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2020/10/19

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  • Moody Bluesの10枚目、Long Distance Voyagerは米国でまたまた1位です。

    前作から3年を隔てて1981年に発売されたLong Distance Voyageですが、米国で再度1位になったアルバムです。特に先頭の「The Voice」は個人的にもノリノリのROCKの曲ですのでお気に入りの曲です。Youtubeで映像と共に楽しむのがお勧めです。また「Gemini Dream」もシングル

  • Moody Bluesの再始動は1978年のOctave。

    実質9作目になるMoody BluesのOctave(和名、新世界の曙)。前作が1972年発売でしたのでもう活動は無いかと思いきや、やっと再始動になりました。しかし商業的には英国で6位と若干のランクダウンにはなりましたが、待っていたファンも多かったと思います。先頭の「Stepin'

  • Moody Bluesの8枚目、Seventh Sojournは米国で1位に輝く。

    1972年発売のこのアルバムは遂に英国で5位なのに対して米国で1位になったアルバムです。アルバムタイトル’7番目の滞在’とはデニーレインがいた1枚目を除くと7番目のアルバムという事なのですかね?このアルバムのコンセプトは神秘当たりの言葉が似合うででしょうか。「Is

  • Moody Bluesの7枚目、童夢は英国で連続1位だよ。

    1971年発売の童夢は連続の好セールスではありますがアルバムとしての一体感は発売ごとに薄れてきた感じです。何と言ってもアルバムタイトルは単位コード進行の頭文字(E.G.B.D.F)なだけ様ですのでいい加減なものです。唯一シングルカットされている「The Story In Your Ey

  • Moody Bluesの6枚目、A Question Of Balanceは再度英国1位だ。

    1970年発売のA Question Of Balanceですが「Question」に始まり「Balance」の曲でラスト曲になりますが、段々アルバムのコンセプトがわかりにくくなります。先頭の「Question」はシングルでもようやく好セールスになり英国で2位までになったようです。またYoutubeで「Quest

  • Moody Bluesの60年代最後のアルバム’子供たちの子供たちの子供たちへ’

     1969年にはアルバムを2枚リリースしているMoody Bluesですが、こちらのTo Our Children’s Children's Childrenも英国で2位と実に好セールスを記録しています。コンセプト的には未来を描いた感じですが、これも聴く側の感性で自由に捉えて噛まないと思います。唯一シングル

  • Moody Bluesの4枚目、夢幻(On The Threshold Of The Dreem)で遂に英国1位獲得。

    1969年に発売された4枚目のアルバム夢幻は初めて英国1位を獲得したアルバムです。げんそうてきなジャケットデザインは相変わらずで、今度はオリジナルレーベル(このCDはこのレーベルの5枚セット)にもなりました。今度のコンセプトはタイトル通り夢幻ですが、その感覚は聴

  • Moody Bluesの3作目、’失われたコードを求めて’は英国でやっと売れた!

    幻想的なジャケットデザイン(以降も続くが!)と前作に続いて1つのアルバムが1作品の傾向で1968年に発売された失われたコードを求めてですが、前作のような1日を表した分かりやすいものではなくて今度はよりメンタル的要素の作品と思われます。しかしシングルカットされた

  • Moody Bluesはここからスタート。2枚目のDays Of Future Passed。

    Moody Bluesはプログレッシブロックのジャンルを築いた代表グループですが、1967年発売の2枚目からジャスティン・ヘイワードとジョン・ロッジが加入して1枚目とは全く違うバンドになったようです。「Go Now」をヒットさせたデニー・レインも違う道(Wings)で成功している

  • べーやんの名前がしっくりくる。堀内孝雄ベスト。

    フォークシンガーから演歌歌手へ変わってしまったべーやんですが。アリス以降のソロ活動初期のベストアルバムがこの堀内孝雄ベストです。1975年から1979年までの東芝EMI在籍中のヒット曲を集めていますが、何と言っても谷村新司との作品「君の瞳は10000ボルト」がのりのりで

  • フォークデュオのBUZZもいた。

    何と言ってもBUZZといえ1972年に発売された「ケンとメリー~愛と風のように~」がスカイラインのCMソングだったので有名になりました。このGENTLE MIND FROM BUZZのアルバムは1976年に発売されたものですが「はつかり5号」がシングルカットされてヒットしました。しかし80

  • 伝書鳩。フォークブーム時に出ては消え!

