見くびっていたらしい。 大正天皇に優れた政治性があったなら、ひょっとして2、26事件。日米開戦も??? 案外歴史が動いていたかもしれない。 石原莞爾は昭和天皇をただの三代...
東京・靖国神社の前に立つ大村益二郎。適塾卒業した大天才、(同窓生に福澤諭吉がいる) 武士ぽい容姿だが山口県の村医者の跡取りで村田蔵六と称した。ともかく翻訳者として優秀というより、凄いを越えていたようだが、コミュニケーション不足で挨拶もままならぬ程だったようだ。 捨てる神...
入籍は約49万組(現実には48万代) 成人式の時120万人、全人口1億2000万人と言うから私的には一致している。 つまり20万人の男女が独身者ということだろう。同棲中としても子供が誕生すれば籍を入れるだろうから数値的には問題はないと思う。 毎年20万人の人口が減少していく...
甘酒は大晦日、神社で湯気を立てて飲む印象が強いのですが昔は夏の飲料でした。現在のオロナミンCのような経口栄養剤だったようです。当時なら俳句の季語は冬だったかもしれません。( ブランコの季語は春ですが、永六輔氏にはわからなかったようですが、春先森に入って乙女の揺らすブランコを...
私達の小学生の教室は、55人押し込められた。40年後息子の1クラスは30人だった。何せ25人1クラスを要求していた時代、今、学校が廃校になってしまった例は沢山ある。 それでいて大学が増えたものだから、全入時代になってしまった。正直、前にまして勉強、テーマの追求をしなくなって...
ウクライナ侵攻、ハッキリしないロシア。3日どころか3年半たっても未決着。 シリア、イスラエル⇔イランもロシアの後楯なければ話にならないことが、素人の私にもよくわかった。ロシア贔屓の人、ウクライナを領土にしたところで国際的評価はマイナス。(小遣いを貰ってこそ) 少なくとも、高...
犬公房と称された5代将軍徳川綱吉、どこまでが真実で滑稽話かよくわからないところがある。 日本全国、あるいは大坂ではどうだったのだろうと考えたら、地方条例の類いで江戸だけの話だったらしい。 大河ドラマ、6ヶ月以上かかって遊郭と江戸の対比に明け暮れて帯ドラマらしかった。奥方様が...
水戸光子・三浦光子・森光子。 かまやつひろし・守屋ひろし・井上ひろし。 田中裕子・名取裕子・古手川裕子。 風吹ジュン・五十嵐ジュン・粟吹ジュン。 米倉涼子・広末涼子・篠原涼子。 大体同時期にデビューし活躍した人々で似たような役回りをする。でも、容姿の良いアイドル的なイメージ...
芸術作品には常に真贋がつきまとう。私は例え偽物でも一つ床の間か応接室に置きたい。専門家が鑑定しても判定容易ならざるものがあるという。一つの品物にには20以上の贋作があるらしい。 世界的美術館に必ずと言ってよいほど掴まされた贋作があるらしい。 でも、国宝級の絵画に囲まれ色落ち...
6月21日は夏至(最も昼間が長い)。自分の誕生日を使って子供達に教えた。3月21日は春分の日、9月21日は秋分の日として祭日になっているが、昼夜同じになる。 半年先の12月21日(22日もある)、冬至と呼ばれ夜の最も長い日。だから、1日1分日没が変わってゆく。 子供達は覚え...
映画 寅さんを見ていたら、巨匠画家の玄関先に陶製の大壷が何気なく置いてありました。映画 東京物語でも玄関長押に提灯箱がありました。どちらも現代には見掛けられません。提灯にしても懐中電灯になり、今は充電器ライトがテレビのコマーシャルで放送しています。戦争中であれ長蛇の列、並ん...
アルバイトの時、「 旨いものを食べることを暫し忘れれば ・・・」という風変りな陽気なおっさんがいた。美味いものを食べることは良い企業で働き、良い大学、良い高校、良い幼稚園とか競争社会を否定的だった、一利あるように思えた。 でも人間もっと御気楽でも良いではないだろうか? 私は...
この様な番組ができたのは1970年ちょと前。以前はテレビ放映も朝、昼、晩と6時間程。 当時でも古い大量の映画を放映していた、タイトルも知らず、2日~3日も放映していた。 今記憶に残っているのは、2本~3本と極めて少ない。( 未完成交響曲のシューベルトがあった。でも戦前作品 ...
映画・プリティウーマンの原作は麻薬とかもっと暗いそうですが、ドラマではかなりセレブです。私の年代では1964年東京オリンピック大会のさなかロイオービソンのヒット曲を思い出しますが、映画も途中からオペラ仕様に変わります。 余り悪人は出てきません、ホテルの支配人、運転手など好意...
痛みもなく、手術もなくどちらかというと意気軒昂。でも、2ヶ所の管で繋がれ不安定な血圧など入院も仕方ないと・・・・囚人のように早く退院したかったです。 奥方様の言う 「 食いしん坊が食べれなくなった。」 大ショック、先行き不透明。 桜が散り始めた頃、口からの食事は効果絶大で薬...
90年程経ちました、だから体験者ものきなみ百歳を越えました。叔父の1期後輩が同じ職場にいたそうです、226事件の上官が教官、とても好人物だったそうです。 事件後、陸大入試を考えていた者がいたりします、陛下が怒る事無く反乱が速やかに収束していればという・・・・ひょっとして予告...
