流れゆく日々の中で、少しだけ立ち止まる。立ち止まることで自分の考えが見える。見えたら行動を変えたくなる。身の周りの出来事に学び、周りと一緒に幸せになっていきたい。人智学を勉強する、書く人。
ネットで本を探していたら、「これは?」って、いろんな本をおすすめされる。「へ~、あれもこれも読みたい!」。とワクワクして、ふと立ち止まる。過去の傾向からオススメされた本をパラパラ流し読みしてる時間って、何?人生であと何冊読めるかわからないのに。1000とか?2000とか?もうちょっと行けるんだろか??オススメされてもされなくても、ホントに読みたい本を買って、線とか引きながらみっちり読むのってすんごい楽しい気がする…。まとめノート作ったりしてさ。そうなのよ。線引くの、好きなんだよね。本と自分が馴染んでいく気がして。1回目は黄色で線を引く。もし読み返すなら、2回目はオレンジ、3回目は赤で。もう使わなくなった、子どもの保育園時代の色鉛筆が、やさしい色合いで、紙の本の上にやわらかく足跡を残します。色があると、ポイ...それは読書かお絵描きか?色鉛筆の質感に誘われて
この2週間ほど気にかかっていたこと。ひと仕事終え、ぐっすり眠りました。起きたら、何でもかんでも読みたくなって、手元の積読本から、大人上品エッセイ系と、ドキュメンタリー系と、ドロドロ恋愛小説系と、骨太小説系と、ハウツー系と、シュタイナー系と、を、読みかけてしまいました。夜。その6冊を脱衣場に運び、ついでにアイスコーヒーとアイスクリームを持って、お風呂へGO!私が最後だから長風呂OK!「急に涼しくなったな~」と、夜風に吹かれつつ、お湯につかり、ふぅ~~~~~~~~と目を閉じて、じゅぼ~~~~~っとそのまま沈んで。ああ気持ちいい。気分で、薄い本を1冊選んで読み始めました。うわ、美しい言葉~。何、この静かな清らかさ?読み終えて、また湯舟に沈んでみます。じゅぼ~~~~~~~~~~~~。もう一冊読もうかな~。さっきの...お風呂にアレコレ持ち込んで
この週末、「哲楽cafeピーチクパーク」を、いろんな方たちに知ってもらうために市民団体の集まりでプレゼンをしてきました。1か月前、この企画をサポートしてもらえるかどうかの審査の時に、「どうやって必要な人に届けるの?」と聞かれ、「いいアイデアあったら教えてほしい」と言うと、「今度、やりたいことを発表する場があるから、オキツさんも出てみたら?」って言われたんです。で、ちょっとしたチャレンジのつもりで、(私なりにはすごい準備して、プレゼンも練習して)出てみたんですけど、結果、すんごい場違いでした…。あ~~~。「やりたいことを発表する場」って、もっと気軽なものかと思ってたのに、新聞社とかケーブルテレビとか入ってるし、市長とか議員さんとか市民団体の人たちとか、最初から最後まで、みっちり聞いてるやん!8人のプレゼンタ...落ち込んだり復活したり忙しかったな
ある朝、何の流れか忘れたけど、高1の子どもと「明日死ぬってなったら、自分の大事なことがわかるよね?」みたいな話になった。何する?って聞いたら、「友だちと遊ぶ」って答えた。そっか〜、今は友だちが一番大事なんだね。かーちゃんは?と聞かれ、しばし考えて、「今のままでもいいな〜」と言いかけて、「仕事には行かないかな」と笑った。そしたら子どもが、「明日死ぬってなったら、大事なことはわかるやろーけど、それしかしなかったら明日困るなー」と言うので、「やっぱ仕事行くわ」って大笑い。もう〜、大きくなっちゃって〜!親のもっともらしい話を、しかも、相手に嫌な思いをさせないで、「ここは違うよね」って指摘できるなんて。精神的には完全に巣立った感があります。そんな風に、今の友だちが一番大事だと言った子どもが、その日、部活の帰りに駅で...明日死ぬってなったら?
