病を得ている夫が、急にに病状が加わってきました。だらしないことですが、ブログを書く気力体力無くしています。当分お休みいたします。みなさま、梅雨に向かう不順な季節です。お大事になさってくださいませ。ブログしばらくお休みします。
今日、迷いながらこれを書いています。自分の行っていることは、偽善ではないか、自己満足ではないか、という思いに責められるのです。こんな絵ハガキが送られてきました。ユニセフからです。この子の可愛さ、濁りのない笑い、これに心慰められ、幸せになり、多くの人に見せたい気持ちが沸き起こり、絵葉書をスキャンしてしまいました。テレビのコマーシャルでご存じと思いますが、貧困に飢えて、幼くして命を失う後進国の子供たちをつなぐ「つなぐよ子に」。この子も多分そうした子供の一人なのでしょう。もう10年になるでしょうか、コマーシャルを見ても、なんだか思い切りが付かず、・・・多分偽善だとうつむく気持があったと思います・・・目をそらしていました。ある時、子供がじっと、大きな目でこちらを見ている写真が使われていました。その目は美しく澄み切...この子の笑顔。。。広がれ
命にも関わりかねない猛暑が続いています。もう夏は味わい尽くしたかと錯覚するけれど、梅雨が上がったばかり。いまから夏本番です。8月が来ます。終戦の、いえ、敗戦の8月がというべきでしょうか、が巡ってきます。気候の変調とともに、世界の雲行きが危ぶまれます。今朝天声人語、山下清の言葉を紹介していました。純な心から発した言葉に心打たれました。そのままブログ記事にして残しておくことにしました。山下清と花火・・今朝の天声人語から
いわゆる住宅地に住んでいます。夫が父親から相続した土地で、建物を新築しもう半世紀も住み続けたのです。住み始めた頃は一軒一軒の区画は大きく、子どもたちが虫を捕まえたりする草原もありました。それが相続が重なるたびに、小さな区画の戸建てや、アパートが目立つようになりました。人口の集中する東京では仕方がないことです。わが家も父の代には一軒だったところに、夫の兄の家と2軒になりましたから、人のことは言えません。建て詰まることより、近所づきあいが希薄になってしまうことが、寂しいことです。もう5年以上前になったでしょうか、我が家の道を挟んだお向かいが、郊外のマンションに居を移され、あとは独身マンションになりました。6部屋あるようです。「ようです」と言いますけれど、本当にお付き合い一つなく、どういう人かも全く知らないまま...ご近所様との問題
体調が整わず昼食後一寸横になるとそのまま寝入るようなことが続いていました。徹子の部屋を見たいと思いながら夢の国に旅立っていました。昨夜、わりに睡眠時間が取れたせいか、今日はしっかり見ることが出来ました。出演は武田鉄矢さんでした。不遇の時代に大抜擢で山田洋二監督に拾われて、「黄色いハンカチ」に出ることが決まり、監督に役者の在り方を教えられ、助演賞をいただき、・・・今の自分があると話していらっしゃいました。聞いている私、役者というものがほとんど分からないのですが、次に書く鉄矢さんの話は理解できました。鉄矢さんも、監督の教えがしっかり理解できたと言っていました。物語の中で、鉄矢さん扮する軽薄な若者が、蟹を食べ過ぎて下痢を起こす。北海道の大草原の中で、ティシュの箱を抱えて走る場面。鉄矢さんは初めての演技というので...寅さんの涙・・・ゲスト武田鉄矢
昨日のこと。メールを開けると「ETC利用照会サービス」からメールが入っていました。これ、どこから?何の用事?と疑問に思いました。本文を読んでみると前記のサービスに登録しているのに長い間ログインしてない人に出しているメールである。長い間ログインがないと登録を解約します。解約予定日は今日7月24日。とある。何だかわからないことだけれど、ユーザーIDが無効になるというのかしら。不安になる。下に読み進むと更新するにはとURLが載っている。兎に角開けてみるか。怪しければ止めればいいことと、進んでみる。氏名・パスワードなど、本人確認に生年月日なども。さして怪しくもない。次のページ。だんだん身近な書き込みに導かれる。住所、これもまあいいか。ところが住所のところまできてこれは怪しいと私の鼻が感じました。住所番号の次にアパ...もう少しで引っかかるところだった
先日、次兄の娘を訪ねて彼女のマンションに行きました。次兄の妻(兄嫁)が滞在していて、おしゃべり会によばれたのです。妹のらい太も呼ばれており、女子会が始まったのでした。K駅から車にしました。駅横のタクシー乗り場で並びましたが、列は長くなるばかり。駅横で、当然車は入って来ると思われるのに、また近くまで来ているのに乗り場には近づいても乗せないまま行ってしまうのです。約束の時間に間に合いそうになくなってきました。何故だろう、いらいらしてきました。幸いどうにかやってきましたが・・・乗ってから、運転手に車が乗り場を無視して通り過ぎるのねと非難がましく声を掛けたのです。「ああ今日は土曜日でしょう。乗り場より駅前のスーパーで客を降ろし、すぐ次の客を乗せるのです」「どうして土曜日はなの?」「近ごろの若い夫婦は共稼ぎでしょう...生活パターンの違い
今週はジョージア大使のSNSへの投稿から始まって公共の乗り物の席を譲る話になりました。今日、週末はついでに母の時代を書いてみようと思います。異常に暑かった今週、少し落ち着いた梅雨明け間近の今週、これで閉めようと思います。私は大学を卒業し3年間私立女子高に勤めました。その頃、女は結婚したら寿退社と言って務めはやめ専業主婦になるのが常識でした。今なら抵抗もしたかと思うのですが、親の言うがまま、社会の常識通り専業主婦になったのです。嫁ぎ先は遠く福島でした。それはさておき、夫となる人の実家はわが実家からは、山陽本線で二駅離れていました。母はご挨拶とか,式の打ち合わせとか、お中元・年末の挨拶とか、時に応じてそちらに出掛けてていたようです。二駅分の距離はJRの(当時は国鉄ですが)汽車を使いました。「おかあちゃん、汽車...母の時代…置いてけぼりと感じていたか
