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プロフィール
PROFILE

権田猛資さんのプロフィール

住所
台湾
出身
愛知県

バシー海峡戦没者慰霊祭・廣枝音右衛門氏慰霊祭事務局長。一般財団法人自由アジア協会理事。 「日本統治時代の台湾」や「戦争体験」など歴史に関心があります。 Youtube「ゴンタケChannel」(https://bit.ly/2pr262h)をはじめました。

ブログタイトル
権田猛資の台湾ノート
ブログURL
https://taiwan-gontake.hatenablog.com
ブログ紹介文
台湾生活の中で見たこと、学んだこと、考えたことを記録していきます。
更新頻度(1年)

9回 / 365日(平均0.2回/週)

ブログ村参加:2019/12/08

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権田猛資さん
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権田猛資の台湾ノート
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権田猛資の台湾ノート

権田猛資さんの新着記事

1件〜30件

  • 愛と正義感に生きた関口延男〜台湾原住民から慕われた日本軍人〜

    かつて、ある台湾原住民族の部落で人々から慕われていた一人の日本軍人がいた。名前は関口延男。 近衛師団の陸軍中尉であった関口は、1930(昭和5)年10月に発生した高砂族(台湾原住民族)による抗日武装蜂起事件である霧社事件の調査団一員として台湾に渡っている。この調査団の主要任務は事件の真相解明であったが、混乱を収拾させ、すべての高砂族を帰順させることも使命としていた。調査団の人員はいずれも近衛師団の中から選定された軍人であったが、関口をはじめとした多くは、軍人としてではなく警察官として任務にあたっていたという。 関口が配属されたのは天狗警察官吏駐在所であった。日本統治時代には「次高山」の名で知ら…

  • 蒋介石を「神様」として祀る蔣公感恩堂〜中華民国秘史と台湾現代史の交錯を覗く

    台湾南部・高雄に位置する旗津半島には、初代中華民国総統を務めた蒋介石を「神様」として祀るお堂がある。蔣公感恩堂と称すこのお堂は、蒋介石が逝去した1975年に創建の起源を有する。お堂に入ると、正面に観音菩薩、正面左手に道教に由来する三官大帝、そして正面右手に蒋介石の「神像」が配置されている。 戦後、国共内戦に敗れて台湾へ移り、二二八事件以降、戒厳令下の台湾で台湾人の自由を奪い、虐殺の限りを尽くした一人の人間が何故、神格化されているのだろうか。そこには戦後の「中華民国」秘史とも言える大陳島住民の台湾移住が関係していた。 現在、中華人民共和国浙江省の管轄下にある大陳島は、一時期、中華民国の版図にあっ…

  • 戦争と平和記念公園(高雄)〜台湾籍兵士が歩んだ数奇な歴史を学べる場所

    台湾南部・高雄の旗津半島にある戰爭與和平紀念公園(戦争と平和記念公園)。 戦争と平和記念公園 公園内の記念館では台湾籍兵士の歴史を学ぶことができる ここは台湾籍兵士が歩んだ数奇な歴史を学ぶことができる貴重な場所です。 自らも台湾籍兵士であった故・許昭栄氏が、台湾籍兵士の歴史を風化させず、戦没者を鎮魂するため公園設立及び慰霊碑の建立に尽力されました。 一般財団法人自由アジア協会発行の「権田猛資のフォルモサニュース」に寄稿した、許昭栄氏の死から10年経った2018年に執り行われた戦争と平和記念公園での式典に参加した際のコラム(2018年6月2日)を転載します。 許昭栄氏の死から10年、知られざる台…

