病を得ている夫が、急にに病状が加わってきました。だらしないことですが、ブログを書く気力体力無くしています。当分お休みいたします。みなさま、梅雨に向かう不順な季節です。お大事になさってくださいませ。ブログしばらくお休みします。
昨日の夕方、ニュースでこんなことが話題になっていました。東京都が、物価値上げで困窮が考えられる所帯に、無料で米を配った。私は、非常の場合の備蓄米を放出したのだなと思いました。一日よ食に減らして生きている人もいると聞きますし、助かったと家族で喜んで白いご飯を頂いただろうと思いました。ところが、予想に反しました。無料配布米がネットで売りに出されているのだそうです。テレビ画面には都知事が出て、「転売禁止と袋には明記しましたし、にもかかわらず転売されたのは残念です」とがっかりした様子で会見打ち切っていました。私は自分の思い描いたことと、現実は全く違ったことにびっくりしました。そうか、転売されたコメは、気に入られなかったのだ、「コメはブランド米でなくっちゃ、こんな米食べられないわよと好意を無にし、おまけに自分の気に...米を売る
田辺聖子のエッセイ続き自分の力は、定期券のように、必要なところで、必要に応じて出せばいいのだ。結婚することと、仕事をすることは両立しない、と悩んでいる若いお嬢さんが多いが、そのどれ一つだって完全に出来た人は昔から、ほんのわずかな人だけである。双方どっちつかずでいいのである。完全主義になろうとするから、悩むのである。十の力を五つずつ分配すれば双方楽しむことができる。十の力をどっちにも振り分けて二十の力になそうとするから破綻が来るのである。努力で十にも二十にも、もっともっとと励ますより、どっちつかずで、双方を楽しく・・・と、これ名言。読んでいて、心和み、なんだか自信が持て、世の中明るくなってきたような気がします。他のエッセイにこんな言葉もありました。「とるに足らぬ些事は考えない」。「コンマ以下は切り捨て」人の...田辺聖子・・・自我定期券説
9月も終わりになります。役所仕事は期末になるのでしょう、ふるさと納税は締め切られるようです。ふるさと納税って、その目的を全うしているのでしょうか。テレビなどでも取り上げていますが、国民の欲の皮を突っ張らしているようなものではないでしょうか。昨日のブログに書きましたが、田辺聖子さんのおっしゃる、多くを望むさもしい人間の欲望を満たすだけではないのでしょうか。と言いながら、我が家でも、この制度が始まった時、観光をした九州の市が気にいったと、納めたのでした。思いもかけず、大きな荷物が届きました。その地の酒、名物の食品、などどっさりでした。深く考えることもなく、良かったねと、食卓に乗せたのでした。でも・・・と、おせっちゃんは考えました。こんなに返礼品をお返ししてくれて、寄付した金額はその市の収入としてどれだけ残るの...ふるさと納税・これでは役に立たないのでは
この夏の暑さの中で、下肢の不調にぐったりしていました。ブログもお休みにしてひっくり返って読書を決めこみました。と言っても目は疲れる、頭は老化するで、大作に取り掛かる状態ではありませんでした。田辺聖子さんの、エッセイ集を図書館から借りてきました。同感できる主張もあり、少しずつ読んでいきました。中に「多きを求めない」がありました。このごろの人間は、人に多きを求めすぎるのではあるまいか。人と人が心を通わせ、仲良くするというのは、相手の好意をむさぼることではないし、相手の欲しないものを、好意と思って押し付けることでもない。(多少引き写しに間違いがあるかもしれない。お許しを)確かに、好意を持ってくださるとうれしい気持ちになります。こちらからもお返しして仲良く、などと思います。でも過ぎたるは及ばざるがごとし。行為のや...多きを求めない・・・田辺聖子
義姉を失ったことはお話いたしましたね。まだ、受け入れることに戸惑うことがあります。今日は、こうした連絡を密にしたいとき、オンラインがいかに便利か思い知ったことを書きます。息子が自分のマラソンをつぶして、最後の女子会を成立させてくれたことは書きました。今度はお別れの葬儀です。課題は、「病人を長く一人で置いておくわけにはいかない」ということです。私は胸に湧き上がる行きたいの気持ちを押しつぶさなくてはならないだろうと観念していました。だが、子どもたちは「それは出列席しなければ」と考えてくれたのです。有難いという気持ちと、その温かい心に感激していました。ラインが飛び交いますウイークデイです。おまけに会社を休むには突然です。息子は困っていました。「いいよ、いよいよとなったら私が上京しよう。朝一番に乗ればお昼前にはじ...オンラインの効用
昨日夕方のニュースで突然「今日はゴリラの日です」と言ったのです。夕食を食べていた老人二人、えっ、と顔を見合わせて、次に首をかしげました。5・24,これをゴリラ関係に一致させる知恵が出ません、聞き違え?そうでもないよう。分からんねえ、首をひねるばかり。今日・今、一週間を楽しく出発するためには、ゴリラ記念日研究からと思いました。ネットに頼りました。「9月24日は、絶滅のおそれがある野生のゴリラの保護や、生息地である熱帯の森林の保全を呼びかけようと、保護に取り組む団体が「世界ゴリラの日」と定めているのだそうです。京都市動物園ではゴリラ一家に好物の果物を与えたのだそうです。そう言えばわが家にもゴリラがいます。夫を揶揄していっているのではありません。下に写真を入れます、ゴリちゃんと申します。今はおせっちゃんちに住ん...ゴリラの日・・9月24日
まず、黒沢氏のその言葉をご紹介。「愛されて育った人とは、仕事がやりやすい」。解説は、こう言った監督の気持ちを娘和子の言葉を引用して説明しています。監督は当時、映画界に多い変わり種に独特の持ち味を出してもらうように苦労していたのです。愚痴が出たのですね。と。同じ解説の中に、監督の変わり種の面白い表現が載せられています。気に入りましたので書き留めておきます。★演技は大根でも、存在感の牛肉役者★脇を固める器用な味付け役★くさい演技のニンニク役者★無味無臭の水のような奴特別難しい言葉を使っているわけではありませんね。演劇作成に同じ足場に立っているものの特徴をなんとも味のある表現で語っていますね。おせっちゃん、こういう表現をさらりと書いてみたいと思いますが。「すごい」「無茶苦茶」だけでは決して表現できない言葉の技術...6月8日・おりおりのことば・・・黒澤明
