「出典:雑阿含経巻第15-404」大林の木々に隙間なく生い茂る葉の如く学びなさいのお経の話を動画にしました。
仏教や禅に通じる気づきを記事にする禅僧のブログ。ゲーム依存症となった経験を持ち、脱却の過程で仏教と出会う。仏教学や宗教学を学び、三大宗教の実情を知りたいと留学、バックパッカーを経験。北米南米で、海外の禅に触れる。これら経験を通じ、現在活動中
あらゆるものはそれを教えてくれる先生である。|仏教用語諸法実相
仏教を勉強している中で、なーんとなくですが、気になる言葉というものがでてきます。 「諸法実相」という仏教の言葉、これも私にとって、初見からなんとなく気になる言葉の一つでした。 あらゆるものが先生 私は大学の講義で初めてこの言葉を聞きました。
動画+編集後記。取り扱い次第では、どんなに良いものでも、人は悪いように使ってしまう。昔も今も考えることは大切です。
大丈夫とは?|普段から使っている仏教用語、古い経典にも載っています。
「雑阿含経巻第22-614」の内容が基になっています。「大丈夫!」と普段何気なく使っている言葉は仏教由来の言葉です。自己の身心をよく観察し、考察し、よく知る。これが「大丈夫」という意味です。
禅僧がお世話になっている仏教サイトと本「大正新脩大藏經テキストデータベース&国訳一切経」
今回は仏教トークや仏教エピソードを書く際にお世話になっているサイトと本についてご紹介します。これら二つのコンテンツは、古いお経を自分なりに翻訳して、サイトにアップしています。 しかし、私のような一僧侶がこれだけの数の経典を目にすることができ
私達人間には、避けられない苦しみがあります。例えば、老い、病気、死。生きていく中でも、大切な人との別れや偶然の事故など、避けられない苦しみがあります。 お釈迦さんは、その避けられない苦しみに気づいた時の様子をこのように述べています。 お釈迦
お釈迦さんの出家の動機については以前以下の記事にも書きました。 「老・病・死などの避けられない苦しみがあることに気づいた」ことが、お釈迦さんにとって出家する大きな動機となりました。 これら避けられない苦しみを解決したくてお釈迦さんは出家した
【動画】一切は燃えている|煩悩を火(炎)に喩えて【仏教トーク】
動画+編集後記。教科書で読んで学ぶだけなのか、実際に現場に出て学ぶのか。この学びの違いはとても大きなものです。きっとお経というもの同じように、現場に出て学ぶと印象が変わるはずだと私は思います。
「雑阿含経巻第21-572」の内容が基になっています。黒い牛と白い牛ですが内容は「卵が先か鶏が先か」といったような話です。ずっと昔から人類は同じようなことで考えてしまうのですね。
お釈迦さんの人間味を感じさせるシーン|禅僧の「中阿含羅摩経」講話メモ①
古いお経を読んでいると、お釈迦さんと弟子達やり取りの中で、人間味あふれる行動をしている姿をよく見かけます。私はお経の中で見えるこういったシーンがとても好きです。 私が仏教の事についてあまり知らなかった頃、仏様(お釈迦さん)はどこか遠くの存在
お釈迦さんの出家の動機について/四門出遊の伝説|禅僧の「中阿含柔軟経」講話メモ②
お釈迦さんの若い頃について語られている数少ない経典。ここでいう古い経典とはアーガマとニカーヤです。仏の誕生の話として有名な天上天下唯我独尊の話は後世に作られたお経であり、またお釈迦さんの話ではなく元々、毘婆尸仏びばしぶつが誕生した際に説いた事です。
【動画】前世の「業」の話はやめなさい|仏教でいう<業>とは? (無益な争い5)
動画+編集後記。取り扱い次第では、どんなに良いものでも、人は悪いように使ってしまう。昔も今も考えることは大切です。
「出典:雑阿含経巻第21-564」アーナンダ(阿難)に恋をしてしまった一人の女性修行者。アーナンダへの想いから彼女は大胆な行動に打って出ます。彼女の誘惑に対してアーナンダさんはどう応えたのか?