  • 知られざる台湾人軍属の墓石・安平十二軍夫墓〜地元有志による慰霊祭に参列して

    先の大戦中、台湾は日本の統治下にあり、台湾人もまた「日本人」として戦争に駆り出され、多くの人々が国のために命を捧げた。軍人或いは軍属としての台湾籍元日本兵は約21万人にのぼり、その内、3万人を超す人々が戦没している。 1937(昭和12)年7月7日に北京郊外の盧溝橋で日中両軍が衝突した盧溝橋事件。これに端を発する支那事変においても、台湾人は軍属として駆り出された。 盧溝橋事件の勃発後、日本軍は上海に進軍するにあたり、多くの人員を必要とした。そこで日本の統治下にあった台湾において軍属が募集されたのである。厳しい戦地で命を落とした台湾人軍属は少なくなく、1937(昭和12)年7月14日から1939…

  • 台湾・宜蘭の恩人となった日本人〜「不発弾処理の名人」として知られた紀野一義という侍

    戦時中、台湾北東部・宜蘭に駐屯した経験を持つ仏教学者の故・紀野一義(きの・かずよし)。 台湾北東部・宜蘭の郷土史研究家である李英茂さんは紀野一義を「宜蘭の恩人」の一人として挙げます。 一般財団法人自由アジア協会発行の「権田猛資のフォルモサニュース」に寄稿した紀野一義について書いたコラム(2018年7月25日)を転載します。 宜蘭の恩人、紀野一義という「侍」 「紀野一義少尉は宜蘭の恩人です」。そう語るのは宜蘭の郷土史研究家である李英茂さんだ。在家仏教団体真如会主幹を務め、日本では仏教学者として知られている紀野一義氏だが、先の大戦末期には陸軍工兵少尉として宜蘭に駐屯した経験がある。 1922(大正…

  • 戦後台湾の悲劇「二二八事件」から73年、歴史の目撃者が語る2月28日

    本日、2月28日は台湾では国定休日となっています。 日本の台湾統治が終わり、戦後、台湾で発生した「二二八事件」を追悼するためです。 蕭錦文(しょう・きんぶん)さんは、1947年2月28日、新聞記者として始めから終わりまで事件を目撃し、後に自身も拘束され「死刑囚」として無実の罪を着せられました。 以前、一般財団法人自由アジア協会発行の「権田猛資のフォルモサニュース」に寄稿した、蕭さんから教えていただいた事件のお話のコラム(2018年7月2日)を転載します。 蕭錦文さん(2020年1月8日撮影) 歴史の目撃者が語る二二八事件 戦後の台湾において、今日まで深い傷跡を残している二二八事件。1947年2…

  • 台湾の名門一族「里港藍家」に生まれた藍昭光さんに聞く、台湾史の悲哀

    一般財団法人自由アジア協会発行の「権田猛資のフォルモサニュース」に寄稿したコラム(2018年9月20日)を転載します。 台湾の名門一族「里港藍家」に生まれ、戦後の中華民国・国民党体制下で日本へ亡命した藍昭光さんに教えていただいたお話を記事にしました。 藍昭光さん(2019年8月19日撮影) 「里港藍家」の栄枯盛衰と激動の台湾史 台湾の名門一族「里港藍家」。300年近い歴史を有する藍家は、かつて台湾南部の屏東一帯で影響力を誇った。日本統治時代には日本と密接な関係を築いており、同家の藍高川は日本の台湾統治に貢献して台湾総督府評議会議員に任命され、天皇陛下から勲章も授与された。息子の藍家精もまた、親…

  • 天皇陛下を慕い「日本人」として汗と涙を流した台湾人の戦争体験〜特攻隊の街・宜蘭を訪ねて

    一般財団法人自由アジア協会発行の「権田猛資のフォルモサニュース」に寄稿したコラム(2018年7月18日)を転載します。 台湾北東部・宜蘭の郷土史研究家である李英茂さんに教えていただいた戦争体験を記事にしたものです。 李英茂さん(2019年2月5日撮影) 特攻隊の街・宜蘭を訪ねて 台湾の北東部に位置する宜蘭。四方を山と海に囲まれ、田園風景が広がる風光明媚な土地だが、かつてこの場所が若き特攻隊員の出撃地であったことはあまり知られていない。7月9日、私は特攻隊が出撃した飛行場の建設に従事した経験を持つ李英茂さんにお話をうかがうため、宜蘭県羅東の自宅を訪ねた。 1929(昭和4)年に宜蘭で生まれた李さ…

