2024年4月2日に佐渡島に戻ることにしました。 64歳であちこちガタが来てますが気はまだまだ若いつもり。 北端の村で海はもちろん山野を歩きながら何か珍しいも…
その家は七人の家族がいた三世代。 老夫婦は皆が座卓で食事をしていたが別の席で箱の上に茶碗とおかずをのせて食事をしていた。 確かに座卓は六人しか座れない一つの席…
日本における茄子の栽培は奈良時代にはすでに行われていた。 江戸時代頃より広く栽培されるようになり以降日本人にとってなじみのある庶民の野菜になった。 (親の小言…
(あるプランナーのつぶやき)2022年に佐渡空港にジェット機が就航するその名もトキエアー。 大きな荷物を持った大柄な人たちが船から降りてくる.。 若い世代に…
初めての梅干しづくりこの段階ではまだまだ梅漬け。 明日から新潟出張そして明後日札幌に向かうので梅干しづくりは来週になってしまう。 お酢がなかった時代の中国では…
離島振興の公共工事や湾岸整備により村に防波堤ができたのは昭和の頃だった。 私の家は平屋で海岸よりわずか10メートル程座敷から海や磯が見える防波堤が出来たので叶…
小学生の頃朝早くから山に出かけた父が戻って来た。 村で順番に回って来る田圃の水の調整をする係りのことをエバンと言っていた。川や山から出る水の水路を整備して満遍…
(家庭料理)には外食の店の料理に比べて二つ大切な特徴がある。ひとつはテマヒマもうひとつはイロイロである。 合理的なことを無視した手数のテマヒマと仕来りやルール…
休日という概念が生まれたのはフランス革命以降だという。 それまでは遊ぶ人はずっと遊び働く人はずっと働くというのが普通であり日本でもそうでった。 自由裁量収入と…
昭和53年3月22日入社その年の7月23日私の包丁ごっこ(板前)における初めて人様に食べてもらえる料理をこしらえた。 結婚式場なので繁忙期は一日6000本の車…
佐渡島だけの田舎くさーいグルメかもしれない。 では世にいうグルメってなんだろう。 分かりやすく三つに分類してみよう。 ①胃のグルメいつもたくさん食べられる人た…
最近年取ったせいか茗荷の味噌漬けをこしらえては白いご飯に乗せて露地ものでないので香りはいまいちですが楽しんでいます。 そのせいかかは定かでない。 人名を思い出…
時より佐渡島のダイボウ網(定置網)にマグロの大群が入ったとニュースになることがある。定置網というのはいわば博打みたいなものでずっと経費がかさみ赤字続きそれでも…
昭和57年初めて念願のヨーロッパそしてイタリアに入った。 ローマで宿泊コロッセオを訪れた。古代ローマの暮らしは成熟し人々の暮らしは豊かであった古代ギリシャでは…
(創作料理)と看板やキャッチコピーを記してある店がなんと多いこと。 時代の流れなんですねー料理そのものは素材と調理の組み合わせ料理そのものは(創作)言葉として…
やっぱり皮つきが旨いニロイモなんというか風味が違う。風にも味があるのだから光水土にも味があるんだろう。 地表から上が風と光地表から下が水と土ということになるん…
昭和42年に小学校に入る頃すでに給食というのがあった。 幼稚園で使っていたブーフーウーのアルマイトの弁当箱は棚にしまった。 村はずれに川に毎年鮎が海から遡上す…
推測の域をでない。 佐渡島の海府では海に打ち上げられる流木のことをヨロキと言う。寄る木(ヨロキ)だろうと思う。言い当てたそのものずばり! 台風の後に川から削り…
ある事によってまったく無関係と思われるところに影響が出る。 風が吹くと砂ぼこりがたつ砂ぼこりが目に入る 目の病気になり失明する人が増えその人たちが暮らしの為に…
