兼続ひきいる人数は9月13日に畑谷・梁沢を攻略し、長谷堂を包囲。六十里越口から攻め込んだ人数は白岩・寒河江までを制圧した。9月15日、最上方は長谷堂の後詰めに出てきたがため、上杉方はこれを迎撃し首級200を得た。さらに史料を読んでみよう。慶長出羽合戦3
第3ターン。フランス軍の手持ちのカードは「移動」「回復」「回復」の3枚。補充したカード3枚は「攻撃」「機動」「方陣」。「方陣」を捨て札とした。フランス軍プレイヤーは「攻撃」カードを使用。プロイセン軍プレイヤーは「反撃」で応じた。プロイセン軍の攻撃、1d6=5,4,5,2,6,3で損害1。フランス軍の攻撃、1d6=5,1,4,3,1,2で損害0。「回復」、1d6=2で成功。アドバンテージは±0。プロイセン軍の手持ちのカードは「攻撃」。補充したカード2枚は「回復」「機動」。「攻撃」を捨て札とした。プロイセン軍プレイヤーは「回復」を使用。1d6=6で失敗。アドバンテージ決定フェイズ。双方ともに「機動」を使用して相殺。1d6+2=5で成功。プロイセンのアドバンテージは+2となった。アウエルシュタット16
第2ターン。フランス軍の手持ちのカードは「移動」「移動」「回復」「回復」の4枚。補充したカード3枚は「回復」「反撃」「増援」。「回復」を捨て札とした。フランス軍プレイヤーは「増援」を使用。予備ゾーンに第2師団(3-4-7)が登場。「移動」、第2師団は前線に移動。「回復」、1d6=3で成功。アドバンテージは±0。アウエルシュタット15
プロイセン軍の最初のカード5枚は「回復」「増援」「反撃」「攻撃」「移動」。補充したカード2枚は「反撃」「移動」。「反撃」を捨て札とした。プロイセン軍の最初のカード5枚は「回復」「増援」「反撃」「攻撃」「移動」。補充したカード2枚は「反撃」「移動」。「反撃」を捨て札とした。プロイセン軍プレイヤーは「増援」を使用。予備ゾーンに砲兵師団(2-(1)-5)が登場。「移動」、第1師団は前線に移動。「移動」、砲兵師団は側面展開をこころみる。2d6=5で成功。プロイセン軍プレイヤーは「攻撃」カードを使用。フランス軍プレイヤーは「反撃」で応じた。フランス軍の攻撃、1d6=3,5,2で損害1。プロイセン軍の攻撃、1d6=1,4,6,1,4,4で損害1。「回復」、1d6=3で成功。アドバンテージ、1d6+4=6で成功。両軍の...アウエルシュタット14
カードを自作した。前線には仏第2師団(攻撃3-耐久4-移動7)と普第3師団(3-3-6)。プロイセン予備ゾーンに普第1師団(3-3-6)。フランス軍の最初のカード5枚は「突撃」「回復」「突撃」「突撃」「反撃」。補充したカード3枚は「回復」「移動」「移動」。「突撃」を捨て札とした。フランス軍プレイヤーが命令フェイズで選択できるカード無い。手札調整でさらに「突撃」「突撃」を捨て札とした。アドバンテージ(プロイセン軍プレイヤーは「機動」を使用しなかった)のロールは「6」で、フランス軍のアドバンテージは+1となった。アウエルシュタット12
戦闘の経緯については省略。大尉はフランス軍の勝因、プロイセン軍の敗因を以下のように分析した。「フランス軍を勝利に導いたものは何でしょうか。それが兵力か、戦闘体験か、それとも軍人の勇気かについては多くの人にとって判断するのが困難でしょう。プロイセン側が忍耐と勇気をもって、(大言壮語せず言うのですが)戦ったことは事実です」クラウゼヴィッツ大尉は兵力差はほぼ同等であったとしている。大尉によるとプロイセン軍の敗因は兵力差ではなく、予備師団が投入されなかったことであるらしい。「私の経験からも、また最近の情報が伝えるところによっても、敵軍のダヴー将軍麾下の兵員が5万であり、これらの全員が戦闘に加わったことは、まったく疑う余地がありません。たしかに、ブラウンシュヴァイク公軍の兵力も同等でした。しかしカルクロイト将軍麾下...アウエルシュタット12