  • 台湾で神様となった日本人を祀る小さな祠〜「もう一回さん」として愛された日本人巡査・小林三武郎

    台湾北東部に位置する宜蘭県の冬山郷太和村には日本人を神様としてお祀りしている小さな祠がある。 日本人巡査・小林三武郎を祀る祠 現地では「福徳正神(土地公)」という元々、中国の民間信仰に起源を有し、台湾においても広く信仰を集める神様として位置付けられている。そして、ここでは小林三武郎(こばやし・さぶろう)という日本人がその神様になっている。 小林氏は「福徳正神」として信仰を集めている 残念ながら、名古屋出身と伝えられている小林氏の戸籍謄本は見つかっておらず、遺族も特定できていないため、詳細はわかっていないが、地元の古老の話として小林氏がどのような人物か一部記録が存在している。 古老の証言をまとめ…

  • 【参加申込受付中】戦後75周年「2020年バシー海峡戦没者慰霊祭」は8月2日(日)に斎行

    今年2020(令和2)年は、先の大戦で日本が敗戦して75周年の節目にあたります。 戦後70周年の2015年より、台湾南端に建つ潮音寺では、一年に一度、「バシー海峡戦没者慰霊祭」を執り行なっています。 慰霊祭の場である台湾の潮音寺 先の大戦中、台湾とフィリピンの間に横たわるバシー海峡では、航行する輸送船が相次いで撃沈され、少なくとも10万人以上の方々が犠牲になりました。 慰霊祭の場となっている潮音寺は、当時、奇跡的に生還を果たした故・中嶋秀次氏の「戦友を慰霊したい」という強い想いから建立され、現在は中嶋氏の遺志を引き継いだ台湾人によって護られています。 バシー海峡戦没者のご遺族は、今日まで亡くな…

  • 「自由」と「民主」を護る決意と覚悟を世界中に示した台湾人

    2020年1月11日に投開票された台湾の総統選挙及び立法委員選挙について、現職の蔡英文総統は史上最多の得票数である817万231票(得票率57.13%)を獲得し、二期目の再選を果たした。これは2016年の総統選挙で獲得した689万4744票(同56.12%)を上回る結果で、552万2119票(同38.61%)を獲得した韓国瑜・中国国民党総統候補に「大勝」した。投票率は過去二回の総統選挙を上回る74.90%であった。 蔡英文総統が二期目の再選を果たした また立法委員選挙(全113議席)においても、民主進歩党は61議席を獲得して単独過半数を達成した。もともとの68議席から僅かに減らしたものの、引き…

  • 中国の介入を阻止する「反浸透法」が台湾で成立

    12月31日、台湾で「反浸透法」が可決・成立した。これは、「国境外敵対勢力による浸透、干渉を防ぐことを目的とし、国家安全及び社会の安定を確保し、中華民国の主権及び自由民主の憲政秩序を維持する」(同法第一条)ことを主旨としている。 言い換えれば、中国によるあの手この手の内政干渉、選挙介入を阻止するための法律であり、以前から与党・民主進歩党が成立を目指していた。 全12条から成る同法は、敵対勢力(即ち中国)からの指示や委託を受けたり、政治献金を受け取ったりして、選挙活動などに従事することを禁止しており、違反した場合には5年以下の有期懲役あるいは罰金1000万元が課される。 野党・中国国民党は、戦後…

