2024年4月2日に佐渡島に戻ることにしました。 64歳であちこちガタが来てますが気はまだまだ若いつもり。 北端の村で海はもちろん山野を歩きながら何か珍しいも…
やっと見ごろを迎えさーという時に雨にやられた。 春を告げた早い花は少し散ってきて川には薄紅の花びらが筏をつくっている春の花筏やっぱり桜はいいなー。ちと飲み過ぎ…
昭和の佐渡島大型連休の前頃が田植えのシーズン学校でも田植え休みというのがあり農作業の手伝いを奨励した。 一年間の主食の米つくりと現金収入であるからそりゃー親…
私が住んでいたのは葉山。 昭和54年から平成7年まで暮らした。 家の近くにお子さんのいないご夫婦が引っ越してきた。 広告業界で二番手の会社。 当時は一世を風靡…
昭和40年の五月だったと記憶してる. 浜大根が薄紫色の花をつけているピンクの浜昼顔も咲いている。 飼い猫のシロも朝からの慌ただしい家族に配慮して縁起の悪い雨が…
日本で暮らしているとメディアさえ見なければ平和そのものであると実感する。春夏秋冬四季歳々花鳥風月そんな中に暮らしている。 感謝を深く意識して生きてきたような輩…
初めて訪れた店 TOPいちご亭ホームページwww.ichigotei.jp 下町の住吉の駅から歩いて3分程裏路地にある。洋菓子店とレストランの二軒長屋である。…
お茶に通じた方なら伽羅は知っていると思います。 白檀そして沈香とともにとっても重宝にされ真のお香であるという。 大河ドラマで顔の薄い葉山ゆかりの頼朝の愛人の亀…
昭和58年のバブル真っ只中原宿にあるイタリアンレストラン。 フレンチのグルマンからイタリアンの波が来ている新日本料理という分野がありこれはさざ波程度。 これま…
このゼラニウムという花は至る所の庭には咲いていて佐渡島にも鬼のように大きくなったのが昭和の頃からあったと記憶する。わー臭っさー!たぶん初めて何かの拍子に悪ガキ…
佐渡島の周りはすべて海海岸を縫うように道路と村が点在とはいえ中央には平野が広がり大佐渡小佐渡をつないでいるそんな地形である。その中央部分には全国どこにでもある…
アゴアゴと昨今話題のトビウオの出汁本当に最近突如としてアゴ出汁専門家みたいな料理研究家が出現しもっともらしく語るが赤ん坊の時からトビの出汁で育った佐渡原人の私…
すっかり老眼が進んでメガネがないと不便で仕方ない。ジャケット派の少しはおしゃれを自負する老人靴は必ず磨いて先端もピカピカかかと部分コバの部分もそりゃー念入りに…
佐渡島でそう呼ぶのか外海府でそう呼ぶのか我が家でそう呼ぶのか定かではないが世間では大福餅と呼んでいる。ググってもその名前は出てこない(薄皮餅)をうすか餅と言っ…
粒が小さいなーこじんまりまとまって面白くもなんともない。 最近そんなことを伝える記事をたくさん目にする。 世界の潮流のなかで特に実業家の世界では(大ぼら)を吹…
あちこちでPDCAは時代遅れそんな言葉見られる知っての通りPlan(計画)Do(実行)Check(評価)Action(改善)と言い表されている。 そんなもん知…
佐渡島の今の家に建て替える前の我が家にはイチジクの木があった。 夏から秋にスズメバチと格闘しイチジクの取り合いを展開した戦場であった。 小学校から帰り旨そうな…
スモークツリーという木があるなんだかモヤモヤしたのがわんさかその木にまとわりついているそいつを見ると佐渡島の花モズクを思い出す。東京も桜の開花宣言 何年か前に…
まさかホッケが出世魚だったとはアオボッケからロウソクボッケマボッケになりシマボッケ佐渡島ではドモシジューと呼ぶ。 羅臼でマボッケの干物を食べた。 スノーモービ…
日々昭和の私の過去を記している。 今日は少しだけ酒がまわっている。 だから明日太陽の下で見直したらとっても恥ずかしい内容かもしれないが全ては酒のせいだよ。 未…
一汁二菜が体にいい粗食は長寿の秘訣経済的にいいなどなど日本人の伝統食があれやこれや西洋医学的見地からもてはやされている昨今である。 いつも食べているものでない…
醤油で味付けして炊き上げたご飯のこと一般的には茶飯と言うのであろう。おでんと熱燗を存分に楽しんで締めは茶飯と相場は決まってらーてな御仁は相当のおでん通ですね。…
