病を得ている夫が、急にに病状が加わってきました。だらしないことですが、ブログを書く気力体力無くしています。当分お休みいたします。みなさま、梅雨に向かう不順な季節です。お大事になさってくださいませ。ブログしばらくお休みします。
ちょっと古い切り抜きになりますが、コロナ時代を振り返って、高校生が意見を投稿していました。(朝日新聞「声」の続編としての「若い世代」)(おせっちゃんが勝手にまとめました)★小学校の時は、班で席をくっつけて食べた。校内の調理室で作られた温かい給食を食べながら友達とたわいのない話をするのがどんな時間よりも好きだった。コロナ禍で、がらりと景色は変わった。机を動かさず、話さないで食べる。・・・いわゆる黙食。中学校3年間、コロナがやや収まっても、この黙食は続いた。給食中に会話が聞こえると先生のご注意の声が聞こえ、皆、思い出したように黙った。黙食に対する疑問が募った。勿論、飛沫感染の防止という意義は分かる。誰もが未知の状況に混乱していただろう。でも、この間に会話とともに失ったものの大きさを忘れてはいないか。「青春って...黙食って必要だったのか‥・高校生の意見
持病の高血圧のご機嫌を伺うために、朝食前(起床時)・昼食後・就寝前の測定と記録をするように医者から言われています。そのため、朝食の用意など主婦仕事の時間を見て、夫より1時間早く起きることにしています。これが私の体のリズムかと思うのですが、朝一番の血圧が少々高めだと、医者は心配してくれています。今朝も1時間早く起きて、テレビニュースを見ながら測定しました。3回の測定、その値から2回分をノートに記録します。処方されている薬を頼りにしてですが、大体〇の値です。さて測定時、目はテレビを見ております。今朝は、昨夜の渋谷の様子をリポートしたものが放送されていました。大々的な規制の数々と、それを聞いた若者たちが、思ったより素直に自己規制をして、人出も少なめ、騒ぎも抑えたようでした。良かった。きちんと説明すればみんな分か...渋谷は昨夜無事だった・・
『完璧な国などありません。早く間違いに気がついて、自分の力で乗り越えていくことにしか未来はない』近所の公園に、恒例のウオーキングに行くと、今日はパパママに連れられたドレス姿やペイントの妖しい仮装姿やらが、目につきました。85年のわが人生の歴史の中に、かぼちゃのお化け祭(私にはそういうよりほかないくらい縁遠いお祭りです)は無いものですから、なんだかそぐわないものを感じます。幼い子供は自慢げに、誇らしげに楽しんでいるようで、それはそれで意義ある土曜日なのでしょうか。公園のこの風景くらいなら苦笑して、おしまいでいいのですが、都心・特に若者の街澁谷の交差点付近は大変な事になっているよう。駅のハチ公広場が封鎖される、近くの店に、酒類の販売禁止を指導する、路上飲酒は禁止、などなど、こんな禁止禁止の所に出て行って楽しい...折々のことば・・井上ひさし
昨日に引き続き。生きていくコツはこれか。「考えてみりゃあ、年なんかどうでもいいんだ。生きものには、生きるか死んでるかの、二種類しかないんだ」★時計で自分の首を絞める必要などない。上のカギカッコ内の言葉に続いて解説文がかかれている。その中に時計で首を占める・・・がある。駄文を恥じながら書いているブログだから、立派な文が書けているはずもない。毎日の過ぎ去る速さに、言い訳じみた弁解をかいたりするおせっちゃん。「時計で首を絞める」見事な表現が気に入りました。元気いっぱいのお年寄りが「年齢は気にしていません。あれは単なる数字です」とケロリとおっしゃるのを聞いた時も、やられた!と思ったけれど。(おせっちゃん)★「他人と競り合い、遅れを取ったと焦ることもない」そうですよね。競走し、他人を負かすことが人生の目的でもあるま...折々のことば・・水木しげる(漫画家)
今日は、年配者の私への応援歌として胸に仕舞われた言葉です。『定年後が退屈になる原因の一つは、「失敗」する機会がないことだ』。「若い頃の苦労」は長い人生の道筋を切り開いていくのに、大いに役立つとはよく言われる言葉です。だが、「年を取ってからの失敗」も買ってでもせよと外山氏は言う。定年で仕事から離れ、老いて人の世話になることが増えると、失敗のリスクが減ってくる。己の裁量が大きい仕事は、失敗や悔しい思いもして傷つくリスクはあるが「面白味」は確実に増す。今の若者が老人の域に達した時、いかなる人生を、いかに生きていくか、あまりに世の中の変化が大きすぎて、想像が難しい。わが夫、昭和一桁生まれの世代です。たしかに、「猛烈社員」で、眠る間も惜しんで働いて、「三食昼寝付き」の女房を養い、子どもたちには迷惑をかけないように、...折々のことば・・・外山滋比古(英文学者)
「だって、やり遂げた時、むちゃくちゃいい顔するんだもん」鈴木千尋鈴木千尋さんは、23日に登場した鈴木純さんの子育て中の奥さまだそうです。子供の「自分でやりたい!できるようになりたい!」というエネルギーはすごいと思う。何かをやり遂げたいときの子供はホント一徹であるとも。ここでちょっと寄り道。おせっちゃんの経験を挟みます。息子Kの長女は今はもう26歳、昨年末には結婚して、家を出て行きました。そのWちゃんが3・4歳の頃のことです。弟のR君と子供二人で我が家に遊びに来て確か一晩二人で泊まり、翌日、パパがお迎えに来た時のことだったと思います。パパがパソコンでお絵かきをやって見せたのです。これが大いに気に入って自分もやりたくなったのです。ところが、その頃のパソコンは、まだそれほど使いやすくは出来ていなかったとみえて、...折々のことば・・鈴木千尋
先週金曜日だったと思いますが、ヒロシが出演しておりました。ちょっと孤独な、少しひねくれた語り癖で、しみじみ笑わせてくれる人で、お笑いの大騒ぎはあまり好きではない私もクスリと笑える人なのです。ここ最近は、一人キャンプをする人で益々世に知られた人ですね。今まで飼ったことのない猫を飼い始めたのだそうです。捨てられたのでしょうかびしょぬれで鳴いていたものだそうです。飼い始めて、可愛さに目覚めました。それ迄は、演技の中で「ワンちゃん・猫ちゃん」と呼んでくれと言われても、不自然で、なんで犬・猫・ではいけないのだろうとブスっと引き受けていたのです。それがまあ、可愛い顔を見ていると、自然にねこちゃん・猫ちゃん、です。元気かにゃあ?と話しかけてもみます。今までは、飼っている友人が、「この時間から帰らなくても泊まれよ」という...徹子の部屋出演者ヒロシ
「今、お水入ってる?」と聞かれるとなぜか素直に答えられるのだ
