台湾生活の中で見たこと、学んだこと、考えたことを記録していきます。
バシー海峡戦没者慰霊祭・廣枝音右衛門氏慰霊祭事務局長。一般財団法人自由アジア協会理事。 「日本統治時代の台湾」や「戦争体験」など歴史に関心があります。 Youtube「ゴンタケChannel」(https://bit.ly/2pr262h)をはじめました。
知られざる台湾人軍属の墓石・安平十二軍夫墓〜地元有志による慰霊祭に参列して
先の大戦中、台湾は日本の統治下にあり、台湾人もまた「日本人」として戦争に駆り出され、多くの人々が国のために命を捧げた。軍人或いは軍属としての台湾籍元日本兵は約21万人にのぼり、その内、3万人を超す人々が戦没している。 1937(昭和12)年7月7日に北京郊外の盧溝橋で日中両軍が衝突した盧溝橋事件。これに端を発する支那事変においても、台湾人は軍属として駆り出された。 盧溝橋事件の勃発後、日本軍は上海に進軍するにあたり、多くの人員を必要とした。そこで日本の統治下にあった台湾において軍属が募集されたのである。厳しい戦地で命を落とした台湾人軍属は少なくなく、1937(昭和12)年7月14日から1939…
台湾・宜蘭の恩人となった日本人〜「不発弾処理の名人」として知られた紀野一義という侍
戦時中、台湾北東部・宜蘭に駐屯した経験を持つ仏教学者の故・紀野一義(きの・かずよし)。 台湾北東部・宜蘭の郷土史研究家である李英茂さんは紀野一義を「宜蘭の恩人」の一人として挙げます。 一般財団法人自由アジア協会発行の「権田猛資のフォルモサニュース」に寄稿した紀野一義について書いたコラム(2018年7月25日)を転載します。 宜蘭の恩人、紀野一義という「侍」 「紀野一義少尉は宜蘭の恩人です」。そう語るのは宜蘭の郷土史研究家である李英茂さんだ。在家仏教団体真如会主幹を務め、日本では仏教学者として知られている紀野一義氏だが、先の大戦末期には陸軍工兵少尉として宜蘭に駐屯した経験がある。 1922(大正…
「ブログリーダー」を活用して、権田猛資さんをフォローしませんか?
指定した記事をブログ村の中で非表示にしたり、削除したりできます。非表示の場合は、再度表示に戻せます。
画像が取得されていないときは、ブログ側にOGP(メタタグ)の設置が必要になる場合があります。