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あなたの神、主を愛しなさい https://kurisuchan.hatenablog.com/

クリスチャンになって7年目のわたしが、聖書の解説やつぶやきをしております。聖書を手にされたことのない方々、ぜひお越しになってください。

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2020/02/22

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  • まず涙でイエスの足をぬらし、自分の髪の毛でぬぐい、そして、その足に接吻して、香油を塗った(ルカ7:36~40)

    (今回は、救いをもとめて神への服従をしめす罪深い女、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・7章の36~40節より 『あるパリサイ人(=パリサイ派はユダヤ教の一派で、ユダヤ人指導者の地位をきずいている)がイエスに、食事を共にしたいと(=おそらくイエスが神からの使者かどうかを見定めたくて)申し出たので、そのパリサイ人の家にはいって食卓に着かれた。するとそのとき、その町で罪の女であったものが(=おそらく娼婦(しょうふ)といった律法に反している女が)、パリサイ人の家で食卓に着いておられることを聞いて、香油(=最高のもてなしにあたる貴重品)が入れてある石膏(せっこう)のつぼを持ってきて、泣き…

  • 「わたしたちが笛を吹いたのに、あなたたちは踊ってくれなかった。弔いの歌を歌ったのに、泣いてくれなかった」と言うのに似ている(ルカ7:31~35)

    (今回は、当時の不信者は、自分の思いどおりにならずに不満ばかり言う子供に似ている、ということについてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・7章の31~35節より 『だから今の時代の人々を(=キリストが目の前にいるのに信じない世代の人々を)何に比べようか。彼らは何に似ているか。それは子供たちが広場にすわって、互に呼びかけ、『わたしたちが笛を吹いたのに(=結婚式ごっこを提案したのに)、あなたたちは踊(おど)ってくれなかった(=仲間意識を高めようと提案したが、賛同がえられず、不満をもっています)。弔(とむら)いの歌を歌ったのに(=それなら今度は葬式ごっこを提案したのに)、泣いてくれなかった(=こ…

  • しかし、神の国で最も小さい者も、彼よりは大きい(ルカ7:24~30)

    (今回は、天の御国の最も小さい者でも、地上でのバプテスマのヨハネより偉大、ということについてふれたいと思います) ※以下には「神の国」という言葉がでてきますが、ここではマタイ11:11「しかし、天国で最も小さい者も、彼よりは大きい」との整合性を重視して、これから後(のち)に私たちが入れられる天の御国(みくに)として解釈しています。その他には、キリストによっていままさに実現している神の国ととらえて、いまの私たちがすでにヨハネよりも偉大とする解釈もあるようです。ですので、うのみになさらず、お一人お一人が神とのまじわりをふかめていただければと思います。 ・ルカによる福音書・7章の24~30節より 『…

  • 盲人は見え、足なえは歩き、らい病人はきよまり、耳しいは聞え、死人は生きかえり、貧しい人々は福音を聞かされている(ルカ7:18~23)

    (今回は、キリストがなさっているさまざまな神のみわざ、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・7章の18~23節より 『ヨハネ(=キリストの先駆者で、現在はヘロデによって牢屋にいれられている(ルカ3:20))の弟子たちは、これらのこと(=病のいやしや死人が生きかえったことなど)を全部彼に報告した。するとヨハネは弟子の中からふたりの者を呼んで、主(=キリスト)のもとに送り、「『きたるべきかた(=メシア(救い主))』はあなたなのですか。それとも、ほかにだれかを待つべきでしょうか」と尋ねさせた。そこで、この人たちがイエスのもとにきて言った、「わたしたちはバプテスマ(=洗礼をあたえる者)のヨ…

  • すると、死人が起き上がって物を言い出した(ルカ7:11~17)

    (今回は、死人を生きかえらせるキリスト、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・7章の11~17節より 『そののち(=異邦人を癒(いや)してのち)、間もなく、ナインという町(=ガリラヤ地方の南部にある町)へおいでになったが、弟子たちや大ぜいの群衆も一緒に行った。町の門に近づかれると、ちょうど、あるやもめ(=夫を失った女)にとってひとりむすこであった者が死んだので、葬(ほうむ)りに出すところであった。大ぜいの町の人たちが、その母につきそっていた。主は(=キリストは)この婦人を見て深い同情を(=内臓をゆさぶられるほどの感情から深い同情を)寄せられ、「泣かないでいなさい」と言われた。そして…

  • あなたがたに言っておくが、これほどの信仰は、イスラエルの中でも見たことがない(ルカ7:6~10)

    (今回は、まことの信仰を持ちあわせている百人隊長、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・7章の6~10節より 『ところが、その家(=病人のしもべがいる百人隊長(=ローマに仕える隊長)の家)からほど遠くないあたりまでこられたとき、百卒長は友だちを送ってイエスに言わせた、「主よ、どうぞ、ご足労くださいませんように(=わざわざ家までお越しくださいませんように)。わたしの屋根の下にあなたをお入れする資格は、わたしにはございません(=当時は、ユダヤ人が異邦人の家に入ることは汚(けが)れるという理由でさけられていました。イエスはユダヤ人ですから、このことへの配慮だと思います。また同時に、神に仕…

  • ところが、ある百卒長の頼みにしていた僕が、病気になって死にかかっていた(ルカ7:1~6)

    (今回は、キリストに病のいやしをもとめる百人隊長、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・7章の1~6節より 『イエスはこれらの言葉を(=平地でなさった説教を)ことごとく人々に聞かせてしまったのち、カペナウム(=ガリラヤ湖の北の町)に帰ってこられた。ところが、ある百卒長(=ローマ兵の隊長)の頼みにしていた僕(=しもべ)が、病気になって死にかかっていた。この百卒長はイエスのことを聞いて、ユダヤ人の長老たち(=部族の高い地位にある年配者たち)をイエスのところにつかわし、自分の僕を助けにきてくださるようにと、お願いした。彼らはイエスのところにきて、熱心に(=ローマの隊長の期待に応えようと)…

  • わたしを主よ、主よ、と呼びながら、なぜわたしの言うことを行わないのか(ルカ6:46~49)

    (今回は、信者はキリストのおしえを実践する、ということについてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・6章の46~49節より 『わたし(=キリスト)を主よ、主よ(=神性をみとめた呼び方、救い主よ)、と呼びながら、なぜわたしの言うこと(=キリストのおしえ)を行わないのか。わたしのもとにきて、わたしの言葉を聞いて行う者(=まことの信者)が、何に似ているか、あなたがたに教えよう。それは、地を深く掘り(=キリストとの関係を深くもって)、岩の上に土台をすえて(=ここでの “岩” とは、キリストの比喩です。キリストの上に土台をすえて)家を建てる人に似ている。洪水が出て激流が(=困難や試練が)その家に押し…

  • 悪い実のなる良い木はないし、また良い実のなる悪い木もない(ルカ6:43~45)

    (今回は、キリストへの信仰は、おのずと良い実をむすんでおもてにでてくる、ということについてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・6章の43~45節より 『悪い実のなる良い木はないし、また良い実のなる悪い木もない。木はそれぞれ、その実でわかる。いばらからいちじくを取ることはないし、野ばらからぶどうを摘むこともない。善人は良い心の倉から(=キリストにしたがい、神のご性質やその教えを学んでたくわえている倉から)良い物を取り出し、悪人は悪い倉から(=キリストをうけいれず、世に属するもの(富など)を愛している倉から)悪い物を取り出す。心からあふれ出ることを(=心にあって、そこからでてくるものを)、口…

  • なぜ、兄弟の目にあるちりを見ながら、自分の目にある梁を認めないのか(ルカ6:39~42)

    (今回は、自分の罪は見ずに相手の罪ばかりを見る偽善、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・6章の39~42節より 『イエスはまた一つの譬(たとえ)を語られた、「盲人(もうじん=ここでは信仰がなく、神について無知、あるいは誤って捉えている者)は盲人(=やはり信仰がなく、神について無知な者)の手引ができようか。ふたりとも穴に落ち込まないだろうか。弟子はその師以上(=ここではキリスト以上)のものではないが、修業をつめば(=信仰に忠実に歩めば)、みなその師のようになろう。なぜ、兄弟の目にあるちり(=相手のささいな罪や悪い部分)を見ながら、自分の目にある梁(はり=太い柱。ここでは自分の大きな…

  • 人をさばくな。そうすれば、自分もさばかれることがないであろう(ルカ6:35~38)

    (今回は、自分が他人を見る基準で神からも見返される、ということについてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・6章の35~38節より 『しかし、あなたがたは、敵を愛し、人によくしてやり、また何も当てにしないで貸してやれ。そうすれば受ける報いは大きく、あなたがたはいと高き者(=神)の子となるであろう。いと高き者は、恩を知らぬ者にも悪人にも、なさけ深いからである。あなたがたの父なる神が慈悲深い(じひぶかい=あわれみ深い)ように、あなたがたも慈悲深い者となれ。人をさばくな。そうすれば、自分も(=神から)さばかれることがないであろう。また人を罪に定めるな。そうすれば、自分も(=神から)罪に定められる…

  • 敵を愛し、憎む者に親切にせよ(ルカ6:27~34)

    (今回は、キリストにしたがう者としての歩み、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・6章の27~34節より 『しかし(=キリストに忠実なら、世からほめられずに迫害されもするが、しかし)、聞いているあなたがたに言う。敵を愛し、憎む者(=憎んでくる者)に親切にせよ。のろう者(=のろってくる者)を祝福し(=神からの祝福、恵みがその人にあるように願い)、はずかしめる者(=恥をかかせ侮辱(ぶじょく)してくる者)のために祈れ(=その人が悪から離れ、救われるのを、また神からのとりなしがあるのを祈るように)。あなたの頬(ほほ)を打つ者にはほかの頬をも向けてやり、あなたの上着を奪い取る者には下着をも拒…

  • しかしあなたがた富んでいる人たちは、わざわいだ。慰めを受けてしまっているからである(ルカ6:24~26)

    (今回は、神をもとめていない人たちのわざわい、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・6章の24~26節より 『しかしあなたがた富んでいる人たちは、わざわいだ(=これは単に物質的に富んでいるということではありません。霊において実際は貧しいにもかかわらず、霊を豊かにしてくれる神には目を向けずに、世に属する富などをよりどころにして、自分が豊かだと思いこんでいる人たちのことです)。慰めを受けてしまっているからである(=本来神をもとめ、神からのなぐさめをうけるべきところを、世に属するものへの思い入れで心のすき間をうめてしまっています。なのでここで “わざわい” と言われる人たちは、キリストの…

