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あなたの神、主を愛しなさい https://kurisuchan.hatenablog.com/

クリスチャンになって7年目のわたしが、聖書の解説やつぶやきをしております。聖書を手にされたことのない方々、ぜひお越しになってください。

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2020/02/22

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  • 「では、あなたは神の子なのか」。イエスは言われた、「あなたがたの言うとおりである」(ルカ22:63~71)

    (今回は、ユダヤ人指導者による、裁判でのキリストへの尋問、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・22章の63~71より 『イエスを監視(=捕らえたキリストの見張りを)していた人たちは、イエスを嘲弄し(ちょうろう=あざけり)、打ちたたき、目かくしをして、「言いあててみよ。打ったのは、だれか」ときいたりした。そのほか、いろいろな事を言って、イエスを愚弄した(ぐろう=ののしった)。夜が明けたとき、人民(=ユダヤ人)の長老、祭司長たち、律法学者たちが(=いわゆるユダヤ人指導者たちが)集まり、イエスを議会(=裁判所の役目をもったサンヘドリン(ユダヤ議会))に引き出して言った、「あなたがキリス…

  • そのときペテロは、「きょう、鶏が鳴く前に、三度わたしを知らないと言うであろう」と言われた主のお言葉を思い出した(ルカ22:54~62)

    (今回は、キリストの預言どおりに、三度キリストの他人のふりをしてしまうペテロ、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・22章の54~62より 『それから人々は(=ゲツセマネの園に、ユダによって案内されたユダヤ人指導者や兵士たちは)イエスを捕(とら)え、ひっぱって大祭司(=神殿をしきっている最高の職位)の邸宅へつれて行った。ペテロは(=弟子の一人は)遠くからついて行った。人々は中庭のまん中に火をたいて、一緒にすわっていたので、ペテロもその中にすわった(=まぎれこんで、キリストの様子をうかがった)。すると、ある女中(じょちゅう=大祭司の家ではたらいている女)が、彼が火のそばにすわっている…

  • ユダ、あなたは接吻をもって人の子を裏切るのか(ルカ22:47~53)

    (今回は、ユダの裏切り、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・22章の47~53より 『イエスがまだそう言っておられるうちに(=誘惑におちいらないように祈っていなさい、と言っておられるうちに)、そこに群衆が(=キリストを捕(と)らえようとしているユダヤ人指導者や兵士たちが、夜中のゲツセマネの園(その)に)現れ、十二弟子のひとりでユダという者が先頭に立って、イエスに接吻(せっぷん)しようとして近づいてきた(=この接吻をした相手が、とらえるべきキリストだという合図になっていました)。そこでイエスは言われた、「ユダ、あなたは接吻をもって人の子(=キリスト)を裏切るのか」。イエスのそばにい…

  • 父よ、みこころならば、どうぞ、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの思いではなく、みこころが成るようにしてください(ルカ22:39~46)

    (今回は、神によって呪われたものと見なされる、キリストの苦しみ、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・22章の39~46より 『イエスは出て(=過越の食事(最後の晩餐(ばんさん))をおえて)、いつものようにオリブ山(=エルサレム(イスラエルの中心地)の東にあるオリブ山)に行かれると、弟子たちも従って行った。いつもの場所(=ゲツセマネの園(その))に着いてから、彼らに言われた、「誘惑に陥(おちい)らないように祈りなさい」。そしてご自分は、石を投げてとどくほど離れたところへ退(しりぞ)き、ひざまずいて、祈って言われた、「父よ(=父なる神よ)、みこころならば、どうぞ、この杯を(=この “…

  • しかし今は、財布のあるものは、それを持って行け。袋も同様に持って行け。また、つるぎのない者は、自分の上着を売って、それを買うがよい(ルカ22:35~38)

    (今回は、キリストのお供をしていたときと、キリストが十字架にかれられ、昇天なさったあとの環境のちがい、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・22章の35~38より(以下はキリストのおことばです) 『そして彼ら(=使徒たち)に言われた、「わたしが財布も袋もくつも持たせずにあなたがたをつかわしたとき(=身ひとつで宣教につかわしたとき。なおこうしたなにも持たない軽装(けいそう)は、それぞれの土地に向かうにあたって、通常ではありえないことです。当時は道中で強盗にあうこともあったので、身を守るつるぎなどを準備するのも、特別なことではありませんでした)、何かこまったことがあったか」。彼らは、「…

  • きょう、鶏が鳴くまでに、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう(ルカ22:31~34)

    (今回は、キリストを見捨てることになる弟子たち、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・22章の31~34より(以下はキリストのおことばです) 『シモン、シモン(=弟子のペテロのこと)、見よ、サタンはあなたがたを麦のようにふるいにかけること(=ふるいにかけるとは、ふるいを使って、選別や審査をしてよりわけることです。ここではキリストへの信仰をもちつづけられるか、それを実際のできごとをとおしてサタンがためすことを指しています)を願って(=神に願って)許された(=その許可がおりた)。しかし、わたしはあなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈った(=たとえサタンの思わくにはまってしま…

  • かえって、あなたがたの中でいちばん偉い人はいちばん若い者のように、指導する人は仕える者のようになるべきである(ルカ22:23~30)

    (今回は、へりくだることの大切さ、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・22章の23~30より 『弟子たちは、自分たちのうちのだれが、そんな事を(=キリストへの裏切りを)しようとしているのだろうと、互に論じはじめた。それから、自分たちの中でだれがいちばん偉(えら)いだろうかと言って、争論が彼らの間に、起った。そこでイエスが言われた、「異邦の(=イスラエルからみて外国の)王たちはその民の上に君臨し(=神ではなく力をもった人が支配し)、また、権力をふるっている者たちは恩人(=権力のある守護者)と呼ばれる。しかし、あなたがたは、そうであってはならない(=権力にものをいわせてはならない)。…

  • この杯は、あなたがたのために流すわたしの血で立てられる新しい契約である(ルカ22:19~22)

    (今回は、律法による古い契約から、キリストによる新しい契約への移り変わり、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・22章の19~22より(以下はキリストのおことばです) 『またパンを取り、(神に)感謝してこれをさき、弟子たちに与えて言われた、「これは、あなたがたの(=罪のあがないの)ために与えるわたしのからだである。わたしを記念するため、このように行いなさい(=キリストは、夜があけたら十字架にかけられることになるご自身のからだを(=すなわち人々に罪のあがないをもたらす、神へのささげもの(いけにえ)としての小羊のからだを)、こうしてさいたパンに重ねておられます)」。食事ののち、杯(さか…

  • あなたがたに言って置くが、神の国で過越が成就する時までは、わたしは二度と、この過越の食事をすることはない(ルカ22:14~18)

    (今回は、つぎにキリストが過越の食事をなさるのは、世界中の救いがとげられたあとである、ということについてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・22章の14~18より 『時間になったので(=日没になって、ユダヤ暦でも正確に過越(すぎこし)のまつりの日(=14日の金曜)になったので。なおユダヤ暦では、日没のときが日付の変わり目になります)、イエスは食卓につかれ、使徒たちも共に席についた。イエスは彼らに言われた、「わたしは苦しみを受ける前に(=この夜があければキリストは十字架にかけられます。世の罪をあがなうための十字架にかけられる前に)、あなたがたとこの過越の食事を(=エジプトから脱出する際に、…

  • 行って、過越の食事ができるように準備をしなさい(ルカ22:7~13)

    (今回は、最後の晩餐と呼ばれている過越の食事の準備、についてふれたいと思います) ※先に予備知識として、出エジプトの際にほふった小羊と、十字架にかけられて死なれるキリストの関係性についてまとめておきます。 ・出エジプトからの引用 「これは主(=神)の過越(すぎこし=神のさばきがくだらずにとおりすぎること)である。その夜わたしはエジプトの国を巡って、エジプトの国におる人と獣(=家畜)との、すべてのういご(=長男、はじめて生まれた雄)を打ち(=神のさばきをもって命をうばい)、またエジプトのすべての神々(=偶像にすぎないにせものの神々)に審判を行うであろう。わたしは主である。その血は(=あなたがた(…

  • すなわち、彼は祭司長たちや宮守がしらたちのところへ行って、どうしてイエスを彼らに渡そうかと、その方法について協議した(ルカ22:1~6)

    (今回は、キリストを裏切る弟子のユダ、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・22章の1~6より 『さて、過越(すぎこし=これには、神のさばきがくだるはずだったのに、そのさばきがなにごともなくすぎこしていった(=すぎさっていった)という意味があります。これはいまから約3500年前に、イスラエルの民が神の助けのもと、エジプトから脱出する際に経験したことですが、そのできごとをわすれないために、とくに過越のまつりとして祝しているものです)といわれている除酵祭(じょこうさい=これは過越のまつりにあわせておこなわれる7日間のまつりのことです。これはエジプトからにげる際に、パンにパン種(=パンを…

  • これらの起ろうとしているすべての事からのがれて、人の子の前に立つことができるように、絶えず目をさまして祈っていなさい(ルカ21:34~38)

    (今回は、たえず目をさまして祈ることの大切さ、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・21章の34~38より(以下はキリストのおことばです) 『あなたがた(=弟子たち)が放縦(ほうじゅう=勝手なふるまい)や、泥酔(でいすい)や、世の煩(わずら)いのために心が鈍っているうちに(=そんなふうに日常をすごしているうちに)、思いがけないとき、その日が(=世のおわりにむけた神のさばきが)わなのようにあなたがたを捕えることがないように、よく注意していなさい。その日は地の全面に住むすべての人に臨むのであるから。これらの起ろうとしているすべての事からのがれて(=世のおわりにむけた苦難からのがれて(テ…

  • いちじくの木を、またすべての木を見なさい。はや芽を出せば、あなたがたはそれを見て、夏がすでに近いと、自分で気づくのである(ルカ21:29~33)