クラウゼヴィッツ大尉によると、戦闘が開始されたときの状況は以下のとおり。「シュメタウ伯師団は、出撃したあと、早朝、敵軍に遭遇しました。しかもその地点はバート・ケーゼンからかなり離れた所(1.6kmから2.4km)です。これは予測されなかったことではありません。ここに敵軍がいることは予想されていました。しかしその兵力の多寡はわかりませんでした」戦闘の経緯については省略。大尉はフランス軍の勝因、プロイセン軍の敗因を以下のように分析した。「フランス軍を勝利に導いたものは何でしょうか。それが兵力か、戦闘体験か、それとも軍人の勇気かについては多くの人にとって判断するのが困難でしょう。プロイセン側が忍耐と勇気をもって、(大言壮語せず言うのですが)戦ったことは事実です」「私の経験からも、また最近の情報が伝えるところによ...アウエルシュタット11
さらにクラウゼヴィッツ大尉の手紙を読みすすめていこう。「プロセイン国王も加わられたブラウンシュヴァイク公軍は1807年10月13日、左方に向かって行軍しました。シュメタウ伯麾下の左翼師団は、先頭部隊であり、バート・ケーゼン近くの橋を利用し、強行渡河するか、あるいは、常に困難な場合には、自軍に引き続き軍主力がフライブルクに進出するのを援助するために、隠密行動をとるよう定められました。」「13日の夜、ブラウンシュヴァイク公軍は野営地に到着しました。ここはアウエルシュテット村を通る谷間道の背後にあたりました。」アウエルシュタット10
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兼続ひきいる人数は9月13日に畑谷・梁沢を攻略し、長谷堂を包囲。六十里越口から攻め込んだ人数は白岩・寒河江までを制圧した。9月15日、最上方は長谷堂の後詰めに出てきたがため、上杉方はこれを迎撃し首級200を得た。さらに史料を読んでみよう。慶長出羽合戦3
最上方の初期配置は山形、畑谷、長谷堂、上山、梁沢、物見山の6か所。上杉方は西軍の敗報がはいる第9ターン(9月27日)までに長谷堂を攻略してサドンデス勝利をねらいたいところだ。さて、関連する史料を読んでみよう。慶長出羽合戦2
吉川龍虎「慶長出羽合戦」(コマンドマガジン137、2017年)。ヒストリカルノートは来栖平次郎氏。ルールブックを読みながらプレイしていこう。こちらがマップ全景であるが、山形城はヘクス2727であるため、マップ北半分はほとんど使わないだろう。上杉軍は中山口と長井口から、山形へ向かう。主戦力は中山口のほう。最初の攻略目標はそれぞれ長谷堂(2132)と畑谷(1228)になるだろう。慶長出羽合戦1
第3ターン。フランス軍の手持ちのカードは「移動」「回復」「回復」の3枚。補充したカード3枚は「攻撃」「機動」「方陣」。「方陣」を捨て札とした。フランス軍プレイヤーは「攻撃」カードを使用。プロイセン軍プレイヤーは「反撃」で応じた。プロイセン軍の攻撃、1d6=5,4,5,2,6,3で損害1。フランス軍の攻撃、1d6=5,1,4,3,1,2で損害0。「回復」、1d6=2で成功。アドバンテージは±0。プロイセン軍の手持ちのカードは「攻撃」。補充したカード2枚は「回復」「機動」。「攻撃」を捨て札とした。プロイセン軍プレイヤーは「回復」を使用。1d6=6で失敗。アドバンテージ決定フェイズ。双方ともに「機動」を使用して相殺。1d6+2=5で成功。プロイセンのアドバンテージは+2となった。アウエルシュタット16
第2ターン。フランス軍の手持ちのカードは「移動」「移動」「回復」「回復」の4枚。補充したカード3枚は「回復」「反撃」「増援」。「回復」を捨て札とした。フランス軍プレイヤーは「増援」を使用。予備ゾーンに第2師団(3-4-7)が登場。「移動」、第2師団は前線に移動。「回復」、1d6=3で成功。アドバンテージは±0。アウエルシュタット15