  • あなたがた貧しい人たちは、さいわいだ。神の国はあなたがたのものである(ルカ6:20~23)

    (今回は、神をもとめている人たちのさいわい、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・6章の20~23節より 『そのとき(=群衆があつまってきているとき)、イエスは目をあげ、弟子たちを見て言われた、「あなたがた貧しい人たちは、さいわいだ(=ここでの “まずしい” とは、物理的な貧しさのことではありません。霊において貧しく、霊を豊かにしてくれるのは神だけであると知って、神をもとめている人たちのことです。なおアダムが罪をおかして以降、人はだれもが霊において貧しい状態にありますが、これを自覚している人は神をもとめ、これに無自覚な人は、世の富などによりどころをもとめ、神を必要としない過(あやま…

  • 夜が明けると、弟子たちを呼び寄せ、その中から十二人を選び出し、これに使徒という名をお与えになった(ルカ6:12~19)

    (今回は、弟子の中から12人の使徒を選ばれるキリスト、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・6章の12~19節より 『このころ(=ユダヤ人指導者たちが敵対しはじめた、まだ宣教の初期のころ)、イエスは祈るために山へ行き、夜を徹(てっ)して神に祈られた。夜が明けると、弟子たち(=キリストにつきしたがっていた者たち)を呼び寄せ、その中から十二人を選び出し、これに使徒という名をお与えになった(=ときに使徒は、キリストから神の権威をさずかって、いたるところへ派遣されます(ルカ9:1~6))。すなわち、ペテロとも呼ばれたシモン(=のちの初代教会の中心人物となります)とその兄弟アンデレ、ヤコブと…

  • あなたがたに聞くが、安息日に善を行うのと悪を行うのと、命を救うのと殺すのと、どちらがよいか(ルカ6:6~11)

    (今回は、安息日であろうと、人に善をおこなうのはみこころに適っている、ということについてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・6章の6~11節より 『また、ほかの安息日(=労働をしてはならない日)に会堂(=ユダヤ教徒の集まり、シナゴーグ)にはいって教えておられたところ、そこに右手のなえた人がいた。律法学者やパリサイ人たち(=ユダヤ人指導者たち)は、イエスを訴える口実(=彼らはすでにキリストに敵意をもっています)を見付けようと思って、安息日にいやされるかどうかをうかがっていた(=キリストがこの人の手をいやしたら、安息日に労働をしたと見なして訴えようとしていました)。イエスは彼らの思っているこ…

  • 人の子は安息日の主である(ルカ6:1~5)

    (今回は、キリストは安息に対する神としての主権をもっておられる、ということについてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・6章の1~5節より 『ある安息日(=労働をしてはならず休息をとる日)にイエスが麦畑の中をとおって行かれたとき、弟子たちが穂(ほ)をつみ、手でもみながら食べていた(=その場で食べるぶんには罪ではありません(申命記23:24~25))。すると、あるパリサイ人(=ユダヤ人指導者)たちが言った、「あなたがたはなぜ、安息日にしてはならぬことをするのか(=これは彼らの口伝律法(=聖書の律法を歪曲(わいきょく)したもの)にもとづいて、穂をつんでもんだことなどを労働とみなして罪にさだめて…

  • だれも、新しい着物から布ぎれを切り取って、古い着物につぎを当てるものはない(ルカ5:36~39)

    (今回は、キリストの教えは、それまでの教えや掟を補うものではない、ということについてふれたいと思います) 以下は、口伝律法(くでんりっぽう)といって旧約聖書の律法(神からの指針)をゆがめたしきたりに従っているユダヤ人指導者らへの、キリストのおことばです。なお当時はこの口伝律法が民衆にも広まっていました。 ・ルカによる福音書・5章の36~39節より 『それからイエスはまた一つの譬(たとえ)を語られた、「だれも、新しい着物から(=新しく知ることとなったキリストの教えから)布ぎれを切り取って(=その教えの一部を切りとって)、古い着物につぎを当てるものはない(=口伝律法につけたして補填(ほてん)する者…

  • あなたがたは、花婿が一緒にいるのに、婚礼の客に断食をさせることができるであろうか(ルカ5:33~35)

    (今回は、キリストが花婿として地上にいて、花嫁としての信者が次々におこされていく喜ばしい時、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・5章の33~35節より 『また彼ら(=ユダヤ人指導者たち)はイエスに(=弟子のマタイがもよおした宴会(えんかい)で食事をしているイエスに)言った、「ヨハネの(=キリストの先駆者であるバプテスマのヨハネの)弟子たちは、しばしば断食をし(=食事を断つ肉体的な苦痛をとおして、悔いあらためや畏れ(おそれ=うやまい、たっとぶこと)をもって神に近づくことをし)、また祈(いのり)をしており、パリサイ人の(=ユダヤ人指導者の)弟子たちもそうしているのに、あなたの弟子たち…

  • 健康な人には医者はいらない。いるのは病人である。わたしがきたのは、義人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるためである(ルカ5:27~32)

    (今回は、罪人にこそキリストが必要だ、ということについてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・5章の27~32節より 『そののち(=罪をゆるす権威をしめしたのち)、イエスが出て行かれると、レビ(=弟子になるマタイのことです)という名の取税人(しゅぜいにん=ローマの許可の下で税をとりたてる人。当時は私腹を肥やす者が多く、同じユダヤ人からは罪人とみなされ嫌われていた)が収税所にすわっているのを見て、「わたしに従ってきなさい」と言われた。すると、彼はいっさいを捨てて立ちあがり、イエスに従ってきた(=おそらくイエスの神へのはたらきのうわさを聞いていたものと思います。いまある取税人としての高収入の暮…

  • あなたの罪はゆるされたと言うのと、起きて歩けと言うのと、どちらがたやすいか(ルカ5:22~26)

    (今回は、困難である罪のゆるしを発言してくださったキリスト、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・5章の22~26節より 『イエスは彼らの論議を(=麻痺で寝たきりの人に、あなたの罪はゆるされた、と告げたイエスが、神を冒涜(ぼうとく)してるのではないか、という彼らの思いを)見ぬいて、「あなたがたは心の中で何を論じているのか。あなたの罪はゆるされたと言うのと、起きて歩けと言うのと、どちらがたやすいか(=これは神のご立場からしたら、どちらがたやすいかという質問です。神にとってたやすいのは、起きて歩けと言うほうです。神は人の病をいやすのに代価をもとめません。しかし罪をゆるすのには、神の御子…

  • 神を汚すことを言うこの人は、いったい、何者だ。神おひとりのほかに、だれが罪をゆるすことができるか(ルカ5:17~21)

    (今回は、イエスが神なのだという認識にいたれない宗教指導者たち、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・5章の17~21節より 『ある日のこと、イエスが教えておられると、ガリラヤ(=イスラエルの地の北)やユダヤ(=イスラエルの地の南)の方々の村から、またエルサレム(=神殿のある中心地)からきたパリサイ人(=パリサイ派はユダヤ教の一派で、ユダヤ人の宗教指導者の地位をきずいている)や律法学者たち(=律法を説く、先生と呼ばれるレビたち)が、そこにすわっていた(=要はイエスのはたらきを耳にして、本当に神からのものか視察しにきています)。主の力(=神の力、みわざ)が働いて、イエスは人々をいやさ…

  • ただ行って自分のからだを祭司に見せ、それからあなたのきよめのため、モーセが命じたとおりのささげ物をして、人々に証明しなさい(ルカ5:12~16)

    (今回は、律法どおりにすることで、神を証しするのを望まれるキリスト、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・5章の12~16節より 『イエスがある町におられた時、全身らい病(=重いひふ病)になっている人がそこにいた。イエスを見ると、顔を地に伏せて願って言った、「主よ、みこころでしたら(=神のお心が通(かよ)っているあなたのご意志次第で)、きよめていただけるのですが」。イエスは手を伸ばして彼にさわり、「そうしてあげよう、きよくなれ」と言われた。すると、らい病がただちに去ってしまった(=キリストをとおして神のみわざがなされ、病がいやされました)。イエスは、だれにも話さないようにと彼に言い…

  • 今からあなたは人間をとる漁師になるのだ(ルカ5:1~11)

    (今回は、伝道によってキリストのもとに人をあつめることになる弟子たち、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・5章の1~11節より 『さて、群衆が神の言(ことば)を聞こうとして押し寄せてきたとき、イエスはゲネサレ湖畔(=ガリラヤ湖の北西のこはん)に立っておられたが、そこに二そうの小舟が寄せてあるのをごらんになった。漁師(りょうし)たちは、舟からおりて網(あみ)を洗っていた。その一そうはシモン(=ペテロ)の舟であったが、イエスはそれに乗り込み、シモンに頼んで岸から少しこぎ出させ、そしてすわって、舟の中から群衆にお教えになった。話がすむと、シモンに「沖へこぎ出し、網をおろして漁をしてみな…

  • わたしは、ほかの町々にも神の国の福音を宣べ伝えねばならない(ルカ4:38~44)

    (今回は、神の国をひろげるために世に遣わされたキリスト、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・4章の38~44節より 『イエスは会堂を出てシモン(=まもなく弟子になるペテロ)の家におはいりになった。ところがシモンのしゅうとめ(=妻の母)が高い熱を病んでいたので、人々は彼女のためにイエスにお願いした。そこで、イエスはそのまくらもとに立って、熱が引くように命じられると(=ことばによって癒(いや)されると)、熱は引き、女はすぐに起き上がって、彼らをもてなした。日が暮れると(=安息日がおわり日曜になると(=なおユダヤ人にとっての日付の変わり目は日没です))、いろいろな病気になやむ者をかかえ…

  • これは、いったい、なんという言葉だろう。権威と力とをもって汚れた霊に命じられると、彼らは出て行くのだ(ルカ4:31~37)

    (今回は、キリストのことばによって、人から追いだされる悪霊、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・4章の31~37節より 『それから、イエスはガリラヤの町カペナウム(=ガリラヤ湖の北)に下って行かれた。そして安息日(=労働をしてはならない日、土曜日のこと)になると、人々を(=聖書について)お教えになったが、その言葉に権威があったので(=聖書の学者(ラビ)が語るようにではなく、まさに神からの権威に満ちていたので)、彼らはその教に驚いた。すると、汚(けが)れた悪霊につかれた人が会堂(=ユダヤ教徒の集まり、シナゴーグ)にいて、大声で叫び出した、「ああ、ナザレのイエスよ、あなたはわたしたち…