    (今回は、キリストの再臨が近づいている、ということについてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・21章の29~33より(以下はキリストのおことばです) 『それから一つの譬(たとえ)を(=弟子たちに)話された、「いちじくの木を、またすべての木を見なさい。はや芽を出せば、あなたがたはそれを見て、夏がすでに近いと、自分で気づくのである。このようにあなたがたも、これらの事が(=にせのキリスト(いつわりの宗教)や戦争、地震、疫病(えきびょう)、飢饉(ききん)、迫害、反キリストによるエルサレムの侵略、太陽や月や星にあらわれるしるし、また天変地異などが(ルカ21:8~28))起るのを見たなら、神の国(=…

  • そのとき、大いなる力と栄光とをもって、人の子が雲に乗って来るのを、人々は見るであろう(ルカ21:25~28)

    (今回は、天変地異をふくめた苦しみのあとで再臨なさるキリスト、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・21章の25~28より(以下はキリストのおことばです) 『また(=世のおわりをむかえる前兆(=しるし)としては)日(=太陽)と月と星とに、しるしが(=太陽が暗くなったり、月も暗くなったり、血のように赤くなったり、星も輝きをうしなったり、地上に落ちたり、こうしたしるしが世にもたらされる苦しみの期間(艱難期)に(ヨエル2:10、2:31、3:15、黙示録6:12~13.、8:12、))現れるであろう。そして、地上では、諸国民(=世界中の人々)が悩み、海と大波(=高波)とのとどろき(=艱難…

  • そしてエルサレムは、異邦人の時期が満ちるまで、彼らに踏みにじられているであろう(ルカ21:20~24)

    (今回は、異邦人の救われる人数が、神の計画に達するまで、エルサレムは異邦人に荒らされる、ということについてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・21章の20~24より(以下はキリストのおことばです) 『エルサレム(=イスラエルの中心地)が軍隊に(=ローマ軍に)包囲されるのを見たならば、そのときは、その滅亡が近づいたとさとりなさい(=実際この預言は、西暦70年にエルサレムが侵略され、神殿も破壊されることで成就(じょうじゅ)しました。ですがここでのキリストは、このできごとを世のおわりにおこることと重ねて(=要は反キリストの軍隊によって、エルサレムが包囲され、滅亡させられるという意味をこめて、い…

  • 多くの者がわたしの名を名のって現れ、自分がそれだとか、時が近づいたとか、言うであろう。彼らについて行くな(ルカ21:7~19)

    (今回は、世のおわりに向かう途中で、にせのキリストや戦争、地震、疫病などがおこる、ということについてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・21章の7~19より 『そこで彼ら(=キリストの弟子たち(ユダヤ人))はたずねた、「先生、では、いつそんなことが(=イスラエルに関わる、エルサレムの第二神殿の崩壊が)起るのでしょうか(=この神殿はキリストの預言どおりに、すでに西暦70年に崩壊しました。ここでの弟子たちは、神殿が崩壊するのを、世のおわりのことと思いこんで質問しています)。またそんなことが起るような場合には(=世のおわりの前ぶれとしては)、どんな前兆(=しるし、なかでもユダヤ人に関わりのある…

  • あなたがたはこれらのものをながめているが、その石一つでもくずされずに、他の石の上に残ることもなくなる日が、来るであろう(ルカ21:5~6)

    (今回は、すでに成就した第二神殿の崩壊についてのキリストの預言、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・21章の5~6より 『ある人々が、見事な石と奉納物(=神へのささげもの)とで宮が(=エルサレムにある第二神殿が)飾られていることを話していたので、イエスは言われた、「あなたがたはこれらのものを(=ずっとつづくものとして)ながめているが、その石一つでもくずされずに、他の石の上に残ることもなくなる日が、来るであろう(=これは預言です。このことばのとおり、この約40年後(=西暦70年)に、エルサレム神殿はローマ軍によって破壊されることとなりました。ユダヤ人指導者をふくめた多くのユダヤ人が…

  • あの貧しいやもめはだれよりもたくさん入れたのだ(ルカ21:1~4)

    (今回は、神は金額の大小ではなく、献金をするその人の想いをみておられる、ということについてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・21章の1~4より 『イエスは目をあげて、金持たちがさいせん箱に献金(=献金そのものの意味は、神がささえてくださっている生活の中から、その一部をささげる(=お返しする)ことで、神への感謝や信頼をしめすことにあります)を投げ入れるのを見られ、また、ある貧しいやもめ(=夫のいない女、また夫を失った女。とくにここでは、律法学者にいいようにお金をまきあげられているやもめ(ルカ20:47))が、レプタ二つ(=ギリシアの通貨です。この2枚で、いまでいう160円程度)を入れるの…

  • 彼らは長い衣を着て歩くのを好み、広場での敬礼や会堂の上席や宴会の上座をよろこび、やもめたちの家を食い倒し、見えのために長い祈をする(ルカ20:45~47)

    (今回は、神のおしえを悪用すれば重いさばきをうける、ということについてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・20章の45~47より 『民衆がみな聞いているとき、イエスは弟子たちに言われた、「律法学者(=律法を研究し説く者)に気をつけなさい。彼らは長い衣を着て歩くのを好み(=自分の立ち場をみせびらかすのを好み)、広場での敬礼や会堂の上席(じょうせき=上位の席)や宴会の上座(じょうざ=上席)をよろこび、やもめ(=夫のいない女、また夫を失った女)たちの家を食い倒し(=弱さにつけこんで私腹をこやすのに利用し)、見えのために(=自分をすぐれた者と見せるために、見せかけの)長い祈をする。彼らは(=神に…

  • このように、ダビデはキリストを主と呼んでいる。それなら、どうしてキリストはダビデの子であろうか(ルカ20:41~44)

    (今回は、救い主であるキリストは、人間であると同時に神である、ということについてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・20章の41~44より 『イエスは彼らに(=ユダヤ人指導者らに)言われた、「どうして人々はキリストをダビデの子だと言うのか(=これは旧約聖書で、ダビデ王(=かつてのイスラエルの王)の子孫から、救い主であるキリストが誕生すると預言されているため、人々のあいだでこう言われていました(サムエル記 下7:11~16)。また事実、キリストは系図からもダビデの子孫なのです(マタイ1:1~17)。ただここでキリストが言っているのは、どうして人々は、キリストはダビデの子だという、キリストの…

  • 神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神である(ルカ20:27~40)

    (今回は、神は、まさに生きているわたしたちの神である、ということについてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・20章の27~40より 『復活(=死から甦(よみがえ)る)ということはないと言い張っていたサドカイ人(=キリストを敵視しているユダヤ教の一派)のある者たちが、イエスに近寄ってきて質問した、「先生、モーセ(=エジプトの奴隷だったイスラエルの民を率(ひき)いた人物)は、わたしたちのためにこう書いています、『もしある人の兄が妻をめとり、子がなくて死んだなら、弟はこの女をめとって、兄のために子をもうけねばならない』。ところで、ここに七人の兄弟がいました。長男は妻をめとりましたが、子がなくて…

  • それなら、カイザルのものはカイザルに、神のものは神に返しなさい(ルカ20:20~26)

    (今回は、キリストの落ち度をさがそうとしても、自分のいたらなさを自覚させられるだけである、ということについてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・20章の20~26より 『そこで(=民衆の前でキリストを堂々と捕(と)らえられずに)、彼ら(=ユダヤ教の指導者たち)は機会(=キリストをとらえる機会)をうかがい、義人を装(よそお)うまわし者(=神の真理をもとめているふりをする者)どもを送って、イエスを総督(=ローマそうとく)の支配と権威とに引き渡すため、その言葉じりを捕えさせようとした(=ローマへの反逆者に仕立てあげようとした)。彼らは尋ねて言った、「先生、わたしたちは、あなたの語り教えられるこ…

  • ある人がぶどう園を造って農夫たちに貸し、長い旅に出た(ルカ20:9~19)

    (今回は、キリストが預言をまじえながら指摘された、ユダヤ人指導者たちのあやまち、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・20章の9~19より 『そこで(=ユダヤ人指導者たちの問いに、問いでかえすことで彼らの罪をあきらかにしたあとで)イエスは次の譬(たとえ)を民衆に語り出された、「ある人(=ここでは、父なる神、をたとえています)がぶどう園を(=イスラエルを)造って農夫たちに(=祭司長や律法学者、長老といったユダヤ教の指導者たちに)貸し、長い旅に出た。季節になったので(=イスラエルの実りをあつめるときになったので)、農夫たちのところへ、ひとりの僕(しもべ=神の使者である預言者)を送って、…

  • ヨハネのバプテスマは、天からであったか、人からであったか(ルカ19:47~20:8)

    (今回は、天の神からの使者であったヨハネを拒否したユダヤ人たち、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・19章の47~20章の8節より 『イエスは毎日、宮(=エルサレム神殿の敷地内)で教えておられた。祭司長(=神に礼拝や供え物をささげる人)、律法学者(=律法を研究し説く者)また民衆の重立(おもだ)った者たちは(=地位のある者たちは)イエスを殺そうと思っていたが、民衆がみな熱心にイエスに耳を傾けていたので、手のくだしようがなかった(=彼らはキリストを憎んで殺そうとしていましたが、民衆の支持をキリストがうけていたので、もし殺せば自分たちもただではすまない状況にありました)。ある日、イエス…

  • それは、おまえが神のおとずれの時を知らないでいたからである(ルカ19:41~46)

    (今回は、キリストが預言として語った、エルサレム神殿の崩壊、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・19章の41~46節より(以下はキリストのおことばです) 『いよいよ都(=エルサレム(イスラエルの中心地))の近くにきて、それが(=信仰のない都の様子が)見えたとき、そのために泣いて言われた、「もしおまえも(=ユダヤ人も。とくにここではエルサレムにいるユダヤ人も)、この日に(=いままさにキリストがエルサレムに入城しているこの日に)、平和をもたらす道を知ってさえいたら(=イエスこそが平和をもたらす救い主だと知っていたなら)……しかし、それは今おまえの目に隠されている(=それに気づくことが…

