若年性アルツハイマーの50代の父の介護と自閉症の息子(幼稚園生)のダブルケアをしています。日常生活で気づいたことなどを綴ります。
今日でブログの記事を書き始めて一か月経ちました。 以前からにブログをやりたいなと思っていて、今年の2月からイラストの練習を始めました。 ブログを一か月は頑張って続けようと、2月から記事をストックし何とか毎日更新することが出来ました。 そのストックも尽きてきてしまったので、今後は基本的に土日祝日はお休みし、平日に更新していこうと思います。 本日からゴールデンウィーク明けまではお休みする予定です。 またゴールデンウィーク明けにブログをご覧いただけたら嬉しいです。 今後もよろしくお願いいたします。 ↓ポチっと応援お願いいたします。 にほんブログ村
息子は妊娠中も出産時も特に問題なく、無事に生まれてきてくれた。 妊娠中は毎日のように、「ちゃんと動いているかな、無事に産めますように」と思っていたので、 無事に息子が生まれてきてくれた時は、嬉しくて涙が出た。 この時はまさか息子に障がいがあるとは全く思っていなかった。 (次回に続く) 大事なことなのでしつこく何度も書きます。 もしお子さんの発達を心配をして私のブログにたどり着いて下さった方がいたら、 私の息子の発達過程を読んで 「この子と違うから自分の子は大丈夫」 と安心して頂くために、息子の成長過程を描いているわけではありません。 私が一番伝えたいのは、もしお子さんに自閉症などの発達障害が今…
父が軽度認知障害と診断されて以降、 父の病気が進行していくのが目に見えて分かるようになった。 父は食事をした記憶がすっぽり抜けてしまっていて、 一日に何度もご飯や冷蔵庫にあるものを食べてしまうことがあった。 父の病気も心配だったけど、同時に、私は息子の発達の遅れが気になっていた。 (次回、息子の0歳の頃の様子に続く)↓ポチっと応援して頂けたら嬉しいです。にほんブログ村
私が描いている四コマ漫画が、明日から息子の障がいが判明した頃にさしかかる。 父が患っている「若年性アルツハイマー」という病と、 「自閉症」の息子について、 そして育児と介護の「ダブルケア」についてこのブログで描いていく予定だが、 息子の障がいについて書くのには、 どう表現していくかを考えなければならないなと感じた。 お子さんの自閉症について心配したご家族が、私の四コマ漫画を見て、 私の息子と自閉症の症状が違うからといって安心してそこで 障がいに気づく機会を奪ってしまうことにならないように表現していかなければと思う。 早期療育がいかに大切かを身をもって知っているから、 私の四コマ漫画でその機会を…
若年性アルツハイマーの父と 病気の進行を遅らせようとやってきたこと
父の患っている若年性アルツハイマーという病気は完治できる病気ではないので、いかに今の生活レベルを保てるかが重要だと感じています。 私たち家族は、完治できない病気と聞いて、そこで諦めるのではなく、抗って、抗って、抗ってきました。 私たちは、どうやったら病気に抗えるか、どうしたら生活レベルを保てるのか、お医者様の意見を参考に色々なことを実践してきました。 今日はその中でも、やって良かったなと思えたものを紹介します。 新聞コラムの写し書き 若年性アルツハイマーの父は、2年前まで何とか文字を書くことができ、今もゆっくりなら何とか読める文字もあります。 現段階で文字が読めるのは、父と実践した「新聞のコラ…
MCI(軽度認知障害)と診断されてから取り組んできたこと 母手記
母手記 「そうそう、ここが違うね」 「早いね」 二人でよく脳トレの間違い探しをやっていました。 車で出かける時は、しりとりをしたり、二人でよく歌いました。 薬をきちんと毎日飲み、あまり負担にならないようにと思いつつ、 大好きな花や鳥の塗り絵や新聞のコラムをノートに写したりしていました。 「アレ?、アレ?」が増えてきても、この頃の私はMRIでとどまっている人もたくさんいるという本やネットの情報を信じていました。 絶対大丈夫。 進行なんかさせないと本気でした。 「アレ?」は全く偶然に知ることもありました。 自分のバックをよく置き忘れたりして、みんなで探すことも結構ありました。 見えることは目立つの…