昨日の徹子の部屋は俳優の松村雄基さんがゲストでした。彼は忙しいご両親に替わって、おばあさまに育てられたような子供だったとのことです。生活一般、全てを厳しく教え込まれたそうです。箸の正しい持ち方なども決して疎かにはしないしつけだったそうです。これが俳優を目指す道にも、ずいぶん役に立っていると思うのだそうです。育ての親と言ってもいいおばあさまは、彼が高校生の時倒れ、それからは伯父・伯母と彼とで介護をする生活になったのだそうです。彼は高校生の時から、10年間以上、今でいうヤングケアラーを続けたようです。「辛いと思わなあったですか」という徹子さんの質問に彼はこう答えていました。大事に育ててくれた祖母です。ベッドのそばでも習うことは多かったです。昔は幼い子供を育て上げるのも、歳とって弱ってきた人をお世話をするのも、...他人の助けを借りることも
先日、朝日新聞「声」に九歳の子供の声が載っていました。可愛い意見に感心しました。ご紹介いたします。(おせっちゃんが勝手に文を変えています)お母さんと子供たちで出かけました。弟がトイレに行きたくなってしまいました。コンビニによってトイレを借りました。店員さんは、お掃除中にもかかわらず快く貸してくださいました。お礼を言う私たちに、店員のお兄さんはニコニコして大きな声で「道中お気をつけて」と言って送り出してくれました。日ごろ使ったことのない言葉にびっくりしました。けど嬉しかったのです。とても大人なコトバだと思いました。そして、人を思いやる、とてもやさしい言葉だなと感じました。私もいつか、誰かに「道中お気をつけて」と言ってみたいなと思いました。文章がしっかり書けているのに感心しました。店員教育が間違ているのか、変...「道中お気をつけて」
ことばについて書いていたら、こんな言葉に出会いました。少し前の「折々のことば」です。「言葉がりっぱになり、美しくなるのは、ぼくにはいやなことだ」・・・田中小実昌解説にはこんなことが書かれていました。米国ではこのところライターをオーサーと呼び変えているようだ。同根のオーソリティーのごとく「権威ありげ」だと使うのだろうか。日本ではアーチストを自称する人が増えているようだ。ゴミ箱を「護美箱」と書き、美化したと思っているのも聞きづらい。おせっちゃんは、「護美箱」は、上手く当て字を嵌め込んで、新しいゴミ箱にしたなと感心したのだけれど。ある時、八百屋の店先でギョッとして立ち止まったことがあります。値札に「人肉〇〇円」とあったのです。え~っ!!と。人の肉を売るのか??並べてある商品を見て、なんだ当て字か、と一安心。「ニ...ことばが立派になる・・・嫌なこと田中小実昌
テレビを見ていると、最近は「無茶苦茶」「めっちゃ」などが無茶苦茶でてきます。少し前、「すごい」一語ですべてを現すような表現を嘆いていたのですが。言葉はうつりかわるのですね。語彙の少なさは変わりませんが。ちょっと古い新聞のスクラップですが、慣用句についての調査が発表されていました。現在日本人の大半以上が本来の意味を取り違えて使っているようです。私は、古い人間ですから、間違えていないようですが、若い世代では会話が成り立たないのかもしれないと思いました。でもそれは心配なし・・か?こんな慣用句など使わないもん、という声が聞こえてくるような気がします。でもクイズに答えるつもりで語彙を身に付けてみてください。★手をこまねく・・・(正)何もしないで傍観している・・37.2%(誤)準備して待ち構える・・・・・47,4%★...慣用句、解りますか。
3日に次兄の妻である義姉が旅立ちました。もう少し心が落ち着いたら、書くこともまとまるかとも思いますが、今は自分の胸のうちにその姿を抱いておきたいと思います。いい義姉でした。実家の母にもよくしてくれて、母のお気に入りのお嫁さんでした。いえ、母は5人のお嫁さんはみんな気に入っていたと思うのです。以前も書いたことがあると思いますが、我が家には定番の笑い話があります。母が言いました。「私は幸せ者、出来の悪い3人の娘を他家に嫁にやって、5人もいい嫁を得たんだから」。出来の悪い娘を目の前にして、言い放っていたのです。ついでにお話すれば、私の代失敗がこの後に続くのです。姑に「母がこう言っております」、と何の気なしに言ってしまったのです。「まあ、それでは私はカスの嫁に当たったのですね」と言われました。「まあおせっちゃん、...義姉を悼む・・・ありがとうございました
土曜日に続いて、PILOTの思いを紹介します。落書き、してますか?なんとなく思いついたこと。言葉になる前のなにか。カタチとも言えない、カタチ。まず手を動かして、書いてみる。手を動かしながら考えていると、不思議なことに、見えてくることがある。でも落書きって、余白がないとできないんです。アタマの余白アリマスカ?ココロの余白在りますか?100年以上にわたり筆記用具を作り続けてきたPILOTの思いです。「余白があるか」。この言葉に、自分の毎日を顧みます。ぼんやりしている時間は振り返ると頭を俯かせるほかないような、忸怩とした思いになる。この時間を余白にまで高めるにはかなりの決心がいると思う。今病んだ夫との生活に、何もない時が無駄に過ぎていくような、焦りを感じて、時に鬱状態に陥る恐れを感じる。とりとめのないことから、...余白は、あるか。
「何もやらなきゃ、失敗もしない。出来ることだけやっていれば、失敗しない。失敗して、失敗して、失敗して。書きなぐって、消して、思いついて、また書いて。アイデアは、きっと、そういう人たちの所に、やって来る。失敗が、もっと褒められる世の中へ」。100年以上にわたり筆記具を作り続けてきたPAILOTの思いです。今日、ご紹介する言葉は長い夏休みをグダグダ暮らしている時、目についたコマーシャルの言葉です。たるんだ心を引き締めてくれる言葉でした。何か始めようと思った時、おせっちゃんの先ず考えること。これは私に出来そう、平均点は取れるだろう、それを確認して、重い腰を上げるのです。出来そうにないことには決して手を出さない。これではだめだねえ。失敗をほめよう
テレビに異様な団体が写っていました。何だろう、これは?ながら見の主婦業の手を休めて、画面に注視。いろいろな色の着ぐるみ、可愛いとは決して言えない恐竜です。ティラノサウルスというものだそうです。当時もこんな怪獣のフィギアを持って遊んでいた子もあったけれど、わが家の子供は興味を持たなかったと記憶しています。パンダのぬいぐるみに代表される「可愛い系」好みでした。従って親の私も怪獣はほとんど知りません。ネットでググってみました。ティラノサウルスは、約7,000万-約6,600万年前の北アメリカ大陸に生息していた肉食恐竜。大型獣脚類の1属である。とありました。怪獣ではないのですね。実在した恐竜なのですね。「サウルス」とは「トカゲ」のことだそうです。今は小型になっているけれども、こんな大型の恐竜が先祖なのでしょうか。...ティラノサウルス
