chevron_left

メインカテゴリーを選択しなおす

cancel
パリ街歩き https://blog.goo.ne.jp/lilas00526

2019年の夏に、夫と二人でパリの街を気の向くままに歩きました。その街歩きの様子を綴ってみようと思います。

リラ
フォロー
住所
未設定
出身
未設定
ブログ村参加

2020/04/19

arrow_drop_down
  • パレ・ロワイヤル

    今回のパリ観光も終わり、いよいよ帰国の日を迎えました。お昼過ぎに空港まで送って頂くように手配していたので、午前中にちょっとした時間が出来、ホテル近くのパレ・ロワイヤルに一人で行ってみました。パレ・ロワイヤルに入ると、突然景色が変わりこんな現代アートが見えてきました。これはフランスの有名なアーティスト、ダニエル・ビュランの作品だそう。その先にはこんなアートもありました。これはベルギーの彫刻家ポルバリーがミッテラン大統領の依頼で制作した噴水だそう。水は流れていませんでしたが...。二つとも、周りの古い建物によく調和していますね。フランス人って、よくこんな風に古いものと新しい物を組合せますよね。ルーブル美術館中庭のガラスのピラミッドもそうですね。ルイ14世が幼少時にルーブル宮からここに移り住んだので、ここが「王宮(パ...パレ・ロワイヤル

  • 夏のリュクサンブール公園は世界一!?

    明日の午後には帰国となったパリ観光最終日に、リュクサンブール公園に行ってみました。メトロのオデオン駅からのんびり歩きました。途中こんな立派な建物が見えてきました。オデオン・ヨーロッパ劇場です。おもに現代劇をレパートリーとするフランス演劇の殿堂なんだそう。<オデオン・ヨーロッパ劇場>この劇場からリュクサンブール公園はすぐでした。緑あふれる明るい開放的な公園には、大勢の人々が集まっておられ、ここは市民の憩いの場なんだな~と感じましたね。<リュクサンブール公園>そぞろ歩いていると、マリー・ド・メディシスの噴水がありました。こんな噴水をイタリア様式というそうですね。<マリード・メディシスの噴水>もともとこの公園はリュクサンブール宮殿の前庭部分で、宮殿はフィレンツェのメディチ家出身のアンリ4世の妻、マリード・メディシスが...夏のリュクサンブール公園は世界一!?

  • ギャルリ―・ラファイエット

    旅もいよいよ終盤になり孫達にお土産の子供服を買おうと、オペラ座の裏側にあるデパート、ギャルリー・ラファイエットに行きました。<ギャルリー・ラファイエット>このデパートの本館には、6Fまで吹き抜けのドーム型になった美しいステンドグラスがあります。何度見てもその美しさ、エレガントさにうっとりします。今回も首がだるくなるまで魅入ってしまいました(^-^)ドーム型ステンドグラスの下は、世界中のコスメが集まる化粧品売り場になっています。<ドームの下は化粧品売り場>この美しいドームの完成は1912年で、戦争中はこのドームは別の場所に保管されていた様ですが、現在は重要文化財に指定されています。5Fの子供服売り場で孫達へのお土産を買い、その後、屋上に行ってみました。屋上にはカフェもあり、ちょっとしたパリの展望スポットになってい...ギャルリ―・ラファイエット

  • オランジェリー美術館

    旅も残り少なくなってきましたが、今日はオランジェリー美術館を見学しました。ホテルのあるサントノレ通りをエリゼ宮方向に2~3分歩くと、右手にヴァンドーム広場が見えて来ます。<ヴァンドーム広場>そこからヴァンドーム広場とは反対のリヴォリ通り側に出て、チェイルリー公園に入ります。下の写真はチェイルリー公園からコンコルド広場側を見たもので、コンコルド広場のオベリスクが写っていますね。その先に凱旋門も、小さく。<チェイルリー公園>ここまで来ると目の前にオランジェリー美術館があり、ミュージアムパスを持っていたので簡単に入館できました。<オランジェリー美術館>オランジェリーは地下2F、地上1Fの建物で、モネの「睡蓮の間」は地上1Fにあります。展示室に入ったとたん、普通の美術館とは違った空間でした。<睡蓮の間>自然光がふりそそ...オランジェリー美術館

  • ジャックマール・アンドレ美術館

    オルセー美術館の見学が終わった後、一度行ってみたかった8区にあるジャックマール・アンドレ美術館に行きました。この美術館は19世紀の銀行家、エドアール・アンドレとその妻、ネリー・ジャックマールが住んでいた邸宅を、彼らの収集した美術コレクションを展示する美術館として公開したものです。オスマン通りに面したここが美術館入口です。<美術館入口>ここから豪邸にすぐ入るのかと思いましたが、豪邸はこの入口からだいぶ離れた場所にありました。19世紀半ば、馬車に乗ったままここから入り、そのまま馬車で豪邸まで乗り付けたのでしょう。夫妻が暮らした邸宅の正面です。最初に大広間から見学しました。ここはパーティなどの時、大勢のお客様をもてなす部屋で、写真では広さがよく分かりませんが、両隣の仕切りを取り外すと1000人が入れたそうです。個人の...ジャックマール・アンドレ美術館

  • オルセー美術館

    朝一でオルセー美術館に行きました。ミュージアムパスを持っていたので、長い列を横目にスイスイ入館。ルーブルが古代から19世紀半ばまでの展示内容なのに対し、オルセーにはそれ以降から20世紀初頭までの近代美術が展示されています。20世紀初頭以降はポンピドーですかね。この3つの美術館を巡ることで、ヨーロッパ芸術の流れを辿ることが出来るようです。とても大ざっぱな捉え方だけれど。特にオルセーは印象派の作品が充実しているので、楽しみな美術館です。建物がかっては駅舎だったというのも興味深いですね。入館するとすぐ正面に見える大時計が駅舎時代の名残を留めています。駅舎時代に、こんなに豪華で華麗な大時計をここに掲げていたんですね~。オルセーはノーフラッシュであれば、写真撮影okなのも嬉しい!順路に沿って右側から進むと、まず現れるのが...オルセー美術館