    フォークブーム時には表れてすぐに消えていったグループがいくつかあります。そんな典型なのが伝書鳩かと思います。この’目覚めた時には晴れていた’は1976年に発売された2枚目のアルバムで、結局これ以降はアルバムは出しませんでした。シングルも5枚しか発売されていま

  • ブレッド&バターのデビューアルバムは1973年発売のイメージ。

    ブレッド&バターは兄弟デュオなので狩人のフォーク版ていう感じです。このアルバムを発売前に岸部シローがボーカルを務めた「バタフライ」のシングル(1971年発売・ポリドール)が家にあったのでこのコロンビアでの「デビューアルバムの’イメージ’以前に知っていました

  • 異色のフォークシンガーに中山ラビもいる。

    残念ながら先日亡くなってしまったが、中山ラビの1972年のファーストアルバム私ってこんなです。典型的なシンガーソングライターで商業的に成功したかは別としてずっと全曲作詞作曲でアルバムを出し続けた(後期は加藤和彦の曲だが!)オリジナリティーの高いアーティスト

  • ニューミュージック世代のフォークのシンガーソングライター永井龍雲。

    長渕剛やこの永井龍雲はフォークブームが去ってから現れたフォークのシンガーソングライターっていう感じのアーティストです。一応70年代ギリギリにはデビューしていますが、若干メジャーを感じないのはなぜでしょう。実は非常に印象に残っていて25才の誕生日の理由もなく

  • 岸田智司(旧名)はニューミュージックかな?

    個人的には「きみの朝」しか記憶ありませんが、フォークブームも去った1976年のデビューの岸田智司のベストアルバムです。今は敏志になっているようですが、このアルバムの頃はまだ智司の時代です。CBSソニー時代のデビューシングルの「蒼い旅」から「黄昏」「部屋」、そし

  • デュランⅡの最終ライブ・時は過ぎては貴重盤。

    解散してから時間をおいて発売されてディランⅡの最終アルバムが時は過ぎてのライブアルバムです。短い活動でしたがライブの味のある関西ファークをじっくり味わえるアルバムです。選曲は耳に馴染んだ定番曲「プカ・プカ」や「サーカスにはピエロが」などですのでライブで

  • 本田路津子もフォーク時代の女性シンガー。

    森山良子の少し後の1970年に「秋でもないのに」でデビューした本田路津子のベストアルバムです。自身のシングル曲はデビュー曲以外には「風がはこぶもの」と唯一自身で作詞した「一人の手」が挿入されていますが、2枚組のLPには当時のフォークの他人のヒット曲を歌ったアル

  • ディランⅡのあとにオリジナル・ザ・ディランの名義で1974年に発売された悲しみの街。レアかも!

    ディランⅡのメンバー(大塚まさじ、永井よう、西岡恭三)に加え(林敏明Dr、田中章宏Bass、魔矢イタルA・G、石田長生E・G、佐藤博Pf)らを加えたディランならではのアルバムです。シングルカットされた曲はありませんが実のこの時代のフォークっぽいアルバムになっていま

  • 森山良子もフォーク世代の歌い手です。

    今や直太朗の母やかつらのCMのイメージになってしまった感がありますが、60年代後半からフォークシンガーで売れていましたね。この美しさでは当然でしょうか!デビュー曲の「この広い野原いっぱい」は自身で作曲していますが、70年代前半までのヒットシングルはすべて他人

  • 憂歌団のファーストアルバム、憂歌団は1975年発売。

    フォークからニューミュージックへと変遷していた中で個性的なバンドとして憂歌団も欠かせません。フォークでもなくニューミュージックでもない、どちらかと言えばブルースバンドでしょうか。木村さんの独特なボーカルは他のバンドにない味を出しています。「嫌になった」

  • フォークルは加藤和彦だけではない。北山修も重要人物。

    戦争を知らない子供たちのアルバムタイトルですが、もちろん曲名でもあります。医学博士の人生で若い時のほんの短い間だけ音楽活動をしていただけですが残された作品は有名なヒット曲ばかりです。「戦争を知らない子供たち」はジローズのヒット曲ですが、はしだのりひこの

  • マイペースは「東京」しかヒットしなかったがLPも出している。

    1974年のフォークブームも終焉という時期に「東京」という曲をヒットさせたグループがマイペースです。しっかり曲名と同じタイトルのアルバムも発売しています。結局一発屋になってしまった感があります。その後もう1枚アルバムも出していますが、「東京」以外の曲は知名度

  • 喜太郎のファーストアルバムが天界です。

    フォーク世代より若干若いのですが、シンセサイザーの代名詞の喜太郎がデビューしたのは1978年の天界のアルバムからです。まだシルクロードで名前が広がる前のアルバムですが、シンセサイザーというジャンルの草分け的アルバムでフォークソングと全く違うジャンルも気分転

  • GAROも一時はヒットした。

    このゴールデン・スター。デラックスはコロンビアレコードから1975年に発売されたGAROのベストアルバムです。何と言っても「学生街の喫茶店」が大ヒットだったのですが、この曲は自身らが作った曲ではなかったので相当苦悩があったようですね。若くして日高さんが自殺して

  • 関西フォークの中心的存在。高田渡のベルウッドファーストアルバム。

    1969年にURCからLPも発売せれていますが、この’ごあいさつ’はベルウッドでのファーストアルバムで1971年の発売です。「自転車にのって」は自身での作詞作曲でシングルヒット曲ですが、作詞作曲ともに行っている曲は数曲で作詞は半分以上は他人の作詞です。しかし実に庶民