もともとあまり出掛けることはしないおせっちゃんです。渋谷新宿など出かけるのも何か用事があってのこと、その用事がすめば買い物をするわけでもなくすぐ帰途につく人です。それに加えてコロナ騒ぎ。続いて夫の病、自分の体調も良くはない、もうほとんど近所のスーパーと医者と、公園のウオーキングと、週一のパソコン教室、それだけが日常の婆さんになってしまいました。この週末に、暑さに恐れをなして遅れに遅れたお中元、カットできない数少ない方の贈り物をしに、日本橋まで出かけました。電車に乗るのも絶えていました。長野の友人に丸善裏のビルの中にある山口のアンテナショップ「おいでませ・山口館」から恒例の名物白銀(かまぼこ)と、近頃外郎に変わって人気のある「月で拾った卵」という洋風なお菓子を送り、娘の姑様に東京名物の菓子を送れば終わりです...まごまご婆さんと優しく教えてくれた若者
思い出すたびに、高校生だったでしょうか、男子若者の親切をありがたく思い出すのです。舅姑は戦後東京で男の子(夫とその兄)を育てるのは難しいと、山口県に引き上げ、そのまま90歳半ばまで生きて天寿を全うしました。年に1・2回上京してくるのを楽しみにしていました。最晩年には二人では道中が難しく、送り迎えしましたけれど。舅が少し認知症を患い頓珍漢なこともありましたが。最後の上京になった時のことです。東京駅まで送り、新幹線に乗せることになりました。東京は駅の中と言っても乗り換えにはかなりの道のりがあります。先ず、渋谷で山手線へ乗り換え。ここでの話です。ホームはいつものことながら人人人です。ああ山手線半周、座れなかったら優先席に行き、元気そうな人を見つけてお願いしようと心づもりしていました。ホームで列に並びました。その...席を譲る・・・こんな若者
戦後の俄か農家の労働が身体を鍛えたのか、3年間の務めの時期も、その後の結婚生活も母親業も、病一つなく皆勤賞で通過したのでした。本当に70台の大台に載るまでは元気が財産という生活でした。70の大台が大きな壁だったのでしょうか、脊柱の圧迫骨折を引き起こし、脊柱管狭窄、ヘルニアという痛みしびれに悩まされる身体になったのでした。5週間のほとんど寝たきりのような痛みと戦う日を過ごし、救急病院を追い出され、悲鳴を上げ、泣き泣き台所に立ち、敷きっぱなしの布団に倒れ込み、痛み止めの薬の時間を待ち望み、介護保険のお世話になり、よれよれフラフらの婆さんになったのでした。電車の席のありがたさを痛切に感じたのはこの時でした。布団に寝てばかりでは、本当に寝たきりになるよ。リハビリに歩くようにと言われます、せめて座ることも・・・と畳...昨日に付け加えて‥・おせっちゃんの場合
昨日ジョージア大使の類推された日本人の国民性を、確かにそれは当たっており、いい得ていると思いました。でも、そう簡単なことでもないとも思いました。息子が高校か、大学生かの頃の話です。我が家の茶の間で、同じようなことが話題になりました。今はもう50歳も半ばになった一人前の社会人ですから、もっと大人の対応ができているかとも思いますが、当時はこんな考えをしているのでした。確かに、お年寄りやご不自由な身体の方に席を譲るのは当然のことだと思うよ。でも・・・これがなかなあむずかしいことなんだよ。この方本当に席を欲しがっていらっしゃるかしら、まだお若そう。かえって失礼ではないかなあ。と躊躇することも多い。こんな場面に遭遇したこともあるよ。譲ったら、お礼を言うどころか、俺はまだ若いんだ、席なんかいらない、馬鹿にすんな、と声...日本人の国民性・・・息子Kの場合
7月14日の朝日新聞の夕刊1面に電車の優先席についての考察が載っていました。国民性が現れていること、一つの席を巡ることも様々な考えがあること、を面白く感じました。おせっちゃん自身の考えもいれながら、議論を纏めて置こうと思いました。ジョージア大使が、自分の優先席を利用する様子を投稿したら、その是非をめぐって大きな議論が生まれた。大使SNSに投稿。普通席がやや込混み、優先席は空いていた。座った写真を付けて発信した。。多くのファローを持つ大使にはいろいろな意見が返ってきた。「優先席には座るべきではない」という大使からは理解できない言葉もあった。大使の考え席が空いているなら、座るのを我慢する理由は一つもない。必要とする人が来たらゆずればいい。多くのジョージア人がこう答えるであろう。日本では、何故、「坐るべきではな...坐ってよいか。空けておくべきか。
土曜日朝は、日頃あまり見ない4チャンネルを見ることにしています。今朝は城島という確かアイドルグループの一員だった方だったとおもいますが、その方が司会者のようです。特にファンというわけでもなく、タイプでもないんですが、彼が訪問をして、日本の職人芸を紹介するコーナーのファンなのです。今朝は野球のバット制作の奥義を窮め、選手の希望をかなえつつ一分の違いもない作品を作る神業を紹介していました。野球をしたこともなく、バットを振った経験もない私にはその微妙な職人技が、どれだけ選手の成績に関与するのか分かりませんが、出来上がったものが見本としているバットに一分の狂いもなく仕上がっていく、その神業ともいえる技術にただ見とれたのでした。訪問した城島氏が幾度となくつぶやきます。これはもう、人間の頭と手ででできるものではありま...職人芸か、AIの力か。バットづくり
住んでいる所のゴミ収集は火・金が燃えるごみ、木が不燃物とペットボトルが1週間おき、土曜日が資源ごみの日と決まています。それぞれの日の8時半までに決まった街角に出すことになっています。カラス対策はネットで覆うことでうまくいっているようです。ネットの出し入れ、場所の掃除は当番制です、子供たちが小学校高学年から高校生のころまではお手伝いにやらせていました。子どもたちが出て行き、夫が定年になって家にいる間は、夫の仕事でした。今は年寄り二人暮らしで、それでなくてもやる気のない夫が病んで、結局私の受け持ちになってしまっています。私は仕事を切羽詰まってしまうまで放っておくことを好みません。ちゃんと余裕をもって準備が整っていないと落ち着かない人です。ゴミ出しの前日の夕方、明日はこれを出すと準備するのです。昨日は、木曜日で...生活パターンが崩れる、今日は何曜日なのか?