  • パリの地下鉄

    今回のパリ街歩きでは、ほとんどが地下鉄移動でタクシーを使ったのはわずかでした。パリ20区をくまなく網羅しているメトロなのでパリ市内の観光名所であれば、ほとんどがメトロに乗って行くことが出来ます。切符は10枚つづりの回数券(カルネ)を使いました。カルネは14.9ユーロで、1回券が1.9ユーロなのでカルネの方が割安ですからね。このカルネは使用期限がないので、磁気さえおかしくなっていなければ、料金改正前の古いカルネでも使えます。10年前の手持ちのカルネを改札機に入れてみましたが、なんなく使えました。<カルネ>改札口を出ると長い通路を表示に沿って進みホームに出ます。通路やホームの天井が日本の地下鉄より低く幅も狭く日本より少し暗いので、怖いとか汚いとかいう声を日本で時々耳にしますが、私はまったく気になりませんね~。これは...パリの地下鉄

  • フランス窓

    パリの通りを歩きながら道の両側の建物を見上げると、ほとんどの建物の窓がフランス窓になっています。あの窓はどんな仕組みになっているのだろうと思いながら、いつも見上げていました。<フランス窓>今回が4回目のパリですが、今までは秋、冬、初春で寒い時期の旅行だったのと、滞在が一週間程だったので朝早くホテルを出発し暗くなってから戻るという明け暮れで、ゆっくり部屋の窓を開け閉めすることがありませんでした。今回は夏の時期に2週間の滞在なのでゆとりを持って過ごすことが出来、朝起きると、フランス窓を開けるという楽しい作業から一日が始まりました。部屋の中から見るフランス窓は、床にかなり近い部分から窓になっています。日本でいう掃き出しガラス戸に近い感じですかね。開ける時は観音開きになっている窓を内側に開けます。そして天井近くまでが窓...フランス窓

  • サン・シュルピス教会

    左岸の教会めぐりの最後はサン・シュルピス教会でした。ここに行こうと思ったのは、娘が以前友達とパリ旅行をした時に、ここに寄ったらしく、この教会前の広場の話をしてくれたのと、カトリーヌ・ドヌーブが以前この辺りに住んでいたと、何かに書いてあったのを記憶していたからです。サン・シュルピス教会はサン・ジェルマン・デ・プレ教会から歩いて5、6分の場所にありました。<サン・シュルピス教会>最初にこの教会を見た時、その大きさに驚きました。写真では大きさがあまり分かりませんが、この教会はパリではノートルダム寺院に次ぐ大きさのようです。正面のドーリア式の列柱が建物に威厳を与えていますね。二つの鐘楼の右側の鐘楼はまだ未完成なのだそうですよ。教会前の広場は明るく清々しい開放感のある広場で観光客もチラホラ。パリの他の観光名所の様に騒々し...サン・シュルピス教会

  • サン・ジェルマン・デ・プレ教会

    「サン・ジェルマン・デ・プレ教会」はパリ有数のメインストリートのサン・ジェルマン大通りに面した場所に建っています。見るからに古い教会だな~と感じる外観です。ガイドブックによると、ここの高くそびえる鐘楼は11世紀の建築で、フランスで現存する最古のものの一つだそうで、高い内陣の天井が交差リブになっているのが特徴だそうです。<サン・ジェルマン・デ・プレ教会><内陣>この「サン・ジェルマン・デ・プレ教会」を中心とした一帯は、戦後はサルトル、ボ―ヴォワールなどの哲学者、文化人が語り合った場所として知られています。彼らが集ったカフェ「レ・ドゥ・マ―ゴ」「フロール」などは今も健在で、多くの観光客、地元の方々で賑わっていました。又、最近は流行の発信地となり、サン・ジェルマン大通りを中心に有名ブティックが次々にオープンし、ファッ...サン・ジェルマン・デ・プレ教会

  • 奇跡のメダイユ教会

    皆様、パリにある「奇跡のメダイユ教会」ってご存知ですか。メダイユとは英語でいうメダルのこと。この教会で販売されている「奇跡のメダイユ」を求めて、世界中から観光客がやって来ます。特に女性に人気のようですね。それでは「奇跡のメダイユ」とはいったい何なのでしょう。1830年にこの教会の修道女カタリナ・ラブレがマリア様から「人々の為に心を込めてメダイユを作りなさい」というお告げを受け、作ったメダイユをパリでコレラが流行した際に人々に配ったところ、コレラが終息したという言い伝えがあり、このことからメダイユを手にした人に奇跡が起こる、幸福が訪れると言われる様になり、「奇跡のメダイユ」が世界中で有名になったそうです。「奇跡のメダイユ教会」はメトロ12号線セーブル・バビロンで下車すると、老舗デパートのボン・マルシェが見えて来て...奇跡のメダイユ教会

  • アンヴァリッド

    アンヴァリッドはナポレオンの墓所として知られていますが、黄金のドームを頂くこの建物、重厚壮麗で美しいですね。ガイドブックによるとフランス古典様式とバロック様式が見事に調和した宗教建築の傑作と言われているそうです。<アンヴァリッド>ナポレオンの棺はこの黄金のドームの真下の地下に安置されていましたが、想像以上に大きく驚きました。死後パリに帰還を許された彼の為、ヴィスコンティの設計で1842年から9年がかりでこの地下聖堂が造られたそうです。下の写真の様に緑色花崗岩の台座に乗った赤色大理石の棺でナポレオンンはこの中に6重の棺に入れられて眠っているのだそうです。<ナポレオンの棺>棺の真上は黄金のドームの内側になっています。天井画が見事でした。<天井画>ドーム教会の祭壇です。絢爛豪華でした。ドーム教会から中庭方面へ歩いてい...アンヴァリッド

  • シャン・ド・マルス公園

    エッフェル塔の展望台を降りた後、塔真下のシャン・ド・マルス公園を散策しながらアンバリッドに向かいました。シャン・ド・マルスとは軍神の園という意味らしいですが、公園のエッフェル塔とは反対側にナポレオンが卒業した陸軍士官学校があるので、そう呼ばれているのでしょう。真夏の真昼でしたが、爽やかな風が吹き渡る気持ちの良い日だったからか、公園内でお弁当を広げているグループもチラホラいましたね。この時期の日本だと公園でピクニックなんて考えられませんが。また、19世紀末から20世紀にかけて5回のパリ万博が開かれたそうですが、ここはそのパリ万博の舞台としてパリ近代化の歴史を見続けてきた公園でもあるようです。<シャン・ド・マルス公園><陸軍士官学校>その年によって違いはあるでしょうが、旅行中(2019年7月27日~8月9日)に感じ...シャン・ド・マルス公園