開催報告を兼ねての振り返り(第1回哲楽cafe ピーチクパーク「家族」)
この夏始めた「哲楽cafeピーチクパーク」。やってみたら…ハイ。結構おもしろかったです。誰も来てくれなかったらどうしよう、と思っていたのですが、オンラインということもあり、9名も参加してくださいました。普段しゃべらない人たち、たとえば学生さんとかオジサンとか離婚して生き生きしておられる方とか、ご両親を見送った独身の方とか、理想の家庭づくりに励む方とか、家族は勝手に自由にやってるのがいいという方とか…が、「家族」っていう一つのテーマで一緒にしゃべりました。最初にカラダほぐそうと思ったんですが、それはわりとハードルが高かったのかな~?挨拶して、「じゃあ最初に深呼吸しまーす」ってやり始めたら、みんな「え???急に何させんの??」みたいな、薄ら照れ苦笑い躊躇、みたいな顔になって。安心して動いてもらうためには、もう...開催報告を兼ねての振り返り(第1回哲楽cafeピーチクパーク「家族」)
「家族について考えよう」と言われたら、どんな問いを立てますか?たとえば、こないだの哲楽cafeピーチクパークでは、主に、家族の範囲や条件に関する問い・部活とかの仲間を家族!っていっている人がいたが家族とはどこからどこまでの関係を指すのか・家族であるために、血縁は必要か?・家族になるってどういう事だろう?と、家族の距離感、あり方に関する問い・「自立した大人同士が一緒に暮らすのが家族」?「甘えられるのが家族」?そのバランスはどこで取る?・一緒にずっと過ごす家族。ほどよい距離感って?が、多かったです。そんな中、家族や周囲への愛に溢れた「家族に何をしてあげられるのだろう?」という問いと、社会に向けて、意識的になっていく「家族がいない前提の幸福な生き方とは?」という問いが個性を放っていました。特に「家族がいない前提...問いの立て方ってめっちゃ大事
第1回哲楽cafeピーチクパーク。テーマは「家族って何?」でした。学生さんも大人の方も、男性も女性も、いろんな背景を持つ方9名で開催しました。最初に一人ひとり問いを立てて、その背景のお話を伺ったのですが、参加者投票で採用されたのが「家族がいない(持たない、前提としない)幸せな生き方は?」でした。そうですよね~。昔みたいに大家族ならともかく、核家族や一人世帯が増えている中で、医療や福祉や子育てなどを、家族だけで担えってのは、どう考えても無理があります。仕事を辞めて介護に当たる働き盛りとか、学校行事にも行けないヤングケアラーとか。社会全体で、そういうのを担う仕組みを本気で考えないと、機能不全を起こしてるよね、という問題提起でした。血縁だけが家族的役割を果たす時代ではないと思えば、学生さんが言ってた「盛り上がっ...「家族って何?」哲楽cafeピーチクパークより
「哲学cafeって何やろね?」という話を他のファシリテーターの方と一言二言交わす機会がありました。問われると、考えてしまう。我思うに、哲学カフェは、「人と対話する経験」が増えることで、答えが1人ずつ違うことに免疫が出来て、「自分で考える時間」がさらに増える中で、「人の意見も受け入れつつ、自分の考えも信頼できる」っていう平和に耐性がつくのが、存在意義かな~と。答えを一つにしたがり過ぎるねんな~。「私も一緒~!」って盛り上がらないと、仲良しっぽい空気にならないとかさ。違うところを、穏やかに掘っていくのって、お互いのことを知り合えてめっちゃ楽しいんだけど。自分で考えられる人が増えて、それを人と話せる機会があれば、時代のヘンな風潮に、ブレーキかけられるかもしれない。し、異質な背景を持つ人と一緒に同じ場所で平和に生...哲学cafeって何やろね?