10月20日の折々のことばに不思議な言葉が載りました。植物観察家の鈴木純の言葉だそうです。解説を読むと、鈴木の娘は機嫌を損ねると「お水がなくなっちゃうんだよぉ」と訴えるのだと。そこで「お水入れていい?」と抱きしめると「うん満杯になった」などと答えるのだそうです。書いてはないけれど、植物を観察する母親を見て育った娘さんは、たっぷり水をもらった植物が、元気になることを見ていて、自分も植物のように、水でいっぱいになったら元気なんだと理解したのでしょうか。この私の推測が違いないことは、解説の続きを読むと分かります。家族が互いの気持ちを訪ねる時は水が入っているかどうか聞くようになったと、書いてありました。思いをものに託すると真っ直ぐ言えるみたい、とも。わが家にも、家族間で少し雲息が怪しくなった時、特別にお出ましにな...「今、お水入ってる?」と聞かれるとなぜか素直に答えられるのだ
昨日トイレ詰まりに駆けつけてくれた人に、もしかして悪徳業者か?と疑ったおせっちゃんのことを書きました。今日ちょうど用事があって息子Kが来てくれました。客を迎えてメインのことを済ませて、昼食までにトイレ詰まりのことを話しました。話半分、いや2割、を聞いたところで「ひっかかったのではないでしょうね、このごろよくある手だよ!!」と大声。いや、引っかかったかどうか、よくわからんのだけれど・・・。マンホールのふたを開けさせ、5カ所ぐらいを確めつつ、「2万2千円払ったんだけれどね。悪徳だったかしら?」すぐに駆け付けてくれたのだし、出張手当が入れば、そんなものかな。30万、40万、巻き上げられる例もあることだし、良かったんじゃあないの。ヤレヤレ、ばあさんの対応は合格点だったようです。重い蓋をあけ締め何度か、残された根っ...2万に2千円そんなものかなと息子K
一昨日あたふたする事件が我が家に起こりました。1階のトイレが流れなくなってしまったのです。2階にもあるにはあるのですが、病の夫にいちいち階段を上らせるのも大変です。前日に、流れはするけれども、水流の速度が遅く、便器に水が溜まるような気がし、流れの最後に「ぺこんぺこん」と聞き慣れぬ音が入るのでした。これは夫が何か間違って流したな、まず犯人に仕立てておりました。間違えるとすれば、ペーパータオルの紙を、流してしまうことです。厳しく注意しました。僕は流していないよ、彼は彼で言い張ります。言い争うよりは、とにかく修理しなければ。以前、台所の水道の蛇口が壊れて取り換えてもらった業者が親切で、人当たりの良い方だったとその名刺を探し当てました。ヤレヤレ。ところが、返事は「急に言われても・・・」というものでした。早くて来週...疑う心・・・これは悪徳業者か?
昨日書いたことから続きに思ったこと。子供二人が、小学校に通学していた時、校長先生はご専門が美術でいらっしゃいました。日展にも入選なさり、画家としても名のある方でした。また、小学校のすぐ近くにある区立の幼稚園の園長も兼任なさっていました。私は、その幼稚園の父母の会の会長を引き受けていましたので、役得で、普通のママよりは親しくお話を聞く機会に恵まれておりました。ある時、子供の心の深層が描く絵に如実に表れることがあるのですよ。描いた人物(自分を描いたと思われる人物に)手がない絵があるのです。これは問題です。親や教師が厳しすぎたり、干渉しすぎたりして、自分が思うように動けないことが現れていることがあるのですよ、と話されました。愚かな母親の私は、そこまで言われても、自分はそうではないと思っていました。暫く経って、秋...落第ママ、反省しきり
朝日新聞「折々のことば」、2023・10・17。造形作家浅羽聡美氏「上手だね」「これなぁに?」を口にする前に立ち止まってみる。子供の絵を見ても、大半の人がこの二つの声掛けしかしないのです。ずっと不審に思ってきました。保育現場にもかかわる造形作家は言います。じゃあ「すごい」という言葉ならいいですかと訊く人もいる。そこにある子どもたちの表現に目を開き、感じたことを言葉にすれば、いろんな応えが、返ってくるものを。そうですね。子供だから、褒めてやれば喜んで、やる気を出す出すだろう、は安易な逃げの姿勢かも。子供が真っ赤なクレヨンで、グルグルっと球らしきものを書いて見せたとする。「これなぁに」ではなく、「林檎かな?○○ちゃん林檎好きなの。おばあちゃんも大好きだよ」「真っ赤だね。今、おばあちゃんが剥いてあげましょう」「...子供の絵を見て誰もが一人の芸術家として
私と同年配、または、その前後の世代の方は概ね懐かしく思い出されることと思います。子供とともに「できるかな」を思い出されることと思います。朝日新聞夕刊に、その懐かしい姿が載っていました。昨年9月10日、亡くなっていらしたのですね。のっぽさんをしのぶ文章はインタビューをした大井田ひろみさんがまとめた哀悼の文章でした。新聞からのスキャンですが、まず、のっぽさんの写真で偲びましょう。大井田さんはインタビューをしたのは、子供さんが保育園に通っている頃だった。育児も仕事も上手くいかず、悩んでいた。絵も工作も苦手で、接し方にも自信がなかった。81歳んのっぽさんにお会いした。のっぽさんの声は深く、優しく響く声だった。「手先はブキッチョです」「だからこそ一生懸命やりましたと語った。」「うまくやろうとしてはいけませんよ」。最...高見のっぽさん
土・日と以前委員をやっていた世田谷区民センターに行ってきました。二日間、恒例の秋の行事、センターまつりに出かけたのです。センターを主な教室として、学んでいらっしゃる方の作品展です。久しぶりに、仲間だった方と会うことができ、おしゃべりをさせてもらいました。運営協議会の、教室・講習会の企画運営を手伝っていたのです。その中に次の年の干支を、木目込みて作るという講座が長く続いていました。今年も11月に辰を作る会を開くようになったとのこと。私はもう干支の12支を一回りしましたのでことしからは作る必要も無いのですが、指導の立場で出席するようにと誘われています。そのご苦労賃に材料をくださるということで、お手伝いすることにしました。木目込み、知っていらっしゃる方が多いと思いますが、・・・連れて帰ったのは裸の辰です。桐の木...裸の辰、連れてきました。
一昨日息子Kの言った一言に、すっかり圧倒された愚かな母でしたが、・・・私は娘・息子が成人した時に、これからはあなたは一人前の大人。ということは自分の生活には自分で責任をとるということよ。もし、万一、他人様に抜きんでて成功したとしても、それはあなたの手柄。あってほしくないけれど、世間に顔向けができないようなことで取り沙汰されても、それはあなたの責任、いずれの場合も母親でございますと出て行くことを私はしません。と言い聞かせて、少々言いたいことがあっても、見ないことにしておりました。まあ、どうにか可もなく不可もなく、普通の大人になってくれているようです。Kも、まだ幼稚園にもいかないころ、リューマチ越という病気にかかり、当時はまだその病の特効薬はなかったのでしょうか、急遽入院となり、36日のベッド生活になったのを...真剣な顔藤井聡太さん
