親の介護他自身の介護への不安を ブログを通して紹介してきましたが、自身が入院、要介護となり 志半ばで、ブログをお休みさせていただく事となりました。 親の介護でストレスを抱えながらも日々奮闘されている皆様、 健康に気を付けて介護を乗り切って下さい。
両親の介護を通して、私が介護される側になった時への備えの重要性を書いていきます。両親の介護から葬儀までを振り返ります。
老後は自宅で酒三昧?1日中テレビでぐうたら等、なんの目標設定もなしに年金暮らしやアルバイトを始めても、現役時代に得られた 達成感や生き甲斐は感じません。 むしろ要介護に認知症に日々近付くための生活になってしまう。
両親が病気や怪我をきっかけに 要介護や認知症になった事を 私が60歳を超えて実感する日々。 仕事も責任感が亡くなり、ただ言われた事をこなすような日々が続くと、自ら考え、話し、行動する 事がなくなり心身の衰えが進行していく事を実感します。
特に男性の場合、仕事に生きがいを持って働いていた人が多いので 60歳以降、緊張感や責任感から解放されて『何を生き甲斐に生きれば?』と心身ともに要介護に近付く方が多い気がします。
60歳以降も働いているとはいえ、 役職からは解かれ責任からも緊張感からも解放された今、心身ともにお気楽モードで何か気の抜けた日々を送っていると、体を過度に動かす事も、頭を使う事もなく 心身の衰え等、要介護へ近付いていると実感する。
私も生前の両親を在宅介護時には イライラしたり感情を表に出して しまったりと介護ストレスを感じ 日々を過ごしていました。 介護ストレスは仕事にも悪影響 介護ストレスで厄介なのは仕事や 日常生活にもイライラを持ち込み 周囲の人にも嫌な思いをさせて しまったかな?という時も多々 あったと思います。 そんな介護ストレスは家族との コミュニケーション不足や 仕事でのミスにも繋がる事が多く 今思えば家族や同僚、友人に 正直に親の介護の悩みを打明け 全てを吐出した上で介護の先輩の 良きアドバイスに耳を傾けて 内にため込んだ介護ストレスを 周囲と共有する事で明日への 活力へと変える事が一番の薬で あると身を…
介護ストレスに悩むあなたは真面目で勤勉な方に多い。つまり手を抜く事をしない人ほど、親の介護所ではない重度のストレスを抱えて日々懸命な介護をしていますね
ストレスを解消するのが不得手な方は、仕事以外に付き合いのない人や仕事という趣味?以外に時を忘れる事の出来る好きな事、趣味がない人が多い。
介護ストレスをひとまず忘れて オメガトライブのライブ会場で 40年前の私に戻ってきました。 オメガのライブが近付くと代り栄えのない日々のモチベーションが 上りまくりでした。ライブの為に 働き、辛いなんて思わない。 介護もそうありたい。
介護ストレスに悩みながら親の介護をしてきた60歳過ぎの男が、 40周年を迎えたオメガのライブで あの頃の自分に戻ってきました。 この時ばかりは、親の介護、自分の介護は忘れて、20歳代の希望に溢れたあの頃にタイムスリップして歌いまくってきました。
母親に義理の母親(祖母)の介護を任せきりにして好き勝手にお山の大将をしていた父親が認知症で要介護となっても、親という愛情は湧く事はなく、長男の私は仕事の様に淡々と仕事の様に介護をこなした。
認知症の父親は亡くなる1か月前に父親の若かりし頃のアルバムを見つけ、毎日、毎日思い出を懐かしみ、その表情は認知症の父親ではなかった。
認知症の父親の介護末期は昔懐かしいアルバムを頭に目に焼き付けるように毎日、毎日 アルバム鑑賞三昧の日々。まるで父親自身が死期を悟っているかのようにむさぼるように写真を眺めた。
父親が認知症で在宅介護となり、ひとりでの外出で警察に保護されて以降、独りでも家にいる事が多くなり、更に人との会話や風景を楽しむ事がなくなり認知症が進む中、父親の昔の写真が父親にとって唯一の癒しの時間となった。
父親が認知症となり在宅介護とデイケアへの通所を始めたが、父親が亡くなる少し前、父親は自宅で趣味の登山や父方の親戚との写真をどこから見つけたのか眺めて楽しむようになった。
資産整理で人と対面する叔母は元経営者らしく集中力を持ち毅然と振舞うが、何もないオフの1日の叔母はただの要介護のおばあさん であり、まるで別人だ。
要介護にも関わらず資産を整理し 親族等に分配をするため日々銀行や不動産屋と打合せを重ねるが、その時の真剣な表情や集中力は 独り佇む自宅では完全に病人の顔となる。