  • Chicagoの11作目はChicago 13。またアルバム発売順になった。

    前作のHOT STREETが発売順では12枚目なので(ライブ2枚を含め)このアルバム名がまた発売順の数字になったのでChicago13になる訳です。そしてジャケットデザインもまた大きくChicagoの文字を配したデザインに戻されました。1979年発売のこのアルバムでは何と言っても「Stre

  • Chicagoの10作目はジャケットデザインを初めて変更。

    この10作目のChicagoのアルバムは曲の前に初めてChicagoの文字を大きく描いたジャケットデザインを初めて起用しなかったアルバムでメンバーの写真を写したものに初めて変えられました。おまけにアルバムタイトルも数字でカウントしていたのを止めてHOT STRRETと名前も付け

  • Chicagoの9作目はChicagoⅪ。キャスの最後のアルバムです。

    このアルバムが発売された1977年は個人的にやたら洋楽を聞き出した頃でエアチェックでこのアルバム発売後にカセットテープに録音していたので一番耳に馴染んがアルバムがChicago Ⅺです。しかし世間では流石に9枚目にもなればまんねり化は拭えないでしょう。USのチャートは

  • Chicagoの8作目はChicagoⅩ。もう一つずれた!「

    Chicagoの8作目がまたまた順番がずれたのは以前と同じで9作目がライブアルバムだったのでスタジオアルバムで数えると8作目が1976年発売のChicagoⅩになる訳です。ジャケットは板チョコの銀紙を剥がしたデザインでChicagoの文字を大きく描いたジャケットデザインは変わって

  • Chicagoの7作目は1975年のChicagoⅧ。冒険はやめたようです。

    ジャケットの色彩が豊かになりました。このChicagoⅧは前作のような2枚組でジャズインストルメンタル的指向は無くなって、普通の1枚のアルバムに戻りました。アルバム発売前にシングルヒットしていた「拝啓、トルーマン大統領」がこのアルバムをヒットさせた感じですが、段

  • またまた2枚組になった6枚目のChicagoⅦ。

    久々の2枚組な事以外にこのLPでは1枚目の2曲目までがすべてインストナンバーになって演奏をじっくり聴かせるアルバム指向にしたところです。ゆえにこのアルバムのシングルカット曲の3曲「(I've Been) Searchin' So Long」「Wishing You Were Here」「Call On Me」はすべて2

  • Cicago5枚目のChicagoⅥは初のメンバー写真ジャケット。

    1973年発売のこのChicagoⅥは初のメンバーが載ったジャケットだけが特筆でなくアルバム構成も普通になり(やたら長い曲もなくなり、サブタイトルが着いた曲もなくなり、2枚組でもなくなった。)再びアメリカ1位もなりました。「Just You 'n' Me」と「Feelin’Stronger Ever

  • Chicagoの4作目はChicago Ⅴ(ファイブ)です。

    Chivago Ⅳはライブレコードですので実質の4作目のアルバムはこのChicago Ⅴになります。このアルバムでやっと普通?のアルバムになりました。初めて2枚組じゃなくなったのです。もう一つ特筆すべきはほとんどの曲がロバート・ラムの曲になっている点です。キャスとパンコ

  • Chicagoの3枚目は1971年発売のChicagoⅢ。わかりやすい!

    立て続けに2枚組を出すグループはそうないと思いますが、Chicagoは3作目も2枚組を発売しました。(これはCDなので1枚です!)チャートも今後はビルボード2位まで上り詰めてこの3枚まででChicagoの名前をすっかり定着させた感じです。アルバムタイトルも発売順のⅢになって

  • 1970年発売のChicagoⅡ(シカゴと23の誓い)は正式名称は単にCHICAGO。

    2作目も続いて2枚組を発売したChicagoです。(これはCDなので1枚ですが!)初アルバムは長い曲ばかりでしたが、2作目は長い曲は3曲になりました。しかしサブタイトルになっていて短い曲をつなげて長くなっています。今回は2作目で米国4位とさらにセールスを伸ばしたようで

  • THE CHICAGO TRANSIT AUTHORITYはシカゴの1969年4月のデビューアルバム。

    ブラスロックの代名詞、Chicagoはすでに60年代(1969年4月アルバムデビュー)から活躍しているバンドです。初っ端から2枚組を出していて途端に英国で9位と即売れたバンドです。2枚組(これはCDなので1枚ですが)であっても収録曲は12曲しかありません。いかに1曲が長い曲な

  • 斎藤哲夫の2枚目はCBSソニーから1973年に発売です。

    バイバイグッバイサラバイがアルバムタイトルですが、「悩み多き者よ」「されど私の人生」で1970年、1971年とシングルを発売した斎藤哲夫ですが、1973年になってから精力的に活動してCBSソニーから立て続けにアルバムが出たCBSソニーでの初めのアルバムがこのバイバいグッ