プロイセン軍の最初のカード5枚は「回復」「増援」「反撃」「攻撃」「移動」。補充したカード2枚は「反撃」「移動」。「反撃」を捨て札とした。プロイセン軍の最初のカード5枚は「回復」「増援」「反撃」「攻撃」「移動」。補充したカード2枚は「反撃」「移動」。「反撃」を捨て札とした。プロイセン軍プレイヤーは「増援」を使用。予備ゾーンに砲兵師団(2-(1)-5)が登場。「移動」、第1師団は前線に移動。「移動」、砲兵師団は側面展開をこころみる。2d6=5で成功。プロイセン軍プレイヤーは「攻撃」カードを使用。フランス軍プレイヤーは「反撃」で応じた。フランス軍の攻撃、1d6=3,5,2で損害1。プロイセン軍の攻撃、1d6=1,4,6,1,4,4で損害1。「回復」、1d6=3で成功。アドバンテージ、1d6+4=6で成功。両軍の...アウエルシュタット14
カードを自作した。前線には仏第2師団(攻撃3-耐久4-移動7)と普第3師団(3-3-6)。プロイセン予備ゾーンに普第1師団(3-3-6)。フランス軍の最初のカード5枚は「突撃」「回復」「突撃」「突撃」「反撃」。補充したカード3枚は「回復」「移動」「移動」。「突撃」を捨て札とした。フランス軍プレイヤーが命令フェイズで選択できるカード無い。手札調整でさらに「突撃」「突撃」を捨て札とした。アドバンテージ(プロイセン軍プレイヤーは「機動」を使用しなかった)のロールは「6」で、フランス軍のアドバンテージは+1となった。アウエルシュタット12
戦闘の経緯については省略。大尉はフランス軍の勝因、プロイセン軍の敗因を以下のように分析した。「フランス軍を勝利に導いたものは何でしょうか。それが兵力か、戦闘体験か、それとも軍人の勇気かについては多くの人にとって判断するのが困難でしょう。プロイセン側が忍耐と勇気をもって、(大言壮語せず言うのですが)戦ったことは事実です」クラウゼヴィッツ大尉は兵力差はほぼ同等であったとしている。大尉によるとプロイセン軍の敗因は兵力差ではなく、予備師団が投入されなかったことであるらしい。「私の経験からも、また最近の情報が伝えるところによっても、敵軍のダヴー将軍麾下の兵員が5万であり、これらの全員が戦闘に加わったことは、まったく疑う余地がありません。たしかに、ブラウンシュヴァイク公軍の兵力も同等でした。しかしカルクロイト将軍麾下...アウエルシュタット12
クラウゼヴィッツ大尉によると、戦闘が開始されたときの状況は以下のとおり。「シュメタウ伯師団は、出撃したあと、早朝、敵軍に遭遇しました。しかもその地点はバート・ケーゼンからかなり離れた所(1.6kmから2.4km)です。これは予測されなかったことではありません。ここに敵軍がいることは予想されていました。しかしその兵力の多寡はわかりませんでした」戦闘の経緯については省略。大尉はフランス軍の勝因、プロイセン軍の敗因を以下のように分析した。「フランス軍を勝利に導いたものは何でしょうか。それが兵力か、戦闘体験か、それとも軍人の勇気かについては多くの人にとって判断するのが困難でしょう。プロイセン側が忍耐と勇気をもって、(大言壮語せず言うのですが)戦ったことは事実です」「私の経験からも、また最近の情報が伝えるところによ...アウエルシュタット11
さらにクラウゼヴィッツ大尉の手紙を読みすすめていこう。「プロセイン国王も加わられたブラウンシュヴァイク公軍は1807年10月13日、左方に向かって行軍しました。シュメタウ伯麾下の左翼師団は、先頭部隊であり、バート・ケーゼン近くの橋を利用し、強行渡河するか、あるいは、常に困難な場合には、自軍に引き続き軍主力がフライブルクに進出するのを援助するために、隠密行動をとるよう定められました。」「13日の夜、ブラウンシュヴァイク公軍は野営地に到着しました。ここはアウエルシュテット村を通る谷間道の背後にあたりました。」アウエルシュタット10
