兵庫県加古川市在住の歴史愛好家がボランティアで歴史ガイドを行っております。過去のガイド書を公開しております。 ロマンと風情溢れる加古川の歴史を“風化”させない、そのための一助としたいため、たくさんの方々に楽しんで頂ければ幸いです。
五郎のロマンチック歴史街道を読んでいてくれている皆さん、いつもありがとうございます。実はこのブログは海外に住む娘の紀子が、父・五郎の歴史資料をもとにアップデートしています。父は2017年の4月に膵臓癌
沙河会戦での「三塊石山」大夜襲沙河会戦での「三塊石山」大夜襲の決行~「血染めの軍旗」由縁の戦い~明治37年9月下旬ころから、ロシア軍の行動は、逐次活気を呈してきた。特に、我が第1軍の右翼方面に対する動
日露戦争勃発と遼陽会戦日露戦争勃発と第39聯隊日露戦争は、当時としてはまさに古今未曽有の大戦争であった。前述の沙河会戦当時、米国の有名なトリビューン紙は、「この会戦は、その兵力の莫大なる点において、お
創設と軍旗授与第三十九聯隊の創設[軍旗授与]明治29年7月、39聯隊の位置は、姫路と定められた。この年の11月、姫路城三の丸内の歩兵第10聯隊の兵営内に歩兵第39聯隊と第1大隊本部が開設された。徴兵対
百二十一年の春秋を経た今も尚英霊とともに生き続ける“血染めの軍旗”はじめに歩兵第39聯隊は、明治31年姫路)白鷺城下に創設されて以来、ほぼ半世紀にわたって、日露戦争、満州事変、支那事変、更には大東亜
維新列伝 激動の時代を 駆け抜けた風雲児・鳥尾小弥太(とりおこやた)
子爵にまで上り詰めた小弥太は、ある日、父の面影を偲ぶため、加古川・光念寺に墓参した。 父は、加古川の菊屋という旅館で志半ばで逝った。父の最後を看取ったという、今は年老いた当時の女将に会い臨終の様子をつ
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