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あなたの神、主を愛しなさい https://kurisuchan.hatenablog.com/

クリスチャンになって7年目のわたしが、聖書の解説やつぶやきをしております。聖書を手にされたことのない方々、ぜひお越しになってください。

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2020/02/22

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  • しかし、もっと強い者が襲ってきて彼に打ち勝てば、その頼みにしていた武具を奪って、その分捕品を分けるのである(ルカ11:20~26)

    (今回は、霊における戦いを経て、囚われの人々をとりもどすキリスト、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・11章の20~26節より(以下はキリストのおことばです) 『しかし(=あなたがた(群衆)は、キリストに対してサタンの力で悪霊を追いだしていると言っているが)、わたしが神の指(=神の霊(マタイ12:28))によって悪霊を追い出しているのなら、神の国はすでにあなたがたのところにきたのである(=キリストをとおして実際に神の国が到来しているのだ)。強い人(=サタンのことと思われます)が十分に武装して(=悪霊を呼び寄せ、霊における反撃体制をとって)自分の邸宅を(=自分の領域を)守っている限…

  • 彼は悪霊のかしらベルゼブルによって、悪霊どもを追い出しているのだ(ルカ11:14~19)

    (今回は、神の権威を、サタンから出たものとうけとる群衆、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・11章の14~19節より 『さて、イエスが悪霊を追い出しておられた。それは、おしの(=口をきけなくさせる)霊であった。悪霊が出て行くと、おしが物を言うようになったので、群衆は不思議に思った(=とてもおどろいた)。その中のある人々が、「彼は悪霊のかしらベルゼブル(=サタン)によって、悪霊どもを追い出しているのだ」と言い、またほかの人々は、イエスを試みようとして(=イエスをみとめていないゆえの挑発をして)、天からのしるし(=証拠)を求めた。しかしイエスは、彼らの思いを見抜いて(=彼らはもとから…

  • 天の父はなおさら、求めて来る者に聖霊を下さらないことがあろうか(ルカ11:9~13)

    (今回は、もとめつづける者に神は聖霊をくださる、ということについてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・11章の9~13節より(以下はキリストのおことばです) 『そこでわたしはあなたがたに(=夜中にパンをもとめつづけるたとえを聞かせた弟子たちに)言う。求めよ(=神のみこころをもとめつづけなさい)、そうすれば、与えられるであろう。捜せ(=神のみこころをもとめて具体的にさがしつづけなさい)、そうすれば見いだすであろう。門をたたけ(=神のみこころをもとめて具体的に門をたたきつづけなさい)、そうすれば、あけてもらえるであろう。すべて(=神に祈りつづけて)求める者は得、捜す者は見いだし、門をたたく者…

  • 友人だからというのでは起きて与えないが、しきりに願うので、起き上がって必要なものを出してくれるであろう(ルカ11:5~8)

    (今回は、もとめつづければ、神から聖霊があたえられることの喩え、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・11章の5~8節より(以下はキリストのおことばです) 『そして彼ら(=祈り方をたずねてきた弟子たち)に言われた、「あなたがたのうちのだれかに、友人があるとして、その人のところへ真夜中に行き、『友よ、パンを三つ貸してください。友だちが旅先からわたしのところに着いたのですが、何も出すものがありませんから』と言った場合、彼は内から、『面倒をかけないでくれ。もう戸は締めてしまったし、子供たちもわたしと一緒に床にはいっているので、いま起きて何もあげるわけにはいかない』と言うであろう。しかし、…

  • 父よ、御名があがめられますように。御国がきますように(ルカ11:1~4)

    (今回は、信者の模範となる祈り、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・11章の1~4節より 『また、イエスはある所で祈っておられたが、それが終ったとき、弟子のひとりが言った、「主よ、ヨハネ(=キリストの先駆者として洗礼をさずけていたヨハネ)がその弟子たちに教えたように(=祈りのことばを共有していたように)、わたしたちにも祈ることを教えてください」。そこで彼らに言われた、「祈るときには、こう言いなさい、『父よ(=神よ)、御名が(みな=神の神性や本質をふくめたご存在そのものが)あがめられますように(=他のどんなものとも区別して、神を神として聖別する(世から選(よ)り分ける)ことができま…

  • マリヤはその良い方を選んだのだ。そしてそれは、彼女から取り去ってはならないものである(ルカ10:38~42)

    (今回は、みことばを聞くことの大切さ、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・10章の38~42節より 『一同が旅(=エルサレムを目的地とする旅)を続けているうちに、イエスがある村へ(=エルサレムの東にあるベタニヤへ)はいられた。するとマルタという名の女がイエスを家に迎え入れた。この女にマリヤという妹がいたが、主の(=キリストの)足もとにすわって、御言(みことば)に聞き入っていた。ところが、マルタは接待のことで(=キリストへの食事などのもてなしで)忙がしくて心をとりみだし、イエスのところにきて言った、「主よ、妹がわたしだけに接待をさせているのを、なんともお思いになりませんか。わたしの…

  • この三人のうち、だれが強盗に襲われた人の隣り人になったと思うか(ルカ10:30~37)

    (今回は、見ず知らずの人の隣人となって、その人を愛するように、ということについてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・10章の30~37節より 『イエスが(=律法学者からの、どういう人たちを自分の隣人と見なすのか、との問いに)答えて言われた(=ここでのポイントは、この律法学者は、自分の身近な人たちや、シナゴーグ(=ユダヤ教徒の集会)の仲間には、愛をもって接しているとの自負があり、その上で自分の正しさを主張しようとして、こう尋ねていることです。これに対するキリストの答えが以下になります)、「ある人がエルサレムからエリコ(=エルサレムの北東にある町)に下って行く途中、強盗どもが彼を襲い、その着…

  • 先生、何をしたら永遠の生命が受けられましょうか(ルカ10:25~29)

    (今回は、故意にキリストに議論をもちかける律法学者、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・10章の25~29節より 『すると(=キリストが弟子たちに、ご自身が救い主であるのをただしく見ているあなたがたはさいわいだ、と話していると)そこへ、ある律法学者(=律法を研究し説く者)が現れ、イエスを試みようとして(=議論をもちかけて、おそらくは恥をかかせようとして)言った、「先生、何をしたら永遠の生命が受けられましょうか」。彼に言われた、「律法には(=旧約聖書にある神からの指針には)なんと書いてあるか。あなたはどう読むか(=キリストのほうで彼に質問を返し、試す格好になっています。要は早くも立…

  • これらの事を知恵のある者や賢い者に隠して、幼な子にあらわしてくださいました(ルカ10:21~24)

    (今回は、弱い者たちにご自身をあらわし、永遠の命をあたえてくださる神、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・10章の21~24節より 『そのとき(=72人の使者から伝道の報告をうけたとき)、イエスは聖霊によって(=神の霊に満たされて)喜びあふれて言われた、「天地の主なる父(=神)よ。あなたをほめたたえます。これらの事を(=神の命の書に名がしるされて、永遠の命があたえられていることを)知恵のある者や賢い者に隠して(=こうした人たちは、神ではなく自分の考えや力に頼ります)、幼な子に(=知恵もなく賢くもない弱い者たちに。ここでいう使者たちに)あらわしてくださいました。父よ、これはまことに…

  • むしろ、あなたがたの名が天にしるされていることを喜びなさい(ルカ10:17~20)

    (今回は、信者の喜びの本質である、永遠の命があたえられていること、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・10章の17~20節より 『七十二人が喜んで帰ってきて言った、「主よ、あなたの(=キリストの)名によっていたしますと、悪霊までがわたしたちに服従し(=追いだすことができ)ます」。彼らに言われた、「わたしはサタン(悪魔)が電光のように(=一瞬の速さで)天から落ちるのを見た(=ここは未完了時制なので、これから見ることになるのがわかっている、という意味です。サタンは艱難期の中間までは天に出入りして、神に対して信者の罪の告発をくりかえしています。しかしやがて御使(みつか)いのミカエルとの…

  • ああ、カペナウムよ、おまえは天にまで上げられようとでもいうのか。黄泉にまで落されるであろう(ルカ10:12~16)

    (今回は、キリストの使者を拒むユダヤ人の町々へのさばき、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・10章の12~16節より(以下はキリストのおことばです) 『あなたがたに(=これから遣わす72人の使者に)言っておく。その日には(=世のおわりにもたらされる神のさばきのときには)、この町よりも(=これまでのキリストによる奇跡(=病のいやしや悪霊を追いだすことなど)、また実際の宣教にもふれながら、いまもキリストを救い主とみとめず、72人の使者を迎えいれない町よりも)ソドムの方が(=死海の南部付近にあった異邦人の町で、その悪徳による腐敗のために、かつて神からの火と硫黄(いおう)でほろぼされた町…

  • そして、その町にいる病人をいやしてやり、『神の国はあなたがたに近づいた』と言いなさい(ルカ10:7~11)

    (今回は、キリストが王となって治める神の国の到来、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・10章の7~11節より(以下はキリストのおことばです) 『それで(=旅先で)、その同じ家に(=キリストの使者であるあなたがたを、うけいれてくれた家に)留まっていて、家の人が出してくれるものを飲み食いしなさい。働き人が(=神のために従事している者が)その報いを得るのは当然である。家から家へと渡り歩くな。どの町へはいっても、人々があなたがたを迎えてくれるなら、前に出されるものを食べなさい(=仮に異邦人が、律法の食物規定に関係なく出してくるものもたべなさい、ということだと思います(マルコ7:18~19…

  • もし平安の子がそこにおれば、あなたがたの祈る平安はその人の上にとどまるであろう(ルカ10:1~6)

    (今回は、神からの平安がとどまる人とそうでない人、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・10章の1~6節より 『その後(=キリストに従うのを優先するようにと語られたのち)、主(=キリスト)は別に七十二人(=12人の弟子とはべつに72人の使者)を選び、行こうとしておられたすべての町や村へ、ふたりずつ先におつかわしになった。そのとき、彼らに言われた、「収穫(=キリストを信じるようになる人)は多いが、働き人(=キリストのことをつたえる人)が少ない。だから、収穫の主(=神)に願って、その収穫のために働き人を送り出すようにしてもらいなさい。さあ、行きなさい。わたしがあなたがたをつかわすのは、…