今日はパソコン教室は休みしました。同じ時間にコロナウイルスの6回目のワクチン接種が予約してあるのです。5回目までは、世田谷区からの案内にしたがって役所主導の会場でやってもらっていました。5回目をする時です。近所の開業医でもやってくれるよということを聞いたのでした。ちょうど夫が体調を崩し、私がすべてを決め、連れていき、面倒も見なければならなくなっていました。近所でやってもらえれば歩みが確かではない夫も楽だろうし、ワクチンの副作用が出た時などでも、すぐ相談できるとその内科医に申し入れてみたのです。ちょうど私の主治医で、親しくもありました。引き受けてくださいました。ただ、いつもは休診の時間を使うので、木曜日の午後だけだよ。キャンセルはきかないよ、とのことでした。というわけで、ワクチン優先になったのです。人間、一...コロナウイルス6回目接種
昨日、言葉は時代とともに変化する、という「天声人語」の文の一部を紹介しました。紹介しながら若者言葉を認めていかねばか、と思ったことでした。そして夕刊を開くとこんな記事がありました。へ~ぇ、正式文書でみとめられたの!?とビックリするやら、危ぶむやら、面白がるやら。ここまで来た文字・言葉の自由化、果たしてまともな伝達手段なのだろうかと思ったのです。新聞記事の要約を書いてみます。カナダ中部サスカチワン州の裁判所の文書。カナダの業者が農家に対して携帯電話で作物の納入をもとめる契約書の写真とともに「確認してください」のメッセージを送信した。それに対して農家はあの親指を立てる絵文字で返信した。業者は契約への同意と理解した。期限になっても作物が納入されないので損害賠償を求めて訴えた。農家は絵文字はただ契約書を受け取った...[いいね]の絵文字、契約の同意に使われる…カナダの話
どう贔屓目に見ても「年寄り」に違いないおせっちゃんは若者の新しい言葉づかいになじめないことが多い。一頃、形容詞はこれしかないのか!?とテレビの前で毒づいたこともあった「すごい」という言葉。いつの間にか、気に障らないほどに姿を消したようだ。それに代わって今、「むちゃくちゃ」が勢力を伸ばしているようだ。これを使わないと現代を生きていけないと思うのか、、年配者も、言葉が命と思われる、アナウンサーまでがこれを堂々と使っている。例えば絵画作品を前にした時、「むちゃくちゃいいね」などという。芸術作品とあまりにちぐはぐな表現とばあさんは戸惑う。以前は、日本語が乱れている!!などと居丈だかに批判していたけれど、最近は婆さん、だんだん怒っていても仕方がない、これも時代の流れと自分に言い聞かすようになっている。6月11日、天...無茶苦茶とボロクソ言葉は時代とともにというけれど
何と融通の利かない、そんな生き方、と自らを笑うことがある。このブログにも、幾度か書いたけれど新しいことにひょいと踏み出すことが気安くできない性分である。本を選ぶのに新しい作家に手が出にくい、テレビ番組も、一週間単位の自分の番組表から外に出にくい。隠れファンだと自任している「さだまさし」が出演者に上げられている、そのことに惹かれて初めての番組に飛び込んでみた。日曜午後10時6チャンネル「初耳学」という番組です。(確か?)これが気に入った。席を埋めているタレントたちもひかえめ、司会は「今でしょ」の林先生、番組はいくつかのコーナーに分かれているけれど、まず始めがさだまさしへのインタビューだった。これが私には幸いだった。次の週も、そのまた次も待ってみるようになった。少し世界が広がったか。昨夜はゲストは「吉川晃司」...朱くなるな・猿になるな・・・父の教え・吉川晃司
きょうも「折々のことば」。流石に言葉でお仕事をしていらっしゃるかただなあと心にとめました。ただ私がメール、ラインなどを使用しながら心配することと、桑原さんの気になさることとは違ったことでした。桑原さんは、メールでのつぶやきには言葉足らずで他人を傷つけてしまわないかと心配して確められるのだと。鋭すぎるものが・・他人を傷つけるような・・仕上がった縫い物に針が残るような心無いことにならないかと、確めるのだと私はそういうことは思いもしませんでした。ただ、短い、スピードを要求される言葉のやり取りに、それで表現しようとする心が上手く言い表されるのかと、便利さに乗っかりながらやや不安を感じていたのでした。わたしがNORI先生のパソコン教室に通い始めたのはもう4半世紀も前のことです。兄弟姉妹から「あんただけパソコンをやら...言葉の針・・・桑原亮子
沖縄地方を除く日本の大多数の地方がまだ梅雨明けには間がありますが今日は新暦では七夕祭りの日です。朝のニュースでは天気予報官が、平塚の七夕飾りを背景に天気を伝えていました。ふるさと山口の笹飾り・提灯祭りを紹介します。私は学生時代を山口市で過ごしましたので、青春の思い出もあり、大好きな祭りです。日本には各地工夫を凝らした七夕行事がありますが、私は身びいき、山口の七夕が一番と思っています。3~4メートルはある青竹を枝付き、葉付きで切り出して、それに小さな赤い丸上賃を下げる飾りなのです。提灯の中は、電球などではなく本物のローソクが燃えています。街中の大通りは大通りらしく華やかに、細いさびしい小道は小道なりに哀愁をたたえてひっそりと。最寄りの住人が支度するのです。うまく竹を立てないとローソクの火は提灯に燃え移ってし...山口市のちょうちん祭り‥・七夕祭り
余裕のなさそのままのようですが、今日の「折々のことば」です。面白い人生の生き方ですね。日々の暮らしは困難続き、これがなければ幸せなのにと思うことも度々のおせっちゃんです。でも言われて見ると何でも思い通りに行く道は面白くないのかもしれませんね。困難を乗り越え乗り越えしていくのが最上の喜びなのかもですね。その究極が、自分の身体に向き合うこと。難しいけれど、上手く病を克服した時などは一番の幸せを感じるのかもしれない。苦しみあってこそのよろこび。苦しみと戦う面白さ。これはゴルフのバンカー、池ポチャだと思う自分の強さに対しての自負。確かに、何にもないただ整備された芝生では決して歩きつづけられないだろう。苦しみこそが楽しみの源泉と考え、進んでいくことにしよう。前方を見て歩き続ける者が虹を見るという。楽しきかな。歩けな...苦しさこそが面白い・・上岡龍太郎
7月に入ったところで、まだまだ本格的な夏ではないと思うけれど、現実の気候は真夏に匹敵する気温を投げつけてきます。おまけに梅雨末期の雨と思う、ばあさんの記憶を超え、線状降水帯という暴徒が隊列を組んで押し寄せます。熊本を中心にした大雨で、ご被害が出た地方の方々、お見舞い申し上げます。”熱中症”という言葉、これでもかこれでもかというほど、登場してきます。まさにありふれた言葉になっています。でも、どんな病なのかと言われると、きちんと答えられるでしょうか。6月27日の朝日新聞に、分かりやすくまとめた記事がありました。今日の記事にしてみます。(おせっちゃんの勝手なまとめです)●簡単に言えば、身体に熱がこもることでめまいや頭痛吐き気を起こすもの。重くなると、痙攣や意識障害も起き、脳の機能障害などの後遺症も起こし、亡くな...知っているようで知らないかも…熱中症の一から