落ち着いたら、書くこともあると思いますが、今週は私に悲しい一週間でした。気持ちとは真反対の、にやりと笑える記事で週を締めくくります。8月30日の朝日新聞文化ページに、朝日歌壇「番外地」が載っていました。寄せられたが、選には漏れたユーモアあふれる秀歌だと言います。今年の選者は永田和宏。選歌につかれた頃、「こんな歌があるよ」「どれどれ」とひとしきり笑う、選者元気づけのサプリだそうです。「笑い、元気、AIに出来ぬ言葉遊び」と副題がつけてありました。まだ惚けてないと思は酒飲みの酔っていないと言ふに似るかも記憶力を維持するサプリを買ったけどどこに置いたかもう忘れてる十センチ髪を切っても気付かない夫に今夜毒を盛ろうかひふ科医院に長子忘れて末の子が「にいたんいない」と泣いた秋の日ハグすればお腹とお腹がぶつかって笑えば二...にやりと笑える朝日歌壇「番外地」
おしゃべりが、どこをどうたどって行ったのか、こんな話に移っていました。「ねえ、昔、私達が子どものころと、今とでは近所づきあいが随分変わったと思わない?」「変わった、変わった。まるで雰囲気が違う」「昔は、隣にお米やお醤油を借りに行かなかった。夕飯の用意、あっ、切れてた、ごめん、切らしちゃったのよ、一寸今夜貸しといてくれない。助かるわあ、お店まで走るのも疲れるからね、ありがとうね。こんな会話は頻繁に交わされていたよね」「そうそう。地域が親しくつながっていたよね。それがいつからか、人に迷惑をかけるのは悪という考えが大きくなってきたのかしら、気兼ねをするよりは、スーパーまで走ったほうがいい、という考えに替わってしまった」「人と付き合う時、プライバシーという言葉が立ちはだかるのよね。確かに大事なことだろうけれど。笑...美容師さんとの会話。つづき
暑さに躊躇ってのびのびにしていたら、髪がどうしようもなくなってきました。髪も高温と紫外線で痛むようです。思い切って行ってきました。行きつけの美容師さんは、もう30年ものお付き合いになるのかしら。美容師と客というより、月一に出会うお友達とでもいう仲です。座ればやってくれます。こちらも細々注文はつけません。美容師さんもためらいなく自分が良かれと思うようにさっさと仕上げます。完全予約制にしていますから、二人の世界です。他に気兼ねすることなく、おしゃべりができ、これがまた月一の楽しみです。点けっぱなしのテレビがDAIGOの料理番組をやっていました。二人の会話です。「DAIGO、大分料理の腕上げたわねえ」「始まる前にかなり教え込まれるのでしょうけれど・・・」「始めは、ロックをやっていたような、ダイゴ語のDAIGOが...DAIGOの品
昨日限りの涼しさでしたね。きょうはまた・・・あまりの暑さ続きに、頭がどうにかしたのでしょうか、暑さのせいではないわよ。老いよ老い!!の声が聞こえてきそうです。そうなんです、月が替わったこと忘れていました。月初めはマイカレンダー披露の日でした。うっかりしていました。いつもの伊藤さんの写真を使わせていただきました。烏瓜です。秋めいた証拠でしょうか、葉が少し茶色く枯れています。上手な写し方をなさる写真には、、枯れてきているものも美しいものですね。縦長の写真を画面いっぱいに使いました。折角の写真をなるべくカレンダーで隠さない様にと白ぼかしを脇に避けましたが、やはり下全体にした方が落ち着くようですね。失敗ばかり重ねています。なかなか進歩しません。10月になったらもう、来年の準備が始まります。もう9月でした!?マイカレンダー披露
言わずもがなのことだけれども、今年の夏は記録的猛暑であった。でも季節は巡る、今日は少し秋めいた。エアコンではなく自然の風が入っている。あまりの暑さに、蝉も耐えられないのか法師ゼミの声が少ないような気がする。さあ、本格的な爽やかな秋は何時訪れるだろう。はやくこいこい!!。近くの公園も、朝早くラジオ体操は行われているようだが、私が主婦仕事を終えてウオーキングに出かける頃には、ワンちゃんも夏時間に切り替えて、もう帰った後。ほとんど無人の公園だ。そんな寂しい公園を、帽子をかぶり、日傘をさしてぐるぐる2周、快適季節より短めで切り上げて帰宅する日々でした。学校では新学期が始まった。地域の小学校では、学期初めは「挨拶週間」が行われる。町会にも声がかかり、登校してくる、くろんぼさんたちに大きな声で挨拶の手本を掛け合う。昔...夏休み・宿題の思い出
もう、一年ばかり前の話になったでしょうか。新聞の下部の広告欄に目が留まりました。新刊の本の広告です。「幸福度の最も高いのはおひとりさま」という見出しでした。副題などを読んで想像するに、ある程度年を取って暮らしていくにあたって、おひとりさまが一番幸せ度が高いという事らしいのです。言いにくいことですが、夫婦で年を取って病んだ方を、他方が介護するのは大変な事。一番幸福を感じるのは連れ合いを亡くして(またはもともと結婚していなくて?)いて一人で自分を死まで運んでいく人が一番幸福なんだという事らしいのです。交際範囲の狭い私は、週一で通うパソコン教室のお茶の時間に、話題を提供してみました。私より干支一回り、一回り半お若い方が、即、「でも寂しいんじゃない?」とおっしゃいました。さあどうでしょうか、一瞬沈黙の時があって、...子との同居・・どう思いますか3
昨日は,gooブログがメンテナンスとやらでアップ不能でした。失礼いたしました。一昨日は、朝日新聞声の欄の投書をお断りもなくまとめさせていただきました。今日は、私の経験などからテーマに沿ったことをを書いてみようと思います。●舅姑の場合夫の母は小学生の時亡くなった実母の後の継母でした。外地赴任が迫っている父と4人の子供のためと、結婚したようです。父の外地赴任中に、長男長女を結核で亡くしたり、苦しいことを切り抜けてきたようです。父を送り、交代で話し相手に山口まで帰省する私共に、「私は結婚に失敗した、私は軍人は嫌いだった」と愚痴っておりました。舅は93歳で亡くなりました。その時姑は88歳だったでしょうか服喪中の年末、私ども家族は海外旅行を計画していました。家族4人で話し合って、「おばあちゃんを一人でお正月を過ごさ...子との同居・・どう思いますか2
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病を得ている夫が、急にに病状が加わってきました。だらしないことですが、ブログを書く気力体力無くしています。当分お休みいたします。みなさま、梅雨に向かう不順な季節です。お大事になさってくださいませ。ブログしばらくお休みします。