  • フォーク世代の毛色の変わったシンガーソングライターの長谷川きよしもいる。

    現代では盲目のピアニストととして辻井伸行なんかが有名ですが、フォーク世代にも盲目の有名アーティストはいました。海外では断然スティービー・ワンダーが有名ですが日本では長谷川きよしです。当初は何で全盲でこんなことが出来るのか実に不思議でしたが、逆に盲目だと

  • ケメも立派なシンガーソングライターです。ファーストアルバムが午後のふれあい。

    ピピ&コットのギターとボーカルのケメ(佐藤公彦)が1972年に発売されたファーストアルバムが午後のふれあいです。。外形上の中世的イメージで女の子しか聴かなかった感じがします。しかしこのアルバムでも全曲作曲で作詞もかなりしています。このアルバムは全曲譜面も書か

  • フォークブーム時代に名前が良く出たシバもアルバムを出しています。

    高田渡などといっしょに武蔵野タンポポ団の一員のシバのデビューアルバムが1972年発売の青い空の日です。加川良のバックアーティストなど表舞台のアーティストのイメージは薄いかもしれませんが、ちゃんと自身のアルバムも発売しています。「淋しい気持ちで」「もしも」な

  • 東大卒の有名人の元祖的な加藤登紀子。60年代のベストあるアルバムが琵琶湖周航の歌。

    女性シンガーソングライターでフォークブームの初期のアーティストの代表格が加藤登紀子かもしれません。60年代後半から活躍していて東大卒として有名です。このアルバムタイトルの「琵琶湖周航の歌」は小口太郎の曲で、森繫久弥の「知床旅情」も挿入されています。ファー

  • 70年代の一部マニアには頭脳警察も懐かしいかも!

    1972年にデビューした頭脳警察ですがイメージは発売禁止や放送禁止で決してメージャーロックバンドではないと思います。この’仮面劇のヒーローを告訴しろ’は1973年に発売された実質5枚目のアルバムです。パンタの個性的な世界を今の軟弱な若者と比較するのも面白そう。し

  • エイプリル・フールの小坂忠も渋いシンガーソングライターだ。

    フォークブームの1970年前後にフォークよりはロック系の感じで小坂忠も忘れてはなりません。確かに大ヒットした有名曲は無くても何となく大人な感じでミーハーっぽく無かったのがいいのですが、曲はどちらかというと童謡っぽい歌詞とゆるいテンポで「機関車」「カラス」「

  • フォークブームが終焉の時期に表れた因幡晃もシンガーソングライターです。

    フォーク世代のアーティストは1940年代の方々ですのでこの因幡晃さんはデビューが1976年とフォークブームの終わりの時期に現れましたが実際1954年生まれですのですでに世代が違います。いろいろなシンガーソングライターのフォーク時代の一人ですが「わかって下さい。」で

  • フォーク全盛時代にみなみらんぼうもいた。武蔵野詩人がファーストアルバム。

    フォーク時代のシンガーソングライターの中には高石智也や岡林信康のような代表的存在でもなく、吉田拓郎や井上陽水のような有名アーティストでもなくて地味なアーティスとかもしれませんが、みなみらんぼうも自分の世界を持ったシンガーソングライターです。「酔いどれ女

  • PETE HAM(BADFINGER)が亡くなってからのソロアルバムがもう1枚発売された。

    PETE HAMのGolders Greenは前作の7 Park Avenueのあった地名です。前作でも23曲もの曲を収録していたのに今回も22曲も収録されています。前作は1997年発売でしたが2年後の1999年に再度CDが発売されるとは、そのストックされた曲の多さに脱帽です。先頭の「Makes Me Feel Go

  • PETE HAM(ピート・ハム)がソロで録り貯めた曲のCD第一弾が7 Park Avenue。

    当時のHAMの才能を見出したビル・コリンズさんとそれをCD化を具現化させたスタッフの感謝ですね。このCDを普通の音楽CDのように聴いて楽しむのはBADFINGRの曲を熟知していなければ楽しめないでしょう。しかし一人で作った作品とは思えないと感じる部分もあります。7 Park A

  • BADFINGERの最後のレコーディングアルバムはSay No More。

    結局のちにエバンスまでこの世を去ってしまってBADFINGERの最終アルバムになってしまいましたが、前のAirwavesよりはすべての曲がエバンスとモーランドの曲になったので新たに加入したキーボードのトニー・ケイが参加していますが、すべての曲調が以前のBADFINGERに戻った

  • PETE HAMを失った再始動のBADFINGERも一応入手しています。

    モリソンを失ったドアーズなんかと全く同じでメインのアーティストを失ってしまえば同じようなセールスは絶対に期待できません。ドアーズもモリソンを失ってから2枚のアルバムを出していますがさっぱりだったようです。(当方も購入していません。6枚で終了です。)BADFING

