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ブログタイトル
五郎のロマンチック歴史街道
ブログURL
https://rekishigoro.amebaownd.com/
ブログ紹介文
兵庫県加古川市在住の歴史愛好家がボランティアで歴史ガイドを行っております。過去のガイド書を公開しております。 ロマンと風情溢れる加古川の歴史を“風化”させない、そのための一助としたいため、たくさんの方々に楽しんで頂ければ幸いです。
更新頻度(1年)

9回 / 36日(平均1.8回/週)

ブログ村参加:2020/06/09

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ハンドル名
五郎さん
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五郎のロマンチック歴史街道
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五郎のロマンチック歴史街道

五郎さんの新着記事

1件〜30件

  • 特攻中継基地『加古川飛行場』と兵士たちの安らぎの場となった旧中村旅館の物語

    『さぞ淋しかったでせう。今こそ大聲で呼ばせていただきます。お母さん、お母さん、お母さん…と。』(特攻隊員の遺書より) 第5次航空総攻撃は、初めて加古川で編成された。この目的は敵艦船を徹底的に攻撃して

  • 加古川改修記念碑にみる加古川…その豊かな恵みと氾濫、改修の歴史

    1.河川・流域のあらまし 加古川は、その源流を兵庫県朝来郡山東町と丹波市青垣町の境界にある粟鹿山(標高962メートル)に発し、丹波市山南町において篠山川を合わせ、西脇市においては杉原川と野間川を、小野

  • 加古川城主、糟谷武則:その栄枯衰退の歴史

    糟谷氏の家紋:三盛り左三つ巴 糟谷武則は、安土桃山時代から江戸時代にかけての武将・大名で12代目加古川城主。生誕や死没年月は不明。糟谷氏は、播磨加古川城を拠点に、鎌倉時代から続く武家で、武則は、三木

  • 風化して久しい“海城”高砂之城。 謎に満ちた歴史秘話を追ってみる。

    高砂城を攻略した秀吉軍に完勝した毛利水軍であったが、不可解にも進軍もせず、また高砂に留まることもなく帰国の途に就いた…。

  • 【加古川銀行】境界石が語る石造西洋建築

    本町2丁目の表通り…高砂コンピューターさん前の東角に郵便ポストがあるが、その足元に、よほど注意して見ないと気付かない“郵政”と彫られた境界石が、遠慮がちにひっそりとたたずんでいる。

  • 日本初の鉄道開設と、西日本鉄道網の整備開通

    1. 日本初の鉄道開設(開業) 日本の鉄道は明治5年9月12日(1872年10月14日)に、新橋駅-横浜駅間で正式開業した。ただし、実際にはその数か月前から品川駅-横浜駅間で仮営業が行われていた。鉄道

  • 勉学と商工の発展を祈願するお社 栗津神社

    加古川町栗津 栗津神社 当神社の『権禰宜(ごんねぎ)』を務める田中氏の言葉を思い浮かべながら、ペダルは、粟津神社へと向かう。ススキの穂先に季節感を感じるにはまだ早いが、今夜は中秋の名月…。見上げる

  • 三つの「間」が失われている近年の子供達

    近年の子供たちの遊びには、三つの「間」が失われているという。即ち「時間」「空間」「仲間」である…。 愛する我が郷土・本町二丁目の近世を訪ねて激動の明治、大正、昭和を懸命に生き抜いた先人の確かな足どり、

  • 賀古川宿 繁栄と終焉の歴史ヒストリア

    五百年余りに亘り春秋を織り成した宿駅 弘安2年(1322)3月12日、隠岐の島に流される後醍醐天皇が『賀古川宿』に泊まる。(常住寺または播磨守護所と思われる。)

  • 加古川の古き良き江戸期から大正期のレトロな家々

    西国ロマンチック街道 賀古川宿現存する古き良き時代の面影を楽しみながら、ゆったりと散策してみませんか? 1,700年台の前半(寛永期)に、最も華やいだ宿場町があった。寺家村、加古川村(寺家町・本町)