築40年ほどの自宅をリフォームしたことはすでに書いたことがあります。その時書きましたように、間取りなどを変えたりするリフォームではなく、年月で、老化した家屋の部分部分の修理をしたのでした。それも、弱ってきている夫に気を使いつつ、作業場になる部屋部屋から、他の部屋に逃げておいてという方式でやりましたので、なかなか、疲れる作業でした。わが家にとっては大きな事件でしたから、メモにして、残しておきたいと思いました。築30年くらいから、家族で、頻繁に歩く場所の床が、歩くたびにぺこぺこ抜けたような感覚がするようになってきました。建ててくれた業者に相談すると、床に張った、合板の接着剤が老化して、合板が合板ではなくなっているとのことでした。10年ほど前に一部だけ修理したのでしたが・・・。床が抜け落ちる心配はないとのことで...リフォーム業者選び
今日から6月ですね。何とも速い時の流れです。地球のご機嫌も定まらぬようです。身体に気を付けて、元気に6月を過ごしましょう。昨年末、NORI先生のお手を煩わせつつ、仕上げたマイカレンダーです。写真は、雨の季節にひょっこり覗いた可愛い雨蛙ちゃんの写真です。いつもの伊藤信男さんの作品を使わせていただきました。カレンダーの背景は、錦絵が特集で新聞に掲載された時、スキャンしておいたものです。雨の季節にふさわしいかと思いましたが、こうして出来上がりを見ると、写真はもっと蛙ちゃんに近寄せてそこをアップにした方がよかったかしら?6月は、私が86歳になる月です。近頃、薬を飲めば、その副作用かと思える不具合が出るし、加えてお天気病というのでしょうか、気圧の変化に負けて、自律神経が暴れだし、調子を崩すことがしばしっばです。まあ...6月のマイカレンダーお見せいたします
子供、孫、には誕生日に心ばかりのお祝いを贈ることにしています。人生街道を歩いていると、当然のことですが、自分も、子ども孫たちも当然歳を重ねます。そうです。子ども孫から、お誕生日祝いの歴史が始まったわけではありません。結婚して離れた両親と舅姑にお祝をするところから始まりました。次が、子どもと、同年齢の甥姪に、小さなおもちゃを贈る段階。その小さなプレゼントがだんだん値段の張る玩具になり、果ては現金でもらえるかなあ、と相手が成長してくる。これも年月です。その孫たちが、みるみる成長し、頭上から声が降ってくるようになり、大学に進学し、「これやってくれる?」と婆は自分が物をを頼む側になってしまっていることにハタと気がつく日がやってくるのです。お祝は、大学生までだよ。と打ち切り宣言を順次することになります。ここで、問題...昨日は失敗の日
『政治家がいけないと多くの人は言うが、いけない人たちが勝手に政治家になれるシステムはどこにもない』片岡義男(作家)鷲田清一氏は解説で片岡氏の次の言葉を取り上げています。この国の政治は三流だ、とという言い草はひどく「呑気」だと作家は言う。政治が三流だとしたら人々の投票時の判断が三流だったから。政治家に仕切ってもらい安心していたくて、大事なことを彼らに預けたから」この段階までは、私も良~く理解できます。選挙のたびに、覚えている限りで、棄権したことは無いと思います。良~く選んで、良い政治をしてくれる人を選ばなくっちゃと、広報を読み、テレビのそれぞれの主張を聴き、考えます。だけどわからん!と投げ出すように、その選択から真剣さをのぞいてしまいます。実際広報の、あの紙面、あの主張ではその人が日本を、そして世界をどこに...政治の三流は人々の三流の判断から
年をとると身の丈が縮むとはだれにもある現象のようですね。私の場合は脊柱がつぶれてのだから、当然平均より多く縮んでいると思われます。数値できちんと測らなくても、届いていたものに手が届かなくなってしまって、不便この上なしです。それでなくても、親からもらった身長は平均以下です。それから縮んでしまっているのです。ご想像ください。子供二人も、現代っ子にしては小さい方です。でも兎に角、大した病も得ず育ってくれましたから、いいのですが・・・。このちびっこ二人が子どものころ、食べない子でした。いったい何で生きているのだろうと思うほど食べる量の少ない子でした。娘のMaが、一年生の時、家庭訪問にいらした先生が開口一番「食べませんねえ、何で生きているのかしら?」と嘆かれたことを今でも鮮やかに覚えています。その夕食時「先生、困っ...まま、ずるいよ。当然だよ。
親は、子どもに良かれと自分たちを犠牲にしても・・・と尽くす。だが、これが必ずしも正当なものとは限らない。多分に、自分たちの望みをかなえるために、子供を煽り立てて努力をさせるような傾向があるようです。今日の「折々のことば」榛野なな恵氏のコミック[papatoldme]巻24の中の言葉(らしい?)『当たり前だけれど悪気はないんだ。でも創造力もないんだ』。自分の親のことを言っているようです。優秀で、男らしく育ってほしいと望む親。女の子がくれたぬいぐるみを隠してしっまう親。次元が違う親を責めても仕方がないとあきらめても、「僕は僕」といのが自分の備えたい強さなんだと親に注げるのだった。私はもうすぐ6月には86歳になるフル狸ばさん、8人兄弟の下から2番目。時代は、終戦が、国民学校1年生の8月15日。それに続く貧しい時...親も時代に即して生きなければ。
先日、夕食を済ませて片付け物をしようと立ち上がった時でした。テレビで、昭和を思い出すいろいろなこと(題名は不確かです)を思い出としてたどる番組が始まりました。ちょうどわが子の時代と重なる時も入っており、懐かしさにそのままテレビの前に座り込んでしまいました。頭が弱ってきている夫も、その当時のことは思い出すようで、珍しく話に乗ってきました。私たちが子どものころは、漫画は品が悪くて、勉強にもならない、漫画を見るくらいなら勉強しなさい、が大方の親の考えだったように覚えています。が時代が進み、わが子の子供時代は漫画ではなく、アニメに移り変わっていたのでしょうか。時代の歌と言えば、その主題歌、ねだって買ってもらった玩具は、アニメのフィギアや、グロテスクな怪獣オンパレードのようでした。夫と私の会話「うちの子は、こうした...子育ての思い出1