母は休みの日はできるだけ父と散歩に出かけた。 適度な運動、食事にも気を配り、きちんと薬を飲ませることも忘れないようにしていた。 父は新聞のコラムの記事を毎朝写し書きし、日課にしていた。 その日あった出来事を一言書いていた。 また母の勧めで大人の塗り絵も始めた。 病院の先生からの 「できるだけご本人の好きなことをさせてください。」 というアドバイスのもと、塗り絵は父の好きな花や鳥の絵を選んだ。 今できることをとにかくやる。 絶対に病気を進行させないという母の思いはとても強いものであった。 父も、新聞のコラムの写し書きは、文字が書けなくなる限界まで毎日続けていた。 文字が書けなくなったあとも、新聞…
母は父が「MCI(軽度認知障害)」と診断されてとても驚いていた。 母は毎日のようにインターネットや本でMCIについて調べた。 MCIのまま長年とどまっている人もいると知り、 「絶対進行させない」 と、脳トレドリルに加え父のためにできることやれることを取り組んだ。 病気に抗おうと必死だった。 病院の先生から 「ご本人の好きなことがいいですよ」 とアドバイスを受けたため、一緒に散歩に出かけたり、休みの日は二人でバス旅行に行ったり父の好きな場所へ沢山出かけた。 (次回に続く)↓ポチっとお願いします にほんブログ村
私たち家族は、担当の先生と相談し父には「MCI(軽度認知障害)」を患っていることを言わないことにした。 今でもその決断が正しかったのか、間違っているのか分からない。 父も自分の異変に気付き一度だけ「俺は馬鹿になった」と言った。 その時は 「お父さんはお父さんだよ。」 「毎日家族みんなで穏やかに過ごしていこう。」 「楽しいことを沢山して一緒に過ごしていこう。」 と母が言った。 それ以来父とは一切病気の話をしたことがない。 これで良かったのか。 話していたら何か変わったのか、何が違ったのかは分からない。 きっと父に話した方が良かったのにという方もいるかもしれない。 この頃は、病気について私も母も誰…
笑って過ごして下さいの意味 母手記 主人がMCI(軽度認知障害)と診断されて
「笑って過ごしてください」の意味 母手記 MCI(軽度認知障害)と主人が診断を受け、進行していく姿に病院の先生に 「何をやったらいいですか?どうやって過ごしたらいいですか?」 と聞いた時の先生の答えでした。 私は何か具体的にこれをやるとよい、こうするといいよ的なアドバイスが欲しかったのだと思います。 その時は、正直 「困っているのに笑えないし、笑えないから困っているのに」 となんだか気の抜けたようながっかりしたようなそんな気分でした。 しばらくしてその答えがぱっと見える時が来ました。 ケアマネさんや病院のスタッフの方、専門家の方に同じ病気を持つご家族の方を紹介して頂き、お話を伺う機会を頂きまし…
「笑って過ごしましょう」の意味 医師からのアドバイス MCI(軽度認知障害)と診断された時
父がMCI(軽度認知障害)と診断され、心配した母が先生に 「これからどう過ごしたらいいのか」 と尋ねた時、先生は 「笑って過ごしましょう」 「好きなことを沢山して下さい」 というアドバイスを下さいました。 当時は「どうして当たり前のことを言うんだろう」と疑問を持ちましたが、今なら分かります。 仮に私がどなたかからアルツハイマーの初期の段階でどうしたらいいか相談されたとしたら、先生と同じように答えます。 笑って過ごしましょうの意味 若年性アルツハイマーの父は、以前に比べて表情が乏しくなってきました。 以前は楽しく笑い合っていたことでも、同じ出来事のはずなのに、今は笑い合うことができない事もありま…