  • エッフェル塔

    世界中から親しまれ、その名を知らない人はいないパリのモニュメント、エッフェル塔に上りました。15年程前に娘と来た時に一回上ったことがありますが、その時は3月末頃だったので、今回と違い待ち時間も少なく割合楽に上れた気がします。今回は9時ちょっと前にエッフェル塔の真下に行ってみると、チケット売り場に既にぐるぐると長蛇の列が出来ていて、これは半日仕事だなという感じでした。第3展望台までのチケットを買って、辛抱強く待っていると1時間半位で順番が来て、エレベーターでまず第1展望台に上りました。真夏の明るいパリの景色が目に入ってきた時は、嬉しくてちょっと興奮しましたね(^-^)下の写真は第1展望台から撮ったもので、エッフェル塔斜め下辺りにあるセーヌ川真ん中に浮かぶ「白鳥の小径」が写っています。「白鳥の小径」には3つの橋が架...エッフェル塔

  • ロワール地方の古城めぐり ~クロ・リュセ城~

    古城めぐりの最後はレオナルド・ダ・ビンチが67年の生涯の最後の3年間を過ごしたクロ・リュセ城でした。イタリア人のレオナルド・ダ・ビンチは時のフランス王、フランソワ一世に招かれて、彼の居城アンポワーズ城近くのクロ・リュセ城を王から与えられ、1516年から亡くなる1519までの3年間をここで過ごしました。クロ・リュセ城は「クルーの館」とも呼ばれていますが、こんな外観でした。煉瓦と白い石灰岩の組合せが美しいですね。<クロ・リュセ城>室内に入るとダ・ビンチの寝室が保存され、彼が寝たベッドが展示されていましたが、とても500年の時を経た物とは思えない程、頑丈で立派でした。もちろんベッド周りのカーテンなどは現代の物だと思われますが、ベッドの木枠の保存状態も良く、造形もきれいで驚きました。ここはダ・ビンチがお客様を向かえた大...ロワール地方の古城めぐり~クロ・リュセ城~

  • ロワール地方の古城めぐり ~シュノンソー城~

    シャンボール城から洞窟レストランに寄り昼食の後、シュノンソー城を見学しました。このお城は代々の城主が女性だったことから「6人の奥方の城」などと呼ばれています。なかでもアンリ二世の妃カトリーヌ・ド・メディシスと愛妾ディアーヌ・ポワティエとの確執はよく知られていますね。バスを降りると下の写真の様な木々に囲まれた道が続きました。木々が途切れてパッと明るくなったところでお城が見えてきました。<シュノンソー城>お城の周りには美しく手入れされたお庭が見えていましたが、それを見ることなくお城の中に入り幾つかの部屋を見学しました。下はディアーヌ・ポワティエの部屋の暖炉とベッドです。暖炉上には、今は皮肉にもカトリーヌ・メディシスの肖像画が掲げられていました。<暖炉上のカトリーヌ・メディシスの肖像画>下はフランソワ一世の部屋の見事...ロワール地方の古城めぐり~シュノンソー城~

  • ロワール地方の古城めぐり ~シャンボール城~

    パリ滞在も後半に入りましたが、この日はオプショナル旅行に参加してロワール地方の古城を巡りました。ロワール地方はフランスのほぼ中央部に位置しフランスの庭園とも呼ばれ、ここを流れているロワール川の流域には多くのお城が点在しています。私達はその中のシャンボール城、シュノンソー城、ダビンチが生涯の最後の3年を過ごしたクロ・リュセ城を見学しました。早朝にパリを出発しましたが、30分もすると田園風景が広がりはじめ、2時間程でロワール地方に入りました。最初に見学したのがシャンボール城です。<シャンボール城>当時はどうだったかは分かりませんが、現在のシャンポール城は周りに何もない見通しのよい平坦地に立っていました。そしてお城正面に向かって右側の道からお城の中に入りました。16世紀初頃フランス王フランソワ一世が狩猟の館として、こ...ロワール地方の古城めぐり~シャンボール城~

  • ルーブル美術館

    いよいよ美術鑑賞のスタートです。まず混雑するところから先に見学しようと、「モナリザ」のあるドノン翼2Fに向かおうとしましたが、ルーブルはこの夏は改装中で、「モナリザ」はリシュリュー翼3Fに移動しているというのを、この時初めて知りました。リシュリュー翼3Fには今回のルーブル見学で楽しみにしている、ルーベンスの24枚の連作「マリード・メディシスの生涯」が展示されているルーベンスのギャラリーがあり、その部屋に[モナリザ」が移動していなければいいけれど、と思いながら表示に沿って歩くと、はたして「モナリザ」はその部屋に展示されていたのです。これには驚きました。「モナリザ」はこんな感じで、低い白い背景のガラスケースに入れられて展示されていました。そして近くにいる係員に早く次に移動する様に促され、落ち着いて鑑賞することも出来...ルーブル美術館

  • ルーブル美術館への入り方

    ルーブル美術館館への入り方は幾つかあるようですが、私達はメトロのパレ・ロワイヤル・ミュゼ・ルーブル駅で下車し、ショッピング街のカルーゼル・デュ・ルーブルを経て入りました。こんな感じです。メトロ駅で下車し下の様な表示がある出口から出てカルーゼル・デュ・ルーブルというショッピング街に向かいました。このショッピング街にはブティックやギフトショップ、書店、カフェ、フードコートなどがありとても賑わっています。旅行者には便利な所で、私達もルーブル入館前にここのフードコートで昼食をとりました。<地下鉄出口表示>↓<通路を通ってショッピング街へ>↓<ショッピング街のカルーゼル・デュ・ルーブル>ショッピング街を通って、逆さピラミッドのあるルーブル美術館入口に向かいます。↓下の写真の黒いゲートが、ショッピング街を経由してルーブル美...ルーブル美術館への入り方

  • 夏は個人でのルーブル美術館入館は予約制

    夏休みで世界中から見学者が殺到する時期だった為かどうかは分りませんが、ミュージアムパスを用意して8月5日に見学を予定していたルーブル美術館が、個人での入館は現在予約制になっているので、予約をしていないと入館できませんと、突然言われたのはパリに着いた7月27日のことでした。日本で旅行を申し込む時はそんな話はまったく聞いていなかったので、着いた日にこの事を旅行社のパリデスクの方から聞いた時はホントに驚きました。パリでルーブルの予約をするには、どうしたらいいのかまったく分らないので途方にくれましたが、翌日旅行社のデスクに行き、日本で旅行を申し込む時は予約制になっているなんて聞いていないので、何とかしてほしいと泣き付くと、普通は個人の予約は受け付けていないのだけれどと言いながら、私のスマホで予約を取ってくれ、予約票をプ...夏は個人でのルーブル美術館入館は予約制