  • BADFINGERの最終アルバムHEAD FIRSTは収録後25年を経て忘れた頃に発売された。

    BADFINGERのメインアーティストのPETE HAMはやたらナンバーワンが多い気がする。一番沢山曲を書く事や最高セールスを上げる事など身近にいたBEATLESのポールマッカートニーなどとは全然違う一番だ。一番才能に反比例して富を得なかったアーティスト、ナンバーワンセールス

  • THE BEST OF BADFINGER VOLUMEⅡはワーナー移籍後のベストアルバムです。

    Badfingerは何と言ってもアップルレコード所属の第一アーティストだったのが有名でヒット曲もこのアップル在籍中の曲がメインな感じですが、ワーナー移籍後のベストアルバムが1990年にしっかり発売されました。このベストアルバムのセールスポイントは後に発売されましたが

  • Badfingerのワーナー2枚目のWISH YOU WERE HEREでHAMが生前の発売最後のアルバム。

    1974年に2枚のアルバム発売契約だった2枚目がWISH YOU WERE HERE(邦題・素敵な君)ですが、翌年にはHAMがこの世を去ってしまって生前の最終アルバムになってしまいました。しかし著作権問題でごたごただった長い年月を経て次のアルバムのHEAD FIRSTが忘れた頃に発売されて

  • Badfingerのワーナー1枚目はbadfinger(和名、涙の旅路)。

    すっかりHAMが創作意欲を無くした時期を脱して新規レーベルで出した最初のアルバムです。1974年に契約上2枚のアルバムを出す必要があったらしくストレートアップの頃のような勢いは感じなくてもBadfingerらしいアルバムになっています。「I Miss You(涙の旅路)」はシング

  • Badfinerのライブアルバム’DAY AFTET DAY’はアメリカでの演奏。

    BBC[のライブは1972年と1973年のものでしたが、このDAY AFTER DAY LIVEは1974年3月のライブです。ただしこちらは1990年発売なのでBBCライブより早く発売されています。こちらでは「No Matter What」がなくても大ヒットの「Day After Day」とアメリカでもヒットした「Baby B

  • Badfingerのライブアルバム。1972年と1973年のBBCコンサートはマニアしか保有していないかも。

    前半の7曲が1972年8月のコンサートで後半の7曲が1973年10月のコンサートです。珍しいのはDave Masonの2曲を1972年のコンサートで演奏しています。定番のヒット曲「Day after Day」「No Matter What」は挿入されていませんが前半では「BETTER DAYS」「WE’RE FOR TE DARK」

  • Badfingerの前身、IVEYS(アイビーズ)のMAYBE TOMORROWは当時は売れず!

    このアルバムタイトルの「MAYBE TOMORROW」は1968年にアップルレコードからシングルレコードが発売された初めてのBadfingerの前身であるIVEYSのファーストシングルです。アップルレコードの初めてのアーティストで頑張ったようですがこの曲を挿入してアルバムタイトルにも

  • Badfingerのアップル在籍中のベストアルバム。車中にいつも常備してます。

    アップルレコードから4枚のスタジオアルバムをリリースしたBadfingerです。すべて買い揃えてありますが、この4枚からセレクトされたアップル在籍中のベストアルバムがちゃんとあります。ベリー・ベストは後のワーナーの曲も一部含まれていますが、こちらはアップル時代のみ

  • Badfinger最低セールスのASS。この時期の状態が見事に反映されている。

    前作がBadfingerの最高のアルバムだとしたらこのASSは最低のアルバムです。決してバンドメンバーが悪い訳ではありません。実にこの頃のゴタゴタガ感じられます。米国では1973年発売のようですが英国では翌年まで販売されなかったようです。1974年には移籍したワーナーから

  • Badfingerのストレート・アップが絶頂期のアルバムです。

    1971年頃は非常に良いバンドが勢ぞろいだった時期なのでセールス的には大ヒットには見えないのですが、飛ぶ鳥を落とす勢いだったのは間違えありません。代表曲の「Day afer Day」はシングルでは英国で4位まで上り詰めたようで「Baby Blue」も大ヒットしました。個人的に1番

  • Badfingerの2作目のノー・ダイスで一躍脚光浴びた。

      1970年発売のノー・ダイスは一躍グループ名の知名度を上げた「嵐の恋(No Matter What)」が挿入されたアルバムです。当時中々シングルを発売しなかったアップルレコードから数少ないシングルレコードで英国では5位なでになった曲です。当時この曲でバッドフィンガーが気

  • ヴェリー・ベスト・オブBadfingerで大体網羅。

    初めて買ったBadfingerのCDがこのヴェリー・ベスト・オブ・バッドフィンガーなのですが、この時の嬉しさは少年並みでした。Badfingerの「No Matter What」「Day after Day」などは当時自営業家庭で一日中家の中ではTBSラジオが流れていたのでリアルタイムに聴いた記憶が残

  • 結局一番好きなアーティストはPETE HAM(Badfinger)。デビューアルバムがマジッククリスチャンミュージック。

    日本のフォークも海外のロックも10代の頃は大好きだったか半世紀たって未だに一番好きなアーティストはピート・ハムです。複雑なメロディーや幻想的な詩のプログレばっかり若い頃には聴いていたのですが、結局聴きやすいメロディーと心打たれるシンプルな詩の曲が一番なの

  • 西岡たかし率いる五つの赤い風船の第一集はレアかも!