禅僧がおすすめする仏教学の本「仏教と人間 主体的アプローチ」仏教の基礎知識がまとまっています。
仏教を学び始める際に、まず難しく感じてしまうのが、仏教で用いられる言葉、仏教用語です。現代と同じ言葉でも全く意味が異なっているものがたくさんあります。 そんな仏教の基礎用語、いや仏教を学ぶために必要な要語がまとまっている本、それが今回ご紹介
お釈迦さんの幼い頃について語られている数少ない経典|禅僧の「中阿含柔軟経」講話メモ①
お釈迦さんの若い頃について語られている数少ない経典。ここでいう古い経典とはアーガマとニカーヤです。仏の誕生の話として有名な天上天下唯我独尊の話は後世に作られたお経であり、またお釈迦さんの話ではなく元々、毘婆尸仏びばしぶつが誕生した際に説いた事です。
お釈迦さんの弟子達や周囲の人々(仏教トーク(経典内)の登場人物)
仏教トーク内で出てくる登場人物は実際に経典にいる人物です。(弟子1・2・A・Bは例外で、経典内の比丘・比丘尼の言葉を話す場合や補足説明、著者の代弁など様々な役割を担っています) ここでは、仏教トークの登場人物についてまとめています。それぞれ
動画+編集後記。取り扱い次第では、どんなに良いものでも、人は悪いように使ってしまう。昔も今も考えることは大切です。
「出典:雑阿含経巻第21-561」私達は欲に振り回されることがあります。この欲を断ずるにはどうすればいいのでしょうか。アーナンダ(阿難)は答えます。欲を断ずるには欲が必要です。欲が有るだけでは、欲望に振り回されるし、逆に欲を無くしても欲は無くならない。欲が有るから欲は無くなる。矛盾するようでその通り。
仏教において「苦」や「楽」について考える機会は多い。仏教学を学ぶと「一切行苦」など四法印を学ぶ際に必ず「苦」について触れることになる。一切行苦とは「全ては苦である」という意味だ。 しかし私自身は「全ては苦である」という言葉に納得がいかなかった。なぜなら「楽」はあるからだ。全てが苦であるのなら、楽はないということだろう。しかし、そもそもその考え方が間違っている。苦があるのなら、楽はあるのだ。楽があるのなら、苦があるのだ。苦楽は考える上で分けられないのだ。この記事では「苦」「楽」についての思う所をまとめてみた。
「いただきます」「ごちそうさま」そして手を合わせる。食事時の挨拶ですが、皆さんは、どんな意味を込めていますか? 私が、真っ先に思い起こすのは「五観の偈」の一番目の言葉です。
動画+編集後記。取り扱い次第では、どんなに良いものでも、人は悪いように使ってしまう。昔も今も考えることは大切です。
「出典:雑阿含経巻第20-547」ある日「私が一番の年長者なんだから一番偉いんだ!」と、一人の老年修行者がやってきた。お釈迦さんの弟子達であるカッチャーナ(迦旃延)の対応。
「出典:雑阿含経巻第20-547」ある日「私が一番の年長者なんだから一番偉いんだ!」と、一人の老年修行者がやってきた。お釈迦さんの弟子達であるカッチャーナ(迦旃延)の対応。
人の心を掬い上げて言葉に記す「ヴァイオレットエヴァーガーデン」
私も自分の心を形にしたくて、ブログや法話など「言葉にする」という事を考える機会も多いため、まずこの作品の印象として残るのが「心と言葉」についてです。
【動画】無益な争論2|同じ言葉を使っているからって、同じ話をしているとは限らない。
動画+編集後記。各国や王の勢力や財力などの話というと、ジャンルで言えば政治関連の話になるかと思います。私自身も政治関連の情報にまったく触れないかというとそんなことはありません。むしろ、ニュースを観て情報や知識を得たり、関心を持つことは大切なことだと考えています。
指摘する際の心得、指摘される際の心得|舎利弗(サーリプッタ)と仏陀(お釈迦さん)の会話より
「出典:雑阿含経巻第18-497」大事なことを伝えたい。でも私の伝えたい事を理解しようとしてくれません。世の中の人達は、理解せずに言い争い、互いに否定しあうネタにしてしまう。どんなに素晴らしい教えも道具も、使い方を誤れば本来の意味を見失う。
指摘する際の心得、指摘される際の心得|舎利弗(サーリプッタ)と仏陀(お釈迦さん)の会話より
大事なことを伝えたい。でも私の伝えたい事を理解しようとしてくれません。世の中の人達は、理解せずに言い争い、互いに否定しあうネタにしてしまう。どんなに素晴らしい教えも道具も、使い方を誤れば本来の意味を見失う。
お坊さんが読むお経は、いつも同じ……ではありません。その一言をきっかけに、私は自分で読誦経典を作ることにしました。
【動画】無益な争論|無限か有限か、有るか無いか、人ははっきりさせたがる
▽原作「仏教トーク」 編集後記 お釈迦さんはあえてそのことについて答えない。お経の中にその答えは記されていない。 そういうのを仏教学では「無記むき」と言います。この教えは、経典の随所で見られます。今回の話もその無記を表す一つの例です。 無記
①病気(苦しみ)になる。その正体は②病原体(煩悩)。③病原体を無くせば、病気が治る。その④治療法が仏教。このような解釈は確かにわかりやすいです。私も最初はこのように教わりました。だから全然四諦について興味を持てなかったです。このような知識があったところで苦しみを解決できるかと言えば、そんなものは机上の空論です。