  • そこにはいったら、まだだれも乗ったことのないろばの子がつないであるのを見るであろう。それを解いて、引いてきなさい(ルカ19:29~40)

    (今回は、神の預言にそって、子ろばに乗ってエルサレムにはいるキリスト、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・19章の29~40節より 『そしてオリブという山(=エルサレム(イスラエルの中心地)の東にあるオリブ山)に沿ったベテパゲとベタニヤに近づかれたとき、ふたりの弟子をつかわして言われた、「向こうの村(=おそらくベテパゲかベタニヤのどちらかのこと)へ行きなさい。そこにはいったら、まだだれも乗ったことのないろばの子がつないであるのを見るであろう(=キリストはそこにろばがいるのを見透かしておられます)。それを解いて、引いてきなさい。もしだれかが『なぜ解くのか』と問うたら、『主(=キリス…

  • そして、そばに立っていた人々に、「その一ミナを彼から取り上げて、十ミナを持っている者に与えなさい」と言った(ルカ19:20~28)

    (今回は、不信者はあたえられているものまで取り上げられる、ということについてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・19章の20~28節より(以下はキリストによるたとえのおことばです) 『それから(=二人のしもべが神からの褒賞(ほうしょう)をうけたあとで)、もうひとりの者がきて言った、『ご主人様(=キリストをたとえています)、さあ、ここにあなたの一ミナがあります(=このお金で商売をするようにと、キリストからまかされた1ミナがあります。なおこの1ミナは、神のために信者を増やすなどの奉仕をするようにとまかされた、霊的な富のことをたとえています)。わたしはそれをふくさ(=小さな布)に包んで、しまっ…

  • そこで十人の僕を呼び十ミナを渡して言った、「わたしが帰って来るまで、これで商売をしなさい」(ルカ19:11~19)

    (今回は、神への奉仕に対する、キリスト再臨後にうける褒賞、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・19章の11~19節より 『人々がこれらの言葉を(=ザアカイの家での救いに関する話を)聞いているときに、イエスはなお一つの譬(たとえ)をお話しになった。それはエルサレム(=キリストが十字架にかけられる場所)に近づいてこられたし、また人々が神の国はたちまち現れると思っていたためである(=人々はキリストがエルサレムにはいれば、すぐにでもローマをたおして(=当時のユダヤ人は、ローマに支配されていました)、自分たちの王になってくれると思いこんでいました)。それで言われた、「ある身分の高い人が、王…

  • 人の子がきたのは、失われたものを尋ね出して救うためである(ルカ19:1~10)

    (今回は、信仰をもつ人は、神の選びにあずかっている、ということについてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・19章の1~10節より 『さて、イエスはエリコ(=エルサレムの北東にある町)にはいって、その町をお通りになった。ところが、そこにザアカイという名の人がいた。この人は取税人(しゅぜいにん=税をとりたてる人)のかしらで、金持であった。彼は、イエスがどんな人か見たいと思っていたが、背が低かったので、群衆にさえぎられて見ることができなかった。それでイエスを見るために、前の方に走って行って、いちじく桑(くわ)の木に登った。そこを通られるところだったからである。イエスは、その場所にこられたとき、…

  • 先頭に立つ人々が彼をしかって黙らせようとしたが、彼はますます激しく叫びつづけた、「ダビデの子よ、わたしをあわれんで下さい(ルカ18:35~43)

    (今回は、人目もはばからない信仰、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・18章の35~43節より 『イエスがエリコ(=エルサレムの北東にある町)に近づかれたとき、ある盲人(もうじん=目が見えない人)が道ばたにすわって、物ごいをしていた。群衆が通り過ぎる音を耳にして、彼は何事があるのかと尋ねた。ところが、ナザレ(=キリストの故郷)のイエスがお通りなのだと聞かされたので、声をあげて、「ダビデの子イエスよ(=“ダビデの子” とは、旧約聖書においてダビデ王(=かつてのイスラエルの王)の子孫からメシア(=救い主、キリスト)が誕生すると預言されていたため、人々の中にはこう呼ぶ者もいました(サム…

  • 人の子は異邦人に引きわたされ、あざけられ、はずかしめを受け、つばきをかけられ、また、むち打たれてから、ついに殺され、そして三日目によみがえるであろう(ルカ18:31~34)

    (今回は、キリストがご自身の死について語られたとおりに、神の預言は成就する、ということについてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・18章の31~34節より 『イエスは十二弟子を呼び寄せて言われた、「見よ、わたしたちはエルサレム(=イスラエルの中心地)へ上って行くが、人の子(=キリスト)について預言者たちがしるしたことは(=神からのことばをあたえられた者たちが、旧約聖書に預言として書きのこしたことは。たとえばイザヤ書53:1~10なども)、すべて成就するであろう。人の子は異邦人(=ローマ人)に引きわたされ、あざけられ、はずかしめを受け、つばきをかけられ(=これは十字架にかけられる直前の様子…

  • だれでも神の国のために、家、妻、兄弟、両親、子を捨てた者は、必ずこの時代ではその幾倍もを受け、また、きたるべき世では永遠の生命を受けるのである(ルカ18:26~30)

    (今回は、神とのかかわりをいちばんにおく大切さ、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・18章の26~30節より 『これを(=裕福な人が神の国に入るのはむずかしいと)聞いた人々が、「それでは、だれが救われることができるのですか」と尋ねると(=当時は、財産があること自体が、神からの祝福をうけているとの考えが根づいていました。そのため裕福な人が救われないなら、いったいだれが救われるのか、とたずねかえしています)、イエスは言われた、「人にはできない事も、神にはできる(=人には自力で自分を救える者はいませんが、神にはだれであろうとも救うことができます。実際神は、キリストを十字架でのいけにえに…

  • 富んでいる者が神の国にはいるよりは、らくだが針の穴を通る方が、もっとやさしい(ルカ18:18~25)

    (今回は、世の富に執着せずに神に仕える、ということについてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・18章の18~25節より 『また、ある役人がイエスに尋ねた、「よき師よ、何をしたら永遠の生命が受けられましょうか」。イエスは言われた、「なぜわたしをよき者と言うのか。神(=父なる神)ひとりのほかによい者はいない(=神がよいお方であるとき、神の御子キリストも等しくよいお方なのですが(ヨハネ8:19)、ここでは神に仕えていない彼に対して、とにかく神に目を向けさせようと、こうした表現をとったのだと思います)。いましめはあなたの知っているとおりである、『姦淫(かんいん=不倫関係をもつことを)するな、殺す…

  • だれでも幼な子のように神の国を受けいれる者でなければ、そこにはいることは決してできない(ルカ18:15~17)

    (今回は、神からの恵みをそのままうけとる、ということについてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・18章の15~17節より 『イエスにさわっていただくために(=祝福してもらうために)、人々が幼な子(=乳児、おさない子)らをみもとに連れてきた。ところが、弟子たちはそれを見て、彼らをたしなめた(=キリストの宣教のじゃまになると考えて、叱(しか)っているのだと思います)。するとイエスは幼な子らを呼び寄せて言われた、「幼な子らをわたしのところに来るままにしておきなさい、止めてはならない。神の国はこのような者の国である(=幼い子は自分の力では生きていけないので、つねに親などの他者に依存しています。た…

  • おおよそ、自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるであろう(ルカ18:9~14)

    (今回は、自分が罪人であるのをみとめ、神の前にへりくだることの大切さ、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・18章の9~14節より 『自分を義人だと(=神の前に正しい者だと)自任して他人を見下げて(みさげて=見くだして)いる人たちに対して、イエスはまたこの譬(たとえ)をお話しになった。「ふたりの人が祈るために宮(=エルサレム神殿)に上った。そのひとりはパリサイ人(=ユダヤ人指導者)であり、もうひとりは取税人(しゅぜいにん=ローマのために税をとりたてる人で、当時は罪人とみなされていた)であった。パリサイ人は立って、ひとりでこう祈った、『神よ、わたしはほかの人たちのような貪欲な(どんよ…

  • まして神は、日夜叫び求める選民のために、正しいさばきをしてくださらずに長い間そのままにしておかれることがあろうか(ルカ18:1~8)

    (今回は、さばいてくださる神を信じて、失望せずに祈りつづけることの大切さ、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・18章の1~8節より 『また、イエスは失望せずに常に祈るべきことを、人々に譬 (たとえ)で教えられた。「ある町に、神を恐れず、人を人とも思わぬ裁判官がいた。ところが、その同じ町にひとりのやもめ(=夫をなくした女)がいて、彼のもとにたびたびきて、『どうぞ、わたしを訴える者をさばいて、わたしを守ってください(=弱い立場にあるこの女性は、なにか私財を奪われるなどの理不尽な訴えをうけていて、生活的に追いつめられていたものと思います)』と願いつづけた。彼はしばらくの間きき入れないで…

  • その夜、ふたりの男が一つ寝床にいるならば、ひとりは取り去られ、他のひとりは残されるであろう(ルカ17:31~37)

    (今回は、神にゆだねずに、自分で命を救おうとする者の行くすえ、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・17章の31~37節より(以下はキリストのおことばです) 『その日には(=キリストの再臨の前には艱難(かんなん)があり、とりわけ反キリストが(=サタンの後ろ盾により大きな権力があたえられて、世界中の人々から拝(おが)まれる偽(にせ)のキリストが(黙示録13:2、13:8))、エルサレムの第三神殿の至聖所(しせいじょ=今後建てられることになる神殿の、その最も神聖な場所)に入り、自分こそが神であると宣言して、自分の偶像をおいた日には(マタイ24:15、ダニエル9:27、12:11、テサロ…

  • そして、ノアの時にあったように、人の子の時にも同様なことが起るであろう(ルカ17:22~30)