肺炎で要介護生活の中、残された時間の中で遺産整理を行い、銀行や不動産屋と交渉の日々の中で、 自宅での完全オフの日の叔母は 人前では決して見せない病人の顔である。
要介護の身の元経営者の叔母の資産の整理は法人と個人の両方を整理するので本当に労力がかかる。叔母自身の残された時間の中で肺炎と闘いながらも銀行等との話は気を抜くことが出来ない。
肺炎で要介護の叔母が病気を押して資産整理を急ぐのは、周囲に迷惑を掛けずに、親族の利益になる物だけを残し負担のなる物は整理してからという周りに配慮する姿勢であり・・・。
義理の母親が要介護で介護施設入所中の為、長男が未使用の土地の買い手を見つける為に奔走していたが、少しでもお金に換えようとすると見つからなかった買い手が・・・・。
義理の母親は介護施設に入所し認知症も進行する中で義理の母親名義の土地の処分に同居していた長男が日々奔走している。もう使用品K不動産の処分は義理の母親が存命の内に済ますべき重要課題であり・・・・。
介護施設への入所から3年が経ち 義理の母親は認知症を始め心身ともに衰え、一時帰宅の自宅を我が家と感じなくなった。 しかし長女が嫁ぐときに義理の母親が直伝した長女の煮物の味だけは覚えていた。
義理の母親が介護施設に入所して3年以上が経ち、たまの一時帰宅でも、自宅に戻った感情も無くなり、帰宅後1時間ほどが経過すると介護施設を家と呼び、はたく帰らなきゃと そわそわする義理の母親は、認知症の進行が顕著だ。
義理の母親が介護施設に入所し3年以上が経過したが、義理の母親の家は現在、長男が独り暮らしで あまりにも多い不要物に、長男の呼びかけで、3世代分溜まった不要物の断捨離を兄弟姉妹で行う日々
認知症の父親を介護するにあたり 周囲に迷惑を掛けない事、家族が介護した水環境を優先すべきか? はたまた父親の意見を尊重して 父親に過度なストレスを負わせない事がベストなのか?
独り暮らしの父親の認知症介護対策として父親に私の家での同居を勧めたが、実家にこだわる父親は 環境を変える事を拒み、結局父親の独り暮らしは続行し、結果、 近所や警察に迷惑を掛ける事に。
母親亡き後、父親は認知症が進行し家の事は何も出来ないので、離れて暮す私達家族に連日電話で呼び出しの日々。 住み慣れた家に居たいけど、独りでは何も出来ない父親の憂鬱
今は亡き父親の認知症後の物を隠す性癖は食パンを物置に大量に隠す事。以前、私が介護に実家に行ったときに、父ポ屋が独り暮らしなのに食パンを2袋買った事を注意して以来、食パンの購入はなくなったと思っていたのだが、ある日物置から大量の食パンが出てきた。
父親が認知症になり進行が進むにつれ警察や近所に迷惑を掛ける回数も増え、独り暮らしの父親に介護施設への入所を勧めたが、その時ばかりは正気の父親が頑なに拒んだ。
親が高齢になり介護方法を考える前に、老後を自分の手足で楽しめる健康維持の為の方法をまず構築し健康寿命を伸ばす事を考えよう。 健康でなければどんなに良い介護施設でも、住み慣れた自宅でも楽しい生活は送れない。
親が介護施設に入所を希望したが 親に介護施設費用を賄う年金額や 預貯金はなかった。親の望み通りの介護をする事は同時に親の資産状況を確認しどうすれば親の希望の介護が出来るのかを預貯金、NISA等で親の介護費用を捻出する取組を家族全員で共有し実行する事。
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親の介護他自身の介護への不安を ブログを通して紹介してきましたが、自身が入院、要介護となり 志半ばで、ブログをお休みさせていただく事となりました。 親の介護でストレスを抱えながらも日々奮闘されている皆様、 健康に気を付けて介護を乗り切って下さい。
親の介護や自身の介護に対する ストレスの解消方法は立ち止まらずに将来の介護の備えを怠らない事
親の介護を終えて安堵した瞬間に 将来自分が要介護になる前に介護の備えをしておきたいという志が 忘れられ親と同じ介護ストレスの道を歩む事だけは避けたい。 親の介護で抱えたストレスを 次世代にかけてはいけない。
親の介護や自身の将来の介護を考える上で経済的負担もストレスになりますね。 日常生活費の他に介護や入院費用を工面するとなれば、それなりの貯蓄が必要でありストレスが蓄積される大きな問題です。
介護ストレスって親の介護をしている時だけではなくて、自分が老いた時の要介護に対する不安も介護ストレスだと思うんです。 親と同じ轍は踏みたくないと自分の介護に対する備えに思い悩むのも介護ストレスではないか?