昨日は木曜日で、パソコン教室の日でした。偶数週は自分の好きな教材で、自分のペースで進め、分からないところをNORI先生に質問して進めるカリキュラムです。Kさんは、電話連絡網のような図を入れたチラシに取り組んでいらっしゃった。そこから話題は広がって小学校時代の連絡の方法などに移りました。「もう今は連絡を次に伝えるなどという、作業は無くなりましたよね。全員一斉にラインが入る・・・」「スマホがなければ仲間に入れないという状態ですよね。それほどまでに進歩したという事ね」「今、あの人は、スマホ持って、いらっしゃらないから、不便よね。ということになるのよね」「昔、あの方は電話がないから・・・と落ちこぼれをすくう手段を考えなければいけなかったことが、今は、スマホがないから・・・にまで進歩したというのかどうか」「ああ、お...連絡網に話題は移って
ファッションデザイナーのコシノヒロコ・ジュンコ・ミチコの母親。彼女は「與ふるは受くるよりも幸いなり」という聖書の言葉を大事にし、これを娘たちへの遺言としたとのこと。徹子の部屋で娘たちが語ったと言います。確かに確かに。うなずけるけれども、日々、病の夫と暮らしているとこの心境で、優しく、機嫌良く、しているのは難しいと思うことが度々です。修行が足りません。一日長く生きて、世話をやり切ってから自分は逝かなくてはと思い定めるのだけれども。難しいことです。おせっちゃんの三兄は几帳面というか、律義な人というべきか、それはそれは堅物の几帳面な人でした。融通がきかないともいえる人でした。何かの折に、小篠綾子氏が大切にしたという言葉と同じことが話題になったことがありました。ああ、そうでした。思い出しました。いろはがるたの「な...『もらうよりあげるほうがよっぽどいいで』‥小篠綾子氏のことば
ず~っと「折々」にもたれかかってばかりです。今日もまた・・・です、お許しください。私は、全くその道に入ったことが無いのですが、伊東四朗氏の言葉と、その解説に使われた言葉に、妙に心を打たれましたので、メモ代わりに記します。『わたしは汗をかく熱演というのがどうも苦手なんですよ』伊東四朗「けろっとした顔でやって、終ったとたん、どっと汗をかく」というのがプロだと俳優は語る。「軽~く器用にこなすのは嫌だけれど、懸命に稽古してきましたっていうのが表に出ちゃうのも嫌」「汗が出るのは演技の最中に自分のこだわりが残っているからで、役に徹すれば汗もかかないと」と。プロはやっぱり違う、演技を考え考えた末に、それを実際に体全体で表し、観客に、なんだ、ただ普通に立っているだけではないかと思わせるところまで自然体で努められるように、...折々のことば・・・伊東四朗
不勉強で、名前だけは知っているけれど‥‥??と言ったところです。『人は建築することによって大工となり、琴を弾ずることによって琴弾となる』アリストテレスここは解説者の解説で哲学者に近づいてみよう。人は正しいことをする中で正しい人になり、節度あることをする中で節度ある人に、勇敢な行為をする中で勇敢な人になると古代ギリシアの哲学者は言う。「人となりというときの「なり」も、生まれもったものではなく、ある行為の形(なり)を繰り返しなぞる中で人がなりゆくもの。その習いを怠れば直ぐに崩れてしまう。自分が理想と思うものに近づくには、それに向かって一歩一歩努力を重ねることだろう。その努力の中で、自らの身体も、心も理想の形に形づけられ、それがその人の「人となり」にまで昇華するのでしょう。古代ギリシアの哲学者・アリストテレスの言葉
『俺たちはこれで12日間も旨いものを食っているんだ』ジョン・E/・スタインベック暁の道で綿摘みをする季節労働者のキャンプに出くわす。夫人が赤ん坊に乳を吸わせながら朝食の用意をしている。焼き立てのパンとベーコンと熱いコーヒー。誘った一人が冒頭の言葉をくちにした。今日の言葉は、12日間もの「も」に尽きると思います。これが「しか」だったら、この夜明けの美しさも、働く喜びも、充足した労働も、全く違うものになってしまうだろう。決して豊かな、楽な生活ではないだろう。満足だけの生活ではないだろう。でも、搾取されることのない労働、充足感があったのです。12日間も・・折々の言葉から
gooブログを書き始めて、20年は超えたでしょうか。途中、私の過ちか、どうかがはっきりしませんが、10年以上のものがきれいさっぱり消えてしまったのです。そこでもうやめよう!とも思ったのですが、数少ない読者の方からのお励ましに豚が木に登り、今日に至っています。gooブログでは、事務局の方のご努力で、投稿者に1年前の投稿文を知らせてくださるのです。自分が書いたものなのに、すっかり忘れていることもあり、、こんなことを考えていたのか、生意気にも書いていること!!などと思いながら読むのはまた楽しいことです。ありがとうございます。昨日のことだったと思います。いつもの私流の文で、「折々のことば」を種にして書いておりました。最相葉月さんの「言葉が可哀想で、恐れさえ覚える」が主文に取り上げられていました。人が発する言葉が、...子供との会話・・気をつけなくっちゃと思います
『人間はね、人に希望を与えるような生き方をせな、あかん!』4月19日の折々のことばには、バイマ―ヤンジンの義母のこの言葉が取り上げられていました。浅学でバイマ―ヤンジン氏を知らないけれど、チベット人で日本人と結婚し、大阪で暮らし始めた人のようです。「魚が欲しい人には、魚を与えるのではなく、それを獲る方法を教えよということわざを知り、教育の重要性を痛感し、アルバイトで得た給料を貯めて故郷に注ぎこみ、学校を作った人のようです。このことわざ、コマーシャルでも使われていて、耳になじんでいました。教育を短絡的でなく、長い目で見て、問題を根本から解決する方法を考えることの重要さを言っており、私の頭にもきちんとしまわれています。一体いつから諺として多くの人に知られたのだろう。私の子どものころには、聞いたこともなかったけ...魚を取る方法を教えよ・・幸せへの近道
『待ってくれるんじゃない。神さまだから。あったかい日に参りなさいよ』森崎和江の旧友夫が寝たきりになってから3年間、家族をを養いつつ、毎朝2時間かけて山にあるお役資産に参り、その足で海に向かった在日朝鮮人の女性。老いても月初めには息子の無事を祈って通う。そして真冬でも、直前には髪を洗う。挑戦で共に学んだ作家の友はこう声を掛けたのだ。決して豊かな生活ではなかったろう。国籍で差別を受けたこともあろう。その中で、きちんと姿勢を正し、神を信じ、身を正して生きた人なのだろう。ともが、その生き方を和らげる声を掛ける。掛けられた彼女は、その温かさに感謝しつつも、自分で決めた生き方を揺るがせなかったのではないか。御せっちゃんは、そう思う。待ってくれるんじゃない。