  • 昔のこども達。貧しいながらに毎日が輝いていた。

    本町二丁目 長老たちの少年時代(開戦当時前後)去る8月の或る日、「ひだまり会館」で当町の長老三名の方(男性)にいろいろお話を伺う機会を得た。その概要は以下の通り。 『当時は、西谷さんの西隣が空き地で

  • 野口城落城ノ記

    三木城攻略の緒戦において大敗した秀吉軍は支城から順次攻め落とし、三木城を無援の孤城とすることに戦略を変更した…。 天正六年二月の毛利攻めの軍議(加古川評定)で、別所側が秀吉に反旗を翻したことが発端と

  • 御着城の戦い(姫路市)

    中ニモ原小五郎ハ名誉ノ射手ニテ羽柴の瓢箪馬印ニ當ル矢ヲ秀吉取ラセ見給フニ原小五郎と姓名ヲ書付たる矢多数アリ寄手ノ人々其弓勢ヲ誉メニケリ…。(播磨鑑)御国野(みくにの)町御着春まだ浅き二月ではあったが

  • 『志方城』その成立と崩壊のミステリー

    『あなおもしろ、鹿田と名付けまし』志方の地名については、神功皇后が三韓征伐に行かれた時にこの地に上陸され、今の宮山に登られ、たくさんの野鹿が遊び戯れているのをご覧になり、『あなおもしろ、鹿田と名付けま

  • 播磨の名刹 野口町念佛山『教信寺』

    千二百年にわたり教信上人の威徳を語り伝え今なお衆人とともに歩み続ける・・

  • 神吉合戦ノ記 〜神吉勢二千対織田勢三万〜

    彼我の差は悲劇的ではあったが、神吉勢は勇猛果敢に戦い、天命としてその結末を受け入れた天正五年(1577)秀吉は、加古川・加須屋の館(加古川城)にて毛利討伐の為、播磨諸城主を集め軍議を開いたが、決裂し、

  • 加古川駅 写真で綴る127年の軌跡

    加古川駅が産声を上げた明治二十一年。三ケ月間の利用客数は上等、中等併せて平均四人、下等にあっても百七十一人で、合計一日当たり僅か百七十五人に過ぎなかった。加古川市統計書によると、2014年度の1日あ

  • ニッケ加古川社宅倶楽部 今に留めるニッケのパイオニア精神

    “先取の気概”に宿る“和魂洋才”と“モダンセンス”

  • 昭和レトロが醸し出す過ぎし日へのノスタルジー『宝湯』

    コーヒー10銭、たばこ7銭、はがき1銭5厘…。ウォール街での株価暴落が契機となって世界大恐慌へと発展し、大量失業時代を迎えた昭和4年…。“大学は出たけれど…”そんな言葉の流行った暗い世相のさ中に、“宝

  • 奉天会戦 知られざる一兵士の歴史

    元・姫路歩兵第三十九聯隊歩兵一等卒 西田常次氏・顕彰モニュメント建立から八十七年を経た今、声なき顕彰碑が語る「沙河会戦、奉天会戦」‥武勲を称える碑文の行間に刻まれた殉難者の悲痛な思いに心を寄せ、以て

  • メディア紹介

    メディア紹介 - 新聞、Yahooニュース等メディアに紹介されました。「戦争を知らない世代」が語る戦争体験 渡邊五郎さんが伝える「想像力」とは (Yahooニュースページのウィンドウが開きます)加古川

  • 著者五郎について

    著者五郎について - みなさん、こんにちは。ランチも終えて、やっと一息つける昼下がり‥それは、くつろぎの“ティータイム”ですね‥。そんな時、カップ片手に、ほんの少しだけでも、ブログ「五郎のロマンチッ

  • 干殺しではなかった?三木城陥落の真偽

    加古川の支流である美嚢川が大きく蛇行した三木市の中心部、「上の丸公園」に三木城跡がある。羽柴秀吉の大軍を一歩も寄せ付けず、二年近くも籠城して守った天下の要塞であったが、今は本丸跡の天守台に建つ最後の城

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