フォークブームが終焉の時期に表れた因幡晃もシンガーソングライターです。
フォーク世代のアーティストは1940年代の方々ですのでこの因幡晃さんはデビューが1976年とフォークブームの終わりの時期に現れましたが実際1954年生まれですのですでに世代が違います。いろいろなシンガーソングライターのフォーク時代の一人ですが「わかって下さい。」で
フォーク全盛時代にみなみらんぼうもいた。武蔵野詩人がファーストアルバム。
フォーク時代のシンガーソングライターの中には高石智也や岡林信康のような代表的存在でもなく、吉田拓郎や井上陽水のような有名アーティストでもなくて地味なアーティスとかもしれませんが、みなみらんぼうも自分の世界を持ったシンガーソングライターです。「酔いどれ女
PETE HAM(BADFINGER)が亡くなってからのソロアルバムがもう1枚発売された。
PETE HAMのGolders Greenは前作の7 Park Avenueのあった地名です。前作でも23曲もの曲を収録していたのに今回も22曲も収録されています。前作は1997年発売でしたが2年後の1999年に再度CDが発売されるとは、そのストックされた曲の多さに脱帽です。先頭の「Makes Me Feel Go
PETE HAM(ピート・ハム)がソロで録り貯めた曲のCD第一弾が7 Park Avenue。
当時のHAMの才能を見出したビル・コリンズさんとそれをCD化を具現化させたスタッフの感謝ですね。このCDを普通の音楽CDのように聴いて楽しむのはBADFINGRの曲を熟知していなければ楽しめないでしょう。しかし一人で作った作品とは思えないと感じる部分もあります。7 Park A
BADFINGERの最後のレコーディングアルバムはSay No More。
結局のちにエバンスまでこの世を去ってしまってBADFINGERの最終アルバムになってしまいましたが、前のAirwavesよりはすべての曲がエバンスとモーランドの曲になったので新たに加入したキーボードのトニー・ケイが参加していますが、すべての曲調が以前のBADFINGERに戻った
PETE HAMを失った再始動のBADFINGERも一応入手しています。
モリソンを失ったドアーズなんかと全く同じでメインのアーティストを失ってしまえば同じようなセールスは絶対に期待できません。ドアーズもモリソンを失ってから2枚のアルバムを出していますがさっぱりだったようです。(当方も購入していません。6枚で終了です。)BADFING
BADFINGERの最終アルバムHEAD FIRSTは収録後25年を経て忘れた頃に発売された。
BADFINGERのメインアーティストのPETE HAMはやたらナンバーワンが多い気がする。一番沢山曲を書く事や最高セールスを上げる事など身近にいたBEATLESのポールマッカートニーなどとは全然違う一番だ。一番才能に反比例して富を得なかったアーティスト、ナンバーワンセールス
THE BEST OF BADFINGER VOLUMEⅡはワーナー移籍後のベストアルバムです。
Badfingerは何と言ってもアップルレコード所属の第一アーティストだったのが有名でヒット曲もこのアップル在籍中の曲がメインな感じですが、ワーナー移籍後のベストアルバムが1990年にしっかり発売されました。このベストアルバムのセールスポイントは後に発売されましたが
Badfingerのワーナー2枚目のWISH YOU WERE HEREでHAMが生前の発売最後のアルバム。
1974年に2枚のアルバム発売契約だった2枚目がWISH YOU WERE HERE(邦題・素敵な君)ですが、翌年にはHAMがこの世を去ってしまって生前の最終アルバムになってしまいました。しかし著作権問題でごたごただった長い年月を経て次のアルバムのHEAD FIRSTが忘れた頃に発売されて
Badfingerのワーナー1枚目はbadfinger(和名、涙の旅路)。
すっかりHAMが創作意欲を無くした時期を脱して新規レーベルで出した最初のアルバムです。1974年に契約上2枚のアルバムを出す必要があったらしくストレートアップの頃のような勢いは感じなくてもBadfingerらしいアルバムになっています。「I Miss You(涙の旅路)」はシング
Badfinerのライブアルバム’DAY AFTET DAY’はアメリカでの演奏。
BBC[のライブは1972年と1973年のものでしたが、このDAY AFTER DAY LIVEは1974年3月のライブです。ただしこちらは1990年発売なのでBBCライブより早く発売されています。こちらでは「No Matter What」がなくても大ヒットの「Day After Day」とアメリカでもヒットした「Baby B
Badfingerのライブアルバム。1972年と1973年のBBCコンサートはマニアしか保有していないかも。
前半の7曲が1972年8月のコンサートで後半の7曲が1973年10月のコンサートです。珍しいのはDave Masonの2曲を1972年のコンサートで演奏しています。定番のヒット曲「Day after Day」「No Matter What」は挿入されていませんが前半では「BETTER DAYS」「WE’RE FOR TE DARK」
Badfingerの前身、IVEYS(アイビーズ)のMAYBE TOMORROWは当時は売れず!