  • 戦後75周年「2020年バシー海峡戦没者慰霊祭」の日程が決定、来年は8月2日(日)に斎行

    来年2020(令和2)年は、先の大戦で日本が敗戦して75周年の節目にあたります。 戦後70周年の2015年より、台湾南端に建つ潮音寺では、一年に一度、「バシー海峡戦没者慰霊祭」を執り行なっています。 慰霊祭の場である台湾の潮音寺 先の大戦中、台湾とフィリピンの間に横たわるバシー海峡では、航行する輸送船が相次いで撃沈され、少なくとも10万人以上の方々が犠牲になりました。 慰霊祭の場となっている潮音寺は、当時、奇跡的に生還を果たした故・中嶋秀次氏の「戦友を慰霊したい」という強い想いから建立され、現在は中嶋氏の遺志を引き継いだ台湾人によって護られています。 バシー海峡戦没者のご遺族は、今日まで亡くな…

  • 日本人飛行兵を祀る「飛虎将軍廟」で考えたい台湾の信仰文化

    台湾南部・台南の郊外に建つ「鎮安堂・飛虎(ひこ)将軍廟」。 ここは、日本人飛行兵が神様として祀られ、台湾人の信仰を集める場となっています。 鎮安堂・飛虎将軍廟 「飛虎将軍」という名で祀られているのは、大日本帝国海軍航空隊少尉の杉浦茂峰(すぎうら・しげみね)氏です。 杉浦茂峰氏。写真は杉浦氏のお姉様が戦後、台湾に持ってきたもの 杉浦氏は、1923(大正12)年11月9日に茨城県水戸市で生まれ、先の大戦中、零戦のパイロットとして1944(昭和19)年10月12日の台湾沖航空戦に出撃し、20歳の若さで命を落としました。 杉浦氏が搭乗していた零戦は、敵の攻撃によって尾翼から発火し、海尾寮という大きな集…

  • 70余年の時を経て「日章旗」が台湾へ里帰り

    70余年の時を経て、一枚の「日章旗」が台湾へ里帰りを果たしました。 里帰りを果たした日章旗 この日章旗は、先の大戦中、高砂義勇隊(台湾の原住民によって編成された部隊)隊員の深山金夫さんが出征する際、家族らから贈られたもので、旗には武運長久を祈る寄せ書きなどがされています。 深山さんの奥様とお子様から「オ父サン元氣デ」の寄せ書き ニューギニアで戦死した深山さんの日章旗は、米兵士が持ち帰って戦後、長く米国にありました。しかし、兵士のご令孫が、米国で「寄せ書き日の丸」の遺族への返還活動を展開している非営利団体「OBON SOCIETY」に寄贈し、日台関係者の協力を得て、深山さんの故郷が台湾であること…

  • 建成小学校で学んだ台湾人の小さな「同窓会」

    月に一度、台北市内の日本料理店で開かれている建成ランチ会に参加させていただきました。 日本時代の「小学校」で学んだ人々(2019年12月2日撮影) この会は、日本統治時代の旧台北市建成小学校で学んだ人々を中心にした集まりで、同じく日本統治時代に台北市内にあった小学校の卒業生らも参加しています。 建成小学校は1919(大正8)年に創立され、今年で100周年を迎えました。今年5月には日本人卒業生らも台湾への「里帰り」を果たしました。 その際のことは日本情報多言語発信サイト「nippon.com」に寄稿しましたので、よろしければご覧ください。 www.nippon.com www.nippon.co…

  • 日本郵船歴史博物館企画展「就航90周年記念 客船浅間丸〜サンフランシスコ航路を行く〜」を見学。忘れてはならない海没した戦没者の存在

    横浜市内にある日本郵船歴史博物館では、1885(明治18)年に誕生し、日本を世界第3位の海運大国へと導いた「日本郵船」の歩みを紹介しており、日本の海運がいかに発展してきたかを学ぶことができます。 日本郵船歴史博物館 戦時中に日本郵船が果たした役割についても紹介されています。 戦時中は、軍艦にとどまらず、輸送船の不足を補うため多くの民間船舶が徴用されました。日本郵船の多くの船舶も徴用されています。日本の海運業を担い、その発展に大いに貢献してきた船舶が戦争に借り出されていたわけです。 大戦末期、日本は比島決戦を企図し、兵員や物資などをフィリピンに集中させることを試みました。そのため、台湾とフィリピ…