    まだ西岡たかしの名が広まる前の五つの赤い風船のアルバムです。1969年までに発売された代表曲の「遠い世界に」と「恋は風に乗って」「血まみれの鳩」が挿入されている初アルバムです。1969年の発売なのでレコード1枚が1800円なのは時代を感じます。

  • パンジョーの草分け的存在だった岩井宏の30才もかなりレアレコード。

    60年代後半から70年代前半のフォークブームでかなり名前が出ていた岩井宏のソロアルバムです。唯一のヒット曲「かみしばい」が挿入されているアルバムです。当時のパンジョー弾きと言えは岩井宏の名前がすぐに出てきた方ですがソロアルバムも2枚だけ発売され、1973年発売の

  • 休みの国のアルバムはレアだと思います。

    1969年に発表された「追放の歌」が収録されている休みの国のアルバムです。アルバムタイトルも休みの国だと思われます。シングルの「追放の歌」の3年後の1972年にこのアルバムが発売されましたが、このレコードは後にSMSから1980年に再販売された復刻版です。休みの国を立

  • 遠藤賢司も懐かしのアーティストです。2作目のアルバム満足できるかなはレアかも!

    ファーストシングルは1969年、ファーストアルバムniyagoは1970年に発売されていますが、この満足できるかなは1971年の2枚目のアルバムです。「満足できるかな」以外も代表曲の「カレーライス」が挿入されているアルバムです。作詞作曲は全曲本人でギターもボーカルも行う典

  • あがた森魚のレミゼラブルもレアレコードかも。

    このレミゼラブルは1974年のあがた森魚の3作目のアルバムです。フォークブームの時代に独特な雰囲気を持っていて他のアーティストとはかなり異色な感じです。他のアーティストの曲も多いのですが「大寒町」「テレビジョン」「キネマ館に雨が降る」などレトロ感漂う曲が個性

  • 非常にレアな斎藤哲夫のファーストアルバムもあります。

    未だにクイズ番組などでも活躍中の宮崎美子はテレビで見かけますが、あのCM曲「いまのキミはピカピカに光って」を歌っていたのが斎藤哲夫です。このCM曲がヒットした時期にSMSから帯を変えて売られていたファーストアルバム、僕は英雄なんかじゃないです。アルバムは1972年

  • 非常にレアな武蔵野タンポポ団。

    フォークブームの中の1971年に活動していた武蔵野タンポポ団のアルバムで、1972年に1枚だけ発売された唯一のアルバムが武蔵野タンポポ団の伝説というタイトルのアルバムです。高田渡、シバ、山本コータロー、若林純夫らが吉祥寺で活動していた短い期間のアルバムでほとんど

  • QUEENの世界に捧ぐは前の2作とは随分違うコンセプトじゃない!

    オペラ座の夜、華麗なるレースとQUEENのヒットアルバムが続いたのでこの1977年に発売された世界に捧ぐも期待を持って発売後すぐに購入した記憶があります。しかし前の2作と比較すると全然感じが違うアルバムと感じました。「伝説のチャンピオン」や「It’s Late」などは決

  • QUEENの華麗なるレースは前作の延長の雰囲気です。

    1975年に発売された前作のオペラ座の夜の後リアルタイムに次のアルバムのセールスを聞いてナケナシノ小遣いでこの華麗なるレースを買った記憶があります。輸入盤ですので国内アルバムが売り出される前かも知れません。オペラ座の夜が日本で大ヒットでしたので1977年(英国

  • QUEENのアルバムは3作目のシアー・ハート・アタックからあります。

    ちょっと前に映画にもなりましたが、個人的にはQUEENはそれほど押しているバンドでもありません。しかしボヘミアン・ラプソディーのヒットで一躍有名バンドになってオペラ座の夜を買いましたが、遡ってシアー・ハート・アタックも当時入手しました。しかし「キラー・クイー

  • 岡林信康のベストアルバムは沢山あります。ビクターのインビテーションレーベルのVOL.1もあります。

    1982年になって同じビクターからインビテーションレーベルで岡林信康のベストアルバムが発売されました。これはvol.1ですがvol.2も販売されてようです。内容は2枚組のベストセレクションと同じでした。トホホ!

