病を得ている夫が、急にに病状が加わってきました。だらしないことですが、ブログを書く気力体力無くしています。当分お休みいたします。みなさま、梅雨に向かう不順な季節です。お大事になさってくださいませ。ブログしばらくお休みします。
先入観ですっかり思い間違いをしてしまった。うっかりミスと書いたが、うっかりどころではない。丸々完全な思い間違え。今日は木曜日。木曜日と言えば、パソコン教室の日。忘れるはずのない楽しみの日なのである。それを間違えた!!。勇んで1時5分前に教室をのぞいたら、電気はついていない、上天気なのに窓は締めっきり、もちろんにこやかに迎えてくださるはずの先生はいらっしゃらない。あれ~?!ばあさんまちがえたな。間違えてきたと思わせては、先生にお気を使わせるばかりだからと、逃げるように道の角を曲がる。私の頭の中では、今日は第5週だということは承知していた。23日がお休みだったから、今日・5週はあるはずと一人合点に思い込んだのだった。角を曲がって、カバンの中の日程表を見る。5週は休み、と赤字で書いてある。ああ~、おせっちゃんの...失敗!!・うっかりミス!!
わが家は郵便の配達がかなり遅い地域らしい。今朝、朝刊を取ろうとしたら、昨日配達の郵便物がはらりと落ちた。日本ユニセフ協会から寄付を募るものだ。う~ん、このところ私の管轄の生活費は押してきて、「残りはおせっちゃんのお小遣い」の部分は減る一方だ。どうせ寄付したとしてもわずかばかり、この度はスルーしようかな、と思ってしまう自分。振込用紙とともに入っている貧しい子等の、それでも無邪気そのものの笑顔が引き止める。病を得た夫の昼食代が健康の頃より増えてきているけれど、私は、幸か不幸か、出かけない、お付き合いは無い、従って着るものも要らない、・・・どうにでも一万円はひねり出そう。その向こうに生きている子どもたちより、自己満足の、偽善者満足をするために、と振込用紙をきちんとしまう。偽善という言葉に、始めはたじろいたことも...わずかばかりだけれど
夫が父親から相続した土地に木造2階建ての家を建てて住み始めたのは、子どもたちが短大・高校生の時でした。それからあっという間に月日は流れ、古びてガタの来た箇所が目立つようになってきました。手を入れなければ・・・と言い始めてからも先延ばし、先延ばし。床が歩くたびに沈む、我慢の出来ない状態になって、この度思い切って最小限だけれど手を入れようということになりました。新築の時任せた大手の業者にという考えもありましたが、この度は、大手の業者と、近所の小さな業者とに見積もりを出してもらって、そのあまりの値段の違いに小さな業者を使うことに決めました。私の友人の息子さんが社長をしている業者で、信頼も置けそうです。いろいろ取り決めなければいけないことがあり、これが見本と、ド~ンと厚さ8センチもあると思われる見本帳を置いていき...奥ひろし・・・洗面台
26日日曜日の折々のことばです。浅学の私は柚木氏を知りませんでしたが、言葉はどうにか容易く理解できるような気がしました。★『”明るく”あきらめるのがいいね』続いてこんなことを言っていらっしゃるようです。歳をとると、いろんな事が出来なくなる。散歩も風呂も、大好きな餅を食べることも。でも其れを辛いとは思わず生きてきたと。人生は楽しくなくっちゃ、いけない。自分の出来ることを変えていけばいいのだ、と。出来なくなったらなったで、出来ることを見つけてそれを楽しむことがコツなのかな。私が脊柱圧迫骨折を患って痛みにさいなまれ、少し回復したらしたで、楽にはなったけれど元には帰っていない、万全には遠い、と焦っていた時期がありました。ある時、親しい友人が、「おせっちゃん、あんた万全というけれど、どうなったら満足なの?それは無理...折々のことば・・・柚木沙弥郎(染色家)
子供二人が同じ年に結婚して、独立して家から出て行きました。自分では空の巣症候群などにはなっていないと思ていましたが、やはり気が抜けたようになっていたのでしょう。なんだかぼんやり暮らす自分に嫌気がさし、お茶のお稽古に通い始めました。ご指導は、母・娘2代で教えていらっしゃる、いわゆる玄人の方でした。その先生が、怒りを押し隠し、悲しそうに弟子たちに苦言を呈されたことがありました。ご自宅を開放して、お茶事に招いてくださったのでした。塗りの器に簡単な食事つきのお茶会でした。「びっくりしてしまいました!」若い方々に手伝わせて、塗りの器を片付けました。弁当箱状態の器の蓋を取って、思わず声をあげてしまいましたよ。器の底に、魚の骨が、乱暴に散らかされていたのです。常識と思って指導しなかった、私たちも悪いのですが、こんな無作...お茶時の後で
★『くろうとはどの道の人も、みなあと片付けがうまい』幸田文は、あの幸田露伴の娘です。高校の国語の教科書に、露伴が、厳しく娘に雑巾がげを教え込む、二人の姿を描いた文があったような記憶があります。桶の水で雑巾を洗って絞る加減、階段を横にすっと滑らせ、壁に当たる直前に紙一重で止める奥儀。達者な文の文とともに記憶しています。その文の見つけた人物評です。くろうとが片付けがうまいとは真実かもしれませんが、片付けがうまくできない、しようとしないような人は、くろうととは言えないのではあるまいか。文も当然この意を含んで書いた文に違いありません。くろうとの代表として、文はこんな言葉も残しています。花の先生が生け終わった時、不要になった枝を、3寸ほどに切りそろえて、纏めた。その様を見た時、塵さえいとおしく見えた。また、経師屋さ...折々のことば・・・幸田文
先日、おべべを着せた、出来上がりの辰をお見せいたしましたが、20日と、今日22日がその木目込みの講習会でした。15年を超える長寿人気講座です。木目込みを始めた頃は、ちゃんとした資格を持った先生をお招きしておりましたが、ご老人の介護が始まり引き受けられないと断られ、結局、コミュニティ―委員で研究しながら、教えようということになりました。一番年長者の私、委員はすでに退いておりますが頼まれて、烏滸がましくもしゃしゃり出て、2日間講師を務めてまいりました。中一日、家庭での作業を挟んで、今日、大体の方が、仕上げることが出来ました。自分の体力の衰えをつくづく感じました。一日3時間、立ちん坊で、教えながら机間巡視すると正直なところ座り込みたくなります。まあどうにかこなしましたが。講座を受講なさる方の、ちょっとした言動に...時代の流れかなあ?