父が軽度認知障害と診断されて、 「進行させないためにはどうしたらいいか。」 と母が先生に聞いたところ 「毎日笑って過ごしてください。」 「好きなことを沢山してください。」 との回答だった。 当時、母は 「具体的に何をしたらいいか聞きたかったんだけどなぁ。」 と思ったそうだ。 私も 「先生はどうして当たり前のことを言ったんだろう。」 と疑問を持っていたが、 「毎日笑うこと」「好きなことをすること」は全然当たり前のことではないと今なら分かる。 先生がなぜそのようなアドバイスをして下さったのか、 母と私、それぞれ考えて今になって分かったことがあるので明日と明後日は私と母の各々の手記を載せようと思う。…
父の物忘れの症状が出始めて二年が過ぎた頃、ついに父の病名が判明した。 「MCI(軽度認知障害)」だった。 私は、「やっぱり」という気持ちと「若年性アルツハイマーにはなっていないんだ」と少し安堵した気持ちが入り混じりとても複雑だった。 母は、ずっとストレスからくる物忘れだと信じていたため、とても驚いた様子だった。 その時はその病名を受け入れるので精いっぱいで、何を考えていたのかよく思い出せない。 ただ、とにかく「何とかしたい」「進行を遅らせたい」と焦っていたのはとてもよく覚えている。 進行を遅らせるのに自分に何ができるのか、何をしたらいいのかとにかく情報が欲しかった。 (次回へ続く)↓ポチっとし…
MCI(軽度認知障害)と診断された頃① ~父が若年性アルツハイマーになった第三章~
父の物忘れは進行する一方だった。しかし、母は諦めず「必ず良くなる」と信じていた。このような感じの脳トレ系のドリルを購入し、毎日のように続けていた。 (function(b,c,f,g,a,d,e){b.MoshimoAffiliateObject=a;b[a]=b[a] function(){arguments.currentScript=c.currentScript c.scripts[c.scripts.length-2];(b[a].q=b[a].q []).push(arguments)};c.getElementById(a) (d=c.createElement(f),d…
この頃父は、物忘れがある以外は日常生活に支障はなかった。この頃は息子の育児の方がはるかに大変だった。息子が夜泣きで何時間も泣き止まない日が多々あり、父が私の代わりに息子を抱っこしてくれた。日中も育児を手伝ってくれた。三人で毎日のように公園や動物園、市外の観光地など様々な場所へ出掛けた。私は父が若年性アルツハイマーかもしれないと疑念を抱いていたが、心のどこかで「父なら大丈夫だ」と信じていた。まさか父が介護が必要なり、介護と育児を同時にしなければならない「ダブルケア」を自分がすることになるとは想像すらしていなかった。 (父が若年性アルツハイマーになった 第二章 ダブルケアの始まり 完) (次回 第…
父は6年前から若年性アルツハイマーを患っています。 だけど、「なんで自分が」と言いません。 どんどん出来ないことが日に日に増えていく病気です。 様々なことを忘れてしまいます。 本人も支える家族も大変辛い病気です。 辛い中、私や母が何とかここまで父を支えてこれたのは父の強さもあったのかなと思います。 「何でお父さんが」 私は父が若年性アルツハイマーを患っていると知った時、 「何でお父さんが」 と何百回、何千回も思いました。 「何で優しいお父さんが」 「みんなから好かれて真面目に家族のために働いてきたのに」 何を恨んだらいいのか分からない、やり場のない怒りや悲しみでいっぱいでした。 毎日、毎日涙が…
「父が若年性アルツハイマーかもしれない」 そんな不安が頭から離れず、一人で隠れて何日も涙を流す日々が続いた。 だけど、どんなに涙を流しても生きていれば明日はやってくる。 父はずっと明るく日常を過ごしていた。 父が病気について語ることはなかった。 「カレーうまいな」 と沢山好物のカレーを食べたり 「それー、それー」 と、孫と遊んで笑ったり 父は日常生活を普段通り過ごしていた。 そんな父の姿を見て、 私は「父が若年性アルツハイマーかもしれない」 と不安を抱きながらも段々と落ち着きを取り戻し、隠れて泣くことはなくなった。(次回へ続く)↓ポチっと押していただけると嬉しいです。にほんブログ村
