荒井由実(松任谷由実)の4作目、14番目の月はついにオリコン1位だ。
流石に売れたLPなのでいい曲ばかり入っています。「さざ波」「中央フリーウェイ」「天気雨」「避暑地の出来事」「グッド・ラック・アンド・グッドバイ」「晩夏」などこの娘の才能やばすぎ!
荒井由実(松任谷由実)の3作目、コバルトアワーはルージュの伝言で一躍大物に!
1975年発売の3作目のコバルトアワーはかなりのセールスを上げたアルバムと思われます。この頃やたらと「ルージュの伝言」がラジオから流れていた気がします。一躍トップアイドルになった感じです。しかしその辺の下らないアイドルとは違い自身で作詞作曲演奏して歌うわけで
1973年発売のひこうき雲から1年後の1974年発売のミスリムです。当時は女の子しか聞かないアーティストと勝手に思っていましたが、全曲作詞作曲で歌ってピアノも演奏する恐ろしい天才なことを後で知りました。この2作目のミスリムでは「瞳を閉じて」「やさしさに包まれたな
Doobie Brothersもついに全米1位になったミニット・バイ・ミニット
1978年発売のミニット・バイ・ミニットではグラミー賞まで獲得した「ホワット・ア・フール・ビリーブ」が挿入されています。全米1位も当然の結果でしょう。しかしながらアルバムジャケットからもわかるように、中心人物がすっかりマイケル・マクドナルドになってしまいまし
Doobie Brothersの運命の掟はレコード以外に譜面もあり。
1977年発売の運命の掟はすでに紹介いたしましたが、このアルバムもジャズ色が濃い中で、いかにもウエスタン的な曲「きこりのラリー」が気に入ってしまい楽譜まで買ってしまいました。パトリクス・シモンズの生ギター一本のインストナンバーです。自分でも弾けそうと思った
Doobie Brothersのドゥービー・ストリートはスティーリー・ダンになったかな!
本当は1975年発売のスタンピードと行きたいところだが、全部のアルバムを所有してはいません。翌1976年にDoobie Brothersが発売した6枚目がドゥービー・ストリートです。マイケル・マクドナルドの曲が増えてトム・ジョンストンの曲が1曲になってしまって、もはやスティーリ
Doobie Brothersの4作目、ドゥービー天国は更にセールスを上げた。
ドゥービー天国は1974年発表のアルバムです。このアルバムでの代表曲は何といっても「ブラック・ウォーター」と「アナザー・パーク」でしょう。「ブラック・ウォーター」はシモンズの代表曲でもあり全米1位になった曲です。
Doobie Brothersの3作目キャプテン・アンド・ミーは好セールスの1枚
トム・ジョンストンのロックが光っていた1枚。シモンズのカントリー調も絶好調です。後にはマイケル・マクドナルドの加入でジャズ調の別グループになったみたいに曲調がかわったので、ウエストコーストサウンド全盛時代のアルバムなのです。トム・ジョンストンの「ロング・
Doobie Brothersの2作目トゥールーズ・ストリートは実によろしい!
1971年に登場したDoobie Brothersですが、ファーストアルバムはそれほど高セールスではありませんでしたので保有しておりません。しかし1972年に発表されてこのトゥールーズ・ストリートはいかにもウエストコースト・サウンドという感じで非常に気に入ってます。何といって
井上陽水のMuchはフォーライフ発売のポリドール時代からのベストアルバム。
このアルバムはフォーライフから発売されていますが、初期のポリドール時代のヒット曲も聴けるアルバムです。定番の「東へ西へ」「心もよう」「夢の中へ」「氷の世界」「傘がない」など初期の定番メニューは収録済みです。しかし1981年の「風のエレジー」まででそれ以降の
このLPは非常に印象深いアルバムです。中学時代にはレコードを沢山買うお小遣いはありませんでしたので音楽はほぼFM放送のエアチェックでした。しかし10代のちり紙交換業者が賑わっていた時代に製紙回収業者でアルバイトをしていました。この時に新聞紙に新聞紙以外の物が
井上陽水のポリドール時代のヒット曲を集めたYOSUI SPECIAL。
ポリドール時代のLP4枚を全部所有していてもシングルのみのヒット曲が聞けません。他のアーティストもシングルのみで発表している曲がよくあります。陽水の場合は「闇夜の国から」と「夢の中へ」が聴けないのです。そこでこの2曲が収録されているベストアルバムを見つけま
1974年発売のこの二色の独楽はまた全曲の作詞作曲が井上陽水に戻ったのとわざわざロスで録音されたことが特徴です。参加ミュージシャンがほぼ外国人で唯一ギターに安田裕美の名があるだけです。セールス的には氷の世界には及ばなかったようですがオリコン1位にはなっとよう
井上陽水の3作目は氷の世界。ミリオンセラーでオリコン1位は納得です。
井上陽水の最高のアルバムはやはりこの氷の世界でしょう。実際のセールスが物語っています。「氷の世界」以外にも「心もよう」「帰れない二人」「白い一日」「桜三月散歩道」「小春おばさん」などの代表曲が収録されています。このアルバムから忌野清四郎や小椋佳などとの
まだ2枚しかLPを出していないのに1973年にいきなりライブLPが発売されました。スタジオ録音とは違いライブ独特の雰囲気を味わえます。まだシングルでしか聴けなかった「夢の中へ」も聴けます。「あかずの踏切」はのちの氷の世界に収録の曲で先にライブで発表です。しかし同