  • 手をすきにかけてから、うしろを見る者は、神の国にふさわしくないものである(ルカ9:57~62)

    (今回は、神に従うのを優先する、ということについてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・9章の57~62節より 『道を(=エルサレムを目的地とする道を)進んで行くと、ある人がイエスに言った、「あなたがおいでになる所ならどこへでも従ってまいります」。イエスはその人に言われた、「きつねには穴(=寝床となる穴)があり、空の鳥には巣がある。しかし、人の子(=キリスト)にはまくらする所がない(=キリストにお供することには、寝泊まりするところさえないといった状況がついてまわります。これらをうけいれた上で、それでも従ってきますか、と確認のことばをかけておられます)」。またほかの人に、「わたしに従ってきな…

  • 主よ、いかがでしょう。彼らを焼き払ってしまうように、天から火をよび求めましょうか(ルカ9:51~56)

    (今回は、民族意識による隔(へだ)て、ということについてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・9章の51~56節より 『さて、イエスが天に上げられる日が近づいたので(=十字架の死を経て、復活し、昇天させられる、という神のご計画の成就が近づいているので)、エルサレム(=ユダヤ人にとっての神殿がある中心地)へ行こうと決意して、その方へ顔をむけられ、自分に先立って使者たち(=お供している者たち)をおつかわしになった。そして彼らがサマリヤ人の村(=エルサレムより北にある異邦人の村)へはいって行き、イエスのために準備(=食事や宿舎の確保など)をしようとしたところ、村人は、エルサレムへむかって進んで行…

  • あなたがたに反対しない者は、あなたがたの味方なのである(ルカ9:49~50)

    (今回は、いきすぎた仲間意識が、隔てをもうけてしまう、ということについてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・9章の49~50節より 『すると(=キリストから、地位(偉さ)への執着を指摘されたあとで)ヨハネが答えて言った、「先生、わたしたちはある人があなたの名を使って(=キリストの名(権威)を使って)悪霊を追い出しているのを見ましたが、その人はわたしたちの仲間でないので(=私たちの仲間となって同行しないので)、やめさせました(=ヨハネは、地位への執着によって、幼な子をうけいれない隔(へだ)てを指摘されたあとで、今度は仲間意識への執着によって、悪霊を追いだしている人を隔てている姿をあらわにし…

  • だれでもこの幼な子をわたしの名のゆえに受けいれる者は、わたしを受けいれるのである(ルカ9:46~48)

    (今回は、キリストにしたがって自分を低くすることの大切さ、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・9章の46~48節より 『弟子たちの間に、彼らのうちでだれがいちばん偉(えら)いだろうかということで、議論がはじまった(=彼らは、いまのイエスがローマを倒し、イスラエルの王になると思っています。その際にだれがより高い地位にあずかるのか、を意識して議論していたものと思います)。イエスは彼らの心の思いを見抜き、ひとりの幼な子を取りあげて自分のそばに立たせ、彼らに言われた、「だれでもこの幼な子をわたしの名のゆえに受けいれる者は、わたしを受けいれるのである(=当時のユダヤ社会では、子供は見向きも…

  • 人の子は人々の手に渡されようとしている(ルカ9:43~45)

    (今回は、ご自身の死について預言されるキリスト、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・9章の43~45節より 『みんなの者が(=群衆が)イエスのしておられた数々の事を(=病のいやしや悪霊を追いだすことなど、人にはできない数々のできごとを)不思議に思っていると、弟子たちに言われた、「あなたがたはこの言葉を耳におさめて置きなさい。人の子(=キリスト)は人々の手に渡されようとしている(=いずれは捕(と)らえられ、十字架で殺されることになる)」。しかし、彼らはなんのことかわからなかった(=キリストがご自身の死について預言しているのに、その意味がわからなかった)。それが彼らに(=神によって)…

  • ああ、なんという不信仰な、曲った時代であろう(ルカ9:37~43)

    (今回は、だれも神に祈って、依り頼むことをしない時代、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・9章の37~43節より 『翌日、一同が(=キリストと、その変貌を見たペテロ、ヤコブ、ヨハネが)山を降りて来ると、大ぜいの群衆がイエスを出迎えた。すると突然、ある人が群衆の中から大声をあげて言った、「先生、お願いです。わたしのむすこを見てやってください。この子はわたしのひとりむすこですが、霊(=悪霊)が取りつきますと、彼は急に叫び出すのです。それから、霊は彼をひきつけさせて、あわを吹かせ、彼を弱り果てさせて、なかなか出て行かないのです。それで、お弟子たちに、この霊を追い出してくださるように願い…

  • これはわたしの子、わたしの選んだ者である。これに聞け(ルカ9:32~36)

    (今回は、イエスが神の御子であり、キリストであると宣言なさる神、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・9章の32~36節より 『ペテロとその仲間の者たちとは(=キリストが祈っているあいだに)熟睡していたが、目をさますと、イエスの栄光の姿(=神の御子(みこ)としての神性にともなう栄光が、お顔や衣の輝きとなってあらわれている姿)と、共に立っているふたりの人(=律法をさずかったモーセと、代表的な預言者であるエリヤ)とを見た。このふたりがイエスを離れ去ろうとしたとき(=キリストが死をもってなしとげる(=十字架による)、世の罪のあがないの話をしおえたとき)、ペテロは自分が何を言っているのかわ…

  • 祈っておられる間に、み顔の様が変り、み衣がまばゆいほどに白く輝いた(ルカ9:28~31)

    (今回は、キリストの変貌、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・9章の28~31節より 『これらのことを(=神の国を見るまでは死なない者がいることなどを)話された後、八日ほどたってから、イエスはペテロ、ヨハネ、ヤコブを連れて、祈るために山に登られた。祈っておられる間に、み顔の様が変り(=キリストのお顔の様子が、太陽のように輝き(マタイ17:2))、み衣(みころも)がまばゆいほどに白く輝いた(=これらの輝きは、キリストの神性、またその神性にともなう栄光をあらわしています。いわば神としての権威をもちあわせている神の御子(みこ)としてのお姿であり、この輝きはこの世のものではありません。ま…

  • だれでもわたしについてきたいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい(ルカ9:23~27)

    (今回は、信者は自分の命よりもキリストのことを優先することで、却(かえ)って命を得る、ということについてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・9章の23~27節より 『それから(=いまはまだイエスが “神のキリスト” であるのを口止めされてから)、みんなの者(=弟子たち)に言われた、「だれでもわたしについてきたいと思うなら、自分を捨て(=自己中心にならずに、自分を神に所有されているものとして(ヨハネ17:9))、日々自分の十字架を負うて(=当時の十字架は、命をうばう処刑方法でした。なので自分の十字架を負うとは、日々命をささげる覚悟をもって)、わたしに従ってきなさい。自分の命を救おうと思う者…

  • 「それでは、あなたがたはわたしをだれと言うか」。ペテロが答えて言った、「神のキリストです」(ルカ9:18~22)

    (今回は、神からの啓示によって正しく答えるペテロ、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・9章の18~22節より 『イエスがひとりで祈っておられたとき、弟子たちが近くにいたので、彼らに尋ねて言われた、「群衆はわたしをだれと言っているか」。彼らは答えて言った、「バプテスマ(=洗礼をあたえる者)のヨハネだと、言っています(=このときすでにヨハネは殺されていたので、死んだヨハネがよみがえったのだ、という意味です(ルカ9:7))。しかしほかの人たちは、エリヤ(=旧約聖書にでてくる神からの使者)だと言い、また昔の預言者(=神からの使者)のひとりが復活したのだと、言っている者もあります」。彼らに…

  • イエスは五つのパンと二ひきの魚とを手に取り、天を仰いでそれを祝福してさき、弟子たちにわたして群衆に配らせた(ルカ9:10~17)

    (今回は、少ないパンと魚から大勢を満腹にさせるキリスト、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・9章の10~17節より 『使徒たちは(=伝道の派遣から)帰ってきて、自分たちのしたことを(=悪霊を追いだし、病をいやしたことなどを)すべてイエスに話した。それからイエスは彼らを連れて、ベツサイダという町(=ガリラヤ湖の北の町)へひそかに退かれた。ところが群衆がそれと知って、ついてきたので、これを迎えて神の国のことを語り聞かせ、また治療を要する人たちをいやされた。それから日が傾きかけたので、十二弟子がイエスのもとにきて言った、「群衆を解散して、まわりの村々や部落へ行って宿を取り、食物を手にい…

  • ヨハネはわたしがすでに首を切ったのだが、こうしてうわさされているこの人は、いったい、だれなのだろう(ルカ9:7~9)

    (今回は、キリストが何者なのかを気にしだしたヘロデ、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・9章の7~9節より 『さて、領主ヘロデ(=ガリラヤ地方の権力者で、バプテスマのヨハネを投獄し殺した人物)はいろいろな出来事(=キリストがおこなっている神のみわざ(奇跡)のことなど)を耳にして、あわて惑(まど)っていた(=自分の支配する土地で、不思議なできごとがおこっているのにとまどっていた)。それは、ある人たちは、ヨハネが死人の中からよみがえったと言い(=ヘロデもこのことをこころのどこかでは恐れていました(マルコ6:16))、またある人たちは、エリヤ(=旧約聖書にでてくる神からの使者)が現れた…

  • 旅のために何も携えるな。つえも袋もパンも銭も持たず、また下着も二枚は持つな(ルカ9:1~6)

    (今回は、福音をのべつたえるために弟子たちを派遣するキリスト、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・9章の1~6節より 『それから(=ヤイロの娘を生きかえらせたのちに)イエスは十二弟子を呼び集めて、彼らにすべての悪霊を制し、病気をいやす力と権威(=神からの権威)とをお授けになった。また神の国を宣べ伝え、かつ病気をなおすためにつかわして言われた、「旅のために何も携(たずさ)えるな(=なぜなら道中で必要となるものは、すべて神が与えてくださるからだ)。つえも袋もパンも銭(=お金)も持たず、また下着も二枚は持つな。また、どこかの(=迎えいれて泊めてくれる)家にはいったら、そこに留まっておれ…