短い秋が終わったのかと思っていたら、昨日今日、落葉とともに晩秋の趣を感じさせてくれています。ただ、今年のお天道様は尋常ではない。週末は、大寒波襲来、ぐっと気温が下がると言います。今朝も老いの身でもしのぎ難いほどの冷え込みは無く、天気予報のおじさんのコート姿が少々大袈裟なような気がしました。コートと言えば、我が家にはお決まりの笑い話があります。息子Kは中学生の前半までは、小柄で、顔色も悪く、寒がりで痩せた身体にあるだけのものをまとって、その上に学生服を着て通学していたのです。それが何が原因なのか、今に分かりませんが、精神的にも強くなり、大学生になった頃には、ボート部に入って、自宅・学校・戸田を巡るのが一日の生活ということになり、だんだん逞しくなってきました。ある夏の日です。姉のMaが見ると、汗びしょになった...息子Kのコートの話
木曜日に障子貼りの手伝いを終えて帰って行ったMaから、金曜日ラインが入りました。『近くのコンビニでAppleカードを何枚か買って来てほしいんだけどいいかな?』コンビニで買えるものなら自分でで買えばいいだろう。それに、「買って来てほしい」は遠く離れた二人に使う言葉ではない!これは変だ。馬鹿な作文!暫くほおっていると再度ライン。こんなカードだと写真入りで、『お金は明日上げるよ。今買って来てもらえるかな。10万円分のを2枚買って来てほしい。現金で買ってから、その中のカードを取り出します。カード上の16桁のコードの写真を撮って、Lineでおくってください』『いま必要なの!お願い!』ばあさんを馬鹿にしているのか、軽くだませると思ったのか、いくらなんでもこんな下手な文章でだまされる馬鹿婆さんではないわい。それにしても...これ、詐欺?。下手な文章!!
10月16日のブログで来年の干支・辰を裸で連れ帰ったことを書きました。その後、気にかけながらほおっていたのです、区民センターの講習会が月曜日に迫り、仕上げました。すでにお話しましたように、私はすでに干支一回りは揃えているのです。12種揃えばもういいと思うのですが、長くやっているということで講師に呼ばれたのです。12年やっても、腕は上がっておらず明日、恥じをかきながら教えることになります。どうやらできた辰をお目にかけます。今年のウサギさんなどはできあがるとかわいい!と嬉しくなるのですが、辰は・・・裸の辰、おべべ着ました
3・4日おやすみいたしました。泊り客を迎えていたのです。といってもB級客、娘のMaとその娘Mちゃんです。すでにどこかに書いたかもしれませんが、私の主婦業を助けに来てくれたのです。わが家は築40和風家屋です。勿論洋風な部屋もあるのですが、普通の同年齢の持ち家としては床の間、押し入れ、畳敷きというような昔風の部屋が4部屋ばかりある家なのです。暖房も、畳の部屋に、オコタという暮らしなのです。従って、建具も障子が何枚もあるのです。コロナ前に張り替えた(?)障子が見にくくなってきていまして、この年末は張り替えたいと思っていたのです。実は、コロナ前、一度思い立って、張り替えたのです。万全な身体でない私が、一人で思い立ったのです。圧迫骨折の余波で眩暈があり、途中で卒倒して倒れたりしたのです。先日、何とかというのライブの...主婦業、応援団・・・MaとMちゃん来訪
今日は、昨日感動を覚えた言葉を書きます。おせっちゃんの友人の「折々のことば」です。昨日12月並みという寒さの中、最寄りの商店街に夕方の買い物に行きました。商店街の中で、息子Kが幼稚園に通っていた時の、お顔なじみの方に出会いました。当時は子どもを通じてかなり親しくお付き合いしましたが、その後小学校は別になり、我が家は小学校を終えると九州小倉に越したりしましたので、出会っても、軽く一言声を掛けるか、会釈するか、で、それ以上お付き合いすることもない方です。関係でお別れしましたお別れしました・・・最寄りの商店街は、スーパーとコンビニと、ドラッグストアがまあまあの大きさ、あとは、シャッターが下りていたり、お年寄りが店番をしていたリの寂れた買い物街です。お別れした私はスーパーで買い物をし、今度は郵便局まで歩いていまし...こんな、折々のことば
急に気温が下がると、前々から予報は聞いていましたが、あまりに暑さに慣れたからか、さて冬物・・と言っても現実味を感じないで、準備が遅れていました。今朝起きてみると、気温の低下に加え、風も激しく、いやいやこれは来まさなければと慌てた落第主婦でした。やっとのことで冬着を出し、昼前に最寄りの買い物コースを回ってきました。その道で考えたこと。(書き始めて、すでに一度書いたことがあったような気がしてきました)今日、土曜日は住んでいる町内では、資源ごみの回収日です。前日、金曜日の夕方、缶と瓶の二つの箱が、ゴミ出し場所に配られます。そこにそれぞれが入れて、回収車が箱ともども持って行ってくれるのです。段ボールも。親子でしょうか、中年の男性が車を運転、まだごく若い男性が、車の先を行き、出された箱を整理していきます。そこで、お...ちょっとした心遣い
二人の子供が同じ年の春と秋に結婚し、私の主婦業も一段落。ほっとしたと自覚することもなかったと思うのですが、なんだか時間を持て余す気がしていました。以前から見知っている先生にお願いしてお茶とお花の弟子の末席に加わったのです。先生は、長年その道を究めていらっしゃる見習うことの多い方でした。その先生が、ずいぶん興奮した声と態度で、「おせっちゃん、聞いて聞いて、こんな事ってあるかしら」とおっしゃるのです。「孫のお嫁さんがね、私の手からもぎ取るようにスプーンを取り上げたのですよ。『おばあさま、虫歯菌が移ったらどうします!』今後一切禁止です」というのよ。お味噌汁の中のお豆腐をフーフーして、厚くないか唇で確かめて、スプーンで与えようとしただけなのに!!」目上の方には逆らわないと育った私には、聞けても、今のお若いお嫁ちゃ...時の流れはこんなところにも
人間を愛さなくなった自分・・・長新太(絵本画家・イラストレーター)