  • みな憤りに満ち、立ち上がってイエスを町の外へ追い出し、その町が建っている丘のがけまでひっぱって行って、突き落そうとした(ルカ4:25~30)

    (今回は、イエスの話に怒りをおぼえ、殺そうとするナザレの人々、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・4章の25~30節より(以下はキリストのおことばです) 『よく聞いておきなさい。エリヤ(=旧約聖書にでてくる神からの使者)の時代に、三年六か月にわたって天が閉じ(=雨が降らず)、イスラエル全土に大ききんがあった際、そこには多くのやもめ(=夫のいない女、また夫を失った女)がいたのに、エリヤはそのうちのだれにもつかわされないで(=神に民イスラエルであるのに、信仰がなかったためにつかわされず)、ただシドンのサレプタ(=イスラエルの地のさらに北。現在のレバノン南部)にいるひとりのやもめ(=イ…

  • 「医者よ、自分自身をいやせ」ということわざを引いて、カペナウムで行われたと聞いていた事を、あなたの郷里のこの地でもしてくれ、と言うであろう(ルカ4:20~24)

    (今回は、イエスが何らかの奇跡を見せてくれないかぎり、救い主とは認めまいとするナザレの人々、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・4章の20~24節より 『イエスは聖書を(=朗読した救い主の到来に関するイザヤ書を)巻いて係りの者に返し、席に着かれると、会堂(=ユダヤ教徒の集まり、シナゴーグ)にいるみんなの者の目がイエスに注がれた。そこでイエスは、「この聖句は(=キリスト到来のこの聖句は)、あなたがたが耳にしたこの日に(=目の前にいるイエスご自身によって)成就した」と説きはじめられた。すると、彼らはみなイエスをほめ(=本当に救い主かもしれないと期待をもって褒め)、またその口から出て来…

  • 打ちひしがれている者に自由を得させ、主のめぐみの年を告げ知らせるのである(ルカ4:14~19)

    (今回は、キリストによって、罪からの解放と自由がともなった福音がのべつたえられる、ということについてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・4章の14~19節より 『それからイエスは御霊(みたま)の力に満ちあふれてガリラヤ(=イスラエルの地の北部、故郷ナザレのある地方)へ帰られると、そのうわさがその地方全体にひろまった。イエスは諸会堂(=ユダヤ人が神を礼拝するいくつもの会堂(シナゴーグ))で教え、みんなの者から尊敬をお受けになった。それからお育ちになったナザレに行き、安息日(=労働をしてはならない日、土曜日のこと。律法(=神からの指針)にそう定められています)にいつものように会堂にはいり、聖…

  • イエスは答えて言われた、「『主なるあなたの神を試みてはならない』と言われている」(ルカ4:9~13)

    (今回は、神を試みてはならない、ということについてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・4章の9~13節より 『それから悪魔はイエスをエルサレムに連れて行き、宮(=エルサレム神殿)の頂上に立たせて(=おそらく神殿の南東の角、ケデロンの谷をのぞかせて)言った、「もしあなたが神の子であるなら、ここから下へ飛びおりてごらんなさい。『神はあなたのために、御使(みつかい)たちに命じてあなたを守らせるであろう(詩篇91:11)』とあり、また、『あなたの足が石に打ちつけられないように、彼らはあなたを手でささえるであろう(詩篇91:12)』とも書いてあります(=悪魔はイエスをまねて聖書から引用して、神の子…

  • イエスは答えて言われた、「『主なるあなたの神を拝し、ただ神にのみ仕えよ』と書いてある」(ルカ4:5~8)

    (今回は、人を恵みとあわれみをもって養っておられる神にのみ仕える、ということについてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・4章の5~8節より 『それから、悪魔はイエスを高い所へ(=荒野の高い場所へ)連れて行き、またたくまに世界のすべての国々を見せて(=おそらく幻をまじえて世界中を見せて)言った、「これらの国々の権威(=支配がいきわたって確立されている権力)と栄華(=国々の繁栄によってうるおっている富)とをみんな、あなたにあげましょう。それらはわたしに任せられていて(=この世は悪魔の支配下にあり、そして神がそれを一時的に許可されていて)、だれでも好きな人に(=自分が好んだ者に)あげてよいので…

  • イエスは答えて言われた、「『人はパンだけで生きるものではない』と書いてある」(ルカ4:1~4)

    (今回は、人は神から離れては人として生きられない、ということについてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・4章の1~4節より 『さて、イエスは聖霊に(=鳩のような姿をとってくだった神の霊に)満ちてヨルダン川から(=ヨハネからバプテスマをうけた川から)帰り、荒野を四十日(=聖書では40という期間は、ときに試練や苦難に対してもちいられます)のあいだ御霊(みたま=神の霊)にひきまわされて(=みちびかれて)、悪魔(サタン)の試みにあわれた(=本格的な宣教に入る前に、まず聖霊がしたことは、イエスを試練にあわせることでした。ある意味、救い主としての資格の有無をためされたのです)。そのあいだ何も食べず、…

  • あなたはわたしの愛する子、わたしの心にかなう者である(ルカ3:21~38)

    (今回は、キリストの宣教への承認ともいうべき神からの声、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・3章の21~38節より 『さて、民衆がみなバプテスマを(=ヨハネからの、罪を清めるために身を水にひたす儀式を)受けたとき、イエスも(=ヨハネからの)バプテスマを受けて祈っておられると、天が開けて、聖霊が(=これから世に神を証しするための宣教をとおして、キリストとともにはたらかれる神の霊が)はとのような姿をとってイエスの上に下り、そして天から(=父なる神の)声がした、「あなたはわたしの愛する子(=キリストは根本的な意味において神の子です)、わたしの心にかなう者である(=こうしてキリストは、バ…

  • このかたは、聖霊と火とによっておまえたちにバプテスマをお授けになるであろう(ルカ3:16~20)

    (今回は、キリストの聖霊と火のバプテスマによる清め、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・3章の16~20節より 『そこでヨハネはみんなの者に(=ヨハネが救い主ではないかと考えている群衆に)むかって言った、「わたしは水で(=川などで)おまえたちにバプテスマを(=罪を清めるために、身を水にひたす儀式を)授けるが、わたしよりも力のあるかた(=救い主であるキリスト)が、おいでになる。わたしには、そのくつのひもを解く値うちもない(=ひもを解くのは異邦人奴隷の仕事です。ヨハネはそれよりも低く自分をおいています)。このかたは、聖霊(=信者にやどすことで新しく生まれ変わらせる神の霊)と火(=不要…

  • 下着を二枚もっている者は、持たない者に分けてやりなさい。食物を持っている者も同様にしなさい(ルカ3:10~15)

    (今回は、悔い改めにふさわしいふるまいを説くヨハネ、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・3章の10~15節より 『そこで群衆が(=悔い改めにふさわしい実を結べとヨハネに言われた群衆が)彼に、「それでは、わたしたちは何をすればよいのですか」と尋ねた。彼は答えて言った、「下着を二枚もっている者は、持たない者に分けてやりなさい。食物を持っている者も同様にしなさい(=要は貧(まず)しい隣人に愛をもって接し、わけあたえてやりなさいということ)」。取税人(しゅぜいにん=ローマの許可の下で税をとりたてる人)もバプテスマを(=罪を清めるために、身を川などの水にひたす儀式を)受けにきて、彼に言った…

  • まむしの子らよ、迫ってきている神の怒りから、のがれられると、おまえたちにだれが教えたのか(ルカ3:7~9)

    (今回は、神のさばきをのがれたいがために集まってくる群衆、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・3章の7~9節より 『さて、ヨハネは、彼からバプテスマを(=罪を清めるために、身を川などの水にひたす儀式を)受けようとして出てきた群衆にむかって言った、「まむしの子らよ(=神から離れ、悪魔(サタン)に属している者たちよ)、迫ってきている神の怒りから、のがれられると、おまえたちにだれが教えたのか(=ヨハネは罪の悔い改めを説いていました。にもかかわらず、群衆にはどういうわけか、神のさばきからのがれられるという話が中心となって、こうして自分は助かりたいとの思いで集まってきていたものと思います。…

  • 荒野で呼ばわる者の声がする、「主の道を備えよ、その道筋をまっすぐにせよ」(ルカ3:4~6)

    (今回は、当時の約700年前に預言されていたとおりに、キリストの先駆者としてあらわれたヨハネ、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・3章の4~6節より 『それは(=ヨハネが悔い改めのバプテスマ(=罪を清めるために、身を川などの水にひたす儀式)をおこないはじめたのは)、預言者イザヤ(=旧約聖書にでてくる神からの使者(ユダヤ人)。なお預言者とは、神から預(あず)かった言葉を告げる者であり、文字どおりこれからおこることなどを預言する者です)の言葉の書(=旧約聖書のイザヤ書のこと。なおこの書は当時の700年ほど前に書かれました)に書いてあるとおりである(イザヤ40:3~5)。すなわち「荒野…

  • 彼はヨルダンのほとりの全地方に行って、罪のゆるしを得させる悔改めのバプテスマを宣べ伝えた(ルカ3:1~3)

    (今回は、ヨハネによる悔い改めのバプテスマ(洗礼)、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・3章の1~3節より 『皇帝テベリオ(=イエスの両親も従った人口調査の命令をだしたアウグストの次のローマ皇帝)在位の第十五年(=十五年目)、ポンテオ・ピラトがユダヤの総督(=ローマ領のユダヤ属州(ユダヤ、サマリア、イドマヤをあわせた地域)を治めるそうとくで、この地域の最高権力者)、ヘロデがガリラヤの領主(=ユダヤ属州の北、ガリラヤ地方の政治的な権力をあわせもつ領主)、その兄弟(=ヘロデの兄弟)ピリポがイツリヤ・テラコニテ地方(=ガリラヤの北東)の領主、ルサニヤがアビレネ(=イツリヤの北)の領主、…

  • どうしてお捜しになったのですか。わたしが自分の父の家にいるはずのことを、ご存じなかったのですか(ルカ2:48~52)