歳月の経つ速さには驚くばかりです。わが家が家を建ててから、40年が過ぎ去りました。新築に入ってから、気分はそのまま、ガタが来るなどとは頭にありませんでした。確かに、30年まではほとんど不都合はありませんでした。日本建築のしっかりした工務店で建てたのは正解だったねと家族で話していたのです。ところが30年を過ぎたら、急にあちこちガタが出てきたのです。フローリングの床が踏むたびに沈み込むようになり、それがだんだん面積をを増してきました。壁紙が風化(?)して、下地の石膏ボードの継ぎ目の上が、割れて剥がれ落ちてきました。水が撥ね散って、洗面台がどうしようもないほど壊れてきました。その他気にすれば建て替えか、というほど古びてきたのでした。持ち主が、老醜をさらすのと同様に、家全体が年月の流れを防ぎかねるようになってきた...ビジネスでは、当たり前のことだよ・・・息子K
昨日、今朝の新聞・テレビ画面は多くが取り上げていました。反対意見多数で、条例案は取り下げられました。私も、全く実情を無視した提案にびっくりしたのでした。勿論、子どもの安全は大事なことです。でも、ここ迄実情からかけ離れたものであっていいはずはありません。大抵の反対意見は出尽くしているようなので、あえて書きませんが、私が娘Maと話したことを書いてみます。20年ほども前になるでしょうか、下校時の子供の命が奪われる事件がありました。どうしたら防げるか、各学校でも、父母会で話し合われたことでした。娘の子供たちが通っている学校でも同様の集会があったようです。集団登下校をさせる、当番制で親が付き添うなど、いろいろ提案されたようでした。でもよ、と娘は言いました。子供を、大人の力で守る・・・確かに効果はあるかもしれない。で...子供放置禁止条例案(埼玉)
今またコロナが少し勢力を伸ばしているような気配もあります。ワクチンと、皆が学んだコロナ対策でうまく押し込められることを望んでいるのですが。コロナ前に、私は町会の役員を30年ばかり勤めておりました。脊柱の圧迫骨折で体調を崩したことと、何しろ歳を取りまして、心身ともに働けなくなり退任させてもらったのでした。止めてすぐコロナ禍の時代に入ったのでした。止めた後5年ほどは、その後を引き受けてくださった役員の方々は、ほとんど活動はできない時代を過ごされました。今年度からはコロナ禍前の活動に戻ると聞いていました。これがなかなか同じようには元に戻れないのだそうです。こんなこともあります。町会では、12月末、お花の先生をお招きして、お正月の花を生ける会を行っていました。30年ほども続いた会です。もう恒例の会だったのですが、...コロナの後先
昨日の折々のことばには、こんな言葉が取り上げられていました。作家の色川武大の言葉だそうです。スキャンして載せます。戦後、田畑とともに農家仕事として鶏を飼いました。卵は貴重品でした。健康に暮らしている時は食べることは許されませんでした。売って現金収入にするのです。病気をするといまはやりの「卵かけご飯」が恭しく渡されたものでした。近所に何かのお礼や病気見舞いに持って行くものは卵と決まっていました。箱に、もみ殻を敷き、その中に卵を立てて並べて、差し上げたのでした。この卵の扱いから繋がって、私の頭には、子育ての風景が思い浮かびました。私は決していい母親ではありませんでした。転勤で方々で暮らしましたが、その怖いおばさんの所へも近所の子供が遊びに来て、にぎやかでした。親の欠けたところを、近所の年上の子たちが補ってくれ...よい店、よい商人・・・良い親
監督に、新しく岡田氏を任命して、今年の阪神は、駄目寅の汚名を返上、見事に「あれ」を成し遂げました。岡田監督は、「普通にやれ!」が激励の言葉だったと聞きました。「普通に」で優勝できるほどプロは優しくないことは私にも分かります。練習、訓練、積み上げた経験に裏打ちされた実力で、選手一人一人が輝いてきて、チーム一丸となってこその「あれ」なのでしょう。「日頃が大事!!」と監督は教えていると言います。日常の研鑚、こその普通なのでしょう。おめでとう!!この阪神話に使われる「普通」とは別に、若い人の使う普通に驚かされたことがありました。それから何年も経ちましたから、使おうと思えば私も使えるとは思うのですが。娘一家が上京してくる日です。夏休みの里帰りというのでしょう。長男のH君は、大人(?)ぶって別行動でやって来ます。「H...普通という言葉
面白いと感じたエッセイを見つけましたので、先日に引き続き書き留めます。★ボケない要素嫁たちと言い合いになり、ああ言えばこういう、こう言えばああ言い返す。そういう腹立ちの気力、・ファイトがボケない要素かも知れぬ。★ほっとく親切私はべたべたする親切は嫌いで、ほっとくのが親切なのだと思うことが多い。お節介焼きや、出しゃばりが、あまりにしばしば親切と思われやすい世間の風習に、いやになることある。本当の親切と、お節介と、これを分ける一線が難しい。ほんのちょっとした違い、場面、相手の性格などで、したことを恨まれることもあるし、しなかったことを、気が利かないとあげつらわることもある。言い方ひとつで、まるで違った風にとられることもある。これを間違いなく、使い分けることができるのが人生の達人かな?言い合いも、笑って済ませら...田辺聖子・・・続き
先日、娘Maとその娘・Mちゃんが一泊していきました。NiziUのライブが当たって、Mちゃんが行くんだけれど、お友だちが皆都合がつかなくて、Maにお誘いがかかったのだそうです。ばあさんの私には、一向に分からない世界で、とにかく宿泊は受け合うと返事したことでした。なかなか取れないチケットだということですが、わざわざその3時間ばかりのことのために山口から(Mちゃんは伊豆伊東から)来るほどのものかいな、とは思ったけれど、これはごく当たり前のことで、キョトンとしているのは、時代に乗り遅れているんだと。生きてきた時代が時代だったし、暮らしたのが山口の田舎の田舎。お芝居だの、音楽会だのは、端から見聞きできないものとあきらめていた私ですから、ふ~んと言ったまま思考が先に進まない。ファンだの、推しだの、背伸びして言葉を覚え...娘・Maのギョッとした話
やっと、と思わずほっとするような残暑の終わりです。風の音にかすかに秋を感じるという気配さえ失ったような長い夏でしたね。皆様無事に過酷な夏を乗り越えられましたか。わたくし、あちらこちら不具合訴えつつも、どうにか乗り越えました。またよろしくお願いいたします。月初め恒例のカレンダー披露をいたします。いつもの写真家伊藤信男さんの写真を使わせて貰っています。セイタカアワダチソウの黄、日本の秋には欠かせないススキの穂、切り取りようではこんなにステキになるのですね。外来種のセイタカアワダチソウが、日本古来のススキを追放してしまうなどと、一頃心配もされましたが、この写真では仲良く秋を飾っています。先日の名月は、中空で微笑んだことと思います。異常な季節の変わり目も凝るかとも思います。どうぞご自愛くださいませ。10月のマイカレンダーお見せいたします。
