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あなたの神、主を愛しなさい https://kurisuchan.hatenablog.com/

クリスチャンになって7年目のわたしが、聖書の解説やつぶやきをしております。聖書を手にされたことのない方々、ぜひお越しになってください。

s.ujike
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2020/02/22

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  • すなわち、彼は祭司長たちや宮守がしらたちのところへ行って、どうしてイエスを彼らに渡そうかと、その方法について協議した(ルカ22:1~6)

    すなわち、彼は祭司長たちや宮守がしらたちのところへ行って、どうしてイエスを彼らに渡そうかと、その方法について協議した(ルカ22:1~6)

    (今回は、キリストを裏切る弟子のユダ、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・22章の1~6より 『さて、過越(すぎこし=これには、神のさばきがくだるはずだったのに、そのさばきがなにごともなくすぎこしていった(=すぎさっていった)という意味があります。これはいまから約3500年前に、イスラエルの民が神の助けのもと、エジプトから脱出する際に経験したことですが、そのできごとをわすれないために、とくに過越のまつりとして祝しているものです)といわれている除酵祭(じょこうさい=これは過越のまつりにあわせておこなわれる7日間のまつりのことです。これはエジプトからにげる際に、パンにパン種(=パンを…

  • これらの起ろうとしているすべての事からのがれて、人の子の前に立つことができるように、絶えず目をさまして祈っていなさい(ルカ21:34~38)

    これらの起ろうとしているすべての事からのがれて、人の子の前に立つことができるように、絶えず目をさまして祈っていなさい(ルカ21:34~38)

    (今回は、たえず目をさまして祈ることの大切さ、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・21章の34~38より(以下はキリストのおことばです) 『あなたがた(=弟子たち)が放縦(ほうじゅう=勝手なふるまい)や、泥酔(でいすい)や、世の煩(わずら)いのために心が鈍っているうちに(=そんなふうに日常をすごしているうちに)、思いがけないとき、その日が(=世のおわりにむけた神のさばきが)わなのようにあなたがたを捕えることがないように、よく注意していなさい。その日は地の全面に住むすべての人に臨むのであるから。これらの起ろうとしているすべての事からのがれて(=世のおわりにむけた苦難からのがれて(テ…

  • いちじくの木を、またすべての木を見なさい。はや芽を出せば、あなたがたはそれを見て、夏がすでに近いと、自分で気づくのである(ルカ21:29~33)

    いちじくの木を、またすべての木を見なさい。はや芽を出せば、あなたがたはそれを見て、夏がすでに近いと、自分で気づくのである(ルカ21:29~33)

    (今回は、キリストの再臨が近づいている、ということについてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・21章の29~33より(以下はキリストのおことばです) 『それから一つの譬(たとえ)を(=弟子たちに)話された、「いちじくの木を、またすべての木を見なさい。はや芽を出せば、あなたがたはそれを見て、夏がすでに近いと、自分で気づくのである。このようにあなたがたも、これらの事が(=にせのキリスト(いつわりの宗教)や戦争、地震、疫病(えきびょう)、飢饉(ききん)、迫害、反キリストによるエルサレムの侵略、太陽や月や星にあらわれるしるし、また天変地異などが(ルカ21:8~28))起るのを見たなら、神の国(=…

  • そのとき、大いなる力と栄光とをもって、人の子が雲に乗って来るのを、人々は見るであろう(ルカ21:25~28)

    そのとき、大いなる力と栄光とをもって、人の子が雲に乗って来るのを、人々は見るであろう(ルカ21:25~28)

    (今回は、天変地異をふくめた苦しみのあとで再臨なさるキリスト、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・21章の25~28より(以下はキリストのおことばです) 『また(=世のおわりをむかえる前兆(=しるし)としては)日(=太陽)と月と星とに、しるしが(=太陽が暗くなったり、月も暗くなったり、血のように赤くなったり、星も輝きをうしなったり、地上に落ちたり、こうしたしるしが世にもたらされる苦しみの期間(艱難期)に(ヨエル2:10、2:31、3:15、黙示録6:12~13.、8:12、))現れるであろう。そして、地上では、諸国民(=世界中の人々)が悩み、海と大波(=高波)とのとどろき(=艱難…

  • そしてエルサレムは、異邦人の時期が満ちるまで、彼らに踏みにじられているであろう(ルカ21:20~24)

    そしてエルサレムは、異邦人の時期が満ちるまで、彼らに踏みにじられているであろう(ルカ21:20~24)

