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聖徳太子の謎 (聖徳太子はふたりいた) https://blog.goo.ne.jp/nagusa777

ふたりの聖徳太子とは、竹田皇子と押坂彦人大兄皇子です。<br>隅田八幡神社人物画像鏡にある日十大王とは聖徳太子のこと。

名草ぼにまる
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2019/11/23

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  • 「日出處天子致書日没處天子無恙云云」・・・遣隋使

    推古天皇15年(本当は押坂彦人大王15年)である607年に聖徳太子(押坂彦人大王)は、小野妹子、鞍作福利を使者とし隋に国書を送っています。隋書の「東夷傳俀國傳」に記述があります。有名な「日出處天子致書日没處天子無恙云云」(日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙無しや、云々)の記載があった国書です。この「日出處天子」とは大王だった聖徳太子ことであり、押坂彦人大王のことです。本来、大王と天皇は異なります。これが解らない限り古代の歴史は謎解けません。この国書を見て隋の煬帝は立腹し、外交担当官である鴻臚卿に「蕃夷の書に無礼あらば、また以て聞するなかれ」(無礼な蕃夷の書は、今後自分に見せるな)と命じたと記述されています。聖徳太子の事跡を語る上では外せないエピソードです。強大な統一王朝である隋に対して、対等な立場...「日出處天子致書日没處天子無恙云云」・・・遣隋使

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