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病を得ている夫が、急にに病状が加わってきました。だらしないことですが、ブログを書く気力体力無くしています。当分お休みいたします。みなさま、梅雨に向かう不順な季節です。お大事になさってくださいませ。ブログしばらくお休みします。
築40年ほどの自宅をリフォームしたことはすでに書いたことがあります。その時書きましたように、間取りなどを変えたりするリフォームではなく、年月で、老化した家屋の部分部分の修理をしたのでした。それも、弱ってきている夫に気を使いつつ、作業場になる部屋部屋から、他の部屋に逃げておいてという方式でやりましたので、なかなか、疲れる作業でした。わが家にとっては大きな事件でしたから、メモにして、残しておきたいと思いました。築30年くらいから、家族で、頻繁に歩く場所の床が、歩くたびにぺこぺこ抜けたような感覚がするようになってきました。建ててくれた業者に相談すると、床に張った、合板の接着剤が老化して、合板が合板ではなくなっているとのことでした。10年ほど前に一部だけ修理したのでしたが・・・。床が抜け落ちる心配はないとのことで...リフォーム業者選び
今日から6月ですね。何とも速い時の流れです。地球のご機嫌も定まらぬようです。身体に気を付けて、元気に6月を過ごしましょう。昨年末、NORI先生のお手を煩わせつつ、仕上げたマイカレンダーです。写真は、雨の季節にひょっこり覗いた可愛い雨蛙ちゃんの写真です。いつもの伊藤信男さんの作品を使わせていただきました。カレンダーの背景は、錦絵が特集で新聞に掲載された時、スキャンしておいたものです。雨の季節にふさわしいかと思いましたが、こうして出来上がりを見ると、写真はもっと蛙ちゃんに近寄せてそこをアップにした方がよかったかしら?6月は、私が86歳になる月です。近頃、薬を飲めば、その副作用かと思える不具合が出るし、加えてお天気病というのでしょうか、気圧の変化に負けて、自律神経が暴れだし、調子を崩すことがしばしっばです。まあ...6月のマイカレンダーお見せいたします
子供、孫、には誕生日に心ばかりのお祝いを贈ることにしています。人生街道を歩いていると、当然のことですが、自分も、子ども孫たちも当然歳を重ねます。そうです。子ども孫から、お誕生日祝いの歴史が始まったわけではありません。結婚して離れた両親と舅姑にお祝をするところから始まりました。次が、子どもと、同年齢の甥姪に、小さなおもちゃを贈る段階。その小さなプレゼントがだんだん値段の張る玩具になり、果ては現金でもらえるかなあ、と相手が成長してくる。これも年月です。その孫たちが、みるみる成長し、頭上から声が降ってくるようになり、大学に進学し、「これやってくれる?」と婆は自分が物をを頼む側になってしまっていることにハタと気がつく日がやってくるのです。お祝は、大学生までだよ。と打ち切り宣言を順次することになります。ここで、問題...昨日は失敗の日
『政治家がいけないと多くの人は言うが、いけない人たちが勝手に政治家になれるシステムはどこにもない』片岡義男(作家)鷲田清一氏は解説で片岡氏の次の言葉を取り上げています。この国の政治は三流だ、とという言い草はひどく「呑気」だと作家は言う。政治が三流だとしたら人々の投票時の判断が三流だったから。政治家に仕切ってもらい安心していたくて、大事なことを彼らに預けたから」この段階までは、私も良~く理解できます。選挙のたびに、覚えている限りで、棄権したことは無いと思います。良~く選んで、良い政治をしてくれる人を選ばなくっちゃと、広報を読み、テレビのそれぞれの主張を聴き、考えます。だけどわからん!と投げ出すように、その選択から真剣さをのぞいてしまいます。実際広報の、あの紙面、あの主張ではその人が日本を、そして世界をどこに...政治の三流は人々の三流の判断から
年をとると身の丈が縮むとはだれにもある現象のようですね。私の場合は脊柱がつぶれてのだから、当然平均より多く縮んでいると思われます。数値できちんと測らなくても、届いていたものに手が届かなくなってしまって、不便この上なしです。それでなくても、親からもらった身長は平均以下です。それから縮んでしまっているのです。ご想像ください。子供二人も、現代っ子にしては小さい方です。でも兎に角、大した病も得ず育ってくれましたから、いいのですが・・・。このちびっこ二人が子どものころ、食べない子でした。いったい何で生きているのだろうと思うほど食べる量の少ない子でした。娘のMaが、一年生の時、家庭訪問にいらした先生が開口一番「食べませんねえ、何で生きているのかしら?」と嘆かれたことを今でも鮮やかに覚えています。その夕食時「先生、困っ...まま、ずるいよ。当然だよ。
親は、子どもに良かれと自分たちを犠牲にしても・・・と尽くす。だが、これが必ずしも正当なものとは限らない。多分に、自分たちの望みをかなえるために、子供を煽り立てて努力をさせるような傾向があるようです。今日の「折々のことば」榛野なな恵氏のコミック[papatoldme]巻24の中の言葉(らしい?)『当たり前だけれど悪気はないんだ。でも創造力もないんだ』。自分の親のことを言っているようです。優秀で、男らしく育ってほしいと望む親。女の子がくれたぬいぐるみを隠してしっまう親。次元が違う親を責めても仕方がないとあきらめても、「僕は僕」といのが自分の備えたい強さなんだと親に注げるのだった。私はもうすぐ6月には86歳になるフル狸ばさん、8人兄弟の下から2番目。時代は、終戦が、国民学校1年生の8月15日。それに続く貧しい時...親も時代に即して生きなければ。
先日、夕食を済ませて片付け物をしようと立ち上がった時でした。テレビで、昭和を思い出すいろいろなこと(題名は不確かです)を思い出としてたどる番組が始まりました。ちょうどわが子の時代と重なる時も入っており、懐かしさにそのままテレビの前に座り込んでしまいました。頭が弱ってきている夫も、その当時のことは思い出すようで、珍しく話に乗ってきました。私たちが子どものころは、漫画は品が悪くて、勉強にもならない、漫画を見るくらいなら勉強しなさい、が大方の親の考えだったように覚えています。が時代が進み、わが子の子供時代は漫画ではなく、アニメに移り変わっていたのでしょうか。時代の歌と言えば、その主題歌、ねだって買ってもらった玩具は、アニメのフィギアや、グロテスクな怪獣オンパレードのようでした。夫と私の会話「うちの子は、こうした...子育ての思い出1
