6歳と2歳の2児の父/これまでF1レーサーを目指したり、企業経営者を目指したりしてきた現在普通のサラリーマンが日々奮闘する物語/趣味はサッカー/
2025年6月
今朝、雲が降りてきた。 飲み込まれたのは、海、陸、そして私。 でも、もしそれが―― 私が空へ浮かんでいったのなら。 この霞は、空の中のベール。 私はその中で、すこしだけ自由になる。
⸻ 1. 「言ってね」と言われても、言えない理由 「何かあったら言ってね」 管理者がよく使うこの言葉。おそらく、悪気はまったくないと思う。 • 体調が悪いとき • わからないことがあるとき • トラブルが起きたときやミスをしてしまったとき …そんなときは遠慮せずに相談してほしい、というメッセージのつもりなのでしょう。 でも実際に現場から聞こえてくる声は、ちょっと違いました。 • いつも忙しそうで、こんなことで話しかけたら申し訳ない • 目上の人に話しかけるのが苦手 • どのタイミングで言えばいいのかわからない • 「こんなことくらい」で話しかけるのは気が引ける
忘れるな
昨日町田に負けた いい選手が揃ってるのに勝てない 鹿島アントラーズがずーっと抱えてる問題 誰もが勝ちたいと思ってる なのに勝てない もちろん相手もプロ 相手も勝ちたいと思ってる では勝ちたいと思う気持ちが足りないのか? 違う 強いときの鹿島ではない 小笠原満男がいない 2点ビハインドからひっくり返す 固い守備で試合を落ち着かせ 虎視眈々とその時を待つ まずは1点 勝っているはずの相手の方が乱れはじめる そして追いつく その頃にはもう形勢逆転 あとは決めるだけ それは鬼木監督が悪いわけではない 監督はピッチの中には入れない 優磨、健斗、岳 もう一度期待してる 試合終盤
負けたくない 何に てっぺんに登りたい 何の
一転して今日は 少ない 2隻 あれほどいた昨日はなんだった? 夢でも見たか? いや間違いなくいた 10隻以上 話し合いがまとまった なんの? 用が済んだ なんの? たった30秒の景色に こんなに楽しませてもらっている
今朝、海に浮かぶ影の数に、息をのむ タンカーが多い。…多すぎる 軽く10隻は超えている 運転しながらでは、正確な数は掴めないが、残像だけが記憶に焼き付いた 何が起きてる? 確かめたい衝動 どうしたらわかるのか? 非常にもどかしい
日々切り取っているのは ただの景色なんかではなく 心の中の“鏡”としての海 声なき対話相手”としての空 たった30秒の見慣れた景色の中に ふと心の奥と重なることがある 海が白く霞んでいる日は 考えがまとまらない朝 海が濃く澄んでいる日は 心にもピントが合った証 景色を通して 自分の心が少しだけ垣間見える時間 「30秒のファンタジー」 それは内省の突破口かもしれない
ここしばらく ぼやけていたのは 空でも 海でもなく わたしの心だったかもしれない 考えがまとまらず 言葉にならず ただ時間だけが流れていく 今朝、視界が開けた 海が濃く、くっきりと見えた その瞬間 心の奥にも ひとつ ピントが合った気がした
「感謝の掲示板って、何になるの?」 3年続けてきた取り組みに対して、 正直に言うと、その問いに明確に答えられない自分がいる。 いまだに投稿したことのない人。 見てもくれない人。 存在すら知らないかもしれない人。 自分の中ではとても大切な“掲示板”が、 誰かにとっては、ずっと無関係なものである。 そんな現実に直面するたび、 「意味があるのか?」という問いが、心の中に浮かぶ。 それでも私は、やめなかった。 ⸻ 思い出す言葉がある。 「お前には空気を変える力がある」 「また一緒に働きたい」 そんなふうに言ってもらえたことがあった。 しかし、自分自身それは半信半疑だった。
そもそもの居場所が違う。 ずっと、そう感じて生きてきた。 それは、最初から大きな違和感というわけではなかった。 ただ、みんなが笑っている場面で、 なぜかひとり、孤独感、孤立感、そんなものを感じていた。 うまくやろうとはしてきた。 協調、努力、妥協、 だけど、どれだけなじもうとしても、 「なんか違う」と、心の奥でずっと思っていた。 ⸻ 働くようになってからは、それがさらに強くなった。 ギスギスした空気。 表面上だけ取り繕う会議。 人の気配りより、数字が優先される職場。 気づいたら、自分の声が小さくなっていた。 そんな毎日の中で、 「自分を必要としてくれる世界は、どこにあるのか?
本当は何もしたくない。 行きたいところに、自由に行きたいだけ。 心のままに生きていたいだけ。 でも、社会は“何かをしている人間”しか許してくれない。 “何かをしなければ、生きていけない”と、 知らないうちにすり込まれてきた。 もう、そういうのに疲れた。 でも、原始時代だって、狩をしなければ生きていけなかった。 食べるための獲物を狩る。 それが出来なければ死んでいくだけ。 何も獲れずに帰ってきて、焚き火の前に座る。 何もなし得なかった無力感だけが残る。 笑えない。 自分が倒すべき敵。 それはいったいなんなんだ?