    (今回は、神の御子としての自覚をもたれている少年のイエス、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・2章の48~52節より 『両親はこれを見て驚き(=迷子と思っていたイエスが、エルサレム神殿で律法学者たちと神について語りあっているのにおどろき)、そして母(=マリヤ)が彼に言った、「どうして(=一緒に帰らずに)こんな事をしてくれたのです(=この表現から、おそらくイエスはひと区切りつくなりして、輪の外につれだされています)。ごらんなさい、おとう様(=父のヨセフ)もわたしも心配して、あなたを捜(さが)していたのです」。するとイエスは言われた、「どうしてお捜しになったのですか。わたしが自分の父…

  • そして三日の後に、イエスが宮の中で教師たちのまん中にすわって、彼らの話を聞いたり質問したりしておられるのを見つけた(ルカ2:41~47)

    (今回は、少年にして神にもとづいた知恵に富まれているイエス、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・2章の41~47節より 『さて、イエスの両親は、過越の祭(すぎこしのまつり=かつてエジプトの奴隷だったイスラエルの民(ユダヤ人)を、神がエジプトに災いをもたらして脱出させたことにちなんだまつり)には毎年エルサレムへ上っていた。イエスが十二歳になった時も、慣例に従って祭のために(=エルサレム神殿で神を礼拝するために(申命記16:16))上京した。ところが、祭が終って帰るとき、少年イエスはエルサレムに居残っておられたが、両親はそれに気づかなかった。そして道連れ(みちづれ=一緒に帰っている同…

  • この老女も、ちょうどそのとき近寄ってきて、神に感謝をささげ、そしてこの幼な子のことを、エルサレムの救を待ち望んでいるすべての人々に語りきかせた(ルカ2:36~40)

    (今回は、老女アンナによる、このイエスが救い主なのだという預言、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・2章の36~40節より 『また、アセル族(=イスラエルの12部族の一つ)のパヌエル(=ヨルダン川中流の東にある地名)の娘で、アンナという女預言者(=神からの使者)がいた。彼女は非常に年をとっていた。むすめ時代にとついで、七年間だけ夫と共に住み、その後やもめぐらし(=夫を失った生活)をし、八十四歳になっていた。そして宮(=エルサレム神殿)を離れずに夜も昼も断食(=だんじきとは、食事を断つ肉体的な苦痛をとおして、悔いあらためや畏れ(おそれ=敬(うやま)い、尊(たっと)ぶこと)をもって神…

  • この幼な子は、イスラエルの多くの人を倒れさせたり立ちあがらせたりするために、また反対を受けるしるしとして、定められています(ルカ2:33~35)

    (今回は、イスラエルの民を二分するキリスト、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・2章の33~35節より 『父と母とは(=イエスの父ヨセフと母マリヤは)幼な子(=イエス)についてこのように語られたことを(=イスラエルの民だけでなく全世界の救い主になるとの預言をうけて)、不思議に思った(=初対面の老人シメオンから、以前にみつかいのガブリエルから聞かされた以上の、神の壮大な計画を知らされておどろいた)。するとシメオンは彼らを祝し、そして母マリヤに言った、「ごらんなさい、この幼な子は、イスラエルの多くの人を倒れさせたり(=イエスが神のみわざをしめすことで、かえって多くのユダヤ人をつまづか…

  • この救はあなたが万民のまえにお備えになったもので、異邦人を照す啓示の光、み民イスラエルの栄光であります(ルカ2:22~32)

    (今回は、全世界の救い主となられるイエスキリスト、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・2章の22~32節より 『それから、モーセの律法(=モーセは、かつてエジプトの奴隷だったイスラエルの民を救出したリーダーです。その彼に、神が律法としてあたえた、神の民としての指針)による彼ら(=イエスの父と母)のきよめの期間(=女性は男の子を産んだ際には、40日間の清めの日を要します(レビ12:2~4)。夫のヨセフもマリヤにつきそっていました)が過ぎたとき、両親は幼な子(=イエス)を連れてエルサレムへ上った。それは主(=神)の律法に「母の胎を初めて開く男の子(=長男)はみな、主に聖別された者(=…

  • さあ、ベツレヘムへ行って、主がお知らせ下さったその出来事を見てこようではないか(ルカ2:15~21)

    (今回は、実際にイエスの誕生を見にいくひつじかいたち、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・2章の15~21節より 『御使たちが(=キリストの誕生にあたって神を賛美していたみつかいたちが)彼らを(=ひつじかいたちを)離れて天に帰ったとき、羊飼たちは「さあ、ベツレヘムへ(=キリストが生まれた町へ)行って、主が(=神が)お知らせ下さったその出来事を見てこようではないか」と、互に語り合った。そして急いで行って、マリヤとヨセフ(=イエスの母と父)、また飼葉おけ(かいばおけ=家畜のえさをいれるおけ)に寝かしてある幼な子(イエス)を捜(さが)しあてた。彼らに会った上で、この子について自分たちに…

  • きょうダビデの町に、あなたがたのために救主がお生れになった。このかたこそ主なるキリストである(ルカ2:8~14)

    (今回は、みつかいが羊飼たちにキリストの誕生をつたえるシーン、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・2章の8~14節より 『さて、この地方で(=ベツレヘムのあたりで)羊飼(ひつじかい)たちが夜、野宿しながら羊の群れの番をしていた。すると主(=神)の御使(みつかい)が現れ、主の栄光が(=ここでは神のご存在が目で見えるものとしてあらわされた光のようなものが)彼らをめぐり照したので、彼らは非常に恐れた。御使は言った、「恐れるな。見よ、すべての民に(=イスラエルのすべての人々に)与えられる大きな喜びを、あなたがたに伝える。きょうダビデ(=かつてのイスラエルの王)の町(=ベツレヘム)に、あな…

  • ところが、彼らがベツレヘムに滞在している間に、マリヤは月が満ちて、初子を産み、布にくるんで、飼葉おけの中に寝かせた(ルカ2:1~7)

    (今回は、家畜用のおけに寝かされるキリスト、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・2章の1~7節より 『そのころ(=キリストの先駆者となるヨハネが生まれたころ)、全世界の(=ローマ帝国内の)人口調査をせよ(=税を集めるための調査をせよ)との勅令(ちょくれい)が、皇帝アウグストから出た(=アウグストとは称号のことで、実際の名はオクタヴィアヌスです)。これは、クレニオがシリヤの総督(=ローマによって立てられたそうとく)であった時に行われた最初の人口調査であった(=皇帝からの命令をうけたクレニオのもとで調査がはじめられました)。人々はみな登録をするために、それぞれ自分の町へ(=自分の戸籍…

  • 主のみまえに先立って行き、その道を備え、罪のゆるしによる救をその民に知らせるのであるから(ルカ1:76~80)

    (今回は、ヨハネによるキリストのための準備に関する預言、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・1章の76~80節より(以下はザカリヤの預言です) 『「幼な子よ(=生まれてまもないザカリヤの息子、ヨハネよ)、あなたは、いと高き者の預言者(=神から遣わされた預言者)と呼ばれるであろう。主の(=キリストの)みまえに先立って行き、その道を備え(=キリストによる宣教を人々にとどきやすくし(イザヤ40:3、マラキ3:1))、罪のゆるしによる救を(=罪をあがなうことでもたらされるキリストによる救いを)その民に知らせるのであるから。これはわたしたちの神のあわれみ深い(=一方的な恵みである)みこころ…

  • 神はその民を顧みてこれをあがない、わたしたちのために救の角を僕ダビデの家にお立てになった(ルカ1:67~75)

    (今回は、救い主イエスキリストのあらわれを預言するザカリヤ、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・1章の67~75節より 『父(=ヨハネの父となった)ザカリヤは聖霊(=神の霊)に満たされ、預言して言った、「主なるイスラエルの神は、ほむべきかな(=神は全人類を救う計画をお持ちですが、まずその第一歩としてアブラハムを選ばれました。彼の出身はウル(現在のイラクの南部)であり、この彼がカナン(現在のイスラエルのあたり)に入りました。そして子孫があたえられていくわけですが、この彼からイサク、ヤコブを経て、神の民となるイスラエル(ユダヤ人)が誕生しました。ザカリヤもユダヤ人なので、こうして神を…

  • ところが、母親は、「いいえ、ヨハネという名にしなくてはいけません」と言った(ルカ1:57~66)

    (今回は、神のみこころどおりに、子にヨハネと名づける、ということについてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・1章の57~66節より 『さてエリサベツは月が満ちて、男の子を産んだ。近所の人々や親族は、主が(=神が)大きなあわれみを彼女に(=不妊の彼女に)おかけになったことを聞いて、共どもに喜んだ。八日目になったので、幼な子に割礼(かつれい=ユダヤ人は、神とアブラハムが交わした契約のとおりに、男子にかぎり、かつ赤子のときに、性器の包皮の一部を切除する必要があります)をするために人々がきて、父の名にちなんでザカリヤという名にしようとした。ところが、母親は、「いいえ、ヨハネという名(=みつかいの…

  • わたしの魂は主をあがめ、わたしの霊は救主なる神をたたえます(ルカ1:46~56)

    (今回は、マリヤの賛歌、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・1章の46~56節より 『すると(=エリサベツからの、あなたは神に祝福されているとのことばをきいて)マリヤは(=イエスをみごもったマリヤは)言った、「わたしの魂は主(=神)をあがめ、わたしの霊は救主なる神を(=救い主である神の御子(みこ)を、すなわちイエスキリストを)たたえます。この卑(いや)しい(=みすぼらしく、とるに足りない)女をさえ、心にかけてくださいました。今からのち代々の人々は(=今後のすべての世代の人々は)、わたしをさいわいな女と言うでしょう、力あるかたが(=神が)、わたしに大きな事をしてくださったからです(…

  • 聖霊があなたに臨み、いと高き者の力があなたをおおうでしょう。それゆえに、生れ出る子は聖なるものであり、神の子と、となえられるでしょう(ルカ1:34~45)

    (今回は、聖霊によってやどされるキリスト、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・1章の34~45節より 『そこでマリヤは御使(みつかい)に言った、「どうして、そんな事があり得ましょうか(=どのようにして子をさずかることがおこりえるでしょうか)。わたしにはまだ夫がありませんのに」。御使が答えて言った、「聖霊が(=神の霊が)あなたに臨(のぞ)み、いと高き者(=神)の力があなたをおおうでしょう。それゆえに(=夫との関係をもたずに、いわば処女降誕によって)、生れ出る子は(=イエスキリストは)聖なるものであり(=神性をともなっており)、神の子と、となえられるでしょう。あなたの親族エリサベツも…