    (今回は、異邦人の救われる人数が、神の計画に達するまで、エルサレムは異邦人に荒らされる、ということについてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・21章の20~24より(以下はキリストのおことばです) 『エルサレム(=イスラエルの中心地)が軍隊に(=ローマ軍に)包囲されるのを見たならば、そのときは、その滅亡が近づいたとさとりなさい(=実際この預言は、西暦70年にエルサレムが侵略され、神殿も破壊されることで成就(じょうじゅ)しました。ですがここでのキリストは、このできごとを世のおわりにおこることと重ねて(=要は反キリストの軍隊によって、エルサレムが包囲され、滅亡させられるという意味をこめて、い…

  • 多くの者がわたしの名を名のって現れ、自分がそれだとか、時が近づいたとか、言うであろう。彼らについて行くな(ルカ21:7~19)

    多くの者がわたしの名を名のって現れ、自分がそれだとか、時が近づいたとか、言うであろう。彼らについて行くな(ルカ21:7~19)

    (今回は、世のおわりに向かう途中で、にせのキリストや戦争、地震、疫病などがおこる、ということについてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・21章の7~19より 『そこで彼ら(=キリストの弟子たち(ユダヤ人))はたずねた、「先生、では、いつそんなことが(=イスラエルに関わる、エルサレムの第二神殿の崩壊が)起るのでしょうか(=この神殿はキリストの預言どおりに、すでに西暦70年に崩壊しました。ここでの弟子たちは、神殿が崩壊するのを、世のおわりのことと思いこんで質問しています)。またそんなことが起るような場合には(=世のおわりの前ぶれとしては)、どんな前兆(=しるし、なかでもユダヤ人に関わりのある…

  • あなたがたはこれらのものをながめているが、その石一つでもくずされずに、他の石の上に残ることもなくなる日が、来るであろう(ルカ21:5~6)

    あなたがたはこれらのものをながめているが、その石一つでもくずされずに、他の石の上に残ることもなくなる日が、来るであろう(ルカ21:5~6)

    (今回は、すでに成就した第二神殿の崩壊についてのキリストの預言、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・21章の5~6より 『ある人々が、見事な石と奉納物(=神へのささげもの)とで宮が(=エルサレムにある第二神殿が)飾られていることを話していたので、イエスは言われた、「あなたがたはこれらのものを(=ずっとつづくものとして)ながめているが、その石一つでもくずされずに、他の石の上に残ることもなくなる日が、来るであろう(=これは預言です。このことばのとおり、この約40年後(=西暦70年)に、エルサレム神殿はローマ軍によって破壊されることとなりました。ユダヤ人指導者をふくめた多くのユダヤ人が…

  • あの貧しいやもめはだれよりもたくさん入れたのだ(ルカ21:1~4)

    あの貧しいやもめはだれよりもたくさん入れたのだ(ルカ21:1~4)

    (今回は、神は金額の大小ではなく、献金をするその人の想いをみておられる、ということについてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・21章の1~4より 『イエスは目をあげて、金持たちがさいせん箱に献金(=献金そのものの意味は、神がささえてくださっている生活の中から、その一部をささげる(=お返しする)ことで、神への感謝や信頼をしめすことにあります)を投げ入れるのを見られ、また、ある貧しいやもめ(=夫のいない女、また夫を失った女。とくにここでは、律法学者にいいようにお金をまきあげられているやもめ(ルカ20:47))が、レプタ二つ(=ギリシアの通貨です。この2枚で、いまでいう160円程度)を入れるの…

  • 彼らは長い衣を着て歩くのを好み、広場での敬礼や会堂の上席や宴会の上座をよろこび、やもめたちの家を食い倒し、見えのために長い祈をする(ルカ20:45~47)

    彼らは長い衣を着て歩くのを好み、広場での敬礼や会堂の上席や宴会の上座をよろこび、やもめたちの家を食い倒し、見えのために長い祈をする(ルカ20:45~47)

    (今回は、神のおしえを悪用すれば重いさばきをうける、ということについてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・20章の45~47より 『民衆がみな聞いているとき、イエスは弟子たちに言われた、「律法学者(=律法を研究し説く者)に気をつけなさい。彼らは長い衣を着て歩くのを好み(=自分の立ち場をみせびらかすのを好み)、広場での敬礼や会堂の上席(じょうせき=上位の席)や宴会の上座(じょうざ=上席)をよろこび、やもめ(=夫のいない女、また夫を失った女)たちの家を食い倒し(=弱さにつけこんで私腹をこやすのに利用し)、見えのために(=自分をすぐれた者と見せるために、見せかけの)長い祈をする。彼らは(=神に…

  • このように、ダビデはキリストを主と呼んでいる。それなら、どうしてキリストはダビデの子であろうか(ルカ20:41~44)

    このように、ダビデはキリストを主と呼んでいる。それなら、どうしてキリストはダビデの子であろうか(ルカ20:41~44)