「神様、どうかお父さんが若年性アルツハイマーじゃありませんように」 何度願ったことか分からない。 どうしてこんなに優しい人が。 どうしてお父さんなの。 家族のために一生懸命働いてきて、退職したらお母さんと沢山旅行に行く予定だったんでしょ。 悪い夢なら早く覚めてほしい。 何か防げる手立てはあったのだろうか。 何が原因だったのか。 私たち家族は父のためにベストな選択をできていたのか 今でも分からない。 父は、自分の父親だからという忖度抜きに稀に見る「優しい人」だ。 こんなに優しい人がこんな病気になる道理とは何だろう。 考えても考えてもわからない。 だけど私に今できることは、二つある。 一つ目は「父…
まさか父が50代なのに認知症を発症するはずがないと思って、インターネットで調べた。「若年性アルツハイマー」という記事が目にとまり、震えが止まらなかった。まさか、父が。いや、違う。そんなはずない。頭の中でグルグルと何日も何日も考え続けた。(次回へ続く)↓ポチっとして頂けると嬉しいです にほんブログ村
当時、私は父の物忘れがストレスが原因ではなく何か脳関係の病気が原因なのではないかと疑念を抱き始めた。一方で母は、ストレスが原因だと信じていた。父はよく財布を無くし家族みんなで探し回ることがよくあった。バックの中身も、出先から帰ると全部だしてしまい、財布以外の無くしものも増えた。病院に行く度に薬が増えたが、物忘れが良くなる気配はなかった。(次回へ続く)↓ポチっとして頂けると嬉しいですにほんブログ村
ダブルケアの始まり① (ダブルケアが始まった日 父が若年性アルツハイマーになった第二章 全6話)
まさか自分が二十代で父の介護をするなんて思っていなかった。 母は父に代わり仕事に出ていたし、主人も仕事の都合で基本家にいない。(プライバシー配慮のため主人についてはこれ以上書きません) こうして息子が生まれたのと同時に、育児と介護のダブルケアが始まった。 ダブルケアが始まった当初は父の介護と言っても、まだまだ父は「物忘れが少しある」程度で特に何も診断はついていなかった。 日常生活も送れていたし、息子の育児も沢山手伝ってくれた。 当時、まさか父が若年性アルツハイマーを患い始めているなんて思ってもいなかった。 しかし、出産後の退院日、父が迎えに来てくれたが、荷物だけを車に乗せて私と息子を置いて帰っ…
父の元にはがきが届いた。 幼馴染みのCさんからだ。 「元気か?また電話する」と一言だけ書かれた手紙だった。 父も、母も、私もその一言がとても嬉しかった。 父とCさん 父は50代で若年性アルツハイマーになった。 病気の前、父はとても優しくてアクティブな人だった。 父の幼馴染みのCさんとは、家族ぐるみの付き合いがあり、私も小さい頃はよくCさんの家に遊びにいったり、スキーや登山に一緒に連れていってもらった。 父が若年性アルツハイマーになってすぐは、二人でよくハイキングや登山を楽しんでいた。 父はCさんと出掛ける日はとても嬉しそうで、出掛けて帰ってくると、Cさんと見つけた鳥の話を沢山してくれた。 だけ…
初診から一年後、物忘れの症状が良くなるどころか少しずつ進行したため、再び物忘れ外来を受診することにした。 初めて病院を受診した時は、物忘れの原因はストレスだから、休めば良くなると思っていた。 しかし父の症状は少しづつ進行し、物忘れが増えていった。 医師に相談したところ、病院で様々な検査を受けたが、全て正常の範囲内だった。 脳に異常が認められたのは、初診から3年も後の事だ。 若年性アルツハイマーを初期段階で見つけるのは本当に難しいことだと思う。 物忘れの症状があるため、認知症薬「アリセプト」が処方された。 (次回へ続く)↓応援して頂けると励みになります にほんブログ村