どちらもよほど興が湧かないとメールもラインもしない親子です。一昨日、そのラインの入った報せのポコンポコンがなりました。おや??「山口にヤバイのきているよ」「ワクワクしちゃう」「連なって御一行様お出ましのようね。ひどいことにならないといいけれど」「まあ、なんとかなるっしょ」「ゴリちゃんが応援してるよ」ゴリちゃんというのは、子どもたちがまだ家にいる頃、可愛がっていたゴリラのぬいぐるみ。我が家のペット代わりの可愛い子です。これだけで、もうぽつんと切れました。Maは。雷にも、地震にも、台風が近づいても少しもびくつきません。「ワクワクする」「楽しみ楽しみ」。今夫子どもたちがそれぞれ勤務地の出て行って独り暮らしでもびくつきません。無事、災害にもならずすむと、「がっかりだあ」とケロリという人なのです。近しい人は、「肝っ...山口は大雨・・・娘Maの肝っ玉
何がどうなったのか良く分からないまま、ブログ掲載ができるようになりました。NORI先生に感謝です。そしてそれでなくても数少ない読んでくださる方が、全員消えてしまわれたかと覆っていましたが、、そうでもなく、目を通してくださる方がありがたいです。半月も断りなく休んで、申し訳ないと思ったり、読者を失ったと心配したり、しましたが、そんな日々の中で、ふ~っと気持ちが軽くなった半月でもありました。「ああ、今日は書かなくていいんだ」。「無理矢理テーマを探さなくてのんびりできる」と気持ちが軽くなる時が正直あったのです。消えてしまった最初のブログに、続いて始めた”おせっちゃん2”とで、かれこれ4半世紀にもなったでしょうか。アラビアンナイトではありませんが、良く続いたものです。教室で学んで、「おせっちゃんの今日」を始めた頃、...重荷になったブログ書き
お知らせができないまま長らくご無沙汰してしまいました。もしかしてご心配下さった方がありましたらお詫び申し上げます。生きています。パソコンがダウンしてしまっていました。アウトルックでメールの送受信ができなくなり、ブログの記事が発送できなくなったのです。時を同じくして、ソネットからのパスワードを入れろの指示が頻繁に入りました。ここで自分の能力・実力を自覚してパソコン教室のNORI先生に相談すればよかったのです。ところがいろいろ自分でやたらに触ってしまったのです。この指示されたパスワードというのは、私が思ったものではなく、もう二十数年になりますか、初めてパソコンを持った時に、ブロバイダーというのですかしら、私の場合はso-netですがそこから送られてきたパスワードがあるはずだというのです。そんなこと言われても、...ご無沙汰してしまいました・・マイカレンダー
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病を得ている夫が、急にに病状が加わってきました。だらしないことですが、ブログを書く気力体力無くしています。当分お休みいたします。みなさま、梅雨に向かう不順な季節です。お大事になさってくださいませ。ブログしばらくお休みします。
築40年ほどの自宅をリフォームしたことはすでに書いたことがあります。その時書きましたように、間取りなどを変えたりするリフォームではなく、年月で、老化した家屋の部分部分の修理をしたのでした。それも、弱ってきている夫に気を使いつつ、作業場になる部屋部屋から、他の部屋に逃げておいてという方式でやりましたので、なかなか、疲れる作業でした。わが家にとっては大きな事件でしたから、メモにして、残しておきたいと思いました。築30年くらいから、家族で、頻繁に歩く場所の床が、歩くたびにぺこぺこ抜けたような感覚がするようになってきました。建ててくれた業者に相談すると、床に張った、合板の接着剤が老化して、合板が合板ではなくなっているとのことでした。10年ほど前に一部だけ修理したのでしたが・・・。床が抜け落ちる心配はないとのことで...リフォーム業者選び
今日から6月ですね。何とも速い時の流れです。地球のご機嫌も定まらぬようです。身体に気を付けて、元気に6月を過ごしましょう。昨年末、NORI先生のお手を煩わせつつ、仕上げたマイカレンダーです。写真は、雨の季節にひょっこり覗いた可愛い雨蛙ちゃんの写真です。いつもの伊藤信男さんの作品を使わせていただきました。カレンダーの背景は、錦絵が特集で新聞に掲載された時、スキャンしておいたものです。雨の季節にふさわしいかと思いましたが、こうして出来上がりを見ると、写真はもっと蛙ちゃんに近寄せてそこをアップにした方がよかったかしら?6月は、私が86歳になる月です。近頃、薬を飲めば、その副作用かと思える不具合が出るし、加えてお天気病というのでしょうか、気圧の変化に負けて、自律神経が暴れだし、調子を崩すことがしばしっばです。まあ...6月のマイカレンダーお見せいたします
子供、孫、には誕生日に心ばかりのお祝いを贈ることにしています。人生街道を歩いていると、当然のことですが、自分も、子ども孫たちも当然歳を重ねます。そうです。子ども孫から、お誕生日祝いの歴史が始まったわけではありません。結婚して離れた両親と舅姑にお祝をするところから始まりました。次が、子どもと、同年齢の甥姪に、小さなおもちゃを贈る段階。その小さなプレゼントがだんだん値段の張る玩具になり、果ては現金でもらえるかなあ、と相手が成長してくる。これも年月です。その孫たちが、みるみる成長し、頭上から声が降ってくるようになり、大学に進学し、「これやってくれる?」と婆は自分が物をを頼む側になってしまっていることにハタと気がつく日がやってくるのです。お祝は、大学生までだよ。と打ち切り宣言を順次することになります。ここで、問題...昨日は失敗の日
『政治家がいけないと多くの人は言うが、いけない人たちが勝手に政治家になれるシステムはどこにもない』片岡義男(作家)鷲田清一氏は解説で片岡氏の次の言葉を取り上げています。この国の政治は三流だ、とという言い草はひどく「呑気」だと作家は言う。政治が三流だとしたら人々の投票時の判断が三流だったから。政治家に仕切ってもらい安心していたくて、大事なことを彼らに預けたから」この段階までは、私も良~く理解できます。選挙のたびに、覚えている限りで、棄権したことは無いと思います。良~く選んで、良い政治をしてくれる人を選ばなくっちゃと、広報を読み、テレビのそれぞれの主張を聴き、考えます。だけどわからん!と投げ出すように、その選択から真剣さをのぞいてしまいます。実際広報の、あの紙面、あの主張ではその人が日本を、そして世界をどこに...政治の三流は人々の三流の判断から
年をとると身の丈が縮むとはだれにもある現象のようですね。私の場合は脊柱がつぶれてのだから、当然平均より多く縮んでいると思われます。数値できちんと測らなくても、届いていたものに手が届かなくなってしまって、不便この上なしです。それでなくても、親からもらった身長は平均以下です。それから縮んでしまっているのです。ご想像ください。子供二人も、現代っ子にしては小さい方です。でも兎に角、大した病も得ず育ってくれましたから、いいのですが・・・。このちびっこ二人が子どものころ、食べない子でした。いったい何で生きているのだろうと思うほど食べる量の少ない子でした。娘のMaが、一年生の時、家庭訪問にいらした先生が開口一番「食べませんねえ、何で生きているのかしら?」と嘆かれたことを今でも鮮やかに覚えています。その夕食時「先生、困っ...まま、ずるいよ。当然だよ。
