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陸海軍けんか列伝 https://blog.goo.ne.jp/oceandou

オーシャン堂店主・青井渚が探索する日本帝国陸海軍軍人のけんか人物伝。その軍人の宿命を探って逆光の中を彷徨する。 <br>

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歴史ブログ / 太平洋戦争/大東亜戦争

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2020/04/05

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  • 740.野村吉三郎海軍大将(40)大統領の政治手腕をもって、何らかの打開の道を見出すことを希望する ■■■■■ブログ休止のお知らせ■■■■■

    これに対して、駐米全権大使・野村吉三郎大将は次のように述べた。「今回の貴国側の提案は、日本を失望させるであろう」。するとルーズベルト大統領はまず、次のように応じた。「事態のここに至ったのは真に失望するところである。第一回は本交渉開始後数ヶ月にして仏印進駐で冷水を浴びせられたが、最近の情報によると、またまた第二回の冷水を浴びせられる懸念がある」。それから、ルーズベルト大統領はさらに話を続け、次のように結論付けた。「ハル長官と貴大使等が話し合い中に、日本の指導者から何ら平和的な言葉を聞くことのできなかったことは、この交渉を非常に困難にしたのであって、暫定取り決めによって現状を打開するという折角の案も、終局に於いて日米両国の国際関係処理に関する根本主義が一致しない限り所詮は無駄になる」。会見の最後に、駐米全権大使・野...740.野村吉三郎海軍大将(40)大統領の政治手腕をもって、何らかの打開の道を見出すことを希望する■■■■■ブログ休止のお知らせ■■■■■

  • 739.野村吉三郎海軍大将(39)今後十年もたった後には、貴国もアメリカと同じ側に立ってドイツと闘わなければならない

    これに対してルーズベルト大統領は、強い口調で、石油の禁輸の断行を次のように強くほのめかしたのである。「従来、世論は日本に対して石油を禁輸せよと強く主張してきたが、自分は日本に石油をあたえることは太平洋平和の為に必要であると説明して今までやってきたのである」「ところが、日本が今日のように仏印に進駐し、さらに南方に進もうとするような形勢になっては、自分は従来の根拠を失い、もはや太平洋を平和的にしようすることができなくなってくる」「そしてアメリカが錫、ゴムのごとき必要品を入手することが困難になってくる。その上他のエリアの安全が脅かされて、フィリピンも危険となってくる。これでは、せっかく苦心して石油の対日輸出を継続していても何にもならない」「今はすでに多少時期遅れの感があるが、もし日本が仏印から撤兵して各国が仏印の中立...739.野村吉三郎海軍大将(39)今後十年もたった後には、貴国もアメリカと同じ側に立ってドイツと闘わなければならない

  • 738.野村吉三郎海軍大将(38)大統領においても、大乗的に政治的考慮を払われんことを希望する

    昭和十六年二月十四日、フランクリン・ルーズベルト大統領をホワイト・ハウスに訪問して、駐米全権大使・野村吉三郎が天皇陛下からの信任状を奉呈する時、ルーズベルト大統領の表情はやや硬かった。その後、会談に移ってからは、ルーズベルト大統領は、いつもの大統領スマイルで旧友の長旅をねぎらった。この会談が、ルーズベルト大統領と駐米全権大使・野村吉三郎大将の第一次会見となった。ルーズベルト大統領は次のように言った。「自分は日本人の友であり、アドミラル・ノムラはアメリカの友である。お互いは十分率直に話し合えることができる」「日米の関係は、国務省において、すでに二百数十通の抗議書を日本に出しており、その結果世論は刺激され、今や両国国交は悪化の道をたどっている」「昔のメイン号の例もあり、揚子江においては、パネー号事件のような際は、自...738.野村吉三郎海軍大将(38)大統領においても、大乗的に政治的考慮を払われんことを希望する

  • 737.野村吉三郎海軍大将(37)そうやって君を上らせておいて、後から梯子をはずしかねない近頃の連中だから

    だから、私は海軍の先輩や友人から意見を聞いたのだが、その中でも思い出すのは、米内(光政、三期後輩、前総理・海相)君の言葉である。事情やむをえず就任を引き受けることに踏み切りかけたとき、米内君に会っていろいろ話し合ったが、その時私が、『政府や軍も自分の意見をよく理解して、その線で働かせるという約束だから……』というと、米内君は、『それはまことに結構だが、そうやって君を上らせておいて、後から梯子をはずしかねない近頃の連中だから、十分気を付けるように』と忠告してくれた。後日になって、この米内君の言葉が胸にこたえることもあったが、とにかく私としては大廈(大建築)のまさに覆らんとするのを、あえて支えるような悲壮な気持ちで就任を受諾したことは事実である。以上が、野村吉三郎の駐米全権大使就任までのいきさつの回顧である。昭和十...737.野村吉三郎海軍大将(37)そうやって君を上らせておいて、後から梯子をはずしかねない近頃の連中だから

  • 736.野村吉三郎海軍大将(36)野村さんは外務省の若い者が掛け合いに行くと、むきになって議論をおっぱじめる

    次に、当時の朝日新聞は次のように評している。「――外相に決まった野村大将、隻眼の今西郷――第一次上海事変では第三課引退長官の要職にあって活躍、肉弾を受けて右眼を失い、隻眼提督の異名を馳せた」「当時、停戦交渉にあたり、英・米・仏・伊各国代表間を奔走して外交手腕を示したことは、内外人のよく知るところで、海軍きってのアメリカ通として知られている」「軍事参議官から急旋回して学習院長におさまり、院内に鋼鉄の精神を叩きこんでいた。大将が欧州動乱の突発を契機として、いよいよ目まぐるしく広がりゆく外交舞台に出陣したことは、大将の明朗闊達な性格と思いあわせて頼もしい」。だが、残念ながら、内外の混乱は、この“今西郷外相”に十分の腕を振るわせてはくれなかった。当時の内情と野村吉三郎外務大臣の人柄を、毎日新聞が「素人大臣と万年浪人の悲...736.野村吉三郎海軍大将(36)野村さんは外務省の若い者が掛け合いに行くと、むきになって議論をおっぱじめる

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