  • 岡林信康のライブアルバム岡林信康withはっぴいえんどが数年経って発売させました。

    三枚組のライブアルバム、狂い咲きを売り出した岡林信康ですが、狂い咲きは1971年7月の音源です。この岡林信康withはっぴいえんどはそれより前の1970年12月の神田共立講堂での音源になります。ちょうど2枚目のスタジオアルバムがはっぴいえんどをバックバンドに迎えていた

  • CBSソニー移籍後の岡林信康4作目が金色のライオン。

    1973年に発売された2年ぶりのアルバムです。URCからCBSソニーになって初アルバムです。すっかり以前のカリスマ性が無くなって謙虚になってしまった感じです。このアルバムでも全曲作詞作曲で社会性やメッセージ性で岡林信康らしい曲ですが、バックのスタッフも以前とはまた

  • 岡林信康の集大成はやはりこの狂い咲きでしょう。

    1971年7月28日に日比谷野外音楽堂で行われた岡林信康の自作自演コンサート、狂い咲きです。やはりベストアルバムでは納得できずに中古で購入しました。数少ない3枚組のライブアルバムです。初期の定番の曲「がいこつの唄」「チューリップのアップリケ」「流れ者」から「俺

  • 岡林信康オンステージは狂い咲きコンサートライブの抜粋レコード。

    1972年にビクターから発売された岡林信康のライブアルバムが岡林オンステージです。このレコードは実に特殊で1971年にURCから発売された狂い咲きのライブレコードから12曲だけを抜粋したライブのベストアルバムなのです。URCの本家のレコードは3枚組で当時としては4500円な

  • 岡林信康の3作目、俺らいちぬけたはタイトルから苦悩が満ちている。

    このLPで3作の作品を出していたが以前ははっぴいえんどがバックバンドだったのですが、この1971年に発売された俺らいちぬけたははっぴいえんどの陰はありません。フォークの神様から逃れたかったのがアルバムタイトルでもわかります。「俺らいちぬけた」はシングルカットさ

  • 岡林信康の2作目、見るまえに跳べはロックに変化!

    フォークの神様なのに2作目からロックになりました。ギターソロの曲以外は’はっぴいえんど’がバックバンドですから当然です。「愛する人へ」「自由への長い旅」はシングルカットされています。ベストアルバムでも採用の「性と文化の革命」「私たちの望むものは」もこの2

  • フォークの神様、岡林信康のファーストアルバム、わたしを断罪せよです。

    岡林信康といえば「山谷ブルース」が一番に出てくる曲ですが、ちゃんとファーストアルバムに収録されています。LPはURCレコードから発売されているのにシングルはビクターなのです。60年代はちょっと変ですね。岡林のスタンダードナンバー「今日をこえて」「友よ」「それで

  • YESのトーマトは潰れたトマトのジャケットで曲とはリンクしていない。

    究極に続いて1978年に発売されたトーマトです。ボーカルのアンダーソンの曲が多いアルバムです。「クジラに愛を」はシングルカットされました。他にも映像が見られる曲があるのでYoutubeで曲と一緒に映像を見る方がお勧めです 。「UFOの到来」なる曲も出てきてUFOという言

  • YESの3年ぶりの8作目、究極も英国1位です。

    1974年のリレイヤーから3年後の1977年に発売された究極(Going For The One)です。前作ではいなくなっていたキーボードのリック・ウェイクマンも復活しました。当然ながらアルバムタイトルの「究極」がメインの曲ですが、「Wonderous Stories」もシングルカットされている

  • YESの7作目、リレイヤーはA面1曲B面2曲の長い曲の構成。

    順番で行くと6枚目の海洋地形学の物語なのですが全部はありません。7作目の1974年発売のリレイヤーですがキーボードのリック・ウェイクマンが抜けて違うコンセプトになった雰囲気です。ギター好きにはスティーブ・ハウの全然譜面を引かないわけわからないギターがすごすぎ

  • YESの1971年のアルバム、こわれものもあります。

    YESの一番好きなアルバムは危機(Close to the Edge)ですでに載せたのですが、その前作(YES4作目)の’こわれもの’もヒットアルバムだと思います。何といっても先頭の「ラウンドアバウト」はシングルカットされていますので有名です。また他の曲の多くはメンバー各自の

  • 加藤和彦の1985年のベストアルバムは全曲奥さんの安井かずみ作詞。

    フォークブームも過ぎ去って加藤和彦の1985年に発売されてベストアルバムがこのル・バー・タンゴです。2枚組LPの片面づつタイトルがついています。BAHAMAS:1979、BERLIN:1980、PARIS:1981、VENEZIA:1984の4つで1979年から1984年までのベストです。以前のフォークル時代の

  • 加藤和サディスティック・ミカ・バンドの3作目はHOT! MENUです。

    もはや加藤和彦だけが有名アーティストではなくなった感があります。1975年発売のHOT! MENUですが、キターは名ギタリストの高中正義、ドラムはのちにYMOで名を残した高橋幸宏です。このアルバムから参加の後藤次利も名ベーシスト、今井裕も名キーボードプレイヤーでバンド