定年退職を居て何をするでもなく 隠居している人は老化や要介護のスピードが速いものだと感じる。 ご近所の隠居の年金生活者は年々 足腰が弱くなり歩行スピードが遅く辛そうである。
退職して年金暮らしになった際に 気を付ける事は現役時代と同じ金銭感覚から身の丈に合った生活レベルへの見直しです。 生活費が少なくなったのに交際費や娯楽費などを散在していれば やがて破綻し要介護時の備えもない最悪のシナリオとなる。
年金を多く貰う為に繰り下げ受給 するか?健康で動ける余力を残して年金受給年齢を決めるのか? 年金額が増えても自身が要介護で 楽しめないなら、元気な内に新たな挑戦をする事も良し。
年金に頼った生活を始めるタイミングは出来れば要介護ではなく自分で身の回りの事が出来る健康な状態で始めたい。 それには健康管理、適度な運動や 適度な短時間労働で日父の関わりを絶やす事なく生活する事
年金受給年齢を繰り下げて年金受給額を増やす方もいます。健康のためにも社会と関わる為にも働く事は良い事ですが、健康寿命を過ぎてからの年金受給は、ただ介護や医療の為だけに年金を受給する事にならないか?
定年退職して年金暮しになったら 好きな頃をやって生活するぞ と思っている人も多いと思いますが、何をしたいのか?40年近くの時間をどう使うのかを考えないと ただ長いだけのつまらない40年に なり、身心も衰え、要介護になってしまう事にも繋がります。
定年して年金暮らしとなり初めて思い知った仕事以外の付き合いの なさを嘆いていても仕方ないので これから40年、要介護に負けない 身心を作り、仕事以外の生き甲斐を持ち続けるためにも、新たな気持ちで人の輪に飛び込む覚悟が必要だ。
定年後、年金暮し後に時間を持て余す人は、仕事以外の人間関係を疎かにしてきた人。会社時代の様にもう誰も私達の事を気にかける人はいないから。 要介護なく心身共に健康に過ごしたいなら、新人のつもりで人の輪に飛び込むしかない
定年退職後も生き甲斐を持ち生きる事は簡単なようで難しい。 現役時代の管理職のプライドが邪魔をして、新人のつもりで人の輪に入れなければ、定年後は1日が長く寂しい生活に終始する。 そして心身は日々衰え要介護に まっしぐらとなる。
退職は老後前の一つの区切りである。私は雇用延長で60歳以降も働いているが、責任ある職務から解放され生き甲斐という意味では物足りない日々だ。こんな気が抜けた状態がたとえ働いていても要介護に近付く要因となる。
親が認知症になり要介護となれば その家族にも生活のリズムを変えて親の介護の時間を作るべく覚悟が必要となります。 今まで育ててくれて寄り添ってくれた親への恩返しの時間は残りわずかです。
親の介護を今迄他の家族に任せていた長男が自身の早期退職により 時間が出来た事で親との面会や帰宅申請等の要求がエスカレートして、介護施設やケアマネとの交渉役の長女が悲鳴
親だから要介護や認知症は仕方ない等と考えるのでなく、自身も60歳を過ぎれば要介護や認知症にならないための取組や備えについて 考える事が重要です。
親が元気な内に感謝を伝えたり 行動で示しておかないと、認知症 になった親に恩着せしても、もはや要介護になった親に子供の愛情は伝わらない。
親が元気な内に親孝行すればいいものの、男家族って親が要介護や認知症になって初めて親孝行を意識する遅さがあります。 卒業他就職、結婚等親への感謝のタイミングはこれまで何回もあったのに。
親の介護他自身の介護への不安を ブログを通して紹介してきましたが、自身が入院、要介護となり 志半ばで、ブログをお休みさせていただく事となりました。 親の介護でストレスを抱えながらも日々奮闘されている皆様、 健康に気を付けて介護を乗り切って下さい。
親の介護や自身の介護に対する ストレスの解消方法は立ち止まらずに将来の介護の備えを怠らない事
親の介護を終えて安堵した瞬間に 将来自分が要介護になる前に介護の備えをしておきたいという志が 忘れられ親と同じ介護ストレスの道を歩む事だけは避けたい。 親の介護で抱えたストレスを 次世代にかけてはいけない。
親の介護や自身の将来の介護を考える上で経済的負担もストレスになりますね。 日常生活費の他に介護や入院費用を工面するとなれば、それなりの貯蓄が必要でありストレスが蓄積される大きな問題です。
介護ストレスって親の介護をしている時だけではなくて、自分が老いた時の要介護に対する不安も介護ストレスだと思うんです。 親と同じ轍は踏みたくないと自分の介護に対する備えに思い悩むのも介護ストレスではないか?