  • インパール作戦の惨劇を知る趙中秋さんが選んだ利他的に生き抜くということ

    11月24日、高雄市内にて、先の大戦末期に軍属としてインパール作戦に参加した経験を持つ趙中秋(ちょう・ちゅうしゅう)さんにお話をうかがいました。 インパール作戦に参加した趙中秋さん 台湾・高雄で生まれた趙さんは、90歳を超えた今も日台関係のイベントに足を運んだり、訪ねてくる日本人や台湾人に自身の戦争体験を語ったりするなど、精力的に活動されています。 台湾で英軍捕虜を連れて歩く日本軍人の姿を見て憧れを抱き、軍属に志願した趙さんは、ビルマ方面軍司令部の経理部に配属され、インパール作戦に参加しました。 「無謀」の作戦とも評されるインパール作戦ですが、趙さんは「無謀とわかっていたらやらない」と語ります…

  • 日本軍艦を祀る台湾・高雄の保安堂で日台交流式典

    11月23日、日本軍艦を御神体として祀る台湾南部・高雄に建つ紅毛港保安堂で、日台交流を目的とする式典が執り行われました。 2013年に神像などが遷座された現在の保安堂 同日15時には沖縄県護国神社の加治順人・宮司による神式の慰霊供養が行われ、同廟に祀られている日本軍人の御霊の里帰りが参列者によって祈られました。 神式の慰霊供養が行われた 日本軍人の御霊が故郷に帰ることができるよう祈る参列者 保安堂建立の起源は終戦翌年の1946年に遡ります。その年、かつて紅毛港と呼ばれた村の漁民が漁に出ていた際、頭蓋骨が漁網にかかりました。そして、その頭蓋骨を弔い祀ったところ大漁が続くようになりました。人々はそ…

  • 2019年バシー海峡戦没者慰霊祭を終えて

    11月17日、台湾南端のバシー海峡を望む潮音寺にて、バシー海峡戦没者慰霊祭が斎行されました。 戦後70周年の2015年より一年に一度行なわれている本慰霊祭は、今年で5回目を数えます。 2019年バシー海峡戦没者慰霊祭に参列された皆様 慰霊祭前日の16日、高雄国賓大飯店にて事前懇親会が行われ、ご遺族を中心に60名が参加しました。慰霊祭に参列する理由や思いなど自己紹介もしていただき、参加者同士の交流を深め、終始和やかな雰囲気でした。 本慰霊祭の共催団体である一般財団法人台湾協会の根井冽・前理事長より乾杯のご発声 物心両面で潮音寺の維持管理をサポートしている三普旅遊集団の謝憲治・董事長 バシー海峡で…

  • 芝山巌事件で犠牲になった教育者・関口長太郎先生の慰霊顕彰祭に参加して

    11月3日に愛知県西尾市で執り行われた関口長太郎先生慰霊顕彰祭に参加させていただきました。 関口長太郎顕彰碑前にて 関口長太郎(せきぐち・ちょうたろう)は、愛知県西尾市出身で、西尾小学校の初代校長を務めた教育者です。 日本統治時代初期に台湾へ渡り、現地で日本語教育に従事しました。そして、1896(明治29)年元旦に日本人教育者6名と用務員1名が土匪によって惨殺された芝山巌事件の犠牲者の一人でもあります。 関口長太郎(1859-1896)。一人娘を残し単身台湾へ渡り、37歳の若さで逝去。 命を惜しまず、最後まで教育者として土匪の説得にあたった関口ら「六士先生」の犠牲的精神は、事件後、台湾で称えら…