★「草花を愛して、人間を愛さなくなっている自分を発見して、驚くこともある」酷く悲しいことばです。でも、一読しただけでは何故なのか、おせっちゃんは理解できなかったのです。長新太は次のような言葉を続けています。★「人間はこんな事さえできるのか。そしてその可能性がまぎれもなく自身にもあることに気付き、人間であるということに絶望することがある」。何度か読んでいると悲しいかな、確かに自分も・・・と気づいてきました。身近な日常生活においても、生きんがためとはいえ、人間以外の生き物を殺して、食べている。必要最低限ではなく無駄食いにも。「いただきます」の感謝の気持ちさえ持たずに。ニュースを見ていれば、この悲しい人間の性、近親の争いごとから、戦争まで、画面いっぱい、殺しあいです。人間以外の生き物が、わが子を虐待して殺すだろ...人間を愛さなくなった自分・・・長新太(絵本画家・イラストレーター)
2・3日前の徹子の部屋。失礼ながらお顔は見たことがあってもお名前は知りませんでした。今年が30歳代の最後の年になるとのこと。徹子さんの質問に、じっくり考えながら、誠実に答えてくださる方だなあという印象をうけました。子役時代から俳優の道を歩んだのだそうです。その過程での、お母様との関係がとてもいいお話でした。★先ず、家で守るようにしつけられた家訓について。①、素直でかわいい人になりなさい。②、実るほど首を垂れる稲穂かな、を胸に生きよ。③、自分と真反対の考えでも、一度はそうかなと受け入れてみよう。大人に混じって役を与えられて、その時々に、高慢に生きないよう、指導なさったのか。★大病子どものころ大病をした。命の瀬戸際まで行くほどの大病だった。運良く、命長らえたことが、母親にはトラウマとして残っているに違いないの...わが家の家訓…神木隆之介
今朝の「折々のことば」は、とても分かりやすい言葉でした。日々読んで、引き写しのような記事を作り上げていますが、読解力なく、人生経験もごく狭いもので、こうしてアップすることに後ろめたさを覚えるのです。としおらしく謝りながら、今日も・・・★「感情が波立っているうちに言いかえしてはいけません。‥‥・母はよく唾を3回のみ込みなさい、というとりました」。石井哲代(元小学校教員)続けて次のような言葉も。「要はちょっとした間を作って、心を落ち着かせること」。「同じ一生なら機嫌よう生きて如何そんじゃ」と自分に言い聞かせてもいる」。心は自分で育てるほかないからと。たった3年間、学生生活の続きのような感覚で、勤めに出たわたし。親となって二人の子供産み育てはしましたが・・・。この手の話題が出ると身を縮めて、ひたすら反省するより...唾を3回
書きにくい題材だったからか、苦労してやっと書き上げましたのに、投稿したら消えちゃった!!書いている時から変換したら違う行に入り込んだり、打てていなかったり、随分ご機嫌が悪かった。もう一度書く元気なし。今日はお休み、ごめんなさい。苦労が水の泡
「わからなくていいからそばにいて」(折々のことばから)現代美術家の宮島達夫さんの言葉だそうです。「現代アートは分からない」とよく言われるけど・・・につづいて言った言葉のようです。一緒にいたいという思いだけで一緒にいると段々その人が見えてくるものだけれど、美術も同じ、だと言う。友人関係でも、特に相手を理解しようと話あったり、議論し合ったりしないで、じっと静かに一緒にいたら次第に、自然にその人の好さが感じ取れるのかもしれませんね。立場が逆になるかもしれませんが、向かい合っていて、一番心が休まるのは、理解しようという意志が強くある人よりは、ただ黙って静かに同じ時を過ごしてくれる人の態度からかもしれませんね。傍にいること‥・宮島達夫(現代美術家)
2・3にちまえの「徹子の部屋」に毒蝮三太夫が出演していました。これは私の個人的な、そして深くは知らない彼のことを、ただ自分の印象で述べるものですから、全く真実からは遠いものだったのでしょう・何だかこわもての、厳つい人のような気がしていました。ニコニコ、気負うことのない姿勢で入場。徹子さんとの語り口も、親しく、暖かいものでした。結婚60年、金婚式になるのだと言います。徹子さんは、細かく話の順序や時間配分を描いた時間割にしたがって話を進めるはずだったようです。ところが、会った途端のビビット片思い、思いを上手く伝えられないまま月日が過ぎていき、ついに思いのたけを・・という長話に変更を決心したようで面白かった。その愛妻に、誕生日を始め月に2・3度今でも自筆のハガキを出すことを生活のリズムにしているとのこと。のろけ...妻が一番好き・大事・・・毒蝮三太夫
今日から11月なんですね。お節の広告、年賀状の案内、いやが上にも気ぜわしくさせてくれます。その上、今日から4・5日夏日にもなる異常な季節の変わり目だとか。ばあさんは、老いの身、気温・気圧の変化に順応しきれません。気象病とやらに、いててててと立つのも座るのも。恒例にしたがって、今月のマイカレンダー見てやってください。例によって、自然写真家・伊藤信男さんの写真を使わせてもらっています。いいよとお許しのでている写真の中に雀がかなり登場しています。11月にふさわしいものをと探して、この2枚を載せました。飛び立つ瞬間の羽ばたき。何かを狙ったのでしょうか。もう一枚は捥がないままに熟してしまった柿を目当てに群がる雀さんです。熊さんでなくって良かった!写真の背景はおせっちゃんがデザインしました。今、通っているパソコン教室...11月のマイカレンダーお見せいたします
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病を得ている夫が、急にに病状が加わってきました。だらしないことですが、ブログを書く気力体力無くしています。当分お休みいたします。みなさま、梅雨に向かう不順な季節です。お大事になさってくださいませ。ブログしばらくお休みします。
築40年ほどの自宅をリフォームしたことはすでに書いたことがあります。その時書きましたように、間取りなどを変えたりするリフォームではなく、年月で、老化した家屋の部分部分の修理をしたのでした。それも、弱ってきている夫に気を使いつつ、作業場になる部屋部屋から、他の部屋に逃げておいてという方式でやりましたので、なかなか、疲れる作業でした。わが家にとっては大きな事件でしたから、メモにして、残しておきたいと思いました。築30年くらいから、家族で、頻繁に歩く場所の床が、歩くたびにぺこぺこ抜けたような感覚がするようになってきました。建ててくれた業者に相談すると、床に張った、合板の接着剤が老化して、合板が合板ではなくなっているとのことでした。10年ほど前に一部だけ修理したのでしたが・・・。床が抜け落ちる心配はないとのことで...リフォーム業者選び