  • パリ生まれの白い陶器の店「アスティエ・ド・ヴィラット」

    ムフタ―ル通りを散策した帰りに、夫と別れて一人でサン・トノレ通り東端にある、パリ生まれの白い陶器の店「アスティエ・ド・ヴィラッド」に寄りました。アスティエの商品はすべて手作りで、パリ郊外の黒い土に白い釉薬をかけて作った陶器が特徴です。狭い間口のショップでしたが、奥はかなりありました。手作りなので微妙に一枚一枚違っていて、選ぶのに結構時間がかかりましたが、子供達へのお土産や自分用、プレゼント用にデザインの違う6枚の白いお皿を買い求めました。このショップには日本人の店員さんがおられ、「日本の方ですか?」と声をかけられました。どうして私を日本人と思ったのですかとお尋ねすると、貴方くらいの年配で一人で入って来る人は、まず日本人と思って間違いありません。中国人、韓国人は若い人以外は、殆ど一人では入って来ませんとのことで、...パリ生まれの白い陶器の店「アスティエ・ド・ヴィラット」

  • ムフタ―ル通り

    ムフタ―ル通りは古代ローマ時代からある通りで、パリを紹介する番組などによく出てきます。この通りは噴水のあるコントスカルプ広場辺りから始まるようで、広々とした広場ではありませんが、周りには沢山のカフェやレストランが軒を連ね、噴水の周りのベンチには大勢の人々が憩っていて、中にはギターなどを弾ている人もいましたね。近くにソルボンヌ大学があるためか、学生らしき人も多く非常に活気がある広場でした。<コントスカルプ広場>ムフタ―ル通りは5~600mの長さの通りで、道幅が広い通りではありませんが道の両側にはびっしり小さなお店がひしめき、やはりカフェやレストランなど食べ物関係のお店が多かったですね。<パリの道路標示板><ムフタ―ル通り><ムフタ―ル通り>こんなお店もありましたよ。日本食店らしいですが、店主が日本人かどうかは入っ...ムフタ―ル通り

  • サン・ルイ島

    サン・ルイ島を東西に走るメイン通りのサン・ルイ・アン・リル通り(メイン通りにしては狭い通りですが)を通って島の西端にあるアイスクリームの名店ベルティヨンに行ってみました。サン・ルイ島は観光客もある程度はいましたが、静かな所だなという印象を持ちました。それはシテ島と違って行政機関や観光名所が無く、高級住宅地という場所柄だからでしょうね。<マリー橋から見たサン・ルイ島><サン・ルイ・アン・リル通り>ベルティヨンのアイスクリームを濃厚なお味と表現する人が多い様ですが、フランボワーズ味を初めて食した時、甘味が割合少なくスッキリしたお味だな~と思いました。個々の感じ方の違いは大きい様ですね。<アイスクリームのベルティヨン>アイスクリームを食しながらサン・ルイ橋からシテ島を見ると4月に火災にあったノートルダム寺院の後陣が見...サン・ルイ島

  • モネの庭

    この日の午前中はオプショナル旅行に参加して、ジヴェルニーにあるモネの庭や家を見学しました。ジヴェルニーはセーヌ川沿いをパリから西へ80㎞位のところにあり、バスで行くと1時間ちょっとかかりました。パリを出て30分もすると写真の様な田園風景が広がり、フランスが農業国だと実感できましたね。ジヴェルニーは町というより村の雰囲気でした。<ジヴェルニー>最初にお庭から見学しましたが、モネの庭には花の庭と水の庭があり、私が想像していたよりずっと大掛かりなものでした。花の庭は母屋の前に作られ、母屋の2Fからはさえぎるものなく、この広大とも言える花の庭を眺めることが出来るようになっていました。また水の庭は道路を挟んだその向う側にありました。この水の庭も、日本で言う庭に池があるという様な規模ではなく、橋が幾つもかかり川から水を引き...モネの庭

  • レ・ピュブリック広場

    地下鉄レピュブリック駅は5路線が交わる交通の要所で、ここで下車し地上に上がるとレ・ピュブリック広場に出ます。日本語では共和国広場と訳されますね。この広場に来たのは初めてですが、予想以上に広い広場でした。スケートボードやローラースケートや楽器を楽しんでいる人がいたり、またダンスパフォーマンスをやっているグループの周りには大勢の人々が集まったりの平和な広場の風景でした。この広場には写真の様にフランスを象徴する女性像のマリアンヌ像が立っています。<レ・ピュブリック広場>ガイドブックによると、このマリアンヌ像は古代ローマやギリシャでは解放された奴隷がかぶっていたとされる自由の象徴のフリジア帽をかぶり、右手にはオリーブの枝を持っています。また台座にはフランスの歴史が刻まれています。<マリアンヌ像>私がこの広場に関心を持つ...レ・ピュブリック広場

  • バスチーユ広場からメルシーへ

    マレー地区を散策しているとバスチーユ広場に出ました。この広場は1789年7月14日、この地にあったバスチーユ監獄が市民の襲撃によって陥落し、フランス革命の火ぶたが切られた場所です。広場中央には写真の様に「7月の円柱」が建っていて、この円柱はそれから約40年後の1830年の7月革命の犠牲者を祀ったもので、円柱の頂には新しいフランスを象徴する自由の天使像が立っています。<7月の円柱>バスチーユ広場はその様な歴史を秘めた場所ですが、現在はメトロの3つの路線が交わる交通の要所であり、広さはそんなにありませんが、多くの人々が行き交い周りにはお洒落なショップやカフェなどもあり、又下町の雰囲気も色濃く残る賑やかな場所になっています。バスチーユ広場からメトロでレ・ピュブリック広場まで行くつもりにしていましたが、ふと思いついて途...バスチーユ広場からメルシーへ

  • マレー地区散策(2)

    しばらく歩くと、ポンピドーセンターに出ました。ここの5F、6Fが国立近代美術館になっています。6Fに展示されているはずのシャガールの「杯をかかげる二人の肖像」を見るのを楽しみにしていたのですが、どうしたことかこの時は展示がなかったようです。どうしてでしょうね~。どこかに貸し出しているのでしょうか?目的の絵を見ることが出来なくてがっかりでしたが、一息入れた後、またまたマレー地区を散策していると、こんな通りに出ました。おそらくユダヤ人街のロジェ通りだと思いますが、狭い道の両側に緑が多く、一般的なパリの通りとは、ちょっと趣が違っていました。この通りに、ファラフェルのお店があったのでこれを買って帰り、白ワインやその他のちょっとしたお惣菜と共にこの日の夕食としました。旅行中のこんな部屋食もなかなかいいものですネ。2個買い...マレー地区散策(2)

