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2020/10/19

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  • 異色のフォークシンガーに中山ラビもいる。

    残念ながら先日亡くなってしまったが、中山ラビの1972年のファーストアルバム私ってこんなです。典型的なシンガーソングライターで商業的に成功したかは別としてずっと全曲作詞作曲でアルバムを出し続けた(後期は加藤和彦の曲だが!)オリジナリティーの高いアーティスト

  • ニューミュージック世代のフォークのシンガーソングライター永井龍雲。

    長渕剛やこの永井龍雲はフォークブームが去ってから現れたフォークのシンガーソングライターっていう感じのアーティストです。一応70年代ギリギリにはデビューしていますが、若干メジャーを感じないのはなぜでしょう。実は非常に印象に残っていて25才の誕生日の理由もなく

  • 岸田智司(旧名)はニューミュージックかな?

    個人的には「きみの朝」しか記憶ありませんが、フォークブームも去った1976年のデビューの岸田智司のベストアルバムです。今は敏志になっているようですが、このアルバムの頃はまだ智司の時代です。CBSソニー時代のデビューシングルの「蒼い旅」から「黄昏」「部屋」、そし

  • デュランⅡの最終ライブ・時は過ぎては貴重盤。

    解散してから時間をおいて発売されてディランⅡの最終アルバムが時は過ぎてのライブアルバムです。短い活動でしたがライブの味のある関西ファークをじっくり味わえるアルバムです。選曲は耳に馴染んだ定番曲「プカ・プカ」や「サーカスにはピエロが」などですのでライブで

  • 本田路津子もフォーク時代の女性シンガー。

    森山良子の少し後の1970年に「秋でもないのに」でデビューした本田路津子のベストアルバムです。自身のシングル曲はデビュー曲以外には「風がはこぶもの」と唯一自身で作詞した「一人の手」が挿入されていますが、2枚組のLPには当時のフォークの他人のヒット曲を歌ったアル

  • ディランⅡのあとにオリジナル・ザ・ディランの名義で1974年に発売された悲しみの街。レアかも!

    ディランⅡのメンバー(大塚まさじ、永井よう、西岡恭三)に加え(林敏明Dr、田中章宏Bass、魔矢イタルA・G、石田長生E・G、佐藤博Pf)らを加えたディランならではのアルバムです。シングルカットされた曲はありませんが実のこの時代のフォークっぽいアルバムになっていま

  • 森山良子もフォーク世代の歌い手です。

    今や直太朗の母やかつらのCMのイメージになってしまった感がありますが、60年代後半からフォークシンガーで売れていましたね。この美しさでは当然でしょうか!デビュー曲の「この広い野原いっぱい」は自身で作曲していますが、70年代前半までのヒットシングルはすべて他人

  • 憂歌団のファーストアルバム、憂歌団は1975年発売。

    フォークからニューミュージックへと変遷していた中で個性的なバンドとして憂歌団も欠かせません。フォークでもなくニューミュージックでもない、どちらかと言えばブルースバンドでしょうか。木村さんの独特なボーカルは他のバンドにない味を出しています。「嫌になった」

  • フォークルは加藤和彦だけではない。北山修も重要人物。

    戦争を知らない子供たちのアルバムタイトルですが、もちろん曲名でもあります。医学博士の人生で若い時のほんの短い間だけ音楽活動をしていただけですが残された作品は有名なヒット曲ばかりです。「戦争を知らない子供たち」はジローズのヒット曲ですが、はしだのりひこの

  • マイペースは「東京」しかヒットしなかったがLPも出している。

    1974年のフォークブームも終焉という時期に「東京」という曲をヒットさせたグループがマイペースです。しっかり曲名と同じタイトルのアルバムも発売しています。結局一発屋になってしまった感があります。その後もう1枚アルバムも出していますが、「東京」以外の曲は知名度

  • 喜太郎のファーストアルバムが天界です。

    フォーク世代より若干若いのですが、シンセサイザーの代名詞の喜太郎がデビューしたのは1978年の天界のアルバムからです。まだシルクロードで名前が広がる前のアルバムですが、シンセサイザーというジャンルの草分け的アルバムでフォークソングと全く違うジャンルも気分転