  • 見よ、あなたはみごもって男の子を産むでしょう。その子をイエスと名づけなさい(ルカ1:26~33)

    (今回は、ガブリエルによるキリストの誕生に関する預言、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・1章の26~33節より 『六か月目に(=エリサベツがヨハネをみごもった六か月目に)、御使(みつかい)ガブリエルが、神からつかわされて、ナザレというガリラヤ(=イスラエルの地の北部)の町の一処女のもとにきた。この処女はダビデ家(=かつて神への信仰をもっていたイスラエルの王家)の出であるヨセフという人のいいなづけ(=婚約関係)になっていて、名をマリヤといった。御使がマリヤのところにきて言った、「恵まれた女よ、おめでとう、主があなたと共におられます」。この言葉にマリヤはひどく胸騒ぎがして、このあい…

  • どうしてそんな事が、わたしにわかるでしょうか。わたしは老人ですし、妻も年をとっています(ルカ1:18~25)

    (今回は、御使いであるガブリエルの話を信じないザカリヤ、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・1章の18~25節より 『するとザカリヤは(=ヨハネを子としてさずかるとつげられたザカリヤは)御使(みつかい)に言った、「どうしてそんな事が、わたしにわかる(=みとめられる)でしょうか。わたしは老人ですし、妻も年をとっています(=子を宿せる年齢ではありません)」。御使が答えて言った、「わたしは神のみまえに立つガブリエルであって、この喜ばしい知らせをあなたに語り伝えるために、つかわされたものである。時が来れば成就するわたしの言葉を(=神からたくされたことばを)信じなかったから、あなたはおしに…

  • 彼はエリヤの霊と力とをもって、みまえに先立って行き、父の心を子に向けさせ、逆らう者に義人の思いを持たせて、整えられた民を主に備えるであろう(ルカ1:8~17)

    (今回は、キリストの先駆者としてのヨハネの誕生に関する預言、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・1章の8~17節より 『さてザカリヤ(=アビヤの組の祭司)は、その組が当番になり神のみまえに祭司の務(つとめ)をしていたとき、祭司職の慣例(かんれい)に従ってくじを引いたところ、主の聖所(せいじょ=エルサレム神殿内の神聖な場所)にはいって香(=神への奉仕としてこう)をたくことになった。香をたいている間、多くの民衆は(=ユダヤ人は)みな外で祈っていた。すると主の御使(みつかい)が現れて、香壇(こうだん)の右に立った。ザカリヤはこれを見て、おじ惑い(=取り乱し)、恐怖の念に襲われた。そこで…

  • すでにお聞きになっている事が確実であることを、これによって十分に知っていただきたいためであります(ルカ1:1~7)

    (今回は、この福音書は、ルカがローマの高官宛てに書いたものとしてつづられている、ということについてふれたいと思います) ※なお今日から “ルカによる福音書” にはいりますが、当時のユダヤ人が住んでいる地域は(=現在のイスラエルの辺りは)、ローマ帝国の支配下にありました。キリストはこの地にユダヤ人としてお生まれになり、ユダヤ人に宣教をしていくことになります。この時代背景をおさえておくと、理解の手助けとなります。 ・ルカによる福音書・1章の1~7節より 『わたしたちの間に成就された出来事を(=キリストがユダヤ人の住む地域でなさったできごとを)、最初から親しく見た人々であって(=キリストが宣教をはじ…

  • そして彼のあかしが真実であることを、わたしたちは知っている(ヨハネ21:24~25)

    (今回は、ヨハネがキリストについて書いた福音書は、すべて真実である、ということについてふれたいと思います) ・ヨハネによる福音書・21章の24~25節より 『これらの事について(=キリストがなさった神のみわざや、お語りになったことについて)あかしをし、またこれらの事を書いたのは(=ヨハネによる福音書として書きのこしたのは)、この弟子(=ヨハネ)である。そして彼(=ヨハネ自身)のあかしが真実であることを、わたしたちは(=当時キリストとともに過ごし、復活を目の当たりにした者たち。また当時のヨハネをとおしてキリストを信じるにいたった者たち。さらに広い意味では、キリストを信じることで聖霊をさずかった今…

  • たとい、わたしの来る時まで彼が生き残っていることを、わたしが望んだとしても、あなたにはなんの係わりがあるか(ヨハネ21:22~23)

    (今回は、ペテロにはペテロの信仰の歩みがあるとつたえるキリスト、についてふれたいと思います) ・ヨハネによる福音書・21章の22~23節より 『イエスは彼に(=弟子のヨハネの将来を尋ねたペテロに)言われた、「たとい(たとえ)、わたしの来る時まで(=昇天後に再び天から来るときまで。信者にとっての携挙(けいきょ)のときまで(テサロニケ一・4:15~17))彼が(=ヨハネが)生き残っていることを、わたしが望んだとしても(=仮に望んだとしても)、あなたにはなんの係わりがあるか(=ペテロにはペテロの信仰の歩みがあり、神がそれを用意されるのだから、ヨハネがどのようにみちびかれて歩んでいくのかは、あなたには…

  • しかし年をとってからは、自分の手をのばすことになろう。そして、ほかの人があなたに帯を結びつけ、行きたくない所へ連れて行くであろう(ヨハネ21:18~21)

    (今回は、ペテロの殉教を預言されるキリスト、についてふれたいと思います) ・ヨハネによる福音書・21章の18~21節より(以下はキリストのおことばです) 『よくよくあなたに(=弟子のペテロに)言っておく。あなたが若かった時には、自分で帯(=腰のおび)をしめて、思いのままに歩きまわっていた(=思いのままに伝道もしていた)。しかし年をとってからは(=年をとってからの死に際(ぎわ)には)、自分の手をのばすことになろう(=手を伸ばされて、自由をうばわれるだろう)。そして、ほかの人があなたに帯を結びつけ(=縄(なわ)をかけ)、行きたくない所へ(=処刑の場へ)連れて行くであろう」。これは、ペテロがどんな死…

  • イエスは三度目に言われた、「ヨハネの子シモンよ、わたしを愛するか」(ヨハネ21:16~17)

    (今回は、ペテロの愛を三度たしかめられるキリスト、についてふれたいと思います) ・ヨハネによる福音書・21章の16~17節より 『またもう一度彼に(=以前キリストを見捨て、心にしこりをのこしているペテロに)言われた、「ヨハネの子シモン(=ペテロ)よ、わたしを愛するか(=キリストはここでもアガパオーという愛のことばをもちいて、わたしを見返りをもとめない一方的な愛で愛するかと尋ねています)」。彼はイエスに言った、「主よ、そうです。わたしがあなたを愛することは、あなたがご存じです(=キリストを見捨てたペテロには、アガパオーという一方的にそそぐ愛のことばでは返答できません。そこでフィレオーという友情の…

  • 彼らが食事をすませると、イエスはシモン・ペテロに言われた、「ヨハネの子シモンよ、あなたはこの人たちが愛する以上に、わたしを愛するか」(ヨハネ21:15)

    (今回は、教会の指導者となるペテロを、少しずつ整えられるキリスト、についてふれたいと思います) ・ヨハネによる福音書・21章の15節より 『彼らが(=漁(りょう)にでていた弟子たちが)食事をすませると、イエスはシモン・ペテロに(=キリストが捕らえられたときに逃げだし、また裁判をうけているときに、キリストを三度知らないと他人のふりをしたペテロ。心にそうしたしこりをのこしているペテロに)言われた、「ヨハネ(=ペテロの父の名。この福音書を書いたヨハネとは別人です)の子シモンよ、あなたはこの人たちが(=他の弟子たちが)愛する以上に(=なおここの直訳は、これらよりも、であり、この場合は目の前のパンや、大…

  • イエスが死人の中からよみがえったのち、弟子たちにあらわれたのは、これで既に三度目である(ヨハネ21:9~14)

    (今回は、世にでて伝道することになる弟子たちを、少しずつ整えられるキリスト、についてふれたいと思います) ・ヨハネによる福音書・21章の9~14節より 『彼らが陸に上って見ると、炭火がおこしてあって、その上に魚がのせてあり、またそこにパンがあった(=これらは神のみわざとして、この場で無から有を生じさせたものと思います)。イエスは彼らに言われた、「今とった魚を(=神の恵みによってあたえられた魚を)少し持ってきなさい」。シモン・ペテロが行って、網(あみ)を陸へ引き上げると、百五十三びきの大きな魚でいっぱいになっていた(=彼らはこの収獲の多さに、キリストをとおして神がともにおられるのを感じたものと思…

  • すると、イエスは彼らに言われた、「舟の右の方に網をおろして見なさい。そうすれば、何かとれるだろう」(ヨハネ21:4~8)

    (今回は、弟子たちの成長をひきだすために声をかけるキリスト、についてふれたいと思います) ・ヨハネによる福音書・21章の4~8節より 『夜が明けたころ、イエスが岸に立っておられた。しかし弟子たちはそれがイエスだとは知らなかった(=夜があけたころで、岸まで距離があったので、キリストだとわかりませんでした。ですが、こうした物理的な面もあったでしょうが、今後自分たちがどうキリストに従い、伝道をしていくのか、このあたりの霊における迷いも暗示しているように思います)。イエスは彼らに言われた、「子たちよ、何か食べるものがあるか(=キリストはこうした会話から、彼らの成長をひきだされます)」。彼らは「ありませ…

  • そののち、イエスはテベリヤの海べで、ご自身をまた弟子たちにあらわされた(ヨハネ20:30~21:3)

    (今回は、ガリラヤ湖の岸辺で、再び弟子たちにあらわれるキリスト、についてふれたいと思います) ・ヨハネによる福音書・20章の30~21章の3節より『イエスは、この書に(=ヨハネによる福音書に)書かれていないしるし(=神を証しするための、病のいやしといった神のみわざ、奇跡)を、ほかにも多く、弟子たちの前で行われた。しかし、これらのことを書いたのは(=その中からこうして福音書として書いてきたのは)、あなたがたがイエスは神の子キリスト(=神の御子(みこ)であり、世の救い主)であると信じるためであり、また、そう信じて、イエスの名によって(=イエスキリストのご存在そのものによって)命を(=永遠のいのちを…

  • イエスは彼に言われた、「あなたはわたしを見たので信じたのか。見ないで信ずる者は、さいわいである(ヨハネ20:24~29)