  • マレー地区散策(1)

    マレー地区には幾つかの壮麗な貴族の館がありますが、私達が見学を予定していたところは2カ所とも修復中で中に入れませんでした。秋の観光シーズンに備えて、夏は修復中の建物が多いそうですね。<マレー地区の街並み><マレー地区の街並み>又、マレー地区は小さなショップなども多いところです。最初に行ったオリーブ専門店の「ア・ロリヴィエ」は、バカンス中で閉店ですと張り紙が出ていました。個人経営のお店はバカンスのこの時期は閉店のことが多いようです。オリーブオイルのハンドクリームをここで買うつもりだったので残念でした。<オリーブ専門店「ア・ロリヴィエ」>小路が縦横に走るマレ―地区を南北に貫く目抜き通りのヴィエイユ・デュ・タンプル通りを散策したり、ちょっと脇道に入ったりしていると紅茶専門店の「マリアージュ・フレール」が目にとまりまし...マレー地区散策(1)

  • パリ市庁舎

    パリ滞在6日目のこの日はマレー地区を散策し、その北にあるレ・ピュブリック広場などに行ってみました。まずパリ市庁舎から街歩きを始めました。美しいですね、まるでお城か宮殿のよう。その昔は何だったのか調べてみると、前の市庁舎が火災で焼失して1882年に再建された建物だそうで、焼失を免れた基礎の上に建てられているのだそうです。壁には多くの彫像が据えつけられていて威厳と風格がありました。<パリ市庁舎>市庁舎前の広場は以前来た冬は、アイススケートリンクになっていましたが、今回は砂を運び込んでビーチバレーコートが出来ていました。パリ市も市民の為に色々なことをやっておられる様ですね。市庁舎のリヴォリ通り側にはランデヴー観光案内所があります。ここで念の為にメトロ路線図をもう一部ゲットしました。又、ちょっとしたお土産なども置いてあ...パリ市庁舎

  • パリでのちょっとした話

    今回はパリでのちょっとした話を書いてみましょう。【ちょっと怖かった話】ある日の朝9時頃でしたが、ホテルから歩いて2、3分の場所にあるチェイルリー庭園に一人で行ってみました。夫はホテルでゆっくりしたいとのことで一緒ではありませんでした。真夏の朝9時ですから庭園にはもう大勢の観光客や地元の方々が来られて、思い思いに寛いでおられました。<チェイルリー庭園>私も気持のよい風が吹き渡る池の周りのベンチに腰掛けてしばらく過ごした後、来た時と同じ様にリヴォリ通り側の出入口から出ようとした時、アンケート用紙の様な物を携えた若いフランス人女性が私に近づいて来たのです。アンケート詐欺がはやっているので注意する様に旅行社から言われていたのを思い出し、相手にせず通り過ぎようとしたその瞬間、周りにいた観光客に見えた同じようなフランス人の...パリでのちょっとした話

  • ディナークルーズ

    セーヌ川ディナークルーズに参加しました。クルーズ船の出発場所はエッフェル塔に近いイエナ橋のたもとで、船は時間がくると音もなく静かに岸を離れ、ゆっくりしたスピードで進み始めました。クルーズ出発後しばらくは、外が明るかったので、クルーズ仲間とのパリの情報交換などおしゃべりが弾みましたが、だんだん外が薄暗くなって来ると、街のイルミが浮かび上がって来て、いつの間にか夜になりイルミが輝きだし、セーヌ川に周りの建物の明かりが写り、昼間の街と一変しました。今までお喋りしていたお仲間も、みんな引き付けられる様に外を見ています。セーヌ川沿いを夜歩くと、クルーズ中の遊覧船が何台も見えますが、船の中から見る街の美しさは格別ですね。落ち着いたエレガントな船内でフレンチのコース料理をいただきながら、またルーブルやオルセー美術館などのイル...ディナークルーズ

  • バカラ美術館

    16区のバカラ美術館に行こうと9号線イエナ駅で下車すると、目の前に東洋美術のギメ美術館が見えました。ここには敦煌文書が展示されているはずなので入りたいなと思いながらも、目指すバカラ美術館へ急ぎました。<ギメ美術館>イエナ大通りを凱旋門方面に向かうと、合衆国広場という長方形をした芝生の広場があり、その広場の前に赤地にバカラのロゴが入った幕が掲げられた建物があり、ここがバカラ美術館でした。<バカラ美術館>中に入ると2Fが美術館になっていて、30分位で見学できる小さな美術館でした。クリスタルグラスは明るい自然光より人工の光を当てた方が映えるらしく、室内は暗かったですね。展示品は比較的大きな物の部屋と小さな物に分かれていました。階段や踊り場にはクリスタルグラスのシャンデリアがいくつも展示されていましたが、どれも非常に繊...バカラ美術館

  • 前回の記事の顛末

    在フランス日本大使館というタイトルの記事を前回書きましたが、この記事をupした後、在フランス日本大使館のHPってどんなのかな?と思いヤフー検索で調べてみました。そしたらなんと少し前にupした私の記事「在フランス日本大使館~」という記事が1枚目に出ているではありませんか、これには驚きました。驚くと共に何だか嬉しかったですけれどネ(^-^)それから一日経った昨日、ヤフー検索で出て来る自分の記事をもう一回見ようと思いましたが、もう私の記事は削除されていました。この時、前日にヤフー検索が私の記事タイトルの「在フランス日本大使館」という言葉に反応して、この記事を自動的に拾ったのだろうと思いあたりました。しかし、一つ一つの記事を検証する人(そんな人がいればの話ですが)から見ると、記事内容に非常識な部分があったり、可能性は非...前回の記事の顛末

  • 在フランス日本大使館

    在フランス日本大使館はモンソー公園の近くにありますが、折角モンソー公園まで来ているので、ここにも行ってみることにしました。この辺りはほとんどが石造りの建物なので、日本大使館も石造りのクラッシック建築だと思っていましたが、行ってみると意外にも前面ガラス張りの現代建築でした。建物に近づくと、大柄な黒人男性のガードマンというのでしょうか、そんな人が一人、入口のすぐ外に立っていて、私が少し離れた所から日本大使館の写真を撮ろうとしていたら、「撮るな!」と言い絶対に撮らせてくれません。その上、「帰れ、帰れ」という感じの身振りをするんですよ。中に入ろうとしたのではなく、建物の外観の写真を撮るだけなのに何故だめなのか、不思議ですよね。軍事施設などであればわかりますが。海外で自身に重大な緊急事態が発生した時には、自国の大使館に駆...在フランス日本大使館