朝方までぐずぐずと降り続いていた雨も上がりました。降らせた気団が東の海上に抜けていき、今日は上天気だろうとは、天気予報のご託宣です。このところ気象病にいじめられているおせっちゃんは、今朝は痛みに苦しみましたが、少々は、我慢して動いた方が体は柔らかくなるっからとウオーキングは休まずに。確かに帰途はイテテテテでなく歩けました。自宅の門まで帰って郵便受けをのぞいたら、嬉しい便り(?)が。先日ひさしぶりに公園でカメラを持った写真家・伊藤信男さんに会いましたが、その時撮った春らしい写真を投げ込んでくださっていました。上の写真アオスジアゲハ。バックの黄色の花はニガナ(野草)。下の写真アオスジアゲハがクスノキの新芽に産卵している場面。郵便受けに🦋が
11日の「折々のことば」はこれ以上ないほどの易しい幼児の言葉でした。解説の文を読むと、「今日の料理」からの言葉らしい。投稿者の小さな息子は母親が豆腐を掌に載せて切ろうとすると、泣いて訴える。いくら説明しても泣き止まなかったのだ。仕方なく、豆腐をまな板に置いて切る。角は崩れたが、いとおしさは募った。あるある。大抵の子供が光った包丁で、豆腐を切る母屋の手元を見ながら、不安に泣きそうになった経験があるのではないかしら。かくいうおせっちゃんも泣きこそしなかったと思うけれど、不安で固くなり、母を見つめて固まっていた覚えがあります。ああこれでいいのだ、柔らかい豆腐を切るのには力はいらず、台所仕事に精通したおかあちゃんには何でもない仕事なんだ、と思い知ったのはいつのことだっただろうか。母からあまり料理を習ったことはない...おててが切れちゃうよ
おせっちゃんの何時ものことだけれど、今日の話題も、台所仕事の合間に耳に入った話です。世界平和につながるかと夢見るような気になったこともあるし、自分がいかに世の中の変化から取り残されてしまっているかをつくづく感じたことでした。中野(だったと思いますが、はっきり否定するほど自信はありません)で、盆踊りが盛んになっているんだとのこと。近所の人の娯楽にご近所が集まってしていたものを、コミュニティの結びつきを大きくして、地域を盛り上げようと立ち上がった人がいて、次第に盛んになっているのだとのこと。外国の方々が興味を示して、参加するようにもなっているんだと言います。コメンテーターが、「外国で盆踊りの輪が出来ていると聞いたことがあります」と言えば、「京都のお寺が、座禅の後盆踊りとしゃれているとの話もあります」とか、「キ...盆踊りが世界平和への扉を開くか
金曜日、ブログを書いていて思い出しました。私とらい太がまだ小学校の低学年の頃のことです。夕食が済むと、5兄が「さて始めるか」と言いだします。時には3兄、4兄までが身を乗り出します。わが家のゲームの開始です。遊び道具とてない時代です。ゲームというよりはお勉強でした。兄がその頃貴重品だった用紙を出します。勿論使ったものの裏を使うのです。「今日は、サンズイの漢字にしよう!」と決めて「ナガレルと言いながら流れる」とかきます。ハイ次、おせっちゃん」「ウミ・・海」と書きます。よし、次、らい太」「オヨグ・・泳ぐ」。延々と続くと言いたいけれど小学低学年には難しい。毎晩のことだから、本棚にある古くて厚さ10センチもある辞書で予習はしてみるものの、兄にはかなわない。すぐ行き詰ってしまう。知識の豊富な兄は難しい字もマスターして...夕食後の遊び
病を得ている夫が、急にに病状が加わってきました。だらしないことですが、ブログを書く気力体力無くしています。当分お休みいたします。みなさま、梅雨に向かう不順な季節です。お大事になさってくださいませ。ブログしばらくお休みします。
築40年ほどの自宅をリフォームしたことはすでに書いたことがあります。その時書きましたように、間取りなどを変えたりするリフォームではなく、年月で、老化した家屋の部分部分の修理をしたのでした。それも、弱ってきている夫に気を使いつつ、作業場になる部屋部屋から、他の部屋に逃げておいてという方式でやりましたので、なかなか、疲れる作業でした。わが家にとっては大きな事件でしたから、メモにして、残しておきたいと思いました。築30年くらいから、家族で、頻繁に歩く場所の床が、歩くたびにぺこぺこ抜けたような感覚がするようになってきました。建ててくれた業者に相談すると、床に張った、合板の接着剤が老化して、合板が合板ではなくなっているとのことでした。10年ほど前に一部だけ修理したのでしたが・・・。床が抜け落ちる心配はないとのことで...リフォーム業者選び
今日から6月ですね。何とも速い時の流れです。地球のご機嫌も定まらぬようです。身体に気を付けて、元気に6月を過ごしましょう。昨年末、NORI先生のお手を煩わせつつ、仕上げたマイカレンダーです。写真は、雨の季節にひょっこり覗いた可愛い雨蛙ちゃんの写真です。いつもの伊藤信男さんの作品を使わせていただきました。カレンダーの背景は、錦絵が特集で新聞に掲載された時、スキャンしておいたものです。雨の季節にふさわしいかと思いましたが、こうして出来上がりを見ると、写真はもっと蛙ちゃんに近寄せてそこをアップにした方がよかったかしら?6月は、私が86歳になる月です。近頃、薬を飲めば、その副作用かと思える不具合が出るし、加えてお天気病というのでしょうか、気圧の変化に負けて、自律神経が暴れだし、調子を崩すことがしばしっばです。まあ...6月のマイカレンダーお見せいたします
子供、孫、には誕生日に心ばかりのお祝いを贈ることにしています。人生街道を歩いていると、当然のことですが、自分も、子ども孫たちも当然歳を重ねます。そうです。子ども孫から、お誕生日祝いの歴史が始まったわけではありません。結婚して離れた両親と舅姑にお祝をするところから始まりました。次が、子どもと、同年齢の甥姪に、小さなおもちゃを贈る段階。その小さなプレゼントがだんだん値段の張る玩具になり、果ては現金でもらえるかなあ、と相手が成長してくる。これも年月です。その孫たちが、みるみる成長し、頭上から声が降ってくるようになり、大学に進学し、「これやってくれる?」と婆は自分が物をを頼む側になってしまっていることにハタと気がつく日がやってくるのです。お祝は、大学生までだよ。と打ち切り宣言を順次することになります。ここで、問題...昨日は失敗の日
『政治家がいけないと多くの人は言うが、いけない人たちが勝手に政治家になれるシステムはどこにもない』片岡義男(作家)鷲田清一氏は解説で片岡氏の次の言葉を取り上げています。この国の政治は三流だ、とという言い草はひどく「呑気」だと作家は言う。政治が三流だとしたら人々の投票時の判断が三流だったから。政治家に仕切ってもらい安心していたくて、大事なことを彼らに預けたから」この段階までは、私も良~く理解できます。選挙のたびに、覚えている限りで、棄権したことは無いと思います。良~く選んで、良い政治をしてくれる人を選ばなくっちゃと、広報を読み、テレビのそれぞれの主張を聴き、考えます。だけどわからん!と投げ出すように、その選択から真剣さをのぞいてしまいます。実際広報の、あの紙面、あの主張ではその人が日本を、そして世界をどこに...政治の三流は人々の三流の判断から