今日から6月ですね。何とも速い時の流れです。地球のご機嫌も定まらぬようです。身体に気を付けて、元気に6月を過ごしましょう。昨年末、NORI先生のお手を煩わせつつ、仕上げたマイカレンダーです。写真は、雨の季節にひょっこり覗いた可愛い雨蛙ちゃんの写真です。いつもの伊藤信男さんの作品を使わせていただきました。カレンダーの背景は、錦絵が特集で新聞に掲載された時、スキャンしておいたものです。雨の季節にふさわしいかと思いましたが、こうして出来上がりを見ると、写真はもっと蛙ちゃんに近寄せてそこをアップにした方がよかったかしら?6月は、私が86歳になる月です。近頃、薬を飲めば、その副作用かと思える不具合が出るし、加えてお天気病というのでしょうか、気圧の変化に負けて、自律神経が暴れだし、調子を崩すことがしばしっばです。まあ...6月のマイカレンダーお見せいたします
子供、孫、には誕生日に心ばかりのお祝いを贈ることにしています。人生街道を歩いていると、当然のことですが、自分も、子ども孫たちも当然歳を重ねます。そうです。子ども孫から、お誕生日祝いの歴史が始まったわけではありません。結婚して離れた両親と舅姑にお祝をするところから始まりました。次が、子どもと、同年齢の甥姪に、小さなおもちゃを贈る段階。その小さなプレゼントがだんだん値段の張る玩具になり、果ては現金でもらえるかなあ、と相手が成長してくる。これも年月です。その孫たちが、みるみる成長し、頭上から声が降ってくるようになり、大学に進学し、「これやってくれる?」と婆は自分が物をを頼む側になってしまっていることにハタと気がつく日がやってくるのです。お祝は、大学生までだよ。と打ち切り宣言を順次することになります。ここで、問題...昨日は失敗の日
『政治家がいけないと多くの人は言うが、いけない人たちが勝手に政治家になれるシステムはどこにもない』片岡義男(作家)鷲田清一氏は解説で片岡氏の次の言葉を取り上げています。この国の政治は三流だ、とという言い草はひどく「呑気」だと作家は言う。政治が三流だとしたら人々の投票時の判断が三流だったから。政治家に仕切ってもらい安心していたくて、大事なことを彼らに預けたから」この段階までは、私も良~く理解できます。選挙のたびに、覚えている限りで、棄権したことは無いと思います。良~く選んで、良い政治をしてくれる人を選ばなくっちゃと、広報を読み、テレビのそれぞれの主張を聴き、考えます。だけどわからん!と投げ出すように、その選択から真剣さをのぞいてしまいます。実際広報の、あの紙面、あの主張ではその人が日本を、そして世界をどこに...政治の三流は人々の三流の判断から
年をとると身の丈が縮むとはだれにもある現象のようですね。私の場合は脊柱がつぶれてのだから、当然平均より多く縮んでいると思われます。数値できちんと測らなくても、届いていたものに手が届かなくなってしまって、不便この上なしです。それでなくても、親からもらった身長は平均以下です。それから縮んでしまっているのです。ご想像ください。子供二人も、現代っ子にしては小さい方です。でも兎に角、大した病も得ず育ってくれましたから、いいのですが・・・。このちびっこ二人が子どものころ、食べない子でした。いったい何で生きているのだろうと思うほど食べる量の少ない子でした。娘のMaが、一年生の時、家庭訪問にいらした先生が開口一番「食べませんねえ、何で生きているのかしら?」と嘆かれたことを今でも鮮やかに覚えています。その夕食時「先生、困っ...まま、ずるいよ。当然だよ。
親は、子どもに良かれと自分たちを犠牲にしても・・・と尽くす。だが、これが必ずしも正当なものとは限らない。多分に、自分たちの望みをかなえるために、子供を煽り立てて努力をさせるような傾向があるようです。今日の「折々のことば」榛野なな恵氏のコミック[papatoldme]巻24の中の言葉(らしい?)『当たり前だけれど悪気はないんだ。でも創造力もないんだ』。自分の親のことを言っているようです。優秀で、男らしく育ってほしいと望む親。女の子がくれたぬいぐるみを隠してしっまう親。次元が違う親を責めても仕方がないとあきらめても、「僕は僕」といのが自分の備えたい強さなんだと親に注げるのだった。私はもうすぐ6月には86歳になるフル狸ばさん、8人兄弟の下から2番目。時代は、終戦が、国民学校1年生の8月15日。それに続く貧しい時...親も時代に即して生きなければ。
先日、夕食を済ませて片付け物をしようと立ち上がった時でした。テレビで、昭和を思い出すいろいろなこと(題名は不確かです)を思い出としてたどる番組が始まりました。ちょうどわが子の時代と重なる時も入っており、懐かしさにそのままテレビの前に座り込んでしまいました。頭が弱ってきている夫も、その当時のことは思い出すようで、珍しく話に乗ってきました。私たちが子どものころは、漫画は品が悪くて、勉強にもならない、漫画を見るくらいなら勉強しなさい、が大方の親の考えだったように覚えています。が時代が進み、わが子の子供時代は漫画ではなく、アニメに移り変わっていたのでしょうか。時代の歌と言えば、その主題歌、ねだって買ってもらった玩具は、アニメのフィギアや、グロテスクな怪獣オンパレードのようでした。夫と私の会話「うちの子は、こうした...子育ての思い出1
昨日は木曜日で、パソコン教室の日でした。偶数週は自分の好きな教材で、自分のペースで進め、分からないところをNORI先生に質問して進めるカリキュラムです。Kさんは、電話連絡網のような図を入れたチラシに取り組んでいらっしゃった。そこから話題は広がって小学校時代の連絡の方法などに移りました。「もう今は連絡を次に伝えるなどという、作業は無くなりましたよね。全員一斉にラインが入る・・・」「スマホがなければ仲間に入れないという状態ですよね。それほどまでに進歩したという事ね」「今、あの人は、スマホ持って、いらっしゃらないから、不便よね。ということになるのよね」「昔、あの方は電話がないから・・・と落ちこぼれをすくう手段を考えなければいけなかったことが、今は、スマホがないから・・・にまで進歩したというのかどうか」「ああ、お...連絡網に話題は移って
