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ブログタイトル
仏教についてのひとりごと
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https://shawshank-blog.hatenablog.com/
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歴史上の仏陀が本当は何を言いたかったのかを探求してきました。 今までの仏教の知識を白紙にして、最古層の仏典から歴史上埋もれてきた仏陀の真意を探ることにしました。 そして、仏陀が説いた法は人類の至宝だとわかりました。
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ブログ村参加:2020/06/29

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ショーシャンクさんの新着記事

1件〜30件

  • 中部経典『大受法経』

    中部経典の第46は、『大受法経』です。 前編の『小受法経』と同じく、 次の、四つの法の引き受けについての説法です。 1、現在に楽があり、未来に苦果がある 2、現在に苦があり、未来に苦果がある 3、現在に苦があり、未来に楽果がある 4、現在に楽があり、未来に楽果がある 【現在に苦があり、未来に苦果がある】 苦しみを共にし、憂いを共にし、殺生者となります。また、殺生を縁として、苦しみ・憂いを感受します。 苦しみを共にし、憂いを共にし、与えられないものを取るものとなります。また、与えられないものを取ることを縁として、苦しみ・憂いを感受します。 苦しみを共にし、憂いを共にし、もろもろの欲における邪行者…

  • 中部経典『小受法経』

    中部経典の第45は、『小受法経』です。 四つの法の引き受けについての説法です。 1、現在に楽があり、未来に苦果がある 2、現在に苦があり、未来に苦果がある 3、現在に苦があり、未来に楽果がある 4、現在に楽があり、未来に楽果がある 1の『現在に楽があり、未来に苦果がある』とは、欲望のまま、煩悩のままに快楽を貪ることです。 この蒔いた種は、誰も引き取ってはくれず、すべて自分の苦果になります。 死後、苦処・悪道・破滅の地獄に生まれかわります。 2の『現在に苦があり、未来に苦果がある』とは、種々の身体的な難行苦行を行なうことです。 これも間違っているために、死後、苦処・悪道・破滅の地獄に生まれかわり…

  • 中部経典『小有明経』

    中部経典の第44は、『小有明経』です。 信者の問いにダンマディンナーという比丘尼が答えたものです。 『〈自身〉とは何でしょうか。』 『〈自身〉とは、色・受・想・行・識の五取蘊です。』 『〈自身の生起〉とは何でしょうか。』 『再生を起こし、歓び貪りを伴い、ここかしこで歓喜する渇愛です。すなわち、欲愛、有愛、無有愛です。』 『〈自身の滅尽〉とは何でしょうか。』 『その渇愛の消滅による完全なる滅尽、捨棄、解脱、無執着です。』 『〈自身の滅尽に至る道〉とは何でしょうか。』 『八正道です。』 (続きます)

  • 長部経典『大因縁経』

    今回は、長部経典の『大因縁経』を取り上げます。 次回からはまた、中部経典に戻りますが。 『大因縁経』は『縁起』の意味を知る上で欠かせない経典です。 『縁起』は仏教の根幹と見られていますが、今の仏教で言う『縁起』と歴史上の仏陀が説いた『縁起』とはかなり意味が違っています。 『縁起』というと、相依性という言葉で説明されることが多いですが、 相応部経典で、十二縁起の内、相依性があるとされているのは、 『識』と『名色』の間だけです。 十二縁起は 無明⇒行⇒識⇒名色⇒六処⇒触⇒受⇒愛⇒取⇒有⇒生⇒老死 です。 このうち、相依性があるのは、識⇒名色 だけです。 ですから、 縁起=相依性 ではありません。 …