親は、子どもに良かれと自分たちを犠牲にしても・・・と尽くす。だが、これが必ずしも正当なものとは限らない。多分に、自分たちの望みをかなえるために、子供を煽り立てて努力をさせるような傾向があるようです。今日の「折々のことば」榛野なな恵氏のコミック[papatoldme]巻24の中の言葉(らしい?)『当たり前だけれど悪気はないんだ。でも創造力もないんだ』。自分の親のことを言っているようです。優秀で、男らしく育ってほしいと望む親。女の子がくれたぬいぐるみを隠してしっまう親。次元が違う親を責めても仕方がないとあきらめても、「僕は僕」といのが自分の備えたい強さなんだと親に注げるのだった。私はもうすぐ6月には86歳になるフル狸ばさん、8人兄弟の下から2番目。時代は、終戦が、国民学校1年生の8月15日。それに続く貧しい時...親も時代に即して生きなければ。
先日、夕食を済ませて片付け物をしようと立ち上がった時でした。テレビで、昭和を思い出すいろいろなこと(題名は不確かです)を思い出としてたどる番組が始まりました。ちょうどわが子の時代と重なる時も入っており、懐かしさにそのままテレビの前に座り込んでしまいました。頭が弱ってきている夫も、その当時のことは思い出すようで、珍しく話に乗ってきました。私たちが子どものころは、漫画は品が悪くて、勉強にもならない、漫画を見るくらいなら勉強しなさい、が大方の親の考えだったように覚えています。が時代が進み、わが子の子供時代は漫画ではなく、アニメに移り変わっていたのでしょうか。時代の歌と言えば、その主題歌、ねだって買ってもらった玩具は、アニメのフィギアや、グロテスクな怪獣オンパレードのようでした。夫と私の会話「うちの子は、こうした...子育ての思い出1
昨日は木曜日で、パソコン教室の日でした。偶数週は自分の好きな教材で、自分のペースで進め、分からないところをNORI先生に質問して進めるカリキュラムです。Kさんは、電話連絡網のような図を入れたチラシに取り組んでいらっしゃった。そこから話題は広がって小学校時代の連絡の方法などに移りました。「もう今は連絡を次に伝えるなどという、作業は無くなりましたよね。全員一斉にラインが入る・・・」「スマホがなければ仲間に入れないという状態ですよね。それほどまでに進歩したという事ね」「今、あの人は、スマホ持って、いらっしゃらないから、不便よね。ということになるのよね」「昔、あの方は電話がないから・・・と落ちこぼれをすくう手段を考えなければいけなかったことが、今は、スマホがないから・・・にまで進歩したというのかどうか」「ああ、お...連絡網に話題は移って
ファッションデザイナーのコシノヒロコ・ジュンコ・ミチコの母親。彼女は「與ふるは受くるよりも幸いなり」という聖書の言葉を大事にし、これを娘たちへの遺言としたとのこと。徹子の部屋で娘たちが語ったと言います。確かに確かに。うなずけるけれども、日々、病の夫と暮らしているとこの心境で、優しく、機嫌良く、しているのは難しいと思うことが度々です。修行が足りません。一日長く生きて、世話をやり切ってから自分は逝かなくてはと思い定めるのだけれども。難しいことです。おせっちゃんの三兄は几帳面というか、律義な人というべきか、それはそれは堅物の几帳面な人でした。融通がきかないともいえる人でした。何かの折に、小篠綾子氏が大切にしたという言葉と同じことが話題になったことがありました。ああ、そうでした。思い出しました。いろはがるたの「な...『もらうよりあげるほうがよっぽどいいで』‥小篠綾子氏のことば
ず~っと「折々」にもたれかかってばかりです。今日もまた・・・です、お許しください。私は、全くその道に入ったことが無いのですが、伊東四朗氏の言葉と、その解説に使われた言葉に、妙に心を打たれましたので、メモ代わりに記します。『わたしは汗をかく熱演というのがどうも苦手なんですよ』伊東四朗「けろっとした顔でやって、終ったとたん、どっと汗をかく」というのがプロだと俳優は語る。「軽~く器用にこなすのは嫌だけれど、懸命に稽古してきましたっていうのが表に出ちゃうのも嫌」「汗が出るのは演技の最中に自分のこだわりが残っているからで、役に徹すれば汗もかかないと」と。プロはやっぱり違う、演技を考え考えた末に、それを実際に体全体で表し、観客に、なんだ、ただ普通に立っているだけではないかと思わせるところまで自然体で努められるように、...折々のことば・・・伊東四朗
不勉強で、名前だけは知っているけれど‥‥??と言ったところです。『人は建築することによって大工となり、琴を弾ずることによって琴弾となる』アリストテレスここは解説者の解説で哲学者に近づいてみよう。人は正しいことをする中で正しい人になり、節度あることをする中で節度ある人に、勇敢な行為をする中で勇敢な人になると古代ギリシアの哲学者は言う。「人となりというときの「なり」も、生まれもったものではなく、ある行為の形(なり)を繰り返しなぞる中で人がなりゆくもの。その習いを怠れば直ぐに崩れてしまう。自分が理想と思うものに近づくには、それに向かって一歩一歩努力を重ねることだろう。その努力の中で、自らの身体も、心も理想の形に形づけられ、それがその人の「人となり」にまで昇華するのでしょう。古代ギリシアの哲学者・アリストテレスの言葉
『俺たちはこれで12日間も旨いものを食っているんだ』ジョン・E/・スタインベック暁の道で綿摘みをする季節労働者のキャンプに出くわす。夫人が赤ん坊に乳を吸わせながら朝食の用意をしている。焼き立てのパンとベーコンと熱いコーヒー。誘った一人が冒頭の言葉をくちにした。今日の言葉は、12日間もの「も」に尽きると思います。これが「しか」だったら、この夜明けの美しさも、働く喜びも、充足した労働も、全く違うものになってしまうだろう。決して豊かな、楽な生活ではないだろう。満足だけの生活ではないだろう。でも、搾取されることのない労働、充足感があったのです。12日間も・・折々の言葉から
gooブログを書き始めて、20年は超えたでしょうか。途中、私の過ちか、どうかがはっきりしませんが、10年以上のものがきれいさっぱり消えてしまったのです。そこでもうやめよう!とも思ったのですが、数少ない読者の方からのお励ましに豚が木に登り、今日に至っています。gooブログでは、事務局の方のご努力で、投稿者に1年前の投稿文を知らせてくださるのです。自分が書いたものなのに、すっかり忘れていることもあり、、こんなことを考えていたのか、生意気にも書いていること!!などと思いながら読むのはまた楽しいことです。ありがとうございます。昨日のことだったと思います。いつもの私流の文で、「折々のことば」を種にして書いておりました。最相葉月さんの「言葉が可哀想で、恐れさえ覚える」が主文に取り上げられていました。人が発する言葉が、...子供との会話・・気をつけなくっちゃと思います