  • 【講演のお知らせ】台湾を学ぶ会「台湾少年工・東俊賢さんが語る戦争体験」(大阪・東京)の開催案内

    2019年9月21日、台北にて東俊賢さんを招いた台湾を学ぶ会が開催された 9月に台北で開催され大盛況だった、台湾を学ぶ会「台湾少年工・東俊賢さんが語る戦争体験」が、来たる11月7日と9日に、大阪と東京で開催されます。 東俊賢さんは、戦時中に台湾少年工として渡日し、神奈川県追浜の海軍航空技術廠で特攻兵器「桜花」やロケット戦闘機「秋水」の製造に従事した経験をお持ちの方です。 9月の学ぶ会では、歴史的証言がいくつも飛び出し、大変有意義な学びの機会でした。 普段、東さんは台湾にお住いのため、日本で直接お話をうかがうことのできる大変貴重な機会だと思います。 東さんの証言を受けて、片倉さんの解説や補足もあ…

  • 一味違う台湾旅の攻略本!片倉ご夫妻の新著『台湾 旅人地図帳−台湾在住作家が手がけた究極の散策ガイド−』を拝読して

    片倉ご夫妻の新著。イラストレーター・namiさんによる挿絵もかわいいです 片倉佳史さん(台湾在住作家)・真理さん(台湾在住ライター)ご夫妻が新著『台湾 旅人地図帳−台湾在住作家が手がけた究極の散策ガイド−』(ウェッジ)を10月18日に出版されました。 昨年4月には片倉真理さんの『台湾探見 Discover Taiwan−ちょっぴりディープに台湾(フォルモサ)体験』、今年3月には片倉佳史さんの『台北・歴史建築探訪 日本が遺した建築遺産を歩く』がそれぞれウェッジから出版され、今回の新著も台湾の美しい写真の数々が掲載されたオールカラーの一冊です。 新著は、地図と文章、写真で構成され、台北、台湾北部、…

  • 戦争の「あさましさ」を語り継ぐ歴史の証言者・蕭錦文さん

    蕭錦文さん(2019年10月20日撮影) 10月20日、かつてインパール作戦に参加した経験を持ち、戦後の台湾では二二八事件を目撃して自らも受難者である蕭錦文(しょう・きんぶん)さんを訪ねました。 死の淵を幾度と見た蕭さんがいつも声を大にして訴えていることは、戦争の「あさましさ」であり、この日も繰り返し「戦争では何も解決しない」、「戦争は愚かである」ということを実体験に基づいてお話しいただきました。 戦時中は一兵卒であり、インパール作戦について評価したり、意見したりする立場ではないとしつつも、今は当時の体験を伝えることが「責任」「義務」であり、今後も自らが知ることを語り継いでいきたいと力強くおっ…

  • 台湾を学ぶ会「杜祖健先生、台湾史を語る」の開催報告

    10月15日(火)18時30分より、台北市松江路のIEAT松江會議中心にて、台湾在住作家の片倉佳史さんが主催する日台学びのイベント「杜祖健先生、台湾史を語る」が開催されました。平日の夜にもかかわらず、定員50名の会場がいっぱいになりました。 定員50名の会場がいっぱいになり大盛況でした 今回のゲスト講師は、毒性学及び生物・化学兵器の世界的権威である杜祖健(アンソニー・トゥー)・コロラド州立大学名誉教授。1930(昭和5)年に台北で生まれた杜先生は現在89歳です。 ゲスト講師の杜祖健・コロラド州立大学名誉教授 冒頭、主催者である「台湾を学ぶ会」代表の片倉佳史さんは「教科書には書いていない、切り口…