昨日は木曜日で、パソコン教室の日でした。偶数週は自分の好きな教材で、自分のペースで進め、分からないところをNORI先生に質問して進めるカリキュラムです。Kさんは、電話連絡網のような図を入れたチラシに取り組んでいらっしゃった。そこから話題は広がって小学校時代の連絡の方法などに移りました。「もう今は連絡を次に伝えるなどという、作業は無くなりましたよね。全員一斉にラインが入る・・・」「スマホがなければ仲間に入れないという状態ですよね。それほどまでに進歩したという事ね」「今、あの人は、スマホ持って、いらっしゃらないから、不便よね。ということになるのよね」「昔、あの方は電話がないから・・・と落ちこぼれをすくう手段を考えなければいけなかったことが、今は、スマホがないから・・・にまで進歩したというのかどうか」「ああ、お...連絡網に話題は移って
ファッションデザイナーのコシノヒロコ・ジュンコ・ミチコの母親。彼女は「與ふるは受くるよりも幸いなり」という聖書の言葉を大事にし、これを娘たちへの遺言としたとのこと。徹子の部屋で娘たちが語ったと言います。確かに確かに。うなずけるけれども、日々、病の夫と暮らしているとこの心境で、優しく、機嫌良く、しているのは難しいと思うことが度々です。修行が足りません。一日長く生きて、世話をやり切ってから自分は逝かなくてはと思い定めるのだけれども。難しいことです。おせっちゃんの三兄は几帳面というか、律義な人というべきか、それはそれは堅物の几帳面な人でした。融通がきかないともいえる人でした。何かの折に、小篠綾子氏が大切にしたという言葉と同じことが話題になったことがありました。ああ、そうでした。思い出しました。いろはがるたの「な...『もらうよりあげるほうがよっぽどいいで』‥小篠綾子氏のことば
ず~っと「折々」にもたれかかってばかりです。今日もまた・・・です、お許しください。私は、全くその道に入ったことが無いのですが、伊東四朗氏の言葉と、その解説に使われた言葉に、妙に心を打たれましたので、メモ代わりに記します。『わたしは汗をかく熱演というのがどうも苦手なんですよ』伊東四朗「けろっとした顔でやって、終ったとたん、どっと汗をかく」というのがプロだと俳優は語る。「軽~く器用にこなすのは嫌だけれど、懸命に稽古してきましたっていうのが表に出ちゃうのも嫌」「汗が出るのは演技の最中に自分のこだわりが残っているからで、役に徹すれば汗もかかないと」と。プロはやっぱり違う、演技を考え考えた末に、それを実際に体全体で表し、観客に、なんだ、ただ普通に立っているだけではないかと思わせるところまで自然体で努められるように、...折々のことば・・・伊東四朗
不勉強で、名前だけは知っているけれど‥‥??と言ったところです。『人は建築することによって大工となり、琴を弾ずることによって琴弾となる』アリストテレスここは解説者の解説で哲学者に近づいてみよう。人は正しいことをする中で正しい人になり、節度あることをする中で節度ある人に、勇敢な行為をする中で勇敢な人になると古代ギリシアの哲学者は言う。「人となりというときの「なり」も、生まれもったものではなく、ある行為の形(なり)を繰り返しなぞる中で人がなりゆくもの。その習いを怠れば直ぐに崩れてしまう。自分が理想と思うものに近づくには、それに向かって一歩一歩努力を重ねることだろう。その努力の中で、自らの身体も、心も理想の形に形づけられ、それがその人の「人となり」にまで昇華するのでしょう。古代ギリシアの哲学者・アリストテレスの言葉
『俺たちはこれで12日間も旨いものを食っているんだ』ジョン・E/・スタインベック暁の道で綿摘みをする季節労働者のキャンプに出くわす。夫人が赤ん坊に乳を吸わせながら朝食の用意をしている。焼き立てのパンとベーコンと熱いコーヒー。誘った一人が冒頭の言葉をくちにした。今日の言葉は、12日間もの「も」に尽きると思います。これが「しか」だったら、この夜明けの美しさも、働く喜びも、充足した労働も、全く違うものになってしまうだろう。決して豊かな、楽な生活ではないだろう。満足だけの生活ではないだろう。でも、搾取されることのない労働、充足感があったのです。12日間も・・折々の言葉から
gooブログを書き始めて、20年は超えたでしょうか。途中、私の過ちか、どうかがはっきりしませんが、10年以上のものがきれいさっぱり消えてしまったのです。そこでもうやめよう!とも思ったのですが、数少ない読者の方からのお励ましに豚が木に登り、今日に至っています。gooブログでは、事務局の方のご努力で、投稿者に1年前の投稿文を知らせてくださるのです。自分が書いたものなのに、すっかり忘れていることもあり、、こんなことを考えていたのか、生意気にも書いていること!!などと思いながら読むのはまた楽しいことです。ありがとうございます。昨日のことだったと思います。いつもの私流の文で、「折々のことば」を種にして書いておりました。最相葉月さんの「言葉が可哀想で、恐れさえ覚える」が主文に取り上げられていました。人が発する言葉が、...子供との会話・・気をつけなくっちゃと思います
『人間はね、人に希望を与えるような生き方をせな、あかん!』4月19日の折々のことばには、バイマ―ヤンジンの義母のこの言葉が取り上げられていました。浅学でバイマ―ヤンジン氏を知らないけれど、チベット人で日本人と結婚し、大阪で暮らし始めた人のようです。「魚が欲しい人には、魚を与えるのではなく、それを獲る方法を教えよということわざを知り、教育の重要性を痛感し、アルバイトで得た給料を貯めて故郷に注ぎこみ、学校を作った人のようです。このことわざ、コマーシャルでも使われていて、耳になじんでいました。教育を短絡的でなく、長い目で見て、問題を根本から解決する方法を考えることの重要さを言っており、私の頭にもきちんとしまわれています。一体いつから諺として多くの人に知られたのだろう。私の子どものころには、聞いたこともなかったけ...魚を取る方法を教えよ・・幸せへの近道
『待ってくれるんじゃない。神さまだから。あったかい日に参りなさいよ』森崎和江の旧友夫が寝たきりになってから3年間、家族をを養いつつ、毎朝2時間かけて山にあるお役資産に参り、その足で海に向かった在日朝鮮人の女性。老いても月初めには息子の無事を祈って通う。そして真冬でも、直前には髪を洗う。挑戦で共に学んだ作家の友はこう声を掛けたのだ。決して豊かな生活ではなかったろう。国籍で差別を受けたこともあろう。その中で、きちんと姿勢を正し、神を信じ、身を正して生きた人なのだろう。ともが、その生き方を和らげる声を掛ける。掛けられた彼女は、その温かさに感謝しつつも、自分で決めた生き方を揺るがせなかったのではないか。御せっちゃんは、そう思う。待ってくれるんじゃない。