  • 恐れることはない。ただ信じなさい。娘は助かるのだ(ルカ8:49~56)

    (今回は、ヤイロの死んだ娘を甦らせるキリスト、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・8章の49~56節より 『イエスがまだ話しておられるうちに、会堂司(=ユダヤ教徒の集まり、シナゴーグの責任者のヤイロ)の家から人がきて、「お嬢さんは(=ヤイロの娘は)なくなられました。この上、先生を煩(わずら)わすには及びません(=もう死んでしまったので、わざわざ来ていただく必要もありません)」と言った。しかしイエスはこれを聞いて会堂司にむかって言われた、「恐れることはない。ただ信じなさい。娘は助かるのだ」。それから家にはいられるとき、ペテロ、ヨハネ、ヤコブ(=弟子の三人)およびその子の父母のほかは…

  • だれかがわたしにさわった。力がわたしから出て行ったのを感じたのだ(ルカ8:40~48)

    (今回は、病を治したい一心でキリストにさわる女、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・8章の40~48節より 『イエスが(=ガリラヤ湖の北のカペナウムに)帰ってこられると、群衆は喜び迎えた。みんながイエスを待ちうけていたのである。するとそこに、ヤイロという名の人がきた。この人は会堂司(=ユダヤ教徒の集まり、シナゴーグの責任者)であった。イエスの足もとにひれ伏して、自分の家においでくださるようにと、しきりに願った。彼に十二歳ばかりになるひとり娘があったが、死にかけていた。ところが、イエスが出て行かれる(=そこに向かう)途中、群衆が押し迫ってきた。ここに、十二年間も長血(ながち=子宮か…

  • それから、ゲラサの地方の民衆はこぞって、自分たちの所から立ち去ってくださるようにとイエスに頼んだ(ルカ8:32~39)

    (今回は、神のみわざを目にしながら、イエスに立ち去るのを願う異邦人たち、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・8章の32~39節より 『ところが(=悪霊がイエスに、底知れぬ所にだけは閉じこめないでほしいと願いでると)、そこの山べにおびただしい豚の群れが飼ってあったので、その豚の中へはいることを許していただきたいと、悪霊どもが願い出た。イエスはそれをお許しになった。そこで悪霊どもは、その人から出て豚の中へはいり込んだ。するとその群れは、がけから湖へなだれを打って(=くずれるように)駆け下り、おぼれ死んでしまった(=なにかが入りこんできたのを感じて、パニックをおこしたのだと思います。な…

  • イエスは彼に「なんという名前か」とお尋ねになると、「レギオンと言います」と答えた(ルカ8:26~31)

    (今回は、たくさんの悪霊にとりつかれている異邦人、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・8章の26~31節より 『それから、彼らはガリラヤの対岸、ゲラサ人の地(=ガリラヤ湖の東岸の異邦人が住む土地)に渡った。陸にあがられると、その町の人で、悪霊につかれて長いあいだ着物も着ず、家に居つかないで墓場にばかりいた人に、出会われた(=このように悪霊には、人の人格を変えて、人間らしい生活をうばうことさえできます)。この人がイエスを見て叫び出し、みまえにひれ伏して大声で言った、「いと高き神の子イエスよ(=悪霊は、イエスが神の御子(みこ)であるのを一瞬で見抜きました)、あなたはわたしとなんの係わ…

  • イエスは彼らに言われた、「あなたがたの信仰は、どこにあるのか」(ルカ8:22~25)

    (今回は、神のご存在をわすれて、死の恐怖にかられている弟子たち、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・8章の22~25節より 『ある日のこと、イエスは弟子たちと舟に乗り込み、「湖の向こう岸へ(=ガリラヤ湖の東へ)渡ろう」と言われたので、一同が船出した。渡って行く間に、イエスは眠ってしまわれた。すると突風が湖に吹きおろしてきたので、彼らは水をかぶって危険になった。そこで、みそば(=キリストの近く)に寄ってきてイエスを起し、「先生、先生、わたしたちは死にそうです」と言った。イエスは起き上がって、風と荒浪(あらなみ)とをおしかりになると、止んでなぎ(=水面がおだやか)になった(=こうして…

  • 神の御言を聞いて行う者こそ、わたしの母、わたしの兄弟なのである(ルカ8:19~21)

    (今回は、信仰によってもたらされる霊的な意味での神の家族、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・8章の19~21節より 『さて、イエスの母(=マリヤ)と兄弟たち(=キリストの弟たちにあたります)とがイエスのところにきたが、群衆のためそば近くに行くことができなかった(=宣教に励んでいるイエスにどうして会いにきたのか、ここには理由が書かれていませんが、家族はいろいろな感情をかかえていました。このころにはイエスを殺したいと思う者や(マルコ3:6)、イエスは気が変になっていると口にする者がいましたから(マルコ3:21)、母のマリヤなどは心配していたと思います。また兄弟の中には、イエスの活動…

  • 持っている人は更に与えられ、持っていない人は、持っていると思っているものまでも、取り上げられるであろう(ルカ8:16~18)

    (今回は、キリストのことばを聞く心次第で、神からの恵みをさらにうけとる人とそうでない人、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・8章の16~18節より(以下はキリストのおことばです) 『だれもあかりをともして(=キリストはいま神のことばをもって、神の国やその福音を明らかにするあかりをともしておられます)、それを何かの器(うつわ)でおおいかぶせたり、寝台の下に置いたりはしない。燭台(しょくだい=ろうそくを立てる台)の上に置いて、はいって来る人たちに光が見えるようにするのである(=キリストはたしかにいま、公のもとで神の国の奥義について語っておられます)。隠されているもので(=こうしてキリ…

  • あなたがたには、神の国の奥義を知ることが許されているが、ほかの人たちには、見ても見えず、聞いても悟られないために、譬で話すのである(ルカ8:9~15)

    (今回は、聞く心のある者にだけ、理解できるようにたとえを用いるキリスト、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・8章の9~15節より 『弟子たちは、この譬(=種まきのたとえ)はどういう意味でしょうか、とイエスに質問した。そこで言われた、「あなたがた(=信者)には、神の国の奥義(=真理、大切な事柄)を知ることが許されているが、ほかの人たち(=不信者)には、見ても見えず、聞いても悟られないために(=うわべしか理解できないように)、譬で話すのである。この譬はこういう意味である。種は神の言(ことば)である。道ばたに落ちたのは、聞いたのち、信じることも救われることもないように、悪魔によってその…

  • ところが、ほかの種は良い地に落ちたので、はえ育って百倍もの実を結んだ(ルカ8:1~8)

    (今回は、キリストが語る神のことばによって、しっかりと信仰を根づかせる者たち、ということについてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・8章の1~8節より 『そののち(=シモンとの食事をしたのち)イエスは、神の国の福音を(=救いに関する神からの良い知らせ。すなわちキリストご自身のことを)説きまた伝えながら、町々村々を巡回し続けられたが、十二弟子もお供をした。また悪霊を追い出され病気をいやされた数名の婦人たち、すなわち、七つの悪霊を追い出してもらったマグダラ(=ガリラヤ湖の西岸の町)と呼ばれるマリヤ、ヘロデ(=ガリラヤ地方の権力者)の家令(かれい=執事)クーザの妻ヨハンナ、スザンナ、そのほか多…

  • この女は多く愛したから、その多くの罪はゆるされているのである(ルカ7:41~50)

    (今回は、救いがあたえられた結果、それが愛のともなう行動となってあらわれてくる、ということについてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・7章の41~50節より 『イエスが(=イエスを神の使者ではないと判断したシモンに)言われた、「ある金貸しに金をかりた人がふたりいたが、ひとりは五百デナリ(=500日分の賃金に相当)、もうひとりは五十デナリ(=50日分の賃金に相当)を借りていた。ところが、返すことができなかったので、彼はふたり共ゆるしてやった。このふたりのうちで、どちらが彼を多く愛するだろうか」。シモンが答えて言った、「多くゆるしてもらったほうだと思います」。イエスが言われた、「あなたの判断…

  • まず涙でイエスの足をぬらし、自分の髪の毛でぬぐい、そして、その足に接吻して、香油を塗った(ルカ7:36~40)

    (今回は、救いをもとめて神への服従をしめす罪深い女、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・7章の36~40節より 『あるパリサイ人(=パリサイ派はユダヤ教の一派で、ユダヤ人指導者の地位をきずいている)がイエスに、食事を共にしたいと(=おそらくイエスが神からの使者かどうかを見定めたくて)申し出たので、そのパリサイ人の家にはいって食卓に着かれた。するとそのとき、その町で罪の女であったものが(=おそらく娼婦(しょうふ)といった律法に反している女が)、パリサイ人の家で食卓に着いておられることを聞いて、香油(=最高のもてなしにあたる貴重品)が入れてある石膏(せっこう)のつぼを持ってきて、泣き…

  • 「わたしたちが笛を吹いたのに、あなたたちは踊ってくれなかった。弔いの歌を歌ったのに、泣いてくれなかった」と言うのに似ている(ルカ7:31~35)

    (今回は、当時の不信者は、自分の思いどおりにならずに不満ばかり言う子供に似ている、ということについてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・7章の31~35節より 『だから今の時代の人々を(=キリストが目の前にいるのに信じない世代の人々を)何に比べようか。彼らは何に似ているか。それは子供たちが広場にすわって、互に呼びかけ、『わたしたちが笛を吹いたのに(=結婚式ごっこを提案したのに)、あなたたちは踊(おど)ってくれなかった(=仲間意識を高めようと提案したが、賛同がえられず、不満をもっています)。弔(とむら)いの歌を歌ったのに(=それなら今度は葬式ごっこを提案したのに)、泣いてくれなかった(=こ…

  • しかし、神の国で最も小さい者も、彼よりは大きい(ルカ7:24~30)