  • 中部経典『大有明経』

    中部経典の第43は、『大有明経』です。 これは、サーリプッタの説法なのですが、解脱について詳しく説かれていて、非常に重要な経典だと思います。 ある比丘がサーリプッタに『無慧者』の意味を聞きます。 『これは苦である』と知らない。 『これは苦の生起である』と知らない。 『これは苦の滅尽である』と知らない。 『これは苦の滅尽に至る道である』と知らない。 このことを、無慧者と言います。 『有慧者』とは 『これは苦である』と知る。 『これは苦の生起である』と知る。 『これは苦の滅尽である』と知る。 『これは苦の滅尽に至る道である』と知る。 このことを『有慧者』と言います。 『識』とは何でしょうか。 『楽…

  • 中部経典『ヴェーランジャカ経』

    中部経典の第42は、『ヴェーランジャカ経』です。 この経典は、前編の『サーレッヤカ経』と全く同じ内容です。

  • 中部経典『サーレッヤカ経』

    中部経典の第41は、『サーレッヤカ経』です。 サーレッヤカ(Saleyyaka)とは、サーラー村の村民の意味です。 サーラー(Sala)という村で説かれました。 サーラーに住むバラモン資産家たちは、世尊にこう言った。 『ある生けるものたちは、身体が滅ぶと、死後、苦処・悪道・破滅の地獄に生まれかわりますが、その因は何でしょうか。縁は何でしょうか。 ある生けるものたちは、身体が滅ぶと、死後、善道の天界に生まれかわりますが、その因は何でしょうか。縁は何でしょうか。』 『非法行・不正行によって、ある生けるものたちは、身体が滅ぶと、死後、苦処・悪道・破滅の地獄に生まれかわります。 法行・正行によって、あ…

  • 中部経典『小アッサプラ経』

    中部経典の第40は、『小アッサプラ経』です。 ここでも、一切の悪しき不善の法を断つことから〈沙門の正しい実践〉が説かれます。 不善の法の浄化⇒満足⇒喜び⇒身体が軽やかになる⇒楽を感じる⇒心が統一される という一連の流れが説かれます。 七覚支は、 念⇒択法⇒精進⇒喜⇒軽安⇒定⇒捨 です。 択法、喜、軽安、定はほぼそのままです。 この経典の大きな特徴は、 不善の法の浄化⇒満足⇒喜び⇒身体が軽やかになる⇒楽を感じる⇒心が統一される の後に、四無量心が説かれることです。 慈しみのある心をもって、一つの方向を、同じく二つの方向を、同じく第三の方向を、同じく第四の方向を、満たし、住みます。 このようにして…

  • 中部経典『大アッサプラ経』

    中部経典の第39は、『大アッサプラ経』です。 アッサプラとはこの説法が行なわれた町の名前です。 〈沙門となりバラモンとなるもろもろの法〉が説かれます。 沙門の目的である涅槃に至るためになすべき法が次々と語られます。 「それ以上になすべきことは何か」というふうに続きますので、後になればなるほど重要と言うことです。 最後に、五蓋を断つことが語られ、いつものように、 五蓋を断つ⇒四禅⇒三明⇒解脱 という解脱への道筋が語られます。 さて、〈沙門となりバラモンとなるもろもろの法〉は、〈慚愧をそなえる者になろう〉という法から始まります。 〈慚愧をそなえる〉 ⇩ 〈身の行為を清浄にする〉 ⇩ 〈語の行為を清…

  • 中部経典『大愛尽経』

    中部経典の第38は、『大愛尽経』です。 仏陀が、わざわざ『渇愛滅尽解脱の説示として常に心にとどめよ』と言われたくらい、極めて大切な説示です。 仏陀の真意の核心がここに説かれます。 十二縁起が何を意味するのかが具体的に明かされます。 漁師の子でサーティという比丘のことが語られます。 この比丘は 『この識は流転し、輪廻し、同一不変である』ということを釈尊の法だと思っています。 しかし、この見解は間違った見解であり、悪しき見解です。 仏陀は 『縁がなければ、識の生起はない』と説いたのです。 ここで、仏陀は、自ら説いた本当の意味を具体的に語ります。 『それぞれの縁によって識が生起すれば、それをそれぞれ…