    (今回は、目で見たことのないものを信じる、信仰の本来のすがた、についてふれたいと思います) ・ヨハネによる福音書・20章の24~29節より 『十二弟子のひとりで、デドモ(=双子という意味)と呼ばれているトマスは、イエスが(=復活したキリストが)こられたとき、彼らと一緒にいなかった。ほかの弟子たちが、彼に「わたしたちは主にお目にかかった」と言うと、トマスは彼らに言った、「わたしは、その手に釘あと(=十字架にかけられたときのくぎあと)を見、わたしの指をその釘あとにさし入れ、また、わたしの手をそのわきに(=十字架による死亡の確認のためにやりで刺されたわきに)さし入れてみなければ、決して信じない」。八…

  • そう言って、彼らに息を吹きかけて仰せになった、「聖霊を受けよ」(ヨハネ20:19~23)

    (今回は、息を吹きかけて弟子たちに聖霊をあたえるキリスト、についてふれたいと思います) ・ヨハネによる福音書・20章の19~23節より 『その日、すなわち、一週の初めの日(=キリストが早朝には復活していた日曜日)の夕方、弟子たちはユダヤ人をおそれて(=キリストを訴えたユダヤ人たちが、自分たちも捕らえて殺すのではないかとおそれて)、自分たちのおる所の戸をみなしめていると、イエス(=復活したキリスト)がはいってきて(=戸を閉めきっているにもかかわらず入ってきて)、彼らの中に立ち、「安(やす)かれ(=平安があるように)」と言われた。そう言って、手とわきとを(=十字架にかけられた際に杭(くい)をうたれ…

  • わたしは、わたしの父またあなたがたの父であって、わたしの神またあなたがたの神であられるかたのみもとへ上って行く(ヨハネ20:17~18)

    (今回は、弟子たちを、神の家族として兄弟と呼ばれるキリスト、についてふれたいと思います) ・ヨハネによる福音書・20章の17~18節より 『イエスは彼女に(=マリヤに)言われた、「わたしにさわってはいけない(=ここは、すがりついてはいけない、という訳(2017新改訳、新共同訳、エマオ出版訳)のほうがいいと思います。マリヤは、生きているキリストに感情がおさえられず、その足にすがりつきました(マタイ28:9)。しかしこういう態度は、これから神の右の座につくために、昇天しなければならないキリストが望まれるものではありません。昇天後には、彼女にも聖霊(助け主)がやどされるので、彼女自身の益となるのです…

  • イエスは女に言われた、「女よ、なぜ泣いているのか。だれを捜しているのか」(ヨハネ20:11~16)

    (今回は、復活に気づかず、目がさえぎられているマリヤに呼びかけるキリスト、についてふれたいと思います) ・ヨハネによる福音書・20章の11~16節より 『しかし、マリヤ(=かつてキリストに悪霊を追いだしてもらった女性(ルカ8:2))は墓の外に立って泣いていた。そして泣きながら、身をかがめて墓の中をのぞくと、白い衣を着たふたりの御使(みつかい=天使)が、イエスの死体のおかれていた場所に、ひとりは頭の方に、ひとりは足の方に、すわっているのを見た。すると、彼らはマリヤに、「女よ、なぜ泣いているのか」と言った。マリヤは彼ら(=マリヤは彼らがみつかいだと気づいていません)に言った、「だれかが、わたしの主…

  • すると、先に墓に着いたもうひとりの弟子もはいってきて、これを見て信じた(ヨハネ20:1~10)

    (今回は、墓にキリストのすがたがないのを見て、その復活を信じたペテロとヨハネ、についてふれたいと思います) ・ヨハネによる福音書・20章の1~10節より 『さて、一週の初めの日に(=日曜日に)、朝早くまだ暗いうちに、マグダラのマリヤ(=かつてキリストに悪霊を追いだしてもらった女性(ルカ8:2))が墓に行くと、墓から石がとりのけてあるのを見た。そこで走って、シモン・ペテロ(=12人の弟子の一人)とイエスが愛しておられた、もうひとりの弟子(=ヨハネ)のところへ行って、彼らに言った、「だれかが、主を墓から取り去りました(=死んでいるキリストを移動させました)。どこへ置いたのか、わかりません」。そこで…

  • 彼らは、イエスの死体を取りおろし、ユダヤ人の埋葬の習慣にしたがって、香料を入れて亜麻布で巻いた(ヨハネ19:38~42)

    (今回は、ヨセフとニコデモによるキリストの埋葬、についてふれたいと思います) ・ヨハネによる福音書・19章の38~42節より 『そののち(=キリストが十字架で死なれたのち)、ユダヤ人をはばかって(=ユダヤ教の共同体から追いだされるのを恐れて)、ひそかにイエスの弟子となったアリマタヤ(=エルサレムからやや離れた北西の町)のヨセフ(=サンヘドリンというユダヤ議会の議員)という人が、イエスの死体を取りおろしたいと、ピラトに(=ローマ総督に)願い出た。ピラトはそれを許したので、彼はイエスの死体を取りおろしに行った。また、前に、夜、イエスのみもとに行ったニコデモ(=パリサイ人でユダヤ人指導者)も、没薬(…

  • それを見た者があかしをした。そして、そのあかしは真実である(ヨハネ19:35~37)

    (今回は、神であるキリストが、同時に人間となられて地上にきたのを強調するヨハネ、についてふれたいと思います) ・ヨハネによる福音書・19章の35~37節より 『それを見た者が(=キリストの足が折られずに、またやりで刺されて血と水がながれでたのを(=すなわちキリストが人間としての肉体をもっておられたのを)見た、弟子のヨハネが)あかしをした(=こうしてヨハネの福音書に書きのこした)。そして、そのあかしは真実である。その人は、自分が真実を語っていることを(=目撃したままに語っていることを、なにより自分自身が)知っている。それは(=こうして真実を語っているのをくりかえし強調するのは)、あなたがたも信ず…

  • しかし、ひとりの兵卒がやりでそのわきを突きさすと、すぐ血と水とが流れ出た(ヨハネ19:31~34)

    (今回は、神であるキリストは、同時に人間となられてこの地上にきた、ということについてふれたいと思います) ・ヨハネによる福音書・19章の31~34節より 『さてユダヤ人たちは、その日が準備の日(=かつて神がイスラエルの民を、エジプトから脱出させたのを祝う過越(すぎこし)の前日、金曜日)であったので、安息日に(=次の日の、労働をしてはならない土曜日に)死体を十字架の上に残しておくまいと(=ユダヤ人には、死体を木にとどめていてはならないとの教えがあり、その日のうちに埋めなければなりません(申命記21:22~23))、(特にその安息日は大事な日(=年に一度の過越を祝う日)であったから)、ピラトに(=…

  • すると、イエスはそのぶどう酒を受けて、「すべてが終った」と言われ、首をたれて息をひきとられた(ヨハネ19:28~30)

    (今回は、死に際に罪のあがないの完了を宣言されるキリスト、についてふれたいと思います) ・ヨハネによる福音書・19章の28~30節より 『そののち(=キリストがマリアとヨハネに対して、たがいに母と子としてむかえるようにのべられたのち)、イエスは今や万事が終ったことを知って(=これまで神の証しをしつづけ、そしてこうして十字架の上で、世の罪をあがなうための神のさばきをうけきったのを知って。要は人々の罪に対する神の怒り、その怒りをなだめるいけにえとしての血をながしきったのを知って)、「わたしは、かわく」と言われた(=死がもたらす苦しみ、そのかわきをおぼえておられます。これは詩篇69:21にあることば…

  • それからこの弟子に言われた、「ごらんなさい。これはあなたの母です」。そのとき以来、この弟子はイエスの母を自分の家に引きとった(ヨハネ19:23~27)

    (今回は、死にゆくにあたってマリアを気にかけられるキリスト、についてふれたいと思います) ・ヨハネによる福音書・19章の23~27節より 『さて、兵卒(=ローマ兵)たちはイエスを十字架につけてから、その上着をとって四つに分け、おのおの、その一つを取った(=売り物になるのでわけあった)。また下着を手に取ってみたが、それには縫い目がなく、上の方から全部一つに織ったものであった。そこで彼らは互(たがい)に言った、「それを裂かないで(=縫い目がなく、裂くと価値が落ちるので)、だれのものになるか、くじを引こう」。これは、「彼らは互にわたしの上着を分け合い、わたしの衣をくじ引にした」という聖書(=詩篇22…

  • イエスはみずから十字架を背負って、されこうべ(ヘブル語ではゴルゴダ)という場所に出て行かれた(ヨハネ19:16~22)

    (今回は、十字架にかけられるキリスト、についてふれたいと思います) ・ヨハネによる福音書・19章の16~22節より 『彼らは(=キリストを訴えた祭司長らユダヤ人は)イエスを引き取った。イエスはみずから十字架を背負って、されこうべ(ヘブル語(=ユダヤ人の言語)ではゴルゴダ)という場所に(=されこうべとは、白骨になった頭蓋骨の意味で、こう名がついた処刑場に)出て行かれた。彼らはそこで、イエスを十字架につけた(=実際に処刑をおこなうのはローマ兵です(マルコ15:24))。イエスをまん中にして、ほかのふたりの者(=他の囚人)を両側に、イエスと一緒に十字架につけた。ピラトは(=ローマ総督は)罪状書きを書…

  • 殺せ、殺せ、彼を十字架につけよ(ヨハネ19:13~16)

    (今回は、あくまでキリストの処刑を願うユダヤ人たち、についてふれたいと思います) ・ヨハネによる福音書・19章の13~16節より 『ピラトは(=ローマ総督は)これらの言葉を聞いて(=キリストを釈放すれば、ローマ皇帝にそむくことになるとの脅迫めいたものをうけて)、イエスを外へ引き出して行き、敷石(しきいし=ヘブル語ではガバタ)という場所で(=判決を言いわたす場所で)裁判の席についた。その日は過越(すぎこし=かつて神がイスラエルの民を、エジプトから脱出させたのを祝う日)の準備の日(=金曜日)であって、時は昼の十二時ころであった(=他の聖書では午前六時ごろと訳されており、こちらが正しいものと思います…

  • あなたは、上から賜わるのでなければ、わたしに対してなんの権威もない。だから、わたしをあなたに引き渡した者の罪は、もっと大きい(ヨハネ19:10~12)