日曜日の哲楽cafeピーチクパーク、めっちゃおもしろかったんですけど、我ながら配慮が及ばなかった事がありまして。それがさ~~。私だったら、イヤだな~と思ったら、そのままガマンするか、次から参加しないで消えるんです。それを、会の終了後に直接ご指摘くださった方がいて。ちょっとびっくりしました。それなりの強さの言葉ではあったので、最初は、身構えて聞いていたのですが、話しの中身は暖かい感じで、「自分はここが気になった」とご指摘いただいて。そんなふうに、自分の感情を黙らせずに、相手にも威圧感を与えずに伝えるって、なかなか難しい事だと思います。誤解されるかも知れないし、逆ギレされるかも知れないのに。そんな風に伝えられるには、だいぶん、愛がいるよなー。おかげさまで「動きながら修正する」を、ひとつ、実現出来た気がします。...人に指摘するって大変なのに!
第1回、哲楽cafeピーチクパークが終了しました。これまで、シュタイナー哲学に関心を持つ方と、あれこれ学んできましたが、このピーチクパークは、もっと広く、どなたでも参加いただけるイメージです。だからね~。私の今までの常識が通用しないっていうか、「あ、そっか!」ってこと、多々。気づかないまま、ヒトサマに居心地悪い思いをさせたことも多々。たとえばね。最初に、鎧を脱いで心を開くために、身体をほぐしてから対話したかったんだけど、カラダを動かすのって、結構抵抗あるんですねー。「深呼吸するのって難しいのか~」「“あ~”て声帯を震わす程度でも躊躇するのか~」っていうのは、大きな驚きでした。そうなのね?!カラダもココロも一緒に考えの世界に連れて行きたい。第1回哲楽cafeピーチクパーク終了
最初、地球がドロドロの熱の塊だったことを思えば、「人はアメーバから進化した」というのは、正しい言い方じゃないんだろうな。どうしても、そのアメーバは、どこから生まれたの?って話になるもの。生命の兆しの見える、もっともっとも~~っと前がスタートのはず。人間が、鉱物になる前のドロドロ→鉱物→植物→動物と全部の過程を進化してきた、という説を仮定してみる。そしたらね~、動物や鉱物や植物時代もあったわけじゃない?今でも身体を養うためには、動物と同じように、外から栄養をもらう必要がある。で、心を養うためには、植物の光合成と同じように、「光」から栄養をもらって、美しい心の栄養を作るようになってるから、朝日や夕日が好きなんだったりして!ってここで終わりたかったんだけど、あとちょっと。カラダが動物方式、ココロが植物方式で養え...ドロドロの熱時代から生きてきたとして
孔子大先生の有名な一文。学校で暗唱させられて以来、「何歳が何やったっけ?」って、時々確認したくなる。吾十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳順う。七十にして心の欲する所に従えどものりをこえず。の、40歳代の課題外からのアレコレに振り回されない、や、50歳代の課題この人生での自分の役目を知る、みたいなこと。仕事を辞めてから、少~しずつ近づいてきている気がする。気持ちを黙らせないで働くってことは、自分を世に生かして働くために、ものすごい大事なことなんだ、と改めて認識した次第。「気持ちを黙らせない」ってのは、感情のままに怒り狂うとか、八つ当たりして人を傷つけていいとか、そういうことじゃなくて。この子にはこうしてあげたいけど、特別扱い、ひいきって言われたら困るか...孔子大先生の有名なアレ
人に「最近どう?」と聞かれ、「追いかけてることと、追いかけられてることで、オニ忙しくてなかなか落ち着いた時間が持てない」と答えた。反射的に答えてから、ふと、「追いかけられてることって??」と思って、スケジュール帳を見た。何やかや、山積み。自分がやるって言った原稿が何本か。自分がやりたい、哲楽cafeピーチクパークの準備。それを知ってもらうためのプレゼンの資料作り。それを知ってもらうためのツールのブラッシュアップ。共感する価値観をベースにした場所でのバイト。自分が学びたいことに関する読書。自分が身に着けたい力を高めるための課題。参加したい講座、ワークショップ。ピアノの練習とレッスン。そして、毎日のブログ…。これ、追いかけられてることなのかな?もしかして、追いかけてること、追いかけたいこと、かも?は良い恰好し...ちょっとうれしい驚きでした
今日、大きな町の巨大な本屋さんに行った時、なんとなく通路を歩いていたら、おもしろそうなタイトルのノウハウ本(たぶん)を見つけた。でもね、その本が「ティーンの自己啓発」の棚にあったから、恥ずかしくて手に取れなかったわ。「ティーン」の棚は、50代には厳しいよ~~(^^;)。図書館では平気なんだけど。シンプルなことをやさしく書いてある顔をしてたから、あわよくば、まえがきやあとがき、目次と何ページかをパラパラ立ち読みしてモチベーションだけ上げさせてもらって、終わらせたかったんだけどね。残念!あ!そういえば、買う前から実際の本に向き合えるのは、実店舗ならではの魅力だよね。そんなことも、失われてた!ネット書店で何か買おうとしたら、本自体は見られないから、人のレビューを参考にするからさ~。人の好みは、自分の好みと同じ?...その棚には置かないで~!