「ボクボド」情報。日本語版「アクワイア」が発売されるらしい。https://boku-boardgame.net/acquire2024/02/20
クラウゼヴィッツ参謀大尉の指摘によると、このときプロイセン軍は即時に攻撃を開始するべきだった。「私は対抗する両軍の兵力を比較した時、敵をすばやく攻撃するのが得策であると考えました。もともと補給線が長すぎるゆえに退却が困難というのが敵軍の弱点でしたから、これを運命のたまものと考えねばなりませんでした。したがってザーレ川下流地域に対し、各種各様の威嚇戦を展開しつつ、兵力を集中し、できるだけ迅速果敢な攻撃を敵の左翼に対して行うことが肝要でした。」しかし、プロイセン軍司令部はそれとはまったく異なる判断をくだしたのである。「プロイセン国王は、私の判断とはまったく別の方途を来るべき決戦でとられることになりました。すなわちブラウンシュヴァイク公軍は1806年10月13日ヴァイマールを出発しました。それはホーエンローエ侯...アウエルシュタット9
プロイセン軍はフランス軍の攻撃をおそれて散開した。「全軍の長さはちょうど軍の1日分の行軍距離に達しました。個々の軍団の内訳をみますと、ホーエンローエ侯軍が約40000、ブラウンシュヴァイク公軍が約50000、そしてリュッヘル将軍の部隊が約30000で、それぞれ梯団をつくりました。」「1806年10月12日、全軍は停止しました。その時、フランス軍がナウムブルクを占拠したとの報が伝えられました。いよいよ、今回の戦闘の歴史の中で、事態が統合され、この時点で新作戦計画が必要になるような戦略的状況が生じました。」アウエルシュタット8
この不幸な合戦の報に接し、国王はブランケンハインの位置に軍隊を集結させることは、もはや危険であると考えられました。なぜなら、全軍が到達するまでに、敵に攻撃されることを恐れねばならなかったからです。そこでブラウンシュヴァイク公軍を、1806年10月11日、かつての宿営地であるヴァイマールに転進させることが決まりました。バイロイト地方から進撃してきた部隊を率いるタウエンツィーン将軍を自軍に合体させたホーエンローエ侯軍は、この日にはヴァイマールとイエナの中間にあるカペレンドルフにいました。またリュッヘル将軍はヴァイマールとエルフルトの中間に位置しました。アウエルシュタット7
「これらすべてのことからして、事情をよく知らない者は、プロイセン側の敵情についての発表以外に、何らはっきりした状況を把握することはできませんでした。そして、フランス軍がその宿営地を出発し、マイン川に沿って集結した時点になって、やっと事情がわかったという有様でした」「この頃プロイセン国王並びにブラウンシュヴァイク公爵の司令部は、ヴァイマールを経て、ブランケンハインへ、すなわちヴァイマールからイエナへ向かう道路上に変更されました。それは軍団を一つの陣地に統合するためでした。1806年10月10日、戦闘が行われ、プロイセンのルートヴィッヒ親王の軍は敗退し、親王は戦死されました。この戦闘の原因と経過については、私は詳述できません。軍にとっても状況が依然として明らかでなかったからです」アウエルシュタット7
「ところがヴェストファーレンの軍隊を率いるリュッヘル将軍がブラウンシュヴァイク公の率いる主力に完全に合体する以前に、フランス皇帝ナポレオンの全軍は、ホーフを越え、山岳地帯の主要部分を右側から迂回し、ザールフェルト及びルードルシュタット地域に突入しました」「ブラウンシュヴァイク公の軍隊は、進撃方向を変え、ゴータの高地の左側から左方向に転じ、ザーレ川に向かって進撃しました。(戦略的に)ザーレ川をひかえて、右翼が山岳地帯になるように布陣しました。リュッヘル将軍もまたそれにならいました」「これらすべてのことからして、事情をよく知らない者は、プロイセン側の敵情についての発表以外に、何らはっきりした状況を把握することはできませんでした。そして、フランス軍がその宿営地を出発し、マイン川に沿って集結した時点になって、やっ...アウエルシュタット5