このアルバムタイトルの「MAYBE TOMORROW」は1968年にアップルレコードからシングルレコードが発売された初めてのBadfingerの前身であるIVEYSのファーストシングルです。アップルレコードの初めてのアーティストで頑張ったようですがこの曲を挿入してアルバムタイトルにも
Badfingerのアップル在籍中のベストアルバム。車中にいつも常備してます。
アップルレコードから4枚のスタジオアルバムをリリースしたBadfingerです。すべて買い揃えてありますが、この4枚からセレクトされたアップル在籍中のベストアルバムがちゃんとあります。ベリー・ベストは後のワーナーの曲も一部含まれていますが、こちらはアップル時代のみ
Badfinger最低セールスのASS。この時期の状態が見事に反映されている。
前作がBadfingerの最高のアルバムだとしたらこのASSは最低のアルバムです。決してバンドメンバーが悪い訳ではありません。実にこの頃のゴタゴタガ感じられます。米国では1973年発売のようですが英国では翌年まで販売されなかったようです。1974年には移籍したワーナーから
Badfingerのストレート・アップが絶頂期のアルバムです。
1971年頃は非常に良いバンドが勢ぞろいだった時期なのでセールス的には大ヒットには見えないのですが、飛ぶ鳥を落とす勢いだったのは間違えありません。代表曲の「Day afer Day」はシングルでは英国で4位まで上り詰めたようで「Baby Blue」も大ヒットしました。個人的に1番
1970年発売のノー・ダイスは一躍グループ名の知名度を上げた「嵐の恋(No Matter What)」が挿入されたアルバムです。当時中々シングルを発売しなかったアップルレコードから数少ないシングルレコードで英国では5位なでになった曲です。当時この曲でバッドフィンガーが気
初めて買ったBadfingerのCDがこのヴェリー・ベスト・オブ・バッドフィンガーなのですが、この時の嬉しさは少年並みでした。Badfingerの「No Matter What」「Day after Day」などは当時自営業家庭で一日中家の中ではTBSラジオが流れていたのでリアルタイムに聴いた記憶が残
結局一番好きなアーティストはPETE HAM(Badfinger)。デビューアルバムがマジッククリスチャンミュージック。
日本のフォークも海外のロックも10代の頃は大好きだったか半世紀たって未だに一番好きなアーティストはピート・ハムです。複雑なメロディーや幻想的な詩のプログレばっかり若い頃には聴いていたのですが、結局聴きやすいメロディーと心打たれるシンプルな詩の曲が一番なの
まだ西岡たかしの名が広まる前の五つの赤い風船のアルバムです。1969年までに発売された代表曲の「遠い世界に」と「恋は風に乗って」「血まみれの鳩」が挿入されている初アルバムです。1969年の発売なのでレコード1枚が1800円なのは時代を感じます。
パンジョーの草分け的存在だった岩井宏の30才もかなりレアレコード。
60年代後半から70年代前半のフォークブームでかなり名前が出ていた岩井宏のソロアルバムです。唯一のヒット曲「かみしばい」が挿入されているアルバムです。当時のパンジョー弾きと言えは岩井宏の名前がすぐに出てきた方ですがソロアルバムも2枚だけ発売され、1973年発売の
1969年に発表された「追放の歌」が収録されている休みの国のアルバムです。アルバムタイトルも休みの国だと思われます。シングルの「追放の歌」の3年後の1972年にこのアルバムが発売されましたが、このレコードは後にSMSから1980年に再販売された復刻版です。休みの国を立
遠藤賢司も懐かしのアーティストです。2作目のアルバム満足できるかなはレアかも!
ファーストシングルは1969年、ファーストアルバムniyagoは1970年に発売されていますが、この満足できるかなは1971年の2枚目のアルバムです。「満足できるかな」以外も代表曲の「カレーライス」が挿入されているアルバムです。作詞作曲は全曲本人でギターもボーカルも行う典
このレミゼラブルは1974年のあがた森魚の3作目のアルバムです。フォークブームの時代に独特な雰囲気を持っていて他のアーティストとはかなり異色な感じです。他のアーティストの曲も多いのですが「大寒町」「テレビジョン」「キネマ館に雨が降る」などレトロ感漂う曲が個性
未だにクイズ番組などでも活躍中の宮崎美子はテレビで見かけますが、あのCM曲「いまのキミはピカピカに光って」を歌っていたのが斎藤哲夫です。このCM曲がヒットした時期にSMSから帯を変えて売られていたファーストアルバム、僕は英雄なんかじゃないです。アルバムは1972年
フォークブームの中の1971年に活動していた武蔵野タンポポ団のアルバムで、1972年に1枚だけ発売された唯一のアルバムが武蔵野タンポポ団の伝説というタイトルのアルバムです。高田渡、シバ、山本コータロー、若林純夫らが吉祥寺で活動していた短い期間のアルバムでほとんど
QUEENの世界に捧ぐは前の2作とは随分違うコンセプトじゃない!
オペラ座の夜、華麗なるレースとQUEENのヒットアルバムが続いたのでこの1977年に発売された世界に捧ぐも期待を持って発売後すぐに購入した記憶があります。しかし前の2作と比較すると全然感じが違うアルバムと感じました。「伝説のチャンピオン」や「It’s Late」などは決
1975年に発売された前作のオペラ座の夜の後リアルタイムに次のアルバムのセールスを聞いてナケナシノ小遣いでこの華麗なるレースを買った記憶があります。輸入盤ですので国内アルバムが売り出される前かも知れません。オペラ座の夜が日本で大ヒットでしたので1977年(英国
QUEENのアルバムは3作目のシアー・ハート・アタックからあります。
ちょっと前に映画にもなりましたが、個人的にはQUEENはそれほど押しているバンドでもありません。しかしボヘミアン・ラプソディーのヒットで一躍有名バンドになってオペラ座の夜を買いましたが、遡ってシアー・ハート・アタックも当時入手しました。しかし「キラー・クイー
岡林信康のベストアルバムは沢山あります。ビクターのインビテーションレーベルのVOL.1もあります。
1982年になって同じビクターからインビテーションレーベルで岡林信康のベストアルバムが発売されました。これはvol.1ですがvol.2も販売されてようです。内容は2枚組のベストセレクションと同じでした。トホホ!
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