    (今回は、キリストの再臨の前にある、艱難に対する神からの警告、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・17章の22~30節より 『それから弟子たちに言われた、「あなたがた(=信者)は、人の子の日を(=キリストが王としてこの地上をおさめている日を)一日でも見たいと願っても(=こう願わずにはいられない苦しみの時(=艱難(かんなん))があっても)見ることができない時が来るであろう(=キリストが再臨するまでは見ることはないだろう)。人々はあなたがたに、『見よ、あそこに(=キリストがいる)』『見よ、ここに(=いる)』と言うだろう。しかし、そちらへ行くな(=あざむかれるな)、彼らのあとを追うな。…

  • 神の国は、実にあなたがたのただ中にあるのだ(ルカ17:20~21)

    (今回は、神の国は、キリストをとおしてまさにいま来ている、ということについてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・17章の20~21節より 『神の国はいつ来るのかと、パリサイ人(=キリストを敵視しているユダヤ人指導者)が尋ねたので(=彼らにとっての神の国とは、まず自分たちの前にメシア(救い主)があらわれ、そのメシアがユダヤ人を支配しているローマをほろぼして、そのまま王となって自分たちの国を立ちあげてくれる、こういう王国のことを指しています。いわばその繁栄が目に見えるかたちでの国のことです)、イエスは答えて言われた、「神の国は、見られるかたちで来るものではない(=あなたがたが思い描いているよ…

  • 神をほめたたえるために帰ってきたものは、この他国人のほかにはいないのか(ルカ17:11~19)

    (今回は、神をたたえずにはいられない心境にかられたサマリヤ人、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・17章の11~19節より 『イエスはエルサレム(=イスラエルの中心地)へ行かれるとき、サマリヤ(=エルサレムの北部にある異邦人が住む地域)とガリラヤ(=サマリアの北部にあるユダヤ人が住む地域)との間を通られた。そして、ある村にはいられると、十人のらい病人(=重い皮膚病の人)に出会われたが、彼らは遠くの方で立ちとどまり(=彼らは皮膚病のために人々から隔離(かくり)された状態にあり)、声を張りあげて、「イエスさま、わたしたちをあわれんでください」と言った(=彼らにも、キリストがなさる神の…

  • もし、からし種一粒ほどの信仰があるなら、この桑の木に、『抜け出して海に植われ』と言ったとしても、その言葉どおりになるであろう(ルカ17:5~10)

    (今回は、たとえ小さな信仰でも、その人をとおして神が大きくはたらいてくださる、ということについてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・17章の5~10節より 『使徒たちは(=一日に七度罪をおかされても、悔い改めるならその都度ゆるしてあげなさいと言われ、とてもそんな寛大(かんだい)にはなれないと思った使徒たちは)主に(=キリストに)「わたしたちの信仰を増してください」と言った。そこで主が言われた、「もし、からし種一粒(からしだね=アブラナ科の小さなたね)ほどの信仰があるなら、この桑(くわ)の木に、『抜け出して海に植(う)われ(=根をおろせ)』と言ったとしても、その言葉どおりになるであろう(=…

  • もしあなたに対して一日に七度罪を犯し、そして七度『悔い改めます』と言ってあなたのところへ帰ってくれば、ゆるしてやるがよい(ルカ17:1~4)

    (今回は、信仰のつまずきとなるものをもちかけられても、その人が悔い改めるならゆるしてあげなさい、ということについてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・17章の1~4節より 『イエスは弟子たちに言われた、「罪の誘惑が(=罪へと誘惑してくるものの存在が)来ることは避けられない(=だからいつも気をつけていなさい)。しかし、それをきたらせる者(=もたらしてくる者)は、わざわい(=不幸)である。これらの小さい者(=まだ信仰がおさない者)のひとりを罪に誘惑するよりは、むしろ、ひきうす(=穀物をすりつぶす重い石の道具)を首にかけられて海に投げ入れられた方が、ましである(=それほどに信者をつまずかせるの…

  • あなたは生前よいものを受け、ラザロの方は悪いものを受けた。しかし今ここでは、彼は慰められ、あなたは苦しみもだえている(ルカ16:19~31)

    (今回は、神ではなく世の富につかえ、悔い改めないまま死んだ者は黄泉にいれられる、ということについてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・16章の19~31節より(=以下はキリストが、お金に執着しているパリサイ人にかけたことばです) 『ある金持がいた。彼は紫(むらさき)の衣や細布(ほそぬの=上質な服)を着て、毎日ぜいたくに遊び暮していた。ところが、ラザロという貧乏人が全身でき物でおおわれて、この金持の玄関の前にすわり、その食卓から落ちるもので飢(う)えをしのごうと望んでいた。その上、犬がきて彼のでき物をなめていた。この貧乏人がついに死に、御使(みつかい)たちに連れられてアブラハム(=神の民で…

  • しかし、律法の一画が落ちるよりは、天地の滅びる方が、もっとたやすい(ルカ16:14~18)

    (今回は、律法の時代はひとくぎりつきましたが、それらは神の霊に従う生き方の中でうけつがれている、ということについてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・16章の14~18節より 『欲の深いパリサイ人たちが(=キリストを敵視しているユダヤ教の一派が)、すべてこれらの言葉を聞いて(=不正な富についてのたとえや、神と富の両方にはつかえられないという話をきいて)、イエスをあざ笑った(=彼らは、律法(=神からの指針)を守っている者だけが神の国に入れ、また金持ちとは神からの祝福をうけている結果だと考えていました)。そこで彼らにむかって言われた、「あなたがたは、人々の前で自分を正しいとする人たちである(…

  • 不正の富を用いてでも、自分のために友だちをつくるがよい。そうすれば、富が無くなった場合、あなたがたを永遠のすまいに迎えてくれるであろう(ルカ16:1~13)

    (今回は、神が信者にみとめている、相手の罪の負債を軽いものとみなせる神の富の利用、についてふれたいと思います) ・先に今回の要点をまとめておきます。 下記にでてくる “不正の富” とは、世に出まわっているお金のことではありません。これは神が所有している、罪によって生じた負債(ふさい)をないものとしたり、軽減したりできる富のことです。この “罪の赦(ゆる)し” ともいうべき神の権限を、本来なら到底つかえないわたしたちに、その不正な利用を許可してくださっているのです。これによってなにが実現するかというと、たとえば当時でいうなら、取税人(しゅぜいにん=規定より多くのお金を徴収して私腹を肥やしていた)…

  • このあなたの弟は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったのだから、喜び祝うのはあたりまえである(ルカ15:24~32)

    (今回は、悔い改めて神に立ちかえることは、そこにいたるまでの過程がどうであってもよろこばしいものだ、ということについてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・15章の24~32節より(以下はキリストのおことばです) 『それから(=息子が悔い改めてもどってきたので)祝宴(しゅくえん)がはじまった。ところが、兄は畑にいたが、帰ってきて家に近づくと、音楽や踊(おど)りの音が聞えたので、ひとりの僕(しもべ)を呼んで、『いったい、これは何事なのか』と尋ねた。僕は答えた、『あなたのご兄弟がお帰りになりました。無事に迎えたというので、父上が肥えた子牛をほふらせなさったのです』。兄はおこって家にはいろうとし…

  • 父よ、わたしは天に対しても、あなたにむかっても、罪を犯しました。もうあなたのむすこと呼ばれる資格はありません(ルカ15:11~24)

    (今回は、悔い改めることの大切さ、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・15章の11~24節より(以下はキリストのおことばです) 『また(=おもにユダヤ人指導者たちに)言われた、「ある人(=ここでの “ある人” は、神のことをたとえています)に、ふたりのむすこがあった。ところが、弟が父親に言った、『父よ、あなたの財産のうちでわたしがいただく分をください』。そこで、父はその身代(しんだい=とりぶんとなる財産)をふたりに分けてやった。それから幾日(いくにち)もたたないうちに、弟は自分のものを全部とりまとめて遠い所へ行き、そこで放蕩(ほうとう=道楽にふけること)に身を持ちくずして財産を使…

  • 罪人がひとりでも悔い改めるなら、神の御使たちの前でよろこびがあるであろう(ルカ15:8~10)

    (今回は、悔い改めて新たに信仰をもつようになった一人に対する、天にあるよろこび、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・15章の8~10節より(以下はキリストのおことばです) 『また、ある女が銀貨十枚を持っていて、もしその一枚をなくしたとすれば(=この “一枚” が、まだ悔い改めずに信仰をもてていない人をさしています)、彼女はあかりをつけて家中を掃(は)き、それを見つけるまでは(=その人が悔い改めるまで)注意深く捜(さが)さないであろうか。そして、見つけたなら(=悔い改めたなら)、女友だちや近所の女たちを呼び集めて、『わたしと一緒に喜んでください。なくした銀貨が見つかりましたから(=…

  • 罪人がひとりでも悔い改めるなら、悔改めを必要としない九十九人の正しい人のためにもまさる大きいよろこびが、天にあるであろう(ルカ15:1~7)

    (今回は、神は、信仰をもった人のあつまりによろこんでいますが、そこに新たにくわえられる一人に対しては、それ以上によろこばれる、ということについてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・15章の1~7節より 『さて、取税人(=税をとりたてる人で、多くの人から嫌われていた)や罪人たちが皆、イエスの話を聞こうとして近寄ってきた。するとパリサイ人や律法学者たちが(=キリストを敵視しているユダヤ人指導者たちが)つぶやいて、「この人は罪人たち(=交わりをさけるべき罪人たち)を迎えて一緒に食事をしている(=なのでイエスも罪人である)」と言った。そこでイエスは彼らに、この譬(たとえ)をお話しになった、「あな…

  • しかし、塩もききめがなくなったら、何によって塩味が取りもどされようか(ルカ14:34~35)