『人間はね、人に希望を与えるような生き方をせな、あかん!』4月19日の折々のことばには、バイマ―ヤンジンの義母のこの言葉が取り上げられていました。浅学でバイマ―ヤンジン氏を知らないけれど、チベット人で日本人と結婚し、大阪で暮らし始めた人のようです。「魚が欲しい人には、魚を与えるのではなく、それを獲る方法を教えよということわざを知り、教育の重要性を痛感し、アルバイトで得た給料を貯めて故郷に注ぎこみ、学校を作った人のようです。このことわざ、コマーシャルでも使われていて、耳になじんでいました。教育を短絡的でなく、長い目で見て、問題を根本から解決する方法を考えることの重要さを言っており、私の頭にもきちんとしまわれています。一体いつから諺として多くの人に知られたのだろう。私の子どものころには、聞いたこともなかったけ...魚を取る方法を教えよ・・幸せへの近道
『待ってくれるんじゃない。神さまだから。あったかい日に参りなさいよ』森崎和江の旧友夫が寝たきりになってから3年間、家族をを養いつつ、毎朝2時間かけて山にあるお役資産に参り、その足で海に向かった在日朝鮮人の女性。老いても月初めには息子の無事を祈って通う。そして真冬でも、直前には髪を洗う。挑戦で共に学んだ作家の友はこう声を掛けたのだ。決して豊かな生活ではなかったろう。国籍で差別を受けたこともあろう。その中で、きちんと姿勢を正し、神を信じ、身を正して生きた人なのだろう。ともが、その生き方を和らげる声を掛ける。掛けられた彼女は、その温かさに感謝しつつも、自分で決めた生き方を揺るがせなかったのではないか。御せっちゃんは、そう思う。待ってくれるんじゃない。
朝方までぐずぐずと降り続いていた雨も上がりました。降らせた気団が東の海上に抜けていき、今日は上天気だろうとは、天気予報のご託宣です。このところ気象病にいじめられているおせっちゃんは、今朝は痛みに苦しみましたが、少々は、我慢して動いた方が体は柔らかくなるっからとウオーキングは休まずに。確かに帰途はイテテテテでなく歩けました。自宅の門まで帰って郵便受けをのぞいたら、嬉しい便り(?)が。先日ひさしぶりに公園でカメラを持った写真家・伊藤信男さんに会いましたが、その時撮った春らしい写真を投げ込んでくださっていました。上の写真アオスジアゲハ。バックの黄色の花はニガナ(野草)。下の写真アオスジアゲハがクスノキの新芽に産卵している場面。郵便受けに🦋が
11日の「折々のことば」はこれ以上ないほどの易しい幼児の言葉でした。解説の文を読むと、「今日の料理」からの言葉らしい。投稿者の小さな息子は母親が豆腐を掌に載せて切ろうとすると、泣いて訴える。いくら説明しても泣き止まなかったのだ。仕方なく、豆腐をまな板に置いて切る。角は崩れたが、いとおしさは募った。あるある。大抵の子供が光った包丁で、豆腐を切る母屋の手元を見ながら、不安に泣きそうになった経験があるのではないかしら。かくいうおせっちゃんも泣きこそしなかったと思うけれど、不安で固くなり、母を見つめて固まっていた覚えがあります。ああこれでいいのだ、柔らかい豆腐を切るのには力はいらず、台所仕事に精通したおかあちゃんには何でもない仕事なんだ、と思い知ったのはいつのことだっただろうか。母からあまり料理を習ったことはない...おててが切れちゃうよ
おせっちゃんの何時ものことだけれど、今日の話題も、台所仕事の合間に耳に入った話です。世界平和につながるかと夢見るような気になったこともあるし、自分がいかに世の中の変化から取り残されてしまっているかをつくづく感じたことでした。中野(だったと思いますが、はっきり否定するほど自信はありません)で、盆踊りが盛んになっているんだとのこと。近所の人の娯楽にご近所が集まってしていたものを、コミュニティの結びつきを大きくして、地域を盛り上げようと立ち上がった人がいて、次第に盛んになっているのだとのこと。外国の方々が興味を示して、参加するようにもなっているんだと言います。コメンテーターが、「外国で盆踊りの輪が出来ていると聞いたことがあります」と言えば、「京都のお寺が、座禅の後盆踊りとしゃれているとの話もあります」とか、「キ...盆踊りが世界平和への扉を開くか
金曜日、ブログを書いていて思い出しました。私とらい太がまだ小学校の低学年の頃のことです。夕食が済むと、5兄が「さて始めるか」と言いだします。時には3兄、4兄までが身を乗り出します。わが家のゲームの開始です。遊び道具とてない時代です。ゲームというよりはお勉強でした。兄がその頃貴重品だった用紙を出します。勿論使ったものの裏を使うのです。「今日は、サンズイの漢字にしよう!」と決めて「ナガレルと言いながら流れる」とかきます。ハイ次、おせっちゃん」「ウミ・・海」と書きます。よし、次、らい太」「オヨグ・・泳ぐ」。延々と続くと言いたいけれど小学低学年には難しい。毎晩のことだから、本棚にある古くて厚さ10センチもある辞書で予習はしてみるものの、兄にはかなわない。すぐ行き詰ってしまう。知識の豊富な兄は難しい字もマスターして...夕食後の遊び
病を得ている夫が、急にに病状が加わってきました。だらしないことですが、ブログを書く気力体力無くしています。当分お休みいたします。みなさま、梅雨に向かう不順な季節です。お大事になさってくださいませ。ブログしばらくお休みします。
築40年ほどの自宅をリフォームしたことはすでに書いたことがあります。その時書きましたように、間取りなどを変えたりするリフォームではなく、年月で、老化した家屋の部分部分の修理をしたのでした。それも、弱ってきている夫に気を使いつつ、作業場になる部屋部屋から、他の部屋に逃げておいてという方式でやりましたので、なかなか、疲れる作業でした。わが家にとっては大きな事件でしたから、メモにして、残しておきたいと思いました。築30年くらいから、家族で、頻繁に歩く場所の床が、歩くたびにぺこぺこ抜けたような感覚がするようになってきました。建ててくれた業者に相談すると、床に張った、合板の接着剤が老化して、合板が合板ではなくなっているとのことでした。10年ほど前に一部だけ修理したのでしたが・・・。床が抜け落ちる心配はないとのことで...リフォーム業者選び
今日から6月ですね。何とも速い時の流れです。地球のご機嫌も定まらぬようです。身体に気を付けて、元気に6月を過ごしましょう。昨年末、NORI先生のお手を煩わせつつ、仕上げたマイカレンダーです。写真は、雨の季節にひょっこり覗いた可愛い雨蛙ちゃんの写真です。いつもの伊藤信男さんの作品を使わせていただきました。カレンダーの背景は、錦絵が特集で新聞に掲載された時、スキャンしておいたものです。雨の季節にふさわしいかと思いましたが、こうして出来上がりを見ると、写真はもっと蛙ちゃんに近寄せてそこをアップにした方がよかったかしら?6月は、私が86歳になる月です。近頃、薬を飲めば、その副作用かと思える不具合が出るし、加えてお天気病というのでしょうか、気圧の変化に負けて、自律神経が暴れだし、調子を崩すことがしばしっばです。まあ...6月のマイカレンダーお見せいたします