東京駅八重洲口前に歌川広重が住んでいた。( レリーフがある ) 有楽町駅・南側皇居寄りの徳川家社宅で樋口一葉が生まれている。( 碑がある ) 東京駅が建設されたとは大正初期、当時は鉄道は通らず不動産的価値評価?? 寄席の世界では、黒門町の師匠は桂文楽( 先代 )。稲荷町は彦...
テレビで見ているだけで横着しています、何でもプロと名の付くものは沢山あるようですが、豪邸を立て住むことのできる人は一握りの限られた人のようです。 難関のプロテストを通過しても賞金 “0“ の人がかなりいるようです。それにツアー、ホテル代でしょ。 名門大学に合格しても型に填め...
数学の大天才が東大を卒業して地震学の世界的権威者となり、当然教授となった大森房吉。僅か2歳下の今村明紀恒は助教授がいた。 ただ、官僚的になった大森、やや扇動的と見なされ夜帝大に来る今村( 22年間無給という )どちらも関東大震災を予知できなかった。 大森はオーストラリアに出...
フーバーはアメリカの初代FBI長官ですが、半世紀近く在任。何人の大統領が代わったのでしょうか? 個人企業ならともかく、大きな権限を有した公務員としては長すぎました。 どうしても、大統領のポストを競い、秘密を握ったり独り歩きしたようです。 陳腐10年という言葉が中国にあり、...
舘ひろし。私と似ているようです。といっても容姿などまるで共通点がありません。 最近分かったのですが、年齢何より隣町で育ったようです。それだけですが、身近に感じたことも事実です。 誕生月は2ケ月異なりますが学年は先輩になったはず。 それに、幼稚園は八王子でしたから名古屋のこ...
佃島から銀座を見ている絵です。大屋根が築地本願寺です、その下に流れる雲は軍事訓練を隠しているそうです。( ペリーが来日し日本中がパニック状態になり ・・黒船来航騒動 ) 実は地震で本願寺は倒壊し屋根は見えなかったのですが、頑張ろうというメッセージで描いたようです。今はインド...
息子が幼稚園の頃、口ずさんでいたギャグに アッキー・ポッキー・洗濯機というのがありました。人名、チョコレート菓子、その他にも似た面白いのがあり、なかなかに匠でした。 私が小学生の時、 のぎへんに くちを書いたら 平和の和 ・・・一応 5・7・5です。 中...
( 岡山 )・ 池田藩31万石。は埋立によって7600haを拡張しました。7600・0000⨫1、8⨫1,8⨫365⨫10000=6,4 6万石を増やしました。実質37万石と海産物が入ります。ですから明治期、1万石を越えていた家来6名が大名扱いで華族になっているほど...
何を恐れているのか、書き物とテレビ放映では大きく異なり、人間性が乏しく減滅した現代史の人がいた。要点を聞きたいのに花鳥風月然としている。子分も付かないし、親分にも担がれることはないであろう。 責任を取りたくないのか、遥か群衆を離れて正論を言ったというか、犬の遠吠えというか虚...
あまりクリムト、シーレの絵画のファンでないのでウイーンに行っても関心は薄かった。 (ウィーン美術学校となっていますが、どうも芸術大学でなかったという説がありました、職工ではなく、絵描きの美術課程のようでした。) シーレの在学中、翌年、翌々年ヒトラーが受験生として訪れています...
ふと横に白いドラム缶が到着し何事か話している。受付だけかと思っていたら、ウエイトレスまでロボットになっていた。一店舗あたり一台としても500店舗では500人、一年となると6000人削減、単純計算で億単位、凄いことになっている。あの複雑な路を来るのだから拍手ものだ。日進月歩、...
鐘つけば 銀杏散るなり 建長寺 夏目漱石 柿食えば 鐘が鳴るなり 法隆寺 正岡子規 「 坊ちゃん 」は伊予松山に赴任した時の物語で漱石は子規と同居していたそうです。 二人は東京予備門の同級生同士、漱石は毎日鰻飯を子規に食べさせ、子規は俳句の師匠であったという、どうも漱石は金...
モーツァルト。シューベルト。メンデルスゾーン。比較的短命だったが多くの作品を残している。悪く言えば死に急いだ人達としか言いようはない。 正岡子規35歳。夏目漱石( 作家活動11年 )森鴎外60歳。当時の平均寿命?と比べると長生きではない。 子規と漱石は闘病の中書き進めている...
正岡子規は “ 柿 “ が好物。立派な食いしん坊。「 柿くうも 今年ばかりと 思いけり 」と読んでいる。ちょぴりセンチメンタルな句といわれるが、子規の晩年はもう少し明るく過ごしたようだ。 比較的短命だったショパンにも遺作がある。哀愁はあっても微塵も悲しみを感じさ...
永六輔。1ページの1⁄ 5程しか書かれていない、独特の本であった。でも広範囲に渡る聞き書きは読んでいて楽しかったし、自由に旅ができない頃、何か自身が揺られている気がした。 同じ頃、團伊玖磨の「 パイプのけむり 」を貪り読んだ。両氏の広範囲な趣味、視野、一般的でない豊富な体験...
十三代将軍・徳川吉宗。この人も好奇心が強い人で多くを学び、中には今日にも繋がることも奨励し、産業まで昇華しています。 この時期、 人口が伸びることが停滞していたので調査。 日本地図を作成。 天体を観測。 新田を開発。 洋書の輸入。 動物の輸入。 産業奨励として生糸の生産。 ...