  • 中華民国(台湾)が欧州で唯一外交関係を有するバチカン

    旧バチカン大使館。2015年に移転した 10月10日から陳建仁・副総統は、欧州で唯一外交関係を有するバチカンを訪問するための外遊に出発しました。13日にはフランシスコ法王と面会し、法王の台湾訪問を招請しました。 敬虔なカトリックとしても知られる陳建仁・副総統のバチカン訪問により台湾とバチカンの友好が確認されました。 一方、中国は昨年、バチカンと「歴史的和解」とも言える急接近を果たしました。 中華民国と外交関係を有する国に対し、あの手この手で接近し、台湾の国際空間の締め付けを図っている中国が、今後、バチカンに対して如何に攻勢をかけるか、要注目です。 昨年9月、中国とバチカンの間で中国における司教…

  • 台湾初のデパート「菊元百貨店」創業者・重田栄治のご子孫が祖先の足跡をたどるため台湾へ

    10月9日から12日まで、日本統治下の台湾で実業家として活躍した重田栄治のご子孫ら17名が、重田栄治の足跡をたどるため台湾を訪問しました。 重田栄治のご子孫ら(2019年10月11日、菊元百貨店屋上にて) 一行は滞在中、重田が開業した菊元百貨店の内部に特別に入り見学を果たすなど、重田と所縁のある台北市内の地を巡りました。 重田栄治は、1877(明治10)年に現在の山口県岩国市に生まれました。14歳の時に重田の姉が嫁いだ菊元家に奉公し、綿織物業を営む菊元家の商売を手伝いました。 1903(明治36)年に2回目の渡台を果たし、台北にて「菊元商行」を開設して、本格的に台湾でのビジネスを始めました。そ…

  • 米台政府が「太平洋対話」を初開催、深化を続ける米台関係

    10月7日、台北市内にて米台双方は初めて共同で「太平洋対話」(Pacific Islands Dialogue)を開催しました。米国からはサンドラ・オードカーク・米国務省次官補代理が出席し、吳釗燮・外交部部長も同席しました。 サンドラ・オードカーク氏は「トランプ大統領とポンペイオ国務長官を代表して、この対話を進めたい」(2019年10月7日、自由時報)と開幕式で発言。台湾を信頼できる、責任あるパートナーと位置づけ、台湾と太平洋島嶼国との関係を支持することを強調しました。 台湾外交部のプレスリリースによると、この米台政府間対話の枠組みは、太平洋島嶼国の発展に寄与する援助・協力を進めることを話し合…

  • 楊馥成さんが「日本人」として日本人に伝えたいこと

    10月5日、台北市内の法律事務所で楊馥成(よう・ふくせい)さんにお話をうかがいました。 今も「日本人」であることを訴える楊馥成さん 1922(大正11)年、日本統治下の旧台南州・下営で生まれた楊さんは現在97歳。地元の公学校を卒業し、高等科を経て、嘉義農林学校に進学。卒業後は、台南州庁農林課で勤務しました。 1943(昭和18)年、新聞広告で「軍属」の募集を知り志願。戦争真っ只中で、「どうせいつか兵隊に行くのであれば」との気持ちで志願されたそうです。 シンガポールの「南方派遣軍野戦貨物廠」に配属された楊さんは、南方方面全軍に対する物資補給を主な任務とし、物資の供給状況を管理したり、専門の農業の…

  • 2019年バシー海峡戦没者慰霊祭のご案内

    台湾最南端とフィリピン最北端の間に横たわるバシー海峡は、先の大戦で悲劇の現場となりました。 特に日本の戦局が厳しくなった1944(昭和19)年以降、日本軍大本営はあらゆる兵員や資源をフィリピンに集中させ、劣勢を挽回すべく比島決戦を企図します。 しかし、南方方面に向かうためにはバシー海峡を通過する必要があり、敵国米軍はそこに多数の潜水艦を配置するいわゆる「群狼作戦」を展開しました。 その結果、バシー海峡を航行中の日本の輸送船は米軍の潜水艦による魚雷攻撃によって次から次へと撃沈されます。その数は5000級以上の艦艇では200隻以上(重松正一さん調べ)とされ、それ以外に商船や漁船も海の藻屑となりまし…

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