沖縄名物の食べ物ではない。 7年前になる。 帝京医大で6時間の手術を受けた。 なんのことはない幼稚園の頃から夏になると一緒に過ごした(中耳炎)が慢性になり鼓膜…
夏休みの前は決まってツベルクリン反応の注射。必ず陰性になってしまい今でも右腕にはその痕跡が残るが65歳くらいの人はもっとでかい傷が残っているはずで歳をごまか…
河豚は高級魚のフグ海豚は可愛いイルカ漢字であてると別物のイメージ。 実は河豚は佐渡島で小さい頃からうなずける経験をしてきた。 小学生だから昭和43年頃父が初め…
(ちょっと変わってるよなー!)私へのほめ言葉決して偏屈ではないと自分に言い聞かせて61年。 花より葉っぱみずみずしい植物よりちょっと渇き気味が好き(ちょっと変…
二泊三日の北海道での仕事から帰って来た。 こんな近くまで寄って来たキタキツネ。キンキの刺身は初めて食べた絶品だー!これから北への出張が多くなるであろう。 佐渡…
紙のストローサトウキビの搾りかすのストロートウモロコシやでんぷん素材のストロー。 石化資源のプラスティックストローから徐々に植物由来のストローの導入に業界こぞ…
食の世界に身をおくものとして苦手はあったはならないかもしれないが実は田麩は正直苦手にしている。 小さいころから寿司や太巻きにはこの厄介なおどろしい程の色をした…
いまではすっかり高級魚と化したマグロ日本人の食べものとしての関わりは結構古く(古事記)にシビという名前で登場する。 それほど取れていたのであろう日本列島を回遊…
前回の東京オリンピックは1964年私は4歳56年の月日があっという間に流れていった。 話変わって(お麩)の話になる。 子供心に覚えているが戸棚の中にドーナツの…
紙垂(しで)を知っている人は神道か神社好きな方だと思います。小さい頃から神棚や父の神主のお努めに使うので家の中にはあった。 注連縄や玉串に特殊な断ち方をして折…
昭和の佐渡ヶ島の夏沖合に沢山のイカ釣り漁船夜の地平線を明るく照らす夏イカ漁の最盛期。塩辛というとイカがその代表格。 日本は塩辛大国エビ・アミ・カニ・イワシ・ニ…
昭和の悪ガキたちは昼は蛇花火に火と付けもくもくとうにょうにょ。 夕方からは早々に飯を食って特用マッチ片手にコーラの瓶を抱えてロケット花火。 だた空に打ち上げる…
確かに今更佐渡島の昭和に戻れるわけはない決して郷愁にふけっているわけでもない。 思い出してもなんでかわからないが辛いとか苦しいとか悪いそんな事柄は記憶が薄いい…
2020東京オリ・パラの開催スケジュールで今年の海の日は7月22日になった。 1996年(平成8年)初めての海の日は7月20日であった。 佐渡島の納屋には父の…
決して睡眠の専門家でもない。 布団に入るとものの3分で寝る自信があるというか特技かもしれない。 がしかし本当にそれが深い眠りについて質のいい睡眠かどうか分から…
兄のお嫁さん義理の姉は佐賀県の小城の生まれ小城というと小城羊羹佐賀と言えば唐津そして呼子のイカが名物のひとつ。 昭和36年というから私が生まれた翌年創業の河太…
隣村が漁業権をもっているネズミのような形の島が三島という名前で呼ばれていた。 切り立った岩の壁がありそこは亀の手やクロクチがびっしり手つかずで付いている。冬の…
世にいう(ネコマタギ)とはあれだけ魚好きの猫も思わずまたでしまうほどおいしくないかはたまた沢山とれて毎日食わされるのでまたいでしまうだからネコマタギ。 昔はそ…
佐渡島の我が家だけかもしれないがシイラが大好物。 梅雨が明けるころからイナダがぼちぼち釣れ始めるサイズで言うとワカシの大きさ刺身にはちと小さい丸ごと煮魚がいい…
夕方になると水やり大変ですでも元気いっぱい子株もどんどん増えて元気なクランプ。 世界には原種として約800種類余りがあるというパイナップルに属するエアープラン…
