淡路島に点在する建築家安藤忠雄さんの建築物を巡っている。まずは、本福寺水御堂。 淡路市指定重要文化財の本尊薬師如来が安置されている本堂は、写真撮影が禁じられている。独特な丸い形をした堂内は居心地がよく、時間が許せばずっと居たくなる空間だった。最後に地下の真っ赤な格子越しに空がチラリ。 本堂をあとにするときの光景がまた格別。 つづけては、淡路夢舞台。 最後に、海の教会。 空の光で十字架が顕れ、美しき夕日が雲を染める。 安藤忠雄さんの建築物について、言語化を試みようと思ったが、やめた。だから、写真だけを
ぼくはいま、直感のままに生きている。これまでのぼくは、どちらかというとその対極の生き方をしてきた。そのためトランスフォーム中のいまは、大幅かつ微細な調整を図っている感が強い。まったく別の次元に馴染ませるというか、擦り合わせるというか、そんな感じだ。 いま淡路島に家族で滞在中で、温泉にゆっくり浸かって青空を眺めているとき、ふとアイデアがわいた。いま過去の note を本にまとめているが、まよっこさんの編集が加わった作品を存分に味わってほしいのと同時に、1年365日ぶんの note をノーカット、つまり1日たりとも飛ばさず、連続で読み進めていけるverもあったらおもしろいんじゃない
ある日ぼくは、通ったことない道を歩きたくなった。よく知っている街の、よく知らない道を、である。その道には、神社があった。 そこは、いまでは名前も覚えていない神社だ。かといって、寂れているわけでもないし、小さすぎるわけでもない。言ってしまえば、街によくある特徴のない神社である。 どうやらその日は、1月22日だったようだ。なぜ覚えているのかというと、その日に残したメモをさかのぼって日付を確認したからだ。そこには、こう書かれていた。 あぁ、ここに収まるべきだったんだ、そんな不思議な腹を落ちをすることがある。ほんのささいな “たまたま” をきっかけとして、さもこれ以外に道はな
今朝はいつもより念入りに歯を磨いていた。ホテルの歯磨き粉の体によさそうではない味は好きではないけど、なぜだか使ってしまう。ふだんは歯磨き粉なしも多いのに。岡山の街を見下ろしながら奥歯を磨いていると、備えつけの電話が鳴った。その下にあるデジタル時計を見ると10:21。受話器を耳に押し当てる。 「お客さま、チェックアウトは10時でございます。どのようにお過ごしのご予定でしょうか?」泡いっぱいの口でなんとか答えた。「もう出ます」「10:30を過ぎますと延長料金が発生しますので、ご注意ください」カチャン。そこからは2倍速で身支度を整えた。なんとも貧乏性な自分がほんのちょっとだけ嫌になる
心が騒つく夜がある。だからといって、特段なにかがあったというわけではない。いや、あったわけではないと、思っている、というほうが正確だろうか。ぼくたちの脳は、それほど確実なものではない。物事を都合よく歪めたり、こっそりとなかったことにするのが得意だ。 ビールを3杯と赤ワインに白ワイン。大学生の頃のように無駄に熱く語った。あとから聞くと5時間しゃべっていたという。相手はDNAパブリッシング社長の伊藤さんとデザイナー兼編集者の鉄尾さん。ぼくはこの3人の距離感や空気感が好きだ。確かなつながりを持ちながらも、干渉し合わないのが心地よい。 気持ちよく酔っ払った帰り道。最寄り駅を出ると雪
これが、(ぼくのようなスタイルの) note を書く、醍醐味なのではないかと思う。そんな出来事が、昨夜起こった。それは、妻と義父が実家の大掃除をしていて、ぼくが娘にご飯をあげているときのこと。娘は大根を口にいれて、リスみたいに頬をふくらませていたときのことだった。 コンテンツの学校を一緒に運営してもらっているゆうから、facebookにメッセージが入った。読むと、こんな内容だった。 2/23に予定している note のフォロワー1万人イベントまでに、コンテンツビジネススクールの案内ページを作りませんか?! というか作らせてほしいんですけどもどうでしょうか? ぼくは、すぐさ
そりゃあ、凹むかもしれない。だけれど、思いっきり声をあげようぜ。 P026.