プロイセン軍とザクセン軍をあわせた兵力は135000。連合軍は当初、ナポレオンに支配されたライン諸邦の解放をめざした。以下、クラウゼヴィッツ参謀大尉の書簡より抜粋。「ともあれ、プロイセン軍の主力は10月初め、ナウムブルクからエルフルトを経てアイゼナハに向かい、他の軍団もそれに続くことになっていました。ところがこうした経路はチューリンゲンの森の巨大な部分を右側から迂回することであり、それは攻撃作戦をとる以外の何物をも意味しないことになります。おそらく、この際同時にヘッセンとフルダを再び結びつけ、これらの諸邦を開放し、その軍隊をわれらの連合軍に組み入れようとしたのでしょう」アウエルシュタット4
プロイセン軍からみたアウエルシュタットについて。以下、この戦闘でフランス軍の捕虜となったクラウゼヴィッツ参謀大尉が1806年12月19日、友人にあてた書簡より抜粋。「(1806年10月)、プロセイン国王はその頃全軍を編成する3軍団の司令官をされました。私の知る限りでは、兵力は50000人です。それとともにザクセン軍はホーエンローエ侯爵の下、ドレスデンを出発し、ザーレ川平地に進出しました。ブラウンシュヴァイク公爵の率いる軍団の兵力は60000人、ナウムブルクの近くに駐留し、リュッヘル将軍麾下の30000人は、ヴェストファーレンから進撃しました。防衛陣地のことは問題になりませんでした。たとえばイギリスの新聞によれば、局地的防衛がなされる陣地などはまったくつくられなかったようです」アウエルシュタット3
何度かソロプレイをしてみた。戦力で不利だが指揮官の能力にすぐれるフランスと、戦力で優位だが指揮官の能力におとるプロイセンという、絶妙のゲームバランス。「反撃」カードを相手が持っていた場合(ほぼ持っていないことは無い)、攻撃を仕掛けた側は1回のサイコロ振りで負けてしまう可能性がある。2人プレイでは双方が予備エリアに戦力を配分するだけで戦闘は発生しない。それはそれでよいのだが、もしもアウエルシュタットを再現するのならば、一部のルールを改変しなければならないだろう。アウエルシュタット2
ちょっと珍しいアイテムを入手した。隔月刊ゲームジャーナル42号付録、「Battlefield-Auerstadt1806-」。デザイナーは井村正佳氏。アウエルシュタットにおける指揮系統の混乱と、情報の不確実性をカードゲームで再現しようとするもの。ただしカードは切り離せないので自作が必要である。アウエルシュタット1
「20%の確率で納期遅れをおこす」という設定を追加する。late=rnd(100)+1iflate[i]<21thenlv[i]=b[i]:b[i]=0iflate[i-1]<21thenb[i]=b[i]+lv[i-1]【プログラム】テストプレイを5回繰り返す。在庫費用の合計は56200,106800,74100,75900,68700。【実行画面】機会損失は最大時93600円で、そのときの費用全体における割合は87.6%だった。初期在庫を4個から14個に変更してみよう。テストプレイを5回繰り返す。在庫費用の合計は84000,72900,61200,86400,87600。機会損失の割合をおさえることに成功したが、費用自体に大差は無いようだ。ビジネスゲーム19