  • 加藤和彦在籍のサディスティック・ミカ・バンドの黒船は有名かな!「

    1972年に「サイクリング・ブギ」でデビューしているサディスティック・ミカ・バンドですが1973年にファーストアルバムも発売され、2作目が1974年に発売されたこの黒船です。シングルカットされた「タイムマシンにおねがい」がヒットしましたが、のちに木村カエラをボーカル

  • 加藤和彦・北山修・はしだのりひこ(フォーク・クルセダーズ)の唯一のアルバム、紀元貳阡年です。

    1968年に発売されたフォーク・クルセダーズのアルバムです。このレコードは1500円で再販売された時のものです。当時ラジオでリアルタイムに聞いた「帰ってきたヨッパライ」は実に鮮明に覚えています。他にもコミカルな詩の曲が多くて楽しいアルバムです。

  • 加藤和彦在籍のフォークルはこのレコードで聴ける。

    フォークブームで欠かせないアーティストに加藤和彦がいます。当時のヒットシングルはこのタイムトラベルPartⅡに収録されています。アーティスト名はザ・フォーク・クルセダーズで「帰ってきたヨッパライ」「悲しくてやりきれない」「青年は荒野をめざす」「あの素晴らし

  • キング・クリムゾンの6作目の暗黒の世界もライブがメイン。

    前作で新規一転だったはずだが、この暗黒の世界も支離滅裂な感じです。スタジオ録音の曲も入っていますが、ライブの曲もあり1枚のアルバムで統一されていない珍しいあるばむです。おまけにアルバムタイトルの「Starless and Bible Black」は次のREDの最終曲「Starless」の

  • キング・クリムゾンの太陽と戦慄はメンバー総入れ替えの新生キング・クリムゾン。

    1973年にキング・クリムゾンのファーストアルバムと題して発売された太陽と戦慄です。実質6作目ですがメンバーを一新させた事を強調したかったのでしょう。もう作詞とジャケットデザインのピート・シンフィールドがいないので今までのような奇抜なジャケットではなくなりま

  • キング・クリムゾンのライブアルバム、アースバウンドは1972年の作品。

    順番で行くと次は4作目のアイランズと行きたいものなのですが、全作を順番に買ってはいません。3作目のリザードは今一で噂では1・2作目とレッド以外は買わない方がいいと耳に入れた記憶があります。しかし中古レコード店でこのアースバウンドをみかけて見覚えのある曲(21s

  • キング・クリムゾンの3作目はリザード。売れ行き芳しくない!

    1970年にはもう一枚リザードというタイトルのキング・クリムゾンのアルバムが発売されています。以前リリースされた2枚のアルバムは実に好セールスで衝撃的なアルバムだったのは間違えありません。この流れで奇抜な曲名、摩訶不思議なジャケットデザイン、そして幻想的な詩

  • キング・クリムゾンのポセイドンのめざめも1作目の延長の如くすばらしい。

    1970年に発売されたキング・クリムゾンの2作目、ポセイドンのめざめも前作に引き続いてこれぞプログレという感じを見事に続けています。アルバムタイトルが全く違うのですが、幻想的なジャケット、幻想的な歌詞と曲名、それにポップではないのに実に幻想的な曲調と全く前作

  • キング・クリムゾンのファーストアルバム、クリムゾン・キングの宮殿です。60年代にこの作品は凄すぎる!

    プログレッシブロックの代表格はピンク・フロイドとムーディー・ブルース、そしてこのキング・クリムゾンでしょう。ビートルズのアビーロードを1位の座から引きずり降ろした噂で有名ですが事実かどうかは怪しいようです。事実チャートは1位になっていません。アルバム全体

  • フォークブームが去った時期の加川良のアルバム、プロポーズです。

    1978年に駒沢あたりでを発売してから1981年に3年の時を経て発売された加川良のプロポーズです。中々CD化もされなかったようで今ではボーナストラック付きのCDもあるようです。加川良のスタイルは健在で、「通りゃんせ」と「日本海が広がっている」は7分以上、6分半という長

  • 加川良が歌うライブレコードに幻のフォークライブ傑作集がある。

    SMSというレーベルから幻のフォークライブ傑作集というシリーズが発売されています。全部で25枚リリースされた23番目のレコードがこの'71フォーク・アウト・フォーカスです。2枚組の1枚目のA面が加川良のサイドです。なお裏面は三上寛で2枚目が西岡たかしです。ほぼマニアし

  • 加川良の1975年のアルバム、十月は黄昏の国は小椋佳との共作です。

    この十月は黄昏の国は1975年のミュージカルのタイトルです。他のレコードと違う方向でレコードが出されました。曲は大体半分ずつ小椋佳と書いているようです。メインキャストは坪田直子で柴田恭兵のデビューミュージカルなようですがもうすっかり思い出される事もなさそう

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