    (今回は、救い主であるキリストは、人間であると同時に神である、ということについてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・20章の41~44より 『イエスは彼らに(=ユダヤ人指導者らに)言われた、「どうして人々はキリストをダビデの子だと言うのか(=これは旧約聖書で、ダビデ王(=かつてのイスラエルの王)の子孫から、救い主であるキリストが誕生すると預言されているため、人々のあいだでこう言われていました(サムエル記 下7:11~16)。また事実、キリストは系図からもダビデの子孫なのです(マタイ1:1~17)。ただここでキリストが言っているのは、どうして人々は、キリストはダビデの子だという、キリストの…

  • 神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神である(ルカ20:27~40)

    神は死んだ者の神ではなく、生きている者の神である(ルカ20:27~40)

    (今回は、神は、まさに生きているわたしたちの神である、ということについてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・20章の27~40より 『復活(=死から甦(よみがえ)る)ということはないと言い張っていたサドカイ人(=キリストを敵視しているユダヤ教の一派)のある者たちが、イエスに近寄ってきて質問した、「先生、モーセ(=エジプトの奴隷だったイスラエルの民を率(ひき)いた人物)は、わたしたちのためにこう書いています、『もしある人の兄が妻をめとり、子がなくて死んだなら、弟はこの女をめとって、兄のために子をもうけねばならない』。ところで、ここに七人の兄弟がいました。長男は妻をめとりましたが、子がなくて…

  • それなら、カイザルのものはカイザルに、神のものは神に返しなさい(ルカ20:20~26)

    それなら、カイザルのものはカイザルに、神のものは神に返しなさい(ルカ20:20~26)

    (今回は、キリストの落ち度をさがそうとしても、自分のいたらなさを自覚させられるだけである、ということについてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・20章の20~26より 『そこで(=民衆の前でキリストを堂々と捕(と)らえられずに)、彼ら(=ユダヤ教の指導者たち)は機会(=キリストをとらえる機会)をうかがい、義人を装(よそお)うまわし者(=神の真理をもとめているふりをする者)どもを送って、イエスを総督(=ローマそうとく)の支配と権威とに引き渡すため、その言葉じりを捕えさせようとした(=ローマへの反逆者に仕立てあげようとした)。彼らは尋ねて言った、「先生、わたしたちは、あなたの語り教えられるこ…

  • ある人がぶどう園を造って農夫たちに貸し、長い旅に出た(ルカ20:9~19)

    ある人がぶどう園を造って農夫たちに貸し、長い旅に出た(ルカ20:9~19)

    (今回は、キリストが預言をまじえながら指摘された、ユダヤ人指導者たちのあやまち、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・20章の9~19より 『そこで(=ユダヤ人指導者たちの問いに、問いでかえすことで彼らの罪をあきらかにしたあとで)イエスは次の譬(たとえ)を民衆に語り出された、「ある人(=ここでは、父なる神、をたとえています)がぶどう園を(=イスラエルを)造って農夫たちに(=祭司長や律法学者、長老といったユダヤ教の指導者たちに)貸し、長い旅に出た。季節になったので(=イスラエルの実りをあつめるときになったので)、農夫たちのところへ、ひとりの僕(しもべ=神の使者である預言者)を送って、…

  • ヨハネのバプテスマは、天からであったか、人からであったか(ルカ19:47~20:8)

    ヨハネのバプテスマは、天からであったか、人からであったか(ルカ19:47~20:8)

    (今回は、天の神からの使者であったヨハネを拒否したユダヤ人たち、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・19章の47~20章の8節より 『イエスは毎日、宮(=エルサレム神殿の敷地内)で教えておられた。祭司長(=神に礼拝や供え物をささげる人)、律法学者(=律法を研究し説く者)また民衆の重立(おもだ)った者たちは(=地位のある者たちは)イエスを殺そうと思っていたが、民衆がみな熱心にイエスに耳を傾けていたので、手のくだしようがなかった(=彼らはキリストを憎んで殺そうとしていましたが、民衆の支持をキリストがうけていたので、もし殺せば自分たちもただではすまない状況にありました)。ある日、イエス…

  • それは、おまえが神のおとずれの時を知らないでいたからである(ルカ19:41~46)

    それは、おまえが神のおとずれの時を知らないでいたからである(ルカ19:41~46)

    (今回は、キリストが預言として語った、エルサレム神殿の崩壊、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・19章の41~46節より(以下はキリストのおことばです) 『いよいよ都(=エルサレム(イスラエルの中心地))の近くにきて、それが(=信仰のない都の様子が)見えたとき、そのために泣いて言われた、「もしおまえも(=ユダヤ人も。とくにここではエルサレムにいるユダヤ人も)、この日に(=いままさにキリストがエルサレムに入城しているこの日に)、平和をもたらす道を知ってさえいたら(=イエスこそが平和をもたらす救い主だと知っていたなら)……しかし、それは今おまえの目に隠されている(=それに気づくことが…