井上陽水の2作目は陽水Ⅱセンチメンタル。1972年は2枚も発売しています。
乗っている時は年に2枚はいけるのですね。この陽水Ⅱでは「東へ西へ」「神無月にかこまれて」「白いカーネーション」「能古島の片思い」「紙飛行機」「帰郷」などが収録されています。全曲作詞作曲なのは言うまでもありません。実に陽水らしいアルバムです。ギター一本で気
アンドレ・カンドレ時代は全然ヒットしなかったけど、このアルバムにも収録された「傘がない」が一躍大ヒットした井上陽水です。当時は同級生が結構レコードを持っていましたが、こちらは貧乏家庭で買えませんでした。(カセットには録音していたが!)社会人になってから
ポール・マッカートニーのアルバムは何曲か愚作を感じる曲がある。(個人的なものだが!)しかし1978年発表のこのロンドン・タウンはアルバムとしての統一感を感じるアルバムです。「たそがれのロンドン・タウン」以外にも「伝説のグルーピー」「しあわせの予感」「セーヌ
ポールマッカートニーが1977年に発表した「夢の旅人」もあります。
スピード・オブ・サウンドの次に1977年に発売された「夢の旅人」のシングルレコードです。B面の無い不思議なシングルで両面がA面扱いらしい不思議なレコードです。もう一つのA面は「ガールズ・スクール」なのです。
バンド・オン・ザ・ランとヴィーナス・アンド・マースでやっといいアルバムが続いて次回の期待感が大きくなっていました。このLPが発売された1976年はビートルズ来日10周年記念という変な言葉も広まっていました。このLPの発売予告がされてFMで「Silly Love Song」を聞いて
ポール・マッカートニー(ウイングス)のヴィーナス&マースも売れたと思います。
1973年のバンド・オン・ザ・ランに続き、1975年に発売されたヴィーナス・アンド・マースです。英国でも米国でも1位のセールスなったのも当然でしょう。アルバムタイトルの「ヴィーナス・アンド・マース」や「ロック・ショー」「ワインカラーの少女」よりも断然「あの娘にお
ポール・マッカートニーのバンド・オン・ザ・ランでやっと買いたいLPになった。
ビートルズ解散後は何かぱっとした曲が無かった印象でしたがこの1973年発表のバンド・オン・ザ・ランでヒット曲が出来上がった感があります。それはアルバムタイトル曲以外にも「JET」「1985年」「ミセス・ヴァンデビルト」「ノー・ワーズ」など耳に馴染みやすい曲が多かっ
ポール・マッカートニーマッカートニー「007死ぬのは奴らだ」」はご存じの映画タイトル曲。
ついに有名な映画タイトルに曲を提供することになった1973年発表の5枚目シングルです。この曲はLPに収当時は録されていませんでした。(今はAll the bestにも入っています。)ゆえにしっかり購入済みです。
メアリーの子羊と似たような曲にジュニアズ・ファームもあります。
発売年月は前後しますが1974年発売のジュニアズ・ファームもあります。30才過ぎで自然にちなんだ曲が増えた気がします。
メアリーの子羊は1972年のポール・ポールマッカートニーマッカートニーのヒット曲です。
それほど売れたシングルではありませんが、ウイングスの2作目のシングルです。ビートルズの頃から「Hello Goodbye」「All together now」など童謡っぽい曲はありました。これも子供が聴くような曲です。ビートルズ解散後は富も時間もあって農産など自然と触れ合っていたの
ポール・マッカートニーのマイラブはレッド・ローズ・スピードウェイの収録曲。
1971年にウイングス名義でアルバム・ワイルドライフを発表していますが、中学時代に友人関係らの評判が実に悪い。事実英国でのセールスも良くなかったようです。そしてウイングスの2作目のレッド・ローズ・スピードウェイもやめた方が良さそうという噂から買いませんでした
ビートルズ解散後のファーストアルバムはパスしましたが、この2作目は良いアルバムの評判を聞き購入しました。1971年のアルバムですがこの作品以降はウィングス名義です。ファーストソロは本国の英国では1位は取れなかったようですが、この2作目のRAMは英国でも1位を取った
ポール・マッカートニーの「アナザー・デイ」は1971年のシングル曲
ビートルズ解散直後にマッカートニーという解散後のファーストアルバムがあるのですが、「恋することのもどかしさ」以外はいい曲が無いと当時友人らが買わない事を勧めていた。事実FMなどでカセットに録音してあるがその通りであった。解散後のレコードの最初はこの「アナ
All the bestは1971年から1987年までのポール・マッカートニーのベストCD。
1982年以降は仕事人間になってしまって音楽をほとんで聴かなくなってしまいました。しかし時は流れ1988年から体調を崩して、1989年には仕事どころではなくなってしまいました。その頃に時間を持て余していたのでしょう。たまたま昔聴いていたポールのCDが目に入り、たまた
チューリップのThe 1000thは1982年8月のライブアルバム。
このThe 1000thはチューリップ結成10年目のライブアルバムです。一見3枚組かと思うような分厚いレコードですが2枚組です。厚みの原因は歌詞などを含む写真のページ多いためです。スタジオアルバムとは違った過去のヒット曲のライブ独特の臨場感が味わえます。個人的には「I a
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