ビジネスゲームの傑作『リーディングカンパニー』をプレイしようと思って、とりあえず佐藤正明『陽はまた昇る』を読書中。「日本ビクターはなぜVHSを世界規格にできたのか。高野鎮雄という一人の男の信念が、技術者集団を引っ張り、井深大、盛田昭夫率いる巨人ソニーとの死闘を制し、ついに世界を相手にひとつの時代の幕を開く。」(無題)
初期在庫の振れ幅が後々まで影響をあたえているのではないだろうか。そこで第1期、第2期の受け入れ数量の差分を第2期、第3期の発注数に反映させてみた。od[2]=od[2]+b[1]-10od[3]=od[3]+b[2]-10【プログラム】適正在庫を4に設定。テストプレイを5回繰り返す。在庫費用の合計は44100,37800,30900,35100,32400。あまり変わらないか。ビジネスゲーム18
ビジネスゲーム(1)を改造。第1期、第2期の受け入れ数量を10に、適正在庫を4に設定する。第3期以降の受け入れ数量は第1期以降の売り上げに対応したものとなる。とりあえず納期遅れは発生しないものとする。b[1]=10b[2]=10ifi>2thenb[i]=od[i-2]【プログラム】テストプレイを5回繰り返す。在庫費用の合計は41000,45600,33000,3400,33000。【実行画面】リードタイムが2期ある分、振れ幅が大きくなっているのだろうか。機会損失を減らすため、適正在庫を5に設定してみよう。テストプレイを5回繰り返す。在庫費用の合計は26700,44700,38100,40200,36900。さらに適正在庫を6に設定。テストプレイを5回繰り返す。在庫費用の合計は47400,50100,47...ビジネスゲーム17
在庫管理ゲーム(2)在庫管理ゲーム(2)は発注から納品までにリードタイムがあることと、さらにときどき納期遅れが発生するというところが前回のゲームとは異なる。このゲームでは商品の納入は注文から2日後とする。すなわち、本日注文したものは翌々日に納入される。なお、納品については注文先業者の事情で、時として1日遅れることがある。その遅れの確率は20%である。ビジネスゲーム16
(仮定1)「生産現場からの要請により仕入れ数量を平準化することとなった」とりあえず毎期9個を納品してもらおう。b[i]=9テストプレイ1回目。在庫費用は機会損失6000円をふくむ29400円で6600円のコストダウン。【実行画面】2回目。在庫費用は機会損失37200円をふくむ41400円で5400円のコストアップ。(仮定2)「販売機会を損失していると営業現場からクレームがきた」仕入れ数量を10個/期に変更。b[i]=10テストプレイ。在庫費用は114300円で78300円のコストアップ。【実行画面】平準化は難しいな。ビジネスゲーム15
修正。仕入れ数量の決定を自動化。初期設定で1期あたりの費用は1500円。24期で36000円。これを基準にコストダウンをはかってみよう。適正在庫を4個と仮定。毎期仕入れ数量は前期の実売数とする。sale[0]=9b[i]=sale[i-1]【プログラム】テストプレイ1回目。在庫費用は機会損失2400円をふくむ32400円で3600円のコストダウン。【実行画面】2回目。在庫費用は機会損失1200円をふくむ29100円で6900円のコストダウン。ビジネスゲーム14
24期は長すぎるので、とりあえず5期で練習してみよう。1期目。仕入れ量を10個に設定。7個売れて、8個余った。在庫コストは8個✕300円=2400円。在庫を多く持ちすぎている。2期目。仕入れ量を7個に設定。13個売れて、2個余った。在庫コストは2個✕300円=600円。初期設定で1期あたりの費用は1500円。1期あたり1200円におさえるためには、在庫は常時4個とすればいい。その場合、当日在庫は14個。過去データでいちばん売れたのは15個なので、仮に1個ショートしても機会費用は1200円である。3期目。仕入れ量を12個に設定。9個売れて、5個余った。在庫コストは5個✕300円=1500円。4期目。仕入れ量を9個に設定。12個売れて、2個余った。在庫コストは2個✕300円=600円。5期目。仕入れ量を12個...ビジネスゲーム13