    (今回は、地の塩としての信者の塩気は、試練という火によってもたらされる、ということについてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・14章の34~35節より(以下はキリストのおことばです) 『塩は良いものだ(=塩には、神へのささげ物をする際の、穀物などの腐敗をふせぎ、清めるといった意味があります(レビ記2:13、列王記 下2:21)。このことから世の腐敗をふせぐという意味で、信者は “地の塩” とも呼ばれます(マタイ5:13))。しかし、塩もききめが(=成分がうすまって効果が)なくなったら、何によって塩味(=塩気)が取りもどされようか(=信者に塩気をつけるのは “火” によってです(マルコ9:…

  • だれでも、父、母、妻、子、兄弟、姉妹、さらに自分の命までも捨てて、わたしのもとに来るのでなければ、わたしの弟子となることはできない(ルカ14:25~33)

    (今回は、キリストの弟子になりたければ、地上のいっさいのものより神を優先できるかを、前もって吟味すること、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・14章の25~33節より 『大ぜいの群衆が(=軽い思いで弟子になろうと)ついてきたので、イエスは彼らの方に向いて言われた、「だれでも、父、母、妻、子、兄弟、姉妹、さらに自分の命までも捨てて(=家族をふくめた肉体の命よりも、神のことをより多く愛し、神との関係を優先して)、わたしのもとに来るのでなければ、わたしの弟子となることはできない。自分の十字架を負うて(=当時の十字架は、死をまぬがれない処刑方法でした。ここでの “自分の十字架を負う” は…

  • 道やかきねのあたりに出て行って、この家がいっぱいになるように、人々を無理やりにひっぱってきなさい(ルカ14:15~24)

    (今回は、異邦人の救い、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・14章の15~24節より 『列席者(=食事をともにしていたユダヤ人)のひとりがこれを聞いて(=信者の復活のときに、神からのむくいがあると聞いて)イエスに「神の国で食事をする人は、さいわいです」と言った。そこでイエスが言われた、「ある人(=神のことを “ある人” とたとえています)が盛大な晩餐会(ばんさんかい=神の国でおこなわれる宴会(えんかい))を催(もよお)して、大ぜいの人を招いた。晩餐の時刻になったので、招いておいた人たちのもとに僕(しもべ=ここではキリストのこと)を送って、『さあ、おいでください。もう準備ができまし…

  • むしろ、宴会を催す場合には、貧乏人、不具者、足なえ、盲人などを招くがよい(ルカ14:12~14)

    (今回は、宴会はお返しのできないまずしい人たちにふるまいなさい、ということについてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・14章の12~14節より 『また、イエスは自分を招いた人(=ユダヤ人)に言われた、「午餐(ごさん=昼食)または晩餐(ばんさん=夕食)の席を設ける場合には、友人、兄弟、親族、金持の隣り人などは呼ばぬがよい。恐らく彼らもあなたを招きかえし、それであなたは返礼(=お返し)を受けることになるから。むしろ、宴会(えんかい)を催(もよお)す場合には、貧乏人、不具者(=体の不自由な人)、足なえ(=足の不自由な人)、盲人(もうじん=目の見えない人)などを招くがよい。そうすれば、彼らは返礼…

  • 自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるであろう(ルカ14:7~11)

    (今回は、神は高ぶる者を低く、へりくだる者を高くされる、ということについてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・14章の7~11節より(以下はキリストのおことばです) 『客に招かれた者たちが上座(じょうざ=上位の席)を選んでいる様子をごらんになって、彼らに一つの譬(たとえ)を語られた。「婚宴(こんえん)に招かれたときには、上座につくな(=自分をえらく見せようとして、上位の席についてはならない)。あるいは(=場合によっては)、あなたよりも身分の高い人が招かれているかも知れない。その場合、あなたとその人とを招いた者がきて、『このかたに座を譲ってください』と言うであろう。そのとき、あなたは恥じ入…

  • あなたがたのうちで、自分のむすこか牛が井戸に落ち込んだなら、安息日だからといって、すぐに引き上げてやらない者がいるだろうか(ルカ14:1~6)

    (今回は、ゆがんだ律法解釈を指摘するキリスト、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・14章の1~6節より 『ある安息日(労働をしてはならない日、土曜日)のこと、食事をするために、あるパリサイ派(=キリストを敵視しているユダヤ教の一派)のかしらの家にはいって行かれたが、人々はイエスの様子を(=イエスが律法違反をしようものなら、すぐさま訴える目で)うかがっていた。するとそこに、水腫(すいしゅ=体液がたまってしまう病)をわずらっている人が、みまえ(=キリストのまえ)にいた。イエスは律法学者(=律法を研究し説く者)やパリサイ人たちに(=ユダヤ人指導者たちに)むかって言われた、「安息日に人を…

  • 「主の名によってきたるものに、祝福あれ」とおまえたちが言う時の来るまでは、再びわたしに会うことはないであろう(ルカ13:31~35)

    (今回は、将来にユダヤ人がイエスこそが救い主なのだと認めるときに、イエスキリストが再臨される、ということについてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・13章の31~35節より 『ちょうどその時(=ユダヤ人よりも先に救われる異邦人がいると話されているとき)、あるパリサイ人(=キリストを敵視しているユダヤ教の一派)たちが、イエスに近寄ってきて言った、「ここから出て行きなさい。ヘロデが(=ガリラヤ地方の権力者が)あなたを(=群衆の注目をあつめているキリストを)殺そうとしています(=これは、パリサイ人がイエスを憎んでいるがゆえのことばです。彼らはヘロデの心中を誇張してつたえ、イエスをこの土地から追…

  • こうしてあとのもので先になるものがあり、また、先のものであとになるものもある(ルカ13:28~30)

    (今回は、イスラエルの民よりも先に救いにあずかる異邦人の存在、についてふれたいと思います) ※まず予備知識として、今回にでてくる「先」と「後」についてまとめておきます。 ・神によって「先」とされている民族が、アブラハム、イサク、ヤコブの子孫であるイスラエルの民(ユダヤ人)のことです。 ・神によって「後」とされているのが、世界中の異邦人(いほうじん=ユダヤ人以外の人々)のことです。 ※つぎに使徒のパウロが、「ローマ人への手紙」で以下のように語っているのにふれておきます。 『兄弟たちよ(=教会にくわわっている異邦人の信者たちよ)。あなたがたが知者(ちしゃ=かしこい者)だと自負する(=うぬぼれる)こ…

  • 狭い戸口からはいるように努めなさい。事実、はいろうとしても、はいれない人が多いのだから(ルカ13:22~27)

    (今回は、救われるためのせまい戸口をとおるには、世にながされずにただしい信仰をもたなければならない、ということについてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・13章の22~27節より 『さてイエスは教えながら町々村々を通り過ぎ、エルサレム(=ユダヤ人にとっての神殿がある中心地)へと旅を続けられた。すると、ある人がイエスに、「主よ、救われる人は少ないのですか」と尋ねた。そこでイエスは人々に(=あつまっているイスラエルの民(ユダヤ人)に)むかって言われた、「狭い戸口からはいるように努めなさい(=ユダヤ人指導者や周囲にながされずに、少数であることにも勇敢さをもちつづけて、神の国に通じているせまい戸…

  • 神の国を何にたとえようか。パン種のようなものである。女がそれを取って三斗の粉の中に混ぜると、全体がふくらんでくる(ルカ13:18~21)

    (今回は、信者の集まりである神の国にまぎれこみ、悪影響をもたらすものの存在、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・13章の18~21節より 『そこで(=安息日(労働をしてはならない日)に、イエスが女の病を神のみわざによっていやしました。これを見た会堂(集会)の責任者が律法違反を指摘し、イエスもこれに対して律法違反ではないことをつたえてから)言われた、「神の国は何に似ているか。またそれを何にたとえようか(=信仰をもつ人たちによってひろがっていく神の国を、どのようにたとえようか)。一粒のからし種(=アブラナ科の小さなたね)のようなものである(=実際、約2000年前に使徒たちによっておこ…

  • 女よ、あなたの病気はなおった(ルカ13:10~17)

    (今回は、キリストによる病をいやすみわざ、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・13章の10~17節より 『安息日(=労働をしてはならない日、土曜日のこと)に、ある会堂(=ユダヤ教徒の集まりの場、シナゴーグ)で教えておられると、そこに十八年間も病気の霊(=病や死は、サタンがきっかけでこの人類にはいりこみました)につかれ、かがんだままで(=腰がまがったまま)、からだを伸ばすことの全くできない女がいた。イエスはこの女を見て、呼びよせ、「女よ、あなたの病気はなおった」と言って、手をその上に置かれた。すると立ちどころに、そのからだがまっすぐになり、そして神をたたえはじめた。ところが会堂司(…

  • そのまわりを掘って肥料をやって見ますから。それで来年実がなりましたら結構です。もしそれでもだめでしたら、切り倒してください(ルカ13:6~9)

    (今回は、人が悔い改めるのには時間的な猶予があるが、それには限りがある、ということについてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・13章の6~9節より(以下はキリストのおことばです) 『それから(=悔い改めなければだれもがほろびると話されてから)、この譬(たとえ)を語られた、「ある人(=ここでは神のことです)が自分のぶどう園に(=イスラエルの地に)いちじくの木を(=イスラエルの民を)植えて置いたので(=悔い改めにいたって救われるのを期待して住まわせていたので)、実(=悔い改めの実)を捜しにきたが見つからなかった(=実際に悔い改めて救いにあずかった人はいなかった)。そこで園丁(えんてい=ぶどう…

  • あなたがたも悔い改めなければ、みな同じように滅びるであろう(ルカ13:1~5)