朝方までぐずぐずと降り続いていた雨も上がりました。降らせた気団が東の海上に抜けていき、今日は上天気だろうとは、天気予報のご託宣です。このところ気象病にいじめられているおせっちゃんは、今朝は痛みに苦しみましたが、少々は、我慢して動いた方が体は柔らかくなるっからとウオーキングは休まずに。確かに帰途はイテテテテでなく歩けました。自宅の門まで帰って郵便受けをのぞいたら、嬉しい便り(?)が。先日ひさしぶりに公園でカメラを持った写真家・伊藤信男さんに会いましたが、その時撮った春らしい写真を投げ込んでくださっていました。上の写真アオスジアゲハ。バックの黄色の花はニガナ(野草)。下の写真アオスジアゲハがクスノキの新芽に産卵している場面。郵便受けに🦋が
11日の「折々のことば」はこれ以上ないほどの易しい幼児の言葉でした。解説の文を読むと、「今日の料理」からの言葉らしい。投稿者の小さな息子は母親が豆腐を掌に載せて切ろうとすると、泣いて訴える。いくら説明しても泣き止まなかったのだ。仕方なく、豆腐をまな板に置いて切る。角は崩れたが、いとおしさは募った。あるある。大抵の子供が光った包丁で、豆腐を切る母屋の手元を見ながら、不安に泣きそうになった経験があるのではないかしら。かくいうおせっちゃんも泣きこそしなかったと思うけれど、不安で固くなり、母を見つめて固まっていた覚えがあります。ああこれでいいのだ、柔らかい豆腐を切るのには力はいらず、台所仕事に精通したおかあちゃんには何でもない仕事なんだ、と思い知ったのはいつのことだっただろうか。母からあまり料理を習ったことはない...おててが切れちゃうよ
おせっちゃんの何時ものことだけれど、今日の話題も、台所仕事の合間に耳に入った話です。世界平和につながるかと夢見るような気になったこともあるし、自分がいかに世の中の変化から取り残されてしまっているかをつくづく感じたことでした。中野(だったと思いますが、はっきり否定するほど自信はありません)で、盆踊りが盛んになっているんだとのこと。近所の人の娯楽にご近所が集まってしていたものを、コミュニティの結びつきを大きくして、地域を盛り上げようと立ち上がった人がいて、次第に盛んになっているのだとのこと。外国の方々が興味を示して、参加するようにもなっているんだと言います。コメンテーターが、「外国で盆踊りの輪が出来ていると聞いたことがあります」と言えば、「京都のお寺が、座禅の後盆踊りとしゃれているとの話もあります」とか、「キ...盆踊りが世界平和への扉を開くか
金曜日、ブログを書いていて思い出しました。私とらい太がまだ小学校の低学年の頃のことです。夕食が済むと、5兄が「さて始めるか」と言いだします。時には3兄、4兄までが身を乗り出します。わが家のゲームの開始です。遊び道具とてない時代です。ゲームというよりはお勉強でした。兄がその頃貴重品だった用紙を出します。勿論使ったものの裏を使うのです。「今日は、サンズイの漢字にしよう!」と決めて「ナガレルと言いながら流れる」とかきます。ハイ次、おせっちゃん」「ウミ・・海」と書きます。よし、次、らい太」「オヨグ・・泳ぐ」。延々と続くと言いたいけれど小学低学年には難しい。毎晩のことだから、本棚にある古くて厚さ10センチもある辞書で予習はしてみるものの、兄にはかなわない。すぐ行き詰ってしまう。知識の豊富な兄は難しい字もマスターして...夕食後の遊び
病を得ている夫が、急にに病状が加わってきました。だらしないことですが、ブログを書く気力体力無くしています。当分お休みいたします。みなさま、梅雨に向かう不順な季節です。お大事になさってくださいませ。ブログしばらくお休みします。
築40年ほどの自宅をリフォームしたことはすでに書いたことがあります。その時書きましたように、間取りなどを変えたりするリフォームではなく、年月で、老化した家屋の部分部分の修理をしたのでした。それも、弱ってきている夫に気を使いつつ、作業場になる部屋部屋から、他の部屋に逃げておいてという方式でやりましたので、なかなか、疲れる作業でした。わが家にとっては大きな事件でしたから、メモにして、残しておきたいと思いました。築30年くらいから、家族で、頻繁に歩く場所の床が、歩くたびにぺこぺこ抜けたような感覚がするようになってきました。建ててくれた業者に相談すると、床に張った、合板の接着剤が老化して、合板が合板ではなくなっているとのことでした。10年ほど前に一部だけ修理したのでしたが・・・。床が抜け落ちる心配はないとのことで...リフォーム業者選び
今日から6月ですね。何とも速い時の流れです。地球のご機嫌も定まらぬようです。身体に気を付けて、元気に6月を過ごしましょう。昨年末、NORI先生のお手を煩わせつつ、仕上げたマイカレンダーです。写真は、雨の季節にひょっこり覗いた可愛い雨蛙ちゃんの写真です。いつもの伊藤信男さんの作品を使わせていただきました。カレンダーの背景は、錦絵が特集で新聞に掲載された時、スキャンしておいたものです。雨の季節にふさわしいかと思いましたが、こうして出来上がりを見ると、写真はもっと蛙ちゃんに近寄せてそこをアップにした方がよかったかしら?6月は、私が86歳になる月です。近頃、薬を飲めば、その副作用かと思える不具合が出るし、加えてお天気病というのでしょうか、気圧の変化に負けて、自律神経が暴れだし、調子を崩すことがしばしっばです。まあ...6月のマイカレンダーお見せいたします
子供、孫、には誕生日に心ばかりのお祝いを贈ることにしています。人生街道を歩いていると、当然のことですが、自分も、子ども孫たちも当然歳を重ねます。そうです。子ども孫から、お誕生日祝いの歴史が始まったわけではありません。結婚して離れた両親と舅姑にお祝をするところから始まりました。次が、子どもと、同年齢の甥姪に、小さなおもちゃを贈る段階。その小さなプレゼントがだんだん値段の張る玩具になり、果ては現金でもらえるかなあ、と相手が成長してくる。これも年月です。その孫たちが、みるみる成長し、頭上から声が降ってくるようになり、大学に進学し、「これやってくれる?」と婆は自分が物をを頼む側になってしまっていることにハタと気がつく日がやってくるのです。お祝は、大学生までだよ。と打ち切り宣言を順次することになります。ここで、問題...昨日は失敗の日