幻冬舎の編集者である箕輪厚介さんのトークイベントを企画させてもらったときのことを懐かしく思い出しました。(イベントは終了しています) 箕輪厚介に訊く!ベストセラーの作り方講座<増枠しました!>堀江貴文著のkindle本『なぜ堀江貴文の本はすべてがベストセラーになるのか?』【読者限定イベント】「箕輪厚介に訊く!ベスhoriebest.peatix.com いま note のフォロワーさんが1万人を超えた、記念と感謝のトークイベント企画が進んでいます。じつはこれ、コンテンツビジネススクールという学校のメンバーのひとりであるタマちゃんが発案してくれました。
ニュージーランド産のワイン会に行ってきた。友人のあがこと我妻悠さんが主催していて、聞けばもう3年間毎月やっているそうだ。下北沢のきれいな一軒家に年齢も職業もばらばらな10人が集まっていた。 5種類ワインが順番に注がれ、それに合った彼の手作りの料理が振る舞われる。それぞれのワインと料理に関する解説が添えられていて、食べ終わるころにはオーストラリアワインが好きになっていた。さらに聞けば、3年間一度も同じワインは出していないというから驚きだ。 とあるワインの解説に、こんな話があった。世界的IT企業に勤めていたプログラマー夫婦は、いつか自分たちのワイナリーを持てたらと夢を抱いていた
くしゃしくしゃの紙に閉じめられた、真っ黒な愛情。 P024.
ぼくは我慢強くない、んだと思う。それが功を奏するときもあれば、それによって失われている色々もたくさんありそうな気がする。でも、それもまぁ仕方ないと、自分の性質を受け入れて生きている。たとえば、今日これから書く内容なんかが、そうだ。 ぼくはあがった息を整えて、iPhoneのカメラを母に向けた。いつにもなく緊張している面持ちで、くしゃくしゃになった紙を両手で持ってソファーに腰かけている。「いくよ」ぼくは言う。「ちょっと待って」母は下を向いたまま答える。ぼくは亀のように首を伸ばして、ぶつぶつ言っている母の手元を覗いた。 太めのマジックペンで書かれた文字が並んでいた。決して上手いと
note のフォロワーさんが1万人になりました。ありがとうございます! P023.
のっけから、すいません。 note のフォロワーさんが1万人を超えたのですが、この note を本にする企画の打ち合わせが濃厚だったのもあってか、うまいこと実感が湧いてきません(汗)。 そんな大したことないんです、両手をブンブン振りながら、そう(心のなかで)口にしたくなる自分がいます。不思議ですね、人間って。どこかひねくれてるというかなんというか、本当はうれしいはずなのに、じつにややこしいです。 でも実際に、この note に何らかの意味があるのかどうか、こんな文章でいいのかどうか、誰か読んでくださる方はいるのかどうかなど、わからないことだらけで。正直なことをいうと、いまも
やっててよかった公文式、ってテレビCMを思い出した。公文式、たしかちょっとだけやって、挫折しちゃったなぁ……ぼく個人はやっててよかったとは思えなかったけど、あの頃が懐かしいぜ(遠い目)。 などと、まったくもって意味不明で無駄な前置きをしてしまったが、このフレーズを思い出したのには理由がある。それはこんなふうに書きたかったからだ。 入っててよかった、前田デザイン室。 前田デザイン室というのは、元任天堂のデザイナーであるまえだたかしさん率いるデザイナー集団(オンラインサロン)である。総勢187人のデザイナーをはじめとしたクリエイターやそれを応援する仲間が所属している。(20
フランス大使館に行って、VISAの申請を無事に済ませることができました。 一から十まで妻が、がんばってくれました。Parisのアパーメントの契約締結にはじまり、ぼくが書いた動機書を翻訳してくれたり(自分のぶんと1歳の娘のぶんも作成したうえで)、海外の保険に入ってフランスから証書を取り寄せたり、申請書をはじめたくさんの用紙をプリントアウトして記入してくれたりと、、、彼女には頭があがりません。 娘は娘で持ち前の愛嬌を発揮して、フランス大使館の受付担当の人をにこやかにしていました。これがまたぶっきらぼうな応対のことも少なくはないらしく、娘のおかげか和やかに申請作業が進み、、、ナイ
体が眠りを欲しているのがわかる。お昼ごはんに六本木の中華料理店で、ポークカレーと特製鳥煮込みそばをお腹いっぱい食べると眠気に襲われた。 妻と娘も一緒だったから早めに出なきゃと思っていたし、このあとのスケジュールを考えると note をこのタイミングで書いておいたほうがよいのもわかってはいた、頭では。しかし、体は眠ることを要求してくる。 昨夜はもっと酷かった。リビングで立ったまま眠っていた。ビクっとなって、目が醒める。危うく倒れそうだった。このときも、今日の内にやっておいたほうがいいな、と思うリストはいくつかあった。でも、眠かった。 だから、眠った。昨夜も昼間も、眠いから
けさのコーヒーは、我ながらうまく淹れることができた。深い茶色の水面がつるんと光っている。湯気の量もちょうどいい。まずは鼻であじわう。ひとくち口に含むと、濃すぎず薄すぎない。しっかり苦いんだけど、すごく透きとおっていて、なめらかに喉へ流れ込む。うん、いい感じだ。 真っ黒に焦げてカリカリになったチョコクロワッサンと一緒にたのしむ。妻はごめんね、とペロッと舌を出していた。ひさしぶりにゆっくりとした時間の流れのなかに身を浸している。たくさん動いているのもたのしいけれど、何もしないのだってたのしい。 ぼくだけかな、何もしない、って(暗に)否定的な目で見られる気がするんだよなぁ。あとは
見知らぬ酔っぱらいのおじさんにも応援してもらう。 P018.