    (今回は、悔い改めて神に立ちかえらなければだれもがほろびる、ということについてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・13章の1~5節より 『ちょうどその時(=キリストが群衆に、神と和解しなければさばかれると述べているときに)、ある人々がきて、ピラトが(=当時のイスラエルの大半を治めていたローマの総督(そうとく)が)ガリラヤ人(=イスラエルの北部に住んでいて、礼拝のためにエルサレム神殿に出むいていたユダヤ人)たちの血を流し、それを彼らの(=ユダヤ教徒の)犠牲の血に混ぜたことを(=ローマに敵意をもっていたガリラヤ人を殺し、その血を、ユダヤ人が神にささげる動物の血にまぜたことを)、イエスに知らせ…

  • あなたを訴える人と一緒に役人のところへ行くときには、途中でその人と和解するように努めるがよい(ルカ12:54~59)

    (今回は、信仰をもつことでキリストと和解しておきなさい、という戒めについてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・12章の54~59節より 『イエスはまた群衆に対しても言われた、「あなたがたは、雲が西(=地中海側)に起るのを見るとすぐ、にわか雨がやって来る、と言う。果してそのとおりになる。それから南風(=エジプト側からの風)が吹くと、暑つくなるだろう、と言う。果してそのとおりになる。偽善者よ(=信仰があるとよそおって自分を善人に見せたがる者よ)、あなたがたは天地の模様(=雲や風の様子から天候)を見分けることを知りながら、どうして今の時代を(=神から遣わされたキリスト(救い主)が、こうしてあな…

  • わたしは、火を地上に投じるためにきたのだ(ルカ12:49~53)

    (今回は、罪に対する神の怒りの存在を明確にするとともに、その裁きへと通じる火をもたらしにきたキリスト、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・12章の49~53節より(以下はキリストのおことばです) 『わたしは、火を地上に投じるためにきたのだ(=ここでの “火” は、キリストの再臨後にもたらされる “裁き” を象徴していると思います。キリストはいますぐに燃えさかる火(裁き)をもたらしはしませんが(ヨハネ3:17)、世の罪に対する神の怒りの存在を明確にするとともに、その裁きへと通じる火をもたらしにきたのだと、こういうニュアンスをこめて語られていると思います)。火がすでに燃えていたならと…

  • 多く与えられた者からは多く求められ、多く任せられた者からは更に多く要求されるのである(ルカ12:41~48)

    (今回は、キリストを信じた人にともなう責任、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・12章の41~48節より 『すると(=一度キリストがどこかに出ていかれて、もどってきたときに給仕(きゅうじ)してくれるという話を聞いて。なおこのときの弟子たちはまだ、これからもたらされるキリストの十字架による死、復活、昇天、再臨に対する目が開かれていない状態にあります)ペテロが言った、「主よ、この譬(たとえ)を話しておられるのはわたしたち(=こうしてキリストにつきしたがっている弟子たち)のためなのですか。それとも、みんなの者(=自分たち弟子たちや、まだ信仰のあさい者、またこれから信じることになる者たち…

  • 主人が婚宴から帰ってきて戸をたたくとき、すぐあけてあげようと待っている人のようにしていなさい(ルカ12:35~40)

    (今回は、昇天後のキリストの到来を、こころの準備をして待ちのぞんでいなさい、というおしえについてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・12章の35~40節より(以下はキリストのおことばです) 『腰に帯(おび)をしめ(=すぐに迎えいれられるようにそなえをして)、あかりをともしていなさい(=夜にも見えるように準備をしておきなさい。これは信仰におけるこころの準備をあらわしています)。主人が(=キリストが)婚宴(こんえん=外出先の行事)から帰ってきて戸をたたくとき(=いつ帰ってくるかわからない中で、戸がたたかれたときに)、すぐあけてあげようと待っている人のようにしていなさい(=キリストはこれから十…

  • ただ、御国を求めなさい。そうすれば、これらのものは添えて与えられるであろう(ルカ12:28~34)

    (今回は、神の国をもとめていれば、命をささえる生活必需品は付録としてあたえられる、ということについてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・12章の28~34節より 『ああ、信仰の薄い者たちよ(=神を信頼しきれていない者たちよ)。あなたがたも、何を食べ、何を飲もうかと、あくせくするな、また気を使うな。これらのものは皆、この世の異邦人が(=万物を支配している、聖書の唯一の神(創造主)の存在を知らない人たちが)切に(せつに=自分で自分をささえようとして懸命に)求めているものである。あなたがたの父(=神)は、これらのものがあなたがたに(=生きていくうえで)必要であることを、ご存じである。ただ、御国…

  • 何を食べようかと、命のことで思いわずらい、何を着ようかとからだのことで思いわずらうな(ルカ12:22~28)

    (今回は、命は神がやしない、ささえてくださっている、ということについてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・12章の22~28節より 『それから(=万物を支配している神が、人の命もささえているから、物やお金に捉われて貪欲(どんよく)になるなと語られてから)弟子たちに言われた、「それだから、あなたがたに言っておく。何を食べようかと、命のことで思いわずらい、何を着ようかとからだのことで思いわずらうな。命は(=神があたえ、やしなってくれている命は)食物にまさり、からだは着物にまさっている(=だから食べ物や着る物に捉われるのはやめなさい)。からすのことを考えて見よ。まくことも、刈ることもせず、また…

  • たといたくさんの物を持っていても、人のいのちは、持ち物にはよらないのである(ルカ12:13~21)

    (今回は、人の霊的ないのちは神によってもたらされる、ということについてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・12章の13~21節より 『群衆の中のひとりがイエスに言った、「先生、わたしの兄弟に、遺産を分けてくれるようにおっしゃってください」。彼に言われた、「人よ、だれがわたしをあなたがたの裁判人または分配人に立てたのか(=イエスは世の救い主として神からつかわされています。こうした遺産をふりわける、分配人の役目をもって地上にこられたのではありません。ですがこの問題を根本から解決するための、神における真理をこれからお語りになります)」。それから人々にむかって言われた、「あらゆる貪欲(どんよく=…

  • また、人の子に言い逆らう者はゆるされるであろうが、聖霊をけがす者は、ゆるされることはない(ルカ12:10~12)

    (今回は、聖霊のはたらきを見たうえで、それを冒涜する者はゆるされない、ということについてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・12章の10~12節より(以下はキリストのおことばです) 『また、人の子(=キリスト)に言い逆らう者はゆるされるであろうが(=これはキリストに逆らってもよいと勧めているものではありません。ケースとしては、たとえばイエスをキリスト(救い主)だとうけいれていないときに、キリストに逆らうことがあっても、悔い改めればゆるされるが)、聖霊をけがす者は、ゆるされることはない(=これは当時のユダヤ人指導者たちのように、聖書が語る神への知識があり、たとえばキリストが聖霊によって、悪…

  • だれでも人の前でわたしを受けいれる者を、人の子も神の使たちの前で受けいれるであろう(ルカ12:6~9)

    (今回は、人前で信仰を公言することの大切さ、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・12章の6~9節より(以下はキリストのおことばです) 『五羽のすずめは二アサリオン(=今でいう1000円前後。1羽が数百円)で売られているではないか。しかも、その一羽も神のみまえで忘れられてはいない(=気にかけてくださっている)。その上、あなたがたの頭の毛までも、みな数えられている(=神は、万物(ばんぶつ)のどんな細部も把握(はあく)して、その上で支配してささえておられます)。恐れることはない(=このような神が、キリストの弟子であるあなたがたを見守っているのだから、迫害などをおそれるな)。あなたがたは…

  • 恐るべき者がだれであるか、教えてあげよう。殺したあとで、更に地獄に投げ込む権威のあるかたを恐れなさい(ルカ12:1~5)

    (今回は、神の偉大な権威をみとめておそれうやまう、ということについてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・12章の1~5節より 『その間に(=パリサイ人と律法学者に、神にそむいていることを戒(いまし)めているあいだに)、おびただしい群衆が、互に踏み合うほどに群がってきたが、イエスはまず弟子たちに語りはじめられた、「パリサイ人のパン種(=パンをふくらませる酵母(こうぼ)のことです。聖書では、ときに “罪” を象徴するものとしてもちいられます)、すなわち彼らの偽善に(=本心にある邪悪さをかくして、うわべで善人をよそおうことに)気をつけなさい。おおいかぶされたもので(=おおいかぶされている善いこ…

  • そうだ、あなたがたに言っておく、この時代がその責任を問われるであろう(ルカ11:49~54)

    (今回は、キリストを殺してしまうユダヤ人の世代が、これまでに積みかさねてきた過ちの責任を問われる、ということについてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・11章の49~54節より(以下はキリストのおことばです) 『それゆえに(=先祖が神の使者を殺し、あなたがた律法学者もそれに同意しているので)、『神の知恵』も言っている(=旧約聖書に事実としてつづられていて、そこからみちびきだせる結論もつぎのように言っている)、『わたし(=神)は預言者と使徒(=どちらも神に仕える者。とくに預言者は、預言(=神のご計画にもとづいて未来におこること)などをふくめ、神からあずかったことばを語る者)とを彼らに(=神…

  • だから、あなたがたは、自分の先祖のしわざに同意する証人なのだ。先祖が彼らを殺し、あなたがたがその碑を建てるのだから(ルカ11:47~48)

    (今回は、神からの使者の死をも、自分たちの栄誉のために利用する律法学者、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・11章の47~48節より(以下はキリストのおことばで、前回からのつづきになっています) 『あなたがた(=律法を研究して説く律法学者)は、わざわいである(=神にそむいており、忌(い)まわしく、かなしい者たちである)。預言者たち(=かつて迫害のすえに殺された神からの使者たち)の碑(ひ=記念碑としての墓など)を建てるが、しかし彼らを殺したのは、あなたがたの先祖であったのだ(=彼らの先祖は、自分たちの思いどおりにならない使者を、これまで殺してきました)。だから、あなたがたは、自分の…

  • 負い切れない重荷を人に負わせながら、自分ではその荷に指一本でも触れようとしない(ルカ11:45~46)