  • 中部経典『小愛尽経』

    中部経典の第37は、『小愛尽経』です。 愛尽とは、渇愛の滅尽のことです。 同じ問答が3回繰り返し出てきます。 それは、神々の主サッカ(帝釈天)が仏陀に質問し仏陀が答えた問答を、マハーモッガッラーナ尊者がサッカに聞きに行くのと、マハーモッガッラーナ尊者がその後仏陀に聞きに行くことで、3回同じ問答が出てきます。 その問答とはこうです。 『尊師よ、比丘は、要するに、どれだけをもって愛尽の解脱者となり、究極の終結者、究極の無碍安穏者、究極の梵行者、究極の完了者、人天の最勝者なのでしょうか』 『神々の主よ、 ここに、比丘は、〈あらゆる法は妄執に適しない〉と聞きます。 もし、比丘がそのように聞けば、かれは…

  • 中部経典『大サッチャカ経』

    中部経典の第36は、『大サッチャカ経』です。 この経典には、仏陀が出家してから行なった苦行の数々が詳細に語られています。 これ以上はないほどの、苛酷な修行に打ち込みますが、最勝の智見を得ることができませんでした。 そこで苦行を止め 四禅⇒三明⇒解脱 となります。 修業時代や、悟りの内容である四禅⇒三明⇒解脱に関しては、他の経典と重複します。 この経典の特徴としては、苦行の内容が詳しく書かれていることです。 そして、仏陀の苦行が、止息と断食であることがわかります。 呼吸と食事は生きる上で必須のものですから、つまり生存欲を滅しようということでしょう。 その他は、ほとんど他の経典にも出ていることです…

  • 『自洲法洲』の本当の意味

    大般涅槃経の有名な言葉『自らを島とし、法を島とせよ』は、 自洲法洲とも、自燈明法燈明とも、自帰依法帰依とも言われますが、その本当の意味は何でしょうか。 大般涅槃経では、仏陀は、 『この世で自らを島とし、自らをたよりとして、他人をたよりとせず、法を島とし、法をよりどころとして、他のものをよりどころとせずにあれ。』と説き 『では、修行僧が自らを島とし、自らをたよりとして、他人をたよりとせず、法を島とし、法をよりどころとして、他のものをよりどころとしないでいるということは、どうして起るのであるか?』と言った後、 四念処を説きます。 『身、受、心、法について観察すべし』ということです。 次に、『小サッ…

  • 中部経典『小サッチャカ経』                                                                                                                                                                                                                                                  

    中部経典の第35は、『小サッチャカ経』です。 サッチャカとは人の名前です。 ジャイナ教徒で、議論を好み、賢者を自称し、多くの人に善人と認められていた人のようです。 議論において自信満々な人であったようです。 仏陀が 色は無常である 受は無常である 想は無常である もろもろの行は無常である 識は無常である 色は無我である 受は無我である 想は無我である もろもろの行は無我である 識は無我である 一切の行は無常である 一切の行は無我である と言うことを説いていると聞き、 論破してやろうと企みます。 そして、仏陀と会った時に 『識は私の我である。受は私の我である。想は私の我である。もろもろの行は私の…

  • 災難をのがるる妙法

    遠佐 (126.77.139.124) 2021-04-24 21:08:36 ショーシャンクさん こんばんは。 良寛の災難に逢時節には災難に逢がよく候 ですが、私はこの言葉の意味をずっと考えていました。 そして、ふとした折、小林秀雄の「事変と文学」というエッセイを読み、その最後にこうあるのを知り、あ、これだなと思ったのです。 それは、こういう文です。 困難な事態を、試練と受取るか災難と受取るかが、個人の生活ででも一生の別れ道となろう と書かれています。 すなわち、良寛も、災難を試練と受け止めて、それを乗り越えろ、と励ました、と言うことだろうと思うのです。 災難に遭う時は遭えばいい、とはいいま…