ファッションデザイナーのコシノヒロコ・ジュンコ・ミチコの母親。彼女は「與ふるは受くるよりも幸いなり」という聖書の言葉を大事にし、これを娘たちへの遺言としたとのこと。徹子の部屋で娘たちが語ったと言います。確かに確かに。うなずけるけれども、日々、病の夫と暮らしているとこの心境で、優しく、機嫌良く、しているのは難しいと思うことが度々です。修行が足りません。一日長く生きて、世話をやり切ってから自分は逝かなくてはと思い定めるのだけれども。難しいことです。おせっちゃんの三兄は几帳面というか、律義な人というべきか、それはそれは堅物の几帳面な人でした。融通がきかないともいえる人でした。何かの折に、小篠綾子氏が大切にしたという言葉と同じことが話題になったことがありました。ああ、そうでした。思い出しました。いろはがるたの「な...『もらうよりあげるほうがよっぽどいいで』‥小篠綾子氏のことば
ず~っと「折々」にもたれかかってばかりです。今日もまた・・・です、お許しください。私は、全くその道に入ったことが無いのですが、伊東四朗氏の言葉と、その解説に使われた言葉に、妙に心を打たれましたので、メモ代わりに記します。『わたしは汗をかく熱演というのがどうも苦手なんですよ』伊東四朗「けろっとした顔でやって、終ったとたん、どっと汗をかく」というのがプロだと俳優は語る。「軽~く器用にこなすのは嫌だけれど、懸命に稽古してきましたっていうのが表に出ちゃうのも嫌」「汗が出るのは演技の最中に自分のこだわりが残っているからで、役に徹すれば汗もかかないと」と。プロはやっぱり違う、演技を考え考えた末に、それを実際に体全体で表し、観客に、なんだ、ただ普通に立っているだけではないかと思わせるところまで自然体で努められるように、...折々のことば・・・伊東四朗
不勉強で、名前だけは知っているけれど‥‥??と言ったところです。『人は建築することによって大工となり、琴を弾ずることによって琴弾となる』アリストテレスここは解説者の解説で哲学者に近づいてみよう。人は正しいことをする中で正しい人になり、節度あることをする中で節度ある人に、勇敢な行為をする中で勇敢な人になると古代ギリシアの哲学者は言う。「人となりというときの「なり」も、生まれもったものではなく、ある行為の形(なり)を繰り返しなぞる中で人がなりゆくもの。その習いを怠れば直ぐに崩れてしまう。自分が理想と思うものに近づくには、それに向かって一歩一歩努力を重ねることだろう。その努力の中で、自らの身体も、心も理想の形に形づけられ、それがその人の「人となり」にまで昇華するのでしょう。古代ギリシアの哲学者・アリストテレスの言葉
『俺たちはこれで12日間も旨いものを食っているんだ』ジョン・E/・スタインベック暁の道で綿摘みをする季節労働者のキャンプに出くわす。夫人が赤ん坊に乳を吸わせながら朝食の用意をしている。焼き立てのパンとベーコンと熱いコーヒー。誘った一人が冒頭の言葉をくちにした。今日の言葉は、12日間もの「も」に尽きると思います。これが「しか」だったら、この夜明けの美しさも、働く喜びも、充足した労働も、全く違うものになってしまうだろう。決して豊かな、楽な生活ではないだろう。満足だけの生活ではないだろう。でも、搾取されることのない労働、充足感があったのです。12日間も・・折々の言葉から
gooブログを書き始めて、20年は超えたでしょうか。途中、私の過ちか、どうかがはっきりしませんが、10年以上のものがきれいさっぱり消えてしまったのです。そこでもうやめよう!とも思ったのですが、数少ない読者の方からのお励ましに豚が木に登り、今日に至っています。gooブログでは、事務局の方のご努力で、投稿者に1年前の投稿文を知らせてくださるのです。自分が書いたものなのに、すっかり忘れていることもあり、、こんなことを考えていたのか、生意気にも書いていること!!などと思いながら読むのはまた楽しいことです。ありがとうございます。昨日のことだったと思います。いつもの私流の文で、「折々のことば」を種にして書いておりました。最相葉月さんの「言葉が可哀想で、恐れさえ覚える」が主文に取り上げられていました。人が発する言葉が、...子供との会話・・気をつけなくっちゃと思います
『人間はね、人に希望を与えるような生き方をせな、あかん!』4月19日の折々のことばには、バイマ―ヤンジンの義母のこの言葉が取り上げられていました。浅学でバイマ―ヤンジン氏を知らないけれど、チベット人で日本人と結婚し、大阪で暮らし始めた人のようです。「魚が欲しい人には、魚を与えるのではなく、それを獲る方法を教えよということわざを知り、教育の重要性を痛感し、アルバイトで得た給料を貯めて故郷に注ぎこみ、学校を作った人のようです。このことわざ、コマーシャルでも使われていて、耳になじんでいました。教育を短絡的でなく、長い目で見て、問題を根本から解決する方法を考えることの重要さを言っており、私の頭にもきちんとしまわれています。一体いつから諺として多くの人に知られたのだろう。私の子どものころには、聞いたこともなかったけ...魚を取る方法を教えよ・・幸せへの近道
『待ってくれるんじゃない。神さまだから。あったかい日に参りなさいよ』森崎和江の旧友夫が寝たきりになってから3年間、家族をを養いつつ、毎朝2時間かけて山にあるお役資産に参り、その足で海に向かった在日朝鮮人の女性。老いても月初めには息子の無事を祈って通う。そして真冬でも、直前には髪を洗う。挑戦で共に学んだ作家の友はこう声を掛けたのだ。決して豊かな生活ではなかったろう。国籍で差別を受けたこともあろう。その中で、きちんと姿勢を正し、神を信じ、身を正して生きた人なのだろう。ともが、その生き方を和らげる声を掛ける。掛けられた彼女は、その温かさに感謝しつつも、自分で決めた生き方を揺るがせなかったのではないか。御せっちゃんは、そう思う。待ってくれるんじゃない。
朝方までぐずぐずと降り続いていた雨も上がりました。降らせた気団が東の海上に抜けていき、今日は上天気だろうとは、天気予報のご託宣です。このところ気象病にいじめられているおせっちゃんは、今朝は痛みに苦しみましたが、少々は、我慢して動いた方が体は柔らかくなるっからとウオーキングは休まずに。確かに帰途はイテテテテでなく歩けました。自宅の門まで帰って郵便受けをのぞいたら、嬉しい便り(?)が。先日ひさしぶりに公園でカメラを持った写真家・伊藤信男さんに会いましたが、その時撮った春らしい写真を投げ込んでくださっていました。上の写真アオスジアゲハ。バックの黄色の花はニガナ(野草)。下の写真アオスジアゲハがクスノキの新芽に産卵している場面。郵便受けに🦋が