    (今回は、天の御国の最も小さい者でも、地上でのバプテスマのヨハネより偉大、ということについてふれたいと思います) ※以下には「神の国」という言葉がでてきますが、ここではマタイ11:11「しかし、天国で最も小さい者も、彼よりは大きい」との整合性を重視して、これから後(のち)に私たちが入れられる天の御国(みくに)として解釈しています。その他には、キリストによっていままさに実現している神の国ととらえて、いまの私たちがすでにヨハネよりも偉大とする解釈もあるようです。ですので、うのみになさらず、お一人お一人が神とのまじわりをふかめていただければと思います。 ・ルカによる福音書・7章の24~30節より 『…

  • 盲人は見え、足なえは歩き、らい病人はきよまり、耳しいは聞え、死人は生きかえり、貧しい人々は福音を聞かされている(ルカ7:18~23)

    (今回は、キリストがなさっているさまざまな神のみわざ、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・7章の18~23節より 『ヨハネ(=キリストの先駆者で、現在はヘロデによって牢屋にいれられている(ルカ3:20))の弟子たちは、これらのこと(=病のいやしや死人が生きかえったことなど)を全部彼に報告した。するとヨハネは弟子の中からふたりの者を呼んで、主(=キリスト)のもとに送り、「『きたるべきかた(=メシア(救い主))』はあなたなのですか。それとも、ほかにだれかを待つべきでしょうか」と尋ねさせた。そこで、この人たちがイエスのもとにきて言った、「わたしたちはバプテスマ(=洗礼をあたえる者)のヨ…

  • すると、死人が起き上がって物を言い出した(ルカ7:11~17)

    (今回は、死人を生きかえらせるキリスト、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・7章の11~17節より 『そののち(=異邦人を癒(いや)してのち)、間もなく、ナインという町(=ガリラヤ地方の南部にある町)へおいでになったが、弟子たちや大ぜいの群衆も一緒に行った。町の門に近づかれると、ちょうど、あるやもめ(=夫を失った女)にとってひとりむすこであった者が死んだので、葬(ほうむ)りに出すところであった。大ぜいの町の人たちが、その母につきそっていた。主は(=キリストは)この婦人を見て深い同情を(=内臓をゆさぶられるほどの感情から深い同情を)寄せられ、「泣かないでいなさい」と言われた。そして…

  • あなたがたに言っておくが、これほどの信仰は、イスラエルの中でも見たことがない(ルカ7:6~10)

    (今回は、まことの信仰を持ちあわせている百人隊長、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・7章の6~10節より 『ところが、その家(=病人のしもべがいる百人隊長(=ローマに仕える隊長)の家)からほど遠くないあたりまでこられたとき、百卒長は友だちを送ってイエスに言わせた、「主よ、どうぞ、ご足労くださいませんように(=わざわざ家までお越しくださいませんように)。わたしの屋根の下にあなたをお入れする資格は、わたしにはございません(=当時は、ユダヤ人が異邦人の家に入ることは汚(けが)れるという理由でさけられていました。イエスはユダヤ人ですから、このことへの配慮だと思います。また同時に、神に仕…

  • ところが、ある百卒長の頼みにしていた僕が、病気になって死にかかっていた(ルカ7:1~6)

    (今回は、キリストに病のいやしをもとめる百人隊長、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・7章の1~6節より 『イエスはこれらの言葉を(=平地でなさった説教を)ことごとく人々に聞かせてしまったのち、カペナウム(=ガリラヤ湖の北の町)に帰ってこられた。ところが、ある百卒長(=ローマ兵の隊長)の頼みにしていた僕(=しもべ)が、病気になって死にかかっていた。この百卒長はイエスのことを聞いて、ユダヤ人の長老たち(=部族の高い地位にある年配者たち)をイエスのところにつかわし、自分の僕を助けにきてくださるようにと、お願いした。彼らはイエスのところにきて、熱心に(=ローマの隊長の期待に応えようと)…

  • わたしを主よ、主よ、と呼びながら、なぜわたしの言うことを行わないのか(ルカ6:46~49)

    (今回は、信者はキリストのおしえを実践する、ということについてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・6章の46~49節より 『わたし(=キリスト)を主よ、主よ(=神性をみとめた呼び方、救い主よ)、と呼びながら、なぜわたしの言うこと(=キリストのおしえ)を行わないのか。わたしのもとにきて、わたしの言葉を聞いて行う者(=まことの信者)が、何に似ているか、あなたがたに教えよう。それは、地を深く掘り(=キリストとの関係を深くもって)、岩の上に土台をすえて(=ここでの “岩” とは、キリストの比喩です。キリストの上に土台をすえて)家を建てる人に似ている。洪水が出て激流が(=困難や試練が)その家に押し…

  • 悪い実のなる良い木はないし、また良い実のなる悪い木もない(ルカ6:43~45)

    (今回は、キリストへの信仰は、おのずと良い実をむすんでおもてにでてくる、ということについてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・6章の43~45節より 『悪い実のなる良い木はないし、また良い実のなる悪い木もない。木はそれぞれ、その実でわかる。いばらからいちじくを取ることはないし、野ばらからぶどうを摘むこともない。善人は良い心の倉から(=キリストにしたがい、神のご性質やその教えを学んでたくわえている倉から)良い物を取り出し、悪人は悪い倉から(=キリストをうけいれず、世に属するもの(富など)を愛している倉から)悪い物を取り出す。心からあふれ出ることを(=心にあって、そこからでてくるものを)、口…

  • なぜ、兄弟の目にあるちりを見ながら、自分の目にある梁を認めないのか(ルカ6:39~42)

    (今回は、自分の罪は見ずに相手の罪ばかりを見る偽善、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・6章の39~42節より 『イエスはまた一つの譬(たとえ)を語られた、「盲人(もうじん=ここでは信仰がなく、神について無知、あるいは誤って捉えている者)は盲人(=やはり信仰がなく、神について無知な者)の手引ができようか。ふたりとも穴に落ち込まないだろうか。弟子はその師以上(=ここではキリスト以上)のものではないが、修業をつめば(=信仰に忠実に歩めば)、みなその師のようになろう。なぜ、兄弟の目にあるちり(=相手のささいな罪や悪い部分)を見ながら、自分の目にある梁(はり=太い柱。ここでは自分の大きな…

  • 人をさばくな。そうすれば、自分もさばかれることがないであろう(ルカ6:35~38)

    (今回は、自分が他人を見る基準で神からも見返される、ということについてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・6章の35~38節より 『しかし、あなたがたは、敵を愛し、人によくしてやり、また何も当てにしないで貸してやれ。そうすれば受ける報いは大きく、あなたがたはいと高き者(=神)の子となるであろう。いと高き者は、恩を知らぬ者にも悪人にも、なさけ深いからである。あなたがたの父なる神が慈悲深い(じひぶかい=あわれみ深い)ように、あなたがたも慈悲深い者となれ。人をさばくな。そうすれば、自分も(=神から)さばかれることがないであろう。また人を罪に定めるな。そうすれば、自分も(=神から)罪に定められる…

  • 敵を愛し、憎む者に親切にせよ(ルカ6:27~34)

    (今回は、キリストにしたがう者としての歩み、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・6章の27~34節より 『しかし(=キリストに忠実なら、世からほめられずに迫害されもするが、しかし)、聞いているあなたがたに言う。敵を愛し、憎む者(=憎んでくる者)に親切にせよ。のろう者(=のろってくる者)を祝福し(=神からの祝福、恵みがその人にあるように願い)、はずかしめる者(=恥をかかせ侮辱(ぶじょく)してくる者)のために祈れ(=その人が悪から離れ、救われるのを、また神からのとりなしがあるのを祈るように)。あなたの頬(ほほ)を打つ者にはほかの頬をも向けてやり、あなたの上着を奪い取る者には下着をも拒…

  • しかしあなたがた富んでいる人たちは、わざわいだ。慰めを受けてしまっているからである(ルカ6:24~26)

    (今回は、神をもとめていない人たちのわざわい、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・6章の24~26節より 『しかしあなたがた富んでいる人たちは、わざわいだ(=これは単に物質的に富んでいるということではありません。霊において実際は貧しいにもかかわらず、霊を豊かにしてくれる神には目を向けずに、世に属する富などをよりどころにして、自分が豊かだと思いこんでいる人たちのことです)。慰めを受けてしまっているからである(=本来神をもとめ、神からのなぐさめをうけるべきところを、世に属するものへの思い入れで心のすき間をうめてしまっています。なのでここで “わざわい” と言われる人たちは、キリストの…

  • あなたがた貧しい人たちは、さいわいだ。神の国はあなたがたのものである(ルカ6:20~23)

    (今回は、神をもとめている人たちのさいわい、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・6章の20~23節より 『そのとき(=群衆があつまってきているとき)、イエスは目をあげ、弟子たちを見て言われた、「あなたがた貧しい人たちは、さいわいだ(=ここでの “まずしい” とは、物理的な貧しさのことではありません。霊において貧しく、霊を豊かにしてくれるのは神だけであると知って、神をもとめている人たちのことです。なおアダムが罪をおかして以降、人はだれもが霊において貧しい状態にありますが、これを自覚している人は神をもとめ、これに無自覚な人は、世の富などによりどころをもとめ、神を必要としない過(あやま…

  • 夜が明けると、弟子たちを呼び寄せ、その中から十二人を選び出し、これに使徒という名をお与えになった(ルカ6:12~19)

    (今回は、弟子の中から12人の使徒を選ばれるキリスト、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・6章の12~19節より 『このころ(=ユダヤ人指導者たちが敵対しはじめた、まだ宣教の初期のころ)、イエスは祈るために山へ行き、夜を徹(てっ)して神に祈られた。夜が明けると、弟子たち(=キリストにつきしたがっていた者たち)を呼び寄せ、その中から十二人を選び出し、これに使徒という名をお与えになった(=ときに使徒は、キリストから神の権威をさずかって、いたるところへ派遣されます(ルカ9:1~6))。すなわち、ペテロとも呼ばれたシモン(=のちの初代教会の中心人物となります)とその兄弟アンデレ、ヤコブと…

  • あなたがたに聞くが、安息日に善を行うのと悪を行うのと、命を救うのと殺すのと、どちらがよいか(ルカ6:6~11)