  • 中部経典『小牧牛者経』

    中部経典の第34は、『小牧牛者経』です。 これは、前編の『大牧牛者経』を受けてより具体的な内容になっています。 これも無知な牧牛者の例え話です。 その昔、マガダ国に住む無知の牧牛者がいました。 ガンジス川のこちらの岸を確認せずあちらの岸も確認せず、渡し場でないところから牛たちを向こう岸に渡そうとしました。 その結果、牛たちは川の真ん中で溺れて死んでしまいました。 ちょうどそのように、この世について巧みでない、あの世について巧みでない、魔の領域について巧みでない、魔を超えた領域について巧みでない、死の領域について巧みでない、死を超えた領域について巧みでない比丘たちがいます。 かれらの言を聞いたも…

  • 中部経典『大牧牛者経』

    中部経典の第33は、『大牧牛者経』です。 この牧牛者の喩えは大変面白いのですが、マニアックすぎて最初に説明がないとその喩えの巧みさがわかりません。 ダメな牧牛者、つまり牝牛から乳を充分に取れず、牛を増やすこともできない牧牛者の特徴を11個挙げます。 どれもマニアックすぎて、聞いただけではわかりません。 1、形を知らない 註によると、自分の牛の数や色、形を知らないということのようです。 自分の牛の頭数を把握してない。白い牛が何頭で赤い牛が何頭ということも把握してない、という意味らしいです。 2、特徴に巧みでない 牝牛には何か印がつけられているようで、そのマークのことを知らない、と言う意味のようで…

  • 中部経典『大ゴーシンガ経』

    中部経典の第32は、『大ゴーシンガ経』です。 これは、前編の『小ゴーシンガ経』と同じ、ゴーシンガのサーラ森林にて説かれたものです。 『小』のほうは、釈尊と3人の比丘(アヌルッダ、ナンディヤ、キミラ)が登場人物でしたが、『大』は、オールスターです。 サーリプッタ、マハーモッガッラーナ、マハーカッサパ、アーナンダなどの長老が勢揃いです。 サーリプッタがそれぞれの人に問いかけます。 『このゴーシンガのサーラ森林は楽しいところです。夜は明るく、サーラの花は満開し、天の香りのように馥郁としています。友よ、どのような比丘が、ゴーシンガのサーラ森林を輝かすことができるでしょうか?』 アーナンダ『多聞の比丘で…

  • 中部経典『小ゴーシンガ経』

    中部経典の第31は、『小ゴーシンガ経』です。 仏陀の弟子である3人の尊者が住み、そこで仏陀の説法が行なわれたのが、ゴーシンガのサーラ森林と呼ばれる森であったので、題名にゴーシンガがついています。 3人の尊者、アヌルッダとナンディヤとキミラがいるところに仏陀は行きます。 そして、仏陀は3人に問いかけます。 『元気であろうか?』 『食べ物は得やすいか?』 『争いなく和合し、敬愛の眼で見て住んでいるか?』と。 答えて言います。 慈しみのある身業 慈しみのある語業 慈しみのある意業を確立しています。 そして、日常生活では、声を出すことなく、手で合図して意思疎通していると。 また、5日ごとに、夜を徹して…

  • 初期経典を整理すると

    くり (119.228.245.134) 2021-04-18 10:59:30 ショーシャンクさま おはようございます。 緑が美しい時期となりました。 いつも初期経典のご紹介ありがとうございます。 ショーシャンクさまの簡潔な解説を見ては{ああ、お釈迦様はそんなことを仰っているのかぁ~}って、いつも新な想いを巡らせて頂いています。 ありがとうございます。 本の執筆のほうはその後如何でしょう。 一冊の本を完成することは精神的に大変な重圧がかかると伺ったことがあります。 体調に十分に注意してゆっくりと進んでいってくださいね。 完成した時には、まさに「心材」を捉えた仏教の善き本となりますことを祈念し…