子供、孫、には誕生日に心ばかりのお祝いを贈ることにしています。人生街道を歩いていると、当然のことですが、自分も、子ども孫たちも当然歳を重ねます。そうです。子ども孫から、お誕生日祝いの歴史が始まったわけではありません。結婚して離れた両親と舅姑にお祝をするところから始まりました。次が、子どもと、同年齢の甥姪に、小さなおもちゃを贈る段階。その小さなプレゼントがだんだん値段の張る玩具になり、果ては現金でもらえるかなあ、と相手が成長してくる。これも年月です。その孫たちが、みるみる成長し、頭上から声が降ってくるようになり、大学に進学し、「これやってくれる?」と婆は自分が物をを頼む側になってしまっていることにハタと気がつく日がやってくるのです。お祝は、大学生までだよ。と打ち切り宣言を順次することになります。ここで、問題...昨日は失敗の日
『政治家がいけないと多くの人は言うが、いけない人たちが勝手に政治家になれるシステムはどこにもない』片岡義男(作家)鷲田清一氏は解説で片岡氏の次の言葉を取り上げています。この国の政治は三流だ、とという言い草はひどく「呑気」だと作家は言う。政治が三流だとしたら人々の投票時の判断が三流だったから。政治家に仕切ってもらい安心していたくて、大事なことを彼らに預けたから」この段階までは、私も良~く理解できます。選挙のたびに、覚えている限りで、棄権したことは無いと思います。良~く選んで、良い政治をしてくれる人を選ばなくっちゃと、広報を読み、テレビのそれぞれの主張を聴き、考えます。だけどわからん!と投げ出すように、その選択から真剣さをのぞいてしまいます。実際広報の、あの紙面、あの主張ではその人が日本を、そして世界をどこに...政治の三流は人々の三流の判断から
年をとると身の丈が縮むとはだれにもある現象のようですね。私の場合は脊柱がつぶれてのだから、当然平均より多く縮んでいると思われます。数値できちんと測らなくても、届いていたものに手が届かなくなってしまって、不便この上なしです。それでなくても、親からもらった身長は平均以下です。それから縮んでしまっているのです。ご想像ください。子供二人も、現代っ子にしては小さい方です。でも兎に角、大した病も得ず育ってくれましたから、いいのですが・・・。このちびっこ二人が子どものころ、食べない子でした。いったい何で生きているのだろうと思うほど食べる量の少ない子でした。娘のMaが、一年生の時、家庭訪問にいらした先生が開口一番「食べませんねえ、何で生きているのかしら?」と嘆かれたことを今でも鮮やかに覚えています。その夕食時「先生、困っ...まま、ずるいよ。当然だよ。
親は、子どもに良かれと自分たちを犠牲にしても・・・と尽くす。だが、これが必ずしも正当なものとは限らない。多分に、自分たちの望みをかなえるために、子供を煽り立てて努力をさせるような傾向があるようです。今日の「折々のことば」榛野なな恵氏のコミック[papatoldme]巻24の中の言葉(らしい?)『当たり前だけれど悪気はないんだ。でも創造力もないんだ』。自分の親のことを言っているようです。優秀で、男らしく育ってほしいと望む親。女の子がくれたぬいぐるみを隠してしっまう親。次元が違う親を責めても仕方がないとあきらめても、「僕は僕」といのが自分の備えたい強さなんだと親に注げるのだった。私はもうすぐ6月には86歳になるフル狸ばさん、8人兄弟の下から2番目。時代は、終戦が、国民学校1年生の8月15日。それに続く貧しい時...親も時代に即して生きなければ。
先日、夕食を済ませて片付け物をしようと立ち上がった時でした。テレビで、昭和を思い出すいろいろなこと(題名は不確かです)を思い出としてたどる番組が始まりました。ちょうどわが子の時代と重なる時も入っており、懐かしさにそのままテレビの前に座り込んでしまいました。頭が弱ってきている夫も、その当時のことは思い出すようで、珍しく話に乗ってきました。私たちが子どものころは、漫画は品が悪くて、勉強にもならない、漫画を見るくらいなら勉強しなさい、が大方の親の考えだったように覚えています。が時代が進み、わが子の子供時代は漫画ではなく、アニメに移り変わっていたのでしょうか。時代の歌と言えば、その主題歌、ねだって買ってもらった玩具は、アニメのフィギアや、グロテスクな怪獣オンパレードのようでした。夫と私の会話「うちの子は、こうした...子育ての思い出1
昨日は木曜日で、パソコン教室の日でした。偶数週は自分の好きな教材で、自分のペースで進め、分からないところをNORI先生に質問して進めるカリキュラムです。Kさんは、電話連絡網のような図を入れたチラシに取り組んでいらっしゃった。そこから話題は広がって小学校時代の連絡の方法などに移りました。「もう今は連絡を次に伝えるなどという、作業は無くなりましたよね。全員一斉にラインが入る・・・」「スマホがなければ仲間に入れないという状態ですよね。それほどまでに進歩したという事ね」「今、あの人は、スマホ持って、いらっしゃらないから、不便よね。ということになるのよね」「昔、あの方は電話がないから・・・と落ちこぼれをすくう手段を考えなければいけなかったことが、今は、スマホがないから・・・にまで進歩したというのかどうか」「ああ、お...連絡網に話題は移って
ファッションデザイナーのコシノヒロコ・ジュンコ・ミチコの母親。彼女は「與ふるは受くるよりも幸いなり」という聖書の言葉を大事にし、これを娘たちへの遺言としたとのこと。徹子の部屋で娘たちが語ったと言います。確かに確かに。うなずけるけれども、日々、病の夫と暮らしているとこの心境で、優しく、機嫌良く、しているのは難しいと思うことが度々です。修行が足りません。一日長く生きて、世話をやり切ってから自分は逝かなくてはと思い定めるのだけれども。難しいことです。おせっちゃんの三兄は几帳面というか、律義な人というべきか、それはそれは堅物の几帳面な人でした。融通がきかないともいえる人でした。何かの折に、小篠綾子氏が大切にしたという言葉と同じことが話題になったことがありました。ああ、そうでした。思い出しました。いろはがるたの「な...『もらうよりあげるほうがよっぽどいいで』‥小篠綾子氏のことば
ず~っと「折々」にもたれかかってばかりです。今日もまた・・・です、お許しください。私は、全くその道に入ったことが無いのですが、伊東四朗氏の言葉と、その解説に使われた言葉に、妙に心を打たれましたので、メモ代わりに記します。『わたしは汗をかく熱演というのがどうも苦手なんですよ』伊東四朗「けろっとした顔でやって、終ったとたん、どっと汗をかく」というのがプロだと俳優は語る。「軽~く器用にこなすのは嫌だけれど、懸命に稽古してきましたっていうのが表に出ちゃうのも嫌」「汗が出るのは演技の最中に自分のこだわりが残っているからで、役に徹すれば汗もかかないと」と。プロはやっぱり違う、演技を考え考えた末に、それを実際に体全体で表し、観客に、なんだ、ただ普通に立っているだけではないかと思わせるところまで自然体で努められるように、...折々のことば・・・伊東四朗