    (今回は、自分たちの地位におごりをもっている律法学者、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・11章の45~46節より 『ひとりの律法学者(=律法(神からの指針)を研究し説く者)がイエスに答えて言った、「先生、そんなことを(=ユダヤ人指導者(パリサイ人)に対して、墓のような存在となって汚(けが)れの発生源になっていると)言われるのは、わたしたちまでも(=パリサイ人と共に律法を語っているわたしたちまでも)侮辱(ぶじょく)することです」。そこで言われた、「あなたがた律法学者も、わざわいである(=神にそむいており、忌(い)まわしく、かなしい者たちである)。負い切れない重荷を(=聖書の律法を…

  • あなたがたは、わざわいである。人目につかない墓のようなものである(ルカ11:42~44)

    (今回は、ユダヤ人指導者であるパリサイ人が、人々を汚れにみちびいている、ということについてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・11章の42~44節より(以下はキリストのおことばです) 『しかし(=神のみこころにしたがって、心の内にあるものを周囲に施(ほどこ)していけるなら、内も外もいっさいが清いものとなるが)、あなた方パリサイ人(=パリサイ派はユダヤ教の一派で、ユダヤ人指導者の地位をきずいている)は、わざわいである(=神にそむいており、忌(い)まわしく(好ましくなく)、かなしい者たちである)。はっか(=菜園のシソ科の植物)、うん香(=菜園のミカン科の植物)、あらゆる野菜などの十分の一を宮…

  • ただ、内側にあるものをきよめなさい。そうすれば、いっさいがあなたがたにとって、清いものとなる(ルカ11:37~41)

    (今回は、表面ではなく、内面から神のみこころにしたがっていく大切さ、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・11章の37~41節より 『イエスが(=目がからだのあかりであると)語っておられた時、あるパリサイ人(=パリサイ派はユダヤ教の一派で、ユダヤ人指導者の地位をきずいている)が、自分の家で食事をしていただきたいと(=イエスが神とどういう関係にあるのかをさぐろうとして)申し出たので、はいって食卓につかれた。ところが、食前(しょくぜん)にまず(=手を)洗うことをなさらなかったのを見て、そのパリサイ人が不思議に思った(=当時のユダヤ人は、律法(=神からの指針)でさだめられてもいない、食事…

  • あなたの目が澄んでおれば、全身も明るいが、目がわるければ、からだも暗い(ルカ11:33~36)

    (今回は、目があかりの役割としてキリストをただしく見ているなら、からだもあかるい、ということについてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・11章の33~36節より(以下はキリストが、みわざを見たのに、キリストをうけいれない群衆に語っているおことばです) 『だれもあかりをともして、それを穴倉(あなぐら)の中や枡(ます=四角い容器)の下に置くことはしない。むしろはいって来る人たちに、そのあかりが見えるように、燭台(しょくだい=ろうそくを立てる台)の上におく(=キリストがこの場でこうお語りになる背景には、多くの人があかりに蓋(ふた)をし、自分にも人にも光を閉ざしている現状があります)。あなたの目…

  • ニネベの人々に対してヨナがしるしとなったように、人の子もこの時代に対してしるしとなるであろう(ルカ11:29~32)

    (今回は、十字架の死からの復活をとおして、当時の人々へのしるしとなるキリスト、についてふれたいと思います) 先に予備知識として、旧約聖書のヨナ書(=キリストが地上にあらわれる、さらに800年近く前に書かれた書)にでてくる預言者(神からの使者)ヨナが、神によってどのようにもちいられたかをまとめておきます。 ・ヨナは船に乗りあわせた人たちから、荒れた海になげこまれましたが、神が大きな魚にのみこませました。そして “三日三晩” たったあとで、ヨナを岸にはきださせ、ニネベという町での宣教に従事させました。これによりその地の人々は神を信じました。この一連の神がなさったできごとが、じつはキリストが十字架に…

  • いや、めぐまれているのは、むしろ、神の言を聞いてそれを守る人たちである(ルカ11:27~28)

    (今回は、大切なのは、あくまで信仰をもって、神のことばを守ることである、ということについてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・11章の27~28節より 『イエスがこう話しておられるとき(=ベルゼブル論争からはじまって、一つの悪霊が七つの悪霊をつれてきて住みつくと話しているとき)、群衆の中からひとりの女が声を張りあげて(=感嘆(かんたん)して)言った、「あなたを宿した胎、あなたが吸われた乳房は、なんとめぐまれていることでしょう(=これはイエスの母マリヤを讃(たた)えての発言ですが、彼女がこう声をあげたのには、イエスがしていた話に感銘をおぼえ、イエスを讃えたいとの意味合いもふくまれています。…

  • しかし、もっと強い者が襲ってきて彼に打ち勝てば、その頼みにしていた武具を奪って、その分捕品を分けるのである(ルカ11:20~26)

    (今回は、霊における戦いを経て、囚われの人々をとりもどすキリスト、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・11章の20~26節より(以下はキリストのおことばです) 『しかし(=あなたがた(群衆)は、キリストに対してサタンの力で悪霊を追いだしていると言っているが)、わたしが神の指(=神の霊(マタイ12:28))によって悪霊を追い出しているのなら、神の国はすでにあなたがたのところにきたのである(=キリストをとおして実際に神の国が到来しているのだ)。強い人(=サタンのことと思われます)が十分に武装して(=悪霊を呼び寄せ、霊における反撃体制をとって)自分の邸宅を(=自分の領域を)守っている限…

  • 彼は悪霊のかしらベルゼブルによって、悪霊どもを追い出しているのだ(ルカ11:14~19)

    (今回は、神の権威を、サタンから出たものとうけとる群衆、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・11章の14~19節より 『さて、イエスが悪霊を追い出しておられた。それは、おしの(=口をきけなくさせる)霊であった。悪霊が出て行くと、おしが物を言うようになったので、群衆は不思議に思った(=とてもおどろいた)。その中のある人々が、「彼は悪霊のかしらベルゼブル(=サタン)によって、悪霊どもを追い出しているのだ」と言い、またほかの人々は、イエスを試みようとして(=イエスをみとめていないゆえの挑発をして)、天からのしるし(=証拠)を求めた。しかしイエスは、彼らの思いを見抜いて(=彼らはもとから…

  • 天の父はなおさら、求めて来る者に聖霊を下さらないことがあろうか(ルカ11:9~13)

    (今回は、もとめつづける者に神は聖霊をくださる、ということについてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・11章の9~13節より(以下はキリストのおことばです) 『そこでわたしはあなたがたに(=夜中にパンをもとめつづけるたとえを聞かせた弟子たちに)言う。求めよ(=神のみこころをもとめつづけなさい)、そうすれば、与えられるであろう。捜せ(=神のみこころをもとめて具体的にさがしつづけなさい)、そうすれば見いだすであろう。門をたたけ(=神のみこころをもとめて具体的に門をたたきつづけなさい)、そうすれば、あけてもらえるであろう。すべて(=神に祈りつづけて)求める者は得、捜す者は見いだし、門をたたく者…

  • 友人だからというのでは起きて与えないが、しきりに願うので、起き上がって必要なものを出してくれるであろう(ルカ11:5~8)

    (今回は、もとめつづければ、神から聖霊があたえられることの喩え、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・11章の5~8節より(以下はキリストのおことばです) 『そして彼ら(=祈り方をたずねてきた弟子たち)に言われた、「あなたがたのうちのだれかに、友人があるとして、その人のところへ真夜中に行き、『友よ、パンを三つ貸してください。友だちが旅先からわたしのところに着いたのですが、何も出すものがありませんから』と言った場合、彼は内から、『面倒をかけないでくれ。もう戸は締めてしまったし、子供たちもわたしと一緒に床にはいっているので、いま起きて何もあげるわけにはいかない』と言うであろう。しかし、…

  • 父よ、御名があがめられますように。御国がきますように(ルカ11:1~4)

    (今回は、信者の模範となる祈り、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・11章の1~4節より 『また、イエスはある所で祈っておられたが、それが終ったとき、弟子のひとりが言った、「主よ、ヨハネ(=キリストの先駆者として洗礼をさずけていたヨハネ)がその弟子たちに教えたように(=祈りのことばを共有していたように)、わたしたちにも祈ることを教えてください」。そこで彼らに言われた、「祈るときには、こう言いなさい、『父よ(=神よ)、御名が(みな=神の神性や本質をふくめたご存在そのものが)あがめられますように(=他のどんなものとも区別して、神を神として聖別する(世から選(よ)り分ける)ことができま…

  • マリヤはその良い方を選んだのだ。そしてそれは、彼女から取り去ってはならないものである(ルカ10:38~42)

    (今回は、みことばを聞くことの大切さ、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・10章の38~42節より 『一同が旅(=エルサレムを目的地とする旅)を続けているうちに、イエスがある村へ(=エルサレムの東にあるベタニヤへ)はいられた。するとマルタという名の女がイエスを家に迎え入れた。この女にマリヤという妹がいたが、主の(=キリストの)足もとにすわって、御言(みことば)に聞き入っていた。ところが、マルタは接待のことで(=キリストへの食事などのもてなしで)忙がしくて心をとりみだし、イエスのところにきて言った、「主よ、妹がわたしだけに接待をさせているのを、なんともお思いになりませんか。わたしの…

  • この三人のうち、だれが強盗に襲われた人の隣り人になったと思うか(ルカ10:30~37)

    (今回は、見ず知らずの人の隣人となって、その人を愛するように、ということについてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・10章の30~37節より 『イエスが(=律法学者からの、どういう人たちを自分の隣人と見なすのか、との問いに)答えて言われた(=ここでのポイントは、この律法学者は、自分の身近な人たちや、シナゴーグ(=ユダヤ教徒の集会)の仲間には、愛をもって接しているとの自負があり、その上で自分の正しさを主張しようとして、こう尋ねていることです。これに対するキリストの答えが以下になります)、「ある人がエルサレムからエリコ(=エルサレムの北東にある町)に下って行く途中、強盗どもが彼を襲い、その着…

