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温泉クンの旅日記 https://blog.goo.ne.jp/onsendaisuki-gogo

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2019/12/28

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  • 岐阜・大垣、中華そばと水まんじゅう

    <岐阜・大垣、中華そばと水まんじゅう>旅先でメシを食うなら、観光客目当ての店は避け、できるだけ地元客で繁盛している店を選ぶのがベストだ。もちろん、長時間利用となる呑むほうの酒場でも同じである。繁華な商店街というより静かな住宅街といったなかの、すこし奥まった場所にあった「朝日屋」。店前のスペースが駐車場なので、遠くからは容易にはみつけにくい。(やれやれ、ついに見つけたぞ!」三度目の挑戦で<ようやく>である。いつものように地図を頭に叩き込んだまではいいが、駅の逆側を探しまわってしまったのが、一度目。地下鉄でもないのにとんだドジぶりだ。中途半端にスマホのナビを頼って、あと一歩のところで「こんな住宅ばかりの場所にあるわけがないだろ!」と勝手に疑心暗鬼に陥り断念したのが二度目だった。このままでは3年目に入ってしまう...岐阜・大垣、中華そばと水まんじゅう

  • 滋賀・堅田、浮御堂(2)

    <滋賀・堅田、浮御堂(2)>とても小さな浮御堂なので、すぐに裏側に出てしまった。たしか、広重の浮世絵「堅田の落雁」は、この沖合あたりから浮御堂を描いた構図だった。湖のこの方角は、雄琴温泉とか大津方面であろう。浮御堂への湖上の架け橋を戻ると、岸辺で振り返って、浮御堂の風景を脳裡にしっかりと刻み込んだ。浮御堂の手前にある、入母屋造の三間堂の「観音堂」は満月寺の本堂で、内部には本尊木造<聖観音座像>を安置している。残念ながら後で知ったのだが、ここの内部の立派な天井画をぜひとも鑑賞したほうがよかったらしい。楼門のそばに、五月雨に濡れた浮御堂の美しさを詠んだ「阿波野青畝(あわのせいほ)」の向碑が立っていた。五月雨の雨垂ばかり浮御堂青畝は山口誓子や山口素十、水原秋桜子らとともに「ホトトギスの四S」と称された昭和初期の...滋賀・堅田、浮御堂(2)

  • 滋賀・堅田、浮御堂(1)

    <滋賀・堅田、浮御堂(1)>(どうやら着いたようだな・・・)左手に、海門山満月寺の山門らしきものがみえた。やれやれ、首に巻く乾いてしまったタオルで顔の汗を拭う。前に、おごと温泉に泊まったとき、ホテルから浮御堂までは約4キロ、徒歩では1時間くらい掛かるとフロントで言われ、「そんな遠いのかよ!」といったん諦めた。江戸後期の浮世絵師「歌川広重」によって描かれた、彼の代表作の一つである名所絵『近江八景』をネットで観るにおよび、俄然、浮御堂へ行ってみたくなったのであった。今日は堅田(かたた)駅から歩いたのだが、距離で1.7キロ、ざっと20分は掛かった。山門(楼門)は扉のない竜宮造りで、その漆喰塗りのしっかりとした基部をもつ姿をみて、規模の差こそあれ佐賀の武雄温泉街のシンボルの楼門を思いだしてしまった。(オォー、これ...滋賀・堅田、浮御堂(1)

  • 川越・喜多院の五百羅漢

    <川越・喜多院の五百羅漢>千二百年近い歴史があり、「川越大師」の別名を持つ、天台宗の寺院「喜多院」。正式には「星野山無量寿寺(むりょうじゅじ)喜多院」という。現在の「喜多院」という名を称するようになったのは徳川家康のころよりで、「南光坊天海」が住職として寺に入ってからである。天海僧正は、家康の懐刀といわれるほど信頼をえて、家康・秀忠・家光の三代にわたり顧問役をつとめた。天海は生年不詳、長命な人物で謎が多い。そして、明智光秀も生年不詳、天海とほぼ同時代に生きた人物だったことから、「光秀が天海となり、豊臣氏を滅ぼして恨みを晴らした」という、<光秀=天海>説を唱えるものがでてきた。さらには、徳川秀忠の「秀」は光秀の「秀」を、徳川家光の「光」は光秀の「光」をとったとか。まあ、歴史とは、義経=成日思汗(ジンギスカン...川越・喜多院の五百羅漢

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