6年目の5年連用日記を開き、何も考えずにペンを動かし始める。そして自分が何を考えるのかを知らず、ペンの命じるままにつきあう。毎日は書かない。というより、もっと自由に使っている。思い立ったら何日分ものボリュームを書くけど、2ヶ月くらいまるごと書かない時もある。1ページに5年分の罫線がある中で、埋まっている比率は3割程度。だから、その空欄を、6年目に埋めている。〇年前は何をして、何を考えてたのかな~ってのが、目に付くのがおもしろい。6年前。今高校生の子どもはまだ小学生だったし、私の目の前で泣いたりもしてた。その変化が味わえるから、新しい日記帳は欲しいけど、たぶん、最後まで。そう、10年くらいは使うんじゃないかな。あと4年半くらい?空欄を全部書き終わる頃には、私もまわりも、どうなってるかな~。なーんて、まだまだ...6年目の5年連用日記
なんとなーく、早く目覚めた朝。家族の活動開始まで、まだ2時間くらいあったので、大好きな方が勧めてくださった薄い本「海からの贈物」を持って、夜明けの海へ。潮風に吹かれながら、気持ちよ〜〜く過ごそうという魂胆。仲よさそうな散歩中の年配のご夫婦や、日の出に向かって大きなカメラを立てる方、磨き上げたバイクを停めて海を眺めている方…。誰も彼も、自分のしたいように過ごして、人のことには構わない。同調圧力ゼロの、涼しく自由な風が吹いている中。私もお目当てのベンチに座って、本を広げ、数ページ読んだところで、突然パラパラと雨が振ってきた。見上げれば、小さなビーチの上だけが、黒い雲。おいおいおい。ワタシ、晴れ女なのに。こんなはずでは…。本をブヨブヨにしてでも読みたいかどうか、しばし逡巡したけど、わりと黒い雲だったので撤収~~...こういう事するから無視されるんだろうけど
妖怪といえば水木しげるですが、今日は、ひょんなことから、「妖怪は4種類に分けられる」と説いた井上円了についての話を聞きました。聞きかじりで申し訳ないんですが、いわく。誤怪(ごかい)=見間違いや恐怖など心理的に生みだす妖怪偽怪(ぎかい)=人為的に引き起こした妖怪仮怪(かかい)=自然現象によって実際に発生する妖怪真怪(しんかい)=科学では解明できないものへ~~~。井上円了さんという方、100年ちょっと前に活躍した人らしく、迷信とかが、今よりもっとシビアに人を迷わせる事も多かったであろう時代。「原因が説明できる妖怪もいっぱいいるから、(騙されて高価なツボなんか買わないで)ちゃんと自分で見て考えてみて?」という。でも、やっぱり「真怪」はいる、という。哲学者でもあり、教育者でも、脳科学者でも、宗教者でも、心理学者で...妖怪は4つに分類してみると、最後に残るのは?