  • モンソー公園

    アレクサンドル三世橋を渡った後、メトロを乗り継いでモンソー公園に行ってみました。これはメトロ2号線モンソー駅の入り口ですが、パリのメトロ入り口のデザインは何種類かある様です。この入口はギマールがデザインしたアールヌーボーの装飾が美しい線を描いています。モンソー公園の入り口。何だかお城の門のようですね。<モンソー公園入口>平日でしたが大勢の人々が公園に来ておられました。ここにもメリーゴーランドが。パリにはメリーゴーランドが多いですね、ホントに。こんな遺跡のミニチュアーもありましたよ。この公園は元々はオルレアン公爵の宮殿敷地内の庭園で、上の写真の遺跡のミニチュアーもその当時のものではないでしょうかね~。この後、モンソー公園隣にあるニッシム・カモンド美術館にも行く予定でしたが、時間の都合で行けませんでした。今、考える...モンソー公園

  • アレクサンドル三世橋

    プチ・パレ横にあるアレクサンドル三世橋に行ってみました。パリに来るといつも、「この橋を渡りたいな~」という気持ちになり、必ず渡るんですよね(^-^)それはやはりパリ一美しい橋と言われているからでしょうね、きっと。片側2車線と広い歩道、橋には見えませんが橋です(笑)。<アレクサンドル三世橋>橋の両側の先端4か所にはペガサスと女神の金色の彫像が乗った高い柱、橋の手すりには重厚なライト、美しいですね。向うにアンバリッドも見えています。1900年のパリ万博の時に架けられたこの美しい橋には、1893年締結の仏露同盟にちなんでロシア皇帝の名が付けられていますが、典型的な19世紀末の様式で土台には鋼鉄が用いられているそうです。私達が訪れたこの時も、四隅の高い柱の上に美しい金色の彫刻が夏の陽に輝いていたので、最近金箔の張替など...アレクサンドル三世橋

  • プチ・パレ

    今まで前を通りながら、「お洒落な建物だな~」、「どうも美術館らしい」、「中はどうなっているのかな~」などと思いながら通り過ぎるだけだったプチ・パレに初めて足を踏み入れました!<プチ・パレ>ガイドブックによるとプチ・パレは1900年のパリ万博の為に建てられ、その時はフランス美術の展示会場だった様ですが、今はパリ市立プチ・パレ美術館として一般公開されているのだとか。中に入ると入場料は無料でした。まず、玄関ホールのドームを頂く高い天井、自然光がふりそそぐ大きな窓など建物の壮麗さに驚きましたね。まさに「プチ・パレ」の名の通り小さな宮殿です。<玄関ホール>展示品はクールベ、モネ、マネなどの18~19世紀の絵画、エミール、ガレなどの装飾美術、ローマ時代から近代までの彫刻など多岐にわたっているようでした。<展示室><展示室>...プチ・パレ

  • エリゼ宮(大統領官邸)

    大統領官邸のエリゼ宮に行く為に、凱旋門駅からメトロ1号線に乗ってシャンゼリゼ・クレマンソー駅で下車し地上に出ると、周りは緑地帯というか緑豊かで人通りの少ない静かな場所ですが、所々に銃をもった警察官、婦人警官が目立たない様に立っていて、通りを通る人に目を光らせていました。なので何となく写真を撮るのも憚られる雰囲気が漂っています。この緑地帯をセーヌ川と反対方向にしばらく歩くと、フォブール・サン・トノレ通りに出ます。エリゼ宮入口はこの通りに面していますが、下の写真の様に銃を持った警察官と警察車両が通りの入り口の両側を塞いでいて一般車両は近づけません。当然ですが非常に厳重な警戒でした。私はフォーブル・サン・トノレ通りの歩道を歩いてエリゼ宮入口前まで行き、下の写真を撮りました。歩通を歩く人に対しては、上の写真の様に歩道に...エリゼ宮(大統領官邸)

  • 凱旋門

    今回はパリ滞在5日目のことを記事にしてみましょう。この日に廻った場所のメモを今みると、短い時間で結構色々行ったんだな~と驚きますね。この日は夜8時からのディナークルーズを予約していたので、6時過ぎにはホテルに戻っていたはずなので、どんな廻り方をしたのでしょうね~。数ヶ月前のことなのに、遠い昔の出来事の様に感じられるのが不思議です。巡った場所を順に書くと、凱旋門→エリゼ宮→プチパレ→アレクサンドル3世橋→モンソー公園→在フランス日本大使館→バカラ美術館の順です。少し早めにホテルを出発して、シャンゼリゼを歩きながら凱旋門に向かいました。まだ10時前だったので散策する人も少なく、通り沿いのお店は準備中の所が多く、いつものシャンゼリゼとはちょっと雰囲気が違っていました。<人もまばらなシャンゼリゼ>通りには、こんなお洒落...凱旋門

  • 村里

    プチトリアノンの近くには、マリー・アントワネットが当時の自然回帰の思想に影響を受けて、大池の周りに造らせた藁葺の農家、水車、牧場などのある「村里」がありました。思っていたより本格的な田舎風の小集落で驚きました。彼女は少数のお供とここで質素な服に麦わら帽子姿で、畑仕事、牛乳絞り、バター作りなどを楽しんだそうです。そして、ここには彼女に招待された人以外は立ち入ることは出来なかったと言われています。建物の中には入れませんでしたが、12軒の農家からなるこの村里は、建築当初の姿を今日まで、ほぼ完全な形で留めているんだそうですよ。最後にベルサイユ宮殿のショップで、プチトリアノンの部屋に飾られていたマリー・アントワネットの肖像画にどこか面影が似ている様な、「青いドレスのマリー・アントワネット」という名の、小さな手のひらサイズ...村里

  • プチトリアノン

    グラントリアノン見学後プチトリアノンに向かいました。プチトリアノンはルイ15世が、愛妾ポンパドール夫人と過ごすために18世紀後半に建てられましたが、建物が完成した時にはポンパドール夫人は亡くなられていたそうです。しかし、私達はプチトリアノンと言えば、何といってもマリー・アントワネットを思い浮かべますね。その名の通り小規模な四角い建物で外観も内装も豪華というより可愛らしく優美な感じがしました。プチトリアノンはトリアノンからさほど遠くない所にありましたが、建物正面はこんな感じです。<プチトリアノン正面>建物正面の前方には大木(ポプラ?)の並木が整然と植わっていましたが、当時はどうなっていたのでしょうね~。この写真からも感じが伝わって来ますが、人で溢れたベルサイユ宮殿と違って、この離宮を見学する2、30人の人がいるだ...プチトリアノン