『政治家がいけないと多くの人は言うが、いけない人たちが勝手に政治家になれるシステムはどこにもない』片岡義男(作家)鷲田清一氏は解説で片岡氏の次の言葉を取り上げています。この国の政治は三流だ、とという言い草はひどく「呑気」だと作家は言う。政治が三流だとしたら人々の投票時の判断が三流だったから。政治家に仕切ってもらい安心していたくて、大事なことを彼らに預けたから」この段階までは、私も良~く理解できます。選挙のたびに、覚えている限りで、棄権したことは無いと思います。良~く選んで、良い政治をしてくれる人を選ばなくっちゃと、広報を読み、テレビのそれぞれの主張を聴き、考えます。だけどわからん!と投げ出すように、その選択から真剣さをのぞいてしまいます。実際広報の、あの紙面、あの主張ではその人が日本を、そして世界をどこに...政治の三流は人々の三流の判断から
年をとると身の丈が縮むとはだれにもある現象のようですね。私の場合は脊柱がつぶれてのだから、当然平均より多く縮んでいると思われます。数値できちんと測らなくても、届いていたものに手が届かなくなってしまって、不便この上なしです。それでなくても、親からもらった身長は平均以下です。それから縮んでしまっているのです。ご想像ください。子供二人も、現代っ子にしては小さい方です。でも兎に角、大した病も得ず育ってくれましたから、いいのですが・・・。このちびっこ二人が子どものころ、食べない子でした。いったい何で生きているのだろうと思うほど食べる量の少ない子でした。娘のMaが、一年生の時、家庭訪問にいらした先生が開口一番「食べませんねえ、何で生きているのかしら?」と嘆かれたことを今でも鮮やかに覚えています。その夕食時「先生、困っ...まま、ずるいよ。当然だよ。
親は、子どもに良かれと自分たちを犠牲にしても・・・と尽くす。だが、これが必ずしも正当なものとは限らない。多分に、自分たちの望みをかなえるために、子供を煽り立てて努力をさせるような傾向があるようです。今日の「折々のことば」榛野なな恵氏のコミック[papatoldme]巻24の中の言葉(らしい?)『当たり前だけれど悪気はないんだ。でも創造力もないんだ』。自分の親のことを言っているようです。優秀で、男らしく育ってほしいと望む親。女の子がくれたぬいぐるみを隠してしっまう親。次元が違う親を責めても仕方がないとあきらめても、「僕は僕」といのが自分の備えたい強さなんだと親に注げるのだった。私はもうすぐ6月には86歳になるフル狸ばさん、8人兄弟の下から2番目。時代は、終戦が、国民学校1年生の8月15日。それに続く貧しい時...親も時代に即して生きなければ。
先日、夕食を済ませて片付け物をしようと立ち上がった時でした。テレビで、昭和を思い出すいろいろなこと(題名は不確かです)を思い出としてたどる番組が始まりました。ちょうどわが子の時代と重なる時も入っており、懐かしさにそのままテレビの前に座り込んでしまいました。頭が弱ってきている夫も、その当時のことは思い出すようで、珍しく話に乗ってきました。私たちが子どものころは、漫画は品が悪くて、勉強にもならない、漫画を見るくらいなら勉強しなさい、が大方の親の考えだったように覚えています。が時代が進み、わが子の子供時代は漫画ではなく、アニメに移り変わっていたのでしょうか。時代の歌と言えば、その主題歌、ねだって買ってもらった玩具は、アニメのフィギアや、グロテスクな怪獣オンパレードのようでした。夫と私の会話「うちの子は、こうした...子育ての思い出1
昨日は木曜日で、パソコン教室の日でした。偶数週は自分の好きな教材で、自分のペースで進め、分からないところをNORI先生に質問して進めるカリキュラムです。Kさんは、電話連絡網のような図を入れたチラシに取り組んでいらっしゃった。そこから話題は広がって小学校時代の連絡の方法などに移りました。「もう今は連絡を次に伝えるなどという、作業は無くなりましたよね。全員一斉にラインが入る・・・」「スマホがなければ仲間に入れないという状態ですよね。それほどまでに進歩したという事ね」「今、あの人は、スマホ持って、いらっしゃらないから、不便よね。ということになるのよね」「昔、あの方は電話がないから・・・と落ちこぼれをすくう手段を考えなければいけなかったことが、今は、スマホがないから・・・にまで進歩したというのかどうか」「ああ、お...連絡網に話題は移って
ファッションデザイナーのコシノヒロコ・ジュンコ・ミチコの母親。彼女は「與ふるは受くるよりも幸いなり」という聖書の言葉を大事にし、これを娘たちへの遺言としたとのこと。徹子の部屋で娘たちが語ったと言います。確かに確かに。うなずけるけれども、日々、病の夫と暮らしているとこの心境で、優しく、機嫌良く、しているのは難しいと思うことが度々です。修行が足りません。一日長く生きて、世話をやり切ってから自分は逝かなくてはと思い定めるのだけれども。難しいことです。おせっちゃんの三兄は几帳面というか、律義な人というべきか、それはそれは堅物の几帳面な人でした。融通がきかないともいえる人でした。何かの折に、小篠綾子氏が大切にしたという言葉と同じことが話題になったことがありました。ああ、そうでした。思い出しました。いろはがるたの「な...『もらうよりあげるほうがよっぽどいいで』‥小篠綾子氏のことば
ず~っと「折々」にもたれかかってばかりです。今日もまた・・・です、お許しください。私は、全くその道に入ったことが無いのですが、伊東四朗氏の言葉と、その解説に使われた言葉に、妙に心を打たれましたので、メモ代わりに記します。『わたしは汗をかく熱演というのがどうも苦手なんですよ』伊東四朗「けろっとした顔でやって、終ったとたん、どっと汗をかく」というのがプロだと俳優は語る。「軽~く器用にこなすのは嫌だけれど、懸命に稽古してきましたっていうのが表に出ちゃうのも嫌」「汗が出るのは演技の最中に自分のこだわりが残っているからで、役に徹すれば汗もかかないと」と。プロはやっぱり違う、演技を考え考えた末に、それを実際に体全体で表し、観客に、なんだ、ただ普通に立っているだけではないかと思わせるところまで自然体で努められるように、...折々のことば・・・伊東四朗
不勉強で、名前だけは知っているけれど‥‥??と言ったところです。『人は建築することによって大工となり、琴を弾ずることによって琴弾となる』アリストテレスここは解説者の解説で哲学者に近づいてみよう。人は正しいことをする中で正しい人になり、節度あることをする中で節度ある人に、勇敢な行為をする中で勇敢な人になると古代ギリシアの哲学者は言う。「人となりというときの「なり」も、生まれもったものではなく、ある行為の形(なり)を繰り返しなぞる中で人がなりゆくもの。その習いを怠れば直ぐに崩れてしまう。自分が理想と思うものに近づくには、それに向かって一歩一歩努力を重ねることだろう。その努力の中で、自らの身体も、心も理想の形に形づけられ、それがその人の「人となり」にまで昇華するのでしょう。古代ギリシアの哲学者・アリストテレスの言葉