年をとると身の丈が縮むとはだれにもある現象のようですね。私の場合は脊柱がつぶれてのだから、当然平均より多く縮んでいると思われます。数値できちんと測らなくても、届いていたものに手が届かなくなってしまって、不便この上なしです。それでなくても、親からもらった身長は平均以下です。それから縮んでしまっているのです。ご想像ください。子供二人も、現代っ子にしては小さい方です。でも兎に角、大した病も得ず育ってくれましたから、いいのですが・・・。このちびっこ二人が子どものころ、食べない子でした。いったい何で生きているのだろうと思うほど食べる量の少ない子でした。娘のMaが、一年生の時、家庭訪問にいらした先生が開口一番「食べませんねえ、何で生きているのかしら?」と嘆かれたことを今でも鮮やかに覚えています。その夕食時「先生、困っ...まま、ずるいよ。当然だよ。
親は、子どもに良かれと自分たちを犠牲にしても・・・と尽くす。だが、これが必ずしも正当なものとは限らない。多分に、自分たちの望みをかなえるために、子供を煽り立てて努力をさせるような傾向があるようです。今日の「折々のことば」榛野なな恵氏のコミック[papatoldme]巻24の中の言葉(らしい?)『当たり前だけれど悪気はないんだ。でも創造力もないんだ』。自分の親のことを言っているようです。優秀で、男らしく育ってほしいと望む親。女の子がくれたぬいぐるみを隠してしっまう親。次元が違う親を責めても仕方がないとあきらめても、「僕は僕」といのが自分の備えたい強さなんだと親に注げるのだった。私はもうすぐ6月には86歳になるフル狸ばさん、8人兄弟の下から2番目。時代は、終戦が、国民学校1年生の8月15日。それに続く貧しい時...親も時代に即して生きなければ。
先日、夕食を済ませて片付け物をしようと立ち上がった時でした。テレビで、昭和を思い出すいろいろなこと(題名は不確かです)を思い出としてたどる番組が始まりました。ちょうどわが子の時代と重なる時も入っており、懐かしさにそのままテレビの前に座り込んでしまいました。頭が弱ってきている夫も、その当時のことは思い出すようで、珍しく話に乗ってきました。私たちが子どものころは、漫画は品が悪くて、勉強にもならない、漫画を見るくらいなら勉強しなさい、が大方の親の考えだったように覚えています。が時代が進み、わが子の子供時代は漫画ではなく、アニメに移り変わっていたのでしょうか。時代の歌と言えば、その主題歌、ねだって買ってもらった玩具は、アニメのフィギアや、グロテスクな怪獣オンパレードのようでした。夫と私の会話「うちの子は、こうした...子育ての思い出1
昨日は木曜日で、パソコン教室の日でした。偶数週は自分の好きな教材で、自分のペースで進め、分からないところをNORI先生に質問して進めるカリキュラムです。Kさんは、電話連絡網のような図を入れたチラシに取り組んでいらっしゃった。そこから話題は広がって小学校時代の連絡の方法などに移りました。「もう今は連絡を次に伝えるなどという、作業は無くなりましたよね。全員一斉にラインが入る・・・」「スマホがなければ仲間に入れないという状態ですよね。それほどまでに進歩したという事ね」「今、あの人は、スマホ持って、いらっしゃらないから、不便よね。ということになるのよね」「昔、あの方は電話がないから・・・と落ちこぼれをすくう手段を考えなければいけなかったことが、今は、スマホがないから・・・にまで進歩したというのかどうか」「ああ、お...連絡網に話題は移って
ファッションデザイナーのコシノヒロコ・ジュンコ・ミチコの母親。彼女は「與ふるは受くるよりも幸いなり」という聖書の言葉を大事にし、これを娘たちへの遺言としたとのこと。徹子の部屋で娘たちが語ったと言います。確かに確かに。うなずけるけれども、日々、病の夫と暮らしているとこの心境で、優しく、機嫌良く、しているのは難しいと思うことが度々です。修行が足りません。一日長く生きて、世話をやり切ってから自分は逝かなくてはと思い定めるのだけれども。難しいことです。おせっちゃんの三兄は几帳面というか、律義な人というべきか、それはそれは堅物の几帳面な人でした。融通がきかないともいえる人でした。何かの折に、小篠綾子氏が大切にしたという言葉と同じことが話題になったことがありました。ああ、そうでした。思い出しました。いろはがるたの「な...『もらうよりあげるほうがよっぽどいいで』‥小篠綾子氏のことば
ず~っと「折々」にもたれかかってばかりです。今日もまた・・・です、お許しください。私は、全くその道に入ったことが無いのですが、伊東四朗氏の言葉と、その解説に使われた言葉に、妙に心を打たれましたので、メモ代わりに記します。『わたしは汗をかく熱演というのがどうも苦手なんですよ』伊東四朗「けろっとした顔でやって、終ったとたん、どっと汗をかく」というのがプロだと俳優は語る。「軽~く器用にこなすのは嫌だけれど、懸命に稽古してきましたっていうのが表に出ちゃうのも嫌」「汗が出るのは演技の最中に自分のこだわりが残っているからで、役に徹すれば汗もかかないと」と。プロはやっぱり違う、演技を考え考えた末に、それを実際に体全体で表し、観客に、なんだ、ただ普通に立っているだけではないかと思わせるところまで自然体で努められるように、...折々のことば・・・伊東四朗
不勉強で、名前だけは知っているけれど‥‥??と言ったところです。『人は建築することによって大工となり、琴を弾ずることによって琴弾となる』アリストテレスここは解説者の解説で哲学者に近づいてみよう。人は正しいことをする中で正しい人になり、節度あることをする中で節度ある人に、勇敢な行為をする中で勇敢な人になると古代ギリシアの哲学者は言う。「人となりというときの「なり」も、生まれもったものではなく、ある行為の形(なり)を繰り返しなぞる中で人がなりゆくもの。その習いを怠れば直ぐに崩れてしまう。自分が理想と思うものに近づくには、それに向かって一歩一歩努力を重ねることだろう。その努力の中で、自らの身体も、心も理想の形に形づけられ、それがその人の「人となり」にまで昇華するのでしょう。古代ギリシアの哲学者・アリストテレスの言葉