  • 先生、何をしたら永遠の生命が受けられましょうか(ルカ10:25~29)

    (今回は、故意にキリストに議論をもちかける律法学者、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・10章の25~29節より 『すると(=キリストが弟子たちに、ご自身が救い主であるのをただしく見ているあなたがたはさいわいだ、と話していると)そこへ、ある律法学者(=律法を研究し説く者)が現れ、イエスを試みようとして(=議論をもちかけて、おそらくは恥をかかせようとして)言った、「先生、何をしたら永遠の生命が受けられましょうか」。彼に言われた、「律法には(=旧約聖書にある神からの指針には)なんと書いてあるか。あなたはどう読むか(=キリストのほうで彼に質問を返し、試す格好になっています。要は早くも立…

  • これらの事を知恵のある者や賢い者に隠して、幼な子にあらわしてくださいました(ルカ10:21~24)

    (今回は、弱い者たちにご自身をあらわし、永遠の命をあたえてくださる神、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・10章の21~24節より 『そのとき(=72人の使者から伝道の報告をうけたとき)、イエスは聖霊によって(=神の霊に満たされて)喜びあふれて言われた、「天地の主なる父(=神)よ。あなたをほめたたえます。これらの事を(=神の命の書に名がしるされて、永遠の命があたえられていることを)知恵のある者や賢い者に隠して(=こうした人たちは、神ではなく自分の考えや力に頼ります)、幼な子に(=知恵もなく賢くもない弱い者たちに。ここでいう使者たちに)あらわしてくださいました。父よ、これはまことに…

  • むしろ、あなたがたの名が天にしるされていることを喜びなさい(ルカ10:17~20)

    (今回は、信者の喜びの本質である、永遠の命があたえられていること、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・10章の17~20節より 『七十二人が喜んで帰ってきて言った、「主よ、あなたの(=キリストの)名によっていたしますと、悪霊までがわたしたちに服従し(=追いだすことができ)ます」。彼らに言われた、「わたしはサタン(悪魔)が電光のように(=一瞬の速さで)天から落ちるのを見た(=ここは未完了時制なので、これから見ることになるのがわかっている、という意味です。サタンは艱難期の中間までは天に出入りして、神に対して信者の罪の告発をくりかえしています。しかしやがて御使(みつか)いのミカエルとの…

  • ああ、カペナウムよ、おまえは天にまで上げられようとでもいうのか。黄泉にまで落されるであろう(ルカ10:12~16)

    (今回は、キリストの使者を拒むユダヤ人の町々へのさばき、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・10章の12~16節より(以下はキリストのおことばです) 『あなたがたに(=これから遣わす72人の使者に)言っておく。その日には(=世のおわりにもたらされる神のさばきのときには)、この町よりも(=これまでのキリストによる奇跡(=病のいやしや悪霊を追いだすことなど)、また実際の宣教にもふれながら、いまもキリストを救い主とみとめず、72人の使者を迎えいれない町よりも)ソドムの方が(=死海の南部付近にあった異邦人の町で、その悪徳による腐敗のために、かつて神からの火と硫黄(いおう)でほろぼされた町…

  • そして、その町にいる病人をいやしてやり、『神の国はあなたがたに近づいた』と言いなさい(ルカ10:7~11)

    (今回は、キリストが王となって治める神の国の到来、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・10章の7~11節より(以下はキリストのおことばです) 『それで(=旅先で)、その同じ家に(=キリストの使者であるあなたがたを、うけいれてくれた家に)留まっていて、家の人が出してくれるものを飲み食いしなさい。働き人が(=神のために従事している者が)その報いを得るのは当然である。家から家へと渡り歩くな。どの町へはいっても、人々があなたがたを迎えてくれるなら、前に出されるものを食べなさい(=仮に異邦人が、律法の食物規定に関係なく出してくるものもたべなさい、ということだと思います(マルコ7:18~19…

  • もし平安の子がそこにおれば、あなたがたの祈る平安はその人の上にとどまるであろう(ルカ10:1~6)

    (今回は、神からの平安がとどまる人とそうでない人、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・10章の1~6節より 『その後(=キリストに従うのを優先するようにと語られたのち)、主(=キリスト)は別に七十二人(=12人の弟子とはべつに72人の使者)を選び、行こうとしておられたすべての町や村へ、ふたりずつ先におつかわしになった。そのとき、彼らに言われた、「収穫(=キリストを信じるようになる人)は多いが、働き人(=キリストのことをつたえる人)が少ない。だから、収穫の主(=神)に願って、その収穫のために働き人を送り出すようにしてもらいなさい。さあ、行きなさい。わたしがあなたがたをつかわすのは、…

  • 手をすきにかけてから、うしろを見る者は、神の国にふさわしくないものである(ルカ9:57~62)

    (今回は、神に従うのを優先する、ということについてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・9章の57~62節より 『道を(=エルサレムを目的地とする道を)進んで行くと、ある人がイエスに言った、「あなたがおいでになる所ならどこへでも従ってまいります」。イエスはその人に言われた、「きつねには穴(=寝床となる穴)があり、空の鳥には巣がある。しかし、人の子(=キリスト)にはまくらする所がない(=キリストにお供することには、寝泊まりするところさえないといった状況がついてまわります。これらをうけいれた上で、それでも従ってきますか、と確認のことばをかけておられます)」。またほかの人に、「わたしに従ってきな…

  • 主よ、いかがでしょう。彼らを焼き払ってしまうように、天から火をよび求めましょうか(ルカ9:51~56)

    (今回は、民族意識による隔(へだ)て、ということについてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・9章の51~56節より 『さて、イエスが天に上げられる日が近づいたので(=十字架の死を経て、復活し、昇天させられる、という神のご計画の成就が近づいているので)、エルサレム(=ユダヤ人にとっての神殿がある中心地)へ行こうと決意して、その方へ顔をむけられ、自分に先立って使者たち(=お供している者たち)をおつかわしになった。そして彼らがサマリヤ人の村(=エルサレムより北にある異邦人の村)へはいって行き、イエスのために準備(=食事や宿舎の確保など)をしようとしたところ、村人は、エルサレムへむかって進んで行…

  • あなたがたに反対しない者は、あなたがたの味方なのである(ルカ9:49~50)

    (今回は、いきすぎた仲間意識が、隔てをもうけてしまう、ということについてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・9章の49~50節より 『すると(=キリストから、地位(偉さ)への執着を指摘されたあとで)ヨハネが答えて言った、「先生、わたしたちはある人があなたの名を使って(=キリストの名(権威)を使って)悪霊を追い出しているのを見ましたが、その人はわたしたちの仲間でないので(=私たちの仲間となって同行しないので)、やめさせました(=ヨハネは、地位への執着によって、幼な子をうけいれない隔(へだ)てを指摘されたあとで、今度は仲間意識への執着によって、悪霊を追いだしている人を隔てている姿をあらわにし…

  • だれでもこの幼な子をわたしの名のゆえに受けいれる者は、わたしを受けいれるのである(ルカ9:46~48)

    (今回は、キリストにしたがって自分を低くすることの大切さ、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・9章の46~48節より 『弟子たちの間に、彼らのうちでだれがいちばん偉(えら)いだろうかということで、議論がはじまった(=彼らは、いまのイエスがローマを倒し、イスラエルの王になると思っています。その際にだれがより高い地位にあずかるのか、を意識して議論していたものと思います)。イエスは彼らの心の思いを見抜き、ひとりの幼な子を取りあげて自分のそばに立たせ、彼らに言われた、「だれでもこの幼な子をわたしの名のゆえに受けいれる者は、わたしを受けいれるのである(=当時のユダヤ社会では、子供は見向きも…

  • 人の子は人々の手に渡されようとしている(ルカ9:43~45)

    (今回は、ご自身の死について預言されるキリスト、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・9章の43~45節より 『みんなの者が(=群衆が)イエスのしておられた数々の事を(=病のいやしや悪霊を追いだすことなど、人にはできない数々のできごとを)不思議に思っていると、弟子たちに言われた、「あなたがたはこの言葉を耳におさめて置きなさい。人の子(=キリスト)は人々の手に渡されようとしている(=いずれは捕(と)らえられ、十字架で殺されることになる)」。しかし、彼らはなんのことかわからなかった(=キリストがご自身の死について預言しているのに、その意味がわからなかった)。それが彼らに(=神によって)…

  • ああ、なんという不信仰な、曲った時代であろう(ルカ9:37~43)

    (今回は、だれも神に祈って、依り頼むことをしない時代、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・9章の37~43節より 『翌日、一同が(=キリストと、その変貌を見たペテロ、ヤコブ、ヨハネが)山を降りて来ると、大ぜいの群衆がイエスを出迎えた。すると突然、ある人が群衆の中から大声をあげて言った、「先生、お願いです。わたしのむすこを見てやってください。この子はわたしのひとりむすこですが、霊(=悪霊)が取りつきますと、彼は急に叫び出すのです。それから、霊は彼をひきつけさせて、あわを吹かせ、彼を弱り果てさせて、なかなか出て行かないのです。それで、お弟子たちに、この霊を追い出してくださるように願い…

  • これはわたしの子、わたしの選んだ者である。これに聞け(ルカ9:32~36)

    (今回は、イエスが神の御子であり、キリストであると宣言なさる神、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・9章の32~36節より 『ペテロとその仲間の者たちとは(=キリストが祈っているあいだに)熟睡していたが、目をさますと、イエスの栄光の姿(=神の御子(みこ)としての神性にともなう栄光が、お顔や衣の輝きとなってあらわれている姿)と、共に立っているふたりの人(=律法をさずかったモーセと、代表的な預言者であるエリヤ)とを見た。このふたりがイエスを離れ去ろうとしたとき(=キリストが死をもってなしとげる(=十字架による)、世の罪のあがないの話をしおえたとき)、ペテロは自分が何を言っているのかわ…

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