佐渡島の我が家は家から海まで昔防波堤がなかった時代冬のおおノタ(波)の後わずか30メートルの時もあった。先日のNHKの特集番組でこのまま温暖化が進むと砂浜が約…
皿に盛られたライスをフォークの裏を使ってナイフでカタチを整えて口に運ぶんだぞー!と誰に言われたのかまったく覚えてないということは教わってないたぶんテレビでや…
先日スーパーで買いましたよ~!お隣さんに遅れまいと~! まるで昭和の人並みへの参加動機あ~恥ずかしい。昨今人気の牛乳そして豆乳に次ぐ第3のミルクとして認知度…
昨年9月に比叡山延暦寺の宿坊で久しぶりに精進料理を食べる機会に恵まれた。 社家の生まれなのになんでお寺に泊まるか?そんなことを言われるのではないかと恐る恐るバ…
昭和56年私は六本木の飯倉近く麻布台にあるリヨン料理の店そこで働いていた。 この店で私の恩師井上優先生との出会いもあり私の人生の中で思いの強い店でもあった。 …
刀になりそうな棒切れを持ちやっと消えた山の斜面を泥んこになってやっと出て来た蕗の薹を掘り返して遊んだ昭和の頃の佐渡島なんの屈託もなく将来なんて考えることもなく…
神戸市兵庫区にある有馬温泉残念ながら私は一度も行ったことがないがとっても有名な温泉。一般的には茶褐色の濁った湯鉄分を多く含んで太閤秀吉にあやかり金泉とも言われ…
新社会人の板前修業結婚式場の天ぷら部門。 真っ白い料理人の上着長めの前掛け白い帽子なんてのは一日で汚れてしまう。 大きな鍋を粗い1万匹の海老の皮むきそしてそ…
豆腐程便利なものはない何にでも化ける。 擬製とは早い話がもどき料理である。 グルメという三段階の大食漢の胃のグルメ情報満載の頭のグルメそして本物の美食家の舌の…
世界の民族はそれぞれに自分の風土に合ったパンを持っている。自分たちの自然のなかに育つ穀物を使ってパンをつくりました。 最初は大麦小麦エン麦ライ麦など.その自然…
昭和54年の3月二度目の佐渡離れ一度目は前年の高校を卒業してそして今回は新しく葉山の店に入社が決まってのことである。 二度目なので父は佐渡汽船の乗り場まで車で…
羅臼においても仲間たちから話に出なかった。 何度かこのブログで記してあるがいつかいつかきっと北海道の人からこの珍しい魚の話が聞けるとずっと待ってた。 やっとで…
ウォッカの販売をやめる]キャビアは食べないピロシキ買い控えボルシチは縁起が悪い。そんなことにまでなってしまった自国主義幻の連邦を夢見る大国の論理による隣国への…
磯釣りに何の手ごたえ引きもなく藻のように針にぶら下がってくる魚そいつがアナハゼ棘のようなものはあるが柔らかいので刺されても痛くも痒くもないいつも口をぽかーんと…
諸国の(あやめ団子)にはいろんな味がある醤油味のもの粒餡のものこしあんのもの上新粉だけの団子上新粉と餅米の団子草餅の団子何でもいいが元々はあやめの花の咲くころ…
四泊五日の旅は終わった。 北海道だから飛行機同乗した仲間は日本イチの晴れ男を自認する。 確かに彼と一緒の旅で雨になる確率は極めて低い昨年福島の白河のゴルフ石狩…
何せ熱いのが特徴白濁した湯の色源泉近くに行くと確かに硫黄に匂いがする強烈ではない泉質は塩化物泉いわゆる硫化水素型と言われる。 神経痛や火傷リウマチそして疲労回…
何年ぶり何十年ぶりのどか雪山々は真っ白わずかに迫り出した海岸線遠くに国後島が見えるそこが羅臼である。 海が豊かであるということはその背景にある山が豊かである多…
え?ラオスに行くの?いやラウスに行くのそんなやりとりを楽しんだ。 自然の恵み営みを共にするときその脅威を目の当たりにする。 穏やかな日が続けばいいが一旦荒れ…
群来(くき)という言葉がある。 北海道の沿岸で主に日本海の沿岸でニシンの産卵に伴い海が乳白色になるこれを地元では群来と呼ぶ。 江戸から明治そして昭和にかけ早春…
そんな歌詞がなんとなく脳裏をかすめる冬に札幌は一回きり日々アップされるブログ人の背丈を超える雪の山へーあらーそうなんだー全ては他人事であったがしかし飛行機を…