    (今回は、安息日であろうと、人に善をおこなうのはみこころに適っている、ということについてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・6章の6~11節より 『また、ほかの安息日(=労働をしてはならない日)に会堂(=ユダヤ教徒の集まり、シナゴーグ)にはいって教えておられたところ、そこに右手のなえた人がいた。律法学者やパリサイ人たち(=ユダヤ人指導者たち)は、イエスを訴える口実(=彼らはすでにキリストに敵意をもっています)を見付けようと思って、安息日にいやされるかどうかをうかがっていた(=キリストがこの人の手をいやしたら、安息日に労働をしたと見なして訴えようとしていました)。イエスは彼らの思っているこ…

  • 人の子は安息日の主である(ルカ6:1~5)

    (今回は、キリストは安息に対する神としての主権をもっておられる、ということについてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・6章の1~5節より 『ある安息日(=労働をしてはならず休息をとる日)にイエスが麦畑の中をとおって行かれたとき、弟子たちが穂(ほ)をつみ、手でもみながら食べていた(=その場で食べるぶんには罪ではありません(申命記23:24~25))。すると、あるパリサイ人(=ユダヤ人指導者)たちが言った、「あなたがたはなぜ、安息日にしてはならぬことをするのか(=これは彼らの口伝律法(=聖書の律法を歪曲(わいきょく)したもの)にもとづいて、穂をつんでもんだことなどを労働とみなして罪にさだめて…

  • だれも、新しい着物から布ぎれを切り取って、古い着物につぎを当てるものはない(ルカ5:36~39)

    (今回は、キリストの教えは、それまでの教えや掟を補うものではない、ということについてふれたいと思います) 以下は、口伝律法(くでんりっぽう)といって旧約聖書の律法(神からの指針)をゆがめたしきたりに従っているユダヤ人指導者らへの、キリストのおことばです。なお当時はこの口伝律法が民衆にも広まっていました。 ・ルカによる福音書・5章の36~39節より 『それからイエスはまた一つの譬(たとえ)を語られた、「だれも、新しい着物から(=新しく知ることとなったキリストの教えから)布ぎれを切り取って(=その教えの一部を切りとって)、古い着物につぎを当てるものはない(=口伝律法につけたして補填(ほてん)する者…

  • あなたがたは、花婿が一緒にいるのに、婚礼の客に断食をさせることができるであろうか(ルカ5:33~35)

    (今回は、キリストが花婿として地上にいて、花嫁としての信者が次々におこされていく喜ばしい時、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・5章の33~35節より 『また彼ら(=ユダヤ人指導者たち)はイエスに(=弟子のマタイがもよおした宴会(えんかい)で食事をしているイエスに)言った、「ヨハネの(=キリストの先駆者であるバプテスマのヨハネの)弟子たちは、しばしば断食をし(=食事を断つ肉体的な苦痛をとおして、悔いあらためや畏れ(おそれ=うやまい、たっとぶこと)をもって神に近づくことをし)、また祈(いのり)をしており、パリサイ人の(=ユダヤ人指導者の)弟子たちもそうしているのに、あなたの弟子たち…

  • 健康な人には医者はいらない。いるのは病人である。わたしがきたのは、義人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるためである(ルカ5:27~32)

    (今回は、罪人にこそキリストが必要だ、ということについてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・5章の27~32節より 『そののち(=罪をゆるす権威をしめしたのち)、イエスが出て行かれると、レビ(=弟子になるマタイのことです)という名の取税人(しゅぜいにん=ローマの許可の下で税をとりたてる人。当時は私腹を肥やす者が多く、同じユダヤ人からは罪人とみなされ嫌われていた)が収税所にすわっているのを見て、「わたしに従ってきなさい」と言われた。すると、彼はいっさいを捨てて立ちあがり、イエスに従ってきた(=おそらくイエスの神へのはたらきのうわさを聞いていたものと思います。いまある取税人としての高収入の暮…

  • あなたの罪はゆるされたと言うのと、起きて歩けと言うのと、どちらがたやすいか(ルカ5:22~26)

    (今回は、困難である罪のゆるしを発言してくださったキリスト、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・5章の22~26節より 『イエスは彼らの論議を(=麻痺で寝たきりの人に、あなたの罪はゆるされた、と告げたイエスが、神を冒涜(ぼうとく)してるのではないか、という彼らの思いを)見ぬいて、「あなたがたは心の中で何を論じているのか。あなたの罪はゆるされたと言うのと、起きて歩けと言うのと、どちらがたやすいか(=これは神のご立場からしたら、どちらがたやすいかという質問です。神にとってたやすいのは、起きて歩けと言うほうです。神は人の病をいやすのに代価をもとめません。しかし罪をゆるすのには、神の御子…

  • 神を汚すことを言うこの人は、いったい、何者だ。神おひとりのほかに、だれが罪をゆるすことができるか(ルカ5:17~21)

    (今回は、イエスが神なのだという認識にいたれない宗教指導者たち、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・5章の17~21節より 『ある日のこと、イエスが教えておられると、ガリラヤ(=イスラエルの地の北)やユダヤ(=イスラエルの地の南)の方々の村から、またエルサレム(=神殿のある中心地)からきたパリサイ人(=パリサイ派はユダヤ教の一派で、ユダヤ人の宗教指導者の地位をきずいている)や律法学者たち(=律法を説く、先生と呼ばれるレビたち)が、そこにすわっていた(=要はイエスのはたらきを耳にして、本当に神からのものか視察しにきています)。主の力(=神の力、みわざ)が働いて、イエスは人々をいやさ…

  • ただ行って自分のからだを祭司に見せ、それからあなたのきよめのため、モーセが命じたとおりのささげ物をして、人々に証明しなさい(ルカ5:12~16)

    (今回は、律法どおりにすることで、神を証しするのを望まれるキリスト、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・5章の12~16節より 『イエスがある町におられた時、全身らい病(=重いひふ病)になっている人がそこにいた。イエスを見ると、顔を地に伏せて願って言った、「主よ、みこころでしたら(=神のお心が通(かよ)っているあなたのご意志次第で)、きよめていただけるのですが」。イエスは手を伸ばして彼にさわり、「そうしてあげよう、きよくなれ」と言われた。すると、らい病がただちに去ってしまった(=キリストをとおして神のみわざがなされ、病がいやされました)。イエスは、だれにも話さないようにと彼に言い…

  • 今からあなたは人間をとる漁師になるのだ(ルカ5:1~11)

    (今回は、伝道によってキリストのもとに人をあつめることになる弟子たち、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・5章の1~11節より 『さて、群衆が神の言(ことば)を聞こうとして押し寄せてきたとき、イエスはゲネサレ湖畔(=ガリラヤ湖の北西のこはん)に立っておられたが、そこに二そうの小舟が寄せてあるのをごらんになった。漁師(りょうし)たちは、舟からおりて網(あみ)を洗っていた。その一そうはシモン(=ペテロ)の舟であったが、イエスはそれに乗り込み、シモンに頼んで岸から少しこぎ出させ、そしてすわって、舟の中から群衆にお教えになった。話がすむと、シモンに「沖へこぎ出し、網をおろして漁をしてみな…

  • わたしは、ほかの町々にも神の国の福音を宣べ伝えねばならない(ルカ4:38~44)

    (今回は、神の国をひろげるために世に遣わされたキリスト、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・4章の38~44節より 『イエスは会堂を出てシモン(=まもなく弟子になるペテロ)の家におはいりになった。ところがシモンのしゅうとめ(=妻の母)が高い熱を病んでいたので、人々は彼女のためにイエスにお願いした。そこで、イエスはそのまくらもとに立って、熱が引くように命じられると(=ことばによって癒(いや)されると)、熱は引き、女はすぐに起き上がって、彼らをもてなした。日が暮れると(=安息日がおわり日曜になると(=なおユダヤ人にとっての日付の変わり目は日没です))、いろいろな病気になやむ者をかかえ…

  • これは、いったい、なんという言葉だろう。権威と力とをもって汚れた霊に命じられると、彼らは出て行くのだ(ルカ4:31~37)

    (今回は、キリストのことばによって、人から追いだされる悪霊、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・4章の31~37節より 『それから、イエスはガリラヤの町カペナウム(=ガリラヤ湖の北)に下って行かれた。そして安息日(=労働をしてはならない日、土曜日のこと)になると、人々を(=聖書について)お教えになったが、その言葉に権威があったので(=聖書の学者(ラビ)が語るようにではなく、まさに神からの権威に満ちていたので)、彼らはその教に驚いた。すると、汚(けが)れた悪霊につかれた人が会堂(=ユダヤ教徒の集まり、シナゴーグ)にいて、大声で叫び出した、「ああ、ナザレのイエスよ、あなたはわたしたち…

  • みな憤りに満ち、立ち上がってイエスを町の外へ追い出し、その町が建っている丘のがけまでひっぱって行って、突き落そうとした(ルカ4:25~30)

    (今回は、イエスの話に怒りをおぼえ、殺そうとするナザレの人々、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・4章の25~30節より(以下はキリストのおことばです) 『よく聞いておきなさい。エリヤ(=旧約聖書にでてくる神からの使者)の時代に、三年六か月にわたって天が閉じ(=雨が降らず)、イスラエル全土に大ききんがあった際、そこには多くのやもめ(=夫のいない女、また夫を失った女)がいたのに、エリヤはそのうちのだれにもつかわされないで(=神に民イスラエルであるのに、信仰がなかったためにつかわされず)、ただシドンのサレプタ(=イスラエルの地のさらに北。現在のレバノン南部)にいるひとりのやもめ(=イ…

  • 「医者よ、自分自身をいやせ」ということわざを引いて、カペナウムで行われたと聞いていた事を、あなたの郷里のこの地でもしてくれ、と言うであろう(ルカ4:20~24)

