本法寺境内。本法寺と言えばもうひとつの見所は巴の庭。本法寺が秀吉によってこの地に移転してきたときに本阿弥光悦が作庭しました。光悦はまえにも紹介した通り多くの芸術分野で活躍した人で、ここ本法寺にも光悦がのこした書や、茶碗、能面などがあります。光悦作庭の巴の庭。巴はこんなマーク。勾玉のような形を三つ組み合わせたマークです。水が渦を巻いていると解釈されて、火除けなどの意味があるそうです。この巴の庭は上か...
長谷川等伯の「佛涅槃図」。国指定重要文化財。本法寺で年一回3月14日から4月15日まで拝観できます。縦約10メートル、横約6メートルの巨大な涅槃図。涅槃図とはお釈迦様がお亡くなりになった場面を描いたものです。釈迦の死を悲しむ人々、そして動物たちが描かれています。涅槃図には様々なものがありますが(最近私が見たものでいうと禅定寺の「大涅槃図」など)、長谷川等伯の「佛涅槃図」にはやはり彼独特のものがあります。等...
前回の続き。妙蓮寺。南無妙法蓮華経の妙と蓮をとって妙蓮寺。日蓮宗のお寺です。この辺りの地域には日蓮宗のお寺が複数あります。桜と日像上人開基は日像上人。もとは西洞院五条というところにあったそうですが、豊臣秀吉の聚楽第造営の頃にここに移されたそうです。寺町通りや、この辺りの寺院群など洛中の寺社地はこの秀吉による京都統治のときに形成されたもので、この頃の京都は聚楽第を中心とする城下町の様相を呈していまし...
2月27日土曜日。今日は妙蓮寺本法寺に行きます。長くなるので3回にわけて書く予定です。さて、妙蓮寺、本法寺は上京区、西陣にあるお寺。下賀茂から徒歩でゆきます。見づらいですがかんたんな地図です。今回の記事ではここ賀茂川から堀川通りまでに焦点を当てますが、この約1キロちょいの道のりを歩くだけでもかなり歴史のあるスポットに出会えます。出雲橋から賀茂川の景色。鞍馬口とは、豊臣秀吉が、洛中を御土居で囲んだときの...
寿宝寺から普賢寺へ行きます。大御堂観音寺は天武天皇の勅願により、義淵僧正が開基し、聖武天皇の勅願で良弁僧正が伽藍を整備したお寺。当時の境内はかなり広かったそうです。本尊は天平期に製作された十一面観音像。国宝に指定されています。 引用元:京田辺道中記 大御堂観音寺 三山木駅からバスも出ていますが私は徒歩で行きます。駅から2,5キロほど。三山木駅前。同志社大学京田辺キャンパス前。今日は卒業式だったらしく...
3月22日月曜日南山城のお寺へ行ってきました。今回は寿宝寺について。引用元:京田辺道中記 寿宝寺寿宝寺は文武天皇のころに創建されました。古くは「山本の大寺」と呼ばれ、栄華を誇ったそうです。当初の境内は現在地より東に300メートルほどのところにあったようですが、木津川の氾濫などにより、現在地に移りました。国の重要文化財、十一面千手千眼観音像を保存しています。こちらは実際に千の手を持つ珍しい仏像。大阪の藤井...
今回は狸谷山不動院から瓜生山へ登ります。瓜生山は標高301メートルの比較的登り易い山。室町時代には、北白川城、別名、勝軍山城が築かれていました。築城したのは細川高国。高国は室町幕府の管領、いわゆる、将軍に継ぐNO.2のポジションにいた人です。一時は将軍をもしのぐ権力を有していました。ところが高国の敵は多かった。長年権力争いをしてきた細川澄元の息子、晴元、のちに京都を支配することになる三好家のトップ、三好...
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