『俺たちはこれで12日間も旨いものを食っているんだ』ジョン・E/・スタインベック暁の道で綿摘みをする季節労働者のキャンプに出くわす。夫人が赤ん坊に乳を吸わせながら朝食の用意をしている。焼き立てのパンとベーコンと熱いコーヒー。誘った一人が冒頭の言葉をくちにした。今日の言葉は、12日間もの「も」に尽きると思います。これが「しか」だったら、この夜明けの美しさも、働く喜びも、充足した労働も、全く違うものになってしまうだろう。決して豊かな、楽な生活ではないだろう。満足だけの生活ではないだろう。でも、搾取されることのない労働、充足感があったのです。12日間も・・折々の言葉から
gooブログを書き始めて、20年は超えたでしょうか。途中、私の過ちか、どうかがはっきりしませんが、10年以上のものがきれいさっぱり消えてしまったのです。そこでもうやめよう!とも思ったのですが、数少ない読者の方からのお励ましに豚が木に登り、今日に至っています。gooブログでは、事務局の方のご努力で、投稿者に1年前の投稿文を知らせてくださるのです。自分が書いたものなのに、すっかり忘れていることもあり、、こんなことを考えていたのか、生意気にも書いていること!!などと思いながら読むのはまた楽しいことです。ありがとうございます。昨日のことだったと思います。いつもの私流の文で、「折々のことば」を種にして書いておりました。最相葉月さんの「言葉が可哀想で、恐れさえ覚える」が主文に取り上げられていました。人が発する言葉が、...子供との会話・・気をつけなくっちゃと思います
『人間はね、人に希望を与えるような生き方をせな、あかん!』4月19日の折々のことばには、バイマ―ヤンジンの義母のこの言葉が取り上げられていました。浅学でバイマ―ヤンジン氏を知らないけれど、チベット人で日本人と結婚し、大阪で暮らし始めた人のようです。「魚が欲しい人には、魚を与えるのではなく、それを獲る方法を教えよということわざを知り、教育の重要性を痛感し、アルバイトで得た給料を貯めて故郷に注ぎこみ、学校を作った人のようです。このことわざ、コマーシャルでも使われていて、耳になじんでいました。教育を短絡的でなく、長い目で見て、問題を根本から解決する方法を考えることの重要さを言っており、私の頭にもきちんとしまわれています。一体いつから諺として多くの人に知られたのだろう。私の子どものころには、聞いたこともなかったけ...魚を取る方法を教えよ・・幸せへの近道
『待ってくれるんじゃない。神さまだから。あったかい日に参りなさいよ』森崎和江の旧友夫が寝たきりになってから3年間、家族をを養いつつ、毎朝2時間かけて山にあるお役資産に参り、その足で海に向かった在日朝鮮人の女性。老いても月初めには息子の無事を祈って通う。そして真冬でも、直前には髪を洗う。挑戦で共に学んだ作家の友はこう声を掛けたのだ。決して豊かな生活ではなかったろう。国籍で差別を受けたこともあろう。その中で、きちんと姿勢を正し、神を信じ、身を正して生きた人なのだろう。ともが、その生き方を和らげる声を掛ける。掛けられた彼女は、その温かさに感謝しつつも、自分で決めた生き方を揺るがせなかったのではないか。御せっちゃんは、そう思う。待ってくれるんじゃない。
朝方までぐずぐずと降り続いていた雨も上がりました。降らせた気団が東の海上に抜けていき、今日は上天気だろうとは、天気予報のご託宣です。このところ気象病にいじめられているおせっちゃんは、今朝は痛みに苦しみましたが、少々は、我慢して動いた方が体は柔らかくなるっからとウオーキングは休まずに。確かに帰途はイテテテテでなく歩けました。自宅の門まで帰って郵便受けをのぞいたら、嬉しい便り(?)が。先日ひさしぶりに公園でカメラを持った写真家・伊藤信男さんに会いましたが、その時撮った春らしい写真を投げ込んでくださっていました。上の写真アオスジアゲハ。バックの黄色の花はニガナ(野草)。下の写真アオスジアゲハがクスノキの新芽に産卵している場面。郵便受けに🦋が
11日の「折々のことば」はこれ以上ないほどの易しい幼児の言葉でした。解説の文を読むと、「今日の料理」からの言葉らしい。投稿者の小さな息子は母親が豆腐を掌に載せて切ろうとすると、泣いて訴える。いくら説明しても泣き止まなかったのだ。仕方なく、豆腐をまな板に置いて切る。角は崩れたが、いとおしさは募った。あるある。大抵の子供が光った包丁で、豆腐を切る母屋の手元を見ながら、不安に泣きそうになった経験があるのではないかしら。かくいうおせっちゃんも泣きこそしなかったと思うけれど、不安で固くなり、母を見つめて固まっていた覚えがあります。ああこれでいいのだ、柔らかい豆腐を切るのには力はいらず、台所仕事に精通したおかあちゃんには何でもない仕事なんだ、と思い知ったのはいつのことだっただろうか。母からあまり料理を習ったことはない...おててが切れちゃうよ
おせっちゃんの何時ものことだけれど、今日の話題も、台所仕事の合間に耳に入った話です。世界平和につながるかと夢見るような気になったこともあるし、自分がいかに世の中の変化から取り残されてしまっているかをつくづく感じたことでした。中野(だったと思いますが、はっきり否定するほど自信はありません)で、盆踊りが盛んになっているんだとのこと。近所の人の娯楽にご近所が集まってしていたものを、コミュニティの結びつきを大きくして、地域を盛り上げようと立ち上がった人がいて、次第に盛んになっているのだとのこと。外国の方々が興味を示して、参加するようにもなっているんだと言います。コメンテーターが、「外国で盆踊りの輪が出来ていると聞いたことがあります」と言えば、「京都のお寺が、座禅の後盆踊りとしゃれているとの話もあります」とか、「キ...盆踊りが世界平和への扉を開くか
金曜日、ブログを書いていて思い出しました。私とらい太がまだ小学校の低学年の頃のことです。夕食が済むと、5兄が「さて始めるか」と言いだします。時には3兄、4兄までが身を乗り出します。わが家のゲームの開始です。遊び道具とてない時代です。ゲームというよりはお勉強でした。兄がその頃貴重品だった用紙を出します。勿論使ったものの裏を使うのです。「今日は、サンズイの漢字にしよう!」と決めて「ナガレルと言いながら流れる」とかきます。ハイ次、おせっちゃん」「ウミ・・海」と書きます。よし、次、らい太」「オヨグ・・泳ぐ」。延々と続くと言いたいけれど小学低学年には難しい。毎晩のことだから、本棚にある古くて厚さ10センチもある辞書で予習はしてみるものの、兄にはかなわない。すぐ行き詰ってしまう。知識の豊富な兄は難しい字もマスターして...夕食後の遊び