    (今回は、イエスが何らかの奇跡を見せてくれないかぎり、救い主とは認めまいとするナザレの人々、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・4章の20~24節より 『イエスは聖書を(=朗読した救い主の到来に関するイザヤ書を)巻いて係りの者に返し、席に着かれると、会堂(=ユダヤ教徒の集まり、シナゴーグ)にいるみんなの者の目がイエスに注がれた。そこでイエスは、「この聖句は(=キリスト到来のこの聖句は)、あなたがたが耳にしたこの日に(=目の前にいるイエスご自身によって)成就した」と説きはじめられた。すると、彼らはみなイエスをほめ(=本当に救い主かもしれないと期待をもって褒め)、またその口から出て来…

  • 打ちひしがれている者に自由を得させ、主のめぐみの年を告げ知らせるのである(ルカ4:14~19)

    (今回は、キリストによって、罪からの解放と自由がともなった福音がのべつたえられる、ということについてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・4章の14~19節より 『それからイエスは御霊(みたま)の力に満ちあふれてガリラヤ(=イスラエルの地の北部、故郷ナザレのある地方)へ帰られると、そのうわさがその地方全体にひろまった。イエスは諸会堂(=ユダヤ人が神を礼拝するいくつもの会堂(シナゴーグ))で教え、みんなの者から尊敬をお受けになった。それからお育ちになったナザレに行き、安息日(=労働をしてはならない日、土曜日のこと。律法(=神からの指針)にそう定められています)にいつものように会堂にはいり、聖…

  • イエスは答えて言われた、「『主なるあなたの神を試みてはならない』と言われている」(ルカ4:9~13)

    (今回は、神を試みてはならない、ということについてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・4章の9~13節より 『それから悪魔はイエスをエルサレムに連れて行き、宮(=エルサレム神殿)の頂上に立たせて(=おそらく神殿の南東の角、ケデロンの谷をのぞかせて)言った、「もしあなたが神の子であるなら、ここから下へ飛びおりてごらんなさい。『神はあなたのために、御使(みつかい)たちに命じてあなたを守らせるであろう(詩篇91:11)』とあり、また、『あなたの足が石に打ちつけられないように、彼らはあなたを手でささえるであろう(詩篇91:12)』とも書いてあります(=悪魔はイエスをまねて聖書から引用して、神の子…

  • イエスは答えて言われた、「『主なるあなたの神を拝し、ただ神にのみ仕えよ』と書いてある」(ルカ4:5~8)

    (今回は、人を恵みとあわれみをもって養っておられる神にのみ仕える、ということについてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・4章の5~8節より 『それから、悪魔はイエスを高い所へ(=荒野の高い場所へ)連れて行き、またたくまに世界のすべての国々を見せて(=おそらく幻をまじえて世界中を見せて)言った、「これらの国々の権威(=支配がいきわたって確立されている権力)と栄華(=国々の繁栄によってうるおっている富)とをみんな、あなたにあげましょう。それらはわたしに任せられていて(=この世は悪魔の支配下にあり、そして神がそれを一時的に許可されていて)、だれでも好きな人に(=自分が好んだ者に)あげてよいので…

  • イエスは答えて言われた、「『人はパンだけで生きるものではない』と書いてある」(ルカ4:1~4)

    (今回は、人は神から離れては人として生きられない、ということについてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・4章の1~4節より 『さて、イエスは聖霊に(=鳩のような姿をとってくだった神の霊に)満ちてヨルダン川から(=ヨハネからバプテスマをうけた川から)帰り、荒野を四十日(=聖書では40という期間は、ときに試練や苦難に対してもちいられます)のあいだ御霊(みたま=神の霊)にひきまわされて(=みちびかれて)、悪魔(サタン)の試みにあわれた(=本格的な宣教に入る前に、まず聖霊がしたことは、イエスを試練にあわせることでした。ある意味、救い主としての資格の有無をためされたのです)。そのあいだ何も食べず、…

  • あなたはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である(ルカ3:21~38)

    (今回は、キリストの宣教への承認ともいうべき神からの声、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・3章の21~38節より 『さて、民衆がみなバプテスマを(=ヨハネからの、罪を清めるために身を水にひたす儀式を)受けたとき、イエスも(=ヨハネからの)バプテスマを受けて祈っておられると、天が開けて、聖霊が(=これから世に神を証しするための宣教をとおして、キリストとともにはたらかれる神の霊が)はとのような姿をとってイエスの上に下り、そして天から(=父なる神の)声がした、「あなたはわたしの愛する子(=キリストは根本的な意味において神の子です)、わたしの心にかなう者である(=こうしてキリストは、バ…

  • このかたは、聖霊と火とによっておまえたちにバプテスマをお授けになるであろう(ルカ3:16~20)

    (今回は、キリストの聖霊と火のバプテスマによる清め、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・3章の16~20節より 『そこでヨハネはみんなの者に(=ヨハネが救い主ではないかと考えている群衆に)むかって言った、「わたしは水で(=川などで)おまえたちにバプテスマを(=罪を清めるために、身を水にひたす儀式を)授けるが、わたしよりも力のあるかた(=救い主であるキリスト)が、おいでになる。わたしには、そのくつのひもを解く値うちもない(=ひもを解くのは異邦人奴隷の仕事です。ヨハネはそれよりも低く自分をおいています)。このかたは、聖霊(=信者にやどすことで新しく生まれ変わらせる神の霊)と火(=不要…

  • 下着を二枚もっている者は、持たない者に分けてやりなさい。食物を持っている者も同様にしなさい(ルカ3:10~15)

    (今回は、悔い改めにふさわしいふるまいを説くヨハネ、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・3章の10~15節より 『そこで群衆が(=悔い改めにふさわしい実を結べとヨハネに言われた群衆が)彼に、「それでは、わたしたちは何をすればよいのですか」と尋ねた。彼は答えて言った、「下着を二枚もっている者は、持たない者に分けてやりなさい。食物を持っている者も同様にしなさい(=要は貧(まず)しい隣人に愛をもって接し、わけあたえてやりなさいということ)」。取税人(しゅぜいにん=ローマの許可の下で税をとりたてる人)もバプテスマを(=罪を清めるために、身を川などの水にひたす儀式を)受けにきて、彼に言った…

  • まむしの子らよ、迫ってきている神の怒りから、のがれられると、おまえたちにだれが教えたのか(ルカ3:7~9)

    (今回は、神のさばきをのがれたいがために集まってくる群衆、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・3章の7~9節より 『さて、ヨハネは、彼からバプテスマを(=罪を清めるために、身を川などの水にひたす儀式を)受けようとして出てきた群衆にむかって言った、「まむしの子らよ(=神から離れ、悪魔(サタン)に属している者たちよ)、迫ってきている神の怒りから、のがれられると、おまえたちにだれが教えたのか(=ヨハネは罪の悔い改めを説いていました。にもかかわらず、群衆にはどういうわけか、神のさばきからのがれられるという話が中心となって、こうして自分は助かりたいとの思いで集まってきていたものと思います。…

  • 荒野で呼ばわる者の声がする、「主の道を備えよ、その道筋をまっすぐにせよ」(ルカ3:4~6)

    (今回は、当時の約700年前に預言されていたとおりに、キリストの先駆者としてあらわれたヨハネ、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・3章の4~6節より 『それは(=ヨハネが悔い改めのバプテスマ(=罪を清めるために、身を川などの水にひたす儀式)をおこないはじめたのは)、預言者イザヤ(=旧約聖書にでてくる神からの使者(ユダヤ人)。なお預言者とは、神から預(あず)かった言葉を告げる者であり、文字どおりこれからおこることなどを預言する者です)の言葉の書(=旧約聖書のイザヤ書のこと。なおこの書は当時の700年ほど前に書かれました)に書いてあるとおりである(イザヤ40:3~5)。すなわち「荒野…

  • 彼はヨルダンのほとりの全地方に行って、罪のゆるしを得させる悔改めのバプテスマを宣べ伝えた(ルカ3:1~3)

    (今回は、ヨハネによる悔い改めのバプテスマ(洗礼)、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・3章の1~3節より 『皇帝テベリオ(=イエスの両親も従った人口調査の命令をだしたアウグストの次のローマ皇帝)在位の第十五年(=十五年目)、ポンテオ・ピラトがユダヤの総督(=ローマ領のユダヤ属州(ユダヤ、サマリア、イドマヤをあわせた地域)を治めるそうとくで、この地域の最高権力者)、ヘロデがガリラヤの領主(=ユダヤ属州の北、ガリラヤ地方の政治的な権力をあわせもつ領主)、その兄弟(=ヘロデの兄弟)ピリポがイツリヤ・テラコニテ地方(=ガリラヤの北東)の領主、ルサニヤがアビレネ(=イツリヤの北)の領主、…

  • どうしてお捜しになったのですか。わたしが自分の父の家にいるはずのことを、ご存じなかったのですか(ルカ2:48~52)

    (今回は、神の御子としての自覚をもたれている少年のイエス、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・2章の48~52節より 『両親はこれを見て驚き(=迷子と思っていたイエスが、エルサレム神殿で律法学者たちと神について語りあっているのにおどろき)、そして母(=マリヤ)が彼に言った、「どうして(=一緒に帰らずに)こんな事をしてくれたのです(=この表現から、おそらくイエスはひと区切りつくなりして、輪の外につれだされています)。ごらんなさい、おとう様(=父のヨセフ)もわたしも心配して、あなたを捜(さが)していたのです」。するとイエスは言われた、「どうしてお捜しになったのですか。わたしが自分の父…

  • そして三日の後に、イエスが宮の中で教師たちのまん中にすわって、彼らの話を聞いたり質問したりしておられるのを見つけた(ルカ2:41~47)

    (今回は、少年にして神にもとづいた知恵に富まれているイエス、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・2章の41~47節より 『さて、イエスの両親は、過越の祭(すぎこしのまつり=かつてエジプトの奴隷だったイスラエルの民(ユダヤ人)を、神がエジプトに災いをもたらして脱出させたことにちなんだまつり)には毎年エルサレムへ上っていた。イエスが十二歳になった時も、慣例に従って祭のために(=エルサレム神殿で神を礼拝するために(申命記16:16))上京した。ところが、祭が終って帰るとき、少年イエスはエルサレムに居残っておられたが、両親はそれに気づかなかった。そして道連れ(みちづれ=一緒に帰っている同…