今から30年前に神戸にある菓子企業が5人の特別なダイレクトマーケティング室を設け新規事業に参入した。 手伝いを師匠から言われ参加した。 (知恵の果物)という商…
還暦を迎える頃から急に梅干しが妙に好きになってしまった。よっしゃー!今年はつくるぞー!6月3日紀州南高梅2㎏調達ところどころ青いので追熟6月5日夕方ヘタをきれ…
昭和55年だっと記憶している家を建て替える時に無花果(イチジク)木をバッサリ切ってしまった。我が家の無花果の種類は皮があまり色づかない夏にやたらでかい実をつけ…
松戸というところはラーメン激戦区だという。 うーん確かに有名どころで松戸発祥の店はある。 マニアックなラーメン好きではないので気の利いた文章は書けない。 土曜…
父や母たちは(チソ)そんな呼び方佐渡弁かなー。 真っ赤に実ったトマト太陽の香りのトマト。 竹垣に絡みつきてっぺんに行って重みでまた下に向かって鈴なりになるウリ…
後少しで佐渡島の故郷の川も鮎解禁!100匹の篭にいたら正直げんなりする。 鮎籠に葛の葉で乾燥を抑え下流で採った鮎がかわいそうなくらいに下敷きになっている。 出…
江戸時代の(俵三珍)というのは一つは三陸の乾燥フカヒレ一つは蝦夷の乾燥ナマコそして乾燥鮑。 高級中華料理に登場する素材はほとんどが日本から運ばれた合法・非合法…
(今年はちっとちいせーなー)本当によく働く父と母である。 田植えが落ち着くころ農上がり。 農家の休日が春と秋に数日あったと記憶している。 親戚の叔母たちと車で…
脳は10代で最も大きくなる。 20代から委縮しはじめ加齢が進行する。 脳の神経細胞の数はどんどん減っていき増えることはない。 近年の脳科学はいろんな研究がされ…
お星さまの下で書いた文はお日さまの下で読み返す。 お日様の下で書いた文はお星さまの下で読み返す。 お星さまの下で書くことが最近苦手になり朝早く起きてしまいます…
私がまだ生まれていない1937年スパム(SPAM)がアメリカで販売されいまでも世界42か国で売られている超ロングセラーである。昭和45年の夏の佐渡島の我が家い…
佐渡島の周囲は日本海そこにぽっかりという表現は余りにも小さすぎて訪れた方々は一様に(意外と大きいねー)という印象だ。 昭和42年初めて佐渡汽船の船に乗って新潟…
小学生の頃汚い手で虫刺されをかきむしりすぐに膿んでしまう。 そりゃー手を洗わないでブトや蚊に刺されて痒いものだからかきむしる夏などはまるでミイラ包帯も間に合わ…
マゼンダ色のタグをつけた師匠の本を読んでいました。 昭和の61年に書かれた「蘇れ!地方都市」という本とっても勉強になります。 新型コロナ禍で否応なしに(新しい…
沿岸の波間をピョンピョン跳ねるサヨリ。 表層を泳いで餌をとってるに違いない大きなサヨリを目にしたのは昭和54年から従事した葉山の料理屋。ちょうど三月の弥生の節…
昭和の頃4月にやっと春が訪れる佐渡島の外海府。 山をめぐって福寿草を掘り起こしゼンマイ独活をとりゲンタロジー(アマドコロ)蕨をポキポキとって来る。 ワカメ刈り…
今日から六月の水無月諸説あるが水がないのではなく田植えで田圃に水を張る月そんなことから季節的には水が必要な月なんで水無になったでしょう。私が料理屋の責任者を仰…
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2024年4月2日に佐渡島に戻ることにしました。 64歳であちこちガタが来てますが気はまだまだ若いつもり。 北端の村で海はもちろん山野を歩きながら何か珍しいも…
師走に突入した。 雪の年には海苔の量も質もいい昔から母たちはそう口にする。 二酸化炭素Co2の削減地球温暖化という大きな問題が生態系の変化や海水温度上昇ハリケ…