兵士と信者の言い争い|どんなに素晴らしい教え(道具)でも使い方を違えば本来の意味を失う
大事なことを伝えたい。でも私の伝えたい事を理解しようとしてくれません。世の中の人達は、理解せずに言い争い、互いに否定しあうネタにしてしまう。どんなに素晴らしい教えも道具も、使い方を誤れば本来の意味を見失う。
私が高校生の頃に祖母おばあちゃんは亡くなった。私にとって初めて身近な人を亡くした時だ。 それまでの私にはよくわからなかった。お寺で生まれたがよくわからなった。 「どうして供養をするの?」 「供養って何なの?」 祖母はそんな私に意味を与えてく
【動画】中道の教え:天眼第一阿那律(アヌルッダ)の失明に至った経験から学ぶ
仏教エピソードでも、仏教トークでも、動画でも必ずこの話から作っているぐらい、私はこのお経の話が好きです。
言葉(情報)は時に役立たず。点ではなく線や面のように、隙間なくつなげて見なさい。
大事なことは、点と点で考えずに、線や面で見るように心がけなさい。立体に見るよう心がけなさい。隙間なく見るよう心がけなさい。大林の木々に隙間なく生い茂る葉の如く、学んで下さい。
仏教用語「五蘊(色・受・想・行・識)」の中の「受」ついて、お釈迦さんの解説が、このお経の中に載っています。第二の矢のたとえ話を用いて語られる「受」のお話です。
四諦の教え。「自らの炎(煩悩)にどう向き合うか」「苦しみは無くすことができるのか」など、気になる人は、一度読んでみてください。古いお経のお話です。
Q:数珠がきれたら、どうなるか?A:当然、一つ一つの珠たまがバラバラになる。Q:切れたら縁起が悪いって聞きますけど?A:その縁起という言葉は、仏教でいう「縁起」の意味と全然違うものになっている。私は珠がバラバラになっている姿から、知識や情報
ここでも煩悩を火に喩えています。自分は燃えていない、あるいは、自分は燃えないようにしたいと思っている人など一度読んでみてください。古いお経のお話です。
【Buddhist talk No.1】The analogy of Chick and Egg & Lumberjack
The following is based on the contents of "Saṃyukta Āgama Sutra 10-263". It makes the content of sutras conversational like a group chat. Buddha and his disciples are talking.
7月1日の坐禅会後に、「正法眼蔵現成公案」を読み、法話しました。今回読んだ部分はこちらです。身心(しんじん)に法(ほう)いまだ参飽(さんぽう)せざるには、法(ほう)すでにたれりとおぼゆ。法(ほう)もし身心(しんじん)に充足(じゅうそく)すれ
6月3日の坐禅会後に、「正法眼蔵現成公案」を読み、法話しました。今回読んだ部分はこちらです。人(ひと)のさとりをうる、水(みず)に月(つき)のやどるがごとし。月(つき)ぬれず、水(みず)やぶれず。ひろくおほきなるひかりにてあれど、尺寸(しゃ
「前世」や「業」は仏教の話だと思い込んでいる人、など一度読んでみてください。古いお経のお話です。
「前世」や「業」は仏教の話だと思い込んでいる人、など一度読んでみてください。古いお経のお話です。
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「出典:雑阿含経巻第15-404」大林の木々に隙間なく生い茂る葉の如く学びなさいのお経の話を動画にしました。
本記事は「雑阿含経巻第47-1246」の内容をもとに作りました。修行は特別なものではありません。彼ら職人の日常のようなものですよ。
「出典:雑阿含経巻第15-404」大林の木々に隙間なく生い茂る葉の如く学びなさいのお経の話を動画にしました。
本記事は「雑阿含経巻第35-990」の内容をもとに作りました。人と人を比べて、優劣をつけ、数字の上で評価するにように推し量ることは止めたほうがよいです。人をこのように計れば、その考え方に病んでくるでしょう。自分も他者からのそのような評価を気にし、その考え方に患わされることになるでしょう。
「出典:雑阿含経巻第17-470」の話を動画にしました。
本記事は「雑阿含経巻第35-985」の内容をもとに作りました。仏教的に、好き・嫌いなどの感情、欲望と怒りなどの欲求をどのように考えているのか、教えを振り返りながら「愛から怒りが生まれる。怒りから愛が生まれる」の意味を探ります。
「出典:雑阿含経巻第12-285,286」仏教用語「取」について、阿含経の中でどのように説かれているか。動画にしました。お釈迦さんがたとえ話を用いて説いています。所有欲、手に入れるということがどういうことなのか。考えてみましょう。
本記事は「雑阿含経巻第29-827」の内容をもとに作りました。三学(戒・定・慧)について書かれています。この三つの学びについての見解を、農作業に喩えて説いています。
当サイトで定期投稿している「仏教トーク」LINEのような会話を載せる文章版と動画版を交互に配信しています。お互いのリンクや表示がバラバラだった為、少し整理をしました。編集後記も最初は、雑記等、色々載せていたので、その辺のカテゴリーの設定等も...