最初は父の物忘れは、ストレスが原因だろうと皆が思っていた。 父は休職した後は、一人で旅行に行ったり、家事をしたりして過ごしていた。 本を沢山読んだり、バイクで出掛けたりして趣味を思い切り楽しんだ。 最近、母と「あの時お父さんを一人で旅行に行かせてあげられて良かったね」と言っている。 しかし、病気は着実に進行し、パソコンの操作が出来なくなったり、お金の管理が出来なくなった。 最初に物忘れ外来を受診して、一年後に再び物忘れ外来を受診することにした。 (次回へ続く)ランキングに参加しています。↓ポチっとして頂けたら嬉しいです。にほんブログ村
病院の先生のすすめで、父は休職することになった。 父の物忘れの原因はストレスだろうと皆が思っていた。 しかし私は父が休職すると聞いて、心配でたまらなかった。 毎朝父の様子を確認し、父が出先から帰ると安堵したことを覚えている。 母は、私とは逆にしばらく休めば良くなるだろうと思っていたそうだ。 父は休職中、水を得た魚のようにとても元気で楽しそうに過ごしていた。 この頃が一番、父が自由に自分の意思で楽しそうに過ごしていた時期だった。 (次回に続く)↓ポチっとして頂けると嬉しいです。にほんブログ村
自閉症の息子が教えてくれたこと~息子のおかげで新しいことにチャレンジできた~
ダブルケアのブログなので、今日は息子のことを書こうと思います。 5歳の息子は、わんぱくで明るい子です。 歌が大好きでいつも歌っています。 自閉症と知的障がいがあります。 今日はそんな息子から教えてもらった事を書いていきます。 自閉症の息子が教えてくれたこと 最近、私は家族の絵を描くことを始めました。 小さい頃は、絵を描くのが大好きでした。 だけどいつしか 「あの子より下手だから」 「どうせ私は上手く描けない」 と自分を卑下して小学校高学年になる頃には趣味で絵を描くのを辞めてしまいました。 しかし、最近になって自閉症の息子から他人と比較しない大切さを学んだ私は、 小さい頃大好きだった絵を描くこと…
こんにちは。 ももです。 現在、若年性アルツハイマーの父の介護6年目です。 ブログでは6年前の父の様子を一から振り返っているのですが、 父と私たち家族が現在、どのような日常を送っているか気になる方もいらっしゃるかと思うので、今日は父の日常の様子をお伝えしたいと思います。 若年性アルツハイマー6年目の父の様子 父が若年性アルツハイマーだと分かり、診断された当初は家族みんな不安でいっぱいでした。 しかし、私が最初思ったよりは、父も私も家族みんな笑って過ごしてます。 今日は父と相棒を見ました。 昨日父が大好きなガンダムを私も一緒に見ました。 私が「あのモビルスーツカッコいい」と言ったら父は「うん」と…
ももの母手記 「できたよ」 洋服を着替えたその姿に大笑い。 「えーっ」 「テルテル坊主みたい」 だってその姿、下着の上に私のTシャツをフワッとかぶったまま。 大笑いした後、この病気はああこういうことなんだなと納得。 昔なら本当に笑わそうとして着ていたかもしれません。 でも今、本人は別に笑わそうとしてかぶったわけではありません。 「あっ、このTシャツ私のだから取るね」 サッとはずして、お父さんに服を渡して手伝う。 普通なら当たり前にやっている日常の一つ一つが、こんな風に少しづつ変わってきました。 でも、全てが一変するわけではなく、「アレ?アレ?」という感じで少しづつでした。 娘が幼稚園にいた頃…
父が物忘れを訴えていたので、初診は総合病院の「もの忘れ外来」を選んだ。 初診から現在までずっと同じ病院だ。 初診で見てもらった先生の話だと、物忘れは 「疲れから来ている可能性がある」 とのことだった。 先生から休職届けを出して、一旦休んで様子を見るように進められ、父はしばらく休職することになった。 初診では、問診のみで、検査などは行わなかった。 この時は誰もが父が「若年性アルツハイマー」を患っていると疑いもしなかった。 (次回に続く) にほんブログ村 // リンク
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