いずれは日が昇る、いずれは日が沈むいずれは起こるし、いずれ鎮火するいずれは始まり、いずれは終わるいずれは死ぬ、そして、いずれは忘れ去られる いずれはいつか、それは誰にも分からないが、いずれは比較的近い将来の話。夜中に、目を閉じると、それが意識の終着点で、眠りとともに「いずれ」が訪れてくるのではないかと考える。少し怖いような、肩の荷が降りたような……、 隣の部屋から聞こえてきていた音が不意に途絶えた。隣人に「いずれ」が来たのか、それとも明日のための休息に入ったのか、僕には区別もつかない
40冊もの本たちがラーメン1杯分になった 値札すらつけられなかった本もたくさんあった
今日も大学で作業をした。単純な作業で、なんだか集中力が続かない。やっていることと全く関係ないことをぼんやりと考えてしまう。姿勢が気になったり、シャーペンの構造について考えたり、コロナウイルスによる日本経済の影響はどんなものなのか、オリンピックはちゃんと開催できるのか不安に思ったり…。次々浮かぶ考え事には全く脈絡が無い。大抵こういう思考の旅の辿り着く先は「ああ、早く終わらないかな」である。無駄な思考回廊は作業に集中できないことからはじまっている。普段もわりと考え事をすることが多いけれど、今日は特にひどい。考える内容も、その末路も。その原因は昨日あまり眠れなかったことかもしれない。 眠れなかった原…
孤独には言葉なんか必要ない
今日を振り返ってみると、一日中忙しく色んな所を駆け回っていたけれど成果はあまり無しみたいな日だった。徒労感が大きく、帰ってくるなりすぐにベッドに倒れ込んでしまう。なんか今日は一日無駄だったなあなんて考える。 無駄なことをするといつも以上に疲れてしまうのは、その行為が無駄だからだ。やらなくても良かったことをした、というよりその行為の意味がそもそも無かったという感じだろう。あくまでもこれは自分の感想だ。他人にとって無駄じゃないことも、自分にとっちゃ無駄だと感じることがあるだろうし、その逆もある。自分が価値を感じない行動をしたとき、それに無駄を感じ、必要以上に疲れてしまうのだ。 神経質になって無駄を…
絵を描いた。 何を描いたのかは不明だが、何年かぶりに没頭して絵を描いた。 僕にとって何を描くのかはそんなに重要なことではなく、何かに没頭することが重要だった。そういえばやるべきことは沢山あるはずだった。この作業はひとえに現実逃避だったのかもしれない。 今日は天気が良く、羽織りが要らないくらい暖かったので、春先のようだった。積もった雪もほとんど溶けて無くなっていた。大学では前期試験が行われていたらしく、見回りの人が校内をうろついていた。受験生と思わしき人たちが茶封筒片手に校舎からぽつぽつ出てくる。その背中には長きにわたる受験勉強から解放された達成感と期待が見えて、だけど少しの不安が滲んでいた。そ…
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