  • この老女も、ちょうどそのとき近寄ってきて、神に感謝をささげ、そしてこの幼な子のことを、エルサレムの救を待ち望んでいるすべての人々に語りきかせた(ルカ2:36~40)

    (今回は、老女アンナによる、このイエスが救い主なのだという預言、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・2章の36~40節より 『また、アセル族(=イスラエルの12部族の一つ)のパヌエル(=ヨルダン川中流の東にある地名)の娘で、アンナという女預言者(=神からの使者)がいた。彼女は非常に年をとっていた。むすめ時代にとついで、七年間だけ夫と共に住み、その後やもめぐらし(=夫を失った生活)をし、八十四歳になっていた。そして宮(=エルサレム神殿)を離れずに夜も昼も断食(=だんじきとは、食事を断つ肉体的な苦痛をとおして、悔いあらためや畏れ(おそれ=敬(うやま)い、尊(たっと)ぶこと)をもって神…

  • この幼な子は、イスラエルの多くの人を倒れさせたり立ちあがらせたりするために、また反対を受けるしるしとして、定められています(ルカ2:33~35)

    (今回は、イスラエルの民を二分するキリスト、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・2章の33~35節より 『父と母とは(=イエスの父ヨセフと母マリヤは)幼な子(=イエス)についてこのように語られたことを(=イスラエルの民だけでなく全世界の救い主になるとの預言をうけて)、不思議に思った(=初対面の老人シメオンから、以前にみつかいのガブリエルから聞かされた以上の、神の壮大な計画を知らされておどろいた)。するとシメオンは彼らを祝し、そして母マリヤに言った、「ごらんなさい、この幼な子は、イスラエルの多くの人を倒れさせたり(=イエスが神のみわざをしめすことで、かえって多くのユダヤ人をつまづか…

  • この救はあなたが万民のまえにお備えになったもので、異邦人を照す啓示の光、み民イスラエルの栄光であります(ルカ2:22~32)

    (今回は、全世界の救い主となられるイエスキリスト、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・2章の22~32節より 『それから、モーセの律法(=モーセは、かつてエジプトの奴隷だったイスラエルの民を救出したリーダーです。その彼に、神が律法としてあたえた、神の民としての指針)による彼ら(=イエスの父と母)のきよめの期間(=女性は男の子を産んだ際には、40日間の清めの日を要します(レビ12:2~4)。夫のヨセフもマリヤにつきそっていました)が過ぎたとき、両親は幼な子(=イエス)を連れてエルサレムへ上った。それは主(=神)の律法に「母の胎を初めて開く男の子(=長男)はみな、主に聖別された者(=…

  • さあ、ベツレヘムへ行って、主がお知らせ下さったその出来事を見てこようではないか(ルカ2:15~21)

    (今回は、実際にイエスの誕生を見にいくひつじかいたち、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・2章の15~21節より 『御使たちが(=キリストの誕生にあたって神を賛美していたみつかいたちが)彼らを(=ひつじかいたちを)離れて天に帰ったとき、羊飼たちは「さあ、ベツレヘムへ(=キリストが生まれた町へ)行って、主が(=神が)お知らせ下さったその出来事を見てこようではないか」と、互に語り合った。そして急いで行って、マリヤとヨセフ(=イエスの母と父)、また飼葉おけ(かいばおけ=家畜のえさをいれるおけ)に寝かしてある幼な子(イエス)を捜(さが)しあてた。彼らに会った上で、この子について自分たちに…

  • きょうダビデの町に、あなたがたのために救主がお生れになった。このかたこそ主なるキリストである(ルカ2:8~14)

    (今回は、みつかいが羊飼たちにキリストの誕生をつたえるシーン、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・2章の8~14節より 『さて、この地方で(=ベツレヘムのあたりで)羊飼(ひつじかい)たちが夜、野宿しながら羊の群れの番をしていた。すると主(=神)の御使(みつかい)が現れ、主の栄光が(=ここでは神のご存在が目で見えるものとしてあらわされた光のようなものが)彼らをめぐり照したので、彼らは非常に恐れた。御使は言った、「恐れるな。見よ、すべての民に(=イスラエルのすべての人々に)与えられる大きな喜びを、あなたがたに伝える。きょうダビデ(=かつてのイスラエルの王)の町(=ベツレヘム)に、あな…

  • ところが、彼らがベツレヘムに滞在している間に、マリヤは月が満ちて、初子を産み、布にくるんで、飼葉おけの中に寝かせた(ルカ2:1~7)

    (今回は、家畜用のおけに寝かされるキリスト、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・2章の1~7節より 『そのころ(=キリストの先駆者となるヨハネが生まれたころ)、全世界の(=ローマ帝国内の)人口調査をせよ(=税を集めるための調査をせよ)との勅令(ちょくれい)が、皇帝アウグストから出た(=アウグストとは称号のことで、実際の名はオクタヴィアヌスです)。これは、クレニオがシリヤの総督(=ローマによって立てられたそうとく)であった時に行われた最初の人口調査であった(=皇帝からの命令をうけたクレニオのもとで調査がはじめられました)。人々はみな登録をするために、それぞれ自分の町へ(=自分の戸籍…

  • 主のみまえに先立って行き、その道を備え、罪のゆるしによる救をその民に知らせるのであるから(ルカ1:76~80)

    (今回は、ヨハネによるキリストのための準備に関する預言、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・1章の76~80節より(以下はザカリヤの預言です) 『「幼な子よ(=生まれてまもないザカリヤの息子、ヨハネよ)、あなたは、いと高き者の預言者(=神から遣わされた預言者)と呼ばれるであろう。主の(=キリストの)みまえに先立って行き、その道を備え(=キリストによる宣教を人々にとどきやすくし(イザヤ40:3、マラキ3:1))、罪のゆるしによる救を(=罪をあがなうことでもたらされるキリストによる救いを)その民に知らせるのであるから。これはわたしたちの神のあわれみ深い(=一方的な恵みである)みこころ…

  • 神はその民を顧みてこれをあがない、わたしたちのために救の角を僕ダビデの家にお立てになった(ルカ1:67~75)

    (今回は、救い主イエスキリストのあらわれを預言するザカリヤ、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・1章の67~75節より 『父(=ヨハネの父となった)ザカリヤは聖霊(=神の霊)に満たされ、預言して言った、「主なるイスラエルの神は、ほむべきかな(=神は全人類を救う計画をお持ちですが、まずその第一歩としてアブラハムを選ばれました。彼の出身はウル(現在のイラクの南部)であり、この彼がカナン(現在のイスラエルのあたり)に入りました。そして子孫があたえられていくわけですが、この彼からイサク、ヤコブを経て、神の民となるイスラエル(ユダヤ人)が誕生しました。ザカリヤもユダヤ人なので、こうして神を…

  • ところが、母親は、「いいえ、ヨハネという名にしなくてはいけません」と言った(ルカ1:57~66)

    (今回は、神のみこころどおりに、子にヨハネと名づける、ということについてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・1章の57~66節より 『さてエリサベツは月が満ちて、男の子を産んだ。近所の人々や親族は、主が(=神が)大きなあわれみを彼女に(=不妊の彼女に)おかけになったことを聞いて、共どもに喜んだ。八日目になったので、幼な子に割礼(かつれい=ユダヤ人は、神とアブラハムが交わした契約のとおりに、男子にかぎり、かつ赤子のときに、性器の包皮の一部を切除する必要があります)をするために人々がきて、父の名にちなんでザカリヤという名にしようとした。ところが、母親は、「いいえ、ヨハネという名(=みつかいの…

  • わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救主なる神をたたえます(ルカ1:46~56)

    (今回は、マリヤの賛歌、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・1章の46~56節より 『すると(=エリサベツからの、あなたは神に祝福されているとのことばをきいて)マリヤは(=イエスをみごもったマリヤは)言った、「わたしの魂は主(=神)をあがめ、わたしの霊は救主なる神を(=救い主である神の御子(みこ)を、すなわちイエスキリストを)たたえます。この卑(いや)しい(=みすぼらしく、とるに足りない)女をさえ、心にかけてくださいました。今からのち代々の人々は(=今後のすべての世代の人々は)、わたしをさいわいな女と言うでしょう、力あるかたが(=神が)、わたしに大きな事をしてくださったからです(…

  • 聖霊があなたに臨み、いと高き者の力があなたをおおうでしょう。それゆえに、生れ出る子は聖なるものであり、神の子と、となえられるでしょう(ルカ1:34~45)

    (今回は、聖霊によってやどされるキリスト、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・1章の34~45節より 『そこでマリヤは御使(みつかい)に言った、「どうして、そんな事があり得ましょうか(=どのようにして子をさずかることがおこりえるでしょうか)。わたしにはまだ夫がありませんのに」。御使が答えて言った、「聖霊が(=神の霊が)あなたに臨(のぞ)み、いと高き者(=神)の力があなたをおおうでしょう。それゆえに(=夫との関係をもたずに、いわば処女降誕によって)、生れ出る子は(=イエスキリストは)聖なるものであり(=神性をともなっており)、神の子と、となえられるでしょう。あなたの親族エリサベツも…

  • 見よ、あなたはみごもって男の子を産むでしょう。その子をイエスと名づけなさい(ルカ1:26~33)

    (今回は、ガブリエルによるキリストの誕生に関する預言、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・1章の26~33節より 『六か月目に(=エリサベツがヨハネをみごもった六か月目に)、御使(みつかい)ガブリエルが、神からつかわされて、ナザレというガリラヤ(=イスラエルの地の北部)の町の一処女のもとにきた。この処女はダビデ家(=かつて神への信仰をもっていたイスラエルの王家)の出であるヨセフという人のいいなづけ(=婚約関係)になっていて、名をマリヤといった。御使がマリヤのところにきて言った、「恵まれた女よ、おめでとう、主があなたと共におられます」。この言葉にマリヤはひどく胸騒ぎがして、このあい…

  • どうしてそんな事が、わたしにわかるでしょうか。わたしは老人ですし、妻も年をとっています(ルカ1:18~25)