「出典:雑阿含経巻第12-283」お経の中にあるよる仏教用語の解説。「煩悩」についてお釈迦さんが草木のたとえを用いて説いています。
本記事は「雑阿含経巻第28-785」の内容をもとに作りました。苦という問題に向き合い、その原因をよく見る事。そしてどうすれば解決するのか、具体的にどのように対応すればいいのか。よく観察して考えなさい
「出典:雑阿含経巻第43-1174」阿含経にあるお釈迦さんと在家者さんのやり取り。
本記事は「雑阿含経巻第27-726」の内容をもとに作りました。善き友達がいるという事は、修行の半ばではなく、その全て。
「出典:雑阿含経巻第2-35」アヌルッダさん、ナンダさん、さん達の「無常」に関する議論を動画にしました。
本記事は「雑阿含経巻第27-713,714」の内容をもとに作りました。すべき時、すべきでない時。その時その時でやっていい事と悪いことがあります。たとえ同じ行動をしていたとしても、同じことを言っていたとしても、それを間違えれば、それは異なるものでしょう。
「出典:雑阿含経巻第12-301」お釈迦さんがいう「正見(しょうけん)」とは、どういうことなのでしょうか? 例えば「有」「無」。とりあえず、この二つの分け方から考えてみましょう。お釈迦さんとカッチャーヤナゴッタさんとの対話から
本記事は「雑阿含経巻第26-708」の内容を基に作りました。私達の心の中では、樹が育っていく。
▽原作「仏教トーク」 ▽音源素材 VOICEVOX:波音リツ VOICEVOX:玄野武宏 VOICEVOX:白上虎太郎 VOICEVOX:WhiteCUL VOICEVOX:雀松朱司 VOICEVOX:麒ヶ島宗麟 効果音ラボ ▽動画編集ソフ
本記事は「雑阿含経巻第26-685」の内容を基に作りました。伝えたい事は同じでも、伝え方は千差万別。弟子への伝え方の違いを、乳母と赤ん坊に喩えて説いています。
▽原作「仏教トーク」 ▽音源素材 VOICEVOX:波音リツ VOICEVOX:玄野武宏 VOICEVOX:白上虎太郎 VOICEVOX:WhiteCUL VOICEVOX:雀松朱司 VOICEVOX:麒ヶ島宗麟 効果音ラボ ▽動画編集ソフ
仏教を勉強している中で、なーんとなくですが、気になる言葉というものがでてきます。 「諸法実相」という仏教の言葉、これも私にとって、初見からなんとなく気になる言葉の一つでした。 あらゆるものが先生 私は大学の講義で初めてこの言葉を聞きました。
動画+編集後記。取り扱い次第では、どんなに良いものでも、人は悪いように使ってしまう。昔も今も考えることは大切です。
「雑阿含経巻第22-614」の内容が基になっています。「大丈夫!」と普段何気なく使っている言葉は仏教由来の言葉です。自己の身心をよく観察し、考察し、よく知る。これが「大丈夫」という意味です。
今回は仏教トークや仏教エピソードを書く際にお世話になっているサイトと本についてご紹介します。これら二つのコンテンツは、古いお経を自分なりに翻訳して、サイトにアップしています。 しかし、私のような一僧侶がこれだけの数の経典を目にすることができ
私達人間には、避けられない苦しみがあります。例えば、老い、病気、死。生きていく中でも、大切な人との別れや偶然の事故など、避けられない苦しみがあります。 お釈迦さんは、その避けられない苦しみに気づいた時の様子をこのように述べています。 お釈迦
お釈迦さんの出家の動機については以前以下の記事にも書きました。 「老・病・死などの避けられない苦しみがあることに気づいた」ことが、お釈迦さんにとって出家する大きな動機となりました。 これら避けられない苦しみを解決したくてお釈迦さんは出家した