11日の「折々のことば」はこれ以上ないほどの易しい幼児の言葉でした。解説の文を読むと、「今日の料理」からの言葉らしい。投稿者の小さな息子は母親が豆腐を掌に載せて切ろうとすると、泣いて訴える。いくら説明しても泣き止まなかったのだ。仕方なく、豆腐をまな板に置いて切る。角は崩れたが、いとおしさは募った。あるある。大抵の子供が光った包丁で、豆腐を切る母屋の手元を見ながら、不安に泣きそうになった経験があるのではないかしら。かくいうおせっちゃんも泣きこそしなかったと思うけれど、不安で固くなり、母を見つめて固まっていた覚えがあります。ああこれでいいのだ、柔らかい豆腐を切るのには力はいらず、台所仕事に精通したおかあちゃんには何でもない仕事なんだ、と思い知ったのはいつのことだっただろうか。母からあまり料理を習ったことはない...おててが切れちゃうよ
おせっちゃんの何時ものことだけれど、今日の話題も、台所仕事の合間に耳に入った話です。世界平和につながるかと夢見るような気になったこともあるし、自分がいかに世の中の変化から取り残されてしまっているかをつくづく感じたことでした。中野(だったと思いますが、はっきり否定するほど自信はありません)で、盆踊りが盛んになっているんだとのこと。近所の人の娯楽にご近所が集まってしていたものを、コミュニティの結びつきを大きくして、地域を盛り上げようと立ち上がった人がいて、次第に盛んになっているのだとのこと。外国の方々が興味を示して、参加するようにもなっているんだと言います。コメンテーターが、「外国で盆踊りの輪が出来ていると聞いたことがあります」と言えば、「京都のお寺が、座禅の後盆踊りとしゃれているとの話もあります」とか、「キ...盆踊りが世界平和への扉を開くか
金曜日、ブログを書いていて思い出しました。私とらい太がまだ小学校の低学年の頃のことです。夕食が済むと、5兄が「さて始めるか」と言いだします。時には3兄、4兄までが身を乗り出します。わが家のゲームの開始です。遊び道具とてない時代です。ゲームというよりはお勉強でした。兄がその頃貴重品だった用紙を出します。勿論使ったものの裏を使うのです。「今日は、サンズイの漢字にしよう!」と決めて「ナガレルと言いながら流れる」とかきます。ハイ次、おせっちゃん」「ウミ・・海」と書きます。よし、次、らい太」「オヨグ・・泳ぐ」。延々と続くと言いたいけれど小学低学年には難しい。毎晩のことだから、本棚にある古くて厚さ10センチもある辞書で予習はしてみるものの、兄にはかなわない。すぐ行き詰ってしまう。知識の豊富な兄は難しい字もマスターして...夕食後の遊び
病を得ている夫が、急にに病状が加わってきました。だらしないことですが、ブログを書く気力体力無くしています。当分お休みいたします。みなさま、梅雨に向かう不順な季節です。お大事になさってくださいませ。ブログしばらくお休みします。
築40年ほどの自宅をリフォームしたことはすでに書いたことがあります。その時書きましたように、間取りなどを変えたりするリフォームではなく、年月で、老化した家屋の部分部分の修理をしたのでした。それも、弱ってきている夫に気を使いつつ、作業場になる部屋部屋から、他の部屋に逃げておいてという方式でやりましたので、なかなか、疲れる作業でした。わが家にとっては大きな事件でしたから、メモにして、残しておきたいと思いました。築30年くらいから、家族で、頻繁に歩く場所の床が、歩くたびにぺこぺこ抜けたような感覚がするようになってきました。建ててくれた業者に相談すると、床に張った、合板の接着剤が老化して、合板が合板ではなくなっているとのことでした。10年ほど前に一部だけ修理したのでしたが・・・。床が抜け落ちる心配はないとのことで...リフォーム業者選び
今日から6月ですね。何とも速い時の流れです。地球のご機嫌も定まらぬようです。身体に気を付けて、元気に6月を過ごしましょう。昨年末、NORI先生のお手を煩わせつつ、仕上げたマイカレンダーです。写真は、雨の季節にひょっこり覗いた可愛い雨蛙ちゃんの写真です。いつもの伊藤信男さんの作品を使わせていただきました。カレンダーの背景は、錦絵が特集で新聞に掲載された時、スキャンしておいたものです。雨の季節にふさわしいかと思いましたが、こうして出来上がりを見ると、写真はもっと蛙ちゃんに近寄せてそこをアップにした方がよかったかしら?6月は、私が86歳になる月です。近頃、薬を飲めば、その副作用かと思える不具合が出るし、加えてお天気病というのでしょうか、気圧の変化に負けて、自律神経が暴れだし、調子を崩すことがしばしっばです。まあ...6月のマイカレンダーお見せいたします
子供、孫、には誕生日に心ばかりのお祝いを贈ることにしています。人生街道を歩いていると、当然のことですが、自分も、子ども孫たちも当然歳を重ねます。そうです。子ども孫から、お誕生日祝いの歴史が始まったわけではありません。結婚して離れた両親と舅姑にお祝をするところから始まりました。次が、子どもと、同年齢の甥姪に、小さなおもちゃを贈る段階。その小さなプレゼントがだんだん値段の張る玩具になり、果ては現金でもらえるかなあ、と相手が成長してくる。これも年月です。その孫たちが、みるみる成長し、頭上から声が降ってくるようになり、大学に進学し、「これやってくれる?」と婆は自分が物をを頼む側になってしまっていることにハタと気がつく日がやってくるのです。お祝は、大学生までだよ。と打ち切り宣言を順次することになります。ここで、問題...昨日は失敗の日
『政治家がいけないと多くの人は言うが、いけない人たちが勝手に政治家になれるシステムはどこにもない』片岡義男(作家)鷲田清一氏は解説で片岡氏の次の言葉を取り上げています。この国の政治は三流だ、とという言い草はひどく「呑気」だと作家は言う。政治が三流だとしたら人々の投票時の判断が三流だったから。政治家に仕切ってもらい安心していたくて、大事なことを彼らに預けたから」この段階までは、私も良~く理解できます。選挙のたびに、覚えている限りで、棄権したことは無いと思います。良~く選んで、良い政治をしてくれる人を選ばなくっちゃと、広報を読み、テレビのそれぞれの主張を聴き、考えます。だけどわからん!と投げ出すように、その選択から真剣さをのぞいてしまいます。実際広報の、あの紙面、あの主張ではその人が日本を、そして世界をどこに...政治の三流は人々の三流の判断から