去年の青シソを、飽和食塩水に漬けていたものがね、大きなタッパーにひとつ分あったんです。今年もシソがいっぱい来たから、もう去年のを使うこともないな~と思って、ふりかけにすることにしました。塩水分がしたたるシソの葉を、包丁で細かめに刻んで、新聞に広げ、夏の直射日光に当たる縁側に出しておきました。そしたら、半日も経たないうちにカラッカラに!!「お肌ヒリヒリする」とか、「紫外線でシミソバカスが」とか言う前に、物理的に、こんなに水分奪われてるのか~。目で見ると、説得力100倍です。そりゃ、日傘や帽子が必須なわけだー!今朝は、月を見ながら2時間以上海にいたぞ。アブナイアブナイ…。夜明け前後は大丈夫、と思いたい。そのシソはね、昼ごろ、べちゃべちゃだったのが夕方には、もうパリパリ。3回に分けて、ミキサーで細かく砕いて、ほ...夏の日差しは強烈だった
どんな仲良しの夫婦でも、「もうこんな人と暮らせない!」って、思ったことはあるんじゃないのかな。でも、何らかの理由で、たとえば、子育てに必要なお金が作れなくて踏みとどまる女は山ほどいる。踏みとどまったことが、より良い関係づくりにつながるならいい。でも、ギリギリと歯ぎしりしながら自分を抑圧している人もいるはず。離婚は悪いことじゃないはずなのに、我慢強いのがいいことだと言われるのも、より良い道を探して進むのが、悪いことみたいに言われるのも、なんだかなぁ。何より、自分が、どこかでそう思ってる。友だちが、「ややこしい人と暮らせるガマン強い自分、を肯定し、そこに依存してる」みたいなことを言ってて、あ、その要素、私にもある、と。その力がせっかく備わっているんだから、支配されることに耐えるために使うんじゃなくて、何かをよ...忍耐力の使い道
昨日、たまたま本屋に行った時に、「最近どんな本出てるんかな~」と思って、棚をウロウロしてたのね。久々に超長文をやり取りしている友人が、高いハードルを越えようとしているので、その影響もあってかなくてか、目の端で、気になる言葉をキャッチした。本の帯に曰く「別れたいが、お金がない」。うわ~~~、タイムリ~!!『もう別れてもいいですか』垣谷美雨/著中央公論新社本屋さんに行くのは実に1か月ぶりくらい。なのに、そのタイミングでこの言葉!神様のいたずらにおののきました。偶然を装って届く、大いなるメッセージ。でも、思春期の子どもが一緒だったので、さすがにその本は買いにくく、帰ってから図書館で検索して、予約カートに入れてまたまたビックリ。順番待ち、364番目だって!!初めて見たよ!こんな大きな数字。これまで、ベストセラーや...怪談よりも饒舌な数字
「子どもを一人で育てられるか」、と聞かれたら「NO」と答えます。仕事中、子どもを見ていられないから、という意味じゃなくて、まわりで見ててくれる人が他にもいて、自分には気づかないとこホメてもらったり、信頼できる人に「大丈夫」って言ってもらうことで、不安を乗り越えて安定した気持ちになれたから。だから、言葉の暴力をふるい続ける、精神的に安定しない夫に、身も心も振り回されて疲れ果てている友人には、なんて言ったらいいのかわからない。そのままガマンしてろ、とは言えない。さっさと分かれてしまえ、とも言えない。だけど、大好きなママが、いつも悲しい顔をしている状態は、パパがいないよりも、たぶんもっと辛いかもしれなくて。「別れたいけどお金がない」、と書いた単行本の帯が、ふと本屋で目に入った。なんか、なんか~~~、すごいわ。こ...子どもを一人で育てられるか
待って待って、最高のタイミングで赤ちゃんを授かって十月十日。やっと自分の腕に抱けた人がいます。産後2週間目の検診で「幸せな気分になって泣きたくなることがある」という項目に、自信をもって「はい」と答えたら、心配されたそうです。え、なんで??と思ってたら、アンケート項目を読み間違えていたらしい。実際は「不幸な気分になって泣きたくなることがある」に、「はい」と答えてしまっていたのでした。幸せのあまり、「不」を読み飛ばす、なんてことがあるんだね~。好きな人が出来たら、町を歩いてても、本を見ていても、その字ばっかり目に付く、とか、そーゆーのと同じ現象かな?この世にようこそ!そんなママのところに来られて良かったね。すべての子どもと、もとは子どもだった人が幸せでありますように。そんな風に祈らずにはいられない。写真には、...幸せで泣きたくなること
どんな方でも、こんな私でも出来るお絵描き。コレ、最初から最後まで、20分~30分くらいで充分楽しめます。こないだ大人クラスで集まった時、30分くらい時間があったので、やってみました。机がない環境だったから描きにくかったけど、「作品作り」が目的じゃないから妥協して。さて。テーマは「手」です。普段、手を使ってしていること。さわる、抱きしめる、ピアノ弾く、叩く、料理する、字を書く、撫でる、編む、捏ねる…。いろんな手の仕事。手の役割。自分が手でしていること。手で大事に包み込んでいるもの。手で生み出していきたいもの…。そんなことをイメージしながら、それぞれで自分の手形をアレンジしてみました。描いている間は、余計なことを考えないで、絵に集中できる。その意味では写経とも共通点がある??なんて言ったら叱られるかしら。でも...絵心がなくてもOK!