引っ越しを終えて、フランスへ渡るまでのしばらくの期間、妻の実家を拠点にさせてもらっている。結婚パーティーの再現VTR撮影や運営をしてくれるみんなに、ささやかなお礼として夜ご飯をご馳走して、たのしく酔っぱらって練馬のほうへと電車に揺られる。 娘を抱っこしている座っていると、おじさん2人組のひとりがドカッと隣の席に座ってきた。もうひとりはその前のつり革につかまって立っていた。お酒が入りずいぶんと上機嫌のようで、座るやいなや娘に話しかけてくる。「やめなさいよ、迷惑なんだから」つり革のおじさんは、苦笑いで制していた。 彼らふたりの会話から、隣に座ったおじさんにはお孫さんがいることが
いろんなことが同時並行で進んでいます。一昨日きのうは、引っ越し。そのあいまや終わりにも、コンサルティングや仕事の打ち合わせ。きょうはきょうで、結婚パーティーの再現VTRの撮影をほぼ1日がかりでやっていて、明日は自分のセミナーです。 ともかくこの現場が楽しくて、(ある意味では無駄なことを)みんなで真剣にやることの、なんとおもしろいことか。ここには効率とか採算とか成果とかいった類いの言葉は、いや概念そのものが存在していません。 二十代中盤のサラリーマン時代のぼくだったら、恐れおののくと思います。「え、こんなにも豊かというかしあわせというか、そんな世界があっていいんですか? いや
引っ越しが終わった。その足で本田健さんのオフィスへ向かっている。こんな日に、健さんのところに行くのが、まぁなんだか象徴的な気がしなくもないが、ひとまず無事に部屋を明け渡すことができてよかった。マンションの前で妻と娘と3人で抱き合って、家族チームの健闘を称えた。 自分たちが悪いといってしまえばそれまでなのだが、それ以外にもやることが積み重なっていて、実質ほぼ3日で引っ越しを敢行した。それも引っ越し業者をつかわず、お義父さんのワゴン車を借りての、自前の引っ越しである。流れに身を任せた結果なのだが、にんげん本気になれば、たいがいのことはなんとかなるものだ。 引っ越しも最終盤。毛布
きょうは、うまく言葉が書けない。 いや、書けるんだけど、しっくりこない。 言葉を重ねれば重ねるほど、 ぼくから遠ざかっていく。 でも、言葉より確かなものに、 触れてはいる。 その理由は、わからない。 だけれど、自分から遠ざかった言葉は、 書いちゃいけない気がするんだ。 もしくは、消化していないものも、 そのまま出しちゃいけない気がする。 とくに、今回は。 でも、やっぱり、 大事な何かを受け取っている気はして、 どうしてもこのことが、 きょう書かれるべきことなんだけど、 それは口にしちゃいけない類のことで。 だから、このことを口にはしないし、 それ以
忙しい。目が回るほど忙しい。というかもう、目が回っているのかもしれない。自分が前に進んでいるのか後ろに進んでいるのか、方向感覚がおかしくなる。いまぼくのいる、いまが、ここが、現実なのかどうか、自信がなくなってさえくる。 いちいち、こんなところ(不特定多数の誰かが読んでくださる場所)で言いたくはなかったが、もう書いてしまおう。書いてラクになってしまおう、、という心の弱いぼくをお許しください。 もうずいぶんと久しぶりに感じる気がするが、このまいにち書いている note のことが恨めしく感じた。これさえなければ、もっとラクになれるのに、と。 一瞬ちらりと頭をよぎったが、(それ
妻とはじめて二人暮らしをしたこの部屋と、お別れする日がもうすぐそこまで。 P013.