  • グラントリアノン

    午後からグラントリアノン、プチトリアノン、村里を見学しました。以前来た時、宮殿の庭にプチトランが停まっていたのを見たので、この3か所はこのプチトランで廻ると思っていましたが、そうではなく徒歩での見学でした。この3つの離宮への入口は、標識がある訳ではなく下の様な何気ない木立のトンネルの様な所から入りました。入口を入ってからかなりの距離を歩くと、グラントリアノンが見えてきました。ベルサイユ宮殿を見た後だからでしょうか、質素だなという印象を受けました。<3つの離宮への入り口><グラントリアノン>グラントリアノンはルイ14世が愛妾マントノン夫人や家族と過ごすために17世紀後半に造られたそうで、二つの建物とそれを結ぶ柱廊とで成っています。たくさんの部屋を見学しましたが、どの部屋もベルサイユ宮殿の様な装飾過多ではなく、落ち...グラントリアノン

  • ボスケ(ベルサイユ宮殿庭園)

    宮殿の庭に出ると下の写真の「ラトナの噴水」があります。そしてはるか向こうに小さ「アポロンの噴水」が写っていますね。<ラトナの噴水>下の写真は「アポロンの噴水」から見たベルサイユ宮殿と「ラトナの噴水」です。<アポロンの噴水>あまり知られていませんが、上の写真の「ラトナの噴水」と「アポロンの噴水」を結ぶ線の両側の森には、木々で囲まれたボスケ(bosquet)と呼ばれる、幾つかの庭園が造られています。上の写真にその両側の森が写っていますね。近づくとこんな感じです。そのボスケの一つ一つがさらに生垣で囲まれているので、ボスケは中に入らないと見えません。まるで秘密の庭園のようです。私達は上の写真の左側の森に入ってボスケを見学しました。私は以前、このボスケについての話をある所で聞いたのですが、今一つその仕組みが判りませんでし...ボスケ(ベルサイユ宮殿庭園)

  • ベルサイユ宮殿

    7月30日はオプショナル旅行に参加して、まる一日ベルサイユ宮殿を観光しました。ベルサイユはパリの南西約20㎞の距離にあり、早朝にパリを出発して帰り着いたのは夜8時近くでした。ベルサイユ宮殿にはこれまで2回行ったことがありますが、2回とも宮殿だけでグラントリアノン、プチトリアノン、村里には行ったことがありませんでした。今回はこのすべてを廻る一日ツアーに参加することにしました。今回のガイドさんは日本語が流暢なフランス人女性。ツアー仲間は6人でした。今回初めて知ったのですが、ベルサイユ宮殿は西向きに建っているのですね。というか鏡の間は西向きの部屋なのですね。なので外光を反射して室内が明るくなるように鏡が多用されているということなのだそうです。まず、例によって王室礼拝堂から見学が始まります。1770年5月16日にルイ1...ベルサイユ宮殿

  • シャイヨ宮テラス

    この日は16区のパッシ―地区にあるギマールのアールヌーボー建築群を見学する予定にしていましたが、そこに行く地下鉄6号線のモンパルナス駅からトロカデロ駅間が工事中で9月半ばまで閉鎖中という情報を知り、地下鉄が地上に出る6号線パスツール駅からパッシー駅までの景勝ルートに乗るのも目的だったので、それが出来ないならと、アールヌーボー建築群見学はやめ、シャイヨ宮テラスに行くことにしました。地下鉄の他の路線を使えばパッシ―地区に行けないことはありませんが。シャイヨ宮は、1937年のパリ万国博覧会にあわせて建てられたパビリオンの一つだそうで、現在はこの中に3つの博物館と劇場があるのだそう。セーヌ川を望む丘に建てられていて、この建物の両翼をつなぐ中央部分のテラスが、エッフェル塔を眺める場所としては最高の場所だとはよく言われるこ...シャイヨ宮テラス

  • ギュスターブ・モロー美術館

    モンマルトルのカフェで昼食の後、モンマルトルから割合近い9区のギュスターヴ・モロー美術館に行ってみました。この美術館に行きたかったのは、モローの絵を見たいというより、このブログでも書いた様に(その記事はこちら)この美術館には美しい螺旋階段があり、この螺旋階段で小池真理子さんの書く小説の主人公二人が30数年ぶりに偶然再会するという設定になっていて、その螺旋階段を見たかったからなのです。モロー美術館の最寄り駅はメトロ12号線のトリニテ駅ですが、夫はそんな美術館には興味がないらしく、駅前のトリニテ公園のベンチか近くのカフェに入って道行く人々を観察すると言うので、私一人で美術館に行きました。美術館へはトリニテ駅から標識が出ていたので割合簡単に行けました。メトロ駅前の賑やかな街中から緩やかな坂道を上ると静かな住宅街に入り...ギュスターブ・モロー美術館

  • モンマルトル散策

    サクレクール寺院の西側にあるテルトル広場に行ってみました。以前来た時と雰囲気がだいぶ変わっていて驚きました。この広場にはカフェ部分がありましたがそれは一部で、多くの絵描きさん達がここで絵を描いたり、また画きながら絵を売ったりされていて、観光客も絵描きさん達が絵を描いている横を縫うように歩くという非常に活気のある広場でした。が、今回行ってみると広場の大部分はカフェになっていて、カフェの周りに絵を描いたり、売ったりしている絵描きさんがいるという感じになっていて、絵描きさんの数も以前に較べると減っていました。又絵描きさんではなく、画を売るだけが仕事の人もおられるようでした。広いカフェ部分が観光客で賑わっているというわけでもなく、広場全体に以前の様な活気がありませんでした。何だかガッカリでしたね。モンマルトルは19世紀...モンマルトル散策