動画+編集後記。教科書で読んで学ぶだけなのか、実際に現場に出て学ぶのか。この学びの違いはとても大きなものです。きっとお経というもの同じように、現場に出て学ぶと印象が変わるはずだと私は思います。
「雑阿含経巻第21-572」の内容が基になっています。黒い牛と白い牛ですが内容は「卵が先か鶏が先か」といったような話です。ずっと昔から人類は同じようなことで考えてしまうのですね。
古いお経を読んでいると、お釈迦さんと弟子達やり取りの中で、人間味あふれる行動をしている姿をよく見かけます。私はお経の中で見えるこういったシーンがとても好きです。 私が仏教の事についてあまり知らなかった頃、仏様(お釈迦さん)はどこか遠くの存在
お釈迦さんの若い頃について語られている数少ない経典。ここでいう古い経典とはアーガマとニカーヤです。仏の誕生の話として有名な天上天下唯我独尊の話は後世に作られたお経であり、またお釈迦さんの話ではなく元々、毘婆尸仏びばしぶつが誕生した際に説いた事です。
動画+編集後記。取り扱い次第では、どんなに良いものでも、人は悪いように使ってしまう。昔も今も考えることは大切です。
「出典:雑阿含経巻第21-564」アーナンダ(阿難)に恋をしてしまった一人の女性修行者。アーナンダへの想いから彼女は大胆な行動に打って出ます。彼女の誘惑に対してアーナンダさんはどう応えたのか?
仏教を学び始める際に、まず難しく感じてしまうのが、仏教で用いられる言葉、仏教用語です。現代と同じ言葉でも全く意味が異なっているものがたくさんあります。 そんな仏教の基礎用語、いや仏教を学ぶために必要な要語がまとまっている本、それが今回ご紹介
お釈迦さんの若い頃について語られている数少ない経典。ここでいう古い経典とはアーガマとニカーヤです。仏の誕生の話として有名な天上天下唯我独尊の話は後世に作られたお経であり、またお釈迦さんの話ではなく元々、毘婆尸仏びばしぶつが誕生した際に説いた事です。
仏教トーク内で出てくる登場人物は実際に経典にいる人物です。(弟子1・2・A・Bは例外で、経典内の比丘・比丘尼の言葉を話す場合や補足説明、著者の代弁など様々な役割を担っています) ここでは、仏教トークの登場人物についてまとめています。それぞれ
動画+編集後記。取り扱い次第では、どんなに良いものでも、人は悪いように使ってしまう。昔も今も考えることは大切です。
「出典:雑阿含経巻第21-561」私達は欲に振り回されることがあります。この欲を断ずるにはどうすればいいのでしょうか。アーナンダ(阿難)は答えます。欲を断ずるには欲が必要です。欲が有るだけでは、欲望に振り回されるし、逆に欲を無くしても欲は無くならない。欲が有るから欲は無くなる。矛盾するようでその通り。
仏教において「苦」や「楽」について考える機会は多い。仏教学を学ぶと「一切行苦」など四法印を学ぶ際に必ず「苦」について触れることになる。一切行苦とは「全ては苦である」という意味だ。 しかし私自身は「全ては苦である」という言葉に納得がいかなかった。なぜなら「楽」はあるからだ。全てが苦であるのなら、楽はないということだろう。しかし、そもそもその考え方が間違っている。苦があるのなら、楽はあるのだ。楽があるのなら、苦があるのだ。苦楽は考える上で分けられないのだ。この記事では「苦」「楽」についての思う所をまとめてみた。
「いただきます」「ごちそうさま」そして手を合わせる。食事時の挨拶ですが、皆さんは、どんな意味を込めていますか? 私が、真っ先に思い起こすのは「五観の偈」の一番目の言葉です。
動画+編集後記。取り扱い次第では、どんなに良いものでも、人は悪いように使ってしまう。昔も今も考えることは大切です。