『俺たちはこれで12日間も旨いものを食っているんだ』ジョン・E/・スタインベック暁の道で綿摘みをする季節労働者のキャンプに出くわす。夫人が赤ん坊に乳を吸わせながら朝食の用意をしている。焼き立てのパンとベーコンと熱いコーヒー。誘った一人が冒頭の言葉をくちにした。今日の言葉は、12日間もの「も」に尽きると思います。これが「しか」だったら、この夜明けの美しさも、働く喜びも、充足した労働も、全く違うものになってしまうだろう。決して豊かな、楽な生活ではないだろう。満足だけの生活ではないだろう。でも、搾取されることのない労働、充足感があったのです。12日間も・・折々の言葉から
gooブログを書き始めて、20年は超えたでしょうか。途中、私の過ちか、どうかがはっきりしませんが、10年以上のものがきれいさっぱり消えてしまったのです。そこでもうやめよう!とも思ったのですが、数少ない読者の方からのお励ましに豚が木に登り、今日に至っています。gooブログでは、事務局の方のご努力で、投稿者に1年前の投稿文を知らせてくださるのです。自分が書いたものなのに、すっかり忘れていることもあり、、こんなことを考えていたのか、生意気にも書いていること!!などと思いながら読むのはまた楽しいことです。ありがとうございます。昨日のことだったと思います。いつもの私流の文で、「折々のことば」を種にして書いておりました。最相葉月さんの「言葉が可哀想で、恐れさえ覚える」が主文に取り上げられていました。人が発する言葉が、...子供との会話・・気をつけなくっちゃと思います
『人間はね、人に希望を与えるような生き方をせな、あかん!』4月19日の折々のことばには、バイマ―ヤンジンの義母のこの言葉が取り上げられていました。浅学でバイマ―ヤンジン氏を知らないけれど、チベット人で日本人と結婚し、大阪で暮らし始めた人のようです。「魚が欲しい人には、魚を与えるのではなく、それを獲る方法を教えよということわざを知り、教育の重要性を痛感し、アルバイトで得た給料を貯めて故郷に注ぎこみ、学校を作った人のようです。このことわざ、コマーシャルでも使われていて、耳になじんでいました。教育を短絡的でなく、長い目で見て、問題を根本から解決する方法を考えることの重要さを言っており、私の頭にもきちんとしまわれています。一体いつから諺として多くの人に知られたのだろう。私の子どものころには、聞いたこともなかったけ...魚を取る方法を教えよ・・幸せへの近道
『待ってくれるんじゃない。神さまだから。あったかい日に参りなさいよ』森崎和江の旧友夫が寝たきりになってから3年間、家族をを養いつつ、毎朝2時間かけて山にあるお役資産に参り、その足で海に向かった在日朝鮮人の女性。老いても月初めには息子の無事を祈って通う。そして真冬でも、直前には髪を洗う。挑戦で共に学んだ作家の友はこう声を掛けたのだ。決して豊かな生活ではなかったろう。国籍で差別を受けたこともあろう。その中で、きちんと姿勢を正し、神を信じ、身を正して生きた人なのだろう。ともが、その生き方を和らげる声を掛ける。掛けられた彼女は、その温かさに感謝しつつも、自分で決めた生き方を揺るがせなかったのではないか。御せっちゃんは、そう思う。待ってくれるんじゃない。
朝方までぐずぐずと降り続いていた雨も上がりました。降らせた気団が東の海上に抜けていき、今日は上天気だろうとは、天気予報のご託宣です。このところ気象病にいじめられているおせっちゃんは、今朝は痛みに苦しみましたが、少々は、我慢して動いた方が体は柔らかくなるっからとウオーキングは休まずに。確かに帰途はイテテテテでなく歩けました。自宅の門まで帰って郵便受けをのぞいたら、嬉しい便り(?)が。先日ひさしぶりに公園でカメラを持った写真家・伊藤信男さんに会いましたが、その時撮った春らしい写真を投げ込んでくださっていました。上の写真アオスジアゲハ。バックの黄色の花はニガナ(野草)。下の写真アオスジアゲハがクスノキの新芽に産卵している場面。郵便受けに🦋が
11日の「折々のことば」はこれ以上ないほどの易しい幼児の言葉でした。解説の文を読むと、「今日の料理」からの言葉らしい。投稿者の小さな息子は母親が豆腐を掌に載せて切ろうとすると、泣いて訴える。いくら説明しても泣き止まなかったのだ。仕方なく、豆腐をまな板に置いて切る。角は崩れたが、いとおしさは募った。あるある。大抵の子供が光った包丁で、豆腐を切る母屋の手元を見ながら、不安に泣きそうになった経験があるのではないかしら。かくいうおせっちゃんも泣きこそしなかったと思うけれど、不安で固くなり、母を見つめて固まっていた覚えがあります。ああこれでいいのだ、柔らかい豆腐を切るのには力はいらず、台所仕事に精通したおかあちゃんには何でもない仕事なんだ、と思い知ったのはいつのことだっただろうか。母からあまり料理を習ったことはない...おててが切れちゃうよ
おせっちゃんの何時ものことだけれど、今日の話題も、台所仕事の合間に耳に入った話です。世界平和につながるかと夢見るような気になったこともあるし、自分がいかに世の中の変化から取り残されてしまっているかをつくづく感じたことでした。中野(だったと思いますが、はっきり否定するほど自信はありません)で、盆踊りが盛んになっているんだとのこと。近所の人の娯楽にご近所が集まってしていたものを、コミュニティの結びつきを大きくして、地域を盛り上げようと立ち上がった人がいて、次第に盛んになっているのだとのこと。外国の方々が興味を示して、参加するようにもなっているんだと言います。コメンテーターが、「外国で盆踊りの輪が出来ていると聞いたことがあります」と言えば、「京都のお寺が、座禅の後盆踊りとしゃれているとの話もあります」とか、「キ...盆踊りが世界平和への扉を開くか
金曜日、ブログを書いていて思い出しました。私とらい太がまだ小学校の低学年の頃のことです。夕食が済むと、5兄が「さて始めるか」と言いだします。時には3兄、4兄までが身を乗り出します。わが家のゲームの開始です。遊び道具とてない時代です。ゲームというよりはお勉強でした。兄がその頃貴重品だった用紙を出します。勿論使ったものの裏を使うのです。「今日は、サンズイの漢字にしよう!」と決めて「ナガレルと言いながら流れる」とかきます。ハイ次、おせっちゃん」「ウミ・・海」と書きます。よし、次、らい太」「オヨグ・・泳ぐ」。延々と続くと言いたいけれど小学低学年には難しい。毎晩のことだから、本棚にある古くて厚さ10センチもある辞書で予習はしてみるものの、兄にはかなわない。すぐ行き詰ってしまう。知識の豊富な兄は難しい字もマスターして...夕食後の遊び