初期設定とメインルーチン。前期繰越在庫を5とする。so[1]=5配列変数dに10個のデータを読み込む。プレイヤーは過去のデータを参考にして24期分の仕入数量(purchasevalue)を決定するものとする。【プログラム】計算サブルーチン。販売量は過去データをもとに、乱数を発生させる仕組みになっているようだ。在庫費用は300円/個、機会費用(在庫不足による損失)は1200円/個。表示サブルーチン。ビジネスゲーム12
在庫管理ゲーム(1)このゲームの目的は、在庫諸費用の合計を最小にするような手持在庫量を決定する知識・技術を学ぶことにある。ここでいう在庫諸費用とは,在庫維持費用と機会費用(在庫切れ費用)の2つである。このゲームの場合、意思決定項目は仕入数量であり、出力結果は在庫諸費用である。過去25日間の販売数量の実績を図31に示す。ゲームの参加者は提供された販売高の実績を分析して、将来の販売数量を予測しなければならない。ビジネスゲーム11
仕切り直し。第1期、価格を50円に設定した。実効価格は31円で、利益は2366円。第2期、価格は変わらず50円とした。利益は2881円。少しずつ値上げしていこう。価格を60円に設定。利益は2916円に増加。さらに値上げ。70円に設定。利益は2897円。70円を継続。利益は2892円だった。なるほど。アメリカ人CEOが経営する某外食産業が頻繁に価格改定をするのは、ビジネススクールでこういうトレーニングをしてきたからなのだろうな。ビジネスゲーム10
価格決定ゲーム(2)のプレイ。第1期の価格設定を100円とした。今まで10円だったものがとつぜん100円になったらどうなるのか。【実行画面】実効価格は56円。製品は200売れたが利益は200×100=20000ではなく、200×56=11200。利益は経費9857円を差し引いた1353円。では価格を50円に引き下げてみよう。実行価格は76円で、利益は500円まで落ち込んでしまった。思い切って10円まで引き下げる。実行価格31円で428個売れ、1656円の利益。赤字にはならないのだな。ビジネスゲーム9
先のプログラムを修正する。前期価格を10に設定。p[0]=10【プログラム】ついでに細かい部分をいくつか修正した。配列変数から「%」をとりのぞき、除算のある計算式を「round(四捨五入)」とした。もとのプログラム、Nベーシックの「printusing」はスマイルベーシックに無いので、「str$」で数値を右揃えにした。ビジネスゲーム8
価格決定ゲーム(1)で、ある製品がもっとも多くの利益を出す価格設定は50~60円だった。これをふまえて、価格決定ゲーム(2)をプレイしてみよう。「一般に消費者は過去の購買経験にもとづいて製品を購入する傾向がある。このゲームモデルでは、前期の価格と今期の価格とが同じウエイトで販売量の決定にかかわりをもつようになっている。したがって、販売量を決定する実効価格は次の式で算出される。実効価格=(前期価格+今期価格)÷2たとえば前期価格が12円、今期価格を14円とすれば、販売量を決定する実効価格は(12+14)÷2=13円となる。」参考文献:『PC-8001による最新ビジネスゲーム入門』ビジネスゲーム7