  • 中部経典『小心材喩経』

    中部経典の第30は、『小心材喩経』です。 この経典は、第29の『大心材喩経』と同じ喩えです。 ただ、違うのは、『大心材喩経』では、心材とは不動の心の解脱を指しましたが、この『小心材喩経』では、 第一禅 第二禅 第三禅 第四禅 空無辺処定 識無辺処定 無所有処定 非想非非想処定 想受滅 慧によって見てもろもろの煩悩を滅尽 このすべてを、智見より優れた『心材』だとしていることです。

  • 中部経典『大心材喩経』

    中部経典の第29は、『大心材喩経』です。 この経典は、樹の心材の喩えです。 樹の心材とは、樹の中心部分、芯のことです。 硬くて腐りにくいことから、木材の最も価値ある部分です。 この経典は、提婆達多が離反して間もないころに説かれたもののようです。 提婆達多を念頭に説かれたものです。 苦の滅を目的に出家していながら、しかし、枝葉のことに捉われて離れてしまい、苦に住んでしまうとあります。 心材を欲しているのに、枝葉を心材と思ってしまうからです。 1、苦の滅を求めて出家しながら、得られた利得や尊敬、名声によって自賛し、他を貶し苦に住みます。 2、利得や名声に酔うことがない者でも、戒をそなえることを自賛…

  • 中部経典『大象跡喩経』

    中部経典の第28は、『大象跡喩経』です。 この経典は 『縁起を見る者は法を見る。法を見るものは縁起を見る。』という言葉で有名です。 第27が『小象跡喩経』でした。 この経典に書かれている『大きな象の足跡』というのは、四諦の法のことです。 ジャングルのいかなる生き物の足跡も、すべて象の足跡に包含されます。 それと同じように、四諦の法は、他のすべての法を包含しているということです。 四諦というのは、 1、苦諦 苦という真理 2、集諦 苦の集起(生起)という真理 3、滅諦 苦の滅という真理 4,道諦 苦の滅に至る道という真理 のことです。 苦諦とは、生まれることも苦、老いることも苦、死も苦、愁い・悲…

  • 中部経典『小象跡喩経』

    中部経典の第27は、『小象跡喩経』です。 この経典は、ただ単に象の足跡が大きかったからといって象の専門家(笑)は『大きな象』の足跡とは見ない。大きな足跡を残す小さい象もいる。それでは何を見て『大きな象』と判断するのか?という喩えです。 なかなか面白い喩えです。 ヴァッチャーヤナという仏陀の弟子に、バラモンが尋ねます。 『沙門ゴータマは賢者だと思いますか?』 弟子は答えます。 『どうして、私が沙門ゴータマの聡明を知り得ましょうか?それを知ることができるのは、彼と同じようなお方です。』 『それでは、なぜあなたは沙門ゴータマに浄信があるのですか?』 それに弟子はこう答えます。 聡明でもろもろの邪見を…

  • 中部経典『聖求経』

    中部経典の第26は、『聖求経』です。 この経典は、仏陀が、自らの出家の動機や、出家した後、アーラーラ・カーラーマやウダカ・ラーマプッタのところで禅定を学んだこと、しかしそれを捨てて去り、自ら修行して悟ったこと、梵天勧請や、初転法輪が書かれています。 中部経典の中でも有名な経典です。 しかし、成道の時に悟った内容は書かれてなく初転法輪で説かれたこともさらっとしか書かれていません。そして、その主な内容は、『餌食経』で説かれた鹿の群れの喩えそのままです。 註では、アーラーラ・カーラーマは、四禅や空無辺処定、識無辺処定、無所有処定を七つをマスターしていたらしく、ウダカ・ラーマプッタはそれに加えて非想非…