わたしはとんかつが食べたい。無性に食べたい。でも、どこのでもいいというわけではない。大五のとんかつが食べたいのだ。プラチナポークヒレの厚いお肉にしつこくないころもで黄金色に揚がった、あのとんかつ。塩からいくか、タレからいくか、、、それが問題だ。 もしくは、キッチンセロのしっぽりとした雰囲気を味わいたい。妻のジュエリー作品がある冊子の表紙を飾ったお祝いで行った、あの思い出のお店で何種類ものワインをいただきたい。どれを頼んでもハズレのない料理を肴に、カウンターのハイチェアに座り妻と肩を寄せ合って。 いくつもの行きたいお店、食べたい料理が後からあとから出てくる。太陽が頭の真上から
ブランディングとは、自分ではない余分なものを、ピンセットで取りのぞく繊細な作業。 P012.
ホッとしている。 食べ残しのたい焼きのしっぽをかじって、冷たくなったコーヒーに口をつけて、吉本ばななさんの「山のふもとで犬と暮らしている」を読んで、『別府倫太郎』をKindleで購入して、この note を書きはじめた。 きのうの「自己否定の一切ない世界で、遊ぶように生きる」に書いた、本日開催のセミナースライドは無事に完成。その本番も終わり、胸をなでおろしている。やっぱりなんとかなったし、内容もいいものに仕上がった満足感もある。受けてくださった方たちの反応もよかったんじゃないかな。 最終的にはたくさん書いていたメモは無駄になって、頭のなかで構想してものとはまったくの別物
想像もしなかった素晴らしい自分と出会える、たったひとつの質問。 【オリジナル原稿】
今回の『ヴェヴァラサナ王国』では、ぼくが主宰しているコンテンツの学校のメンバーに共有した、2020年を大きく飛躍させる、もしくは根底からひっくり返すようなキークエスチョンをおすそ分けします。 この質問について考えていると、自然と最高の未来の自分にチャンネルが合うようになります。それどころか、普段使っている思考回路では思いもしなかったような、想定外の可能性が顔をのぞかせるかもしれません。 これは、『ヴェヴァラサナ王国』のオリジナル原稿です。この note の本(のようなもの)をご購読いただいている方だけが読めるようになっています。2,000円の買い切りで、2020年1年間ぶん
もしもぼくたちの人生のすべての瞬間から、自己否定というものが一切なくなったとしたら? どんなふうに人生は変化するだろう? この世界はどんな様相を見せるのだろう? たとえば、「あぁ、今日もあれができなかった、これもできていない。どうしようヤバい。なんてわたしはダメなんだ」と思ったりすることはないだろうか? そうやって、自分にピシピシ鞭を打つ。 ピシピシなんて可愛く書いたけど、人によっては薔薇のようなトゲのついた鞭を肉に食い込ませ、毎日まいにち目には見えない血を流している、、、もうこれ以上書くのはやめよう。エグくなりすぎてしまう。でも、内面的には実際に、そんなことをやっているか
自分でつくった柵をとっぱらって、外へと飛び出そう。 P010.
世界は広い。ものすごく広い。ぼくは都営三田線の朝の満員電車のなかで思った。左右の座席にはスーツをきっちり着こなしたサラリーマン。目の前には眠たそうな顔をした若いOLさんが立っている。彼女の小さなバッグをぼんやり見つめながら思った。世界は広い。ものすごく広い。 あなたの住んでいる世界はどうだろう? あなたの住んでいる世界も広いだろうか? この世界は広いけれど、あなたが住んでいる世界が広いかどうかはわからない。ものすごく広い世界のなかで、小さな柵をつくりそのなかで、働いては、暮らしては、いないだろうか? きょうは娘の1歳の誕生日。このあとそれぞれの両親も誘って、料亭で一升餅を担
たとえば、この世界のやさしさを知ることを目標にしてみたら? P009.