ウチにいる15歳を見ていると、友達とSNSでつながって、ひたすら動画を交換したり、電話をつなぎっぱなしでおしゃべりしたり。中学生までの家での過ごし方と全然違う。リアルな世界に、実際に関わって欲しくて、中3の冬までスマホを持たずに、特に不自由もなくやってこれたんだけど、高校になった途端、コレだもんな~。部屋を覗きにいくと、ほぼ、もれなく、寝そべってスマホで何かしています。「あ~、スマホとの付き合い方、失敗してるな~」と思ったりします。あまりにもずっと見ているので、昨日、ちょっと話をして、「中毒かどうか、試してみない?」と、スマホとタブレットを預かってみました。「要る時になったら取りに来て、渡すから」って。結果、お昼と午後に小1時間ほど。後は、夜寝る前に取りに来ました。「なんか無駄なことしてんな~」と、自分で...思春期の隣で、更年期が崇高な気分になった件
シュタイナー教育の本や資料って、小さい人を対象にしたものはいっぱいあるんだけど、14歳以降対象となると、とたんに減ってしまう。自分ちの子どもが15歳で、思春期っていうややこしい年ごろになり、子どもを理解するヒントになればな~と、「14歳からのシュタイナー教育」という本を探していました。これ、筑摩書房の「一般人間学」や「教育芸術」など、シュタイナー教育講座シリーズの別冊です。絶版になっているので、版元にも書店にもないし、古本でも1万円くらいしちゃう、というバカ高くなってしまったレアな本。「1万円は高いな~」と思って、手を出せずにいたのですが、こないだ、ふと見たら5000円くらいで出ているのを発見しました。もちろん、新品同様というわけにはいかず、「可」というレベルです。「えいやっ!」とポチ買いしてみて届いたの...欲しかった本を入手!
綿の花が咲きました。なので、綿の苗をくれた人に「こんな花が咲きました!」って、昨日書いてたようなことを報告しました。その人のは、まだ咲いていないらしく、「どんな花なんですか?」って言うので、写真を見せながら、あれこれと花から受ける印象とかを語ってたら、「そのモノの見方がおもしろい〜!」ってすごい楽しそうに聞いてくれました。そんなトンデモ話を聞いてくれるのが嬉しくて、「外から見たら、目に見える形だけしか見えないけど、自分も相手の中に入って重なる感じになれたら、その分、教えてもらえることは増えるかな〜?」と、ゲーテ的観察を、たどたどしく語ってました。そんなに、相手の中に入って重なって見られるなら、家族や友達のことだって、すっかりわかるはずで、まぁ、そんなにうまくはいかないんだけどね。だからこそ、少しずつ練習を...「見てくださってありがとう」とな?
このトゲトゲの写真、蕾なんですけど、何の蕾だかわかります?花を上から見ると、こんな感じ清楚なまっ白い色です。質感は、朝顔みたいなヒラヒラ感。これが、あの謎の蕾と、どんなふうにつながっているかというと、こんな感じ。上と下とは、まるで別ものです。タレントとマネージャーみたいな関係?親と子どもみたいな関係?そして、夕方しぼんだのを見るとビックリ!なぜか、赤くなっているのです。おひさまの色を吸い取った?!と言いたくなるような激変ぶり。ぎざぎざ部分は朝と変わらないんだけどね。さて。この植物の名前は?答えはコレです。和綿でした~!(↑この写真はNHK「趣味の園芸」より拝借)なんでこんな形なんやろ~。最初から最後まで激変するけど、どの段階もすごい魅力的。どこかのタイミングで切り取って「綿ってコレか」と理解するかによって...なんてフシギな蕾なの?
