兵庫県加古川市在住の歴史愛好家がボランティアで歴史ガイドを行っております。過去のガイド書を公開しております。 ロマンと風情溢れる加古川の歴史を“風化”させない、そのための一助としたいため、たくさんの方々に楽しんで頂ければ幸いです。
四十数年をかけて、播州をくまなく調査し、地詩『播磨鑑』を大成した、加古川が生んだ稀代の偉人 「播磨鑑」は、江戸時代に平野庸脩が著した播磨国の一大地詩である。庸脩は播磨国印南郡平津村(現在の加古川市米
志方町山中地区の伝説四百五十年を経た今もなお、お参りが絶えないと云われる伝説のお地蔵様‥。三木城落城にまつわる、一武士の悲劇に心を寄せ続けてきた村人の慈悲心が現代においても連綿と引き継がれていることに
フジバカマ…その乾燥葉の、桜餅にも似た香しき匂いに誘われ優美に舞い降りる“アサギマダラ”錦秋の友沢には、そんな風情を醸し出す古刹があります。
因縁ニテ此処迄上リシャ委細ヲ知ル者ナシまことに、そのオランダ人いかなる因縁で この地まで到来したか、委細知る者はなし。 七百五十年…悠久の歴史を刻んだ『唐人(とうじん)薬師堂』も今は昔。(平成18年
江戸中期、当地「寺家町」には志方の玉田黙翁とともに加古川を代表する稀代の教育者がいた。その師は仁と礼を尊ぶ偉人でもあった。
重巡洋艦『加古』その栄光と殉難の歴史1の続きです。重巡洋艦「衣笠」乗組員が目の当たりに見た「加古」の最期第一次ソロモン海戦において、「加古」とともに戦闘に加わった、重巡洋艦「衣笠」。その艦に、当時17
前回の続きです。「加古」元信号員による沈没時体験談加古乗組員で、信号員であった石上民夫さんは、ご高齢また、体調不良等で、残念ながら慰霊祭にはご出席戴けなかった。そこで、事前に神戸新聞社・記者が、氏のお
加古川ゆかりの帝国海軍軍艦 遙か南の洋上より、艦内神社を通じて、加古川と日岡神社に思いを馳せた乗組員、そして全ての戦没者に鎮魂の誠を捧げる。
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