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2020/10/12

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  • 平和への願い(演劇) ルミエールホール

    幣原喜重郎生誕150周年記念門真市が生んだ、平和を願う総理大臣がいた。演劇&クラシック音楽で語る生涯関西フィルハーモニーと演劇のジョイントが面白そうだと思って観てきました。当日券3500円也。会場は、地元の大阪は門真市のルミエールホール。どこでこの講演のことを知ったのか?客席1104席の7割くらいは埋まってる印象。遠方からはるばる来られた方もいるとか・・・。演劇の作品は、大阪は門真出身の総理大臣、幣原喜重郎さんの物語。「しではら」と読みます。この方、全く知らなかったというか、近所に銅像があって、誰これ?って思ってた謎がこの講演のおかげでスッキリ出来て良かった。この幣原さん、外務省時代に、仁川、ロンドン、オランダ、釜山に在住。英語が堪能で戦時中も戦争にはずっと反対だったとか。終戦後のアメリカの統治下時代に総理になった方。戦争放棄を唱え、憲法第9条の起案をした人とも言われてるらしい。らしいというのは、幣原さんは戦争、武力を放棄する考えはあったけれど、憲法に明示するまで想定していなかったという説があるらしいから。そのあたりは、学者さんにお任せするとして、劇中では、幣原さんが、言い出しっぺで制定されたというニュアンスで演じられていました。ステージは、とても質素。ステージ後方は、関西フィルのオーケストラ。その前方の何もないステージで演技がされ、スポットライトだけの演出。る演奏と演技が交互に、また重なりあう様に進行していきます。オケの何とも言えない耳にスッと入ってくる心地よさは生演奏ならでは。関西フィルって凄いんだと思う。普段聞き慣れないこともあるけれど、こんなに身近で一流の演奏を聴けるのは、とっても贅沢。役者さんは、幣原さん役が要冷蔵と書く、「かなめれいぞう」さん。NHKの連ドラなどにも出られているそうです。イギリス滞在中の幣原さんの恋人役として高瀬真央さん。など総勢10名ほどでしょうか。役者さんたちの声量って凄いですね。マイクを通してると思うけど、すごい迫力に圧倒されてしまった。嬉しいとか、怒りの部分で、声が大きくなるのは解るけれど、悲しい場面で、あの大きな声量で、悲しさを表現出来ちゃう役者さんの凄さにびっくりしてました。演じるってすごい。なんでも、この講演は、本日一回限りらしい。幣原さんの功績を、こういう形で表現する、とても貴重なモノを見せてもらった気がします。また観たいと思ったナイスな講演でした。最後ね、アンコール

  • 太田順一 ものがたり

    「ものの語りに目をそばだてる」 入江泰吉記念 奈良市写真美術館太田さんの個展です。太田さんは、僕の写真にアドバイスをいただている師匠的な存在。とても温厚な物腰なんですが、いつもハッとさせられ、そして次への指針のヒントを与えていただける言葉の重みがとてもがありがたい、尊敬している方です。作品を写真集では見てましたが、プリントをじっくり観るのは、初めて。正直に書きますね。とても不思議な感覚になりました。全ての展示作品を観ての一貫した感想です。太田さんの写真には、風の流れを感じないんです。写真を見てこの感覚になったのは、多分初めてです。風化という言葉があります。風がその物の形を薄めていくという言葉。この感覚が太田さんの写真には感じなかった。むしろ逆で、形や想いを際立てている感覚がありました。これは、なんなんだろと。人物を撮ってはいないけれど、その気配が、濃厚になる。そんなイメージ。太田さんのお父さんが、書かれた日記の写真を作品化した「父の日記」僕は辛かったです。読み進めることが出来なかったけれど、想いはなんとなくわかりました。僕の親父も、日記を書いてました。亡くなった直後に少しだけ読んだことがあります。僕ら家族に残した言葉を見て、親父の凄さと優しさをしっかりと受け取りました。でも病床での苦しさが書かれていないこと、それを知っているだけに、それを表に出さなかった凄みを感じて、今も、それ以上読めてません。太田さんが、大切なお父さんの日記を、表に出した意義。作家としての覚悟を突きつけられたようで、これからの僕の指針になりそうです。太田さんが「ものがたり」と、モノが語るというテーマにしたこと。「ものの語りに目をそばだてる」という言葉を添えたこと。なるほどなと頷いてしまった。深い。まさにそうだなと。太田さんの視点は、モノを見るという行為の中に、過去を見る。それが太田流の哲学なのかなと。一枚一枚の写真ではなく、写真を束で見たときに感じる、この奥行きは、重ねた覚悟や年輪からくるモノなんでしょうか。生意気ですが、こんなこと感じながら鑑賞してました。写真に残すという作業。とても深いことだと、改めて感じてます。ギャラリートークに、仕事で行けなかったこと、ほんと残念。 とても深い感慨が残る展示会でした。

  • 我我ワレワレ

    友人の中国人留学生である、汤泽洋さんの初個展。中国人留学生の生活を知って欲しいと取材を重ねた記録写真です。写真は、中国人留学生のポートレートと、居住空間を上から俯瞰したものの二本立て。撮影途中を知る者として、とても感慨深い。写真のグレードが上がる過程も然り、個展としてどう見せるか?表現の試行錯誤も知っているので、妙に感情移入して自分の個展のようにドキドキしながら見てた気がします。とはいえ動画ではなく静止画でそれを実現した試みは、特筆すべきだと思います。個展会場で、写真を眺めて感じるのは、覗き見感。ふと弁当箱が浮かんでしまった。 他人の弁当って、まじまじと観れないんです。観たいけど見れない。というか、まじまじと見てはいけない気がして。そこにはプライバシーが、存在しているような気がして、僕は見れない。なんだかそれと同じ感覚を持ってしまった。人が、生きていく上で必要な、衣食住。なかなかそのありのままを知ることって出来ていないことに気づきました。この個展は、見ちゃいけないものを堂々と見れる、この不思議な感じを味わえて単純に面白かったし、皆に、お奨めしたい個展でもありました。中国人留学生の実態って、日本人と変わらないし、それを僕達日本人は、もっと知るべきだなとも。この個展、観るポイントによって評価は二分する気もします。作品の本質ではない、作品としての展示方法。額装や、パネル貼り、プリントを直貼りすることに対する価値観。僕は額装することで作品のグレードが上がることも実体験として経験しているので、額装前提で展示を構成する派です。ただ写真や表現する内容によっては、プリントをテープで貼るという、多分邪道だと言われる展示方法も、僕は肯定的に見てます。限られたコストの範囲で、最大のパフォーマンスを発揮できるようにすればいい。その範囲で納得出来なければ、コストが調達できるまで、やらないという選択肢もあるだろうとは思います。でも、それは作家が決めれば良いことで、僕がとやかく言うことでもないかなと。作品をみて感じることとと、作家がどう伝えたいか?が完全にイコールにはならない。むしろ、余白を作り出して鑑賞者の気づきを促すことの方が重要ではないのかなと。SNS的に消費される写真と、そうではない写真の境界って、どこにあるのか?これも主観や客観論が入り混じり、誰もが納得する定義なんてないんだと思ってます。名作と言われる作品でも、観る人によっては浪

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