白いだけ、空も海も白いだけ、 なのになぜこんなにも美しく、 まばゆいのか。 本来なら眼下に望む海までも すっぽりと空が飲み込んでしまったように広がっていて、 それだけで息を飲み込むほど美しい。 しかし、私にはこの美しさを伝えきれる表現力がない。 それが残念でしかたない…
多い。 ぱっと見ただけで、9隻。 明らかに、いつもより多い。 もちろん運転中だから、見える範囲には限りがある。 もし振り返ることができたなら、もっといたのかもしれない。 今日は、なぜこんなにも? それとも、普段からこのくらい停まっていて、 私が見えていなかっただけなのだろうか。 だとしたら、 彼らは普段、どこに隠れているのだろう。 それとも―― やっぱり、今日が特別なのだろうか。 ひとつの港に、静かに集うクジラたち(=タンカー)。 それはまるで、まだ幕の上がらないシアターの開演を、息をひそめて待つ観客のようで――。
この地に来て10年。 慌ただしく過ぎていく日々のなかで、 私は、すっかり大切なものを見落としていた。 先週、そっと教えてくれた人がいた。 その人に導かれるように、 いつもは足を踏み入れない、 神聖な気配の漂う場所へ向かった。 そして、出会った。 木立の中に、ふわりと浮かぶ光。 ホタルだった。 息をのんだ。 生きている光。 消えては、また灯る、その小さな命が 胸の奥に、そっと火を灯した。 10年もここにいて、私は知らなかった。 こんなにもやさしい光が すぐそばで、静かに生きていたなんて。 そして、ホタルが生きられる自然が、 まだここに残っていること。 それを教えてく
海が見える丘に差しかかる。 最初は、ほんの少しだけ右手の先に顔を出す。 そこからカーブを描きながら、ゆるやかに坂をくだる。 進むごとに、海はだんだんと正面へ広がっていく。 そして視界いっぱいにその青が満ちたとき、 心の奥で、ふっと何かがほどける。 ――特別なことなんて、何も起きていない。 それでも、これは当たり前じゃない。 そう、自分に言い聞かせる。 この景色を、 今日もまた、見せてもらえているのだから。
信号が一度も赤にならなかった朝。 世界が、そっと背中を押してくれた気がした。 誰かが今日という一日を、 ささやかに祝福するように、 見えない“ブルーカーペット”を敷いてくれたのかもしれない。 いつものゲートの先に、 今日は、知らない扉が開いている気がした。
海が見え始めたその瞬間、 あまりの幻想的な光景に、胸の高鳴りを抑えられなかった。 空と海の境界は、すっかり溶けていた。 海面は見えず、一面が白。 それは、まるで世界が真珠のなかに包まれているようだった。 そんな白の海に、浮かんでいたのは―― 4隻の大型タンカー。 けれど、その姿はもう「タンカー」ではなかった。 まるで雲の上に浮かぶクジラたち。 大気の海を、そっと漂う幻の群れのように見えた。 昨夜は海が荒れていたのか、 彼らはいつもより岸辺へ寄っているようだった。 そのせいで、輪郭ははっきりし、いつも以上に大きく見えた。 この白の世界に、重なっていく現実と幻想。 今朝、ほんの一
今朝は雨。 空は白。 しばらく青空を見ていない気がする。 車を走らせ、海の見える丘に差し掛かると、 見えている海が、ゆっくりと視界に広がっていく。 その中に、4頭の“クジラ”が見えた。 “クジラ”とは、大型タンカーのこと。 先日、浜に近づいていた1隻のタンカーが、 まるで海に浮かぶクジラのように見えた。 それ以来、私の中で大型タンカーは“クジラ”になった。 海は静かだった。 波はそっと揺れ、色は灰色に、少しだけ青を溶かしたような。 空の色が、海の色を決めるのだと、今日も思う。 工場の煙は、海へ向かってそっと傾いていた。 その向きが珍しいことは、もう知っている。 前にこの煙が海
今回、私は会議の進め方を変えた。 課題を1ヶ月前の会議の際に説明してあった。 その上で、その後も補足資料を二度送付した。 そこまでするにも訳があった。 そもそも、自分で決め切れずにいた課題をテーマとして皆に投げかけた。 いつもなら、会議当日まで意見が出るのか不安でならないのが、今回ばかりは、前回の会議終了の翌日に、次回のテーマについて問い合わせがあった。 そんなことはめずらしかった。 テーマが難しく、周囲の人にも聞いてくれたらしいのだ。 その意見も相当あり、会議の場で言い切れないと思うと、事前共有してくれたものだった。 正直助かる。 それに対するこちらの意見を事前に準備でき
目の前に広がる景色は、どこか幻想的だった。 空も海も霞(かすみ)掛かっており、初めてここを訪れる人には、 どこまでが海で、どこから空なのか、きっと判別がつかないだろう。 それでも視界はすっきりしていて、 かなり前方の車まではっきり確認できる。 「霧(きり)」というより、やはり「霞(かすみ)」という言葉がしっくりくる。 消しゴムでやさしくなぞったかのように、 霞(かすみ)の薄いところから、波が盛り上がっているのが見えた。 普段のそれと比べて、その山はひときわ大きい。 「波が高いな」と、ひとりつぶやく。 直線に入った道路の先、正面には例の工場。 煙は霞(かすみ)と混ざって輪郭をぼかし
2025年6月
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