  • サクレクール寺院

    モンマルトルのシンボル、サクレクール寺院へ向かいました。モンマルトルはパリで一番高い丘(130m)で、そのてっぺんに建っているサクレクール寺院に行くには、かなりの階段を登らなければなりませんが、ケーブルカーもあるのですよ(ケーブルカーは地下鉄のチケットで乗れます)。ちょっとの距離ですが、やはりケーブルカーは楽ですね(^-^)<ケーブルカー乗降口>ケーブルカーを降りると、夏の陽に照らされた白亜の美しいサクレクール寺院正面に出ます。こんな様式の建物をロマネスク・ビザンチン様式というそうですが、パリによくある教会とちょっと趣が違いますね。ビザンチン様式といわれる所以でしょうか?この日はよく晴れたお天気の日で、正面から見る教会は、なお一層神々しく見えました。<サクレクール寺院>パリで一番高い丘に建つ教会なので、教会前の...サクレクール寺院

  • モンマルトルの生地屋「ドレフィス」

    この日は午前中にモンマルトルを散策しました。メトロ2号線のアンヴェール駅で降りサクレクール寺院を目指しましたが、この寺院の周りには生地屋さんがたくさん集まっています。何故この辺りに生地屋さんが集まっているのか、その理由はわかりませんが...。サクレクール寺院見学前にそんな生地屋さんの一つ、DREYFUS(ドレフィス)に入ってみました。下の写真を見ると奥にサクレクール寺院が写っていますね。10時ちょっと過ぎでしたがまだお客さんはごく少なく、5階建ての店内をゆっくり廻りました。生地を用途別に各階に分けているようです。<ドレフィス><店内の様子>私は2Fで下の様なホームドレス用の生地を買い求めました。2.3m欲しいと言うと、1m単位でしか売れないと言われ、2m購入しました。たしか34ユーロでした。ピタッと折られて反物...モンマルトルの生地屋「ドレフィス」

  • リヨン駅構内のレストラン「ル・トラン・ブルー」

    パリ中心部の交通規制で早めにホテルに引き上げた日の夜に、ちょっとおめかしして予約していた国鉄リヨン駅構内にあるレストラン「ル・トラン・ブルー」に参りました。ツールド・フランスのゴールは完了したのでしょう、交通規制は解除され街は平穏になっていました。国鉄リヨン駅には地下鉄14号線が乗り入れている様ですが、私達が利用した1号線は乗り入れていませんで、メトロリヨン駅で下車し、1度地上に出て目の前の国鉄リヨン駅に向かいました。国鉄リヨン駅はリヨン、ニース、マルセイユなどのフランス南部方面へ行く列車の始発駅であり、新幹線TGVも発着しています。<リヨン駅>日本的な感覚では、駅中のレストランというと何だか落ち着かない感じがしますが、この「ル・トラン・ブルー」は歴史的建造物に指定されていて、絢爛豪華な店内でよく知られたレスト...リヨン駅構内のレストラン「ル・トラン・ブルー」

  • ヴァンドーム広場

    ヴァンドーム広場を見ると何てきれいな広場だろうという思いになりますが、今回はそんな感じはしませんでした。それはこの広場を取り囲む高級ブランド店の数軒が改装中で幕が張られていたからでしょうね~。<ヴァンドーム広場>でも広場中央に立つ、オーステリッツ戦の戦勝を記念してナポレオンが建てた高さ44mの円柱は、夏の日を浴びて美しく輝いていました。この青銅製の柱は敵から奪った1250門の大砲を鋳造したといわれ、台座の4面はすべて戦いに関した彫刻が刻まれています。ヴァンドーム広場という名前ですが、元の土地の所有者ヴァンドーム侯爵から取られたのだそうです。<広場中央に立つ円柱>ホテルから歩いて3、4分の距離にこの広場があったので前を何度も通ることになり、美しい青銅の円柱がいつも見えていました。今も心に残っています。(ヴァンドー...ヴァンドーム広場

  • マドレーヌ寺院

    オペラ座内部見学の後、少し前にTV番組の「ぶらタモリ、パリ編」で放映された9区のパサージュ、ジュフロアに行くつもりにしていましたが、ちょうどこの日(7月28日)はツールドフランスのパリゴール日に当たっているらしく、午後からパリ中心部に交通規制が引かれ自由な移動が何となく難しく、歩いて行けるマドレーヌ寺院、ヴァンドーム広場だけを見学してホテルに戻りました。マドレーヌ寺院はコンコルド広場から延びるロワイヤル通りのつきあたりにある教会です。この教会は、ちょっと変わったギリシャ神殿風の外観ですが、周りを取り囲む巨大なコリント式の列柱には何度見ても驚かされます。<マドレーヌ寺院>中に入ると、聖歌隊の皆さんでしょうか、正面祭壇の「聖マドレーヌの昇天」像前で歌の練習をされていました。彼女たちの澄んだ声と「聖マドレーヌの昇天」...マドレーヌ寺院

  • オペラ座内部見学

    旅行中にオペラ座でバレエを見るつもりでチケットを入手しようとした時、オペラ座は7月中旬から8月下旬まで夏休みに入り、この間は何も上演されないことが分かり、がっかりしてたところ、内部見学だけは出来るのを知りました。それで、街歩き初日にオペラ座の内部見学をすることにしました。パリに行かれた方はオペラ座の前を必ずといっていい程、歩いたり又バスで通過したりされますので、オペラ座正面の美しさはよくご存知でしょうが、その内部も絢爛豪華でそれはそれは美しいものでした。<オペラ座>内部見学のチケットは、オペラ座正面に向かって左側面の、この劇場の設計者ガルニエの胸像がある入口から入り、まずセキュリティチェックを受けた後、その先にある窓口で買い求めます。そしていく種類かあるパンフレットの中から日本語のを選び、いよいよ見学開始です。...オペラ座内部見学

  • まじめまして

    2019年の7月27日から8月9日まで夫と二人でパリの街を気の向くままに歩きました。旅行前に皆様のブログを数多く拝見し参考にさせて頂いたお陰で、街歩きがどんなに充実し楽しいものになったことか。それでお役に立てるのか、自信はありませんが、私もその時の街歩きの様子を綴ってみようと思います。お気が向かれましたらご覧くださいね。パリのホテルに着いたのは7月27日の夜8時頃で、この夜のパリはかなり涼しく、少し厚めの上着を持参しなかったのを後悔するほどでした。今回の旅行は自由に計画を立て行きたい場所に行くことが出来る、そんな旅でした。ホテルはサントノレ通りに面し、メトロ、チェイルリー駅から歩いて2、3分の便利な場所にありました。今回で4回目のパリですが、今まではオペラ座近くのホテルでしたが、今度の場所はそこ以上に便利だと感...まじめまして

arrow_drop_down

ブログリーダー」を活用して、リラさんをフォローしませんか?

ハンドル名
リラさん
ブログタイトル
パリ街歩き
フォロー
パリ街歩き

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用