  • GAROも一時はヒットした。

    このゴールデン・スター。デラックスはコロンビアレコードから1975年に発売されたGAROのベストアルバムです。何と言っても「学生街の喫茶店」が大ヒットだったのですが、この曲は自身らが作った曲ではなかったので相当苦悩があったようですね。若くして日高さんが自殺して

  • 関西フォークの中心的存在。高田渡のベルウッドファーストアルバム。

    1969年にURCからLPも発売せれていますが、この’ごあいさつ’はベルウッドでのファーストアルバムで1971年の発売です。「自転車にのって」は自身での作詞作曲でシングルヒット曲ですが、作詞作曲ともに行っている曲は数曲で作詞は半分以上は他人の作詞です。しかし実に庶民

  • Chicagoの11作目はChicago 13。またアルバム発売順になった。

    前作のHOT STREETが発売順では12枚目なので(ライブ2枚を含め)このアルバム名がまた発売順の数字になったのでChicago13になる訳です。そしてジャケットデザインもまた大きくChicagoの文字を配したデザインに戻されました。1979年発売のこのアルバムでは何と言っても「Stre

  • Chicagoの10作目はジャケットデザインを初めて変更。

    この10作目のChicagoのアルバムは曲の前に初めてChicagoの文字を大きく描いたジャケットデザインを初めて起用しなかったアルバムでメンバーの写真を写したものに初めて変えられました。おまけにアルバムタイトルも数字でカウントしていたのを止めてHOT STRRETと名前も付け

  • Chicagoの9作目はChicagoⅪ。キャスの最後のアルバムです。

    このアルバムが発売された1977年は個人的にやたら洋楽を聞き出した頃でエアチェックでこのアルバム発売後にカセットテープに録音していたので一番耳に馴染んがアルバムがChicago Ⅺです。しかし世間では流石に9枚目にもなればまんねり化は拭えないでしょう。USのチャートは

  • Chicagoの8作目はChicagoⅩ。もう一つずれた!「

    Chicagoの8作目がまたまた順番がずれたのは以前と同じで9作目がライブアルバムだったのでスタジオアルバムで数えると8作目が1976年発売のChicagoⅩになる訳です。ジャケットは板チョコの銀紙を剥がしたデザインでChicagoの文字を大きく描いたジャケットデザインは変わって

  • Chicagoの7作目は1975年のChicagoⅧ。冒険はやめたようです。

    ジャケットの色彩が豊かになりました。このChicagoⅧは前作のような2枚組でジャズインストルメンタル的指向は無くなって、普通の1枚のアルバムに戻りました。アルバム発売前にシングルヒットしていた「拝啓、トルーマン大統領」がこのアルバムをヒットさせた感じですが、段

  • またまた2枚組になった6枚目のChicagoⅦ。

    久々の2枚組な事以外にこのLPでは1枚目の2曲目までがすべてインストナンバーになって演奏をじっくり聴かせるアルバム指向にしたところです。ゆえにこのアルバムのシングルカット曲の3曲「(I've Been) Searchin' So Long」「Wishing You Were Here」「Call On Me」はすべて2

  • Cicago5枚目のChicagoⅥは初のメンバー写真ジャケット。

    1973年発売のこのChicagoⅥは初のメンバーが載ったジャケットだけが特筆でなくアルバム構成も普通になり(やたら長い曲もなくなり、サブタイトルが着いた曲もなくなり、2枚組でもなくなった。)再びアメリカ1位もなりました。「Just You 'n' Me」と「Feelin’Stronger Ever

  • Chicagoの4作目はChicago Ⅴ(ファイブ)です。

    Chivago Ⅳはライブレコードですので実質の4作目のアルバムはこのChicago Ⅴになります。このアルバムでやっと普通?のアルバムになりました。初めて2枚組じゃなくなったのです。もう一つ特筆すべきはほとんどの曲がロバート・ラムの曲になっている点です。キャスとパンコ

  • Chicagoの3枚目は1971年発売のChicagoⅢ。わかりやすい!