この世界は、なんてやさしいんだろう、そう思う機会が増えた。思えば年々その感覚は強くなっている気がする。いまぼくは乃木坂にある友人夫婦の事務所から品川のホテルに向かうバスのなかでこれを書いている。 それぞれに素晴らしい人柄や才能を持つ仲間が5人も集まってくれて、午後をまるまる使ってぼくたちの結婚パーティーの打ち合わせをしていたのだ。みんな忙しいのにも関わらず、である。 彼らとは、本田健さんのコミュニティで出会った。この10年近く、それぞれの人生の苦楽のプロセスを要所要所で共有してきた、いわば戦友のような仲間たちである。しばらく会っていなくても、一瞬でつながり合える感覚がある。
妻と娘が寝静まったリビングで、ぼくはダンボール箱を漁っていた。フランス移住に向けて整理中だった本の山から、ある一冊の本を見つけるためだ。数分かけてやっとのことで掘り起こすことができた。(たぶん)原稿の一部であろう表紙カヴァーの『本当の戦争の話をしよう』である。 本当の戦争の話をしよう (文春文庫)www.amazon.co.jp 737円(2020年01月08日 23:46時点 詳しくはこちら) Amazon.co.jpで購入する 荷造り中だったダンボールのなかから引っ張り出してきてでも、これを読まなければならないと思ったのにはもちろん理由がある。それは「
東京の天気は雨。「けっこう降ってますね。午後にはやむと言ってたんですけど、そんなことなさそう」行きつけの喫茶店のオーナーの奥さんが窓の外を眺めながら物憂げに言った。「そうですね」上の空で答えて、お店をあとにする。ビニール傘をひろげて、雨の街へと歩き出した。 駅ビルに着く。エレベーターを待つあいだ、傘をつたって雨のしずくが流れ落ち、ちいさな水たまりをつくる。ゆっくりと面積を広げていくそのさまには、寧静な趣きさえ見て取れた。目を上げるといつのまにかエレベーターはUターンしていたようで、3Fを通過中だった。ぼくはまた足もとの湖へと視線を戻した。 文學界2月号をスターバックスのテー
きょうは珍しくタイトルから書き出したのですが、のっけから「おや?」となりました。なんだか聞き覚えのあるタイトルだな、、、あーベストセラー街道を闊歩する『読みたいことを、書けばいい』に似ているんだ! 読みたいことを、書けばいい。 人生が変わるシンプルな文章術www.amazon.co.jp 1,620円(2020年01月07日 18:35時点 詳しくはこちら) Amazon.co.jpで購入する いちおうビジネス書(といっていいのかな)だと思いますが、特にクライマックス部分では泣いてしまいました。巷では笑えると評判なのですが、ぼくは泣けました。田中泰延さんの
「君には勇気があるね。 私にはそんな勇気はないなぁ」 ぼくの20倍、30倍もお金を稼いでいる経営者から言われた言葉。 「どんなにお金があっても、 魂は死んでいくんだよ」 収入が何億円もある友人が言っていた言葉。 お金は人生を豊かにしてくれる。 勇気は人生を面白くしてくれる。 そんなお金と勇気について書いてみた。 これは、『ヴェヴァラサナ王国』のオリジナル原稿です。この note の本(のようなもの)をご購読いただいている方だけが読めるようになっています。2,000円の買い切りで、2020年1年間ぶんの note 読み放題、ここでしか読めない限定コンテンツをどんど
まもなく娘は1歳の誕生日を迎える。たった1年前のいまごろ、まだ妻のお腹のなかにいたなんて思えないほどの成長ぶりで。なんだかもう立派な幼児である。とくにここ最近のヤンチャぶりはすごい。さっきも妻に用事があって電話をしたら、「やー! やー!」娘の抗議らしき声が割って入ってきた。 ちょっとでも気に入らないことがあると、イヤイヤ。あぁ、これが有名なイヤイヤ期というやつだろうか。あげようとした食べ物が欲しいものじゃなかったら、手で押し返して、「それじゃないー!」と主張する。危ないものを手にしたからと取りあげようとすると、首をぶんぶん振って、「なんで取るのー!」と抗議する。 彼女にとっ
「おしごと行ってくるね〜」朝から出掛けようとすると、娘がぼくのふくらはぎらにしがみついてくる。くりくりのお目めに涙をいっぱいに浮かべて、上目遣いでぼくを見上げている。ぴったりとくっついて自分から離れてくれる気配はない。「ごめんね。お父さん、行かなくちゃいけないんだ」とギュッとにぎりしめた小さな手をほどいて、彼女の泣き顔に背を向け、、、ることなんてできるわけありません。 膝を折ってゆっくりとかがみ、娘のわきのしたに手を回して抱きあげました。ちいさな頭を胸にもたれかけ上機嫌。しばらく背中をなでていると、「ん。ん!」と声を出しながら、ある箇所を指さしています。何か気になるものでもあっ
選ばなかったほうの、未来の自分の亡霊を供養する。 P004.