定年退職を居て何をするでもなく 隠居している人は老化や要介護のスピードが速いものだと感じる。 ご近所の隠居の年金生活者は年々 足腰が弱くなり歩行スピードが遅く辛そうである。
退職して年金暮らしになった際に 気を付ける事は現役時代と同じ金銭感覚から身の丈に合った生活レベルへの見直しです。 生活費が少なくなったのに交際費や娯楽費などを散在していれば やがて破綻し要介護時の備えもない最悪のシナリオとなる。
年金を多く貰う為に繰り下げ受給 するか?健康で動ける余力を残して年金受給年齢を決めるのか? 年金額が増えても自身が要介護で 楽しめないなら、元気な内に新たな挑戦をする事も良し。
年金に頼った生活を始めるタイミングは出来れば要介護ではなく自分で身の回りの事が出来る健康な状態で始めたい。 それには健康管理、適度な運動や 適度な短時間労働で日父の関わりを絶やす事なく生活する事
年金受給年齢を繰り下げて年金受給額を増やす方もいます。健康のためにも社会と関わる為にも働く事は良い事ですが、健康寿命を過ぎてからの年金受給は、ただ介護や医療の為だけに年金を受給する事にならないか?
定年退職して年金暮しになったら 好きな頃をやって生活するぞ と思っている人も多いと思いますが、何をしたいのか?40年近くの時間をどう使うのかを考えないと ただ長いだけのつまらない40年に なり、身心も衰え、要介護になってしまう事にも繋がります。
定年して年金暮らしとなり初めて思い知った仕事以外の付き合いの なさを嘆いていても仕方ないので これから40年、要介護に負けない 身心を作り、仕事以外の生き甲斐を持ち続けるためにも、新たな気持ちで人の輪に飛び込む覚悟が必要だ。
定年後、年金暮し後に時間を持て余す人は、仕事以外の人間関係を疎かにしてきた人。会社時代の様にもう誰も私達の事を気にかける人はいないから。 要介護なく心身共に健康に過ごしたいなら、新人のつもりで人の輪に飛び込むしかない
定年退職後も生き甲斐を持ち生きる事は簡単なようで難しい。 現役時代の管理職のプライドが邪魔をして、新人のつもりで人の輪に入れなければ、定年後は1日が長く寂しい生活に終始する。 そして心身は日々衰え要介護に まっしぐらとなる。
退職は老後前の一つの区切りである。私は雇用延長で60歳以降も働いているが、責任ある職務から解放され生き甲斐という意味では物足りない日々だ。こんな気が抜けた状態がたとえ働いていても要介護に近付く要因となる。
親が認知症になり要介護となれば その家族にも生活のリズムを変えて親の介護の時間を作るべく覚悟が必要となります。 今まで育ててくれて寄り添ってくれた親への恩返しの時間は残りわずかです。
親の介護を今迄他の家族に任せていた長男が自身の早期退職により 時間が出来た事で親との面会や帰宅申請等の要求がエスカレートして、介護施設やケアマネとの交渉役の長女が悲鳴
親だから要介護や認知症は仕方ない等と考えるのでなく、自身も60歳を過ぎれば要介護や認知症にならないための取組や備えについて 考える事が重要です。
親が元気な内に感謝を伝えたり 行動で示しておかないと、認知症 になった親に恩着せしても、もはや要介護になった親に子供の愛情は伝わらない。
親が元気な内に親孝行すればいいものの、男家族って親が要介護や認知症になって初めて親孝行を意識する遅さがあります。 卒業他就職、結婚等親への感謝のタイミングはこれまで何回もあったのに。