1期目。価格を10円に設定。製品1500個で15000円の売り上げ。経費14500円かかり、500円の利益。2期目。価格を50円に設定。製品266個で13300円の売り上げ。経費10472円かかり、2828円の利益。最初の価格設定は安すぎたようだ。もう少しつり上げてみよう。3期目。価格を100に設定。製品112個で11200円の売り上げ。経費8830円かかり、2370円の利益。今度は高すぎた。50円と100円の間をとってみる。4期目。価格を75に設定。製品163個で12225円の売り上げ。経費9458円かかり、2767円の利益。さらに値下げ。5期目。価格を60に設定。製品215個で12900円の売り上げ。経費10006円かかり、2894円の利益。まあこのあたりが、競合他社が無い場合の適正価格だろうな。ビジネスゲーム6
プチコン3号に移植。もとのプログラムでXは20~100の任意の数字を入力しているが、それだと適正価格が逆算できてしまうので、隠しパラメータとした。sp=rnd(80)+21メインルーチンはFORループで3つのサブルーチンを5回くりかえす。fori=1to5gosub@inputgosub@modelgosub@printnexti入力サブルーチン。計算サブルーチン。表示サブルーチン。ビジネスゲーム5
・「価格決定ゲーム」の概要価格決定ゲームは、製品価格を上げ下げすることにより、売上高が増減し、それが利益の増減にどの程度影響を与えるか、また価格の変化が製品1個当りの利益にどのような影響を与えるかなどの関連を分析するものである。このゲームでは5期間(5回)にわたって意思決定をおこなう。意思決定項目は製品価格であって、製品1個当りの価格を決定し、入力すると、モデル構造にしたがって生産量、利益などが算出され出力される。とりあげられる企業は、一種類の製品の製造・販売をおこなっている。この企業の生産における固定費は一期当り7,000円であり、変動費は生産量1,500個のとき1個当り5円である。なお、変動費の算出式は次のとおりである。Nは1期当りの生産量である。変動費=10,000/500+Nまた市場における販売量...ビジネスゲーム4
・ビジネスゲームの種類AMA(AmericanManagementAssociation)型AMA型のゲームでは、複数の企業が同一市場で、商品の販売を通じて競争をおこなう。企業の数,つまりチームの数は,あまり多すぎても少なすぎてもよくない。6チームくらいがよいとされている。Andlinger型Andlinger型のゲームの場合、意思決定とは製品を販売するために、ある人数の販売員を顧客のところに派遣することを意味する。最終的には売上を通じて、利益の大小を競争するという点でAMA型と同じであるが、何人の販売員を市場のどの地区に派遣するかが意思決定の内容となるところにAndlinger型のゲームの特徴がある。ビジネスゲーム3
・ビジネスゲームの歴史最初のビジネスゲームといわれるものが作られたのは1956年である。これはAMAで開発された“TopManagementDecisionSimulation”である。これがきっかけとなってその後数多くのゲームが開発されている。1957年にシュライバーは“TopManagementDecisionGame"を開発し、ワシントン大学でのビジネス教育に使用したといわれている。ビジネスゲームを有名にしたのはアンドリンガーである。彼は“BusinessGames-playOne!"を開発し、ハーバード・ビジネス・レビュー誌に紹介している。一方、1950年代の後半にUCLAで3つの異なった種類のゲームが開発されている。このうち2つのものはAMA型のゲームと同じタイプのもので、数社による1製品の販売...ビジネスゲーム2
プチコン3号を使ってかんたんなビジネスゲームを作ってみようと思う。テキストは鵜沢昌和監修、林勲/田原正弘共著「PC-8001による最新ビジネスゲーム入門」(日本能率協会、1982年)。ビジネスゲームの目的ビジネスゲームは米国で開発され盛んになった、きわめてプラクティカルな経営者教育の手法であって、その目的は意思決定の知識・技術を開発することにある。ビジネスゲーム1