    (今回は、ピラトやユダヤ人たちの罪を、神からの権威という視点から指摘されるキリスト、についてふれたいと思います) ・ヨハネによる福音書・19章の10~12節より 『そこでピラトは(=ローマ総督は)言った、「何も答えないのか(=処刑されるかもしれないのに弁明一つしないのか)。わたしには、あなたを許す(=このまま釈放して助ける)権威があり、また十字架につける(=また一方で処刑する)権威があることを、知らないのか」。イエスは答えられた、「あなたは、上から賜(たま)わるのでなければ(=天の神からあたえられるのでなければ)、わたしに対してなんの権威もない(=許す権威も殺す権威もなく、あなたは神の真理をし…

  • 祭司長たちや下役どもはイエスを見ると、叫んで「十字架につけよ、十字架につけよ」と言った(ヨハネ19:6~9)

    (今回は、キリストの死を変わらずに望んでいるユダヤ人たち、についてふれたいと思います) ・ヨハネによる福音書・19章の6~9節より 『祭司長たちや下役(したやく)どもは(=キリストを捕らえて訴えているユダヤ人たち、またその配下たちは)イエスを見ると、叫んで「十字架につけよ、十字架につけよ」と言った(=ピラトが釈放したがっている一方で、彼らは処刑を願っています)。ピラトは彼らに言った、「あなたがたが、この人を引き取って十字架につけるがよい。わたしは、彼にはなんの罪も見いだせない(=ピラトは無実のキリストに対し、自分の手で処刑するのには気がひけています。そこで処刑するにしてもユダヤ人にやらせて、す…

  • 見よ、わたしはこの人をあなたがたの前に引き出すが、それはこの人になんの罪も見いだせないことを、あなたがたに知ってもらうためである(ヨハネ19:1~5)

    (今回は、キリストが無実であるのを公言するピラト、についてふれたいと思います) ・ヨハネによる福音書・19章の1~5節より 『そこで(=ユダヤ人がキリストではなく、強盗のバラバの釈放をもとめたので)ピラトは(=ローマ総督は)、イエスを捕え、むちで打たせた(=あたかも訴えてきたユダヤ人のめんつをたもつように、無実のキリストを罰しています。ピラトとしては処刑はしたくないので、これでユダヤ人を納得させて釈放しようとしています)。兵卒(=ピラトの配下)たちは、いばらで冠(かんむり)をあんで、イエスの頭にかぶらせ、紫(むらさき)の上着を着せ(=即席で王の格好をさせて)、それから、その前に進み出て、「ユダ…

  • あなたの言うとおり、わたしは王である(ヨハネ18:37~40)

    (今回は、この世のものではない神の国の王であるのを、お認めになるキリスト、についてふれたいと思います) ・ヨハネによる福音書・18章の37~40節より 『そこでピラトは(=ローマ総督は)イエスに言った、「それでは、あなたは王なのだな(=あなたが言うところの、“この世のものではないわたしの国” というものがある以上、あなたはそこの王なのだな。なおこの時点で信仰のないピラトには、理解のおよばない話になっており、やはり神に関するユダヤ人同士の争いだったのか、といったところだと思います)」。イエスは答えられた、「あなたの言うとおり、わたしは王である(=わたしはその神の国の王である)。わたしは真理につい…

  • もしわたしの国がこの世のものであれば、わたしに従っている者たちは、わたしをユダヤ人に渡さないように戦ったであろう(ヨハネ18:33~36)

    (今回は、キリストが王として治めている国はこの世のものではない、ということについてふれたいと思います) ・ヨハネによる福音書・18章の33~36節より 『さて、ピラトは(=ローマ総督は)また官邸にはいり、イエスを呼び出して言った(=祭司長などは官邸に入るのをさけましたが、キリストは入っています。これは罪にはあたらないということです)、「あなたは、ユダヤ人の王であるか(=ローマの許可もなくユダヤ人の王を名乗り、ローマを倒そうとしている人物なのか)」。イエスは答えられた、「あなたがそう言うのは、自分の考えからか。それともほかの人々が、わたしのことをあなたにそう言ったのか(=あなたにそう言った者がほ…

  • これは、ご自身がどんな死にかたをしようとしているかを示すために言われたイエスの言葉が、成就するためである(ヨハネ18:28~32)

    (今回は、ローマの処刑にもとづく十字架の死を、すでに預言していたキリスト、についてふれたいと思います) ・ヨハネによる福音書・18章の28~32節より 『彼らは(=キリストを捕らえ、裁判をすすめていた祭司長たち、またこれに関わっているユダヤ人は)、けがれを受けないで過越の食事ができるように(すぎこし=かつてエジプトの奴隷だったイスラエルの民を、神がエジプトに災いをもたらして脱出させた日のこと。それを祝う食事ができるように)、官邸(=ローマ市民で、ローマ総督であるピラトのいるかんてい)にはいらなかった(=当時のユダヤ人は、律法(=神からの指針)に管理されていない異邦人をけがれた者とみなしていたの…

  • すると人々が彼に言った、「あなたも、あの人の弟子のひとりではないか」。彼はそれをうち消して、「いや、そうではない」と言った(ヨハネ18:24~28)

    (今回は、三度キリストの他人のふりをするペテロ、についてふれたいと思います) ・ヨハネによる福音書・18章の24~28節より 『それからアンナスは(=裁判が思いどおりに進行できなかった元大祭司は)、イエスを縛ったまま大祭司カヤパのところへ送った(=尋問(じんもん)のつづきをまかせた)。シモン・ペテロ(=キリストの弟子の一人)は、立って(=大祭司の中庭に立ったまま)火にあたっていた。すると人々が彼に言った、「あなたも、あの人の弟子のひとりではないか(=もしそうならあなたも捕らえられる必要がある)」。彼はそれをうち消して、「いや、そうではない」と言った(=キリストの他人のふりをし、二度目の保身につ…

  • なぜ、わたしに尋ねるのか。わたしが彼らに語ったことは、それを聞いた人々に尋ねるがよい。わたしの言ったことは、彼らが知っているのだから(ヨハネ18:19~23)

    (今回は、律法にある裁判の規定にしたがうように指摘するキリスト、についてふれたいと思います) ・ヨハネによる福音書・18章の19~23節より 『大祭司は(=元大祭司のアンナスは)イエスに、弟子たちのことやイエスの教(=神に関するおしえ)のことを尋ねた(=裁判として尋問(じんもん)した)。イエスは答えられた、「わたしはこの世に対して公然と語ってきた。すべてのユダヤ人が集まる会堂(=ユダヤ教の礼拝をする場所(シナゴーグ))や宮(=エルサレム神殿)で、いつも教えていた。何事も隠れて語ったことはない。なぜ、わたしに尋ねるのか。わたしが彼らに語ったことは、それを聞いた人々に尋ねるがよい(=こうして裁判を…

  • すると、この門番の女がペテロに言った、「あなたも、あの人の弟子のひとりではありませんか」。ペテロは「いや、そうではない」と答えた(ヨハネ18:12~18)

    (今回は、キリストの預言どおりに、キリストの他人のふりをしてしまうペテロ、についてふれたいと思います) ・ヨハネによる福音書・18章の12~18節より 『それから一隊の兵卒(=ローマの兵隊)やその千卒長(=そのローマ兵のリーダー)やユダヤ人の下役(したやく)どもが、イエスを捕え、縛りあげて、まずアンナス(=元大祭司(大祭司とは神殿をしきっている最高の職位のこと))のところに引き連れて行った。彼はその年の大祭司カヤパ(=現大祭司で、ローマ総督によって任命された人物)のしゅうと(=カヤパの妻の父)であった。カヤパは前に、ひとりの人が(=キリストが)民のために死ぬのはよいことだと(ヨハネ11:49~…

  • すると、イエスはペテロに言われた、「剣をさやに納めなさい。父がわたしに下さった杯は、飲むべきではないか」(ヨハネ18:6~11)

    (今回は、罪に対する神の怒りを、キリストがひきうけてくださる、ということについてふれたいと思います) ・ヨハネによる福音書・18章の6~11節より 『イエスが彼らに(=捕らえにきた者たちに)「わたしが、それである(=これは神性宣言です)」と言われたとき、彼らはうしろに引きさがって地に倒れた(=立っていられなくなった)。そこでまた彼らに、「だれを捜(さが)しているのか」とお尋ねになると、彼らは「ナザレ(=キリストが育った故郷)のイエスを」と言った。イエスは答えられた、「わたしがそれであると、言ったではないか(=こちらは神性宣言というよりも、わたしこそがナザレのイエスだ、という意味)。わたしを捜し…

  • さてユダは、一隊の兵卒と祭司長やパリサイ人たちの送った下役どもを引き連れ、たいまつやあかりや武器を持って、そこへやってきた(ヨハネ18:1~6)

    (今回は、裏切りのユダが、兵をひきつれキリストのまえにあらわれた、ことについてふれたいと思います) ・ヨハネによる福音書・18章の1~6節より 『イエスはこれらのことを(=信者は神に愛されており、一つになってくださっていることなどを)語り終えて、弟子たちと一緒にケデロン(=エルサレムの東)の谷の向こうへ(=オリーブ山の方へ)行かれた。そこには園(その=ゲツセマネの園)があって、イエスは弟子たちと一緒にその中にはいられた。イエスを裏切ったユダ(=12人の弟子のうちの一人)は、その所をよく知っていた。イエスと弟子たちとがたびたびそこで(=神に祈るために)集まったことがあるからである。さてユダは、一…

  • それは、あなたがわたしを愛して下さったその愛が彼らのうちにあり、またわたしも彼らのうちにおるためであります(ヨハネ17:25~26)

    (今回は、神はキリストを愛しておられる愛で、信者を愛してくださる、ということについてふれたいと思います) ・ヨハネによる福音書・17章の25~26節より(以下はキリストのおことばです) 『正しい父よ(=義なる神よ)、この世は(=サタンに支配され、神に敵対しているこの世は)あなたを知っていません。しかし、わたしはあなたを知り、また彼らも(=信者たちも)、あなたがわたしをおつかわしになったことを(=人々の罪をあがなうために地上につかわされたのを)知っています。そしてわたしは彼らに御名を(みな=神ご自身を)知らせました。またこれからも(=聖霊をとおして)知らせましょう。それは、あなたがわたしを愛して…

  • わたしは、あなたからいただいた栄光を彼らにも与えました(ヨハネ17:22~24)