    立て続けに2枚組を出すグループはそうないと思いますが、Chicagoは3作目も2枚組を発売しました。(これはCDなので1枚です!)チャートも今後はビルボード2位まで上り詰めてこの3枚まででChicagoの名前をすっかり定着させた感じです。アルバムタイトルも発売順のⅢになって

  • 1970年発売のChicagoⅡ(シカゴと23の誓い)は正式名称は単にCHICAGO。

    2作目も続いて2枚組を発売したChicagoです。(これはCDなので1枚ですが!)初アルバムは長い曲ばかりでしたが、2作目は長い曲は3曲になりました。しかしサブタイトルになっていて短い曲をつなげて長くなっています。今回は2作目で米国4位とさらにセールスを伸ばしたようで

  • THE CHICAGO TRANSIT AUTHORITYはシカゴの1969年4月のデビューアルバム。

    ブラスロックの代名詞、Chicagoはすでに60年代(1969年4月アルバムデビュー)から活躍しているバンドです。初っ端から2枚組を出していて途端に英国で9位と即売れたバンドです。2枚組(これはCDなので1枚ですが)であっても収録曲は12曲しかありません。いかに1曲が長い曲な

  • 斎藤哲夫の2枚目はCBSソニーから1973年に発売です。

    バイバイグッバイサラバイがアルバムタイトルですが、「悩み多き者よ」「されど私の人生」で1970年、1971年とシングルを発売した斎藤哲夫ですが、1973年になってから精力的に活動してCBSソニーから立て続けにアルバムが出たCBSソニーでの初めのアルバムがこのバイバいグッ

  • フォーク世代の毛色の変わったシンガーソングライターの長谷川きよしもいる。

    現代では盲目のピアニストととして辻井伸行なんかが有名ですが、フォーク世代にも盲目の有名アーティストはいました。海外では断然スティービー・ワンダーが有名ですが日本では長谷川きよしです。当初は何で全盲でこんなことが出来るのか実に不思議でしたが、逆に盲目だと

  • ケメも立派なシンガーソングライターです。ファーストアルバムが午後のふれあい。

    ピピ&コットのギターとボーカルのケメ(佐藤公彦)が1972年に発売されたファーストアルバムが午後のふれあいです。。外形上の中世的イメージで女の子しか聴かなかった感じがします。しかしこのアルバムでも全曲作曲で作詞もかなりしています。このアルバムは全曲譜面も書か

  • フォークブーム時代に名前が良く出たシバもアルバムを出しています。

    高田渡などといっしょに武蔵野タンポポ団の一員のシバのデビューアルバムが1972年発売の青い空の日です。加川良のバックアーティストなど表舞台のアーティストのイメージは薄いかもしれませんが、ちゃんと自身のアルバムも発売しています。「淋しい気持ちで」「もしも」な

  • 東大卒の有名人の元祖的な加藤登紀子。60年代のベストあるアルバムが琵琶湖周航の歌。

    女性シンガーソングライターでフォークブームの初期のアーティストの代表格が加藤登紀子かもしれません。60年代後半から活躍していて東大卒として有名です。このアルバムタイトルの「琵琶湖周航の歌」は小口太郎の曲で、森繫久弥の「知床旅情」も挿入されています。ファー

  • 70年代の一部マニアには頭脳警察も懐かしいかも!

    1972年にデビューした頭脳警察ですがイメージは発売禁止や放送禁止で決してメージャーロックバンドではないと思います。この’仮面劇のヒーローを告訴しろ’は1973年に発売された実質5枚目のアルバムです。パンタの個性的な世界を今の軟弱な若者と比較するのも面白そう。し

  • エイプリル・フールの小坂忠も渋いシンガーソングライターだ。

    フォークブームの1970年前後にフォークよりはロック系の感じで小坂忠も忘れてはなりません。確かに大ヒットした有名曲は無くても何となく大人な感じでミーハーっぽく無かったのがいいのですが、曲はどちらかというと童謡っぽい歌詞とゆるいテンポで「機関車」「カラス」「

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