  • 中部経典『餌食経』

    中部経典の第25は、『餌食経』です。 猟師が鹿を捕まえるために撒く餌の喩えです。 第一の鹿の群れは、猟師が撒いた餌の中に入り夢中になって食べました。もちろん、すぐ猟師に捕まってしまいました。 第二の鹿の群れは、第一の鹿の群れの有様を見ていたので、すべての餌食を避けることにしました。怖れによって食べることを離れ、深く森の中に入りました。 しかし、草や水がなくなり、気力をなくしてしまいました。 そして、結局、猟師の撒いた餌食の中に入り夢中で食べてしまい、捕まってしまいました。 第三の鹿の群れは、第一第二の群れを見ていたので、餌食に夢中にならないように気をつけようと決心しました。 そして、猟師の撒く…

  • 中部経典『中継車経』

    中部経典の第24は、『中継車経』です。 サーリプッタとプンナという長老同士の対話です。 プンナが中継車の喩えをしたことから中継車経と呼ばれます。 プンナは貿易商であり、長者だった人です。 説法第一と言われていて、わかりやすく面白い説法で大人気であった人です。 社会的経験や人生経験の厚みがプンナの説法を魅力的なものにしたのでしょう。 この経典にある『中継車』の喩えも、商人であったプンナらしい喩えです。 サーリプッタは、プンナに聞きます。 『世尊のもとで梵行につとめ住みましたか?』 『はい。』 『では、友よ、戒の清浄のために世尊のもとで梵行につとめ住んだのですか?』 『そうではありません』 ・・・…

  • 中部経典『蟻塚経』

    中部経典の第23は、『蟻塚経』です。 クマーラカッサパという比丘のところに、ある神が訪ねてきて、次のような話をしたということです。 この蟻塚は夜に煙を出し、昼に燃えています。 バラモンは次のように言いました。 『賢者よ、剣を持ち、掘りなさい。』 賢者は剣を持ち、掘っているうちに、閂(かんぬき)を見ました。 『閂を取り除きなさい。賢者よ、剣を持ち、掘りなさい。』 賢者は剣を持ち、掘っているうちに、蛙を見ました。 『蛙を取り除きなさい。賢者よ、剣を持ち、掘りなさい。』 賢者は剣を持ち、掘っているうちに、岐路を見ました。 『岐路を取り除きなさい。賢者よ、剣を持ち、掘りなさい。』 賢者は剣を持ち、掘っ…

  • 中部経典『蛇喩経』

    中部経典の第22は、『蛇喩経』です。 この経典には、有名な『筏の喩え』も出てきます。 本当は『筏喩経』のほうがいいのですが、蛇の喩えのほうを題名としたようです。 アリッタという比丘が、『世尊が障害であると述べられたこれらの法を行なっても、障害にはならない』という間違った見解を持っているので、それに対し、仏陀が説法することになります。 『もろもろの欲は、危難が多く、骨鎖のようで、肉片のようで、草の炬火のようで、炭火坑のようで、夢のようで、借り物のようで、木の実のよう、屠殺場のようで、刀と串のようで、蛇の頭のようで、苦が多く、悩みが多い。そなたは自分の誤った把握によってわれわれを誹謗し、自分を傷つ…

  • 中部経典『鋸喩経』

    中部経典の第21は、『鋸喩経』です。 この経典は、どのような言葉を投げかけられても、どのような仕打ちをされても、鋸で手足を切断されようとしても、一切の世界を対象とした慈心=慈無量心であるべきだという教えです。 いろいろな例を挙げて、最後は、盗賊たちが自分の手足を切断しようとしても怒りを持たず心が変わらないようにするという、怖ろしいことが書かれています。 最初に書かれているのは、モーリヤパッグナという比丘の話です。 この人は、比丘尼たちと住んでいたらしく、誰かがその比丘尼たちを非難すると、モーリヤパッグナは怒ったり言い争いをしてしまうようでした。 その人に対し、仏陀はこう言います。 『あなたは、…

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