シューーー。部屋は圧力鍋でお米を炊く音に満たされていた。それは聞こうとしなければ聞こえない類いの音だ。存在するものと存在しないものの境界線について考えさせられる。目には見えないけれど、耳には聞こえないけれど、手は触れられないけれど、存在しているものはある。 妻は夜中の3時過ぎまでジュエリーのデザインをしていたようだ。起き出して娘のためにご飯を炊きながら言った。「子育てと仕事を両立させるってむずかしいわよね」「そうだよね」ぼくはマグカップを片手に壁にもたれかかりながら答えた。そんなふたりのあいだに亡霊は潜んでいた。 「わたしの知り合いにね……」あいだにひと呼吸置いて妻は言った
まぁね、臆病者のぼくは少しずつではありますが、自分の変わったところをオープンにしていこうと思っているのですよ。2020だし。なんでもかんでも2020のせいにして、、いや力を借りて前に進めばいいと思うわけです。 ちょっとふざけたように聞こえたかもしれませんが、けっこう真面目な話だったりします。他力は存分に借りればよくて、この場合には特に人間ではなくて時代という壮大なスケールのものなので、器がおっきいから大丈夫です。そのおかげで、ぼくやあなたが、にっこり笑っていたら、ありがとうと感謝していたら、なんの見返りも求めてこないと思うのですよね、きっと。 あれ、なんの話でしたっけ? そ
これは、ぼくとあなたの物語の本です。 この note は、2020年の366日をかけて、まいにち1ページずつ書き足されていく本(のようなもの)にしていきます。 まいにち書く文章のなかから、あなた自身のテーマとシンクロする言葉を受け取って、そのときインスピレーションで降ってきたアイデアや行動をご自身の仕事や暮らしに活かしてみてください。きっと必要な変化がもたらされることに気がつくはずです。 またこれを読んだことで、ちょうどそこに書かれている内容を自分の人生で体験できるようなシチュエーションが顕れてくるかもしれません。その不思議な偶然に身を委ねていただくと、思わぬ道がひらけ
目の前には麻雀牌が並び、お正月恒例の家族麻雀牌大会がはじまる。と、その前に、妻が娘におっぱいをあげるために退席。その隙間をぬってぼくは、昨年末に購入した「banana diary」をパタリとひらいた。年末年始の数日間にわたって書き留めてきた、この note を本(のようなもの)にする際のまえがきに使う言葉の欠片を眺める。 ときは流れ、深夜2時前。麻雀大会は幕を閉じ、昨年の最下位からの大逆転優勝を果たしました。とちゅう不利な形勢になって不機嫌になってしまう瞬間がありながらの勝利はうれしいものです。今年は幸先がよいようで、賞金3,000円をうやうやしく受け取り、新札を丁寧に折りたた
古い年は終わり、新しい年を迎えました。昨日までの自分とはまったく違う、新しい人としてこれからはじまる366日をクリエイトしていくことができます。時間は未来から流れてきていて、過去の自分に影響は受けません。 本来的には、未来に決まっていることなど、ひとつもなくて。別に会社を辞めてフリーランスになってもいいし、小説を書きはじめたっていい、結婚してもいいし離婚してもいい、海外に飛び出しちゃってもいい、めちゃくちゃ行動的な人になってもいいし、たくさん人のから愛される人になってもいい、急に女たらしになったっていい、自由なのです。 静まりかえった妻かたの実家の部屋でひとり、これを書いて
「ブログリーダー」を活用して、末吉宏臣さんをフォローしませんか?
指定した記事をブログ村の中で非表示にしたり、削除したりできます。非表示の場合は、再度表示に戻せます。
画像が取得されていないときは、ブログ側にOGP(メタタグ)の設置が必要になる場合があります。