関心が薄いくせに政治をテーマに考えてみるのは、そろそろゴチソウサマですが、最後にもうひとつだけ。私が個人的に政治に求めていることは、「空気みたいに、みんなが普通に呼吸できる状態なら、特別、意識したくないのかも」だということを、こないだ対話の中で発見しました。あ~もう、めっちゃ怒られそう。でも、問題ある時だけイラッと意識するってことは、意識しなくていい状態が一番いいやんね?っていうのも、ひとつの考え。でね。自分の考えとは真逆の「政治を良くするために、政治に関心を持とう!」、も間違ってない。どころか、めっちゃ正しい!関心を持つ人が多ければ多いほどいいと思うもの。私が「政治は、政治家さんに頑張って欲しい(みんなが目の前の仕事頑張ってるように)」と考えていることと、それが、社会や時代にふさわしい考えかどうかとは、...ふさわしくなくても、そこから考えればいい
そうそう、「デモクラシー・ダイアログ」に参加して、ちょっとだけ憲法とか見返してみて知ったんですが、私、めっちゃ間違ってたんです。憲法というのは、国民が、つまり自分たち側が守る法律だと思ってた。そうじゃなくて、ホントは、「国から国民を」守るための法律なんですってね!うっそ~~~~。え、そもそも国ってワルモノ設定なの???それはそれで、自分の国をそんな前提で考えるのもイヤだけど。いや、まぁ現実を考えると、成熟してない権力者にはシバリが必要だ。(成熟してない有権者には学びが必要だけど)。確かに、よく考えてみたら、憲法の基本三原則「主権在民」「平和主義」「基本的人権の尊重」って、どれも、国民じゃなくて国のやることだもんな。へ~~~~、そーやったんや~~~~~~!んじゃ、政治家さんたち、頼むよ!!!…って、誰に言え...憲法は、守るべきものではなく守ってもらうためのもの!?
この夏から始める新企画、ひとつのテーマをみんなで深めていこうという「哲楽cafeピーチクパーク」の勉強とお楽しみを兼ねて、いろんな対話の場に参加しています。今回参加させてもらったのは、「デモクラシー・ダイアログ」。なんて難しそうなテーマ!「んで、デモクラシーって何だっけ?」と思わず検索して確かめたくらい、遠く忘れ去っていた言葉でした。「場違いだろうな~」と思ったにも拘わらず、ご紹介いただいたのをいいことに、いろいろ体験してみたくて参加したのですが、いや~、対話の場ってすごいです。こんな私も楽しめた。私が考える「対話の場」というのは、「社会的地位や知識の多寡に関わらず平等で、あらゆる前提や常識から自由になって、自分の体験から考え、互いの話を聞きながら、真摯に自分の考えを深めていく場」です。だからね、それを主...「対話」の場、いろいろ体験中~!
「認識の小道」クラスで、植物観察を続けています。葉っぱが何枚、ツルは右巻き、というような夏休みに朝顔の観察日記をつけたような、目に見えるところだけじゃなくて、その本質に迫っていく、ゲーテ的な観察。私みたいに不真面目な生徒でも、断続的に続けていくうちに、少しずつ「相手の語ることに耳を澄ませる」という、外界との付き合い方が楽しくなってきました。いや~~。ふと目に付くものに「え、何て言ってるの?」って、寄り添って耳を澄ませるおもしろさよ。今朝は、謎に網戸にくっついているセミが目に飛び込んできました。すぐ近くには、小さいとはいえ、いろんな樹があるのに、なぜか網戸につかまってウロウロ。右から左へと、ゆっくり横切ったかと思えば、Uターンして、また元の位置へ。そのままシャッター袋の中に入ろうとして入れず、元の位置で動か...セミが教えてくれること
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