不勉強で、名前だけは知っているけれど‥‥??と言ったところです。『人は建築することによって大工となり、琴を弾ずることによって琴弾となる』アリストテレスここは解説者の解説で哲学者に近づいてみよう。人は正しいことをする中で正しい人になり、節度あることをする中で節度ある人に、勇敢な行為をする中で勇敢な人になると古代ギリシアの哲学者は言う。「人となりというときの「なり」も、生まれもったものではなく、ある行為の形(なり)を繰り返しなぞる中で人がなりゆくもの。その習いを怠れば直ぐに崩れてしまう。自分が理想と思うものに近づくには、それに向かって一歩一歩努力を重ねることだろう。その努力の中で、自らの身体も、心も理想の形に形づけられ、それがその人の「人となり」にまで昇華するのでしょう。古代ギリシアの哲学者・アリストテレスの言葉
『俺たちはこれで12日間も旨いものを食っているんだ』ジョン・E/・スタインベック暁の道で綿摘みをする季節労働者のキャンプに出くわす。夫人が赤ん坊に乳を吸わせながら朝食の用意をしている。焼き立てのパンとベーコンと熱いコーヒー。誘った一人が冒頭の言葉をくちにした。今日の言葉は、12日間もの「も」に尽きると思います。これが「しか」だったら、この夜明けの美しさも、働く喜びも、充足した労働も、全く違うものになってしまうだろう。決して豊かな、楽な生活ではないだろう。満足だけの生活ではないだろう。でも、搾取されることのない労働、充足感があったのです。12日間も・・折々の言葉から
gooブログを書き始めて、20年は超えたでしょうか。途中、私の過ちか、どうかがはっきりしませんが、10年以上のものがきれいさっぱり消えてしまったのです。そこでもうやめよう!とも思ったのですが、数少ない読者の方からのお励ましに豚が木に登り、今日に至っています。gooブログでは、事務局の方のご努力で、投稿者に1年前の投稿文を知らせてくださるのです。自分が書いたものなのに、すっかり忘れていることもあり、、こんなことを考えていたのか、生意気にも書いていること!!などと思いながら読むのはまた楽しいことです。ありがとうございます。昨日のことだったと思います。いつもの私流の文で、「折々のことば」を種にして書いておりました。最相葉月さんの「言葉が可哀想で、恐れさえ覚える」が主文に取り上げられていました。人が発する言葉が、...子供との会話・・気をつけなくっちゃと思います
『人間はね、人に希望を与えるような生き方をせな、あかん!』4月19日の折々のことばには、バイマ―ヤンジンの義母のこの言葉が取り上げられていました。浅学でバイマ―ヤンジン氏を知らないけれど、チベット人で日本人と結婚し、大阪で暮らし始めた人のようです。「魚が欲しい人には、魚を与えるのではなく、それを獲る方法を教えよということわざを知り、教育の重要性を痛感し、アルバイトで得た給料を貯めて故郷に注ぎこみ、学校を作った人のようです。このことわざ、コマーシャルでも使われていて、耳になじんでいました。教育を短絡的でなく、長い目で見て、問題を根本から解決する方法を考えることの重要さを言っており、私の頭にもきちんとしまわれています。一体いつから諺として多くの人に知られたのだろう。私の子どものころには、聞いたこともなかったけ...魚を取る方法を教えよ・・幸せへの近道
『待ってくれるんじゃない。神さまだから。あったかい日に参りなさいよ』森崎和江の旧友夫が寝たきりになってから3年間、家族をを養いつつ、毎朝2時間かけて山にあるお役資産に参り、その足で海に向かった在日朝鮮人の女性。老いても月初めには息子の無事を祈って通う。そして真冬でも、直前には髪を洗う。挑戦で共に学んだ作家の友はこう声を掛けたのだ。決して豊かな生活ではなかったろう。国籍で差別を受けたこともあろう。その中で、きちんと姿勢を正し、神を信じ、身を正して生きた人なのだろう。ともが、その生き方を和らげる声を掛ける。掛けられた彼女は、その温かさに感謝しつつも、自分で決めた生き方を揺るがせなかったのではないか。御せっちゃんは、そう思う。待ってくれるんじゃない。
朝方までぐずぐずと降り続いていた雨も上がりました。降らせた気団が東の海上に抜けていき、今日は上天気だろうとは、天気予報のご託宣です。このところ気象病にいじめられているおせっちゃんは、今朝は痛みに苦しみましたが、少々は、我慢して動いた方が体は柔らかくなるっからとウオーキングは休まずに。確かに帰途はイテテテテでなく歩けました。自宅の門まで帰って郵便受けをのぞいたら、嬉しい便り(?)が。先日ひさしぶりに公園でカメラを持った写真家・伊藤信男さんに会いましたが、その時撮った春らしい写真を投げ込んでくださっていました。上の写真アオスジアゲハ。バックの黄色の花はニガナ(野草)。下の写真アオスジアゲハがクスノキの新芽に産卵している場面。郵便受けに🦋が
11日の「折々のことば」はこれ以上ないほどの易しい幼児の言葉でした。解説の文を読むと、「今日の料理」からの言葉らしい。投稿者の小さな息子は母親が豆腐を掌に載せて切ろうとすると、泣いて訴える。いくら説明しても泣き止まなかったのだ。仕方なく、豆腐をまな板に置いて切る。角は崩れたが、いとおしさは募った。あるある。大抵の子供が光った包丁で、豆腐を切る母屋の手元を見ながら、不安に泣きそうになった経験があるのではないかしら。かくいうおせっちゃんも泣きこそしなかったと思うけれど、不安で固くなり、母を見つめて固まっていた覚えがあります。ああこれでいいのだ、柔らかい豆腐を切るのには力はいらず、台所仕事に精通したおかあちゃんには何でもない仕事なんだ、と思い知ったのはいつのことだっただろうか。母からあまり料理を習ったことはない...おててが切れちゃうよ
おせっちゃんの何時ものことだけれど、今日の話題も、台所仕事の合間に耳に入った話です。世界平和につながるかと夢見るような気になったこともあるし、自分がいかに世の中の変化から取り残されてしまっているかをつくづく感じたことでした。中野(だったと思いますが、はっきり否定するほど自信はありません)で、盆踊りが盛んになっているんだとのこと。近所の人の娯楽にご近所が集まってしていたものを、コミュニティの結びつきを大きくして、地域を盛り上げようと立ち上がった人がいて、次第に盛んになっているのだとのこと。外国の方々が興味を示して、参加するようにもなっているんだと言います。コメンテーターが、「外国で盆踊りの輪が出来ていると聞いたことがあります」と言えば、「京都のお寺が、座禅の後盆踊りとしゃれているとの話もあります」とか、「キ...盆踊りが世界平和への扉を開くか
金曜日、ブログを書いていて思い出しました。私とらい太がまだ小学校の低学年の頃のことです。夕食が済むと、5兄が「さて始めるか」と言いだします。時には3兄、4兄までが身を乗り出します。わが家のゲームの開始です。遊び道具とてない時代です。ゲームというよりはお勉強でした。兄がその頃貴重品だった用紙を出します。勿論使ったものの裏を使うのです。「今日は、サンズイの漢字にしよう!」と決めて「ナガレルと言いながら流れる」とかきます。ハイ次、おせっちゃん」「ウミ・・海」と書きます。よし、次、らい太」「オヨグ・・泳ぐ」。延々と続くと言いたいけれど小学低学年には難しい。毎晩のことだから、本棚にある古くて厚さ10センチもある辞書で予習はしてみるものの、兄にはかなわない。すぐ行き詰ってしまう。知識の豊富な兄は難しい字もマスターして...夕食後の遊び