年をとると身の丈が縮むとはだれにもある現象のようですね。私の場合は脊柱がつぶれてのだから、当然平均より多く縮んでいると思われます。数値できちんと測らなくても、届いていたものに手が届かなくなってしまって、不便この上なしです。それでなくても、親からもらった身長は平均以下です。それから縮んでしまっているのです。ご想像ください。子供二人も、現代っ子にしては小さい方です。でも兎に角、大した病も得ず育ってくれましたから、いいのですが・・・。このちびっこ二人が子どものころ、食べない子でした。いったい何で生きているのだろうと思うほど食べる量の少ない子でした。娘のMaが、一年生の時、家庭訪問にいらした先生が開口一番「食べませんねえ、何で生きているのかしら?」と嘆かれたことを今でも鮮やかに覚えています。その夕食時「先生、困っ...まま、ずるいよ。当然だよ。
親は、子どもに良かれと自分たちを犠牲にしても・・・と尽くす。だが、これが必ずしも正当なものとは限らない。多分に、自分たちの望みをかなえるために、子供を煽り立てて努力をさせるような傾向があるようです。今日の「折々のことば」榛野なな恵氏のコミック[papatoldme]巻24の中の言葉(らしい?)『当たり前だけれど悪気はないんだ。でも創造力もないんだ』。自分の親のことを言っているようです。優秀で、男らしく育ってほしいと望む親。女の子がくれたぬいぐるみを隠してしっまう親。次元が違う親を責めても仕方がないとあきらめても、「僕は僕」といのが自分の備えたい強さなんだと親に注げるのだった。私はもうすぐ6月には86歳になるフル狸ばさん、8人兄弟の下から2番目。時代は、終戦が、国民学校1年生の8月15日。それに続く貧しい時...親も時代に即して生きなければ。
先日、夕食を済ませて片付け物をしようと立ち上がった時でした。テレビで、昭和を思い出すいろいろなこと(題名は不確かです)を思い出としてたどる番組が始まりました。ちょうどわが子の時代と重なる時も入っており、懐かしさにそのままテレビの前に座り込んでしまいました。頭が弱ってきている夫も、その当時のことは思い出すようで、珍しく話に乗ってきました。私たちが子どものころは、漫画は品が悪くて、勉強にもならない、漫画を見るくらいなら勉強しなさい、が大方の親の考えだったように覚えています。が時代が進み、わが子の子供時代は漫画ではなく、アニメに移り変わっていたのでしょうか。時代の歌と言えば、その主題歌、ねだって買ってもらった玩具は、アニメのフィギアや、グロテスクな怪獣オンパレードのようでした。夫と私の会話「うちの子は、こうした...子育ての思い出1
昨日は木曜日で、パソコン教室の日でした。偶数週は自分の好きな教材で、自分のペースで進め、分からないところをNORI先生に質問して進めるカリキュラムです。Kさんは、電話連絡網のような図を入れたチラシに取り組んでいらっしゃった。そこから話題は広がって小学校時代の連絡の方法などに移りました。「もう今は連絡を次に伝えるなどという、作業は無くなりましたよね。全員一斉にラインが入る・・・」「スマホがなければ仲間に入れないという状態ですよね。それほどまでに進歩したという事ね」「今、あの人は、スマホ持って、いらっしゃらないから、不便よね。ということになるのよね」「昔、あの方は電話がないから・・・と落ちこぼれをすくう手段を考えなければいけなかったことが、今は、スマホがないから・・・にまで進歩したというのかどうか」「ああ、お...連絡網に話題は移って
ファッションデザイナーのコシノヒロコ・ジュンコ・ミチコの母親。彼女は「與ふるは受くるよりも幸いなり」という聖書の言葉を大事にし、これを娘たちへの遺言としたとのこと。徹子の部屋で娘たちが語ったと言います。確かに確かに。うなずけるけれども、日々、病の夫と暮らしているとこの心境で、優しく、機嫌良く、しているのは難しいと思うことが度々です。修行が足りません。一日長く生きて、世話をやり切ってから自分は逝かなくてはと思い定めるのだけれども。難しいことです。おせっちゃんの三兄は几帳面というか、律義な人というべきか、それはそれは堅物の几帳面な人でした。融通がきかないともいえる人でした。何かの折に、小篠綾子氏が大切にしたという言葉と同じことが話題になったことがありました。ああ、そうでした。思い出しました。いろはがるたの「な...『もらうよりあげるほうがよっぽどいいで』‥小篠綾子氏のことば
ず~っと「折々」にもたれかかってばかりです。今日もまた・・・です、お許しください。私は、全くその道に入ったことが無いのですが、伊東四朗氏の言葉と、その解説に使われた言葉に、妙に心を打たれましたので、メモ代わりに記します。『わたしは汗をかく熱演というのがどうも苦手なんですよ』伊東四朗「けろっとした顔でやって、終ったとたん、どっと汗をかく」というのがプロだと俳優は語る。「軽~く器用にこなすのは嫌だけれど、懸命に稽古してきましたっていうのが表に出ちゃうのも嫌」「汗が出るのは演技の最中に自分のこだわりが残っているからで、役に徹すれば汗もかかないと」と。プロはやっぱり違う、演技を考え考えた末に、それを実際に体全体で表し、観客に、なんだ、ただ普通に立っているだけではないかと思わせるところまで自然体で努められるように、...折々のことば・・・伊東四朗
不勉強で、名前だけは知っているけれど‥‥??と言ったところです。『人は建築することによって大工となり、琴を弾ずることによって琴弾となる』アリストテレスここは解説者の解説で哲学者に近づいてみよう。人は正しいことをする中で正しい人になり、節度あることをする中で節度ある人に、勇敢な行為をする中で勇敢な人になると古代ギリシアの哲学者は言う。「人となりというときの「なり」も、生まれもったものではなく、ある行為の形(なり)を繰り返しなぞる中で人がなりゆくもの。その習いを怠れば直ぐに崩れてしまう。自分が理想と思うものに近づくには、それに向かって一歩一歩努力を重ねることだろう。その努力の中で、自らの身体も、心も理想の形に形づけられ、それがその人の「人となり」にまで昇華するのでしょう。古代ギリシアの哲学者・アリストテレスの言葉