    (今回は、信者はキリストから、永遠の命や神の本質といった栄光をあたえられている、ということについてふれたいと思います) ・ヨハネによる福音書・17章の22~24節より(以下はキリストのおことばです) 『わたしは、あなた(=神)からいただいた栄光を彼らにも与えました(=キリストは、罪をあがなう十字架の死から、永遠の命のともなった復活という神からの栄光をおうけになりました。この罪のあがないを信じる者たちも、この永遠の、復活の命、という栄光を、キリストからあたえられているのです。また同時に、キリストが持っている栄光であるところの神の本質としてのご性質も(ヘブル1:3)、信者にあたえてくださいました。…

  • すなわち、彼らをもわたしたちのうちにおらせるためであり、それによって、あなたがわたしをおつかわしになったことを、世が信じるようになるためであります(ヨハネ17:20~21)

    (今回は、信者が神と一つになって、世にキリストをあらわしていく、ということについてふれたいと思います) ・ヨハネによる福音書・17章の20~21節より(以下はキリストのおことばです) 『わたしは彼ら(=弟子たち)のためばかりではなく、彼らの言葉を聞いてわたしを信じている人々(=これから信じるようになる人々)のためにも、お願いいたします(=神が、彼らを聖別してくださるように(せいべつ=罪に支配されている世から、信者を聖なる者として分けへだてさせることを)お願いいたします)。父よ(=神よ)、それは、あなたがわたしのうちにおられ、わたしがあなたのうちにいるように(=神とキリストが霊において一つである…

  • また彼らが真理によって聖別されるように、彼らのためわたし自身を聖別いたします(ヨハネ17:15~19)

    (今回は、弟子たちを聖なる者とするために、十字架をとおして、ご自身を聖別された供え物として神にささげるキリスト、についてふれたいと思います) ・ヨハネによる福音書・17章の15~19節より(以下はキリストのおことばです) 『わたしがお願いするのは、彼ら(=弟子たち)を世から取り去ることではなく(=サタンが支配する世からは憎まれる身にありますが、彼らが使命をはたす前に天にあげられることではなく)、彼らを悪しき者から(=サタンから)守って下さることであります。わたしが世のものでないように(=世ではなく神に属しているように)、彼らも世のものではありません。真理によって(=神がつかわしたキリストを信じ…

  • そして世にいる間にこれらのことを語るのは、わたしの喜びが彼らのうちに満ちあふれるためであります(ヨハネ17:12~14)

    (今回は、世にのこる弟子たちに、のちのちの喜びとなるものを語られるキリスト、についてふれたいと思います) ・ヨハネによる福音書・17章の12~14節より(以下はキリストのおことばです) 『わたしが彼らと一緒にいた間は、あなたからいただいた御名によって(=キリストにおあたえになった神のみ名(=聖なる神の永遠性のともなった、かつ完全に聖(きよ)いご性質、また権威)によって)彼らを(=とくに霊的な面において)守り、また保護してまいりました。彼らのうち、だれも(=罪によって)滅びず、ただ滅びの子だけが(=キリストを裏切ったユダだけが罪により)滅びました。それは聖書が(=旧約聖書の預言(詩篇41:9)が…

  • 聖なる父よ、わたしに賜わった御名によって彼らを守って下さい。それはわたしたちが一つであるように、彼らも一つになるためであります(ヨハネ17:9~11)

    (今回は、三位一体(さんみいったい)の神と信者が一つになるようにというキリストの祈り、についてふれたいと思います) ・ヨハネによる福音書・17章の9~11節より(以下はキリストのおことばです) 『わたしは彼ら(=弟子たち)のためにお願いします。わたしがお願いするのは、この世のためにではなく(=サタンの支配下にあるこの世が繁栄するためにではなく)、あなたがわたしに賜(たま)わった者たちのためです(=神がキリストにおあたえになった弟子たちが守られるようにです)。彼らはあなたのものなのです(=神が所有しているものなのです)。わたしのものは皆あなたのもの、あなたのものはわたしのものです(=このように神…

  • いま彼らは、わたしに賜わったものはすべて、あなたから出たものであることを知りました(ヨハネ17:6~8)

    (今回は、キリストにあたえられた自分たちが、神のえらびにより神に属しているのを知る、ということについてふれたいと思います) ・ヨハネによる福音書・17章の6~8節より(以下はキリストのおことばです) 『わたしは、あなたが(=神が)世から選んで(=サタンが支配している世にありながら、神のえらびによって)わたしに賜(たま)わった人々に(=キリストにおあたえになった信者に。とくにここでは弟子たちに)、み名を(=父なる神ご自身を)あらわしました。彼らはあなたのものでありましたが(=彼らは神にえらばれ、もともと神が所有していましたが)、わたしに下さいました。そして、彼らはあなたの言葉を守りました(=神が…

  • 父よ、世が造られる前に、わたしがみそばで持っていた栄光で、今み前にわたしを輝かせて下さい(ヨハネ17:1~5)

    (今回は、十字架の死、復活、昇天をとおして、神と共にお持ちだった栄光を望まれるキリスト、についてふれたいと思います) ・ヨハネによる福音書・17章の1~5節より 『これらのことを(=十字架の死や復活、昇天、聖霊の降臨について、また弟子たちが迫害されること、逃げだすこと、さらにはキリストがすでに世に勝っていることなどを)語り終えると、イエスは天を見あげて言われた、「父よ(=神よ)、時がきました(=十字架で死に、復活し、昇天するときがきました)。あなたの子があなたの栄光をあらわすように(=キリストがこれらをもって、世を救う神のわざを世にあらわせるように)、子の栄光をあらわして下さい(=まさにこれら…

  • あなたがたは、この世ではなやみがある。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている(ヨハネ16:32~33)

    (今回は、世に打ち勝ち、信者に永遠の命をもたらしてくださっているキリスト、についてふれたいと思います) ・ヨハネによる福音書・16章の32~33節より(以下はキリストのおことばです) 『しかし(=まもなくキリストは捕らえられ、それを見た弟子たちは逃げだすが、しかし)、わたしはひとりでいるのではない。父(=神)がわたしと一緒におられるのである。これらのことをあなたがたに話したのは(=キリストはこれまで十字架の死や復活、昇天、聖霊の降臨について、また弟子たちが迫害されることや、逃げだしてしまうことについて話してきました)、わたしにあって平安を得るためである(=キリストが前もって話していたことがこと…

  • あなたがたは今信じているのか。見よ、あなたがたは散らされて、それぞれ自分の家に帰り、わたしをひとりだけ残す時が来るであろう(ヨハネ16:29~32)

    (今回は、見栄をはっている弟子たちに、彼らが離れていくのをそれとなくつたえるキリスト、についてふれたいと思います) ・ヨハネによる福音書・16章の29~32節より 『弟子たちは(=キリストからいずれ復活後に比喩ではなく、つつみかくさず神について話すだろうと聞かされた弟子たちは)言った、「今はあからさまにお話しになって、少しも比喩ではお話しになりません(=彼らは見栄をはってわかった風に答えているので、話がかみあっていません。キリストはまだ復活を経験しておらず、比喩で話している段階にあります)。あなたはすべてのことをご存じであり、だれもあなたにお尋ねする必要のないことが、今わかりました(=こう言っ…

  • わたしはこれらのことを比喩で話したが、もはや比喩では話さないで、あからさまに、父のことをあなたがたに話してきかせる時が来るであろう(ヨハネ16:25~28)

    (今回は、十字架の死や復活、昇天について意図的につつんで語ってきたキリスト、についてふれたいと思います) ・ヨハネによる福音書・16章の25~28節より(以下はキリストのおことばです) 『わたしはこれらのことを比喩で話したが(=キリストは十字架の死や復活、昇天について、聖霊をさずからなければ理解できないように話してこられました。そのため弟子たちにはキリストが語った、わたしを見なくなる(十字架の死)、や、またわたしに会える(復活)、や、わたしの父のところに行く(昇天)、といった意味がみえていません。とくに復活については、直前でも、妊婦から産まれる赤子にご自身をたとえて話されました(ヨハネ16:2…

  • あなたがたが父に求めるものはなんでも、わたしの名によって下さるであろう(ヨハネ16:23~24)

    (今回は、キリストの名によって求めることは実現する、ということについてふれたいと思います) ・ヨハネによる福音書・16章の23~24節より(以下はキリストのおことばです) 『その日には(=復活したキリストと再会し、聖霊を吹きこまれる日には(ヨハネ20:22))、あなたがたがわたしに問うことは(=世の罪をあがなうためにキリストにおこった十字架の死や復活について問うことは。またこれまでにキリストが語ったことについて問うことは)、何もないであろう(=なぜなら聖霊が真理をさずけてくれます)。よくよくあなたがたに言っておく。あなたがたが父(=神)に求めるものはなんでも、わたしの名によって下さるであろう(…

  • このように、あなたがたにも今は不安がある。しかし、わたしは再びあなたがたと会うであろう(ヨハネ16:21~22)

    (今回は、死からの復活をくりかえし預言されるキリスト、についてふれたいと思います) ・ヨハネによる福音書・16章の21~22節より(以下はキリストのおことばです) 『女が子を産む場合には、その時がきたというので、不安を感じる。しかし、子を産んでしまえば、もはやその苦しみをおぼえてはいない。ひとりの人がこの世に生れた、という喜びがあるためである。このように、あなたがたにも今は(=妊婦でいうところの、大きな苦しみがくるのではないかと)不安がある。しかし、わたしは再び(=十字架の死から復活して)あなたがたと会うであろう(=ここでのキリストはよみがえられたご自分を、新しく生まれた子にたとえておられます…

  • あなたがたは憂えているが、その憂いは喜びに変るであろう(ヨハネ16:19~20)

    (今回は、キリストの死に不安をおぼえるが、復活後に再開することで喜びにかわる、ということについてふれたいと思います) ・ヨハネによる福音書・16章の19~20節より 『イエスは、彼ら(=弟子たち)が尋ねたがっていることに気がついて、彼らに言われた、「しばらくすればわたしを見なくなる、またしばらくすればわたしに会えるであろうと、わたしが言ったことで(=キリストが十字架による死と、その死からの復活を預言したことで)、互に論じ合っているのか。よくよくあなたがたに言っておく。あなたがたは泣き悲しむが(=キリストの死に泣き悲しむが)、この世は喜ぶであろう(=憎んでいるキリストが死んだことで世は喜ぶだろう…

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