越中バイ加賀バイ大越中バイ秋田バイなど呼び名がいろいろあるバイ貝。 五月から七月前までの梅雨の期間は産卵期であるので味は落ちると言われる。 深い海に棲み夜行性…
昭和43年かと記憶している。海府のでこぼこ道が真っ黒い平らな道になっている。 思わずサンダルを脱いで歩いた。まだあったかい。初めてアスファルトに舗装されたムラ…
その昔お総菜に困ったら豆腐芝居に詰まったら忠臣蔵なんて言われた国民的食品の豆腐。 江戸時代には豆腐百珍などの料理本があるほど古くから親しまれた豆腐生よし煮てよ…
亥の子餅とは旧暦10月亥の日に食べるとされるお菓子。 平安時代の宮中で亥猪餅(げんちょうもち)というお餅を使った儀式が元になっている。 茶道では11月1日の亥…
佐渡にもいい酒を造る熱心な酒造メーカーが散見されますやっぱり地元で飲むとまた格別に旨い! 居酒屋や割烹の献立に利き酒セットなるものがあるデギスタション試飲や試…
確か以前にも綴ったかもしれません鯖にあたってしまった話です。 その日は若い板前がつくったしめ鯖を手土産に家に戻った。久しぶりのしめ鯖と熱燗で夕餉を終えた旨み…
昭和53年の三月に私はへなちょこ板前として(食に関わる生き方)が始まった。父と一緒に上京をした。 悪ガキ三人の巣立ちに父は必ずついて行ったと記憶している本当に…
相模の国足柄山で山姥に育てられた強き男の子。 熊と相撲をとって勝ってしまう怪童と言えば鉞担いだ坂田金時。誰それ?そう金太郎である。 後に源氏の総帥の源頼光の四…
ひと時女性のインナーのCMに寄せて盛るみたいなワードがありました。 今年の佐渡は何やら暖かい。 昭和の頃は11月に入ると霰が降るそして沖合の海に雷ゴロゴロ雪下…
晴れると信じ込んでる文化の日である。 カレーライスとライスカレー一緒なのか別物なのか? 大した問題ではないだろう私のイメージは真ん中にご飯があってその上からま…
昭和53年の4月佐渡島の高校を卒業し東中野の結婚式場で新社会人の料理人として仕事を始めた。 いきなり春の結婚式シーズン2週間のオリエンの後各席セクションに振り…
昭和42年だから私はピカピカの一年生だったと思う。 古い家は母屋と納屋そして牛の小屋鶏小屋そして便所真ん中にはカロ(中庭)があった。 納屋と牛の小屋の間は通り…
昭和の頃には佐渡島の舟小屋には少なからず何個かガラス製の浮き玉(ビン玉)が転がっていたと記憶している。 ロープで網目のように編んで結ばれて床や舟の上に置いてあ…
昭和40年頃。私はといえば小学生。悪ガキ全開の頃である。ムラの沢庵用に干してある大根を木刀の切れ味の試し切りしてこっぴどく叱られるなど悪さのし放題。 その…
村のはずれに小さな小さな小川がある。 二畳ほどのところに芹が自生している。たぶん田圃にも田芹があった気がする。 芹の仲間には毒ゼリというのがあり意識障害などを…
父からの電話。当時の電話はプッシュではないダイヤルを回す真っ黒なタイプ。何やら持ってくるらしい。 2月の極寒の頃であった。夕食も済ませてコタツの四隅に悪ガキ三…
すっかり寒くなった。 こうなると料理屋の献立には魚に寒という文字がつけられる。 寒の鰤寒の鯖寒の鮃寒の鯔(ボラ)寒の鱈などなど何となく脂がのって旨そうに見える…
佐渡島の方言いや海府独特の言い回しなのか今では使わないかもしれないちゃらくらげいな!たぶん漢字で書くとお茶羅家ということになろういい加減ふざけた嘘っぽいなど比…
2024年4月2日に佐渡島に戻ることにしました。 64歳であちこちガタが来てますが気はまだまだ若いつもり。 北端の村で海はもちろん山野を歩きながら何か珍しいも…