『俺たちはこれで12日間も旨いものを食っているんだ』ジョン・E/・スタインベック暁の道で綿摘みをする季節労働者のキャンプに出くわす。夫人が赤ん坊に乳を吸わせながら朝食の用意をしている。焼き立てのパンとベーコンと熱いコーヒー。誘った一人が冒頭の言葉をくちにした。今日の言葉は、12日間もの「も」に尽きると思います。これが「しか」だったら、この夜明けの美しさも、働く喜びも、充足した労働も、全く違うものになってしまうだろう。決して豊かな、楽な生活ではないだろう。満足だけの生活ではないだろう。でも、搾取されることのない労働、充足感があったのです。12日間も・・折々の言葉から
gooブログを書き始めて、20年は超えたでしょうか。途中、私の過ちか、どうかがはっきりしませんが、10年以上のものがきれいさっぱり消えてしまったのです。そこでもうやめよう!とも思ったのですが、数少ない読者の方からのお励ましに豚が木に登り、今日に至っています。gooブログでは、事務局の方のご努力で、投稿者に1年前の投稿文を知らせてくださるのです。自分が書いたものなのに、すっかり忘れていることもあり、、こんなことを考えていたのか、生意気にも書いていること!!などと思いながら読むのはまた楽しいことです。ありがとうございます。昨日のことだったと思います。いつもの私流の文で、「折々のことば」を種にして書いておりました。最相葉月さんの「言葉が可哀想で、恐れさえ覚える」が主文に取り上げられていました。人が発する言葉が、...子供との会話・・気をつけなくっちゃと思います
『人間はね、人に希望を与えるような生き方をせな、あかん!』4月19日の折々のことばには、バイマ―ヤンジンの義母のこの言葉が取り上げられていました。浅学でバイマ―ヤンジン氏を知らないけれど、チベット人で日本人と結婚し、大阪で暮らし始めた人のようです。「魚が欲しい人には、魚を与えるのではなく、それを獲る方法を教えよということわざを知り、教育の重要性を痛感し、アルバイトで得た給料を貯めて故郷に注ぎこみ、学校を作った人のようです。このことわざ、コマーシャルでも使われていて、耳になじんでいました。教育を短絡的でなく、長い目で見て、問題を根本から解決する方法を考えることの重要さを言っており、私の頭にもきちんとしまわれています。一体いつから諺として多くの人に知られたのだろう。私の子どものころには、聞いたこともなかったけ...魚を取る方法を教えよ・・幸せへの近道
『待ってくれるんじゃない。神さまだから。あったかい日に参りなさいよ』森崎和江の旧友夫が寝たきりになってから3年間、家族をを養いつつ、毎朝2時間かけて山にあるお役資産に参り、その足で海に向かった在日朝鮮人の女性。老いても月初めには息子の無事を祈って通う。そして真冬でも、直前には髪を洗う。挑戦で共に学んだ作家の友はこう声を掛けたのだ。決して豊かな生活ではなかったろう。国籍で差別を受けたこともあろう。その中で、きちんと姿勢を正し、神を信じ、身を正して生きた人なのだろう。ともが、その生き方を和らげる声を掛ける。掛けられた彼女は、その温かさに感謝しつつも、自分で決めた生き方を揺るがせなかったのではないか。御せっちゃんは、そう思う。待ってくれるんじゃない。
朝方までぐずぐずと降り続いていた雨も上がりました。降らせた気団が東の海上に抜けていき、今日は上天気だろうとは、天気予報のご託宣です。このところ気象病にいじめられているおせっちゃんは、今朝は痛みに苦しみましたが、少々は、我慢して動いた方が体は柔らかくなるっからとウオーキングは休まずに。確かに帰途はイテテテテでなく歩けました。自宅の門まで帰って郵便受けをのぞいたら、嬉しい便り(?)が。先日ひさしぶりに公園でカメラを持った写真家・伊藤信男さんに会いましたが、その時撮った春らしい写真を投げ込んでくださっていました。上の写真アオスジアゲハ。バックの黄色の花はニガナ(野草)。下の写真アオスジアゲハがクスノキの新芽に産卵している場面。郵便受けに🦋が
11日の「折々のことば」はこれ以上ないほどの易しい幼児の言葉でした。解説の文を読むと、「今日の料理」からの言葉らしい。投稿者の小さな息子は母親が豆腐を掌に載せて切ろうとすると、泣いて訴える。いくら説明しても泣き止まなかったのだ。仕方なく、豆腐をまな板に置いて切る。角は崩れたが、いとおしさは募った。あるある。大抵の子供が光った包丁で、豆腐を切る母屋の手元を見ながら、不安に泣きそうになった経験があるのではないかしら。かくいうおせっちゃんも泣きこそしなかったと思うけれど、不安で固くなり、母を見つめて固まっていた覚えがあります。ああこれでいいのだ、柔らかい豆腐を切るのには力はいらず、台所仕事に精通したおかあちゃんには何でもない仕事なんだ、と思い知ったのはいつのことだっただろうか。母からあまり料理を習ったことはない...おててが切れちゃうよ
おせっちゃんの何時ものことだけれど、今日の話題も、台所仕事の合間に耳に入った話です。世界平和につながるかと夢見るような気になったこともあるし、自分がいかに世の中の変化から取り残されてしまっているかをつくづく感じたことでした。中野(だったと思いますが、はっきり否定するほど自信はありません)で、盆踊りが盛んになっているんだとのこと。近所の人の娯楽にご近所が集まってしていたものを、コミュニティの結びつきを大きくして、地域を盛り上げようと立ち上がった人がいて、次第に盛んになっているのだとのこと。外国の方々が興味を示して、参加するようにもなっているんだと言います。コメンテーターが、「外国で盆踊りの輪が出来ていると聞いたことがあります」と言えば、「京都のお寺が、座禅の後盆踊りとしゃれているとの話もあります」とか、「キ...盆踊りが世界平和への扉を開くか
金曜日、ブログを書いていて思い出しました。私とらい太がまだ小学校の低学年の頃のことです。夕食が済むと、5兄が「さて始めるか」と言いだします。時には3兄、4兄までが身を乗り出します。わが家のゲームの開始です。遊び道具とてない時代です。ゲームというよりはお勉強でした。兄がその頃貴重品だった用紙を出します。勿論使ったものの裏を使うのです。「今日は、サンズイの漢字にしよう!」と決めて「ナガレルと言いながら流れる」とかきます。ハイ次、おせっちゃん」「ウミ・・海」と書きます。よし、次、らい太」「オヨグ・・泳ぐ」。延々と続くと言いたいけれど小学低学年には難しい。毎晩のことだから、本棚にある古くて厚さ10センチもある辞書で予習はしてみるものの、兄にはかなわない。すぐ行き詰ってしまう。知識の豊富な兄は難しい字もマスターして...夕食後の遊び