  • そこにはいったら、まだだれも乗ったことのないろばの子がつないであるのを見るであろう。それを解いて、引いてきなさい(ルカ19:29~40)

    そこにはいったら、まだだれも乗ったことのないろばの子がつないであるのを見るであろう。それを解いて、引いてきなさい(ルカ19:29~40)

    (今回は、神の預言にそって、子ろばに乗ってエルサレムにはいるキリスト、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・19章の29~40節より 『そしてオリブという山(=エルサレム(イスラエルの中心地)の東にあるオリブ山)に沿ったベテパゲとベタニヤに近づかれたとき、ふたりの弟子をつかわして言われた、「向こうの村(=おそらくベテパゲかベタニヤのどちらかのこと)へ行きなさい。そこにはいったら、まだだれも乗ったことのないろばの子がつないであるのを見るであろう(=キリストはそこにろばがいるのを見透かしておられます)。それを解いて、引いてきなさい。もしだれかが『なぜ解くのか』と問うたら、『主(=キリス…

  • そして、そばに立っていた人々に、「その一ミナを彼から取り上げて、十ミナを持っている者に与えなさい」と言った(ルカ19:20~28)

    そして、そばに立っていた人々に、「その一ミナを彼から取り上げて、十ミナを持っている者に与えなさい」と言った(ルカ19:20~28)

    (今回は、不信者はあたえられているものまで取り上げられる、ということについてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・19章の20~28節より(以下はキリストによるたとえのおことばです) 『それから(=二人のしもべが神からの褒賞(ほうしょう)をうけたあとで)、もうひとりの者がきて言った、『ご主人様(=キリストをたとえています)、さあ、ここにあなたの一ミナがあります(=このお金で商売をするようにと、キリストからまかされた1ミナがあります。なおこの1ミナは、神のために信者を増やすなどの奉仕をするようにとまかされた、霊的な富のことをたとえています)。わたしはそれをふくさ(=小さな布)に包んで、しまっ…

  • そこで十人の僕を呼び十ミナを渡して言った、「わたしが帰って来るまで、これで商売をしなさい」(ルカ19:11~19)

    そこで十人の僕を呼び十ミナを渡して言った、「わたしが帰って来るまで、これで商売をしなさい」(ルカ19:11~19)

    (今回は、神への奉仕に対する、キリスト再臨後にうける褒賞、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・19章の11~19節より 『人々がこれらの言葉を(=ザアカイの家での救いに関する話を)聞いているときに、イエスはなお一つの譬(たとえ)をお話しになった。それはエルサレム(=キリストが十字架にかけられる場所)に近づいてこられたし、また人々が神の国はたちまち現れると思っていたためである(=人々はキリストがエルサレムにはいれば、すぐにでもローマをたおして(=当時のユダヤ人は、ローマに支配されていました)、自分たちの王になってくれると思いこんでいました)。それで言われた、「ある身分の高い人が、王…

  • 人の子がきたのは、失われたものを尋ね出して救うためである(ルカ19:1~10)

    人の子がきたのは、失われたものを尋ね出して救うためである(ルカ19:1~10)

    (今回は、信仰をもつ人は、神の選びにあずかっている、ということについてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・19章の1~10節より 『さて、イエスはエリコ(=エルサレムの北東にある町)にはいって、その町をお通りになった。ところが、そこにザアカイという名の人がいた。この人は取税人(しゅぜいにん=税をとりたてる人)のかしらで、金持であった。彼は、イエスがどんな人か見たいと思っていたが、背が低かったので、群衆にさえぎられて見ることができなかった。それでイエスを見るために、前の方に走って行って、いちじく桑(くわ)の木に登った。そこを通られるところだったからである。イエスは、その場所にこられたとき、…

  • 先頭に立つ人々が彼をしかって黙らせようとしたが、彼はますます激しく叫びつづけた、「ダビデの子よ、わたしをあわれんで下さい(ルカ18:35~43)

    先頭に立つ人々が彼をしかって黙らせようとしたが、彼はますます激しく叫びつづけた、「ダビデの子よ、わたしをあわれんで下さい(ルカ18:35~43)

    (今回は、人目もはばからない信仰、についてふれたいと思います) ・ルカによる福音書・18章の35~43節より 『イエスがエリコ(=エルサレムの北東にある町)に近づかれたとき、ある盲人(もうじん=目が見えない人)が道ばたにすわって、物ごいをしていた。群衆が通り過ぎる音を耳にして、彼は何事があるのかと尋ねた。ところが、ナザレ(=キリストの故郷)のイエスがお通りなのだと聞かされたので、声をあげて、「ダビデの子イエスよ(=“ダビデの子” とは、旧約聖書においてダビデ王(=かつてのイスラエルの王)の子孫からメシア(=救い主、キリスト)が誕生すると預言されていたため、人々の中にはこう呼ぶ者もいました(サム…

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