    (今回は、御使いであるガブリエルの話を信じないザカリヤ、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・1章の18~25節より 『するとザカリヤは(=ヨハネを子としてさずかるとつげられたザカリヤは)御使(みつかい)に言った、「どうしてそんな事が、わたしにわかる(=みとめられる)でしょうか。わたしは老人ですし、妻も年をとっています(=子を宿せる年齢ではありません)」。御使が答えて言った、「わたしは神のみまえに立つガブリエルであって、この喜ばしい知らせをあなたに語り伝えるために、つかわされたものである。時が来れば成就するわたしの言葉を(=神からたくされたことばを)信じなかったから、あなたはおしに…

  • 彼はエリヤの霊と力とをもって、みまえに先立って行き、父の心を子に向けさせ、逆らう者に義人の思いを持たせて、整えられた民を主に備えるであろう(ルカ1:8~17)

    (今回は、キリストの先駆者としてのヨハネの誕生に関する預言、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・1章の8~17節より 『さてザカリヤ(=アビヤの組の祭司)は、その組が当番になり神のみまえに祭司の務(つとめ)をしていたとき、祭司職の慣例(かんれい)に従ってくじを引いたところ、主の聖所(せいじょ=エルサレム神殿内の神聖な場所)にはいって香(=神への奉仕としてこう)をたくことになった。香をたいている間、多くの民衆は(=ユダヤ人は)みな外で祈っていた。すると主の御使(みつかい)が現れて、香壇(こうだん)の右に立った。ザカリヤはこれを見て、おじ惑い(=取り乱し)、恐怖の念に襲われた。そこで…

  • すでにお聞きになっている事が確実であることを、これによって十分に知っていただきたいためであります(ルカ1:1~7)

    (今回は、この福音書は、ルカがローマの高官宛てに書いたものとしてつづられている、ということについてふれたいと思います) ※なお今日から “ルカによる福音書” にはいりますが、当時のユダヤ人が住んでいる地域は(=現在のイスラエルの辺りは)、ローマ帝国の支配下にありました。キリストはこの地にユダヤ人としてお生まれになり、ユダヤ人に宣教をしていくことになります。この時代背景をおさえておくと、理解の手助けとなります。 ・ルカによる福音書・1章の1~7節より 『わたしたちの間に成就された出来事を(=キリストがユダヤ人の住む地域でなさったできごとを)、最初から親しく見た人々であって(=キリストが宣教をはじ…

  • そして彼のあかしが真実であることを、わたしたちは知っている(ヨハネ21:24~25)

    (今回は、ヨハネがキリストについて書いた福音書は、すべて真実である、ということについてふれたいと思います) ・ヨハネによる福音書・21章の24~25節より 『これらの事について(=キリストがなさった神のみわざや、お語りになったことについて)あかしをし、またこれらの事を書いたのは(=ヨハネによる福音書として書きのこしたのは)、この弟子(=ヨハネ)である。そして彼(=ヨハネ自身)のあかしが真実であることを、わたしたちは(=当時キリストとともに過ごし、復活を目の当たりにした者たち。また当時のヨハネをとおしてキリストを信じるにいたった者たち。さらに広い意味では、キリストを信じることで聖霊をさずかった今…

  • たとい、わたしの来る時まで彼が生き残っていることを、わたしが望んだとしても、あなたにはなんの係わりがあるか(ヨハネ21:22~23)

    (今回は、ペテロにはペテロの信仰の歩みがあるとつたえるキリスト、についてふれたいと思います) ・ヨハネによる福音書・21章の22~23節より 『イエスは彼に(=弟子のヨハネの将来を尋ねたペテロに)言われた、「たとい(たとえ)、わたしの来る時まで(=昇天後に再び天から来るときまで。信者にとっての携挙(けいきょ)のときまで(テサロニケ一・4:15~17))彼が(=ヨハネが)生き残っていることを、わたしが望んだとしても(=仮に望んだとしても)、あなたにはなんの係わりがあるか(=ペテロにはペテロの信仰の歩みがあり、神がそれを用意されるのだから、ヨハネがどのようにみちびかれて歩んでいくのかは、あなたには…

  • しかし年をとってからは、自分の手をのばすことになろう。そして、ほかの人があなたに帯を結びつけ、行きたくない所へ連れて行くであろう(ヨハネ21:18~21)

    (今回は、ペテロの殉教を預言されるキリスト、についてふれたいと思います) ・ヨハネによる福音書・21章の18~21節より(以下はキリストのおことばです) 『よくよくあなたに(=弟子のペテロに)言っておく。あなたが若かった時には、自分で帯(=腰のおび)をしめて、思いのままに歩きまわっていた(=思いのままに伝道もしていた)。しかし年をとってからは(=年をとってからの死に際(ぎわ)には)、自分の手をのばすことになろう(=手を伸ばされて、自由をうばわれるだろう)。そして、ほかの人があなたに帯を結びつけ(=縄(なわ)をかけ)、行きたくない所へ(=処刑の場へ)連れて行くであろう」。これは、ペテロがどんな死…

  • イエスは三度目に言われた、「ヨハネの子シモンよ、わたしを愛するか」(ヨハネ21:16~17)

    (今回は、ペテロの愛を三度たしかめられるキリスト、についてふれたいと思います) ・ヨハネによる福音書・21章の16~17節より 『またもう一度彼に(=以前キリストを見捨て、心にしこりをのこしているペテロに)言われた、「ヨハネの子シモン(=ペテロ)よ、わたしを愛するか(=キリストはここでもアガパオーという愛のことばをもちいて、わたしを見返りをもとめない一方的な愛で愛するかと尋ねています)」。彼はイエスに言った、「主よ、そうです。わたしがあなたを愛することは、あなたがご存じです(=キリストを見捨てたペテロには、アガパオーという一方的にそそぐ愛のことばでは返答できません。そこでフィレオーという友情の…

  • 彼らが食事をすませると、イエスはシモン・ペテロに言われた、「ヨハネの子シモンよ、あなたはこの人たちが愛する以上に、わたしを愛するか」(ヨハネ21:15)

    (今回は、教会の指導者となるペテロを、少しずつ整えられるキリスト、についてふれたいと思います) ・ヨハネによる福音書・21章の15節より 『彼らが(=漁(りょう)にでていた弟子たちが)食事をすませると、イエスはシモン・ペテロに(=キリストが捕らえられたときに逃げだし、また裁判をうけているときに、キリストを三度知らないと他人のふりをしたペテロ。心にそうしたしこりをのこしているペテロに)言われた、「ヨハネ(=ペテロの父の名。この福音書を書いたヨハネとは別人です)の子シモンよ、あなたはこの人たちが(=他の弟子たちが)愛する以上に(=なおここの直訳は、これらよりも、であり、この場合は目の前のパンや、大…

  • イエスが死人の中からよみがえったのち、弟子たちにあらわれたのは、これで既に三度目である(ヨハネ21:9~14)

    (今回は、世にでて伝道することになる弟子たちを、少しずつ整えられるキリスト、についてふれたいと思います) ・ヨハネによる福音書・21章の9~14節より 『彼らが陸に上って見ると、炭火がおこしてあって、その上に魚がのせてあり、またそこにパンがあった(=これらは神のみわざとして、この場で無から有を生じさせたものと思います)。イエスは彼らに言われた、「今とった魚を(=神の恵みによってあたえられた魚を)少し持ってきなさい」。シモン・ペテロが行って、網(あみ)を陸へ引き上げると、百五十三びきの大きな魚でいっぱいになっていた(=彼らはこの収獲の多さに、キリストをとおして神がともにおられるのを感じたものと思…

  • すると、イエスは彼らに言われた、「舟の右の方に網をおろして見なさい。そうすれば、何かとれるだろう」(ヨハネ21:4~8)

    (今回は、弟子たちの成長をひきだすために声をかけるキリスト、についてふれたいと思います) ・ヨハネによる福音書・21章の4~8節より 『夜が明けたころ、イエスが岸に立っておられた。しかし弟子たちはそれがイエスだとは知らなかった(=夜があけたころで、岸まで距離があったので、キリストだとわかりませんでした。ですが、こうした物理的な面もあったでしょうが、今後自分たちがどうキリストに従い、伝道をしていくのか、このあたりの霊における迷いも暗示しているように思います)。イエスは彼らに言われた、「子たちよ、何か食べるものがあるか(=キリストはこうした会話から、彼らの成長をひきだされます)」。彼らは「ありませ…

  • そののち、イエスはテベリヤの海べで、ご自身をまた弟子たちにあらわされた(ヨハネ20:30~21:3)

    (今回は、ガリラヤ湖の岸辺で、再び弟子たちにあらわれるキリスト、についてふれたいと思います) ・ヨハネによる福音書・20章の30~21章の3節より『イエスは、この書に(=ヨハネによる福音書に)書かれていないしるし(=神を証しするための、病のいやしといった神のみわざ、奇跡)を、ほかにも多く、弟子たちの前で行われた。しかし、これらのことを書いたのは(=その中からこうして福音書として書いてきたのは)、あなたがたがイエスは神の子キリスト(=神の御子(みこ)であり、世の救い主)であると信じるためであり、また、そう信じて、イエスの名によって(=イエスキリストのご存在そのものによって)命を(=永遠のいのちを…

  • イエスは彼に言われた、「あなたはわたしを見たので信じたのか。見ないで信ずる者は、さいわいである(ヨハネ20:24~29)

    (今回は、目で見たことのないものを信じる、信仰の本来のすがた、についてふれたいと思います) ・ヨハネによる福音書・20章の24~29節より 『十二弟子のひとりで、デドモ(=双子という意味)と呼ばれているトマスは、イエスが(=復活したキリストが)こられたとき、彼らと一緒にいなかった。ほかの弟子たちが、彼に「わたしたちは主にお目にかかった」と言うと、トマスは彼らに言った、「わたしは、その手に釘あと(=十字架にかけられたときのくぎあと)を見、わたしの指をその釘あとにさし入れ、また、わたしの手をそのわきに(=十字架による死亡の確認のためにやりで刺されたわきに)さし入れてみなければ、決して信じない」。八…

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