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2024年4月2日に佐渡島に戻ることにしました。 64歳であちこちガタが来てますが気はまだまだ若いつもり。 北端の村で海はもちろん山野を歩きながら何か珍しいも…
師走に突入した。 雪の年には海苔の量も質もいい昔から母たちはそう口にする。 二酸化炭素Co2の削減地球温暖化という大きな問題が生態系の変化や海水温度上昇ハリケ…
越中バイ加賀バイ大越中バイ秋田バイなど呼び名がいろいろあるバイ貝。 五月から七月前までの梅雨の期間は産卵期であるので味は落ちると言われる。 深い海に棲み夜行性…
昭和43年かと記憶している。海府のでこぼこ道が真っ黒い平らな道になっている。 思わずサンダルを脱いで歩いた。まだあったかい。初めてアスファルトに舗装されたムラ…
その昔お総菜に困ったら豆腐芝居に詰まったら忠臣蔵なんて言われた国民的食品の豆腐。 江戸時代には豆腐百珍などの料理本があるほど古くから親しまれた豆腐生よし煮てよ…
亥の子餅とは旧暦10月亥の日に食べるとされるお菓子。 平安時代の宮中で亥猪餅(げんちょうもち)というお餅を使った儀式が元になっている。 茶道では11月1日の亥…
佐渡にもいい酒を造る熱心な酒造メーカーが散見されますやっぱり地元で飲むとまた格別に旨い! 居酒屋や割烹の献立に利き酒セットなるものがあるデギスタション試飲や試…
確か以前にも綴ったかもしれません鯖にあたってしまった話です。 その日は若い板前がつくったしめ鯖を手土産に家に戻った。久しぶりのしめ鯖と熱燗で夕餉を終えた旨み…
昭和53年の三月に私はへなちょこ板前として(食に関わる生き方)が始まった。父と一緒に上京をした。 悪ガキ三人の巣立ちに父は必ずついて行ったと記憶している本当に…
相模の国足柄山で山姥に育てられた強き男の子。 熊と相撲をとって勝ってしまう怪童と言えば鉞担いだ坂田金時。誰それ?そう金太郎である。 後に源氏の総帥の源頼光の四…
ひと時女性のインナーのCMに寄せて盛るみたいなワードがありました。 今年の佐渡は何やら暖かい。 昭和の頃は11月に入ると霰が降るそして沖合の海に雷ゴロゴロ雪下…
晴れると信じ込んでる文化の日である。 カレーライスとライスカレー一緒なのか別物なのか? 大した問題ではないだろう私のイメージは真ん中にご飯があってその上からま…
昭和53年の4月佐渡島の高校を卒業し東中野の結婚式場で新社会人の料理人として仕事を始めた。 いきなり春の結婚式シーズン2週間のオリエンの後各席セクションに振り…
昭和42年だから私はピカピカの一年生だったと思う。 古い家は母屋と納屋そして牛の小屋鶏小屋そして便所真ん中にはカロ(中庭)があった。 納屋と牛の小屋の間は通り…
昭和の頃には佐渡島の舟小屋には少なからず何個かガラス製の浮き玉(ビン玉)が転がっていたと記憶している。 ロープで網目のように編んで結ばれて床や舟の上に置いてあ…
昭和40年頃。私はといえば小学生。悪ガキ全開の頃である。ムラの沢庵用に干してある大根を木刀の切れ味の試し切りしてこっぴどく叱られるなど悪さのし放題。 その…
村のはずれに小さな小さな小川がある。 二畳ほどのところに芹が自生している。たぶん田圃にも田芹があった気がする。 芹の仲間には毒ゼリというのがあり意識障害などを…
父からの電話。当時の電話はプッシュではないダイヤルを回す真っ黒なタイプ。何やら持ってくるらしい。 2月の極寒の頃であった。夕食も済ませてコタツの四隅に悪ガキ三…
すっかり寒くなった。 こうなると料理屋の献立には魚に寒という文字がつけられる。 寒の鰤寒の鯖寒の鮃寒の鯔(ボラ)寒の鱈などなど何となく脂がのって旨そうに見える…
佐渡島の方言いや海府独特の言い回しなのか今では使わないかもしれないちゃらくらげいな!たぶん漢字で書くとお茶羅家ということになろういい加減ふざけた嘘っぽいなど比…
2024年4月2日に佐渡島に戻ることにしました。 64歳であちこちガタが来てますが気はまだまだ若いつもり。 北端の村で海はもちろん山野を歩きながら何か珍しいも…